依然として低迷する日本のキリスト教



依然としてマイノリティーなマイナーな存在の日本のキリスト教です。
聖書・バイブルでは、
福音の語られるところでは、
クリスチャンは生まれ、その数は増え続けると記述しています。

「というのは、話すのはあなたがたではなく、
あなたがたのうちにあって話されるあなたがたの父の御霊だからです。」

(新約聖書・マタイによる福音書・10章20節・新改訳聖書)

「あなたがたもまた、キリストにおいて、
真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、
そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。
この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。」

(新約聖書・エペソの信徒への手紙・1章13~14節・新共同訳聖書)

実際のところ、日本のキリスト教の教会では、
キリスト教信仰の、根本的な、基本的な、核心とにる事柄が、
語られているのだろうかとさえ疑ってみたくなります。

聖書・バイブルで語られるイエス・キリストの物語は、
ダイナミックで驚きに満ちたものです。

私たち人間の本質的な本性的なところを暴いていきます。
だから信仰へと結びついて行くのです。

「福音には、神の義が啓示されていますが、
それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。
「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・1章17節・新共同訳聖書)

自分自身の生きざまの性を突き付けられたとき、
神にひれ伏すことしか残されていないことに気づくのです。

実際のところ教会では何が語られているのでしょうか。
もう1つ別の福音があるのでしょうか。


北白川 スー

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Wrote up on November 28, 2018.