信仰を支えるもの



信仰を支えるものとは、それは紛れもなく、
ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事です。

15年にわたって、ネットに小論を公開し続けていますと、
実に多くの人から信仰の悩みを耳にします。

多くの人が、信仰を持ち続けることへの苦しみを、
信仰を捨てたいとも・・・・。
または、信仰を持ち続けているものの、
イエス・キリストを身近に感じたいと・・・。
イエスが共に歩んでくださる方だと確信を持ちたいと。
救いの確信が持てないと。
リアルにイエスを経験したい・・・とも。

信仰に悩んでいる人に聞きたい。
あなたは、イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事を知っていますか。

聖書・バイブルは、信仰と言うものを次のように語っています。

「 実に、信仰は聞くことにより、
しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・10章17節・新共同訳聖書)

キリストの言葉とは、
イエス・キリストの十字架の出来事を指しています。

信仰を、そのものを支えており、
それが無くなれば、信仰そのもの自身の成り立ちが危うくなるもの、

それが、ひとりの人がすべての人のために死んだという出来事、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業(あがないのわざ)という出来事・・・。
イエス・キリストの死と葬りと復活という出来事なのです。

信仰を支えるものこそ。
イエス・キリストの十字架の出来事なのです。

しかしながら、日本の教会では、
イエス・キリストの十字架の死による贖いの業という出来事の、
内容と意味とを、
常に、説き、解き明かしている教会は、ごくごく少ないのです。

教会に所属しながらも、イエス・キリストの十字架の出来事の、
解き明かしを聞いていない信徒の多さを物語っているのです。

イエス・キリストの十字架に拠らない信仰が。

イエス・キリストの十字架の出来事に拠り所を持たない信仰、
この日本のキリスト教の信仰には、
イエスの十字架の出来事に拠らない信仰が、実に多いのです。

イエス・キリストの十字架の出来事は、
私たちに、救いと、癒しと、解放を与えてくれます。
何ものにも捕らわれる必要などないのです。

「 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、
私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。」

(新約聖書・ローマの信徒への手紙・5章1節・新改訳聖書)


北白川 スー

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Wrote up on February 15, 2019.