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ENGCの600ヤードレンジにて。時刻は18:30頃だが、日はまだ高い。
背景の赤い車はAR15を貸してくれたアンソニーのピックアップ
'00.08.07作成 '00.08.07更新
アンソニージョンソン氏(以下、アンソニー)のお招きと元米国オリンピックジュニアコーチのジムモリソン氏(以下、ジム)のご協力により、名門の合衆国東ネブラスカ ガンクラブ(ENGC, East Nebraska Gubn Club)でセンターファイヤー(大口径)ライフルの射撃をする機会がありました。
ENGCは、会員の推薦と審査が入会には必要で、しかも会員数も制限があるので入会待ちがある私営のクラブです。600ヤードと150ヤードの射場があるだけではなく、1000ヤード射場を来年目指して建設中です。
射場に着いたのは17時でしたが、6月なら20時まで撃つことが出来ます。射場までは、オマハ市内のどこからでも30分で行けます。そのため、試合も勤務後にして、土日は家族サービスが出来るという恵まれた環境です。
ENGC(East Nebraska Gun Club,東ネブラスカ ガンクラブ)の600ヤードレンジ。標的は300mに設置。
バックストップになるところがないので、高台から下に撃ち下ろす配置になっている。25、50、100、200、300、500、600ヤードに標的を設置できる。
風は弱かったが、左から右へ流れている。
公道から鍵のかかった門を通ってブッシュの中の道を800mほど入ったところに射場はある。そのブッシュには大きな七面鳥、ウサギ,そして鹿がウヨウヨいて見ることが出来る。猟期には撃つそうである。射場までの道はゆっくり警戒しながら走らなくてはいけない。鹿が飛び出してきて車にぶつかったら大損害だから。
ジムモリソン氏と櫛風沐雨。ジムモリソン氏はATT退職後、年金生活しているが、しっかりした声で話し、鍛えた体を持つ。当然、今も現役射手で、クラブやでコーチを務めている。いろいろアドバイスを頂いた。
ジムが着ているのは、彼の射撃コートである。正しく、紳士にしてナイスガイである。しかも、コーチの腕はクラブの誰もが認めるうまさ。声、話し方、身振り、コーチに向いた人、指導者になるべくして産まれた人だな、と思った。
イヤーマフラー、帽子、コート、グローブ、スリングは全部私のもの。
標的は、ジムに用意していただいた。
銃(AR15)と弾(223Rem/69gr Sierra,Varget)はアンソニーにお借りした。
後ろのアンソニーの車で標的のところまでデコボコ道を走っていき、スポット用の丸いマーカーを差して射手に着弾点を示す。そして、治痕紙を貼る。
私は、射撃競技の経験が比較的浅いのです. ジムモリソン氏が ENGC(East Nebraska Gun Club,東ネブラスカ ガン クラブ)で私が自分のAR-15でプリンキングしているのを見つけて、単に銃 をぶっ放すより、射手としての技術を上達させるより良い方法を教えてくれました。
私は、1999年春、ENGCで初めての競技会に参加しました。それ以来、 機会あるごとに、競技会に参加しています。 そして、これは家族の行事となり、今では妻も "ガランドマッチ" で撃っています。(櫛風沐雨 注:アンソニーが車でぼやいていました「今じゃ、嫁はんの方が上手になってもた」)
どんな場合でも、また、どんなことでも自分を向上させたい人は、 目的を達成するのに使える色々な手段を使うでしょう。私が大変 役立つことを見つけた、ある手段は、インターネット上のディスカッショ ンボードでした。 そこには、多くの高度な練習を積んでいる大口径射撃競技(highpower)のトップレベルの競技者が 集まってきます。 インターネット掲示板では多くの上級射手、最上級射手のお店や相談事に関する 会話室があって、点数を上げたいと思っている初心者に、アドバイ スをしてくれたり熱心に手助けをしてくれます。
榊原 嘉仁氏は日本の京都の "ブルズアイライフルクラブ" のメンバーです。
彼は、また、日本のオリンピック射撃チーム、日本パルマチームの
メンバーを目指してトレーニングを積んでいます。
彼が送ってくれた驚異的なスコアを見て、彼は、かなりできる射手
だという確信を持ちました。(櫛風沐雨 注:BFP60-100mで、593点を2年前に撃ち、594点を去年と今年撃ったとか、2000年4月15日の全日本選抜戦でSFRP60で584点で10位になったことを伝えたことを指します)
彼は射撃をやらない時は、我が Mutual of Omaha を含む保険会社と連係しながらアクチュアリ(櫛風沐雨 注:保険会社の数理や財政面の専門家)として働いています。彼から、ネブラスカ週のオマハの近
くで、300ヤードが撃てる射撃場があるかどうかというメッセージ
が送られて来ました。
ご想像通り、日本の射撃場の広さは極端に限られていて、彼は、 100ヤードの射撃に限定されています。 ヨシ(櫛風沐雨 注:私のニックネーム)にとって、我々がやっ ているような、300ヤードでの射撃は絶好の機会なのです。 AR-15を使って、ロングレンジでの彼の技術をテストする機会は、 とても興味深いものでした。私は、「あなたををENGCに迎えること はとても喜ばしいことです」と返事を出しました。
ヨシは5月25日木曜日オマハに現れました。彼は疲れているに違い
ありませんでした。京都から東京に飛んで、すぐニューヨークに飛
んできたのですから。 道中ずっと、 1週間のアメリカでの仕事に
必要な荷物、それから射撃コート、監的スコープ、他射撃装備を持
って来ていました。時差ボケがあろうがなかろうが、彼は準備OK
でした。
私はシェラトンホテルで彼を拾って、射撃場に向かいました。(櫛風沐雨 注:彼はフレックス勤務なので、7時に早出して仕事を終えて16時半に迎えに来てくれました。私はボストンの宿を6時15分に出てシカゴ経由14時にシェラトン着)
そこで、ジム・モリソン氏(櫛風沐雨 注:元オリンピックジュニアコーチのジムモリソン氏には本当にお世話になりました)に会いました。そして、彼とヨシが知っているコーチ
達やオリンピックレベルの射手達の噂話をしました。
ヨシは実に会話を楽しんでいるようでした。世界の射撃仲間って
なんて小さな世界にいるんだろうと言いました。なにはともあれ、ジムは300
ヤードコースを準備していましたし、ヨシは取り掛かりまし
た。わたしは彼に自分のAR-15を貸してあげました。彼は、それをう
まく扱いました。ちょっとサイトとトリガーになれると、実際に
300ヤード射撃です。彼のスコアは上がって行きました。
私が言えることは、彼のレベルに到達するために多くを学んだとい
うことです。
彼は300ヤードレンジを十分撃った後、木曜の夜に行われるENGCガランドマ ッチに参加しました(櫛風沐雨 注:射場には17時に着いた。21時までは明るいのでみんな仕事明けに試合が充分出来る。ガーランドを撃ち始めたのは19時近かった)。日本では、彼は、短距離の射撃場で、22リ ムファイアと.223Remに限定されています。 言うまでも無く、M- 1ガランドの30-06弾を使うと目をあけていられるか(あるいは、目を閉じ ているか?)がわかります。 その反動は新しい経験でしたが、ヨシは それを自分のものにして、すばらしい時間をすごしました。何の問 題も無く、うまく、すべてのラウンドをこなしました。
ボブ クラクサンが、 「あれは気合いがはいるぞ!」 と言ったにもかか わらず、ヨシは我々には馴染み深い "恐怖のガランドサム"(反 動でグリップの親指が頬に食い込むこと)に苦しむ経験はしません でした。彼の私への最後のコメントは、「Mutual of Omaha 生命保険には良い 印象を(仕事で)残せると思うし、また、撃ちに帰ってきたいね」というもので した。
(こんな楽しい)ENGC(東ネブラスカ ガンクラブ)と我々の射撃競技講習会に、皆さんは、"イェー"という賛成の声を挙げてくれると思っています。
この素晴らしい仲間たちの日をつくってくれたジムモリソンとジムビソッキー
に特に感謝します!
銃(AR15A2)はアンソニージョンソン氏、マットは奥さん、スリング、スコープ、三脚、グローブ、腕時計は全部櫛風沐雨が持参。
スリングはスリング環より幅が少し広かった。
AR15はスリング止めの位置さえ何とかなれば、とても構えやすく、反動もストレートに来て撃ちやすい銃である。
猟銃タイプのストックが着いている銃よりも私にはしっくりきた。これで、後述する初弾の
給弾不良さえなければ、私も競技用として買いたい。
スリング止めが、私の体格では前にあって、構えにくかった。どのような調整をして撃つのか、訊くのを忘れた。
弾は百発余りをアンソニーにハンドロードして用意していただいていた。もちろん、全弾撃ち尽くした。
黄色く見えるのは、ボルトを解放してスロート部に差し込む軟質プラスチックの旗である。ボルトが解放されていて、弾も装填されていないことがどこからでも分かるようにするものである。日本の射場でも散弾銃も含めて義務づけるべきではないだろうか。
銃に入っているマガジンは、長い69gr弾が8発装填できるように前部をコの字型に切り欠いてある。
右上の黄色いものがちょっと覗いているマガジンは単発用。
銃を裏返したところ。ヘビがトグロを巻いている、ブッシュマスターの商標が見える。銃身は競技用の特注の7インチツイストに替えてある。トリガーはオリジナルのまま。引き味は普通。約1.5kg
この銃は最初は調子が良かったが、単発で撃っているウチに排夾部の下に見えるストッパーが効かなくなり左手を外してストッパーを押さえながら、右手でボルトを引かなくてはいけなくなった。しかも、そうしても弾を噛むことがあった。機関部がアルミの鋳造だし、弾倉もアルミのプレスで,両方ヤワなので、ちょっと歪みが出て噛むらしい。噛んだ弾を出すとき、両方がグニーと元に戻るのが見えた。
また、セミオートにしても、8発入れると最初の一発を噛むので、7発をマガジンに込めて撃つようにした。
調子は個体によるとは思う。でも、戦争に行くとき、Garand と AR15 とどっちか好きな方と言われたら、反動が痛くて頭がガンガンするけど、私なら作動が確実な30-06のGarandを選ぶ。
AR15のサイト。リアはピープでフロントはポストサイト。
いつもはリングサイトだし、ポストサイトなんて20年ぶりに撃つからさっぱり当たらなかったのが残念だ。
アンソニーは、Veteran's day の3連休を利用して、サベージのバーミント22-250でプレーリードッグを撃つんだといってゼロ点合わせを25ヤード周辺でしていた。
「命中すると、ブッと音がしてなんにも残らないんだ。日本では害獣ではなくてペットなんだって?(確かに近くのペット屋で4万円で売っていた) きっと残酷だっていわれるんだろうな。」
この右手に150ヤードレンジがあり、そこで Garand の速射と遅うち各10発をした。
この左手に来年1000ヤードレンジが出来る。出入り口から800m入ったところに,この射座は北向きにある。
即ち、ここの敷地は導入路800m+射場900m+バックストップ300mで長さが約2kmはある。幅は最大で500mほど。これが、この会員制クラブの所有地なのだ。
周辺は牧草地で家は一軒もない。
こんな広大で豊かな国に60年前に戦争しかけて、日本人の中の最優秀の若者多数を殺した当時の指導者の愚かしさが嘆かわしい。負けて勝つ、という考えがなかったのだろうか。
スリング止めが前にあるので、身体を思いっきり角度をとって伏射の姿勢をとっている。これが当たらなかった原因の一つだ。
写真で見て気がついた。
途中で、私が持っていったスコープの倍率が低く(40倍)て弾痕が見えないので、アンソニーのコーワの50倍のスコープを借りた。
横でAR15の300ヤードを撃っていたジムが親父さんの形見だという7.5スイスを見せてくれた後、車に乗って帰ったのだと思っていました。
AR15を撃っていると激しい銃声が聞こえてきます。鹿でも撃っているのか?とアンソニーに訊くと皆がアーミーマッチをしているのだといいます。
まだ、この約10射座×長い600ヤードの他に射場があるなんて思ってもいなかったので、陸軍基地があるのなかなぁ、なんだかよく分からないなぁ、と思っていました。
そのうちにAR15を19時頃に撃ち終わって、標的を片付けて車に乗って帰るのかと思うと、「試合を見るか?参加するか?」とアンソニーが訊いてきます。
日本の常識でいえば、もう暗くなるから帰ろうと思って、「見るだけ」というと導入路とは逆の方向に車で走っていきました。すると、30射座×150ヤードの射場にたくさん人がいます。
なんと帰ったと思っていたジムもいました。ジムが、妙な格好をした銃(私はガランド Garand なんて良く知らなかった)をみせて、「Garandの30-06だけど撃つか」と訊くので、
射手の本能で「撃つ。遠すぎた橋とかプライベートライアンとか、第2次世界大戦の時の銃だろ」と答えてしまいました。
その場の皆が撃たせるのか、誰の銃を使うんだというと、アンソニーが「クラブの銃とボールを使う」
と答えています。銃のチークのところに「ENGC」と書いてあり、弾は、お馴染みの鉄製の弾箱から紙箱を出していますが、出てきた弾は青く錆を吹いていたりします。「ウワー。あんなのを撃ったら死ぬな」と思っていたら、それは無造作に捨てていました。
紙箱には「Ball」と書いてあります。これが戦争映画で有名な30ー06の軍用弾のボールか、CMP = Civilian Marksmanship Program (民間人の正しい射撃の普及制度による講習会)による試合だと気が付きました。
CMPとは、陸軍が射撃を市民スポーツとして普及させて正しい射撃を普及させるために、第2次世界大戦後、戦略予備で取ってあったガーランドなどの古い銃を途方もなく安い値段で銃(4万円ほど)と
弾薬を会員やクラブに払い下げる制度です。でも、もうそろそろ備蓄も尽きかけてはいます。
そのほか、ボランティアが試合を開いたり撃ち方を教えるクリニックを各地で開いています。
ここでは、ジムがその講習会を開いているのです。
そのほか、USAMU(United States Army Marksman Unit)は、四軍の射撃成績優秀な者ばかりを集めて訓練する部隊ですが、彼らも CMP に参加して民間人相手に射撃講習会を開くのです。
合衆国は豊かな国で、しかも税金はムダにしない国なのです。合衆国憲法修正2条で銃を持つ権利を保証するだけでなく、しかもその正しい使い方(権利の行使のしかた)を
自分たち(民間人自身)で教育するように材料を提供しているのです。
財政赤字を増やして経済的に無駄なものばかり作って禁止する法律しか作れない、東洋の国の賢いけど愚かで卑怯者の政治家と無能な役人に爪の垢でも呑ませたやりたいものです。
最初は速射10発60秒だといいます。標的は100ヤードに設置されています。スリングは銃についていたキャンパス地のものを、思い切り短くして使いました。
単発の弾コメを教えて貰いました。例えていうと、バネの付いたギロチンを押してラッチを外すとギロチンがガシャーンと閉まって弾を薬室に押し込むのですが、指を上げておかないと挟まれるか人差し指や中指の腹を削られます。
連射はクリップを差し込むのですが練習する時間もないので、8発を撃った後、射場長に残りの2発を詰めて貰うことになりました。
30−06のガーランドを速射中である。今度はチャンとした姿勢で構えることが出来た。
撃ち出して驚いたのだが、発射の反動で頭をガンと下から小突き上げられて、上半身が浮く。同時に右の親指が右の頬に当たって、猛烈に痛い。1ヶ月近く経っても、ちょっと頭を振るとその時の痛みが蘇ってくる。
8発撃つと映画と同じでクリップがカシャーンと音を立てて飛ぶ。射場長が2発を込めてくれる。ここで左の隣の知らない人の的に少なくとも4発を撃ち込んだことに気が付いた。
しかも、時間は60秒をこの時点で過ぎてしまい、シーズファイヤー(射撃止め!)がかかっている。ジムが撃てというので、ともかく10発を撃った。反動で跳ね上げられて、構え直すのに時間がかるのだ。
速射を終わって立ち上がったところ。左のジムが「どうだった?」と訊くので、頭を振りながら、痛い、
ショックで頭がボーとすると答えているところである。
右は、私が撃ち込んでしまった人だが、今見るとおかしそうに口を押さえているなぁ。
初めての奴の反応を見るのが、みんなの楽しみなんだな。分かるよ、その気持ち。
しかし、Garand と38式歩兵銃なら、確かに38の方が撃ちやすかったでしょう。アメリカ兵が、日本兵はみんな狙撃兵だと思ったということだが、当然である。
Garand がM14になり、M16へと小口径化と直銃床化が進んだ理由は分かった。
この時の結果は、黒点にはみんな入っていたが、5発は隣の的であった。
ジムが、Natural Point of Aim は取っていればこんな事はないはずだというので、NPAは取り直したけど、隣の的で取ったんだと答えた。
気を取り直して、スローファイヤ、遅撃ち10発10分をしている。これなら、楽勝で撃てると思ったら、
フリンチングして1発は的外に、1発は大外しをしてしまった。
標的回収に行ったときにアンソニーにこれはフリンチングで外したんだというと、英語だから当たり前だけど通じて、「スローファイヤの方がラピッドファイヤより難しいんだ。
プレッシャーがかかるから」とのことであった。
右手の親指をグリップに巻き付けている。終わった後で、その場にいる人に、「右頬が叩かれて痛いんだけど、どうするんだ?」と訊いたら、
「親指を巻き付けて握るからいけないんだ。右親指を人差し指にくっつけて真っ直ぐにして握るんだ」とニヤニヤしながら教えてくれた。
アンソニーは「明日が楽しみだな。右頬が青くなるよ」とこれまたニヤニヤしていた。
翌日は、早朝から打ち合わせなのでドキッとしたが、3日後の英国ライフル協会長との写真を見れば分かるとおり、
右頬はなんともなかったので良かったぁ。
これは、遅撃ちを逆から取ったところ。奥の隣がジム。
アンソニーの文中にもあるが、ジムと私とは直接会ったり見たりしたことがある共通の知人が二人いることが分かった。ライフル射撃の世界は
広い地球に散っているが狭いものだ。
1人は、Col. Frank Briggs, USAMUの偉大なコーチであり、もう1人は射撃の精神制御理論、メンタルコントロールで有名な3姿勢金メダリストの
Mr.Lary Basshamである。アンソニーもバッシャムのビデオは見て研究したことがあるそうである。それくらい、バッシャムの理論は認められて普及している。ただし、ジムは左の掌をまっすぐに立てて右の拳骨でグリグリして、
「奴には射撃だけで会ったのか?」と私に訊いたので、「射撃だけで15年前」と答えた。
また、私は東京オリンピックの時は1才だったので、会ったことはないが、金メダリストで世界記録を打ち立てた Mr. Gary Anderson はネブラスカ州中部の Hastings の出身だという。
一連の写真は、アンソニーに取っていただいた。有り難う!
私が撃ち込んでしまった左の人の銃。銃床が茶色の滑らかな木目でとても美しい。
訊くとデンマーク陸軍に第2次大戦後貸与していたガーランドで、M1D,デニッシュガーランドというそうである。
試合を終わって8時頃に撮った写真である。明るさに驚きを感じた。
無料の高速(日本くらいだ、何時までも有料なのは)を使えば、オマハのどこからでも30分で射場に着く。これなら、平日の夜にみんなで軽く試合が出来る。冬は大変だろうが、羨ましい環境である。
ジムもとてもいい顔をしている。こういう顔をしてくれると、私も嬉しくなる。
ジムモリソン曰く「ライフル射撃で300ヤードから向こうは別世界だ。君の言うとおり、風の世界だ。1000ヤード射場ができる来年にまた来い」
ガーランドマッチの後、皆にお礼を言って、アンソニーに送って貰い、シェラトンホテルで別れました。
アンソニーはリップクリームを買って、携帯電話で今から帰るよ〜と奥さんに電話していました。どこの国も、奥さん対策は大変です。
実は、オマハの人からは貸しピストル射場があるからしないかと誘われていました。誰にでも貸すということは 隣で撃っているのが素人の可能性もあって怖いし、私にはピストルの才はないことは分かっていて 当たらなくてつまらないだろうからと断りました。自力で色々なツテを辿って今回の射撃行となりました。
今回は、楽しく射撃をして過ごさせていただきました。クラブの皆さんの暖かさがうれしかったです。クラブの人達にこの場を借りて改めてお礼を言います。
日本のライフル協会の試合や練習で基本はマスターしていたので、キチッと撃てたし、マナーも守れていたのではないかと思います。
アメリカ人は銃の怖さを知っているから、マナーにも厳しいのです。皆さんに暖かく迎えて頂けたのは、日本での躾が間違っていない証拠であると思います。
次回は、休暇を取って是非とも自分の銃を持って行き、1000ヤードや600ヤードに挑戦したいものです。また、日本に彼らが来たら射撃は充分出来ないかもしれませんが、精一杯歓待したいものです。