今の苦しみは



メディアでは、毎日のように、人間性を疑うような、悲惨な、
心を痛める出来事が報じられています。
良心があるなら・・・どうして・・・と。

視線を自分自身に向けてみても、
いらだち、苦しみ、悲しみ、疲れ、傷つき・・・。
なんとも、めまぐるしく、日々の暮らしを送っている私たちです。

ひとときの癒しを求め、居場所を求めてさまよっているのです。

聖書・バイブルは、根本的な解決法を語り示しています。
・・・真理はあなたを自由にすると・・・・。
しかし、私たちは真理に目を向けず、
本当は惨めな存在であるにもかかわらず、
視線を自分自身に向けず、
ごまかし、いらだち、
むなしさに生きようとあがいているのです。

多くの人は、未来は明るいと信じています。
だから自分を信じて生きようと、努力しようと、何度でも・・・・。
しかし、そこにあるのは苦しみだけです。

「現在の苦しみは、
将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、
取るに足りないとわたしは思います。
被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。
被造物は虚無に服していますが、
それは、自分の意志によるものではなく、
服従させた方の意志によるものであり、
同時に希望も持っています。
つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、
神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。
被造物がすべて今日まで、共にうめき、
共に産みの苦しみを味わっていることを、
わたしたちは知っています。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・8章18〜22節・新共同訳聖書)

真理に目を向けなければ待っているのは滅びです。
現実の姿は、救われない日本と言っていいでしょう。
真理が私たちを自由にすることを拒絶して・・・・。

私たちは、ひとしく罪人なのに・・・・。
自分は正しい・・・・と。

何のためにイエス・キリストは十字架に死んだのてでしょうか。
将来わたしたちに現わされるはずの栄光を示すために。


北白川 スー

関連記事・「イエス・キリストの十字架」

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Wrote up on March 04, 2018.