キリストの福音について



キリスト教の教会を建て上げ、キリスト教の信仰を成り立たせ、
教会を信仰を支え、それらのすべての土台であるもの、
切っても切れない関係にあるものとしての・・・・、

ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)・・・という出来事が、
ひとりの人がすべての人の罪の代価を死をもって、
命をささげることによって支払ってくださったという出来事が・・・。

私たちの人生において、人生を通して、
人生を支え、人生の土台・礎になるなら・・・、
私の人生に、すべての人間にとっての福音に成り得るなら・・・。

そして、いずれ終りをむかえる人生において、
必ずやって来る死をむかえたときに、
死そのものが、死で終わるのではなく、
死への恐れで終わるのではなく、
” 死に続く永遠の命 ” へと続くものとして、
目覚めるために眠りにつくのなら、
永遠に向かって始まる希望のときとしてむかえることができるものとして。
それが、自分にとって、すべての人間にとって救いに成り得るものであること。

ただし、常に、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)という出来事が、
語られ解き明かされていなければなりませんが・・・。

ひとりの人がすべての人のために死んだという、
イエス・キリストの十字架の出来事が解き明かされず、
また、聞くことがなければ、
自分の属する宗教というものが、
キリスト教という宗教が、
自分の人生において、
ただの、自分の求める生き方を実現するための道具になったり、
自分の必要を満たすための道具になってしまうのです。

それでは、何の解決にはなりません。
自分の必要を満たすために苦しみ続け、
自分の生き方にたいして肯定的な状況を得るために苦しみ続けることには変わりはないのです。
それでは福音とは言えません。

キリストの福音とは、
人間がかかわるすべての縄目から縛りから解き放つものなのです。
私たち人間の本性的なものにかかわるものとして、
人間のすべてのものに、
思いであれ、言葉であれ、行為や行動であれ、
それらにすべての元にあるものを・・・。
影響を与え続けているものを・・・、
福音とは、人間のすべてを根本的にひっくり返すものなのです。

経済的な豊かさを手にすることが、健康を得ることが、
人と人との人間関係に平安を得ることが福音ではありません。

十字架につけられたイエス・キリストの意味とは何なのでじょうか・・・・。
イエス・キリストの死は・・・・、
イエス・キリストの、死者からの復活は・・・・、
いったい、私たちにたいして、どのような意味を持つというのでしょうか。

「この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、
こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、
神の栄光をたたえることになるのです。」

(新約聖書・エペソの信徒への手紙・1章14節・新共同訳聖書)

「すなわち、イエス・キリストを信じることにより、
信じる者すべてに与えられる神の義です。
そこには何の差別もありません。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・3章22節・新共同訳聖書)

キリスト教の信仰とは、
決して、個人的な利益を求めるためにあるのではないのです。

福音の神とは、
神ご自身によって指し示された方法によってのみ、
私たち人間が、聞き、また知り、
そして理解することができる神なのです。

福音の神とは、
人間たちのただ中で、人間にたいして行為されることによって、
ご自身を明らかにされ、示され、
人間に語られる神なのです。

すなわち、イエス・キリストの十字架の出来事によって・・・・。
イエス・キリストの十字架の出来事こそ、
すべての人にかかわる福音そのものなのです。
私たち人間は、この世界を造られた創造主なる神の心・・、
気持ち・・神が望まれていることに、
反し、また背いている存在であることに気づかなければならないのです。


北白川 スー

関連記事・「キリストへのプロローグ」

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Wrote up on September 03, 2010.