釋昇空法話集・第15話

常照我

生活の危機、人生の危機

(西暦2000年問題を御縁として)

(1999年9月23日 永代経法話)
 本日は、お忙しいところを、ようこそお参りくださいました。私が、皆様の前でお話しさせて頂くようになりまして、今回が15回目でございます。今日もまた、仏法の話をさせて頂くわけですが、この仏法の話というのは、なかなかお解りにくいもののようでして、なかには、私が、「ここからが仏教の話です」と言ったとたんに解らなくなると、おっしゃる方もおられます。

 まあ、仏法が解らなくとも生活はできるわけですから、生活だけが問題になっている間は、なかなか御縁が開けてこないということかもしれませんね。ですが、人生は、生活だけでできているわけではないのでして、いずれ、どなたにとっても、生活ではなくて、人生そのものが問題になる日がやってくると思うのです。その時の縁(よすが)となることを願って、お話し申し上げたいと思います。

 今日は、ご案内のように、「常照我 …生活の危機、人生の危機(西暦2000年問題を御縁として)」という題でお話しさせて頂くわけですが、まずは、人生と生活はどう違うのかというところから、お話しすることにいたします。

 さて、では、人生と生活はどう違うのか。この問題をお考え頂くのに、ぴったりの話がありますので、まずは、その話をご紹介いたします。

 大正から昭和の初め頃にかけて、大阪城の修理が行われたことがあります。その頃のことです。あるとき、内務大臣だった望月圭介が東京から視察にやってきました。この望月圭介という人は、広島県の出身で、熱心な安芸門徒だったそうです。

 お昼時に、一人でぶらりと現場にやってきた大臣は、大工さんたちの前に立って、こう問いかけた。
「毎日御苦労さんですね。あなた方は毎日そうやって、一所懸命に働いていて下さるのだが、一体何のために働いているのかね」と。

 妙な質問でしたが、相手は大臣ですから、答えないわけにはいきません。
「そりゃあんた、働かんことには金もらえませんがな」
「なるほど、そりゃそうだ。誰だって働かぬものには賃金はくれんからね。それなら、その金をもらってどうするのかね」
「もちろん、米を買うのだよ」
「なんのために、米を買うのだね」
「そりゃあんた、食うためですがな」

 大工さんたちは大笑いですが、大臣はまじめな顔でさらに聞きます。
「なんのために、食うのかね」
「食わなんだら死にますがな」

そのとき望月さんは、ひとこと、こう言った。
「そんなら、食うておったら死なんのかね」
一同唖然として、二の句がつげず、口のなかでモゴモゴと、
「食うておっても死ぬ、食うておっても死ぬ」とつぶやいた、ということです。

 いかがですか。笑い話のような逸話ですが、実は、よく味わって頂きたい大切な話なのですね。働いて賃金をもらい、米を買って食べないと死ぬ。そこで問題になっているのは「生活」なのです。ところが、食べていたら死なないのか、という問いかけで問題になっているのは「人生」なのですね。

 同じ「死」というものを問題にしながら、大工さんたちは、それを「生活の危機」として捉えている。別に、この大工さんたちだけではなくて、私たちはたいていそうですね。ところが、望月さんは、それを「人生の危機」として捉えているのです。

 別の言葉で言えば、かたや、何とか避けたいものとして「死」から目を背けているのに対して、かたや、何としても避けられないものとして「死」を見つめている。いわば、顔を向けている方向が違うのです。仏教の話が解りにくいという本当の理由は、まずは、このあたりにあるのですね。話を進めます前に、ちょっとこちらの図をご覧になってください。

 赤い棒の両端に黄色い団子がくっついているような図です。左端の黄色いマルには「生」と書いてあります。「誕生」ですね。そして、もう一方の右端の黄色いマルには「死」と書いてあります。「死亡」です。人生というのは、この左端の黄色いマルから始まって、右端の黄色いマルまでを言います。では、生活とは何かと申しますと、生活というのは、この赤い棒の部分だけを言うのです。

 仏法は、人生全体を問題にしています。それも、とりわけ、人生を両端から規定している「生死」を問題にしているのです。ところが、私たちは、そうではない。私たちが悩んだり苦しんだりしているのは、たいてい、人生の問題ではなく、生活の問題なのですね。この赤い棒の部分だけです。そこで、仏法が解らないということになってくるわけです。

 「生活」には、「生きたい、生き延びたい、生き残りたい」という欲求しかありません。ですが、「生き延びたい」といっても、寝たきりの病人になっては、いくら長生きしても仕方がない。そこで、「健康が大事」ということになってくる。しかし、いくら健康で長生きしても、それだけでは退屈で仕方がない。そこで、次には、「生き甲斐が大切」ということになってくる。

 そのうえ、「生き延びたい、生き残りたい」という欲求だけを握りしめて世界を見れば、当然、「この世は、生き残りを賭けた競争の世界」に見えてしまいます。つまり、「この世は、適者生存、弱肉強食の世界だ」ということになるわけです。そして、誰もが、もっと豊かな生活、もっと便利な生活、もっと快適な生活を求めて、競争し始めるのです。これが「生活」しか眼中にない場合の、お定まりのコースです。

 では、このお定まりのコースの行き着く先は、どうなっているのか。実は、私たちの期待に反して、人類滅亡という断崖絶壁になっているのです。人類絶滅というのは、たとえ話ではありません。言葉どおりの意味で、申し上げております。

 私たちは、これまで、「生きようとする盲目的な意志」に導かれ、もっと豊かな生活、もっと便利な生活、もっと快適な生活を求めて、つき進んできました。その結果、自然が破壊され、環境が汚染され、地球が死にかかっているのです。私たちは、自然の一部です。自然が死に絶えたら、人間も死に絶えるのです。

 「盲目的な意志」に操られている私たちには、どのくらいものが見えていないか。たとえば、「自然が死に絶えるとき、人間も死に絶える」と申しましたが、皆さんは、「自然が死に絶える」まで、あと何年くらい残されているとお考えになりますか。いかがですか。あと何年残されていると思われますか。1000年? 2000年? 10000年?

 実はです、私たちが、もっと豊かな生活、もっと便利な生活、もっと快適な生活を、これまでどおりに求め続けていったとしたら、あと30年、長くて50年で、自然が死に絶えてしまうと言われています。自然が死に絶えるというのは、人間が住めない環境になるということですが、実際に、環境破壊は、もうそこまで進んでいるのです。

 たとえば、地球温暖化の問題です。これは二酸化炭素やフロンといったガスが大気中に増えて、地球の温度が上がるという問題ですね。こういったガスは、経済活動によって、大気中に排出されます。つまりは、私たちが、豊かで、便利で、快適な生活を求めれば求めるほど、二酸化炭素やフロンが増えていくのです。

 実際、工場や火力発電所やゴミ焼却所、自動車や飛行機から出る二酸化炭素の量は膨大なものです。そのため、すでに過去100年間で地球の平均気温が0.5度上昇していますが、このままでいけば今後100年間でさらに3度程度上昇すると予想されています。

 「いや、私は寒がりだから、暖かくなるのは結構なことだ」と思われる方もおられるかもしれませんが、そういう問題ではないのです。気温が上昇すると、南極などの氷が溶けることで、海面が上昇するのです。

 この海面の上昇は、何年もかかってジワッと起こるのではないのです。たしかに、最初はジワッと始まります。ですが、その後、突然、大津波が起こって、一瞬にして陸地を飲み込んでしまうかも知れないのです。その理由は、南極にあります。

 南極の氷は、岩盤の上にしっかり固定されているわけではなくて、摩擦やバランスで止まっているだけです。平均2500メートルもある分厚い氷の底の部分では、巨大な重力のために氷が溶けて水になっている。つまりは、氷は岩盤の上で水に浮いているような状態になっているのです。岩盤の表面にある凸凹にひっかかって、からくも止まっている。それが南極の構造なのですね。

 つまりは、もう少し氷が溶ければ、ひっかかりがはずれて、氷はズルリと海の中に流れ込むことになる。そうなると、世界中に巨大な津波が押し寄せることになります。その津波は、高さが数十メートル、時速は300キロメートル以上になると言われています。日本と南極はほぼ1万キロ離れておりますから、津波は約30時間で日本に到達します。

 ところが、現在、日本の海岸地帯には、43基の原子力発電所と、たくさんの石油コンビナートがあるのです。こういった施設が津波で倒壊すれば、どうなるのか。考えるだけでも恐ろしくなります。

 そして、数日後に津波が引いたとき、海面は70メートル上昇しているのです。氷は溶けなくとも、岩盤の上から海中に落ち込むだけで、瞬時に海面が上昇します。たとえば、お風呂に入ったら、身体の体積分だけ水面が上昇するでしょう。あれと同じことです。

 この間もNHKの特集で放送されておりましたが、南極では氷の溶け方が、予想を遙かに上回って速くなっている。たとえば、昭和基地の近くにある白瀬氷河は、かつては年間2〜3メートルしか動いていませんでしたが、ここ数年では、年間2500メートルも動いているのです。そのうえ、氷に大きな亀裂が生まれ、南極の氷全体が地震のように常に揺れているという報告が、すでに4年前に出されています。これまでには無かったことです。このままでいけば、遠からず最悪の事態になるかもしれません。

 もちろん、世界でも、二酸化炭素の排出量を削減しようという運動が行われています。1992年には、世界の百カ国以上が、ブラジルの地球サミットに集まり、「地球温暖化防止条約」に調印しました。日本も、調印しております。ところが日本は、その2年後に、国連に、こういう中間報告書を送りました。

 「二酸化炭素の排出量を削減するという公約は達成不可能である。最大限の努力をしても3.1パーセント増加する」という内容です。その理由として、何と書かれていたか、ご存じですか。実は、「経済成長を維持するためには、二酸化炭素の削減は不可能」と書かれていたのです。どういう意味かお解りでしょうか。「生命よりも金が大事だ」と言っているのです。信じられないくらい愚かな話ですが、私たちは、「生命より生活」「生命より金」と公言して恥じないほど、目が見えなくなっているのです。

先日も、新聞に、「地球の温暖化対策はもう手遅れだ」という国連の報告が載っておりましたが、実際、地球の環境破壊は、断崖絶壁の手前まで来ています。すでに世界の森林の76パーセントが失われ、ダイオキシンが母乳を汚染し、環境ホルモンが精子を殺し、食糧危機が目の前に迫っています。それだけでも大変なことなのに、つい最近、世界中の人々は、もうひとつの大問題に気づいたのです。それは、コンピュータが西暦2000年の1月1日に誤作動を起こすという、いわゆる「西暦2000年問題」です。

 「西暦2000年問題」という言葉をお聞きになったことがおありでしょうか。日本のマスコミは何故か真剣に取り上げてきませんでしたが、これは2〜3年前から世界中で大騒ぎになっている問題なのです。ご存じない方のために、簡単にご説明いたします。

 これまで、コンピュータのプログラムでは、4桁の西暦を下2桁で表すという方法が採られてきました。たとえば今年は西暦1999年ですが、上2桁の19を省略して、99という数字だけで表すわけですね。

 2000年になると、下2桁は00となります。ところが省略されている上2桁は19なのですから、コンピュータは、2000年ではなく、1900年として処理することになるのです。そうすると、どうなるのか。コンピュータはダウン(停止)してしまうか、誤作動を起こします。ここまでは、お解りになりましたでしょうか。

 現在、世界には3億台以上のコンピュータが稼働しています。このうち、70パーセントから80パーセントのものには、この2000年問題があると言われています。まあ、家庭で使っているようなパソコンは、このさい目をつぶるとしても、社会にとって重要な場所で稼働している大型コンピュータが、たとえば日本で100万台前後、アメリカでは400万台前後もあるのです。修正するにも、時間や、資金や、プログラマーが、圧倒的に不足している。

 そのうえ、最近になって、もっと大変なことが解ってきたのです。それは、コンピュータのプログラムソフトだけに問題があるのではなくて、様々なところに組み込まれているマイクロチップにも問題があるということです。

 マイクロチップというのは、ゲジゲジのような形をした、指先くらいの小さなコンピュータですが、これはたいていの電気製品に組み込まれています。「マイコン制御」と書かれているものは皆そうです。

 たとえば、湯沸かし、炊飯器、ファンヒーター、エアコン、テレビ、ビデオ、電話といった家電製品から、自動車、飛行機、タンカー、ミサイル、発電所などにいたるまで、それこそ、ありとあらゆるところに、マイクロチップが組み込まれているのです。

 たいていのご家庭には数十個のマイクロチップがある。自動車にも20個から50個のマイクロチップが使われている。ジャンボジェットにいたっては、1機に500台のコンピュータと16000個のマイクロチップが使われていると言います。「うちにはコンピュータなんか無いから大丈夫」という問題ではないのですね。

 では、こういう状態で2000年の1月1日を迎えたら、どういうことが起こるのか。実は、何がおこるのか正確なところは誰にも解らないのです。人類が初めて経験する問題ですから、正確な予測は誰にもできない。たとえて言えば、風が吹いてくるとして、その風が、春風程度でおさまるものか、あるいは大風になって世界中で吹き荒れるものか解らない。ただ、何も起こらないということだけは、まず無い。

 では、どんなことが起こる可能性があるのか。これは「可能性」でして、絶対そうなるということではありませんから、どうぞ、そのつもりでお聞きくださいね。

 まずは、たとえば、空焚き防止装置の付いた風呂で、水が入っていないのに突然火が着くとか、ファンヒーターの温度調節がきかなくなってどんどん熱くなるということも起こるかもしれません。そうなると、火事が起こりやすくなる。

 また、自動車に乗っていて、アクセルを踏んでいないのに急にスピードが上がり出す。あるいは、ブレーキを踏んでも止まらない、ということも起こるかもしれません。信号機がおかしくなって、全部「青」になってしまったら、どうなるでしょうね。交通事故も起こりやすくなる。そうですね。

 まあ、その程度のことで終われば、たいしたことではありません。ですが、西暦2000年問題には、最悪のシナリオもある。東西の冷戦は終わりましたが、核爆弾を積んだ大陸間弾道弾などは、今でもすぐに発射できるようになっている。アメリカでも国防総省の対応が一番遅れているのですが、旧ソ連では、経済危機の影響もあって、まったく対応がとれていない。一発でもミサイルが誤射されたら、人工衛星の警戒システムが自動的に作動して、何が起こるか解らない。

 また、原子力発電所の問題もあります。アメリカなどでは、年末に発電を停止するかもしれません。ただ、発電を停止するといっても、簡単なことではないのですね。原子炉の炉心を常に冷やしていないと大変なことになる。ですが、冷却するためには電力がいる。そのために、108カ所あるアメリカの原子力発電所には、みなディーゼル発電機が2台づつ設置されています。年末に止めるかもしれないと申しましたのは、アメリカが、そのディーゼル発電機用の重油60日分の備蓄を始めているからなのです。

 ところが、旧ソ連の原子力発電所には、そんな緊急用のディーゼル発電機は設置されていません。そのうえ、旧ソ連では、冬の暖房用の電力を全て原子力発電でまかなっている。あんな寒い国ですから、真冬に発電を止めてしまえば凍死者がでる。止めるに止められないという事情もあるわけです。となると、何が起こるか解らない。

 では、日本はどうかと申しますと、先進国のなかでは日本が一番危険です。日本はいつから2000年問題に取り組んでいるかと言えば、去年の9月からです。それも、あんまり対応が遅いので、しびれをきらせたアメリカから大統領補佐官が飛んできて、小渕さんの尻をたたいたから、ようやく腰を上げたというような状態です。

 ところが不思議なことに、それからわずか2,3ヶ月後に、政府は、「日本では何も問題はない、一部対策の必要な箇所も2000年までには対応できる、原発も心配ない、飛行機も大丈夫」と、言い出したのです。

 5年前から取り組んでいるアメリカが、もう間に合わないと手を挙げて、危機対策を考え始めているのに、日本では政府も企業も「大丈夫、大丈夫」の大合唱です。まあ、本当だったら有り難いことですが、皆さんは、どうお考えになりますでしょうね。

 政府は「大丈夫、大丈夫」と言っていますが、日銀などは、間に合わないと考えているようです。何故かと言えば、たとえ日銀だけが対応できてもダメだからです。世界中の銀行や証券取引所、企業、政府機関などが、全てコンピュータで網の目のようにつながっていて、一カ所でも対応がとれていないと、連鎖的にトラブルが起こってくるからです。実際、中小企業では、ほとんど対応がとれていない。下請けの中小企業がつぶれたら、当然、親会社の大企業もただではすみません。

 特に、日本には不安材料が多いのです。というのも、日本は、エネルギー資源のほぼ100パーセント、食糧のほぼ70パーセントを輸入に頼っているからです。

 日本が石油を輸入している中東の産油国では、2000年問題への対応が絶望視されています。つまりは、石油の生産が止まるかもしれないということです。たとえ、産油国が大丈夫で、石油が生産されても、はたして輸送タンカーが動くかどうか分からない。

 もしタンカーが動いても、日本の石油精製プラントが稼働できるかどうか分からない。オイルショック以来、政府と企業で約6ヶ月分の原油を備蓄するようになりましたが、原油がいくらあっても、石油精製プラントにトラブルが起これば、重油もガソリンも手に入らなくなります。

 食糧でも、事情は似たようなものです。国連の食糧農業機関(FAO)も、「2000年問題によって、世界の農業・食糧供給が脅かされている」という声明を発表しています。それでも、政府や企業は「大丈夫、大丈夫」と言っている。本当でしょうか。

 ひょっとすると、日本でも、電気やガスや水道が止まるかもしれません。政府はパニックを恐れて黙っているのかも知れませんが、黙っていて手遅れになった場合の方が、パニックになるのです。だいたい、何事につけ、政府の対応は遅すぎます。たとえば、何年も前から、2010年までに世界的な食糧危機が起こるという予測が発表されているのに、日本ではいまだに減反政策が続いているのです。こんなことをやっているのは、世界中で日本だけですよ。

 2010年まで、まだ10年あります。食糧が不足し始めてからでは、とても間に合いませんが、今ならまだ間に合う。10年あれば、これまで減反政策で休耕田になった場所を復田することもできるはずです。危機情報は、速い時期から徹底的に知らせてこそ、パニックを避けることができるのです。GNPが世界一の日本で、「経済成長だ、景気回復だ」と寝ぼけたことを言っていると、国が滅びてしまいますよ。

 まあ、ちょっと余計なことまで言ってしまいましたが、話を戻しまして、では、私たちは、あと100日でやってくる西暦2000年問題に、どう対処したらよいのでしょうか。たとえば、アメリカの赤十字では、少なくとも1週間分の、食料、水、燃料、薬品の備蓄をするように勧めていますし、イギリスの通産省では、2週間分の備蓄を勧めていますが、アメリカの専門家は、少なくとも半年分の備蓄を勧めると言っています。

 日本の政府も、10月中に、「万一のトラブルに備えて、各家庭でも2,3日分の飲料水や食料を備蓄するように呼びかける」ことにしているそうですが、政府の呼びかけを待っている必要はありませんので、ひとことアドバイスをさせて頂きます。

 まず、銀行業務が停止するかも知れせんから多少の現金を手元に置いておくこと。次に、食料、水、燃料、薬品を備蓄して、懐中電灯やラジオを準備すること。真冬ですから暖房のこともお考えになっておかれた方がよいかも知れません。また、年末年始には、外出を控え、火事に気を付け、ニュースに耳を傾ける。そして、困ったときには助け合う。私たちにできるのは、ひとまず、そんなところです。

 どれくらいの期間を想定して備蓄するかは、各自のお考え次第です。先にも申しましたように、実際には、たいしたことは起こらないかも知れませんが、何もなければ、備蓄分を食べていけばよいだけです。火災保険や、自動車保険と同じように、一種の保険だとお考えになればよいかと思います。備蓄は買い占めではありませんので、冷静に。また、年内は、まず物流が止まるという心配はありませんから、ゆっくり準備なさってください。まだ100日ありますからね。

 さて、そこで、皆さんに、改めてお考え頂きたいのです。ここまで長々とお話しして参りました「環境破壊の問題」や「西暦2000年の問題」は、生活の問題なのでしょうか、それとも、人生の問題なのでしょうか。…… 実は、生活の問題なのですね。

 ですから、まあ、本当は、行政がすればよい話でして、ことさら坊さんがしなくともよいのですが、私たちが「もっと便利な生活、もっと快適な生活」と一所懸命になっている、その「生活」が、実は、風前の灯火だということを、ともかく知っておいて頂きたかったのです。そして、そのうえで、お考え頂きたかったのです。

 「環境破壊」が進み、「西暦2000年問題」が最悪のシナリオをたどれば、私たちは生きてはおれません。しかし、では、「環境問題」が解決して、「2000年問題」が無事乗り越えられたら、私たちは死なないのかと言えば、そうではありませんね。やっぱり、いずれは死ぬのです。私たちは、食べないと死ぬ。ですが、食べていても死ぬのです。これで、ようやく最初の話に戻りましたね。実は、ここからが、本日のメインです。

 「食べていても死ぬ」。このことを、改めて思い出させてくれたのが、今回お話しいたしました「西暦2000年問題」です。今年の春のお彼岸が終わって、少し時間ができましたので、それまで気になっていた「2000年問題」について調べ始めました。最初はたいした問題ではないと思っていたのですが、調べれば調べるほど、これは大変だということになった。専門家のなかには、「停電の後で東京が猛火につつまれる、そんな悪夢にうなされる」と言う人までいる。

 そこで、まずは火事が心配だということで、4本あった消化器を全部詰め替えてもらい、さらに1本買い足しました。それでも不安で、消化用のホースを買い、防火バケツを買い、食糧はどうする、水はどうだ、あれも要るか、これも要るか、といった具合で、6月いっぱい、バタバタバタバタと走り回っておりました。ところが、あるとき、急に、「なーんだ、どうでもいいんだ」という思いが湧いてきて、スッと心が軽くなったのです。

 「どうでもいいんだ」といっても、それは、決して投げやりな思いではなかったのですが、何故、そういう思いが湧いてきたのか、自分にも分からなかった。不思議な気持ちがしまして、思わず考え込んでしまいました。「どうでもよい」というのは、一体、どういうことなのかと。しばらく、自分の心の流れを探っているうちに、ようやく分かった。準備が出来ていても、出来ていなくとも、結局は、同じことなのです。「食べていても死ぬ」のです。

 準備が出来ていなかったら、食べられなくて死ぬかもしれません。では、準備が出来ていたら死なないかといえば、そうではありませんね。飢えて死ぬということはないかもしれませんが、いずれは死ぬということに変わりはない。つまりは、「食べていても死ぬ」のです。結局は同じことです。「どうでもいいんだ」という思いが湧いてきたのは、本当の問題が見えてきたからなのです。

 「食べていても死ぬ」ということは、誰もが避けることの出来ない人生最大の現実です。私たちは、たとえどんなに長生きしようとも、いずれ死ぬのです。お釈迦様でも80歳でお亡くなりになったのです。ですが、そこには「死ぬことへの不安」は無かった。「死ぬこと」は避けられなくとも、「死ぬことへの不安」は解消できる。仏教がめざしているのは、「命の真実の姿」を伝えて、この「死ぬことへの不安」を解消することです。

 「死ぬことへの不安」が解消されたとき、仏教の言葉で、「安心(あんじん)」を得たと言います。「安心」というのは「安らかな心」と書きます。私たちは、これを「あんしん」と読みますが、「あんしん」と「あんじん」は違います。

 「あんしん」というのは、「生活の危機」が解消することです。たとえば、病気になったときの不安、お金が無いときの不安です。こういった不安が解消されると、私たちは安心する。病気が治ると安心する。お金が出来ると安心する。そうですね。それに対して、「あんじん」というのは「人生の危機」が解消すること、「死ぬことへの不安」が解消することなのです。

 「2000年問題」で右往左往した後で、ようやく気づいたのです。本当の問題は、「2000年問題」ではなかった。「人生の危機」こそ問題だった。「2000年問題」は、そのことを思い出させるための方便として、私に与えられたものだった。そこで本当に問われていたのは、「死ぬことへの不安が解消されているか」ということだった。つまりは、仏法にお育てを頂いてきたはずの、私の「安心」こそが問われていたのです。

 思えば、「生活」の上に起こってくる様々な問題は、みんな、私たちへの問いかけなのです。私たちは、常に問われているのです。ですが、その、問われていることに気づけるのもまた、仏法を学んできた、聞法してきたお陰なのですね。

 聞法していないと、「生活」が「人生」につながらない。「人生」とは「生活」のことだと思い込んでしまいます。「生活」には、「生きるための不安」しかありません。生き残れるか、サバイバルできるかという不安です。「死ぬことなんか絶対に考えたくない、一所懸命に生きることだけを考えている」と言っている間は、この「生きるための不安」しかありませんが、実は、この不安こそが、世界を破滅に導くもとなのです。

 たとえば、アメリカには、サバイバリストと呼ばれる人々がいます。核戦争に備えて、頑丈なシェルターを造り、食糧や水を山のように蓄えて、生き残りをはかっている人々です。ですが、実際に戦争になれば、食糧や水を求める人々が最初に襲いかかるのは、そういったシェルターです。そのことを知っているものですから、彼らは、これまた山のように武器弾薬を蓄えている。ピストルや、ライフル、機関銃は言うに及ばず、なかには個人で、大砲やミサイル、戦車や攻撃用ヘリコプターまで持っている人までいます。

 不安が不安を呼んで、シェルターは今や要塞と化し、買い物に行くのにも、迷彩服を着込んでジープで出かけるという有様です。西部開拓時代から、自分のことは自分で護るという伝統のあるアメリカでも、さすがにこれには眉をしかめていますが、考えてみれば、サバイバリストの精神構造も、東西の冷戦を生み出した人々の精神構造も、同じなのですね。彼らを駆り立てているのは、「生きるための不安」なのです。

 「生活」があって「人生」がない人間を、「修羅」と言います。修羅の行く先には「地獄」しかありません。

 問題は、いたずらに生き延びることではない。人生は、サバイバルではないのです。人生で大切なのは、「食べていても死ぬ」という、限りある生命を、如何に生きるかということなのです。食べられる時でも、食べられない時でも、私たちは、常に問われている。その状況のなかで如何に生きているかという、「生き方」を問われているのです。

 一度、お考えになって頂きたいのですが、「如何に生きているか」と問われると、私たちは何と応えるでしょうか。 … おそらく、「一所懸命に生きている」と応えるのではないでしょうか。

 私たちは、「一所懸命に努力するのは尊いことだ」と教えられてきました。たしかに、それには違いないでしょう。ですが、私たちがみな、「もっと便利な生活、もっと快適な生活」と、物質的に豊かな生活を求めて、一所懸命に努力してきた結果、今、世界はどうなっているのでしょうか。環境破壊が進み、人類絶滅の瀬戸際まできているのです。何かおかしいとは思われませんでしょうか。

 そこで一度、「一所懸命」という文字を思い出してみてください。一所懸命というのは、「一つの所」に命を懸けるということ、命懸けになるということですね。そこで、問題なのは、どこに命を懸けているのかということです。私たちが命を懸けてきた「一つの所」とは何だったのでしょうか。「生き方」を問われているというのは、この「一所」を問われているということです。

 「人は教育によって作られる」とよく言われますが、私は、教育で一番大切なのは、この「一所」を教えることではないかと思いますね。もしも、子供の頃に、「食べていても死ぬんだ」という、この一言だけでも教えられて育ったら、世界はもっと違っていたと思うのですね。

 いかがですか、皆さんは、「食べていても死ぬんだから、しっかりしなさいよ」と言われて育ったのでしょうか、それとも、「食べられないと死ぬんだから、しっかりしなさいよ」と言われて育ったのでしょうか。お考えになってみてくださいね。

 私たちはたいてい、「食べられないと死ぬんだから、しっかりしなさいよ」と言われて育ちます。私たちはたいてい、「目に見える世界が全てだ」と教えられて育ち、「死ねば終わりだ」と思っていますね。しかし、そういう「生命観」には、「食べていても死ぬんだ」という言葉を受けとめるだけの力がないのです。

 「死ねば終わりだ」と思っている私たちの目には、「死」の先には何も見えません。「死」の先には、底なしの暗闇が広がっているだけです。そんな底なしの暗闇が恐くて仕方がないものですから、私たちは、そこから必死で目をそらせて生きています。「死」に背を向けて、「生活」にしがみついて生きているのです。

 「食べていても死ぬんだ」という言葉は、そんな私たちに、「振り向け」と言っているようなものです。「死ねば終わりだ」「死の先には、底なしの暗闇が広がっているだけだ」と思っている私たちには、これほど恐ろしい言葉はありません。「死ぬ」というのは、私たちが一番聞きたくない言葉なのですね。

 しかし、「死ぬ」ということは、誰もが避けられない、人生最大の現実なのです。そこから目をそらせているのは、誤魔化しているだけのことです。ですが、この現実を受けとめるためには、「命の真実」という大きな受け皿が必要なのですね。

 では、その「命の真実」とは何か申しますと、それはです、私たちは、「死んでも終わらない」ということです。私たちはみな、死ねば、「光の世界」へと帰っていくのです。私たちは、その「光の世界」から生まれてきて、また、その「光の世界」へと帰っていくのです。それが、「命の真実の姿」なのです。

 私たち門徒は、その「光の世界」を「浄土」と呼んでいます。私たちは、死んでも終わらない。私たちはみな、「浄土」から生まれてきて、また、その「浄土」へと帰っていくのです。そのことを教えて下さっているのが、「浄土の教え」なのです。

 とはいえ、それが「命の真実」だと言っても、真実だというだけでは、実は、何にもならないのですね。たとえば、南極は寒い所だということは真実ですが、それは真実には違いないけれども、私たちの生活実感とは何の関係もないようなものです。真実だというだけでは、生きていく力とはならないのです。

 「浄土の教え」を何度も何度も聞いていくなかで、死ぬことを恐れている自分に気づき、「浄土の教え」を信じられるようになっていく。そして、ついには「死ぬことへの恐れ」が無くなり、「安心」を得る。そうなったとき、初めて、「命の真実の教え」「浄土の教え」が、人生を支える力となる。どんな状況のなかでも平気で生きておれるだけの力となるのです。

 私は、「2000年問題」を御縁として、改めて、「浄土の教え」の力に気づかせて頂きました。有り難い御縁だったと思っております。

 「2000年問題」に限らず、人生には様々な問題が、次から次へと起こってきます。私たちは、そういった問題に、悩み苦しみながら生きているわけですが、次から次ぎから問題が起こってくるということは、とりもなおさず、聞法への御催促を受けているということなのです。

 聞法への御催促というのは、「仏の教えを聞きなさい。そして、その問題を、仏の光のなかで見てごらん」という、命の奥底からの呼び声です。どうぞ、その呼び声に耳を傾けて頂きますように。仏の光は、常に私たちを照らしているのです。私たちは、なかなか、その光に気づけないだけなのです。

 この上に掛かっております扁額にも「常照我」と書かれておりますが、これは『正信偈』に出てくる言葉です。『正信偈』には、「大悲無倦常照我」と書かれていますね。「大悲無倦常照我」というのは、「大悲の光は、倦むことなく、常に我を照らしたもう」と読みます。

 もともとは、源信僧都の『往生要集』に出てくる言葉でして、「阿弥陀様の大悲の光は、信心の人を、倦むことなく、常に照らして下さっている。常に照らして下さっているというのは、常に護って下さっているということである」という意味です。

 「阿弥陀様は、信心の人を、常に護ってくださっている」のです。ですが、残念ながら、私たちは、たいてい「信心の人」とは言いにくい生き方をしておりますから、この「信心の人」というところが読み取れないのですね。そこで、「信心の人」をいう言葉を飛ばして、「阿弥陀様は、…私を、常に護って下さっている」と理解してしまうのです。

 そんな私たちが、護って欲しいと願うのは、どんなときでしょうか。病気になったときとか、お金に困ったときですね。病気になれは、何とか病気が治りますように、お金に困れば、何とかお金が手に入りますように。家内安全、無病息災、交通安全、商売繁盛、武運長久、戦勝祈願。違いますかね。そんな私たちは、心のどこかで、そういう自分にとって都合のよい願いを叶えてくださるのが、仏様の仕事のように思っているところがある。

 ところが、実際には、いくら仏様に願ってみたところで、そうそう自分に都合のよいことばかりが起こるわけではない。そこで、「人生、何十年も生きてきたら、この世に神も仏もないことくらい、身を以て分かる」というような、見当違いのことを言う人もでてくるわけです。

 ですが、それは違うのです。「常照我」とは、言葉どおり「常に我を照らしたまう」という意味です。「常に我を照らしたまう」とは、どういうことか。それは、こういうことです。ここに懐中電灯があります。これは「西暦2000年問題」に備えて買ってきた懐中電灯ですが、こういう具合に、頭の上から私を照らす。これが「常照我」です。

 光が私を照らしている。暗闇の中で照らし出された私には、何が見えますか。暗闇の中で照らし出された私に見えるのは、今の今まで見えていなかった、この私自身の姿なのです。「もっと豊かな生活、もっと便利な生活、もっと快適な生活」と、「生きようとする盲目的な意志」に操られて、「生活」に命懸けでしがみついて生きている、そんなお粗末な私の姿なのですね。

 私たちは、「煩悩」という自前の懐中電灯を持っていましてね、それで外ばかり照らしている。人のアラを探してみたり、何か面白いことはないか、何か美味いものはないかと、あたりを照らし回っている。仏の光は、そうではないのですね。仏の光に照らし出されているのは、そんなふうに迷っている、この私の愚かな姿なのですね。

 ある人が、信心を喜ぶ人に、こう尋ねました。「あんたは、有り難い、有り難いと、お念仏を称えているが、信心の功徳というのは、どんなものかね」と。すると、その人はこう答えたと言います。「お粗末な我が身であると知らせて頂いたことです。ナマンダブ、ナマンダブ」と。

 また、念仏者で有名な木村無相さんの詩に、こんな言葉があります。「煩悩具足のぼろ家に、南無阿弥陀仏が住みついて、灯りがついて、ぼろ家のおんぼろが見えまする、南無阿弥陀仏と見えまする」。『念仏詩抄』という詩集に出てくる言葉ですが、この、「灯りがついて、ぼろ家のおんぼろが見えまする」というのは、大慈大悲の光に照らされて、初めて我が身の「愚かさ」が見えましたということでしょうね。

 自分の愚かな姿に気づかせてもらうと、安らかな心になる。といっても、これは、「愚か者」とひとこと言われるだけでも腹が立つ、そんな私たちには、なかなか理解しにくいところですが、ひとつ、こんなふうにお考えになってみたらどうでしょう。

 たとえば、殺人なり強盗なりの犯罪を犯して、懸命に逃げていた犯人が、時効の寸前に捕まったという話を聞くことがありますね。そんなとき、犯人は、たいてい「捕まってホッとした」と言うそうです。逃げている間は、一瞬たりとも心の安まる時はなかった。何とか生き延びようと必死になっていた。だが、もう、そんなサバイバルのために苦しまなくともよい。

 あまり適当な「たとえ」ではないかもしれませんが、仏の光に捕まって、自分の愚かな姿に気づかせて頂いたときに生まれる「安らかな心」は、この、犯人が捕まったときの安堵感に似ていると、お考え頂いたら、さほど、的はずれではないと思います。

 私たちにとって一番難しいのは、自分の愚かさに気づくことです。人生を忘れて、生活に右往左往している、そんな愚かな自分の姿に気づくことです。その一番難しいことに気づかせてくださること、それこそ仏の慈悲なのですね。そういう意味では、この「大悲無倦常照我」という言葉も、「大悲とは、倦むことなく、我を照らしたもうことなり」と読むべきではないかと思いますね。

 自分の愚かな姿に気づかせてもらうと、安らかな心になると申しましたが、本当に、自分の愚かさに気づいたら、「自分を笑える」と思うのですが、いかがですか。本当に自分を笑える人は、人を笑わない。人を責めない。そういう人の傍にいると、ホッとする。心が安らぐ。温かい人というのは、そういう、自分の愚かさを笑える人のことではないでしょうかね。

 自分を笑うことをユーモアと言います。温かい人にはユーモアがある。それに対して、他人を笑うことをウイットと言います。ウイットには、棘がある。人を笑うことは簡単ですが、本当に自分を笑うことは難しいのです。自分を笑うには、大きなエネルギーが要るのです。そのエネルギーは、生命の奥底から湧いてくる。その生命の奥底から湧いてくるエネルギーこそ、常に我を照らしたまう光なのです。

 大悲の光に照らされて、「生活」が「人生」にまで深められ、ついに「安心」を得たとき、今度は、その「安心」が、生活のなかに、「生き方」となってフィードバックされてくる。心を満たした光が、外へあふれ出てくるのです。ユーモアに、人をホッとさせる明るさがあるのは、そのためでしょうね。

 「安心」を得ると、「生き方」が変わります。というのは、私たちは、「死ぬことへの不安」があるから、「死」に背を向けて「生活」にしがみついて生きているのですが、「安心」を得て「死ぬことへの不安」が無くなれば、「生活」にしがみつく必要も無くなります。そこで、自ずと「生き方」が変わってくるわけです。

 「生き方が変わる」と言っても、やっぱり、「一所懸命」に生きることに変わりはありません。変わるのは、「一所懸命」の「一所」の方なのです。信仰に生きる人は、その「安心」が、命を支える「一所」となるのですね。

 「安心」を得た人は、心安らかに、本当の自分を生きることができるようになり、命が輝いてくる。その命の輝きが、世界を照らす光となるのです。「浄土の教え」の本当の意味は、そこにあるのですね。言葉を変えて言えば、「安心」を「一所」として生きること、そのことの大切さを教えているのが「浄土の教え」なのです。

 これまで何度か、「浄土の教え」を、「往相・還相」という言葉を使って、お話ししたことがありますが、憶えておいででしょうか。その「往相・還相」で言えば、「浄土の光」を浴びて「安心」を得るというのが「往相」です。

 また、「還相」というのは、その「浄土の光」を生活のなかに持ち帰ってくることです。「安心」が「生き方」となって「生活」のなかにフィードバックされるというのは、そのことです。私たちは、この「往相」と「還相」のために、生まれてきたのです。

 「還相」とは、浄土の光を、この世にもたらすことです。浄土の光がもたらされたら、この世は明るくなる。私たちは、そのために生まれてきたのです。私たちは、人の心に光をもたらすために生まれてきたのです。

 そのためにはまず、光の世界から、その光を持ち帰って来なければならないのですが、「往相」と「還相」は別にあるわけではありません。「往相」が成就されたとき、自ずと「還相」が成就されるのです。

 たとえば、ミツバチが、巣から飛び立って、花にとまり、花粉を浴びて巣へと戻って来る。そのとき、巣は、自ずと花の香りに満たされる。ちょうどそのように、「安心」を得た人には、浄土の光がある。その光が、自ずと世界を照らすのです。

 私の心が本当に安らかになれば、そのことが、そのまま、他の人の心が安らかになっていく御縁となる。私が本当に救われたら、そのことが、とりもなおさず、他の人が救われていく御縁になるということです。ですが、そのためには、ミツバチは巣から飛び立たねばならない。その、飛び立つということが、聞法するということなのですね。

 臨死体験をすると、光の人が現れて、「意味のある人生だったか、有意義な人生だったか」と問うそうですが、有意義な人生とは、どんな人生でしょうか。私は、よく考えるのです。死の床にあって、一生を振り返ったとき、有意義な人生だったと思えるのは、どんな人生だろうかと。ああでもない、こうでもないと考えて、いつも最後には、こんなふうに思うのです。

 自分が生きていたことで、誰かの心に光をもたらす御縁となれたら。涙を流していた誰かの顔に、微笑みが戻ってくる御縁になれたら。あとはもう、「どうでもいい」ように思えるのですね。何でもない平凡なことのようですが、私は、人として生まれてきたことの意味は、そこにこそあると思うのですね。

 私たちは、「何処から来て、何処へ行くのか」と言えば、「浄土から生まれて来て、また、その浄土へと帰っていく」のです。「何のために生まれてきたのか」と言えば、「往相と還相のために生まれてきた」のです。心安らかに、光のなかで、人生を経験するために生まれてきたのです。

 「浄土から生まれて、また、その浄土へと帰っていく」と申しましても、これはまだ、ただの言葉でしかありません。ですが、聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、感じることが出来るようになっていきます。感じるけれど、分からない。分からないけれど、感じる世界がある。その、感じる世界をしっかり受けとめること。それが信じるということなのです。

 私には、分からないながらも、感じている世界がある。とはいえ、常にその世界を感じているかと言えば、そうではないのですね。小さな安心を得て喜んでいるのも束の間で、いつのまにやら、またぞろ、生活にまぎれていく。そして、あいもかわらず「生活の問題」に頭を悩ましている自分がいるのです。「西暦2000年問題」で右往左往している自分がいるのですね。

 ですが、「浄土の教え」に御縁を頂いたおかげで、その迷いの森の暗闇のなかにも、木漏れ日のように光が射し込んで来る。そして、その光に照らされたとき、「ああ、この生活の問題は、私への問いかけだったのか」と、気づくのです。

 「西暦2000年問題」は、私への問いかけとして与えられたのです。改めて、私の「生き方」が問われたのです。「一所懸命」の「一所」が問われた、「安心」が問われたのです。「安心」が問われたということは、仏法に問われたということ。仏法に問われたということは、そのとき、仏の光を感じたということです。

 信心を頂いたら、それで迷いは無くなるかと言えば、そうではないのですね。信心を頂いていても、「迷っては気づき、迷っては気づき」の繰り返しです。ですが、「迷っては気づき、迷っては気づき」を繰り返しながら、信心が深まっていく。信心が深まるにつれて、気づくのが速くなってくる。信心が深まるにつれて、私を照らして下さっている光への、感受性が高まってくるのです。

 信仰の生活とは、気づきの生活です。気づきというのは、大慈大悲の光のなかで世界を見るということ、仏の目で世界をみるということです。光は、常に私たちを照らしている。ただ、私たちは、まだ感受性が低いために、なかなか、その光に気づけないだけなのですね。

 西暦2000年の1月1日には、たいした問題は起こらないかもしれませんが、それでも世界は、黄昏に向かっているように感じます。先日の新聞によれば、地球環境の悪化を示す「環境終末時計」は午後9時8分を指していると言います。午後9時8分といえば、もう、かなり暗くなっている。しかし、暗闇のなかでこそ、私を照らす光が、はっきり見えてくるのです。照らし出された私が見えてくるのです。思えば、今こそ、聞法の時なのですね。

 「生活」があって「人生」のない人間を、「修羅」と言います。もしも、私たちが「修羅」のまま突き進めば、この世は、遠からず地獄になる。とはいえ、たとえ、地獄のただなかにあろうとも、そこに一輪の花となって咲く。白い蓮の花となって「安心」の光を放つことができる。本当は、それこそが、念仏者の生き方ではないでしょうか。

 「たとえ明日が地球最後の日であろうとも、私は、今日、庭に木を植える」と言った人がいます。たとえ明日がどうであれ、光は常に我を照らしたもうのです。どうか、私たちが、その光に気づけますように。私たちみんなが、御仏の御加護に気づけますように。

 本日は、「2000年問題」を御縁として、改めて気づかせて頂いたことを、まとまりもなくお話し申し上げましたが、これで終わらせて頂くことにいたします。長い間、お付き合いくださいまして、有り難うございました。御縁がありましたら、また、ご一緒に聞法させて頂けるよう念じております。有り難うございました。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。



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