福音は、神の力
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聖書は、福音は・・神の力・・だと語っています。
福音には力があるのだと。
福音は力を持っていると。
福音は、すべての信じる人に、救いを得させる神の力だと。
福音自身が力を持っているのです。
福音の真理が、自らの力で働くのです。
信仰者は、福音の真理によって生かされているのです。
「わたしは福音を恥としない。
福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、
信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章16節・新共同訳聖書)
なんだか難しいことですが、
日本のクリスチャンたちは、
福音には力があり、その福音によって生かされているとは、
気づいていません。
何々をください、何々してください・・・・とよく祈ります。
これは、私たちの不安や不足のなにものでもないのです。
しかし、福音の力は、すべての領域において働いてくださっているのです。
私たちは、福音が力をもって働いてくださっているとは気づいていないのです。
気づかずに不安や不足を祈りの形において何かにぶつけているのです。
福音とは何ですか。
良き知らせとは何ですか。
それは、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
神のひとり子イエス・キリストの十字架の死による贖いのわざ・・
十字架による、あがないのわざという出来事に他ありません。
イエス・キリストの十字架の出来事とは。
私たちの目の前に、
今まで見えていなかったものが姿を現わしたのです。
ひとすじの光として、暗闇の世界のただ中に、
暗らやみに、ひとすじの光として差し込んできたのです。
人間同士の間で何かと語られる人間的な教えではなく、
・・救いそのもの・・として、
具体的な形で、目で見える形で現われたのです。
命の言葉が具体的に現われたのです。
私たちのただ中に・・・・。
ただ、そうだとは気づいていないだけなのです。
イエス・キリストが、常に共におられるにもかかわらず、
あらぬ方向を向いて、あれください、あれしてくださいと、
不安や不足を並び立てているだけなのです。
信仰とは、イエス・キリストに聞くことだと聖書は語っています。
すでに解決方法は、
イエスご自身が語っておられるのです。
私たちは、気づいていないだけです。
イエスが示しておられるのに。
「実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」
(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事が、
説かれ解き明かされる機会の少ない日本の教会においては、
福音に力があることを見過ごしてしまっているだけです。
信仰のもといであるにもかかわらず、
十字架の出来事が説かれず、解き明かされないものだから。
北白川 スー
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Wrote up on September 27, 2018.