(2)いのちの教え

 休憩を挟みまして、2時間目でございます。

 先ほども申しましたように、私たちは、現代社会の科学的な教育を受けて育ったものですから、心のどこかで、「目に見える世界が全てだ」と思っているところがございますね。確かにね、「目に見える世界が全てだ」ということであれば、たとえば「私」というのは、この、目に見える体のことだということになる。この体が私の全てだということになれば、当然、「死ねば終わりだ」ということになってまいりますね。

 しかしですね、もしも、「生まれてきたのは偶然で、死ねば終わりだ」というのなら、そんな人生には、最初から、意味も目的も無いということになりはしないでしょうかね。「人生には意味も目的も無い」というのなら、結局は、どう生きたって同じことです。死ねば、全て御破算になってしまうのです。

 現代社会に生きる私たちが、一番不安に感じているのは、実は、そのことではないでしょうかね。私たちは、常に意識しているわけではありませんが、心のどこかで、「生まれてきたのは偶然で、死ねば終わりだ」と思っている。そして、そんな思いを握りしめて、苦しんでいるのです。

 ですがね、「いのちの真実の姿」は、そうはなっていないのです。聞法を重ねてこられた皆さんには、よくよくご承知のこととは存じますが、「浄土の教え」では、「死ねば終わりだ」とは説かれていない。「人は、死ねば浄土へと帰っていくのだ」と説かれているのです。「そしてまた、浄土の光を携えて、この世界へと戻ってくるのだ」と説かれているのです。

 目に見えるように描きますとね、私たちは、この「娑婆」に暮らしている。そして、死ねば「浄土」へと帰っていく。「浄土」というのは「光明土」とも言いますように、「光の世界」です。この「娑婆」から「光の世界」へと帰っていく姿を「往相」と言います。

 そしてまた、「浄土」の光を携えて、この「娑婆」へと戻ってくる。「娑婆」に光をもたらすために、戻ってくるのです。この、「浄土」の光を携えて「娑婆」へと戻ってくる姿を「還相」というのです。

 私たちはみな、「浄土から生まれてきて、またその浄土へと帰っていく」のです。「往相」と「還相」を繰り返しているのです。それが、私たちの「いのちの真実の姿」なのです。「輪廻転生」というのは、本当は、そのことを言うのです。

 ですが、それは、自分の力、「自力」で成し遂げていることではないのです。伝統的な言葉で申しますと、それは、「弥陀の廻向」によって成し遂げられていること。つまりは、他力の働きによるのですね。

 「阿弥陀様によって回向されている」というのは、簡単に言えば、「阿弥陀様によって与えられている」ということです。『教行信証』の教巻の最初に、「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり」と記されていますが、それは、このことです。

 ですがね、私たち現代人は、「弥陀」とか「廻向」とかいう言葉が出てきた途端に、訳が分からなくなるというところがございますね。私たち現代人には、「人が往相と還相を繰り返しているのは、仏様の与えて下さった力による」という言葉を聞いた途端に、科学的でないという思いが湧いてきまして、心をピタッと閉ざしてしまうところがある。違いますかね。

 そういう方のために申しますとね、たとえば、私たちは、芸術であれ学問であれスポーツであれ、抜きん出て才能のある人を「天才」と呼びますでしょう。「天才」というのは「天によって与えられた才能」という意味ですが、それはつまり、その人に「生まれつき備わっている力」という意味ですね。

 それと同じことなのです。「天の与えた力」と言おうと「仏の与えた力」と言おうと、同じことです。つまりは、「往相と還相が弥陀の廻向によって与えられている」というのは、「往相と還相」は、私たちの命に本来的に備わっている力だという意味です。「それが、命の自然な姿」、「いのちというのは、そうなっているのだ」という意味ですね。

 私たちは、「浄土から生まれてきて、またその浄土へと帰っていく」。それが、私たちの「命の真実の姿」であり、私たちの「命の自然な在り方」なのです。そのことを、御開山聖人は、「自然法爾」とおっしゃっています。

 御開山の御師匠様であった法然上人も、同じように思っておられました。それは、そのお名前からも分かります。「自然法爾」という言葉は、「法爾自然」とも書きます。その「法爾自然」の最初と最後の文字を採られたのが、「法然」というお名前ですね。

 私たちは、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。「いのち」というのは、そうなっているのです。「そうなっている」ということは、本当は、信じるとか、信じないとかいった問題ではないのですね。

 私たちは、何度もそれを経験してきたわけですから、当然「いのち」の奥底では、知っているのです。ですが、忘れてしまっているのですね。その、忘れてしまっていることを、思い出しなさいと教えて下さっているのが、「浄土の教え」なのです。

 「浄土の教え」の核心は、この「往相・還相」にあります。ですが、間違ってはいけないのは、死後の「往相・還相」は、信仰を持っているかどうかとは関わりがないということです。信仰を持っている人も、持っていない人も、「死ねば浄土へと帰っていく」、「光の世界へと帰っていく」のです。だからこそ、「いのちの真実」と言うのです。

 では、「信仰の生活」とは何かと申しますと、この「往相」と「還相」を、今生で実現していくことなのです。この「往相」と「還相」を今生で実現していこうとするとき、初めて、「浄土の教え」が「生きる力」となるのです。

 聞法とお念仏の生活のなかで「浄土の光」を浴びて「安心」を得ること。それが、今生での「往相」です。また、その「浄土の光」を生活のなかに持ち帰ってくること。それが、今生での「還相」です。「安心」が「生き方」となって「生活」のなかにフィードバックされるというのは、このことです。

 「還相」とは、浄土の光を、この世にもたらすことです。浄土の光がもたらされたら、この世は明るくなる。そのためにはまず、光の世界から、その光を持ち帰って来なければならないのですが、「往相」と「還相」は別にあるわけではありません。「往相」が成就されたとき、自ずと「還相」が成就されるのです。

 たとえば、ミツバチが、巣から飛び立って、花にとまり、花粉を浴びて巣へと戻って来る。そのとき、巣は、自ずと花の香りに満たされる。ちょうどそのように、「安心」を得た人には、浄土の光がある。その光が、自ずと世界を照らすのです。

 私の心が本当に安らかになれば、そのことが、そのまま、他の人の心が安らかになっていくご縁となる。私が本当に救われたら、そのことが、とりもなおさず、他の人が救われていくご縁になるということです。ですが、そのためには、ミツバチは巣から飛び立たねばならない。その、飛び立つということが、「聞法し、お念仏を称える」ということなのですね。

 聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、少しづつ「常に我を照らしたまう光」「浄土の光」への感受性が高まってくる。そうすると、今度は、出会った人のなかに宿っている「浄土の光」にも気づけるようになってくるのです。そして、人の「いのち」に託された「還相」の働きに気づくようになってくるのですね。

 私たちはみな「浄土」から生まれてきたわけですから、私たちの「いのち」には自ずから「還相」の働きが備わっているはずですが、その「浄土」から持ち帰ってきた「光」は、自分のための「光」ではないのですね。ですから、自分には、その光に気づけない。その光に気づくのは、他の誰かなのです。その光に気づく人との出会い、それが、人と人との縁というものなのですね。

 話が私事に渡りますが、今年の3月4日に、家内の兄が脳腫瘍で亡くなりました。若い分だけ進むのも速いわけでして、病名が分かって亡くなるまで、わずか4ヶ月でした。享年47歳。法名は「還相院・釈了然」です。

 この「還相院」という院号をおくったのは父親です。私には、「還相院」という院号を息子におくった義父の思いが、よく分かるような気がします。義父は、息子の「いのち」に託されていた「浄土の光」を、その臨終のときに、はっきりと感じたのです。

 「薄々感じてはおりましたが、やっぱり、あなたでしたか。我が子となって、お浄土の光を届けてくださいましたか。あなたは、私にとって還相の菩薩様でした」と。だからこそ、「還相院」という院号をおくったのです。

 私たちはみな、浄土の光を「いのち」に託されて生まれてくるのです。別の譬えで申しますと、浄土からのメッセージを託されて生まれてくるのです。私たちは、出会うごとに、「いのちの真実の姿を思い出しなさい」というメッセージを渡し合うのです。ですがね、その浄土からの便りは、七色の封筒に入っているのものですから、なかなか読んでもらえないのですね。

 七色の封筒というのは、私たちの感情のことです。浄土の光、大慈大悲の光は無色透明ですが、この私という煩悩に支配された人間を通して、その光が漏れるときには、屈折して、光に色が着いてしまうのです。

 それは、ちょうど、小学校の理科の実験で見せてもらった、プリズムのようなものです。太陽光線は無色透明ですが、三角形の分光プリズムを通すと、赤から紫までの七色の光に分かれましたね。憶えていらっしゃいますでしょうか。私たちは、あのプリズムのようなものなのです。

 光に色を着けるのは、私たちの煩悩ですが、その煩悩のお陰で、無色透明で見えなかった浄土の光が、目に見えるようにもなるのですね。ですから、逆に言えば、赤色の光が見えるということは、その奥に、無色透明の光があるという証拠でもあるのです。

 たとえば、赤い光が「腹立ち」、青い光が「喜び」、黄色い光が「悲しみ」だとしますとね、誰かと出会って腹が立った、喜んだ、悲しい思いをしたというのは、そういう感情をまとって、大慈大悲の光が、働き出てくださっているということなのです。そのことに、私たちはなかなか気づけませんけれど、腹立ちも、悲しみも、喜びも、その全てが、大切なことへの気づきの縁を秘めているのですね。

 たとえて言えば、私たちは、出会うたびに、いろんな色の封筒を渡し合っているのです。ですが、私たちは、その封筒の色に、腹を立てたり、喜んだり、悲しんだりするばかりで、なかなか、その封筒を開けて見ようとはしません。せいぜいが、自分に喜びを与えてくれる好きな色の封筒と、思い出したくもないという嫌いな色の封筒を仕分けるくらいのものですね。

 今日、ここにお集まりの皆さんも、おそらく、大切な方を亡くすという経験をなさったことが、おありではないかと思います。そんな皆さんの心の中にも、出会いのなかで届いた手紙が、開かれないまま山のように残っているのではないでしょうか。

 開かれないまま残っている手紙の山。私たちの日常の言葉で言えば、それは「思い出」ということになります。「思い出」を、外から眺めている限り、愚痴や繰り言しか湧いてきません。どうぞ、皆さん、その封筒を開いてご覧になってくださいね。

 家内の父は、息子からの封筒を開いたのです。開いてみると、赤い封筒も、青い封筒も、黄色い封筒も、なかにはみな、白い紙が入っていた。お浄土からの、ご催促の便りが入っていたのですね。

 「あのとき腹が立ったことも、あの時喜ばせてもらったことも、また、あのとき悲しい思いをしたことも、すべては、お浄土からのお諭しでしたか」と、手を合わせて、義父が息子におくったのが、あの「還相院」という院号だったのです。

 義兄は47歳で逝きました。決して長い人生ではありませんでしたが、仏の目から見れば、義兄には、何もやり残したことは無いのです。ここから先のことを、私たちに残して逝くことが、義兄の最後の仕事だったのです。

 人は、幾つで逝っても、何もやり残したことは無いのです。人は、浄土から携えてきた手紙を配り終えると、また、浄土へと帰っていくのです。そこから先は、私たちの仕事です。残された私たちの仕事は、その手紙を、間違いなく読むことなのですね。

 子供を授かるご縁というのは、尊いものですね。子供だけではありません。人との出会いにご縁を感じるということは、何よりも尊い経験ですね。人との出会いに偶然はない。人との出会いは、聖なる出会いです。私たちが、わざわざ、この不自由な肉体をまとって娑婆に戻ってくるのは、この、人との出会いを求めてのことですね。

 たとえば、重い潜水服を身につけて暗い海に潜るのは、真珠を探すためですね。真珠を見つけたときの感動は、真珠の涙となってあふれてくるのです。ですがね、人に「還相の光」を感じられるのも、また、「浄土の教え」を聞かせて頂いているお陰、「往相」が廻向されているお陰なのですね。

 「往相・還相」を身近に引き寄せて言えば、「お念仏」を喜んでいる姿、仏法を喜んでいる姿、それが「往相」なのです。そして、仏法を喜ぶ人がご縁となって、また仏法を喜ぶ人が生まれてくる、その働きを「還相」というのですね。

 ちょっと余計なことを言うようですが、皆さんは、「歎異抄に聞く会」のメンバーでいらっしゃるわけですが、明治以降、仏教書で一番よく読まれたのは「歎異抄」だと聞いております。今でも、「歎異抄」を読む会や勉強会が、日本中いたるところにございます。それだけ「歎異抄」に惹かれる方が多いということですが、私が不思議に思いますのは、その割には、お念仏を称える方が増えてこないということです。

 「歎異抄」というのは、お念仏を勧める本ではなかったでしょうかね。お念仏を勧める本を読んで、お念仏が出てこないというのでは、ザルで水をすくっているようなものです。「歎異抄」に限らず、仏教書というものは、お念仏を称える生活のなかで読んでこそ意味があるのです。皆さんも、どうぞお念仏を大切になさってくださいね。

 何度も言うようですが、私たちは、「命の真実」とは違った思いを握りしめて、「命の自然な姿」に背いて生きているから苦しいのです。「死ねば終わりだ」という思いを握りしめて、生活にしがみついて生きているから苦しいのです。

 聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、「本当は、そうではないのだ。私たちは、死んでも終わらないのだ。私たちはみな、死ねば浄土へ帰っていくのだ。魂の故郷である浄土へ帰っていくのだ」と、心の底から納得できたとき、「死ぬことへの不安」は解消されます。「死ぬことへの不安」が解消されたとき、初めて、私たちは、本当に生きることができるようになる。心安らかに生きることができるようになるのです。

 「四苦八苦」の根本は「死ぬことへの不安」にある。ですから、「死ぬことへの不安」が解消されれば、老いていく日々を楽しめるようになり、病からも学べるようになる。そして、生まれてきたことを、喜べるようになるのですね。

 また、これほど憎い人と一緒に暮らさねばならないというのは、よほど、私はこの人に縁があるの違いない。きっと、この人は、私に何か伝えるために生まれてきた人に違いないと、そのご縁を大切に思えるようになるでしょう。

 愛しい人との別れでも、これが永遠の別れではない、また「お浄土」で会えるのだと知るでしょう。求めても得られないときにも、ああ、これは今生では私に授かっていないのだと納得できる。「私が、私が」と言ってはみても、本当は、私もあなたもないのだ。みんな「お浄土」への旅仲間なのだと気づけるのではないでしょうかね。

 聞法とお念仏の生活のなかで、「死ぬことへの不安」が解消されたとき、「安心」を得たと言います。信仰の生活というのは、この「安心」を得て、心安らかに生きることを言うのです。何度も余計なことを言うようですが、信仰の生活というのは、観光バスでお寺巡りをすることではないのです。

 以前、こんな話を聞いたことがあります。ある旅行会社が、全国の有名な「ポックリ寺巡り」のバスツアーを企画したところ、沢山の参加者があった。ところが、帰りのバスのなかで、ひとりのお爺さんがポックリ亡くなった。まさに霊験あらたかだったわけですが、それ以来、この「ポックリ寺巡り」のバスツアーは取り止めになったといいます。お客さんが集まらなくなったのです。

 というのはですね、「霊験あらたかなのは結構だけれど、ポックリ逝きたいのは今ではない」ということらしいのです。それなら、いつならよいのかといえば、「もっと年をとって旅行にも行けなくなり、身体が不自由になって、自分のこともできなくなったとき」だといいます。これではどうも、自分の都合ばかり言っているようで、信仰とは程遠いような気がしますね。

 そうではなくて、たとえ、寝返りひとつままならず、排便さえも家族や他人に頼るしかないようになっても、その状況を我が身にきちんと受けとめていくことができる。それが信仰の生活ではないでしょうかね。

 たとえば、35歳で脊椎カリエスで亡くなった明治の歌人、正岡子規は、亡くなる少し前の日記に、こう書いています。「私は今まで禅宗のいわゆる悟りということを誤解していた。悟りということはいかなる場合にも平気で死ぬることかと思っていたのは間違いで、悟りということはいかなる場合にも平気で生きていることであった」(『病床六尺』)と。

 正岡子規は、門徒さんではなくて、曹洞宗の信者さんでしたが、禅宗であろうと真宗であろうと、同じことです。「いのちの真実」に、宗派の違いはありません。仏教だけでなくて、キリスト教であってもそうですね。

 このあいだ、ヘルマン・ホイヴェルスという神父さんの書かれた『人生の秋に』という本を読んでいて、こういう詩に出会いました。「最上のわざ」という詩です。お手許の資料にも載せておきましたので、どうぞご覧になりながら、お聞きください。

「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり、
働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、
失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架をになう。

若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役だたずとも、
親切で柔和であること。

老いの重荷は神の賜物、
古びた心に、これで最後のみがきをかける。
まことのふるさとへ行くために。
おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、
真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、
それを謙虚に承諾するのだ。

神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。
けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。

すべてをなし終えたら、
臨終の床に神の声をきくだろう。
「来よ、わが友よ、われなんじを見捨てじ」と。

 いかがですか。素晴らしいとは思われませんでしょうか。信仰の深まっていく境地というのは、仏教でもキリスト教でも、変わりはありませんね。

 「おのれの十字架をになう」というのは、私たち仏教徒の言葉では、「宿業を生きる」とか、あるいは「お任せの人生」と言うところでしょう。また、「まことのふるさとへ行くために」というのは、「お浄土へ帰るために」というのと同じことですね。

 この詩には、何も難しいことは言われていないように見えますけれど、実際には、なかなか難しいことですね。たとえば、「楽しい心で年をとり」とありますが、皆さん、如何でしょうか。楽しい心で年をとっておられますでしょうか。「人生、楽しいのは若いうちや。年をとったら、つまらんもんや」という話をよく聞きますが、如何ですかね。

 「働きたいけれども休み」。これも、なかなか難しい。「まだまだ若い者には負けない。死ぬまで現役で働く」とおっしゃる方が少なくない。違いますかね。

 「しゃべりたいけれども黙り」。これが、またまた難しい。特に、ご婦人方にですね。これは北陸のあるご院さんからお聞きした話ですが、「姑」という漢字は「女偏に古い」と書くのだと思っておりましたら、そうではなくて、あれは、「女偏に十口」と書くのだそうです。一口言えばすむところを、十口言いうのが「姑」だそうです。まあ、何もご婦人方だけではありませんで、私たちはみな、手足が衰えても、口だけは最後まで達者なものですから、「しゃべりたいけれども黙り」というのは、なかなか難しいですね。

 「人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり」。これまた、たいへんに難しいことですね。恩義せがましく人の世話をすることならできても、卑屈にならず、謙虚に人の世話になることは、まことに難しいことですね。

 どれもこれも大切なことですけれど、ただ、こういったことは、そつなく生きていくための処世術ではないのですね。そうではなくて、信仰の生活の中から自然に生まれてくる姿、人としての完成を目指す生き方のなかから自ずと滲み出てくる姿なのです。信仰の生活というのは、キリスト教徒にとっては、祈りの生活ですし、私たち仏教徒にとっては、お念仏の生活ですね。

 キリスト教の「祈り」で最も深いのは、「みわざがなされますように」という祈りだと聞きました。「みわざがなされますように」というのは、「全てを、お任せします」という意味です。つまりは、キリスト教の「祈り」もまた、私たちの「お念仏」と同じように、「生かされて生きているいのち」を憶念する祈りなのですね。

 この詩にも読み取れますように、「私が、私が」と言っている「私」は、「エゴ」なのです。「私がこれをする、私があれをする」と言うのをやめて、「お任せします。何であれ、起こることが起こりますように」と、全てを受け入れる準備が整ったとき、そこに自然に癒しが始まり、救われていくのです。

 「全てを受け入れる」。それは、「私が必要とすることではなく、私に必要なことが起こってくる。私が必要とするものではなく、私に必要なものが与えられる」という、「いのち」への無条件の信頼です。この「無条件の信」を深めていくこと、それが「信仰の生活」なのです。

 別の言葉で申しますと、常に「みわざがなされている」ことへの気づきを深めていくこと、「常に我を照らしたまう光」への感受性を高めていくこと、それが「信仰の生活」なのです。

 さて、私たちは、「何処から来て、何処へ行くのか」と言えば、「浄土から生まれて来て、また、その浄土へと帰っていく」のです。「何のために生まれてきたのか」と言えば、「往相と還相のために生まれてきた」のです。心安らかに、光のなかで、人生を経験するために生まれてきたのです。

 「浄土から生まれて、また、その浄土へと帰っていく」と申しましても、これはまだ、ただの言葉でしかありません。ですが、聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、感じることが出来るようになっていきます。感じるけれど、分からない。分からないけれど、感じる世界がある。その、感じる世界をしっかり受けとめること。それが信じるということなのです。

 私には、分からないながらも、感じている世界がある。とはいえ、常にその世界を感じているかと言えば、そうではないのですね。小さな安心を得て喜んでいるのも束の間で、いつのまにやら、またぞろ、生活にまぎれていく。そして、あいもかわらず「生活の問題」に頭を悩ましている自分がいるのです。

 信心を頂いたら、それで迷いは無くなるかと言えば、そうではないのですね。信心を頂いていても、「迷っては気づき、迷っては気づき」の繰り返しです。ですが、「迷っては気づき、迷っては気づき」を繰り返しながら、信心が深まっていく。信心が深まるにつれて、気づくのが速くなってくる。信心が深まるにつれて、私を照らして下さっている光への、感受性が高まってくるのです。

 信仰の生活とは、気づきの生活です。気づきというのは、大慈大悲の光のなかで世界を見るということ、仏の目で世界をみるということです。光は、常に私たちを照らしている。ただ、私たちは、まだ感受性が低いために、なかなか、その光に気づけないだけなのですね。

 日々の新聞やテレビを見ても、私たちを取り巻く世界は、黄昏に向かっているように感じます。しかし、そんな黄昏のなかでこそ、私を照らす光が、はっきり見えてくるのです。照らし出された私が見えてくるのです。思えば、今こそ、聞法の時なのですね。

 さて、そろそろ2時間目の話を終わる頃合いかと思います。午後の3時間目は、「人のなかに浄土の光を感じる」ということを、もう少し具体的にお話ししたいと思っております。では、これで、しばらく休憩させて頂きます。




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