(3)「廻心と往生」

 えー、お昼の休憩を挟みまして、三時間目でございます。皆様には、また、しばらくお付き合いを願うわけでございますが、この、じっと座って話を聞いているというのも、なかなか疲れるものですね。そのうえ、昔から、「腹の皮が張れば、目の皮がたるむ」と申しますように、この午後の時間は、とりわけ条件が悪いものでして、欠伸のひとつも出てまいります。

 これはある先生から聞いた話ですが、その先生が、午後の講演をなさっていた時、しきりと欠伸をする人がいた。そこで、先生は、「欠伸が出そうになったら、上唇を左から右へと舐めてみてください。そうすれば欠伸が止まりますから、宜しくお願いします」とおっしゃった。すると、今度は、会場のあちこちで、唇を舐め始めて、かえって話がし難かった、ということでございました。

 ここでは、そういうお気遣いはご無用でございます。どうぞご遠慮なく、欠伸をなさりたい方は、なさっていただいて結構でございます。午前中は、理屈っぽい話で、お疲れになったでしょうから、午後は、できるだけ肩の凝らない話をさせて頂こうと思っております。どうぞ、お気楽に、お聞き頂きますように、お願い申しあげておきます。

 さて、午前中は、「浄土を目指して生きることを、信仰に生きると言う」という話で終わりましたが、信仰に生きる人の姿は、輝いていますね。このあいだも、テレビで、ミャンマーの仏教徒の姿にふれて、非常に感動いたしました。皆様もご覧になったかもしれませんが、NHKで放送されていた、「ブッダ、大いなる旅路」という番組です。

 ミャンマーというのは、最近までビルマと呼ばれていた仏教国です。国中にパゴダという仏塔があって、その数、数万と言われておりますが、一般の人々にとっては、このパゴダを造り、パゴダを礼拝することが、何よりの善行だと考えられています。

 ちょっとだけ、その番組で見た話をしますと、そのミャンマーの、ある村で、パゴダ造りが始まります。呼び掛け人は、鍛冶屋のアウンタイという人です。アウンタイさんは、友人を突然の事故で亡くして命のはかなさに気づき、早く来世のために功徳を積まねばならないと考えるようになりました。そして、パゴダの建立を発願して、費用を貯めるのに十年かかったといいます。

 パゴダ造りには村中総出です。子供が参加するときには、学校も休みになるというほどなのですね。村人は、収入の七割が食費に消えるというほど貧しい生活をしていますが、残ったお金は惜しげもなくパゴダに布施します。来世のために功徳を積むには、願ってもない機会なのです。

 また、九十一歳になる村の最長老のバトンさんは、家の近くの道路を補修することで善行を積んでいます。牛車が往来する一本の道を、小さなスコップで丁寧にならし続けて、もう十年。雨の日以外は、一日も休んだことがないといいます。

 バトン老人は、こう言っていました。「涅槃のことだけ念じています。天上界にも人間界にも生まれ変わりたくありません。全く苦しみのない、涅槃に行きたいのです」と。私たちと宗旨は違いますが、ミャンマーの仏教徒たちの間には、まさに「後生の一大事」という言葉が生きているのですね。

 自分に残された時間の全てを使って、淡々と徳を積み、パゴダを見上げて涅槃を思う。そんなバトン老人の姿に、私たち現代人が忘れてしまったものの、重さを思いました。

 信仰に生きるというのは、また、信仰に死ぬということでもあります。話が私事に渡って恐縮ですが、私の祖父の話を少しさせて頂きます。祖父は、昭和十七年に三十九歳で亡くなりましたので、私自身は知りません。写真が一枚残っているだけでございます。

 これは子供の頃に、祖母から聞いた話です。祖父は、身体が弱くて、若いころから寝たり起きたりだったそうですが、十一月も終わり近くになった日の朝のことです。伏せっていた祖父が、「操、今日は何日や」と聞いたそうです。「操」というのは祖母の名前ですが、「二十八日や」と答えると、「そうか。そな、ワシ、今日行くから、お前、今日は家におってくれ」と言ったそうです。

 「今日行くて、寝てる身で、どこへ行くんやろ」と、祖母は不審に思ったそうですが、妙に気になって、その日は一日家におりました。何時頃のことか、聞き忘れましたが、突然、祖父が、「操、きれいな音楽が聞こえる」と言うのですね。「何も聞こえません」と言うと、「そうか、お前には、あれが聞こえんか。きれいな音楽やぞ」と言うと、それが最後で、手に印を結び、お念仏を称えながら、亡くなったのだそうです。

 祖母は、「十一月二十八日といえば、御開山聖人のご命日や。何日やと聞かれたときに、気づかなあかなんだ」と、悔やんでおりましたが、その祖母も、昭和六十三年に、八十三歳で亡くなりました。晩年には、痴呆が進みまして、何も分からなくなっておりましたが、それでも、一日中、お経様を開いて、お内仏の前に座っていた姿を憶えております。

 信仰とは、理屈を越えたところで、生きるものでございます。信仰に生きた人を身近にもったことは、幸せなご縁だったと思っております。昔は、そういう信心深い人を、「後生願いの人」と申しまして、一種、尊敬を込めて見たものですが、今は、事情が変わってしまいましたね。

 先ほども申しましたように、現代は科学万能とも言える時代ですから、そんな社会に生きる私たちは、「目に見える世界が全てだ」と考えるようになってしまいました。「目に見える世界が全て」だとすれば、当然、「死ねば終わりだ」ということになります。今や、そういう考え方が、私たちの常識のようになっております。ですが、では、当の科学者たちが、皆そんなふうに考えてきたのかと言えば、そうではありません。

 たとえば、90年ほど前には、人間の魂の重さを測定しようとした科学者たちがいました。昔は荒っぽいことをしたもので、死にかけている人を目方計りの上に乗せまして、死んだ瞬間に、どのくらい体重が減るか確かめようとしたのです。体重が減れば、その減った分が魂の目方だというわけなのです。

 何人もの瀕死の病人を目方計りに乗せて計った結果、どうなったかと言うと、実は、死ぬと同時に、体重がほんの少しだけ軽くなったのです。どのくらい軽くなったかと言うと、オランダの研究では、69.5グラム、イギリスの研究では、約68.85グラムだったと言われております。まあ、ほぼ、69グラムですね。

 さすがに、こういう荒っぽい研究をする人は、あまりいませんので、このとき減った体重が、魂の目方だったのかどうかは定かではありませんが、最近、これと同様の研究が、日本の「筑波記念病院・生命科学研究所」という所で再開されました。もちろん、人間ではなく、ラットを用いた実験です。

 その研究によりますと、プラスチック容器に密閉した25グラムのラットは、死亡すると、体重が約100マイクログラム減少したといいます。これは、60キロの人間に換算すると、約0.24グラムになります。研究チームの川田薫博士は、これがラットの魂の目方だと言っておられます。

 魂の目方ということで申しますと、もうちょっと違った実験もあります。皆さんは「体外離脱」という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。「体外離脱」というのは、いわゆる「魂」が、肉体から抜け出してしまう現象を言います。

 たとえば、もし皆さんが、ふと気づいたら、身体を抜け出して、上の方から自分の身体を見ていたとか、身体を抜け出して遠くまで飛んでいき、そこで見たり聞いたりしたことが、あとで確かめてみると、本当だった、といったような経験をなさったことがおありでしたら、それが「体外離脱」体験だったわけです。

 「体外離脱」は、たいてい偶然に起こります。その起こる確率は100人に1人程度と言われていますが、これを自分の意志で自由に起こせる人も、ごくたまにですけれど、いるのですね。そういう自由に肉体を離れることができる人を、さきほどのような目方計りに乗せて調べた実験があります。

 これはオランダの科学者が行なった実験ですが、その報告によると、被験者の魂が肉体を離れている間には、体重が64グラム軽くなっていたということです。

 ですが、まあ、たとえ「魂」が在るにせよ、その「魂」に目方があるかどうかとなると、ちょっと首をかしげねばならないような気もしますね。目方があるということになれば、「魂」は物質だということになってしまいます。

 私たちの身体は、物質でできております。物質だけでできているかどうかは分かりませんが、まあ、ともかく物質でできている。物質とは何かと、分子から原子へとさかのぼり、ついには、この原子も陽子、中性子、電子という、さらに小さな粒から成っているということが分かった。これが、50年程前までの物質観だったんですね。物質を構成している一番小さな粒は電子だ、というわけです。

 ところが、その後、科学は、この電子よりさらに小さな世界を発見したのです。驚いたことに、物質の究極は物質ではなかったのです。物質の究極を追い求めていった結果、そこにあったのは物質ではなくて、様々な波長の電磁波、あるいは光としか言えないような、エネルギーだったのです。物質の究極は「物」ではなかった。「光」だった。

 要するにですね、私たちが実際に存在すると考えているあらゆる「物」は、実際には一種の「光」からできているということなのです。とするとです。私たちの身体も物質でできている。物質でできているということは、つまり、光でできているということになるのですね。不思議だとは思われませんか。

 私たちは光でできているのですが、それだけではないのですね。人間に限らず、あらゆる生物は常に目に見えないほどの弱い光を身体から出しているのです。この光は特殊な高感度カメラで撮影することができます。

 日本では東北大学の電気通信研究所で研究されております。以前、テレビで、発芽した大豆から出ているこの光の映像を放送したことがありますから、ご覧になった方もおられると思います。

 生きている限り、私たちは常に光を出している。では、死ねばどうなるのか。ある物理学者の研究によりますとね、生物は死亡する瞬間に、通常の1000倍以上もの強力な光を発することが分かったというのですね。

 まれには、臨終を迎えた人から、この光が放出されるのを、周囲の人が目撃することもあると言われております。ある報告によりますと、この光は、臨終の人の身体から立ち昇る、ぼんやりとした白いモヤのように見えた、ということです。

 私たちの身体は光でできております。その光でできている身体から、臨終に際して抜け出て行く「光」がある。生命というのは不思議なものですね。ひょっとすると、この身体から離れて行く「光」が、私たちの「魂」なのかもしれませんね。

 まあ、それはともかく、こういう魂に関連した研究が、近年、アメリカを中心に盛んに行われるようになってまいりました。最近は、テレビや書籍でも、しばしば取り上げられておりますので、あるいは、ご覧になったことがおありかと思いますが、たとえば、「前世の記憶」や「退行催眠」や「誕生の記憶」による、「生まれ変わり」の研究や、「臨死体験」の研究などがそうです。

 いわば、科学の最先端では、「死ねば終わり」ではなく、「死んでも終わらない」と考えられるようになってきているのです。そういった、科学界の宗教革命ともいえる研究の成果は、私たち仏教徒にも、大いに参考になります。

 なかでも「浄土の教え」を理解する上で、非常に有益なのは、「臨死体験」の話です。「臨死体験」というのは、死の淵から生還した人が、あの世とこの世の狭間で得た、様々な不思議な経験のことを言います。

 では、その「臨死体験」とは、具体的にはどんな体験なのかと申しますと、臨死体験者の話を総合すると、だいたい次のような体験のようです。

 (1)まず、死を自覚する。「うまく説明できないが、自分は死んだということが分かった」と言うのですね。
 (2)そして、それまでの肉体的な苦痛が消えて、深い安らぎが訪れる。
 (3)気づいたら、身体から抜け出して、ベッドに寝ている自分の身体を、上の方から見下ろしていた。ベッドの周りで慌ただしく働いている医師や看護婦の姿や、廊下で不安そうに待っている家族の姿が見え、彼らの会話が聞こえた。これは、さきほどお話しいたしました「体外離脱」と同じ経験のようです。そんなふうにして、しばらく身体の上に浮かんでいた。
 (4)やがて、暗いトンネルに吸い込まれて、ものすごいスピードで進んでいくのが分かった。遠くに、トンネルの出口の光が見えた。たとえば、こういった感じのトンネルだといいます。



(左:「最上天への上昇」ヒエロニムス・ボス作、15世紀。 右:ダンテ「神曲」の挿絵、ギュスターヴ・ドレ作、19世紀。)

   (5)トンネルを抜けて、言葉では説明できないような、慈悲と智慧の光にあふれた世界に入った。そこで、「光の人」に出会った。臨死体験者のなかには、この「光の人」を「神」だと感じた人もいれば、「仏」だと感じた人もいます。
 (6)その「光の人」は、自分を包み込んで、自分の一生を見せてくれた。人生のあらゆる出来事が、走馬灯のように流れ、細部まで再現された。
 (7)そして、その「光の人」に、「あなたにはまだやらねばならないことがある、帰りなさい」と言われて戻ってきた、と言うのです。

 こんな話を初めてお聞きになった方は、何か狐につままれたような気持ちになられたかもしれませんが、「臨死体験者」は、こういったことを実際に経験したと言うのです。

 多数の学者が研究した結果、こういった「臨死体験」は、人種や年令、性別、学歴、職業、社会的地位、文化、宗教などに全く関係なく起こり、その体験内容は誰の場合でもほぼ同じものである、ということが分かったのです。(「臨死体験」関連の参考文献を末尾にご紹介しておりますので、ご関心がおありの方は、お読みになってみてください。)

 「臨死体験」が科学者によって研究されるようになったのは、ここ20〜30年のことですが、「臨死体験」そのものは大昔からあったに違いありません。私は、この「臨死体験」というものが、「浄土の教え」と大きな関わりを持っていると考えております。もう少しはっきり申しますと、私自身は、この「臨死体験」と「瞑想体験」を核にして生まれたのが、「浄土の教え」だと考えております。

 ちなみに、山折哲雄先生は、あるところで、「釈尊の悟りの体験というのは、一種の臨死体験だったかもしれない」と、おっしゃっています。「命の構造」から考えましても、深い瞑想体験は臨死体験と同じものだと思いますから、そういう意味では、釈尊が悟りを開かれた菩提樹下での瞑想は、一種の臨死体験だったかもしれませんね。

 「臨死体験」の統計によると、ほとんどの人が「光の世界」を経験するらしいのですが、もし、この「臨死体験」が「死後の世界を垣間見た体験」だとすれば、たいていの人は、死ねばみな、この「慈悲と智恵の光あふれる世界」に迎え入れられるということになるのですね。先ほども申しましたように、その人の属している、人種や性別や文化や宗教などに全く関係なく、死後には「光の世界」に迎えられるのです。

 「浄土の教え」でも同じようなことが説かれています。初期の頃の「浄土教」では、「浄土への往生」に対して、いろいろ条件が付いておりましたが、中国の「浄土教」を大成した善導大師あたりから、実質的にこの条件が無くなってしまいます。阿弥陀仏の慈悲の力を妨げるほどの「悪」は無いから、どんな悪人でも救われる。いや、むしろ、自力で悟りを開けない悪人こそが阿弥陀仏の慈悲の対象だ、ということになってまいります。いわゆる「悪人正機の説」でございます。

 つまり「浄土の教え」でも、「臨死体験」の場合と同様に、善人も悪人も、仏法を大切にする人も、仏法をそしる人も、みんな浄土に往生できるということになるわけでございます。信じていても、信じていなくても、浄土に往生する。となるとです。「浄土の教え」というもの、あるいは信仰というものには、いかなる意味があるのかということになってまいります。

 これは、非常に大切な問題でございますが、実は、その答えも、「臨死体験」に見ることができます。これは「浄土の教え」の場合の答えでもありますので、よくお聞きになってください。

 「臨死体験」にも、浅い体験もあれば、深い体験もあります。死後の世界にまでは到達しなかった浅い「臨死体験」もあれば、死後の世界に何歩か踏み込んだ深い「臨死体験」もあるのです。「深い、浅い」はどこで区別するのかと申しますと、それは「光の世界」を体験したかどうかです。

 浅い「臨死体験」、つまり肉体から抜け出して、いわゆる「体外離脱」をしたという程度の体験では、その後の人生に余り大きな変化は見られません。ですが、この「光の世界」に出会って「人生を回想した」という深い「臨死体験」をした人には、体験後に極めて大きな変化が現われるのです。ここが大切なところです。

 では、何が変化するのか。それはですね、「光に遇う」という深い「臨死体験」をした人は、人格が変わり、生き方が変るのです。どんなふうに変るのかと申しますと、まず、死を恐れなくなります。といっても、生命を粗末にするようになるという意味ではありません。その逆です。臨死体験者は、人生に対して大きな情熱を抱くようになります。あるがままの人生を楽しみ、人生をできるだけ大切にしようとします。

 生活は充実し、毎日が新鮮で、生きるのが楽しくてたまらない。宇宙に存在するものは全てつながっているという感じを抱くようになり、日常的なほんの些細なことに喜びを感じるようになります。そして、自分の生き方に対して、これまで以上に責任を感ずるようになり、よりよく生きようとするようになります。

 財産や名誉や成功を求めなくなり、競争心が薄れ、物よりも人をはるかに大切に感じるようになります。全ての人間が本来的に平等であるという認識が生まれ、分け隔てなく人を愛するようになります。人生の目標が、利己的な関心から離れ、他人にも何かしてあげたいという気持ちに変るのです。

 宗教的な面で言えば、概して特定の宗派にこだわらなくなります。そして、狭い宗派的な世界を離れて、本当の意味で宗教的な生活をするようになるといいます。そんな彼らからは特殊なエネルギーがあふれているように、周りの人は感じるようです。そばにいると精神の高揚を感じ、幸せな気分を感じると言います。

 「光の世界」に出会った「臨死体験者」は、その後の人生が大きく変る。ひとたび死を経験して「慈悲の光」を身に浴びた者は、本当にこの「いのち」を生きることができるようになる。実は、これこそが、「臨死体験」の核心であると同時に、「浄土の教え」の核心でもございます。

 「浄土の教え」は、申しあげるまでもなく、「来世往生の教え」です。ですが、その眼目は「来世」にではなく、むしろ「今生」にあります。「浄土の教え」というのは「この世」で「慈悲の光」を身に浴びるための教えなのです。「慈悲の光」を身に浴びて、「本当の自分」に出会う。そして、一人一人が命の真実に目覚め、本当の自分を生きることができるようになる。このことを説いているのが「浄土の教え」なのです。

 「慈悲の光」を身に浴びた者は、本当にこの命を生きることができるようになる。『大無量寿経』に、法蔵菩薩の第33番目の誓願として、「阿弥陀仏の放つ光に包まれたものは、喜びあふれて、おのずから身も心も和らぎ、優しくなる」と書かれているのは、このことです。

 ですが、「臨死体験」のことだとか、「法蔵菩薩の誓願」だとか、そんなことを知識として頭で知っても、私たちはさほど幸せにはなれません。経典にもはっきりと書かれております。私たちが「いのち」の真実に目覚め、本当に心安らかに生きるためには、「慈悲の光」に触れねばならないのです。「臨死体験」でもそうですね。大きく人生が変ったのは、実際に「光の世界」を体験した人たちだけです。

 では、どうすれば、そんな「慈悲の光」のなかに入ることができるのかと申しますと、それには二つの道があります。ひとつには、先ほどからお話ししておりますように、「深い臨死体験」を経験することですが、これは、瀕死の重病人にいわば偶然に起こることでして、体験したいと思って体験できることではありません。ですから、この道は私たち一般に広く開かれた道とは言えません。

 私たちに開かれているのは、もう一つの道の方です。その道というのは「瞑想」のことです。大昔から、あらゆる宗教の核には、必ずこの「瞑想」が含まれております。それは「浄土の教え」でも例外ではありません。「瞑想」には様々な方法がありますが、私たち門徒に示されているのは、「念仏行」という瞑想方法です。

 「念仏行」というのは、一種の「瞑想」です。阿弥陀仏の智慧である「名号」の力によって、「一心」になる、「念仏」だけに耳を傾ける、「念仏」そのものになる、それが「念仏行」でございます。

 皆さんはどう思われるか分かりませんが、私は、この「念仏行」で垣間見る世界は、「死後の世界」とつながっていると考えております。実は、そう考えているのは私だけではありません。1973年に「超伝導」の研究でノーベル物理学賞を受けたイギリスの物理学者ブライアン・ジョセフソン博士も同じことを考えているようです。

 ジョセフソン博士は長年にわたって瞑想を続けていますが、あるインタビューに答える中で、こう言っています。「私は、現実には目に見えない精妙なレベルがあると確信しております。瞑想を通じてそのレベルに触れることもできますし、人が死んだ後に行くのもここではないかと考えています」と。私にとっては、なかなか心強い意見のように思えますね。

 「光の世界」に触れた者は、「本当の自分」に出会うのです。そして、その人その人の本当の「いのち」を生きることができるようになるのです。ある臨死体験者も言っていますが、人の為に尽くすにしても、「そうすることが正しいからそうするのではない」のです。「そうせずにはおれないからそうする」ようになるのです。「臨死体験者」だけでなく、信仰で「光」に触れた人も、やはりそうなるです。

 伝統的に申しますと、「浄土の教えを聞いて、疑いなく信ずる」というのが、浄土真宗の本筋でございます。ですが、この「信ずる」ということは極めて難しいのですね。『大無量寿経』にも、「この教えを聞いて信じ喜ぶということは、難中の難である。これより難しいことは他には無い」と書かれております。

 「浄土の教えを聞いて、信を得る」というのは、「話を聞いただけで、光に触れる」ということですから、これはよほど機が熟していないと難しい。親鸞聖人は、法然上人から「浄土の教え」をお聞きになって、信を得られました。ですが、これは、親鸞聖人が、9歳から29歳まで20年間、比叡山で修行なさって、その機が熟していたからです。

 法然上人は「瞑想」の達人でした。法然上人は「瞑想」のなかで「光の世界」を体験なさいました。このことは上人ご自身の書き残された『三昧発得記』という文書のなかに出てまいりますから、間違いございません。法然上人は、いわば今生で一度「浄土」への往生を遂げられたのです。親鸞聖人は、その法然上人から放たれている「光」に触れられたのです。

 では、「聞法」はしているけれど、なかなか「信」を得られないという私たち凡夫はどうすればよいのかと申しますと、実は、そういう私たち凡夫のためにあるのが「念仏行」なのです。

 真宗には昔からこういう「道歌」が伝わっています。「信なくば、つとめて御名を、称うべし、御名より開く、信心の花」。この歌は、「浄土に往生するという確信が得られないのなら、一心にお念仏を称えなさい。お念仏を称える生活のなかから、自然に確信が得られるようになっていきますよ」という意味です。私たちは、なかなか信じられないのです。ですが、信じられないからこそ、「お念仏」を称える必要があるのです。

 私たちの一生は、はかない「夢」のようなものかもしれません。ですが、「念仏行」によって「光」に遇えば、この「夢」が、かけがえのない大切な「夢」であることに気づくのです。「光」に会えば、どうなるのか。

 親鸞聖人は『高僧和讃』(天親讃)のなかで、こう詠んでおられます。「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき…」。「本願力」とは「慈悲の光」のことです。ですから、この御和讃は、「慈悲の光に遇えば、誰もが充実した人生を送ることができる。生まれてきた目的を果たしていける」という意味でございます。

 「光の世界」に触れた者は、「本当の自分」に出会うのです。そして、その人その人の本当の「いのち」を生きることができるようになるのです。思えば、私たちは、そのために生まれてきたのですね。

 さて、来世で、浄土の光のなかに生まれることを「往生」と申します。それに対して、今生で、浄土の光に触れる体験を「廻心」と申します。「来世往生」は、すでに決まっております。伝統的な言葉で言えば、法蔵菩薩の誓願として、すでに決まっているのです。これまでの言葉で言えば、それが私たちの「命の真実」の姿なのです。ですから、私たちにとって、「往生」は、すでに問題ではありません。問題は、それが信じられるか、ということです。

 別の言葉で言えば、私たちの信仰の問題は、「往生」にではなく、「廻心」にあるということでございます。そこで、次の時間には、私たちを「廻心」に導いてくれる道、「念仏の道」について、もう少し詳しくお話し申しあげたいと思います。では、このあたりで、ちょっと休憩を挟ませて頂きます。



 ◇ 「臨死体験」関連参考文献 (文献の順序は日本での出版年度順です。)

 (1) レイモンド・A・ムーディ・Jr.
     『かいまみた死後の世界』、評論社、1977年

 (2) モーリス・S・ローリングス
     『死の扉の彼方』、第三文明社、1981年

 (3) マイクル・B・セイボム
     『「あの世」からの帰還』、日本教文社、1986年

 (4) レイモンド・A・ムーディ・Jr.
     『続 かいまみた死後の世界』、評論社、1989年

 (5) レイモンド・A・ムーディ・Jr.
     『光の彼方に』、TBSブリタニカ、1990年

 (6) ブルース・グレイソン+チャールズ・P・フリン共編
     『臨死体験』、春秋社、1991年

 (7) カーリス・オシス+エルレンドゥール・ハラルドソン
     『人は死ぬ時何を見るのか』、1991年、日本教文社

 (8) カール・ベッカー
     『死の体験』、法蔵館、1992年

 (9) ジョージ・ギャラップ・Jr.
     『死後の世界』、三笠書房、1992年

(10) 冨島一晃、『浄土物語』、PMC出版、1992年

(11) バーバラ・ハリス+ライオネル・バスコム
     『バーバラ・ハリスの「臨死体験」』、講談社、1993年

(12) 中原保、『わたしの臨死体験』、文芸春秋、1993年

(13) メルヴィン・モース+ポール・ペリー
     『臨死からの帰還』、徳間書店、1993年

(14) 立花隆、『臨死体験』(上・下)、文芸春秋、1994年

(15) フィリス・アトウォーター
     『光の彼方へ』、ソニー・マガジンズ、1995年

(16) スーザン・ブラックモア
     『生と死の境界』、読売新聞社、1996年

(17) メルヴィン・モース+ポール・ペリー
     『光の世界へ』、TBSブリタニカ、1997年




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