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1.ふれあい
今年の初め頃、ある調査がニュースになった。コンドーム大手のDurex社が行った世界数十ヶ国におけるアンケート調査で、日本はある項目がダントツの1位であったというのだ(http://www.durex.com参照)。結婚している人(事実婚を含む)で一年間のSEXの回数を調べた結果、調査対象となった37カ国で平均は1年に127回、そして日本は42回。インドも中国もイタリアもドイツも100回を越えている。つまり回数の少なさで最下位なのである。この調査は毎年なされており、この結果は今年に限ったことではないそうで日本はずっとダントツの最下位をキープしているようだ。世界にも希な夫婦の肉体的交わりの希薄な国、日本。
勤務先の病院で昼休みに看護師さんや薬剤師さんたちとこの話になった。みな30−40代、女盛りである。「42回かぁ、ということは月に3−4回...多いよなぁ...」と看護士Aさん(30代、女性、きれいな人である)がしんみり呟くと、何やら寂しい感じがみなに伝染して弁当がしょっぱくなったような気がしたほど。最下位から2番目の国、香港ですら70回を越えている。この少なさは何なのか?ちなみに一番多いのはフランスで160回ほど、こちらも毎年安定しているそうな。谷崎潤一郎の『陰影礼賛』に、汗をかいてもすぐ乾くほどからっとした欧州なら男女の交わりも持ちやすい、高温多湿の日本ではうっとおしくて難しい、のような記述があったが、タイでもベトナムでも日本の倍以上なので高温多湿は理由にならない。
有名なルース・ベネディクトの『菊と刀』では、欧米と日本の結婚の大きな違いとして、恋愛が最重要かどうか、という点をあげている。50年以上前に書かれた本であるが、今もさほど事情は変わっていない。曰く、「アメリカでは結婚するかどうかに関して、恋愛は絶対の条件である。結婚しても愛がなくなれば離婚となる。ところが日本では結婚はイエとイエの結びつきいう要素が大きい。結婚を目的として親が選んだ相手と面接し(“お見合”のことですな)その相手と結婚するという風習が残っている。」愛がなくなれば離婚は当然という国と、愛は結婚の要素の一つにすぎないという国。
さて年の初めにこのようなニュースに心惹かれ回数を気にしていたためか、はてまた、一番下の息子も小学生になり子供部屋で彼ら3人が寝るようになり夫婦のプライバシーが回復したためか、それは分からない。この冬、家内が4人目の子供を妊娠した。まもなく生まれる。少子化の今日、三男というのは100人に1人しか生まれてこないそうで、Rh(−)よりも珍しい。もし今度も男の子であれば四男になる。これは1万人に1人の希少さ、だからというわけではもちろんないが、男の子だったらいいなと、今までで初めて性別を気にしたりしている。当然自宅出産であるが、高齢妊婦(40才)でもあり前の子から7年あいている。不安は今までよりも強いのもいたしかたない。
2.本を読むこと
少し前のこと、Yahoo!のニュースにベッカムの奥さんが「自分は本を読んだことがない」と告白したと出ていた。驚くには当たらない(読書が好きだ、と出ていた方がニュースになるよね)。ある大学で心理学を教えているが、文系の学生ですらほとんど読まない。授業で行ったアンケートではほとんどどころかこの1年で1冊も読んだことがないという学生が5人に1人いるのである。勉強する上で一番大事なことの一つは本を読んで自分で考えることである。本を読まない学生たちに少しでも機会を与えようと、大学1年生を主な対象とした心理学の授業(受講者130名ほど)で、授業の初めの10分ほど、本の紹介をしている。面白そうなところを選んでの読み聞かせである。これがなかなか好評で、授業の質問・感想を書き込むために設置してあるネットの掲示板には紹介した本に対する感想が多く書き込まれる。
好評だった本の一つ、『「個性」なんかいらない(小林道雄著、講談社α新書)』を紹介しよう。“つながっていなくちゃなんない症候群”がこの本のテーマである。以下、本からの抜粋。
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「最近の子供たちの周囲の目に対する敏感さ、といっても同年齢の集団の目に対する敏感さなんですが、それはちょっと異常なものがあります。たとえば一人で昼ご飯を食べていたとすると、あの子はかわいそうだとか友だちがいないとか、そういうふうに見られるんですね。そしてそれがすごくつらい。だから、誰でもいいから仲間がいるほうがいいとなります。
一人でいられる力というものがひどく落ちているんです。それで、一人でいることの不安が強くなって、みんなつるむ。その結果、一人でいる自分というのは駄目なんじゃないかと思うようになるんです。
今は中学生はもちろん小学校高学年頃から群れていないと不安で、そこにしか生きる世界がないんです。自分の行動は仲の良い友だちグループの中だけで決まっちゃって、そこから弾き出されたら生きていけない。とくに女の子の場合はひどいです。それまでは三人グループでいたのが、そこから外れたら教室にも居場所がなくなってしまう。(p.15〜)」
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授業でよく見られる奇異な光景。なにか説明をした後で、これについて質問ありますか?とたずねる。質問があることは希である。そこで、例えば「では、はいアナタ、今説明した『投影性同一視』について簡単に説明してみてください」というように指名して答えさせる。女の子なら10人中9人、自分が指されていると分かっていてからでも、まず横を見る。そして何かうなずき合う。(ワタシかな?本当に?え〜?...ウン、ウン、アンタあてられてるよ)。次に、また反対の隣の子と顔を見合わす(どうしよう?...ウン、しょうがないよ、ついてないよね)、ようやく前を向き、もう一度左右周囲を軽く見回しながら、すごく困ったことが起きたように、そして少しこちらを咎めるような仕草も交えつつ立ち上がる。こういう子がキチんと答えられることはありえないのだが、わかりません、というにしても左右の友人に確認してようやくぼそっと声に出す。あたかも“これは私たちみんなの意見です(ワタシだけの意見ではありません)”ということを伝えたいのか?と前から見ていると思える。このごろはあらかじめこの話(あてられたらまず左右確認&うなずきあい現象)をして、それから当てているが、それでもやはりあまり変わらない。右見て左見て、ようやく立ち上がる。横断歩道のようだ。連れションじゃないが、彼女らは質問に来るのも連れ立ってくる。一人目の質問に答えながら、後ろに待っているようなので気にしつつ説明を終え、では次の人、と言うと「いえ、ワタシはついてきただけです」。
こんな感じは彼女たちが母親になってもあまり変わらない。学校の授業参観やPTAの会議でも発言の仕方、仲間との群れ方、顔見合わせてからのおずおず発言、同じである。その場で口に出さないで、家に帰ってから電話友達と口汚くグチを言い合う(多分、むかつく、とか、うざっ、とか言ってることでしょう)。自分が不快に感じたのは正当だった、ということを仲間と確認しないとおさまらない。子供と同じである。
3.三人組
このごろ診察室で気になっている現象は子供+母親+祖母のトリオ(三人組)受診だ。診察室に三人で入ってくるのが特徴だ。例えばこんな感じ。3才ぐらいの男の子、元気がない。抱っこしている母親(30才ぐらい)に、「いつからこんな感じですか?」と聞く。母親は口を開きかけて助けを求めるように横に立っている母(3才の子供の祖母ですね)をみる。すると後ろに控えていたその祖母がさあ出番だ、という感じで前に出てきておもむろに説明を始める。ほとんどのケースで祖母は姑ではない、母親の実母である。このような祖母は母親が母親となること、大人となることをじゃましているのは明らかだ。子供の症状の説明がたどたどしくても、言い忘れたことがあって再受診しなければならなくなっても、母親が自分の責任でこなすべき試練である。
風邪で受診する高校生に親がついて来て、何を尋ねても後ろの親を振り返り、なんでもかんでも親が代わりに答える、そういう患者が増えてきたな、とは大分前から感じていた。まもなく大学生でも親がついてくる、社会人でも親がついてくる、そういう光景は珍しくなくなった。そしてその保護者付きで受診していた子供たちがいわば“子供のまま”でさらに子供を産んだ。三人組受診の時代である。いいとか悪いとかいうつもりはない(どう考えてもみっともないが)。
それが便利だから、みんなこうしてきたからと、何の疑いもなく母親の元に戻ってお産をする娘。父親の産休をとらせようと数値目標をかかげるお役所。父親が産休をとっても帰省分娩のつきそいではなあ。若い親たちが自分たちの作り出した命に対して自分たちでリスクと責任を負い、子供に対しての関わりが始まるはず。ところがこれを祖母が主導して阻害する。
皆様、お気をつけ遊ばせ。
今回は保育園に関する話を。
http://www.ne.jp/asahi/contact/hoikuen/は元保母さんで現在は子育て支援のNPOを運営している方のサイトです(名前はwebには出しておられません)。保育園に関する貴重な情報が満載です。子供の発達に関する部分をネット検索で偶然見かけて読みました。明快な解説と鋭い洞察。そのなかに"他とはちょっと答えが違う質問のコーナー"というのがあり、"入園の時期はいつがいいか"というのがあります。そこには結論として「子どもの側から考えると、やはりおすすめは4,5歳、2歳、3歳、0歳、1歳の順番です」と書かれていました。
理由は以下のようなもの。『保育園に慣れるのに時間がかかるのは10か月から2歳ぐらいまで。10か月ぐらいになるとお母さんとの関係がしっかりできています。そのうえ「お昼になったら迎えにくるからね」という言葉の意味がわかりません。子どもにとっては見知らぬ場所につれてこられて突然お母さんがいなくなったと感じます。12時に迎えにくるといわれると5歳なら「ここであそんでいて、12時になったらお母さんは来るんだな」と見通しをもつことができますが、 1歳ではわかりません。時間の流れや生活の見通しは立っていないのです。』
『3歳よりも2歳を慣れやすいとしているのは保母の人数の違いからです。保育園の基準では2歳児は子ども6人に対して保母ひとり、3歳児は20人に対して保母ひとりとなっています。ですから慣らし保育の時にわが子が泣いても2歳児の方が先生に抱っこしてもらえる確率が高いのです。保育園には早番遅番がありますから、朝保育園に送っていっても担任の先生がいなくて子どもが泣き出すことがよくあります。3歳よりも2歳の方が先生が多いので担任の先生がいる確率は高いのです。園に相談してみて途中入園が可能なら、3歳児クラスの4月から入園するよりも2歳児クラスの秋、冬から入園するのも良いでしょう。』
明快で実用的です。ただ、疑問に思ったことがひとつありましたので、メールで質問しました。
「私は0歳、生後3ヶ月、がいいと考えていました。我が家の子供たちは家でもしょっちゅう親(我々)のことを「先生!」とよびかけてしまうほど 保育園で育ちました。おそらく1才ぐらいまでは保育園も家の一部だと感じていたでしょう。親が子から離れるためにもよかったのではないか、と考えていますが、いかがでしょう?」早く離れる方が、子供は夫婦だけのものではなく社会のものでもあるのだ、ということが実感しやすいはずです。これに対する、お返事は要約すると以下のようなものでした。
『その点は私がもっとも悩んだところです。0歳は,子どもにとっては預けるために最適だと思います。ただ親育ちという点では,良い面,悪い面が両極端に現れるためにふれませんでした。親育ちに配慮のある園では,3ヶ月から預けることが,子どもにもストレスにならず適当だと思います。
しかし多くの保育園は,親の利便性が優先ですから,親が親として育つということに配慮するゆとりがありません。そのような園では,親によってはわが子を育てることで成長する機会を失う危険性があると感じてきました。親が親として最も成長し,子どもと接することで仕事とは違った価値観や生き方に気づく時期というのは0歳の時期だと感じていました。せっかく子どもを持ちながら,その時期に子育てを体験する機会を失うことは,実にもったいないと思います。
また乳児保育に投入される税金は,年間300万とも400万とも言われています。それほど保育の質が高くない保育所に,これだけの税金を使うことが,社会全体にとっていいのかということを考え,乳児保育をすすめるという気持ちにはなかなかなりませんでした。若い不慣れな女性たちに子どもを預かってもらうよりも,ニュージーランドやスウェーデンのように育児休業で親が保育士となって一緒に子育てを行うシステムをつくることが必要だと考えています。』
保育所に求められるものの奥深さにただ感服したのでありました。
"子どもと接することで仕事とは違った価値観や生き方に気づく時期"。
子供が生まれたとき犬や猫と一緒に育てようと飼い始めた。犬はメスのゴールデンレトリバーでRain(れいん)という名前になった。犬は現在8歳である。近所のオスのゴールデン(サンタ、9歳)と何度か交配を試みたが、うまくいかなかった。犬の生理は年二回。出血が始まって10−12日目になると雄犬が近づくとしっぽを持ち上げ受け入れOKを示すようになる。このときに交尾するとその刺激で排卵し、妊娠する。レインとサンタ、二匹は寄り添うものの交尾に至らない。サンタがレインの陰部に鼻を寄せると、レインのしっぽはぐっと持ち上がり、さあどうぞ、という感じになる。しかしサンタがのっかるとレインは怒る。本能の犬格といつもの犬格の対決が起きている。
私たちは子犬が欲しくて(もらい手もたくさんいたし、何よりも子犬を育てるレインをみたかった)、いろいろ非道なことをした。レインがサンタが乗りかかっても怒って吠えたりしないようにイヌぐつわをかませた。そしてレインがしゃがみ込んでしまわないように、イスに縛り付けた。そしてサンタを乗っからせる。サンタは空を駆けるように腰をふるものの全然ダメである。私は手でもって誘導してやったが、すると私の手の中でどんどんと射精してしまう。サンタの家の男の子(祥くん、10歳、仮名)が「おっちゃん、そんなに掴むから汁でてるやんか!」と心配している。サンタの所のお母さんは大笑いしている。はじめてサンタのお手伝いをしたときはペニスの付け根がぐんぐんと腫れて小さなリンゴぐらいの大きさになった。てっきりペニスがおれて出血したのかと思ったが、これは犬の性器の特徴で挿入後に膣内でロッキングして抜けないようするための仕組みだそうだ(性交球というらしい)。因果な仕組みである。
このようなわけでレインに生理が来る年2回、それぞれ数日間は朝に夕にこれが繰り返されご近所の風物詩にもなっていた。レインの周期は夏と冬、暑い盛りに蚊に刺され、真冬の北風に晒され、思えば過酷なことであった。数年のうちに女性の幽霊に取り憑かれる男のように、サンタは次第にやつれて哀れに憂いを身につけた。我々も毎回同じことをしていたわけではない。人工授精も試みた。しかしレインが7歳になってからはもう高齢出産になるし、人間の子供が3人になって犬の面倒を見るのも大変なので犬の出産計画は一度も成功することなく終了となった。
のちにブリーダーの方に聞くと、ゴールデンは初めてのオスではほとんど交尾に至ることは無理、種付けはベテランにまかせないと、とのことであった。その人の話から私が持ったベテラン種犬の印象そして種付けの風景は以下のような感じ(伝聞に基づく推測で誤解があります)。雄犬の印象は不健康そうに太った老犬(名前は健さんにしましょう)。いつもと違う環境におののく若い雌犬のそばにニタニタと近づき「まあまあ、怖がらんかてええて...」と耳打ち。雌犬は絶対の信頼を寄せる飼い主の方を見て「助けて〜」と声にならない声を上げるも、生理10日目のホルモンは彼女のしっぽをぐいっと上げる。健さんは、仕方ねぇなぁ、という顔で近づいていってあの決まり文句、「ほらほら体は正直なもんょ」などといいながらさっさと仕事をしかしきちんとおえて、最後に雌犬の肩を優しく叩き、ボクサーが試合の後で着るガウンのようなものを羽織ってタバコを吹かして「じゃあな、オレのことは忘れろ」と去っていく。車に戻ってケータイでマネージャーに連絡し、次の仕事の前にエステに行く。
先週、数日間食事をとらなかったレインに血尿が出た。食べていないのにお腹は張っていて元気もなくなってきた。獣医に行く、という習慣がなかったのでただ様子を見ていた。1週間ほどでほとんど動かなくなってきた。獣医の友人に聞いたら、間違いなく子宮蓄膿症だとのこと。中高年の雌犬で子宮摘出などの避妊をしておらず、食欲低下し水は飲む、お腹が張っている、元気がない、...全部当てはまっていた。ワクチンも寄生虫コントロールも通販を使って自分でしていたので獣医さんにいったのは初めてであった。獣医さんの診断、説明は的確で信頼できた。レントゲンをみると子宮は本来Yの字であるが、膿で大きくふくれて伸び、さらに数珠のようにプクプクと節ができていた。本来何匹もの赤ちゃんがはいるからそのようにふくらむのであろう。手術になって摘出された子宮は30cmほどの2本の巨大ソーセージのようであった。物言えぬ我慢強い彼女の苦しみに気がつかないでいたことがこのときしみじみ悔やまれた。
本日、術後二日目。毎日見舞いに行く家内によると経過は順調とのこと。梅雨が明けたらこの夏もレインの好きな海水浴に行けることでしょう。
36歳の誕生日を機に止めたことがある。私は酒もタバコも女もギャンブルも掃除もやらないので止めるモノなんてあるのかと訝(いぶか)る向きもあろう。いや酒はやるのであった。止めたのは子供を叩くことである。しょっちゅうではないが時々しばいていた。理由は、理屈でしかられると子供にはストレスがかかるが(例:「お母さんはあなたの為を思って叱ってるのよ」的な叱り方)、親の自然な感情にまかせて叱られた場合は(例.いつもなら叱られない程度のことだったが親の虫の居所が悪く叱られる場合など)、例え親の論理に矛盾があっても子供にはストレスが少ない、という発達心理学上の知見に基づいて、いたように思うが自信がない。
叩かないことにしたのは以下のような理由から。すごく簡単に言えば、おねしょを叱るのと脳科学で考えると同じレベルだと気がついたから。
人間が動作をはじめる(または止める)場合には、以下の3通りある。
(1)見たもの聞いたものなどに反応して動作が出てくる場合(例:虫が飛んでいるので追いかける、逃げる)
(2)自分の体の中からの情報によって動作が出てくる場合(例:背中がかゆいので手を伸ばして掻く)
(3)そして思考に基づいて動作がでる場合(例:今月の予定を考えていて、コンサートの予約の電話をかけないといけない、と思いつき電話をかける)
(3)が一番高度で、この働きのためには前頭葉、脳の前の部分の働きが重要。ここは抑制の中枢。ものをしっかり考えるには(1)(2)の動作を抑えて、ひとつのことを考え続けることが大事になってくる。お気づきのように大人になっても(3)はあまりできていない人が多い。マンガ「ぼのぼの」で説教をしているアライグマ君が、アリの動きに見とれてしまうシマリス君に激怒する場面などを考えるとよく分かる。
幼児のうちはおねしょをする。これはオシッコが貯まったら膀胱がちぢんで尿道が開きオシッコを出すという、(2)の動作。これを押さえるためには抑制の中枢、前頭葉が発達してこないと無理。おねしょ&おもらしは「わざと」じゃないのである(当たり前)。人が罰されるのはその自由さによるという。犯罪行為はそのひとが自由にその行為を選んでやった場合に罰される。脅されてやった行為が罰されないのはそのためである、自由がなかった。
子供が悪いことをする、(例:何度も注意されているのにテレビに見とれてスープをこぼす)、そのようなときたいてい子供は自由ではない。テレビを見ていると、食べ物をこぼすかも知れないのでやめよう、というような(3)のレベル、考えから動作をしたり止めたりすること、はまだ無理なのである。親は動物に接するように環境を変えていくしかない。食事の間はテレビをつけないというように先回りして。
体が覚える、ということもある。スイスの研究者の話。ある健忘症の患者さんはついさっきのことも忘れてしまう。診察している医師ともなんべんでも初対面のように感じ挨拶をし握手をしようとする。あるとき医師が掌にイガグリを隠し持って握手をした。患者はいつものように医師の握手に応じてクリに触れて驚いた。その5分後、再び医師が笑顔で握手を求めた。患者はさっきのことは完全に忘れている。笑顔でいつものように握手に応じようとした。まさに手が触れようとする瞬間、患者の手は磁石が反発するように医師の手から逃げた。患者は自分の手の「ふるまい」に驚き困惑したという。体罰はまさにこのような効果を狙っている。自分の意志では止められない行動も、体に痛みを伴っていた場合には意識せずともブレーキがかかる。そういう意味で体で覚えている(頭ではない)。ご飯を食べながらテレビを観ようとしたら痛みの予感がしてテレビから顔をそむける。
しかし、こんな動物をしこむような方法をとらずともまもなく子供たちは(3)の方法で自分の意志で悪いことはしなくなってくる。体罰は止めて前頭葉の発達をまとう、と心理学者の端くれの父は考えたのである、36歳の朝に。
(※妻に校正を頼んだら2カ所指摘された。「うちでは食事の時にスープなんて出ない、見栄はるな。あんたはコンサートの予約なんてこの10年でただの1回もやってない、見栄はるな」そのとおりです)
3歳ぐらいまでは子供の言葉って精巧な機械のようなおもしろさ、
なんでそんなことが言える!と驚かせますが、背後にある意図は読める。
素直で感情もシンプルです。
ところが5歳ぐらいになると、もう、大人とタメで、微細な感情の動き
に言葉がついていかないもどかしさ、を感じることが多くなってくるように
思えます。そんなエピソードをひとつ。
日曜日のが雨で延期になり、火曜日に行われた運動会(長男の)に
行っておりました(家内は仕事)。よくうちに遊びに来るH君兄弟(7歳、5歳)のお母さん
と並んで観戦しておりました。H君はいつもいろんなゲームを持ってくる子で、
ちょっとスネオ君のイメージ。大人しい子です。
夜勤のあるお母さんだとは聞いておりました。お母さんによると2年前に
離婚したと。H君が1年生の時、夜勤が続く週の前の休日に買い物に行き
「何買ってほしい?」と聞いたら
「何もいらんから、他のお友達みたいに夜、おうちで普通に暮らしたい」
といったと言うのです。H君たちはお母さんが夜勤の時は保育園に
ベビーシッターの方が迎えに行き、また夜間保育所にいくのです。
7歳のH君は、単純にわがままをお母さんに言ったのでないことは
7歳の子供と暮らしたことがあればすぐ分かると思います。彼らは
家族の事情、お母さんが一生懸命彼らを育てていること、できることなら
お母さんも家にいたいと思っていること、全部大人と同じレベルで分かって
います。
もちろんH君は意図していなかったでしょう。しかし、彼が
あえて母さんに 夜おうちにいて と言ったのは 本当に思っていることを
チャンスに会わせて言うことで、母も感じている子供への うしろめたさ
を少し救うことになる、と理屈ではなく知っていたとしか思えないのです。
言われないより言われた方が楽になることがある。
H君のお母さんは決して愚痴を言わない、立派な強い人でした。
自分の生活を省みて僕は恥じ入っておりました。徒競走がはじまり
H君は走り出してすぐに靴が脱げてそのままうずくまってしまいました。
先生がコースの外に運び出すのをお母さんは優しく見ていました。
僕たちの前を通りがかった、あるお母さんが
「さっきころんでたのH君やんねえ、どうしたん?」
と声をかけていきました。子供をたくさん塾に行かせていて、少し子供の
服が汚れると大げさに叱る やな 感じのお母さんです。言わんでもいい
ことをわざわざ言って通って行く。大人です、一応。
H君兄弟は試練のときを過ごしている。しかしその試練の時にお母さんは
堂々とベストを尽くしていた、それは将来彼らが親になったとき、必ず
気がつくすばらしい歴史なのだと、しみじみ思いました。
がんばれH君のおかあちゃん
前回、絵本の紹介をしたらたくさん反響がありました。ありがとうございました。皆さん、それぞれ思い入れがあるようで絵本文化の深さを改めて感じ入った次第です。「へんてこへんてこ」の出版社からも連絡があり絵本の紹介に使わせてください、なんて言ってきました。この季刊紙の読者層の幅広さ、なかなかのものですね。
さて、先日友人夫婦から妊娠したのだかどこで産んだらよいか、と聞いてきた。助産院でなく産婦人科、しかも総合病院の産婦人科がいいという。「何かあったら困るから...」ちなみに彼らは夫婦で医者。じゃあ、自分たちが勤めているところ(どちらも大規模病院勤務)にすれば?と言うと「うちの産科はいまひとつ信用できない」と訳のわからんことを言う。そんなことも自分で考えられんで今後どうやって子供を育てていくのか、ため息をつかせる話であった。
悩める父母よ、思い出せ。私たちはマンモスのうろうろしていた氷河期に洞窟で寒さに震え飢えを忍びながら立派に出産し、育児をした祖先の、そのなかでも最も生存能力の強かった子孫なのである。冷暖房のある食べ物の溢れたこの世界で何を怖れることがある!
考古学の話を呼んだり聞いたりするのが私は非常に好きである。とくに人類の祖先に関すること。あの話を聞いたときのことはいまでも忘れない。400万年前の足跡の化石の話。アフリカ、東タンザニアの山間部でそれはみつかった。1970年代のことだ。発見者は考古学者のLeaky女史。大きな男の足跡とやや小さな女の足跡が並んで100mにわたって続いていたのだ。この足跡が化石になれたのはものすごい偶然による。まず初期人類アウストラロピテクスのカップルがややぬかるんだ泥の上を歩いた。その直後に近くで火山が噴火して灰が降り積もった。そしてその辺り一帯が沈み足跡の付いた泥の層も火山灰の層も深い地中で岩となった。そしてまた数百万年の後、土地の隆起が起こり火山灰の層が水に削られた。泥の層は水に強かったので足跡が浮かび上がってきた。それがごく一部に地表に出ていたものを発見し、周りを探索して足跡が見つかった。
私が感動したのはこの足跡がわずか10数センチしかはなれずに同じ歩幅(身長は違うだろうに)で続いていたということ。論文の考察によれば「手をつないで歩くには近すぎる。肩に手を回していた可能性が高い...」。400年前ではない。400万年前である。ロマンチックにもほどがある。さらにこれでもかというような話は続く。その大きなほうの足跡の中に18cmほどの子供の足跡がずっと入っているのだそうだ。つまり、いちゃいちゃ歩く父ちゃん母ちゃんの後ろを子供が、ぬかるみを避けて ぴょーん・ぴょーん と父ちゃんのでかい足跡の上を飛んで歩いていたかもしれないのだ。
ヒトはいつから人になったのか?というのは人類学の大テーマである。しかしこのような家族の光景はまぎれもなく400万年前の彼らが人であったことを物語っているように私には思える。うちの一家が彼らとすれ違ったら、笑顔をかわせるのではないだろうか?それとも彼らは私たちを食糧だと思って襲ってくるだろうか?
1996年にマサイ族の領地にあるその足跡の化石は人類の奇跡の宝として、雨や植物の根からの浸食をさけるため砂やバイオシートで何重にも保護され永久保存された。Leaky博士は保護工事を見守りその3ヶ月後に亡くなった。足跡化石のレプリカは福井県立勝山恐竜博物館で見ることができる。
長新太、降矢なな、川端誠、鈴木コージ...何のジャンルの作家かお分かりですか?五味太郎なら分かりますよね。日本の誇る絵本作家たちです。大きな本屋さんでも、なかなか絵本はそろっていなくて、あっても「ガオレンジャー」や「デジモン」なんかか妙な「知育?絵本」ばかり。TVマンガも、それはそれで面白いし、遊技王やクレヨンしんちゃんは欠かさず私も見ています。しかし、絵本の楽しみはそれとは違う。絵本を楽しむのはダンスやスポーツに似ている、脳のスポーツなのです。この頃はインターネットで本が買える。 私はクロネコブックサービス
(http://www.bookservice.co.jp/)をよく利用する。書名検索、在庫の有無もでき送料も380円と出かけて行くより安いぐらい。便利でついつい買い物が増える。最近は近所の本屋さんを応援するためインターネットで在庫を確認し、あえて本屋さんで注文している。本屋さんとの関係もよくなり立ち読みも大ぴらにできるというもの。
それで絵本ですが、いきつけの本屋さんで立ち聞きした会話。
若いお母さん1:「絵本を読んであげてもあまり興味を示さない」
若いお母さん2:「うちも。これ読んで、なんて言ってきたことない...」
シャイな私はいわさきちひろやピーターラビットの本を持って話し込んでいるそのママさんたちに声はかけなかった。それは私がたまたま週刊現代のエッチなページを立ち読みしていたからでは決してない。言いたかったのは以下のようなこと。字を覚えさせるため、とか、感性を豊かにするため、なんて卑わいなことを目論んでいると子供は絵本をきらいになりますよ。絵本を読むのはそれ自体が最高の目的であって何かのため、ではない。サッカーの試合を見たりオーケストラの演奏を生で聴くのと同じと考えてよい。それは最高の娯楽。絵本を選ぶとき、親が読んで自分でも心にぐっとくるものを選ばなきゃダメだ。「子供の心にぐっとくるだろうな」とか「子供の心にぐっと来て欲しい」なんてのは子供をなめすぎている。絵本は不思議で「いいお経」に似ているところもあり何度も続けて読むとどんどん良くなってくるときがある。
例えば最近のお気に入り(おもに2歳8ヶ月の三男に読んでいるのだが)。
(1)長新太の
「へんてこへんてこ」
。不思議な橋が森のおくの川にかかっていて、その上をわたると体がにゅーっと伸びてしまう。猫は「ねーこー」になり、狐は「きーつーねー」になる。お化けもやってくる。象もやってくる。蛇なんかやってきたらどうなるか?やってくる。三男はねーこーの部分は全て合唱する。終わればかならず「もう一回読んでや」である。
(2)まがればまがりみち(井上洋介)。これも絵がめちゃめちゃにすばらしい。「...ひぐれの街の曲がり道 何が出るのか曲がり道...」引き込まれるこのフレーズと絶妙の色合いの絵。自転車男や煙突男、ガマなんかが出てくる。世界に誇る傑作だと思う。
(3)がいこつさん(五味太郎)この人も脱教育をかかげているそうですが、最近は数字の本やABCの本などなにやらいかがわしい教育の香りがして少々残念です。がいこつさんは大丈夫。難を言えば絵が美しすぎるか...。何かを忘れて寝つかれないがいこつさんが忘れ物を思い出しに街へ出ます。「それもそうだな」が口癖のがいこつさんが美しい青色の世界をさまよい、見ている子供たちも「それもそうだなー」を繰り返す名作。
絵本を読ませて早く字を覚えさせよう、なんて安直に子供の人生のコマを進めたがる人がいる。待ってください!そのときそのときしか楽しめないことがあるんですよ。それは子供のためだけじゃない、親の幸せでもあるんです。字なんか学校行ったらすぐ覚えちゃって、個性的な書体もすぐにつまんないありきたりな文字になっちゃうんです。君が君でいる内に絵本を楽しみましょう。
(その他のおすすめの絵本、順不同)
ゴムあたまポンたろう、つきよのかいじゅう、ゴリラのびっくりばこ、くもの日記ちょう、ムニャムニャゆきのバス、つみつみニャー(以上、長新太)、ともだちや(内田麟太郎、降矢なな)、ちょろりんのふしぎなセーター(降矢なな)、はつてんじん、ばけものつかい(以上、川端誠)。
皆さんもおすすめの絵本ありましたら
当方の掲示板
に書き込んで教えていただければありがたいです。
こんなに悪くなるまでどうして連れてこなかったの?と咎めるのはたやすい。しかし子供を病院に連れていくのは大変だ。とくに子供が複数の場合。受け付けをしてから呼ばれるまで、診察を受けるまで、検査をするまで、支払いをすますまで、処方箋をもらうまで。汚そうなところで転げ回るし手すりをなめたりする。子供が病気ならまだ自分は動ける。しかし、自分が病気の時に子供を連れて病院にいくのはさらに試練を極める。だから髪の色がどうだろうとタバコを吸っていようと、携帯電話で「うん、今、病院やねん...」と叫んでいようと、子連れで来られているお母さん(ときにお父さん)には、すべからく敬意を払っております。寒きおりご自愛ください。
さて近頃、身近では自宅出産ブームです。二組を簡単に紹介します。1)近所で友人のWさん。3人目の男の子を自宅出産されました。Wさんのお父さんに私はたんぼを借りています。W家は女ー男ー男となりました。5才のT君も弟の誕生を目撃し、次の日保育園で我が家の次男(陸)と話していたと先生から聞きました。内容は、
T君「ちがうで、はあ、はあ、って言ってから、(体操のあんばのように足を拡げて)このあたりから出てくんねんでー」
陸「違うで、何も知らんの?横向いてお尻の穴から出てくんねんでー」
それぞれの母は違う体位をこのんだのでした。二人が話すのを他の子が集まって聞いていてなんか怖いんです...と先生。
2)ドイツのH. Beckkering博士。国際学会で京都に来られていました。Beckkeringさんは有名な認知心理学者です(子供の学習などの研究をしています)。最初の日、歓迎会に奥さんも来ていました。奥さんは画家で現在妊娠六ヶ月。奥さんによれば自宅出産するため、まもなくオランダに引っ越すとのこと。ドイツでは自宅出産は0.1%ほどなのに対しオランダでは半分以上が自宅出産だそうです。しかし、名声のあるBeckkeringさんが「自宅出産のため」に職場を変えるという話に、私以外の日本人研究者は固まってしまってました。
大リーグからの助っ人が子供が病気だから、という理由で休みを取って帰国するのに批判的な日本社会の構図をかいま見ました。関係ないですが日本らしいところで飲みたい、と外国人研究者の方たちの要望に応えて、歓迎会はおでんやで日本酒(春鹿や久保田)を飲みました。どうやってこんな店を見つけたらいいのか?と聞かれて私はA red big lantern(ちょうちん)が目印だ!と教えました。帰国前に会ったら、翌日、翌々日とBeckkeringさんらは、お好み焼きやとラーメン屋にはいったそうで美味しかったけどビールしか飲めなかった、と悔やんでいました。あなたの情報は私たちを正しいところに導かなかった...と。
産婦人科研修時代の思い出を書かせてください。
ひとつめは、S大学病院にて。分娩室で受け持ちの妊婦さんのお産に立ち会っていたら、大学に付属の助産婦学校の指導教官の助産婦さんが学生3名ほどと一緒に分娩介助の実習にやってきた。教官は妊婦さんに
「はい、ひーひー、ふーふー」
と呼吸法を指導した。学生も一緒に同じことを妊婦さんに言う。大柄な純朴そうな妊婦さん(たくましい脛の立派なすね毛が印象的だった)が一生懸命高い声で
「ひーひー、ふーふー」
とやっている。やがてお産はすすみ児の頭が外に見える状態になってきた。すると教官は
「さあ、空に向かって堅いウ○コを飛ばすようにいきんで!」
と、妊婦さんに言った。必死の表情だった妊婦さんは、はい、と言った後一瞬、戸惑いの表情となり、しかしまた痛みに身をゆだねて行く。学生さんたちも両サイドから
「さあ、青空に大きなウ○コを...」
とか、
「お空にぽっかりウ○コを...」
など、自分の好みに合わせて勝手に脚色して励ます。やがて赤ちゃんは元気に産まれた。この地方ではこのような一風変わった比喩での指導があるのだと、後で教えられた。助産婦さんも医師も個性的な人が多く楽しい研修医生活だった。しかしこの比喩は、誰が初めに考えたのだろう。今でも少し気になる。
もうひとつ同じ関係の話題。研修医2年目、バイトで当直に行った病院でのこと。夜中にお産です、の電話で分娩室に行くと、妊婦さんは古い言葉で言うとマヌカン風。長い髪と派手な顔。よくしゃべる人のようで
「なんだー、A先生は来てくれないのかー」
とか、その他、そこの病院のドクターや助産婦さんのことをいろいろと話す。話の内容以外の効果を狙うような話し方、自分は病院関係詳しいのよ、とアピールしている感じであった。僕はそういう人が苦手ではない。そんな人って本当は気後れしてやってることが多いから。そこで丁寧に、当直医です、と自己紹介し分娩台で道具などを並べ始めた。当時は(今でもそうかもしれないが)よほどすんなり進行する場合でない限りほとんど全例に会陰切開していたので、切ったり縫ったりする道具である。赤ちゃんは生まれるとすぐ助産婦さんが取り上げて隣の部屋に連れていき観察するようになっていた。医師はただ切って、ときに押して、縫うのであった。さて、私が足下でごそごそしていると、妊婦さんは谷の向こうから話しかけてきた。
「先生、ここの出身じゃないでしょ」
「はい、関西です」
その話しぶりから彼女はイメージの中ではたばこをふかしながら喋っているようだった。
「私は里帰り出産。普段は東京にすんでるの」
「はあ、そうですか」
また一服、短い陣痛。
「先生、今までに何人ぐらい?」
「(どきりとしながらも平静を装って)何がですか?」
「変なこと考えたでしょう(ふっふっふと笑い、イメージの中でたばこを吸い、煙を横に吐き出している様子)、お産のことよ」
「さあ、200例ぐらいでしょうか(さばを読んでいる)」
「本当に?そんな風に見えないけどー、経験不足じゃないのー」
会話の間にも陣痛は進んでいるようで唸ったり、また休んで喋ったりと、すこし異様な雰囲気。やがて少し長めの陣痛の後でうつむき加減の私の顔の前にいきなりビール瓶ほどもある巨大なウ○コがどすっと落ちてきた。コーンのつぶつぶや果物の種がたくさん入っているのが見える。私はその太さに怯えた。直撃されたらむちうちになっていたかもしれない。助産婦さんがさっとそれをガーゼでくるんでとってくれたので視界からは消え去った。なぜかその後陣痛が遠のいてしまって、私は部屋に戻り、朝には大学に戻った。ちゃんと生まれたかな、あかちゃんは。あの人、わざとじゃ無かっただろうな、いやわざとかな。経験不足の私の見た最大でした。こころの中には今もあのビール瓶。
精神科の領域では「適応」という言葉がよく出てくる。様々な環境から受けるストレスに対していかに適切に応じるか?ということである。
強いふらつき感を訴えるAさんという40代の女性患者は数年来、いくつもの病院を転々としていた。脳にも、バランス機能に関係する内耳の器官も、いずれも画像診断などで異常がないとされていた。また更年期障害の診断でホルモン治療も受けていたが効果がなかったらしい。話を聞いてみると、ふらつきはひどくなったり治ったりを繰り返している、ふらつきのせいで家事もできず気分がすぐれない、としきりに訴える。訴え方がかなりオーバーに感じられた。ふらつきを止める薬は少しだけ効果があるという。僕は「同じようなふらつきの患者さんはたくさん来られるけれども、そこまで不安になったり症状が苦になる方は少ないので、症状に集中してしまっている気持ちを抑えてみましょう」というような説明をした。そして神経の過剰な興奮を抑える薬を処方した。
1週間後の診察では効果てきめんで表情も明るく、数年来のふらつきが全く消えた、と喜んでおられた。ではしばらくこの薬を続けましょう、と話をし帰って行かれた。これで話が終わればいいのだが、そうは行かなかった。次の週には、診察室に入ってくるなり表情が暗く、前の状態に戻っていた。「症状はすっかり治ったのですが、あんなに長いこと苦しんでいた症状が取れるぐらいだからよほど強い薬なのでしょう。それをずっと飲んで行かねばならないかと思うと心配で...」と話す(薬は強い薬ではないのだが)。勝手に薬をやめると、またふらつきが出てきた、どうしたらよいだろう、と悩んでいる。結局薬は飲んだり飲まなかったりとなり、現在も外来通院中である。次第に分かってきたのだが、実はこの方は、家業のこと、家族のことなどで夫との関係が悪くなっていた。その問題が起きたのはふらつきの症状が出たのと同じ頃であった。
この方の問題は「適応」できていないことである。さらにその理由は、何が自分を苦しめているのか、がしっかりと認知できていないことにある。簡単に言うと、家庭内の問題でストレスがかかって体調が悪い。しかし、無意識のうちにその問題は見ないようにしているらしい。従って自分では理由が分からないのに気持ちがふさぎ体だるい。体調が悪いからにはなにか理由があるはずだ、そして、ふらつきを感じたのでその、ふらつき、さらには脳になにか異常があるのでは?と考えているようである。つまり、心は何か悩みの対象にできるような具体的な原因を必要とし探し求めているのである。基の原因が無くならない限りいつまでも何かが現れ続けるだろう。自分の問題が何か?まずこれをしっかりと見つめ、それにきっちりと対応する、これが適応である。しかし様々な理由でこれは難しいことが多々あり、違う「いけにえ」(ギャンブルや、子供の教育など)へと情熱が向かう。
Aさんは、結局、前のままでふらつきに悩みながら暮らしている。ふらつきはとりあえず一番適当な悩みの対象である、ということは長年の経験から知っておられるようである。
言語獲得の研究会で一緒に研究している広島大学の玉岡賀津雄先生(愛称カツオさん)が3月に予定していた共同実験を延期して欲しいという。理由を聞くと「実は二人目の子供が産まれるけど、うちは自宅出産なので自分がいないと困る」と。玉岡先生は言語心理学の研究者で医療関係ではないけれど一人目も自宅出産されたとのこと。私のところでも自宅出産でやっていることは彼は知らないので「そんなことして大丈夫ですか?」と聞いてみたら「これしかないですよ」と。やはり一度やってしまえばあの快感は忘れられないのですね。さて、玉岡先生のところは違うけれど、自宅出産をする人の中には一人目のお産を病院でしたときいやな思いをしたので今度は自宅で、という方も多いようだ。特に痛い思いをしているとき、苦しんでいるときには他人の言葉に痛み以上にダメージを与えられることが多い。今回は言葉と心の問題について心理学の立場から述べてみます。
心に届く言葉と届かない言葉があることの生物学的かつ認知科学的な意味について。まず以下に2つ事例を紹介します。
まず一つめ。2/12夜にスヌーピーの作者、シュルツ氏が亡くなった。その10日ほど前に断筆宣言を出したことが大きく報じられていたので皆さんご存じでしょう。最後の原稿がちょうど2/13の朝に掲載され死亡記事と一緒にでた。僕はこのことを毎日新聞のコラムで読んだ。そこに紹介されていた初期の4コマ漫画のチャーリーブラウンとライナスの会話。
子供二人で苗木をはさんで向かい合ってたっている。
チャーリー:「このちっちゃな木、大きくなったらいい木になるよ。そのときは僕たちはこの周りにいないのが残念だね」
ライナス :「僕たちはどこに行っちゃうの?」
二つめ。メダカの学校の歌の由来が医師会の雑誌に出ていた。作者は芥子なんとかという人。昭和20年に東京空襲を逃れて箱根に疎開していた。その箱根での出来事。敗戦の年あけて21年春、3歳の子供と散歩していると小川にたくさんメダカが泳いでいた。子供はのぞき込んで
「わー、いっぱいいる、ここはメダカの学校だね!」
と言った。それがメダカの学校の歌の誕生だったそうだ。
上のふたつの例に共通するのは発話者が子供であること。心の動きが言葉になって表れるときに余分な技術がないことが、心に届く言葉を生み出す鍵の一つなのだろう。では、心ない言葉しか使えなくなる技術がなぜ身についてしまうのだろう?言語経験に由来すると考えられる大人の言語能力のメリットはどこにあるのだろう。同じ状況に置いて使うことが約束されている言葉はたくさんある。そのような決まり文句を使うことで誤解はさけられ、コミュニケーションは円滑にすすむ。例えば川にメダカがたくさんいることを事実として伝える場合、メダカの学校だった、ではなんのことか分からない。大人のコミュニケーションは日常生活におけるかなりの会話は実はほとんど伝えるべき意味はなく、近くにいる人間同士で緊張をとるためのように発せられているように思う。エレベーターに奥様方が乗ってくる。窓の外に雪。「うわーっ降ってるわー」で堰を切ったようにうんざりするような会話が始まり終わる。どうせそういうに決まっているので窓に張り付いて外を見えなくしてしまおうかと思うほどだ。
僕が怖いと思うのは、表現することだけが型にはまってしまうのではないと言うこと。型にはまった話し方(出力)を続けているうちに、状況の捉え方(入力)まで型にはまってくる。これはもちろん悪いことだけではないだろう。医者になったばかりのころは来る患者来る患者なんと多彩で複雑なことか、と思っていたが少しなれればポイントは老若男女共通していて均一なものに見えてくる。診察はずっと楽になり正確になる。型にはまった捉え方ができるようになって初めてそれぞれの症例に特徴的な重要な点が何か、ということが明確にとらえられるようになってくる。しかし、生活における感性が型にはまってくるのは話が別だ。殺人や不倫にしか興味が無くなってしまうのは、そのようなきわどいもの以外は入力の段階でカットされてしまい心に届かなくなっていることの証拠ではないだろうか?
ガードするための言葉や場を円滑にするための言葉が心の届かないのは当たり前。心に届いたら困るのであろう。カウンセリングでは初めのうちは浅い言葉しか出てこない。技術でガードされた妥当な言葉が繰り出される。カウンセラーはそのなかに未熟な光る言葉を見つけて聞き返す。このような作業によって心により近い言葉が話されるようになると、ようやく何が語られるべきことか、が二人に分かってくる。カウンセラーが質問を絞っていく場合に「技術」ではなく「感性」のみを頼りにすることは言うまでもない。
さる11/13(土)に、大阪ドーンセンターにて「分娩と医療裁判」というタイトルで大阪弁護士会所属の三浦直樹弁護士による講演会が開かれた。内容は非常に意義深いもので参加された方々は医療裁判というものに対して漠然と持っていたイメージが様々な点から補強されたことと思う。私にとっても目からうろこがばらばらと落とされる思いであった。とくに医師の債務(お金をもらったことに対してなすべき義務)は、病気を治すことではない、病気を治すために必要なことをすること、という話が衝撃的であった。だから、治してやったから文句ないだろう、ではダメなのである。ちゃんとした態度や説明など様々なお客様へのサービス全体も含めて医師の債務なのだ。たとえ病気が治ったとしてもプロセスに不備があればそれは債務不履行になる、とその意味がようやく分かった。こんなこと大学では習わなかったなあ。まあ授業もあまり出ていなかったのでもしかしたら聞き漏らしたのかもしれないけれど、少なくとも国家試験にはでていなかった。医者として求められていることはベストを尽くして病気を治そうとすることであって、病気を治すことではないのだ、という実感はうれしくて、しばらく自分の心を離れそうにない。
ところで「自虐の詩(上・下、業田義家、竹書房)」というマンガを皆さんご存じですか。ギャグ4コママンガの連続ものですが臨床心理学の様々な問題を扱っています。へこたれない幸江さんとやくざ崩れの夫の物語です。下巻の終わり近くで臨月になった主人公が、幼いときに自分を捨てて出ていった母親を殺そうとする夢をみる場面は圧巻です。幸江さんは、子供時代には無職でのちに犯罪者となる父、そして成人後は夫に、少なくとも他人から見れば虐待されています。本人は幸せいっぱいに暮らしています。読み終わった感じは「人は何で生きるか(トルストイ、岩波文庫)」や「ブッダ(手塚治虫、秋田書店)」に類似の「ごらん、世界は美しい...」という感じのすばらしいものでした。この自虐の詩のテーマの一つが、精神科領域ではスットクホルム症候群として知られている有名な異常精神状態です。昔、スエーデンのストックホルムで銀行強盗事件がありました。人質をとって立てこもった犯人は最終的に投降し懲役刑を命じられるのですが、人質だったある女性は数年後に懲役を終えて出獄した犯人と結婚したのです。この事件では包囲している警察に対して人質たちが本心から犯人をかばい警察を避難するような言動を繰り返したことが話題になりました。人質になる、という精神的極限状態が犯人や抑圧者への憎しみを全く反対に好意としてしまう場合がありそのような状態をこの事件にちなんでストックホルム症候群と呼んでいます。夫対妻、母対子、父対子でも巷にストックホルムはあふれています。保育園の送り迎えの時などに異常に強く子供を叱りつけている母親と泣きじゃくりながらすがりつく子供の姿を見るとふと、僕は北欧の旧都を思い浮かべて寂しい気持ちになることがあります。あなたは知らぬ間に北欧に行ったりまた相手を行かせたりしてないですか?
6月から隣町の精華町立東光小学校で「命の学習」というテーマで小学生と保護者の方々相手に各クラスごとに授業をしている。この小学校の保健の先生が友人で、我が家に遊びに来ていて家内の自宅出産のビデオを見たことからはじまった企画であった。授業では陣痛中や出産(頭、顔、体が出てくるところ)の光景をときどき説明を加えつつそのままに見せている。先生方のなかに「ある程度の知識や経験のある大人にとっても衝撃的な内容を子どもに見せても大丈夫であろうか?」と心配しておられる方があった。いざ始まってみると陣痛の時の母親の(私の家内)うなり声の生々しさに、それまで気が散っていた子どもがシーンとなり、赤ん坊が生まれてくるところをまさに固唾をのんで見守った。ちょうど実際のお産の時に長男がしたのと同じ様なある種「高貴な」表情で見つめた。心配は無用であった。保護者の方の中にも感動して涙を流される方もあった。あるおばあちゃんなどは「うちの婿にも見せたかったです」とおっしゃてくれた。
ある程度の知識や経験、こそ邪魔者ではないか。お産という「動物の自然な行為」を目撃するのに、知識や経験はない方がいいのではないか。心の根本で受け止めるべきものであろう。授業の後の感想では「赤ちゃんを産むのが怖くなりました」と書いた子も何人もいたが、「私も頑張って産むぞ!」と書いた子もたくさんいた。自分も産みたくなった!と書いた男の子までいた。僕は授業の後で子ども達に言う。「赤ちゃんを産むのはお母さんも大変。生まれてくる赤ちゃんも大変。でも、もっと大変なのはその後、君たちぐらいに育てること。ウンチはするし、オッパイやミルクはいるし、選択は毎日山のよう、病気になったら病院に連れて行かないといけないし看病もしないといけない、夜にはなくし、おねしょはするし。みんなのお母さんやお父さんや周りの人みんなが大事にしてくれて大きくなってるんだということ、分かってないとダメだよ。」実際、作ること、産むこと、と比べて育てることのなんと大変なことか!
この授業を聞いた子ども達の中の誰かが、妊婦さんに電車やバスで席を譲ることがでた、なんてことがあったらいいな、とわくわくしながら授業をしている。
さて、この授業では猫と人間の出産のシーンを見せているが、その前に私の自己紹介をかねて畑で作っている野菜をクイズ形式で紹介している。始めに苗や茎、葉のスライドを見せて、何の野菜か?と尋ねる。子供らに勝手に答えさせ、続けて正解の写真を見せる。郊外の住宅地あるせいか子ども達はほとんど野菜のことをしらない。とうもろこしを見て「トマト」とか「スイカ」と答える。サヤエンドウの花が咲いている写真などお母さん達も10人中1人だけ豆?と答えられた程度であった。同じスライドを同僚の医師に見せたとき、スイカが成っているのを見てその医師は「スイカって地面の中に出来るのを掘り出すのとちゃうんか?」と感心していた。野菜はスーパーに並んでいる。どんなものでもどの季節にもある。しかし、それらがどのようにして生長してできるものか、ということは別世界のことであるようだ。近頃診察でよくでくわす過食症などもこのようなところに成因があるのではないだろうか?自分が種を撒いて育てた麦で作ったパンを、大量に食べて吐く、なんてことができるだろうか(私は向かいの空き地を借りて麦を作っている、今年は15Genevakgほどとれた)。コンビニでさっと買えるケーキだからこそ吐いても平気なのである。これは赤ちゃんにも通じるものがある。お母さんが病院に行って、帰ってきたときにはきれいな服に包まれた赤ちゃんであり、その後はきれいに大きくなる。今、大事なのはもっと正確に経過を知ることではないだろうか?苦しくて汚くて痛くて面倒くさくて、ときどきかわいい、そんな出産や育児の経過を子どもにもっと知らせた方がいいのではないか。どんなひとにも赤ちゃんの時があり、苦労して苦労して育てられた、と頭の片隅にあったら簡単にいじめたり殺したりはできないだろう。
自分の家族の生老病死をきちんと体験することこそ、現代社会で正気を保ち暮らしていくことの基本となるものではないだろうか?根本的な苦しみや喜びは、逃げたり隠したり他人任せにすべきものではない。機会を逃すとつけは大きい
私は男性としてはお産とは関係が深いほうだと思います。以前、産婦人科医として大学病院で研修を受け数百例のお産を取り上げました。ただし現在はもうお産の手順など全く忘れてしまいましたが。また、3人の子供のうち下二人は自宅で産みました(もちろん家内が)。
そもそも脳の研究をしておりましたが教授と不仲になり研究室を追い出されました。家内が産婦人科医の研修医だったので教授に頼んで研修医に混ぜてもらいました。研修を始めて1週間ほどたった大学病院での当直の夜、初めて分娩を見ました。ポリクリはさぼって休みがちだったので分娩見学もしていなかったのです。初めて見た生後直後の血だらけの赤ん坊、涙がじーんとわいてきました。びいびいと小さいながら必死で泣いていたからです。このときの私は本当に一般の男性がお産を目撃したのとまったく同じ状況だったのです。その後2-3人めまでは感動してみていました。産婦人科に移って一月ほどたったころ関連病院の当直に行くよう言われました。しかしまだ一人でお産をとったことはなかったのです。後の縫い方も分からないし薬も知りません。医学部の教育では傷の縫い方の実習などはありません(少なくとも私の頃は)。先輩の話ではそこの病院はほとんど昼間にお産があるから夜はない、このところ10日間連続でゼロだ、とのことでした。こわごわ出かけていくと夜中の2時頃電話が鳴って「先生お願いします」と。分娩室に出かけていくと分娩台と二本の足、股間にはざっくりと切れた膣に血の固まりがついていました。赤ちゃんは無事で胎盤もでていました。私:「あの当直のものですが」。若い助産婦さん:「何号ですか?」私:「は?」。しばらくしてゴム手袋のサイズを聞いているのだと分かりました。縫合セットを渡されて初めて縫っていったのです。元来私は人並みはずれて器用だったのと、実験でサルの皮膚を縫ったことがあったのでなんとかこなせましたが...日本は医療後進国です。この晩、病院始まって以来という5人のお産がありました。明け方には私もすっかり手順になれて縫合もばっちり無駄口をたたきながらこなし、薬も間違えなくなりました。
こんな経験のある私ですので自宅分娩には全く抵抗はありませんでした。病院にいれば安心というのは全くの錯覚です。また、赤ちゃんは素敵に強いのです。人生のファンタスティックな行事として一家でお産を楽しまない手はありません。
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