東日本大震災・何事にも優先順位が存在している
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優先順位・・しかし、なかなか気づかず分からないものなのです。
すでに1ヶ月が過ぎてしまった東日本大震災、
しかし、震災からの復旧は、はかどってはいない。
何事にも優先順位が存在している。
ただ、どこに立つかによって感じ方や見方が違ってくる。
被災した現場には、リアルタイムで必要なことがらが現実にある。
しかし首相官邸では、それは分からない。
正確な情報が伝わっていないからか。
結果、必要な情報すら被災現場に伝わらない・・・・。
悪循環が存在していると、多くの人は見ている。
キリスト教の信仰であっても同じです。
何が優先するのかと言えば、
もちろん神の啓示です。
イエス・キリストの十字架の出来事なのです。
キリスト教の教会や信仰が、始まった、そもそもの根本、出発点だからです。
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
すべての人が対象の出来事だから、
すべての人が共有すべき情報だからです、
だから教会が生まれ信仰が始まったのです。
イエス・キリストが十字架にかけられ処刑された出来事、
罪を認めない、神のひとり子イエス・キリストが、罪人として十字架にはりつけになり、
すべての人に代わって、すべての人の罪を、この世界を造られた神への罪を、
命をささげることによって贖った(あがなった)という出来事。
その出来事から2000年の時間が過ぎた・・この日本。
日本の現場としての教会では、
個人的な必要を満たすために、教会にそれを求めて人はやって来ます。
日常の暮らしの中で出会ってしまったさまざまな困難のために・・・、
教会は、人々の必要を満たすところなのでしょうか。
その人の生き方にたいして肯定的な姿勢を示すのが教会なのでしょうか。
私たちにはリアルタイムに必要があります。
それが手に入らなければ、心は休まらないのです。
しかし、そのような状況におとしいれた根本的な問題があるはずです。
どのようにして苦境に追い込まれたのか・・・ではなく、
人間の苦境は何であるかを・・・・明らかにしなければ、すべては解決しません。
私たち人間は、どこへ行こうとしているのでしょうか。
しかし、神の啓示は、
私たちをどこかへ導こうとしているのか、それを明らかにしているのです。
この世界を造られた神のビジョン、
私たちへのビジョンを明らかにしているのです。
「 キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、
私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。
私たちの神であり父である方のみこころによったのです。」
(新約聖書・ガラテア人への手紙・1章4節・新改訳聖書)
しかし、時間が流れ、歴史が動くごとに・・・。
「 あなたがたがこんなにも早く、
あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、
違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。
それは福音というべきものではなく、
ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、
キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。」
(新約聖書・ガラテア人への手紙・1章6~7節・口語訳聖書)
私たち人間の目は、
いつも真実を見ようとはしないのでしょうか。
罪ゆえに・・・・。
北白川 スー
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Wrote up on April 14, 2011.