宣教の切り口
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日本の歴史には、キリスト教徒にたいする迫害があり、
明治の初めには、
仏教が排斥され国家神道へと突き進みもしました。
この日本においては、400年もの長い宣教の歴史があります。
プロテスタントの宣教の歴史さえ150年をかぞえるのです。
貧しかった日本は、近代に入り経済は急速に成長していきます。
世界の中でも名だたる経済国家になったのです。
第二次世界大戦においては日本は敗戦となりますが、
終戦後、世界各国から大挙して宣教団が日本に入ってきます。
しかし、多くのキリスト教の教会は建ちはしましたが、
なかなかクリスチャンの数は増えません。
その数は、人口比にして未だに1パーセントと言われています。
世界を歴史的に見れば、
経済成長とクリスチャンの増大とはリンクしているようです。
今も、経済成長いちじるしい東南アジアでは、
国の成長と共にクリスチャンの数も増え続けています。
アジアでは、貧困に苦しむ貧しい地域であっても、
宣教団体による、地域住民にたいする、
医療や教育や生活資金や起業資金の貸付などの援助がおこなわれ、
地域経済に深くかかわっています。
そして、地域開発の中での大胆な信仰の証しが、
キリストの福音が説かれ解き明かされています。
宣教団体が、地域の人々と共に生きることによって、
教会開拓と地域社会の開発が同時に進行しているのです。
そうすればこそ、
教会の成長を、クリスチャンの増大を勝ち得ているのです。
宣教団体やクリスチャンの団体の、
医療や教育や経済への援助は、
地域の住人の、
経済的にも、身体的にも、精神的にも変革をもたらしました。
キリスト教的に言えば、
人生のすべての領域において、
身体的にも、精神的にも、感性的にも、
人としての霊的な領域までも影響を与え、
人の心を変革しています。
それらが基礎となって、支えとなって、
地域社会は経済的にも潤ってくるのです。
しかしながら、こと日本においては、そうは行かなかったようです。
多くのキリスト教関係の医療施設や教育施設はできましたが、
多くのキリスト教の教会も建ちましたが、
キリスト教的な経済倫理の確立は見なかったようです。
日本の経済にたいしての影響力は無かったようです。
”神の国 ”が個人に、また家庭に、地域社会や国家や経済の中に、
具体的な形で実現したとは言い難いのです。
この日本においては、
キリスト教はどのような役割を果たして来たのでしょうか。
「主の霊がわたしの上におられる。
貧しい人に福音を告げ知らせるために、
主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、
目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
(新約聖書・ルカによる福音書・4章18から19節・新共同訳聖書)
北白川 スー
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Wrote up on March 12, 2018.