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アリゾナ州フィニックス近郊のベンアビリィ射場600ヤードラインにて
2001年5月6日,サービスライフル部門のリージョナルマッチコース終了後に,お世話になった Mr. Bill Poole と一緒に。彼から借りたステンレスバレルのAR15 をもって,左から櫛風沐雨とWestin 氏
真ん中の櫛風沐雨の銃は、日本海軍旗ではなくアリゾナ州旗のペインティング。Mr. Bill Poole が育成しているアリゾナ州ジュニアチーム用の銃
'01.07.02作成 '01.12.16更新 日々更新中です お楽しみに
2003年6月のロンドン郊外Bisleyのパルマトロフィーマッチのために、今年はお金も暇ないけど、見ているだけではなく一度はパルママッチを撃たなければいけない、と思っていました。そこで、アメリカに焦点を絞って,試合日程の調査を始めました。
パルママッチの方を選んだのは、
よし、これだ! と決意して準備を始めました。でも、練習するには、標的交換をペアでする相手が必要だ,誰か行かないかな..........
ぼぇ〜とALSのホームページを見ているとパルマの文字が目に飛び込んできました。だれだ、この物好きはと、よくみると、Westin 氏がパルマに行きたい,1000ヤードを撃ちたい,と言っている。よし、と誘いを掛けると、なんと,行く、との返事。
この時点で嫁に打ち明けたら、ボロクソに言われました。言うわな、幼子3人おいて、ゴールデンウィークに旦那が海外に射撃、と来れば。私が嫁の立場なら逆上している。
マイレージがある全日空を軸に探すと、United Air が直売りでHISよりも安いことを発見(ゴールデンウィークのような高需要期独特の現象です)し、航空券を手配。
宿を手配すると、宿が高いのにビックリ。グランドキャニオンに車で5時間と近く冬は暖かいせいでしょう。1泊+コンチネンタルと称する手抜き朝食付きで50ドル以上します。Ben Avery まで20マイルの Sleep Inn North に泊まりました。4月末までだと倍はとられるようです。アメリカのこの手のホテルは30ドルが最高だと思っていたので、腰が抜けてしまいます。帰国後、HotelCoupons.com という安いモーテル予約専用のサイトを教えていただきました。
でも、ともかく、初の1000ヤード射撃に行くんだ!
弾薬を始めとするリローディング機材、伏射用マット、弾速計(アメリカ国内でコンパクトサイズを買いました),そして弾薬を,アリゾナ州ライフル射撃協会のハイパワーライフル部門で活躍しており,今回の競技会の主催者でもある Mr. Bill Poole に相談しながら手配しました。弾薬は、工場装弾を買おうと思ったら、「とんでもない。そんな高いモノは買わなくていい。機材は貸すから、俺の家で作ればいい」というご厚意に甘えて,Bill の家で作ることにしました。で、火薬のテストも兼ねて Hodgon の大口径標準火薬の Varget ,Federal の雷管,Sierra の Palma .30 / 155gr HPBT 弾頭をお願いしました。日本から弾薬を持っていくと5kgのIATAの制限で約300発程度しか持ち込めません。練習予定3日と試合には全く不足してしまいます。
進化する経済産業省通商局
今回、使用するパルマライフルの個人輸入では、イギリスのDOTと私の間で,日本の法解釈を巡って論争となりました。この時には、経済産業省の係官に法律照会をダメもとでしたら、わずか1日で回答がありました。この回答や、法令の条文を英訳して解決することが出来ました。本当に感激しました。有り難うございました。
遠征時の持ち帰り条件時輸出許可も2回昼休みに出かけるだけで取得できます。
持ち帰り条件時輸出許可も申請用紙がインターネットで取得できるのには驚きました。ただし、両面印刷しなければいけません。輸出経緯がバラバラに外せてしまうからです。慌てて、昼休み明けの購入を覚悟して用紙を買いに行くと,なんと即時で買えました。その場で記入して提出して、翌日取りに行くと出来上がりです。
正しく、普段,公私で接する並のお役所とは全く違う日進月歩で進化する姿が経済産業省にはあります。
日本のメーカーの世界で最強の競争力を支えるのは、優秀でレスポンスが早く、簡にして要を得た経済産業省通商局がある、と実感した経験でした。
会社には5月1日の午前中出勤し、昼を過ぎて会社を出て関西空港に向かうことにしました。6泊8日に対して休暇は3日で済みます。
出発の前日に、切符を購入した全日空から電話があって、「United Air(UA)が銃の持ち込みに関して超過料金が掛かるといってきています」私「えっ、おかしいですね。全日空では掛かりませんよね」全日空「共同運行便でUAの規定によりますので」という会話をしました。
さっそく、5月上旬に同じくUAでフィニックスに行った築地恵さんに訊くと航空機で銃の持ち込みでお金なんか取られたことはない(築地さんの知人も含めて)けど、今回UAは弾の持ち込みに特殊コンテナがあるからそれを持ってこいとか変なことを言ったとの情報を得ました。私も、ヨーロッパへKLMで行ったときは超過料金無しでした。ヨーロッパ遠征の時は、車椅子、ライフル、頑丈な特製の椅子など、一人で一度に運べず、頭がクラクラするくらいの超過重量で、窓口ではドキドキでした。これは、最近のUAの日本の係員が銃器の輸送に関する国際常識に反していておかしな行動を示す人に代わったということを示しています。
そこで、下の写真に示すような戦闘服を会社に持っていき、スーツと着替えることにしました。
このジャケットには、左胸に、日の丸と「Bull's-Eye」の文字(=「標的射撃」という意味と我がクラブの名),ブルズアイライフルクラブのエンブレム(小さく日の丸入り)を縫いつけています。
日の丸にこだわるのは、たとえ我々が個人の立場で出場しようとも、海外の派遣受入先は日本の代表と理解しているだろうし、官憲や航空会社と交渉する際に、日本人であるという立場を明確にした方が解決が早いと思うからです。私は、立場が明確でない人間とは、腹を割って話し合う気はしない性格です。日本を代表して海外の主催団体に招待されている書状をもつ人間が、日本を代表する標識を付けていないというのは、不審に思われてもしょうがないでしょう。私が日本警察なら、アメリカ代表が米国国旗をどこにも持っていなければ、変だと思います。交渉相手の立場に立ってみれば,当方の立場を一目瞭然にして交渉に臨んでいくほうが、相手のストレスも小さくなるはずです。
「戦闘服」と呼んでいるのは、小火器を持って他国に行くのだから、必ず摩擦がある、その損失を最少にするのに適した服だと思っているからです。本音は、分からず屋の人達と戦う服だからですけど。
そして、銃の持ち込みに関わるエクセスチャージと謎の装弾コンテナーの真相が判明しました。
「UAのグランドクルーは英語の運送約款が読めない! ライフルとピストルの区別がつかない」
です。
関空で係員と30分ほど、「そんなことはありえない」「規則だ」とやりあった後、「約款を英語原文で確認したい」といってコンピューターからプリントアウトしていただきました。成田出発のWestin氏はかわいそうに2万2千円を払いました。前もって、払う必要はない、とメールしておいたのですが。でも、あの係員の自信に満ちた勘違いなら、小心者の私(=これ以上費用がかかったら、嫁に土産が買えない! うちに帰れない!)でなければ払うでしょう。Westin 氏は帰りに成田で返してもらいました。30分の交渉で返してもらえるのですから、時給4万4千円です。実際には、話をしたらすぐ返ってきたそうですから、10秒とすると時給7920万円だったようです。
約款には、
とんでもない話でした。
この運送約款は、軍隊が銃を携行して客室内に搭乗して戦域に移動するときの指揮官の指揮要領や、刑事が銃を持ち込むときなども規定してある、詳細なマニュアルでした。私は、このマニュアルを見て、ここまでしっかり考えている会社だから、UA本社は信頼できると感じました。問題は、日本人スタッフの資質と合法的な銃砲スポーツへの理解度です。
United Air の銃器の搭載の件は、日本のグランドクルーには英語の運送約款を正確に読める人材がいないことがある、英語が読めてもピストルとライフルの区別がつかない、銃は,所持に関しては国内の法的規制が,国際運送約款上では危険物ではない、弾薬は落としたりしても多少のことでは発火しない、などの銃器の基本知識が欠落している者がいる,という教訓と受け取るべきです。普通の日本人は、銃器の知識がないと考えるべきかもしれませんが、間違いで2万円もとられたり、地球上に存在しない弾薬容器を要求されて搭載拒否された日にはたまったモノではありません。
銃器弾薬を航空輸送する際のIATA約款上のポイントは、
その課金体系は、航空会社によって異なります。UAのように一丁目のライフルは無料のところもあります。あるいは、ナショナルチームや国際競技会に出るスポーツ選手は現場判断で無料にするところもあります。手荷物重量に含めて課金する会社もあります。
海外の航空会社の特に海外空港では、スポーツ選手には課金しないことが多いと思います。
実は、上記は、帰国後、IATAに問い合わせて確認しました。
課金されそうなときには、必ず約款を出していただいて、そして、自分で英語を読むことです。運送契約については両者の同意が必要ですから、航空会社には説明責任があります。
順調に睡眠薬の助けを借りて時差調整をしながら、サンフランシスコまで、4人かけの隣が空席だったので、快適な旅をしました。空席の向こうには、外人男と日本女性の2人連れがベタベタしていましたが、節度はあった方々でしたので、よく眠れました。時々、とんでもないモノを見ながらフライトすることがあるから,いつ始めるかと冷や汗をかきました。
サンフランシスコの入国税関では、私の青いアルミストックに自製の銀色のグリップを付けたステンレスバレルの palma rifle を見て、男の税関係官が「Oh ! Beautiful weapon !」で、胡散臭そうな目をして私を見ている女性係官にこいつは1000ヤード先を撃つライフルだ,俺の友達もしている,と説明してくれて、読めないよ、と苦笑しながら日本語の輸出承認と猟銃等所持許可証の写真欄と銃の口径やシリアル番号を確認して,通してくれました。
サンフランシスコでは、成田から来た Westin 氏と落ち合い、フィニックスへ飛びました。いや〜、無事に会えてよかった.........
Budget reantacar のインターネット予約専用、1日20ドルの超お借り得車,ニッサンのピックアップトラック。乗り心地や加速もよくって,4人乗れて,銃も余裕で詰めるスペースがあってよい車でした。でも、保険をフルカバーにしたので、1日70ドルくらいになっていました。
Bill の家につくと、みんな、この車が1日20ドル?!と驚いてました。
空港から偵察を兼ねてベンアビリー射場へ行くと、開場時間である5時にも関わらず門は閉まっていました。
砂漠っていうしサボテンも大きいのがあるけど、緑があるじゃないかなんてこの時は思っていました。緑は単なるブッシュで、肺から水を吸い取られ、灼熱の砂が広がる過酷な環境だなんて,この時は想像もしていませんでした。
ベンアビリーのあと、ホテルに寄ってから、Mr. Bill Pooole の家に7時過ぎに行きました。中国人の奥さんは、教会の用事で到着したときはお留守でした。息子さんと凄い美人でかわいい娘さんがいました。プレゼントを我々から贈り、歓迎していただいて、夕食に宅配ピザを頂きました。
この日は11時まで、ビルの家で弾を作っていました。
弾は、Varget を 45gr, 46gr, 47grに分けて詰めたロットを作りました。
あしたは300ヤードで練習とピストルうちまくりです。
パルママッチの主催者のMr. Bill Poole の自宅で、ローディングデータが出るように弾をテストして練習弾とマッチ弾をほぼ毎日作ったのですが、これが大変でした。マイペースではないので、寝不足の連続でした。しかし、気温で弾速が変わる以上、データがろくにない我々は現地で弾を作らざるを得ません。今、振り返って考えてみると、親切で寛大なご家族でした。いつかは借りを返さなくては。日本で、外人2人連れが毎晩遅くまで弾薬を作っていたら、家族争議どころか、ご近所を巻き込んで一騒動です。
今日は、パブリックレンジ(1日4ドル、射座多数、最大200ヤード)で弾速測定と, そのあと、300ヤードで練習、5時くらいから Bill Polle の勤務先の Motolora club で、ピストル射撃をさせてくれるそうです。ウージー短機関銃を連射しないかと誘われましたが、私は興味がないので断りました。Westin 氏には話したと思うけど。
最初は、アメリカで買ったChronyのコンパクトな弾速計が調子がよくなくて遅い弾速であった。Westin氏が撃つとチャンと目標の弾速 2950fps が出ているし,日本のように横転弾が出ないといいます。
午後から、余った varget 46gr / Sierra .308 155gr HPBT で計測しました。
良好な結果ですが、IMR4064 より弾速のバラツキが小さいとか良いという感じはしませんでした。強いて言えば同じ。以下でもなく以上でもない。
2001/05/02 14:00 気温34度
薬莢 Lapua 火薬 Varget 46 gr 弾頭 .308 ウィンチェスター / 155gr HPBT Palma
fps
1 2945 平均値 2923.7 fps
2 2932 最大 2945 fps
3 2923 最小 2894 fps
4 2933 標準偏差 18.7 fps
5 2895
6 2894
7 2941
8 2906
9 2933
10 2935
目標とする2950fps(1000ヤード先で超音速を維持できる速度)に近い弾速ですし、私のシートの浅い弾頭ではコンプレッションロードにもなっていないので、46gr Varget で本番に臨むことにしました。
パブリックレンジでは15分に一回5分以上の休憩を取り標的交換をします。そのときは、射手は銃をボルトオープンして弾を抜き、黄色い線から後ろに下がります。そして、写真のオレンジのベストを着て、腰にピストルを提げたレンジオフィサーが安全確認をして回ります。このとき、ボルトを開けていなかったり弾倉を差し込んだままの銃は全部弾が抜き取られているかどうかを確認します。
休憩中に黄色の線より前の標的以外の品物に手を触れると監視員からマイクで注意が飛びます。ピストルを提げたレンジオフィサーが飛んできます。安全管理は日本のライフル射撃協会以上です。日本の猟友会やクレー協会の一部の人たちのように筒先があちこちに向いたりボルトや弾装を抜かずに歩く習慣のある人は、つまみ出されるでしょう。
レンジオフィサーは最初は胡散臭げに我々を見て、一挙手一投足に注意してきましたが、そのうち、親しげに話しかけてきました。日本のライフル射撃協会のしつけのおかげです。
皆が黄色の線から後ろに下がり銃が空になっていることを確認すると、監視員が赤のハタを監視所から前に突き出し、黄色の線より前の品物に手を触れずに標的交換に出ることが許されます。この時でも、黄色の線より前にある持ち物に手を触れることは許されません。標的交換から全員が帰ってくると,赤い旗を引っ込めて15分間の射撃時間です。この繰り返しを一日中しています。
非常に厳格に例外なく運用されていますので、隣で家族連れがピストルを撃っていても、M60機関銃を単発モードで立射する人(100ヤードの標的センターに見る見る大穴が開いていたのが痛快だった)がいても,安心してライフル射撃が楽しめます。15分という時間は、集中力を維持し、頭に血が上り続けることを避けられる程よいタイミングですし、休憩時間は厳格な安全規定の運用があります。射場のスローガンで貼ってあるのは、「Safety is your attitude」(安全は、あなたの態度に現れる)です。
監視所では射場使用料がたったの4ドル(1日有効)で、標的紙も売っています。
Westin氏は弾速測定テストのほかに、フロントラダーサイトがないのでヘンメリーのリアサイトを下一杯に合わせた状態で200ヤードの標的に入るように、ゲーマンの高さ調整可能なリアサイトのハイサイトブロックを調整しなくてはならない。上一杯、30ミニッツ、120クリック動かせば、200ヤードから1000ヤードまで撃てる計算だ。ヘンメリーサイトの調整幅一杯を使い切ることになる。
この後のトリガートラブルを乗り越えるなど、この人はライフル射撃の天才である。少なくとも、一流です。大口径3姿勢の日本記録保持者です。
豊和のアクション、アンシュッツのフリー用ストック、M54のトリガー、14インチツイストのステンレス銃身で、長さ約25インチです。30インチバレルが推奨される理由の一つは、1クリックで動く弾着移動量を揃えて、チームマッチのコーチングをしやすくするためです。
自分たちの課題になっている調整やテストをした後、9時半頃に長距離射場に行きました。
本当は9時に監的壕に集まって,射手と監的手を交互に務めることを決めるミーティングに出なくてはいけなかったのです。
知らなかったとはいえ、遅れてきて,撃つだけ撃って帰ろうというのだから、本当に失礼なことをしました。
ハイパワーレンジの射場長、Mr. Don Hanks と Westin氏。1000ヤードもできるハイパワーレンジは、パブリックレンジと管理体制が異なり、NRA所属のクラブ管理です。クラブ員がいないと使えない。これはどこの射場も似た仕組みです。一般の人はパブリックレンジを使うことになります。
練習で10ドルを Don に払うと、パブリック射場の分も払ったことになります。ただし、試合のときの15ドルはクラブに払ったことになり、パブリック射場を使うときは4ドル払います。日本のことを思えば、試合のエントリー料も射場使用料もとても安いです。 Ben Avery は、自然保護を目的として、ハンターや釣り人にマナーを教える公営射場兼教習用の川、キャンプ場です。
今、写真を見ると、Don は「大丈夫か、こいつ」という目で我々を見ているような気がするのは、わたしだけ? 射場には滅多にいない東洋人が1000ヤードを撃つのだから当たり前か。
はるか前方に標的が見えるが、正直言って、300ヤードはそんなに難しくない。
我々が300ヤード射座に着いたときの練習風景。
椅子のように見えるのは、Roll Cartとといって、椅子に車輪が着いていて、これに銃をケースに入れて座席に載せて、背もたれや座席の下にある袋に必要な物品を入れて引きずって600ヤードや1000ヤードの射座を移動していく。座っているのは、Plmaの大ベテラン、海外遠征数しれずの Mr. Allan Dap. コーチをしてくれています。
練習後のDon Hanks射場長との記念撮影。
ドイツ語が好きらしくって,最初に「ドイツ語が出来るか」ときました。「Guten Morgen, Bitte, Danke schon, liebe dich, auch sehen」だけ、と答えたら喜んでくれました。
記念撮影をお願いしたら、肩を組んで、お前は左足を前に出せ、俺は右足を出す、それ笑えっというので、この写真になりました。
州空軍の基地や州の危機管理センターと同じ敷地にある Motolora Gun Club の射場で,初めてピストルを撃ちました。Browning High Power 9mm, Colt 1911A Government 45ACP, Smiss & Wesson 38SP&38magnum を貸していただきました。
実は、この時、水を切らしていて、意識朦朧としていました。朝からの疲労と暑さもありました。砂漠の都市で、水の補給は大事です。フィニックスでは、コンビニで1ガロン(3.8 l)の大きな水瓶をまず買うこと。どういうわけか、青いキャップの水は美味しくて、赤いキャップはまずかったです。軟水と硬水の違いでしょうか。
黄色いシャツを着ているのは、Mr. Bill Poole。私と同じ40才だ。
リボルバーを撃っているところ。へっぴり腰がよくわかります。
なにしろ、25mの黒丸にろくに入らなかった。
Westin氏。この人は何を撃たせてもそつがない=射撃センスがあります。
きいたら、AP(エアピストル)で540点台を撃っていたそうです。もう手放したそうですが。拳銃射撃がうまいはずです。
本日のお楽しみ、風船割りゲーム。
クラブの人達と、25m先の風船10個を何発何秒で割るかというルールです。
なにがつらいって、カラカラに渇いたのどで、準備のために何十個も風船を膨らませるのが大変でした。肺から水を吸い取られるのを実感しました。
Bill の後ろにいる人が、カウンターとストップウォッチを兼ねた小さい測定装置を持っています。
Westin氏の風船割り。
右側に隣の射座の風船が見えるが、風で割れている! このあと、渇いたのどで、また、風船を膨らましてホチキスで付けました。
弾造りのあとの夜中に,Billのガレージでエアライフル10発勝負!
帰ろうとしたら、ガンロッカーから、懐かしの銃身後退スプリング式ファインベルグバウの空気銃をBillが出してきて、勝負しようというのです。この銃のチークピース交換式のタイプが私が所持した最初の銃でした。ガレージを斜めに約10mの距離をとって標的が貼ってあります。
Bill は会社の帰りにコート無しで、毎日練習しているそうです。かれがまず最初に撃つ。黒丸8点圏内にはいります。相当な腕前です。
次に私。なんと、ポストサイトだ。コートがないので、僕らには難しい。何とか黒点にかする範囲に放り込んだ。
Westin氏が私より上手に撃ったら、Bill は、息子さんを呼んできて、お前も撃て練習しろ、といいます。息子さんは、きょとんとした顔をしながら、どこから弾を入れるんだ、スプリングの操作はどうすんの、どこだ標的とか、いいながら、我々より少し大きめの弾痕に入れました。
この日は、Billのモーゼルボルトアクションのコレクションも見せていただいたし、すんごい Gun Nuts,我々以上に練習熱心あることがよくわかりました。
日本も、昭和30年代までは、空気銃はオモチャ屋やよろず屋で撃っている玩具でしたので、こんな練習が出来たのですが,練習環境が羨ましい限りです。
今日は8時半に射場に行き、射座の割当を待ちました。水曜日は、300ヤード練習日、木曜日は射場の道路を閉鎖して600ヤードと1000ヤードの練習が出来る日です。さすがのアリゾナ州でも、300ヤードを超える射撃は、平日は1日だけと土曜日休日しかできないのです。この点は意外でした。
この日、パルマナショナルチームの常連、Mid Tompkins, Nancy Gallagher (私は、彼女のことを Raccoon hair と密かに呼んでいます), Bob Jones, Alan Dapp に会いました。私は、名前と写真しか知らなかったり、ビデオで見た人たちにあえたので大感激でした。しかも、99年アフリカ大会のヘッドコーチの Mr. Bob Johns に1000ヤードのときに照準調整を手伝っていただき、その技術の高さに感動しました。
この時、戸惑ったのは、200ヤードから600ヤード、1000ヤードに照準の高さを合わせることです。
私は、今までのISSF射撃の習慣から、試射を何発も、必要なら何十発も、サイトの上下高さが合うまでするのだと思っていました。しかし、実際は、予め弾道ソフトなどで上げるクリック数やラダーサイトの下げるノッチ数など調整量を、サイトの基線長も入れて計算しておくものなのです。そして,風を計算に入れてクリックを調節して、上級射手は試射の1発目からセンターに撃ち込むのです。標的の上げ下げや弾着や示点マーカーは他の射手がしますので、試射の時間を節約することは、マナーでもありますし、貴重な練習時間の節約でもあります。また、標的近くの地面に弾着すると意外に多くの土を強く跳ね飛ばすので、最初から標的近くを通るようにすることは危険防止でもあります。はじめて、観的壕でサングラスをして目を保護する意味を知りました。
このISSFでの試射無制限の習慣や思考と長距離射撃の少ない試射での違いは、のちほど述べますが、風への対応力の差ともなり、点数にもろに効いてきます。
参考までに、私のライフル、155gr/HPBT, 2950fps, 30インチバレルでのサイト調整量は、下記の通りです。
200ヤードからのドロップ量の調整 ラダーサイト1ノッチ=5MOA=リアサイト20クリック
1000ヤードラインで射撃の準備をしているところです。座っているのは、イギリスのBisleyにUSAナショナルチームでほぼ毎年遠征し、1999年南アフリカUSAパルマチームのメンバーでもある、Mr. Allan Tad. 自分の射撃をせずに我々の射撃を見てくれた。Westin氏と私は準備に余念がない。
Westin氏が射撃準備をしている。真っ黒なアンダーウェアなので、皆、暑いだろうなといっていた。
セーターを着込む私。この後、気がついたのだが、砂漠では半袖でいるよりも、長袖の厚手のセーターを着て直射日光を遮り、熱を遮断して、汗を蒸発させた方が涼しいのです。なにしろ、水を4リッター飲んでも、汗もベタベタしないし、小便も出ません。全部、肌から蒸発するのです。
アンダーウェアですが、ポロシャツしか着ていない人もいましたが、やはり、風防付きのヨットパーカーのような木綿の灰色のスェットセーターを着ている人が多かったです。風防は首の後ろに出して、首筋の日焼け止めにするようです。
砂漠の1000ヤードでは、フロントサイトグローブの中に、自分の標的以外に左右3つの標的が見えます。たとえば、自分の標的番号が白の「90」だと左右の白の「88」と「92」が数字でフロントグローブの中で読めるので,その真ん中にある黒丸のが自分の標的だとわかる仕組みです。
陽炎が凄い。標的周辺の点数を示すマーカーの位置がみにくい。何度も目を凝らさなくてはわかりません。記点手も見にくくて読めないことがあります。だから自分でも記点しておかなくてはいけません。
陽炎のために、スコープ内で、標的が雪だるまのように縦に二つの丸に分裂して上の黒丸が飛んでいくのが見えました。フロントリングの中で、標的が上下にメラメラと動きます。それでも、Xや10点に当たるし、上下はほとんど狂わないので、ピープサイトシステムは凄い発明です。
Westin氏の1000ヤード射撃。
撃ち始めてしばらくは標的紙に着弾しなかったのです。よく見れば分かるけど、銃を右側に傾けてサイトアライメントを調整しています。Bob Jones から、銃を傾けてはいけない、真っ直ぐ立てておかないと、距離が伸びると右側に弾着がずれて、上下と左右の2つゼロ点調整し、その上に風の調整をするから、射撃が複雑になるからと注意がありました。
彼は、この時黙っていましたが、トリガーが故障していて、第2ステージが異様に長くなっていたそうです。
私の1000ヤード射撃。Bob Jonesに上下のクリック調整量を教えてもらったので、上下はばっちりと最初からあった。左右もそんなに違わない。撃っていると弾着が不明になった。Bobがスコープを見て,陽炎の弾道による変化で、監的手がマーカーで示すよりも早く、何時何点のどこに着弾したか。何クリックかを教えてくれます。最後に X,10 と撃ったところで、これでお終いと指示されました。
なんだ、意外と当たるじゃないか、と思いました。
アメリカを代表する優秀なコーチがいたお陰で易しく感じたのです。この勘違いが,本番でだ失敗を呼びました。
Westin氏の射撃。フロントサイトは、普通のアンシュッツサイト
Alan Dapp と私が着ている緑のポロシャツですが、Alanが着ているのは、2000年USAパルマBisley遠征チームのもの、私のは2000年にBisleyに行ったときにNRA-UKのショップで買ったお土産です。天と地の差がありますが、話の種になりました。
Bob Jonesは、USAを代表する優秀なパルマ射手、1999年南アフリカパルマトロフィーマッチのUSA代表チームのコーチ兼射手、の他に、パルマ用の標準的なアルミ製の Warner #2 並みの性能と低価格のPNWサイトを販売しています。帰国後、RPA Trackerサイトは十分な性能でありますが注文に失敗してISSF射撃とは逆方向のクリックでサイト調整ミスを誘発しますので注文しました。返事がインターネットの翻訳サイトを通したけったいな日本語なので、のけぞってしまいました。銃関係の専門用語は登録されていませんので、日本語から英語を推定して意味を把握する状態でしたので、皆さんは翻訳ソフトを使わない方がいいと思います。お茶目な人です。
B Jones Sights
後ろの四角は降ろした状態の標的です。限られた時間に撃つために、うしろの土手の弾着の土煙を見逃したり、弾痕を探したりしてモタモタしていると、無線で怒鳴られます。標的を降ろして、点数と弾着を付けます。
赤のマーカーを左下に付けると「X」,真ん中下「10」,右下「9」,右端の真ん中「8」,右上「7」,真ん中上「6」(黒丸以外の的紙上),左上「0」(的外)です。弾痕には、黒丸内なら白のマーカー、的紙上なら白のマーカーをひっくり返して黒にして差し込みます。前の弾痕には、治痕紙を張ります。
そして標的を上げます。
ピット(監的壕)の中でも、サングラスなど目の保護具は必要です。弾が標的近くの地面に突っ込むと、石の破片が凄い勢いで飛び散り、標的で跳ね返って痛いほどの勢いで顔に当たるからです。
Alan と Bob は、盛んに「ベンチレストシューターがいうには.....」と話していましたが、英語力不足で聞き取れませんでした。ともかく、パルマシューターは1000ヤードベンチレスト競技の人から情報を取っていることが分かりました。
ピットは暇なのでみんなよく喋ります。最近、中国人が増えたとか、なんとか。Westin氏は、不法就労を疑われたのか、職業と就労地に関する質問を受けていました。
左は、戦後の長距離射撃の歴史に名をとどめ、前回のアメリカナショナルチームのキャプテン、今も次回のナショナルチームを狙う名射手である、Mr. Middleton (Mid) Tompkins. アメリカの大口径射撃人で彼を知らない人はいない。彼を生で見て、私はしびれてしまった。Mid は、2003年世界選手権もコーチとして参加することが決まっている。必要があれば、選手としても撃つポジションである。
右は奥さんで、前回のアメリカナショナルチームの女子コーチ兼射手を務めた、Mrs. Nancy Tompkins-Gallagher. これもまた、超名射手で知らない人はいない。20才も年が違うMid と電撃結婚して、20才と16才の娘さんがいて、この2人とも全米に名を知られた、名射手なのだ。元看護婦さんだという。よく喋る人で、ピットにいて標的交換をしている間中喋っていた。あそこまで間断なく喋ることが出来るのはもはや特技である。彼女は,2003年世界選手権は、ジュニアチームのコーチとして、娘さん達を助ける立場になるそうだ。
彼らも、我々と一緒に練習していたのである。
うしろのバンはアリゾナ州北部のPrescott に住む2人が乗ってきた、中身が工場のように機械類がつまっていて、銃の修理改造が出来る凄い車である。
2人の超有名人の名射手に挟まれて、真ん中の私はしびれて、突っ立っている。
有名な、Bruno のガンショップの近くにある空港で,お〜、名戦闘機 F8 を見つけました。現役のようです。
F8 を背景にパチリ。
ブルーノのお店は,非常にわかりにくいところにありました。ストックが並べてある倉庫のようなところを入ると,なんとお店でした。
この日は、練習用と試合用の弾は前夜に充分に作りましたので,Mr. Bill & Mrs. Mimi Poole と一緒にローハイドに行って,西部劇のショーを見物して,ステーキを食べに行きました。
ショーが終わったあとで、出演の俳優達と一緒に、左端は Mr. Westin.
ステーキを食べていると、舞台では、カントリーミュージックに合わせて、小柄な女性ガンマンが、くるりくるりと2丁のピストルを回してくれます。この SAA のダミーが重いんだ。驚きました。
ここでは、子供のお土産にクズ水晶の丸石をたくさん買いました。
この晩、Mr. Westin のホーワライフルのアンシュッツの旧版トリガーが壊れたのを修理しました。夜中の2時まで付き合いましたが、完全には直りませんでした。宿の兄ちゃんを叩き起こして、ありったけのゼムグリップを出させたりしたのですが。Mr. Westin は、4時に寝たようです。
この日は、フィニックスの東のメサの射撃場にはガンスミスがいて、200ヤードのパブリック射場もあるという情報があったので、眠い目をこすりながら戦闘機博物館の観光を兼ねていくことにしました。もしかしたら、ガンスミスにWestin氏のトリガーをもっと上手く直してもらえるかもしれないと言う期待もありました。
日本の名機、紫電改。こいつがもっと日本で生産できれば、アメリカに一泡吹かせることが出来たのに。
ミグ15に触っているように見えますが、寸止めです?
この博物館は、アメリカの戦闘機とその同時代の敵機を機首を向かい合わせて展示しています。ベトナム戦の時のF4とミグ21。
博物館の中にあるのは一部で、外にはレストア中のミグ15がもう一機あります。
あぁ、ここには、B25が!。白い尾翼はDC3
この博物館がある飛行場には、他に,3万円でB17で飛んで上げるという会社もあります。飛行機野郎には、しびれる町です。
メサの射撃場、Rio Salado (スペイン語で、塩の川という意味)スポーツクラブには、ガンスミスは定休日でいませんでした。パブリック射場も100mで,ベンアビリーの200mに慣れて私たちには、馬鹿馬鹿しいほど短く見えました。Westin 氏のヘンメリサイトは1000ヤードまで上げるためには、下限は200ヤードということもあり、結局、ベンアビリーまで戻って練習とWestin氏の応急修理したトリガーのテストをしました。
今日、ついに、息をするたびにからだの水が取られる灼熱の砂の上に伏せて、セーターと射撃コートを着て、撃ちました。800、900、1000ヤード。
200ヤードから1000ヤードは,サイトの上下調整量は30minutes です。1minutes=4clicksの私のRPAトラッカーサイトなら120クリックです。でもラダーサイトは6クリック。高さにして,約8mmです。
練習は1回しかできませんでしたが、そのときよりも難しかったのです。風が強かったせいもありますが、名人である Bob Jones のコーチングがなっかたから。
それよりも、風とミラージュの世界です。800ヤードのときは風がなくて簡単。
最初の800ヤード(730m)は、試射無制限です。そして本射が15発で、試射+本射が22分以内です。私は最後に7点を撃ってしまい143点(3X)でしたが、Westin氏は147点(4X)で、周りを見るとおそらくトップでした。我々がお世話になったMr. Bill Poole も142点(5X)を撃っていました。
それから、我々は監的手を計3回務めました。次の2と3射群800ヤード分と1射群900ヤードを務めました。試射を最初の800ヤードでは無制限、900と1000ヤードでは2発と、本射の15発を22分という限られた時間で撃つ上に,風が刻々と変わりますので、標的交換時間は短くないといけません。うしろの土手の弾着の土煙を見逃したり、弾痕を探したりしてモタモタしていると、無線で怒鳴られます。標的を降ろして、点数と弾着のマーカーを付けます。点数を付けるのに弾痕ゲージを使いません。タッチなら「あり」というのは同じです。
この日、監的手を一緒に務めた Mr. Alan Elliot はアリゾナ大学の工学部機械工学科の前教授であったといいます。私も同じ機械工学科で熱流体の修士だと自己紹介して、あなたのご専門はときくと、「ディーザー」だといいます。スペルは?ときくと Diesel,日本語でディーゼルのことでした。
900ヤードの射座に戻ると強風になっていました。
次の900ヤード(820m)以降では、試射は2発だけです。なんと、試射初っ端から右の的外です。試射2発目、3mは離れている右隣の的がスーッと下がって、記点手が「90shoots cross fire !」と叫びました。標的間誤射で0点です。隣の標的のセンターXです。次は本射。6minutes=24クリック横に動かしたら今度は風が変わって、反対側の標的の端に着弾。パニックでした。左の標的がスッと下がって.....。周辺の射手から「チッチッチッ」の舌打ち音が聞こえます。
ここで本当は個人戦ではルール上いけない(団体戦ではコーチがクリックを指示してよい)んですが、ウワーッと思ったので、記点手に「右へ入る時には何ミニッツ動かすんだ?」と聞いてしまいました。「10ミニッツ」というので、40クリック動かします。次は8点、その次はX、8点です。そして、また、的外を1回と右隣を1回。ここで、風が激しく変わっていることに意識がまわりました。そこからは、風旗が右から戻りかける時に撃つことを心がけて、的外を撃つことがなくなりましたが、目が眩むような体験でした。
Westin氏は試射2発目を的外に入れた以外は的紙上で102点(1X)で、「風を見てましたからねぇ」と得意そうです。 Mr. Bill Pooleは、138点(2X)でした。
1000ヤード(910m)では、また試射2発が右の的外でしたが、クリックを再調整して86点(0X)で的外2発でした。隣の標的は撃たずにすみました。本番では、練習では撃てたXを撃てませんでした。Bob Jonesのコーチングは偉大です。
Westin氏は、ここで初めて5発と右隣を撃ち、66点(0X)でした。Billは129点(3X)です。BillはXを3つも取っている!
合計 私 331点(4X)、Westin氏 345点(8X)、Bill 409点(10X)でした。Mr. Bill Poole は、168gr のフリーパルマ(厳密にはパルマ仕様の弾頭ではない)でした。 この日は、どういうわけか、各自の点数の発表はなく、 Mid, Nancy, Bob, Alanなどの点数はわかりませんでした。Nancyに言わせると、今日は風が変わるし、陽炎で標的はゆれるし、酷い天気だったわねぇ、ということでしたが、隣の標的を何回も撃ったことで気が動転した私は、何点なのか聞き損いました。
我々と同じ標的で撃っていた、推定60才以上の射手の皆さんは、800ヤードでは点数がよくなかったのですが、900、1000では弾痕不明どころか8点よりも下を撃たないのには、脱帽しました。私の直後の射群だった人に素直に教えを請うと、サッと顔つきと声が変わって、「おまえは撃つのが遅い。風を見るのはいいが長く狙い過ぎて風が変わってから撃っている。発射間隔も長すぎる。スコアなんかつけるな。それはスコアラーの仕事だ。標的が上がる前に撃つくらいのつもりで撃て」と貴重なアドバイスをいただきました。そうか、そうだったのか。
12月の初旬に3日連続でパルママッチがあるからおいで〜、と誘われました。12月になると天気が静かでいい点が出るわよ、ということでした。その季節はこんな強くてクルクルと向きが変わる風は吹かないし、日差しも強くないから、その時にまた来いと会う人毎にいわれましたが、金と家族と会社の仕事ぐりが許せば....=無理ですね。
あまりにも暑いのでパルマはこの5月初旬から11月初旬までオフシーズンになるそうです。
1000ヤードを撃つ私。グチャグチャの弾薬箱が気持ちの動揺を示している。
Westin氏の1000ヤード射撃。きれいに弾が並んだ弾薬箱が彼の平静な精神状態を示している。
このとき、彼の銃のトリガーは非常に不安定であったはずです。それでも、私よりも上の点数を撃ちます。やはり、器が格上です。
Westin氏が何発撃ったかを記点手に教えてもらっています。もしかしたら、自分がつけた点数と照合していたのかな?
奥に見える白いピックアップは私たちが乗ってきた車。火線(ファイアリングライン)を移動するときに、移動させるのを忘れてしまった。危険区域だから、射撃が終了するまで取りに行けない。
はるかむこうの1000ヤードを撃つWestin氏。
画面の右上の山影にある黄色いのが4mくらい上空にある風旗である。左から右への風であることを示している。
1000ヤードを撃ちながら、記点手に,今の的外の弾着は、左右どちらの標的間だったのか、上や下に外れたのか、と照合している私。監的壕に無線で聞いてくれた。
私の顔色に成績がよく出ている。消耗しきっている。
恥ずかしながらのスコアシート
一番上が私。
2番目が Bernie Stayman。私が、風を見ても撃つのが遅れて、風が変わってから撃っていることを教えてくれた。
3番目の人は、F Class で、スコープ付の2脚の enforce type の 300 WinMag で撃っていた。1000ヤードの途中で外れが続いたので、撃つのを辞めてしまった。今日の風は難しいんだそうだ。
Westin氏のスコアシート。
パルマ マッチが終わった後で お世話になった Bill と Billy 親子と記念撮影。Westin氏がお土産にもってきた、江戸調のTシャツを着てくれています。
パルママッチのあと、パブリックレンジで残弾処理を兼ねて練習していると,私が師と仰ぐBernieが AR-15 を競技用に改造した Space gun を撃っているじゃないですか。
何をしているのか、聞くと、相性がよくてジャムをしない弾倉を探しているんだとのこと。AR-15 は,造りがヤワなので、弾倉によってはチャンと回転しないのです。たくさん弾倉を持ってきていましたが合うのがないんじゃないかと思うくらい、よくジャムってました。
Space gun 持って立射のポーズをとってもらいました。Space gun というのは、宇宙の銃、という意味らしくて、その銃とは思えない格好からきているようです。アジャスタブルのリアバットプレートとチークピース、フォアエンドやアッパーフレームも交換、当然銃身とトリガーも交換して、ほとんどロワーフレームとボルトだけがオリジナルです。
リアサイトは、競技用のマイクロサイトとアジャスタブルアイピースに替えて、グレア防止の長いチューブを付けているので、スコープのような形に見えます。フロントサイトもセントラのリングサイトに替えています。
つまり、AR-15(M16の自動単発式の競技銃)がもとになって、我々 ISSF射手が使う アルミストックのスモールボアやエアライフルと同じような形状と機能に替えてしまっているのです。トップ射手には,このタイプの銃を持つ人が多いのです。ライフル競技用に最適化すると同じ形になるのです。
パルママッチの翌日は、AR15を使って、3姿勢競技です。223レミントンの弾は77gr, twist 8 インチです。
223で200ヤード立射遅撃ち20発(試射2発)、シッティング速射10発×2回(試射は最初の2発)、300ヤード伏射早撃ち10発×2回(試射は最初の2発)、600ヤード伏射遅撃ち20発(試射2発)をしました。この600ヤードはパルマと同じく風の世界です。223の限界距離ではないでしょうか。
600ヤードではミスショットは1発でましたが、昨日の1000ヤードの経験を生かして、標的紙を捕らえることはできました。10点は取れませんでした。
我々の貸して頂いたAR15は、銃身交換しただけでしたが、非常に使いやすくて驚きました。立射も無理なく、腰に肘を付けて構えられます。
ファインベルグバウのスプリング銃をガレージで立射の練習用に撃っているわけです。全くISSF射撃と同じ姿勢で固いキャンバスコートを使います。
優勝するような選手は、自動装填式以外は、我々の競技用ライフルと同じ機構に改良しています。フロントサイトをポストサイトからリングサイトに交換し、リアサイトはアジャスタブルインサートが入る競技用に交換し、アジャスタブルチークピースとフロントサイト、フォアエンド、トリガー、バレルエクステンション、銃身交換と、ロアレシーバー以外はすべて交換してしまっています。アンシュッツ、ゲーマン、セントラなどお馴染みの部品が使われています。AR15は新品で8万円前後、中古なら底なしの安い銃ですが、ここまで替えるなら、RNDのしっかりした厚みのあるロアレシーバーの銃を買えばいいじゃないかとも思えます。
Mr. Bill Poole は毎晩ガレージでエアライフルで練習しているだけのことはある。ISSFの射手と違って前加重であるが、みるからに上手い。銃の動揺が少ない。筋肉の緊張を上手く使って支えている。NRAでは,拘束衣のように胴回りを締め付けるひもが使えてコートの厚みやサイズに制限がないので、銃を支えやすいのかもしれない。20発で188点でXが3発である。
全員、イヤプロテクタと保護眼鏡かサングラスを着用している。
2発も隣りに撃ち込んでしまった。風もないのに何故か分からなかったが、気がついた。のように,サイトピクチャーは見える。外周部の丸はリアピープである。その外側はリアピープディスクだから真っ黒である。保護用の爪がリアピープの両側に垂直に立っている。私の帽子の鍔がその上にかぶっている。すると、三つの穴が開いていることになる。そして真ん中の穴から見なくてはいけないのに、サイトアライメントがあっていなかったので、ピープディスクと保護用の爪の間の穴から覗いていたのだ! これでは、隣を撃つ。
弾倉を左手の人差し指と中指の間に入れると、ちょうどパームレストのようになって構えやすかった。123点の1Xである。もうすこし、照準調整が出来ていれば。サイトアライメントが上手く調整できていれば。
Westin氏の立射。175点の0X。さすがは、大口径3姿勢日本記録保持者で2年連続チャンピオンだ。初めての銃でこれだから、もっと上手くなれる。
シッティング速射20発である。最初に試射を2発だけさせてもらえる。それから、足をクロスさせたまま立った状態からスタートする。あぐらをかくように座り込み、両膝に両肘を載せて撃つのだ。初心者は座ったままでもよい。30秒以内に10発を撃つ。そして、スコアを短冊のような黒板に書いて標的上に表示される。それから、また10発を速射する。カリフォルニアは、連発銃を禁止されたから、この競技をボルトアクションでするそうである。イギリスの民間人もボルトアクションだそうだ。
ビルは、凄い点を出した。1発しか外していない。しかも半分はXだ。199点10X。私は、立った状態から挑戦し、133点0X。どうも不安定だ。正直言って、胴が長い私にはとても撃ちにくい。膝を地面に付けると前のめりになりすぎるし、膝を持ち上げると身体は起きるが、今度は肘が不安定だ。膝撃ちの方がよかった。
Westin氏のシッティング。初めての姿勢なのに、どうしてこんなに決まるの?
この角度からみると、肘撃ちに近い射角をとって左肘を上げるようにすわっているのかな。172点3X。
昨日、風への対処法を教えてくれて、パブリックレンジで弾倉のチェックをしていた,Mr.Bernie だ。スペースガンの特徴の一つである、バレルエクステンションがよくわかる。この人は、立射でクロスファイヤ(隣の標的への撃ち込み)をしたら、途中で撃つのをやめてしまった。
このように、銃口を空に向けると、射場長の Don Hanks に厳しく注意される。うっかり、トリガーに指が触れてタマがこの角度で発射されるとバックストップの山を越える。そこも射場のうちだが、人がいるかもしれない。ここは、射撃だけでなく、釣りや狩猟もできるアウトドアセンターだからだ、キャンプ場もある。
伏射中の火線の状態。真ん中の赤いセーターでスコープを覗いて、記点しているのが私。
次は200ヤードから下がって、300ヤードで伏射の速射だ。ビルの伏射は、典型的なエストニア型である。187点2X。
ビルの息子のビリーの伏射。見たところ、自信なさげだしあまり笑わないので、上手でないから面白くないのか、と思ったらとんでもない。上手い。ビルに匹敵するくらいのスコアを叩き出していた。我々が完敗した。
このあたりから、人心地がついてきた。でもあたらない。ポストサイトはセンターが出しにくいなぁと思っているうちに終わってしまった。
このあたりから風が吹き出した。昨日の経験を活かし、風旗を見ながら素早く撃つ。600ヤードでも隣の標的を撃たなかった。自慢にはならないけど。165点の0X
300ヤードから標的を望む。青く開けた空。爽快な景色だ。
でも、砂漠だから暑い。日差しは強い。のどは渇く。汗は出ているが瞬間蒸発だから肌はサラサラ。緑は、ブッシュとサボテン。
ビルのホームページに載った写真。疲れている。弾はビルが作ってくれた。ありがとうございました。本当にお世話になりました。
Westin氏の600ヤードでの伏射おそうち。
彼の伏射の速射ではトラブルが2回起きた。銃が排莢しない。弾倉の相性が悪いのだ。しかも焼き付いたらしく、手ではボルトが開かず、なんと、銃を立てて足でボルトハンドルを踏んづけるようにして開いている。さすがは軍用目的で開発された銃だけあってストックはへこたれない。それだけではなく、2回目のジャムでは、銃から白い煙が吹き出してきた。過熱した薬室の中で自然発火したのだ。ビルに言わせると、来館が抜けた薬莢でよく起こるという。でも、取り出した薬莢には雷管がついていた。
Westin氏の伏射速射は、2回のトラブルのお陰で撃ち直しを入れて112点0X
ハズカシながらのスコアカード、大公開
600ヤードでの伏射遅撃ちのスコアは,ビル 184点3X。私134点0X、Westin氏139点0X。600ヤード(約540m)は、ほとんど223の限界距離だ。風を見ながらでないと、チャンとはいってくれない。隣の標的に撃ち込むこともある。
合計では、ビルは758点18X、私は553点1X,Westin氏は598点3X。
15ドルで面倒な我々の監的手を務めてくれた、ビルの娘さんのMeimeiと記念撮影。まだ子供だけど、凄い美人だ。監的壕の中では恋愛小説を読んで暇つぶしをしていたようだ。彼女も一応、22LRだが、ライフルを持っている。 Ben Avery の解説地図。クリックすると大きくなります。
パルマで有名なトンプキン夫妻と、その娘さんたちと2003年世界選手権が開かれるイギリスのロンドン近郊ビズリーや,イギリスのパルマの英雄C4のことで盛り上がりました。妹のシェリーさんは立射でXを連続10回とったそうです。一緒に行った大口径3姿勢日本記録保持者は10点を6回取りましたが。上手さの桁が違う。彼らに言わせると、昨日の1000ヤードより今日の600ヤードの方がもっと簡単だとのこと。
妹のシェリーさん Miss Scherri Gallagherと立ち話をしている私。16才だそうだが、精神的にも安定しており、好奇心が強く、表情も豊かで魅力的な女性です。一流のスポーツ選手は、また、人間的な魅力があるモノだ、と感じました。
彼女がISSF射撃を始めたら、おそらくアメリカ合衆国の代表になり、オリンピックでメダルを取ることもできると思います。しかし、アメリカでは我々がするようなISSF射撃はマイナー競技なのです。アメリカの射撃競技の底知れぬ層の厚さを感じます。
冗談で、日本に来てナショナルチームにはいってくれ、と頼んでしまいました。
シェリーさんのAR15。これもスペースガンです。なんと、赤と紫に塗られています。
姉のミッチェルさん Miss Michelle Gallagher が伏射をして、それを寝そべりながら妹のシェリーさんが見物の図。
姉のミッチェルさんの伏射。彼女は夏の全米選手権で、並み居る野郎共を抑えて、このサービスライフル部門で優勝した。この人達の伏射もエストニアスタイルだ。
左から,ミッチェル、ナンシー、私、Westin氏、シェリー。
2001年12月現在、お父さんのMid は代表チームのコーチ兼射手で、お母さんの Nancy は21歳以下チームのコーチ(射手として代表チーム入りは確実に出来たのに)で、Michelle と Sherri 姉妹は,21歳以下チームのエースとして,2003年6月のビズリーでの世界選手権に参加が決まっています。
Westin氏は帰国後直ちに出勤するのでしょう、スーツ姿です。 2人とも日に焼けてマックロケのケです。そりゃぁ、砂漠の中に4日もいれば.....。面白いのは、そんなフィニックスでも、tanning(日焼けサロン)があることです。Highpower Shooting をすれば、こんがり焼けるのに。
あぁ、この至福の時間を過ごした、アメリカから帰りたくない!
私の方は、帰りの機中で寝惚けなまこで、悔しくて呻いたり前の席を蹴飛ばした記憶がうっすらとあります。ノンアルコール状態です。お陰で目が覚めたとき,周りのお気軽OLたちが脅えた顔をしていました。お騒がせして申し訳ありませんでした。
左は Hood のコンパクトプレス
右は,ラダーサイト。パルマシューターは必須装備
スクワッディングの時の役割への慣れ。
ミッチェルさんは私を見て、「ウェブでビズリーでC4と一緒に写っていた日本人?」と気付いてくれた。私は、「ビデオでナンシーさんの顔はよく覚えている」と答えました。
ビズリーでの再会を約束しましたが、さて、どうなることやら。
フィニックスからのWestin氏の切符にサンフランシスコから東京までのシート番号がないので、変だな、と思っていました。なんと、ノースウェスト航空がフライトキャンセルでお客さんが流入してきていてサンフランシスコ発成田行きは大混乱。シェア便共同運行会社の全日空から直接UA便に予約されているお客様の座席は優先して確保します,というグランドクルーの言葉を信じないで、2重取りをかけました。
彼が持っているのは,やっと確保したシート番号が載っているチケットです。
パルマのように特別製の弾薬が必要なら、リローディングする。リローディング機材は借りると生活ペースが乱れるので、Hood の軽量コンパクトプレス(.308には,Large Double Press (3-3/8 stroke)$285)を購入して主催者宅へ船便や航空郵便で送っておく。
フィニックスの凄いところは、一流のパルマシューターに会える事です。Tompkins 一家(旦那が1999年USAパルマチームのキャプテン、嫁さんの Nancy Gallgher さんがコーチ兼射手、20才未満の娘さん二人, Michell Gallgher, Sherri Gallgher はサービスライフルとパルマの超一流射手)、Bob(Robert) Jones(今一番出来が良いリヤサイトといわれるPNW サイトの製造販売、1999年のコーチ兼射手。1回きりの1000ヤードの練習は彼が私に付いてくれたので易しく感じてしまった。凄いコーチだと思う)、Allan Tadd(1999年パルマの射手)に会いました。他にももっといるんだと思います。これで、毎日1000ヤードが練習できれば最高の環境です。Tompkins の住んでいる フェニックスから車で2時間ほど北へ行った Prescottなら、毎日練習できるかもしれません。次回、行けそうなときに検討します。
308を使えば、800ヤードまではどんなに風が吹いていても、300mや50mのSBと同じ感覚で撃てない。しかし、900や1000ヤードは別世界である。223の600ヤードも別世界。アメリカでISSFの300mが流行らないわけである。300mの風による変移量は小さい。
射程限界付近は、風とミラージュが支配する冷酷な世界である。風読みのミスは隣の標的への cross fire となる。あの風だけは体験しないと分からないとおもう。風は止む事はないので、後ろから風が吹いているときなら、標的が上がりきらないうちに撃つことさえ必要だとのことです。
標的は1発ごとに上げ下げする。1発ごとにマーカーで点数と弾着を示さないとわからない。そのマーカーさえ、スコープではミラージュで勘で読むときもある。その作業の速さも要求される。作業速度が遅くなると、急げ!と無線で何度も怒鳴られる。風がグングン変わるので、標的が遅いと苛々するのだ。
1的に最低3人の射手をつける。射手が、下記の3つの役割を競技中にする。
バックストップの土煙を見て標的を下げて、弾着に治痕紙 (黒丸内は黒、白丸内は白)を張って、弾着と点数のマーカーをつけて、標的を上げる。日陰だから、体は楽。クロスファイヤー(標的間誤射)もあるので気は抜けない。モタモタしていると、風が変わらないうちに撃ちたい射手に、無線で怒られる。
射手の後ろにいて、スコープを見て点数を付ける。本当は個人戦の本射中はいけないけど何クリック動かしゃいいんだ? とわたしはよくスコアラーに聞いた。団体戦はコーチングが認められている。
ミラージュで点数が読みにくい事! 驚きました。慣れてくるとスコープを見ているとミラージュの乱れで弾の通過位置が分かって弾着がわかるようだ。Bob Jones は,私が発射するとき、スコープを覗いていて、発射後すぐに右へ何クリックと教えてくれた。
射手の記点の要領も独特である。スコアラーが間違える事も有るので、射手も記点しなければならない。次の弾を発射した後に標的が下がっている間に射手は記点する。そして点数をスコープで見たら、風を見てすぐに発射します。点数を見てすぐに記点していると、風が変わるからである。次の要領で撃ちます。
そして、一連の発射作業の中での風対策の習熟と、風読み。これが最大の課題である。
2発の試射で済ませるためには、風速の計測とチャートにより弾着の左右の移動を補正するサイトのクリック数を求めて予め調整することが大切です。
フィニックスでは、Westin氏に気を使うことなく、楽しく過ごさせていただきました。これに懲りることなく、ビズリーに行きましょう。2003年6月。また、チャレンジしたい! 2003年6月のロンドンの世界選手権に出たいです。