本日は、お忙しいところを、ようこそお参り下さいました。また、お目にかかる御縁を頂戴いたしましたこと、有り難く存じております。 まず最初に、お詫び申し上げねばなりません。この報恩講には、例年、福井の柿原専教寺の御老院、般若了徹師にお話し頂くことになっておりまして、今年もその予定で、皆様にご案内申し上げておりましたが、どうしてもお寺を離れられない用事が起こりまして、本年は、お越し頂けないことになりました。「般若先生のお話が聞ける」と思って、お参り下さった方もおいでのことと存じますが、どうぞご寛容を頂きますよう、お願い申し上げます。 実は、お越しになれないと分かりましたのが、一週間ほど前のことでして、急遽、私にお鉢が回ってまいりましたような次第でございます。「予定は未定」とはよく言ったものでして、娑婆は、何が起こっても不思議でないところではございますが、そういう事情でございまして、いささか準備の行き届かない、まとまりのない話でございますが、どうぞ、しばらくのあいだ、お付き合いくださいませ。 さて、本日は、「報恩講」でございますが、この「報恩講」というのは、親鸞聖人の祥月命日のお勤めでございます。ご案内にも書かせて頂いておりますように、浄土真宗のご開祖でいらっしゃる親鸞聖人のご遺徳を讃え、ご恩に感謝する法要でして、私たち真宗門徒にとりましては、一年のうちで最も大切な法要でございます。 親鸞聖人は、平安時代の末期、承安3年(1173年)に、京都の宇治の近くの日野の里というところでお生まれになり、弘長2年(1262年)11月28日に90歳でお亡くなりになりました。 お亡くなりになったのは、親鸞聖人の弟である尋有という人の僧坊だったと伝えられておりますが、その、おおよその場所は、柳馬場御池を少し上がったところ、現在の市立柳池中学校の敷地内にあたります。現在は、そこに「見真大師遷化之旧跡」という石碑が建っております。見真大師といのは親鸞聖人のことでございます。 「大師」というと、私たちは弘法大師しか思いつきませんけれど、親鸞聖人にも見真大師というお名前がございます。大師というのは、大導師という言葉の略でございますが、この「大師号」というのは、もともと天皇がお付けになるものでして、我が国での大師号の始まりは、弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)のころからだと言われております。ちなみに、法然上人は円光大師と申します。 親鸞聖人は、亡くなる前に、「私が死んだら、遺骸は賀茂川に流して、魚の餌にしてくれ」と、遺言されました。ですが、この遺言は守られませんでした。ご遺体は荼毘にふされて大谷にお墓が建てられました。その墓所が基となって、大谷廟堂が出来、本願寺が出来たわけです。 つまりは、親鸞聖人の遺言は守られなかったわけですが、同じように、お釈迦様の遺言も守られなかったのですね。お釈迦様は、「私が死んだら、お前たちは、私の遺骸の処理などに関わることなく、一刻をも惜しんで修行に励め」と、遺言なさいました。ですが、摩訶迦葉(マハーカッサパ)を始め多数の弟子たちが葬儀を執り行い、遺骨は8つの国に分けられました。そのお骨を納めたお墓がストゥーパです。卒塔婆というのは、もともと、このストゥーパの形を写したものですが、そのストゥーパを中心に、仏教は発展していきました。 お釈迦様の場合も、親鸞聖人の場合も、その遺言が守られないところから、仏教が広まっていったのです。「聖と俗」という言葉で言えば、お釈迦様や親鸞聖人は「聖」の世界におられ、私たちは「俗」の世界にいる。そして、その「聖と俗のはざま」に、仏教があり、私たちの宗教的生活があるわけです。 このことは、私たちが、仏教徒としての日々の生き方を考えるうえで、非常に大切なことだと思います。そこで今回は、「聖と俗のはざまに」というテーマで、私たちの宗教的生活について、ご一緒に考えてみたいと思います。 さて、親鸞聖人は11月の後半に一週間ほど病の床にあって、28日にお亡くなりになりました。そのためにというわけではありませんが、東本願寺では、毎年11月21日から28日のご命日までの七日間、「報恩講」を勤めることになっております。 お西では、新暦に改めて1月9日から16日までの七日間に勤まります。現在の季節感から申しますと、ちょうど、このお西の報恩講が勤まるころに、お亡くなりになったわけですね。 私たち門徒は、本来、この本願寺様の報恩講にお参りすることになっておりますから、一般の寺院では、「お取り越し」と申しまして、それより早めに報恩講を勤めることになっております。 元々は、一般の寺院でも、報恩講は七日間勤めることになっておりましたが、時代の変化に伴って、それが5日間になり、3日間になり、2日間になって、ついには1日となりました。その1日の法要も、朝昼晩の3座勤まるのが普通でしたが、今や、京都などの都会では、たいていは1座だけになってしまいましたね。 まあ、何も、一日の法要がダメで七日の法要が良いと言っているわけではございませんが、七日勤まるには七日勤まるだけの宗教的エネルギーが門徒さんにあるということでございますから、それはすごいことだなあと思いますね。 私たち門徒の法要というのは、いつも申しますように、亡くなった方の追善供養のためとか、冥福を祈るために勤めるわけではないのです。そうではなくて、亡くなった方への感謝の思いや、追慕の思いを御縁として集まり、改めて仏様と向き合い、聞法するためでございます。 それは、この報恩講でも同じです。今日、私たちは、親鸞聖人の追善供養と思って集まっているわけでも、冥福を祈っているわけでもございませんね。報恩講というのは、親鸞聖人のご命日を御縁として集まり、聖人がお勧めになった「お念仏の教え、浄土の教え」を、心を開いて真剣に聞く機会なのでございます。 とはいえ、真剣に聞くには、真剣に聞きたいという欲求がないと聞けないのですね。「欲求」というのは、求める思いのことです。求める思いが無いと、聞けない。というより、聞いても、聞こえてこないのですね。 昔から言われることですが、「馬を川まで引っ張っていくことはできるが、水を飲ませることはできない」のです。喉が乾いて苦しんでいる馬なら、ほっておいても、自分で水を探して飲みます。ですが、水を飲みたいという欲求のない馬に、水を飲ませることなどできませんね。その馬にとっては、水は、求めているものではないのですから、たとえ川の傍にいようとも、水に関心はないわけです。 私たちも、そうなんですね。金や地位や名誉や、美食や娯楽を求め、健康が大事、生き甲斐が大切といって、「生活」だけが問題になっている間は、仏法を求める思いは生まれてこないのかもしれません。ですが、「人生」は「生活」だけでできているわけではないのでして、いずれ、「人生」そのものが問題になる時がやってくると思うのです。そのときの手がかりとして、今、水を飲みたいと思っていなくとも、水飲み場の在処を知っておくことは、大切なことではないかと思うのですね。 求める思い、つまり欲求ですが、私たち人間には、おおまかに申しまして、4つの欲求がございます。まずは、(1)肉体的欲求です。たとえば、食欲、性欲、睡眠欲などがそうですね。次には、(2)精神的欲求です。これは、まあ、知的な好奇心と言ってもよいかと思います。そして、次には、(3)感情的欲求です。これは、不快なものを避けて、心地よいものを求める思いのことですね。そして、最後は、(4)宗教的欲求です。宗教的欲求というのは、「聖なる世界」を求める思いのことです。 この「聖なる世界」を求める思い、宗教的欲求が無いと、仏法の話を聞いても心に響かない。つまりは、大切なことが聞こえてこないのですね。「聖なる世界」を求める思いというものは、「俗なる世界」のなかで苦しんでいるという自覚から生まれるわけですが、私たちは、たいてい、この自覚に欠けているのです。ですから、「聖なる世界」を求める思いが生まれてこないのですね。 今日は、その「聖なる世界」への手がかりについて、お話させて頂くわけですが、まずは、こちらの図をご覧になってください。これは、さきほどお話しいたしました四つの欲求を、同心円で表したものです。中心の円が「肉体的欲求」、二番目の円が「精神的欲求」、三番目の円が「感情的欲求」、そして、その外側に広がる領域が「宗教的欲求」です。
「宗教的欲求」というのは、この図でお分かりになるように、「私があなたにつながりたい」「みんながひとつになりたい」という、「一如」をめざす欲求です。それは、人間がもっている一番崇高な欲求です。 「宗教的欲求」が生まれるためには、「宗教的感情」を育てる教育が必要なのですが、私たちは果たして、そういう「宗教的教育」を受けて育ったでしょうか。言葉を換えて言えば、「世界中の人が等しく幸せになれる道がある」と教えられて育ったでしょうか。それとも、「競争によって勝った者だけが幸せになれる」と教えられて育ったのでしょうか。よくお考え頂きたいところですね。 私たちはたいてい、「世界中のみんなが幸せになれる道など無い」と考えています。それは何故かと言えば、そういう教育を受けてきたからなのですね。私たちは、人生は競争だと教えられて育ちます。そして、そういう価値観で世界を見れば、自然は競争原理で成り立っているように見えてくる。つまりは、「自然界は、適者生存、弱肉強食の世界だ」というわけです。ですが、先入観を離れて、虚心に自然をながめてみれば、とても、そうは思えないことが沢山あります。 たとえばですね。アフリカの草原に棲むライオンなんかを見ましても、空腹のときにしか狩りをしません。狩りはライオンにとっても危険な作業ですから、むやみに狩りなどしないのです。トラやライオンが狩りに成功するのは、20回に1回程度だと言われています。つまり、成功率5パーセント程度なんですね。ですから、しきりと狩りをしているように見えるのですが、実際には、腹がふくれてしまえば、あとは木陰でゴロゴロ寝ているだけなのです。それを知っているものですから、満腹のライオンのそばをシマウマが悠々と歩いているということもあるわけですね。 野生動物の世界は殺し合いの世界のように見えるかもしれませんが、彼らは決して、殺戮や闘争に明け暮れているわけでも、際限なく弱いものを殺して食べ続けているわけでもないのです。空腹を満たす分だけ食べれば終わりです。これは何もライオンに限ったことではありません。ネズミでもスズメでも、ネコでもイヌでも同じです。 また、こんな話を聞いたことがあります。アメリカのアリゾナ州にある自然公園で、シカを増やすために、シカの天敵であるオオカミなどの肉食獣を全部殺してしまうということがありました。すると、最初は計画通りシカは増えましたけれど、今度はあまりに増えすぎて、シカがストレスでバタバタ死んでいったのです。そして、ついには、食糧不足で、シカはほとんど全滅してしまったということです。 この世が弱肉強食の世界だというのなら、天敵のオオカミがいなくなれば、シカは幸せに暮らせるはずですが、そうはならなかった。シカが生きていくためには、オオカミが必要だったのですね。 もうひとつ具体的なお話しをいたします。これはテレビで見た話ですが、大阪大学の四方俊幸という先生が、適者生存という考え方に疑問を持たれて、ひとつの実験をなさいました。実験的に強い大腸菌と弱い大腸菌を作り、ひとつのビンに入れて育ててみたのです。適者生存という考え方から言えば、そのうちビンのなかでは、弱い大腸菌が死に絶えて、強い大腸菌で一杯になるはずでしたが、実際には、そうはなりませんでした。一定の割合を保ちながら、強い大腸菌も弱い大腸菌も生き続けたのです。 自然界の法則は、決して弱肉強食や適者生存ではなく、共生と調和なのです。その、共生と調和の自然界を見て、私たちは、弱肉強食の世界、適者生存の世界だと考えているのです。私たちの目は、果たして世界の真実の姿を見ているのでしょうか。 「この世は弱肉強食の世界だ、適者生存の世界だ」という考え方は、世界の真実ではありません。そういう考え方は、400年ほど前のヨーロッパで、人々が「聖なる世界」に背を向けて「俗なる世界」に没頭するようになってから生まれたものなのです。そして、そのときから、自然界の共生と調和が崩れだしたのです。 それから400年。今や、自然界の共生と調和は、極めて危ういところまできています。前回お話しいたしました「環境破壊」の問題ですね。私たちは、これまで、もっと豊かな生活、もっと便利な生活、もっと快適な生活を求めて、誰もが競争してきましたが、その結果、地球の環境破壊が進んで、人類滅亡の瀬戸際まできているのです。 たとえば、二酸化炭素の排出による地球温暖化の問題がそうですが、それでも政府は、「経済成長を維持するには、二酸化炭素の削減は不可能だ」と言っている。つまりは、「命より金が大事だ」と、言っているのですね。そんな「命より金だ」という煩悩に支配された社会は、自然に反している。決して、私たちを幸せにはしないと思うのです。 環境問題とは少し異なりますが、「薬害エイズ」の問題でもそうでしたね。厚生省が、製薬会社の利益のために、エイズウイルスに汚染された血液製剤を野放しにしていた問題です。以前、当時の厚生省の役人だった郡司篤晃(あつあき)さんと、被害者の川田龍平さんの対談がテレビで放映されました。ご覧になった方もおいでかと思います。 そのなかで、川田さんが郡司さんに、「あなたは、悪いことをしたと思いませんか」と質問しました。それに対して、郡司さんは、「悪いことをしたとは思っていない。企業が利益を追求するのは、あたりまえでしょう」と答えていましたね。「あなたの生命より、企業の利益の方が大切」とは、一体、厚生省というのは、何のためにある役所でしたかね。 こんな話はいくらでもあります。これは、今、世界の紛争地帯で問題になっている対人地雷を扱った、NHKの特集番組で見た話です。そのなかで、地雷を開発したアメリカ企業の人が、こう話していました。 「自分の作った地雷で、どれだけ多くの人が死んだか知らないが、そんなことは、どうでもよい。自分は、軍の命令で、一所懸命に開発しただけだ。私は自分の仕事に誇りを持っている」と。とても、正気な人間の発言とは思えませんが、実は、日本でも、この対人地雷を作って輸出しているのですね。 私たちの進んできた道は、間違っていたのではないでしょうか。戦後、私たちが進んできた道を絵に描いてみましたので、ちょっとこちらをご覧ください。 まずは、経済発展の道です。アスファルトの敷かれた快適な登り道を、次々に立派な車に乗り換えて、猛然と進んできました。ところが急に、でこぼこの下り坂になってしまった。バブルの崩壊ですね。そこで、私たちは悪路に強い四輪駆動のジープに乗り換え、さらに突き進みました。つまり、リストラや合併です。 ところが、道はどんどん悪くなっていくばかり。どうやら、ジープでは、これ以上進めそうもない。そこで、今度は、戦車に乗り換えようとしている。「日の丸、君が代」や、最近パタパタと決まってしまった一群のキナ臭い法律などは、その準備ではないでしょうかね。ですが、何に乗り換えてみたところで、この道を進む限り、断崖絶壁に行き着くことに変わりはないのです。 思えば、私たちの進んできた道は、最初から間違っていたのではないでしょうか。戦後の日本は、東洋の奇跡と言われるくらい、目覚ましい復興と経済発展をとげました。その理由は、もちろん私たち日本人が勤勉だったということもありますが、それだけではありません。戦後まもなく、朝鮮戦争が起こり、続いてベトナム戦争が起こりましたね。日本が経済的に豊かになった理由のひとつは、あの時の、朝鮮特需、ベトナム特需にあるのです。 朝鮮やベトナムから膨大なお金が流れ込んできた。日本は、それで一躍経済大国への足がかりを築いたわけですが、考えてみれば、その時流れ込んできたのは、朝鮮やベトナムの人々の血や涙でぐずぐずに濡れたお金だった。それでも私たちは、どんな金でも、金は金だとばかりに、喜々として経済大国への道を歩んできたのです。 そして、今や、経済大国となった日本には、解決の糸口すら見つからない問題が山積みになっています。私たちはみな、何故こんなことになったのか解らないと、首をひねってばかりいますが、実は、そんなに難しい問題ではない。もともと、人の血や涙でぐずぐずに濡れたお金で、健全な社会や、健全な子供が育つと考える方がおかしいのです。 健全な社会や、健全な子供たちを育てようと思えば、「生命より金だ」というのではなく、「金より生命だ」という、あたりまえのことに目覚めねばなりません。たったこれだけのことなのです。ですが、いったん骨の髄までしみ込んだ考え方というのは、なかなか変えられませんね。 以前、この寺の季刊紙であります『菩提樹』に、「ワイズマンをめざせ」という記事を載せたことがあります。そこで、アメリカ先住民の、こういう言葉をご紹介しました。「周囲の人たちと正しくつきあっているならば、ひとり裕福になれるわけがない。周囲の人を欺くことなしに、裕福になれる道はないのだから」と。 すると、この言葉を読んだある方が、こうおっしゃいました。「ご院さん、やっぱりインディアンでも、人をだまさんと金持ちにはなれんと言うとりますな」と。私は、「なるほど、そういう読み方もあるのか」と、正直、驚きました。「金持ちは人をだましたよこしまな人間だ」という賢者の言葉を、「金持ちになろうとしたら人をだますしかない」というように、金持ちになる心得として読まれたのですね。 こんな調子ですから、環境破壊が問題になればなったで、それに便乗して一山あてようとする人々がでてくる。老人医療が問題になれば、またそれで稼ごうとする人がでてくるわけです。 科学の進歩で、世界はひとつになったといいますが、それは、世界のみんなが仲良くなったということではありませんね。金儲けのチャンスが増えた、競争相手が増えたというだけのことです。要は、誰もが自分の利益のことしか頭にない。「勉強するのは、あなたのためよ」と、お母さんは、よくおっしゃいますが、「あなたのため」というのは、世界のためではない。自分の利益のためですね。 競争社会で自分の利益を大切にしようと思えば、「自分はこう思う、自分は正しいのだ」と、自己主張しなければなりません。日本人は、この自己主張が下手ですから、これまでも外国との交渉で、かなり損をしてきました。そこで、文部省の発想では、学校でも自己主張の技術、つまりディベイティングの技術を教えようということになるわけです。 しかし、言葉による討論というのは、一見民主的で公正な問題解決手段のように思えますが、実際には、「言い負かした方が勝ち」という、一種の力業です。つまりは、言葉による格闘技なのです。格闘技というのは「修羅」の技術です。その証拠に、言葉で勝てなかったら、結局は爆弾を落とすことになる。アメリカを見れば分かりますね。 「自分はこう思う、自分は正しい」。特に教えられなくとも、私たちはそう思いがちですが、自分を押し通して何か得をしたというような経験が重なっていけば、そんな思いにますます磨きがかかってまいります。ですから、街でちょっと車が擦れ合っただけでも、飛び出してきて、「お前が悪い」と大声で怒鳴り合うようなことになるのです。 ご承知のように、こんなことになったのは、ごく最近のことです。以前は、「やあ、すみませんね」と、互いに謝り合ったものでしたが、「外国では決してそんなことはしない」と、妙な知恵を吹き込まれて、私たちは、世界に通じる国際人となるために、大声で怒鳴り合うようになったのですね。「自分は正しい」と大声で主張しないと不幸になる。ですが、本当は、そういう経験を積み重ねてきていることこそ、不幸なのではないでしょうか。 横着に出て何か得をしたという経験を重ねますと、人はどんどん横着になっていく。この間も、仏教大学の前の通りで、こういうことがありました。Uターン禁止の所ですが、そこでUターンを狙っている車がいた。ラッシュの車の流れの間を強引にUターンをした。その時、歩道で見ていた人たちが、一言、「やったらできるやん!」と言ったのですね。この「やったらできるやん」という経験を重ねていきますと、どうなるかと言えば、厚かましく出ないとダメだということになってくるわけでございます。ですが、それは、決して幸せなことではないと思うのですがね。 別に政治批判が目的ではありませんが、私たちは、企業の要求と政府の指導のもとで、「自分が、自分が」と大声で主張する、声の大きな厚かましい人間ばかり増えてくる道を進んでいるのではないでしょうか。 こんな話を聞いたことがあります。カエルを煮え立った湯のなかにほりこむと、即座に飛び出して、たいした怪我もしないのだそうですが、水のなかにカエルをいれて、ゆっくり温度を上げていくと、茹だって死んでしまうまで、カエルはじっとしているのだそうです。私たちは、自分の住んでいる世界をよくよく知っているつもりでいますが、ひょっとして、底無しの欲望という釜の中でゆっくり茹でられているカエルではないのでしょうね。 人類はこれまで、戦う生き物でした。だからこそ、人類は地球の王様のようになれたのかもしれません。ですが、それはまた、人類を、より大きなものに向かわせない理由でもあるのです。もうこのあたりで、競争を中心にした、こんな教育をやめて、戦う生き物を卒業しないと大変なことになると思うのですが、どうでしょうか。 さて、ここらでそろそろ、「俗なる世界」から「聖なる世界」へと、近づいていくことにいたします。ここから先の話は、飲んで頂けるかどうか分かりませんのですが、まあ、皆様の渇き次第でございます。 えー、さきほども申しましたが、「聖なる世界」を求める思い、宗教的欲求というものは、宗教的教育によって育まれます。宗教的教育というと、何か難しい、堅苦しいことのように思われるかもしれませんが、そうではないのですね。宗教的教育とは、ただひとつ。手を合わせて感謝することを学ぶこと。これだけです。 たとえば、食事をするとき、「いただきます」と手を合わせます。「そんなこと、していない」という方は、今日からなさってくださいね。この、手を合わせて「いただきます」と言うというのは、感謝の心を表しています。 では、誰に対する感謝でしょうか。その料理を作ってくださったお母さんや、食事に招待してくださったお家の奥さんに、感謝しているのでしょうか。もちろん、それもあるでしょう。ですが、もっと大切な意味がある。「自分の稼ぎで食っている食事に、何で手を合わさねばならないのか」と思われる方がおられたら、そういう方こそ、お聞き頂きたいのです。 食卓の上には何が並んでいるか、よくご覧になってください。ご飯や魚や肉や野菜が並んでいますね。その、ご飯や魚や肉や野菜は何かと言えば、それらはみな、さっきまで生きていたものなのです。つまりは「命」です。私たちが手を合わせるのは、その、ご飯や魚や肉や野菜の「命」への感謝です。 世界の真実の姿は「弱肉強食」ではないのです。どんな生き物でも、他の生き物の「命」をもらってしか、生きられないのです。他の生き物の「命」を頂くのが、「いただきます」なのです。その、もらった「命」に感謝して、手を合わせて生きる。そのとき、もらった「命」は、私の「命」として蘇る。そこに初めて、食べられたものも、食べたものも、ともに生きる道が開けてくるのですね。 現代社会は「義務と権利」の社会ですが、「義務」というのは「してあたりまえ」ということですし、「権利」というのは「出来るのが当然、してもらってあたりまえ」ということです。そんな「あたりまえ、当然」の世界には、「感謝」はありません。私たちは、まず、食卓で学ばねばなりません。現代社会は、食べ物への感謝、「命」への感謝の無い世界です。だからこそ、「命より金」になるのですね。 食べ物に手を合わせられるようになれば、自然に、仏様にも手を合わせられるようになっていきます。みなさんのご家庭には、お仏壇があって、毎日、仏様に手を合わせておられると思いますが、手を合わせる場所が家庭にあるということは、非常に大切なことなのですね。なぜかと申しますと、手を合わせる場所が、「聖なる世界」への入り口になるからです。 お仏壇といえば、どなたか身内の方が亡くなって、「新仏ができたから、今度、ご院さん、ようやくお仏壇を買いますのや」とおっしゃる方が結構おられますけれど、お仏壇というのは、新仏が出来たとか出来ないとかいうこととは、関係ありません。お仏壇というのは、手を合わせる場所、「聖なる世界」への入り口として、どのご家庭にもあるものだったのでございます。 たとえば、引っ越しをなさるときには、新居には、まず最初にお仏壇から入れる。学生さんが下宿する場合にすら、ご両親は、仏壇を持たせて、そのお仏壇を最初に納めたものです。それが、私たち門徒の生き方だったのです。家の中に「聖なる世界」への入り口が開いていなかったら、それは人の住む場所ではない。そんな場所は、「修羅のねぐら」でしかありません。 最初に、「聖と俗のはざま」に、仏教があり、私たちの宗教的生活があると申しましたが、憶えておられますでしょうか。仏の教えは、「聖なる世界」と「俗なる世界」をつなぐ架け橋として「聖と俗のはざま」にあります。その架け橋の、「俗なる世界」の側に開いた入り口が、お仏壇なのです。 私たち凡夫にとっては、「目に見えない世界」に思いを馳せるためには、目に見える手がかりが要るのですね。親鸞聖人は、「私が死んだら、遺骸は賀茂川に流して、魚の餌にしてくれ」と言い残されたましたが、この遺言は守られなかった。ご遺骸は荼毘にふされて、お墓に納められ、そのお墓を大切に守ることになりました。それも同じことですね。 優れたお弟子さんたちには、親鸞聖人が生前に説かれたお言葉の記憶がある。おそらくそれだけで十分だったでしょう。ですが、後には、私たちのように、そんな境地に達していない沢山の人々が、残されている。そういった、親鸞聖人を慕い、親鸞聖人を御縁として「聖なる世界」に思いを馳せる人々のためには、目に見える手がかりが必要だったのですね。 多くの人々に守られて、親鸞聖人のお墓は、御廟で覆われるようになり、その御廟がもととなって、本願寺が出来たのです。そして、その本願寺を手がかりとして、沢山の方々が、「聖なる世界」に触れることができたのです。とすればですね、ご遺骸は、川には流されなかったけれども、ご遺言は守られたと思うのですが、いかがでしょうかね。 みなさんのご家庭にあるお仏壇は、小さな本願寺です。お仏壇は、「聖なる世界」への入り口なのですね。私たち門徒は、その「聖なる世界」を「お浄土」と呼んでいます。お仏壇をよくご覧になってみてください。仏様にお花を供えると申しますが、そのお花は仏様の方に向けてありますか。そうではありませんね。お花は、私たちの方に向かって生けられていますね。それは、お仏壇は、私たちが見るためにあるからです。 お仏壇というのは、「娑婆」と「浄土」をつなぐ架け橋の、娑婆の側に開いた入り口なのです。出口の側には、お浄土が広がっている。ですから、お仏壇のなかには、お浄土が見えるようにできているのです。 お仏壇に手を会わせるときは、どうぞ仏様のお顔をご覧になってくださいね。人と人が向き合う場合でもそうですが、顔を見ないで目をそらせている人というのは、あまり信用のならないものですからね。仏様に向き合うときも、ちゃんと仏様のお顔をご覧になってくださいね。仏様の額には、白毫というものがあって、そこから慈悲と智慧の光を放たれるといわれています。その白毫に心を集中して、手を合わせる。そうすると、心が鎮まってきます。 お仏壇に手を合わせる生活のなかで、仏様を見つめる眼差しが少しづつ変わってくる。お仏壇の後ろの壁を突き抜けて、遠くを見る眼差しになっていく。お浄土を見る眼差しになっていくのですね。目先の損得しか見られなかった私たちに、命の真実が垣間見えるようになってくるのです。そうなると、日常生活のあちこちに、お浄土への入り口が開くようになってきます。 たとえば、こんな話を聞いたことがあります。ある夫婦に二人の息子さんがおられましたが、お兄ちゃんは知的障害を持っていて、弟はそうではなかった。ご両親にとっては、どちらも可愛いには違いないのですが、そこはやはり、障害のある兄の方に不憫がかかるわけですね。 あるとき、弟が学校にいっているあいだに、お兄ちゃんに、大好きなケーキを食べさせようとなさった。ところが、お兄ちゃんは、黙って見ているだけで、食べないのですね。どうして食べないのかと聞くと、弟が学校から帰ってきたら一緒に食べると言うのです。 そこで親御さんは、「弟と分けなくていいんだよ、お前の好きなケーキなんだから、お前が一人でお食べ」と言うと、お兄ちゃんは、「一緒に食べた方が、おいしいから」と答えた。それをお聞きになった親御さんは、そのお兄ちゃんに、思わず手を合わせられたそうです。 「一緒に食べた方が、おいしいから」なのです。弟が可愛そうだからとか、弟に悪いからではないのです。「可愛そうだから」にせよ「悪いから」にせよ、そういう思いで分ける場合には、分ける人の心に「我慢」がありますよね。食べたいものを我慢して分けてもらったら、分けてもらった方も、心苦しいと思うのです。 そうなると、分けてもらった方に、今度は分ける義務が生まれてくる。分けた方には、分けてもらえる権利が生まれてくる。権利と義務の関係が生まれてくる。ギヴ・アンド・テイクの関係が発生する。国際援助でもそうですね。見返りを期待していない援助などありません。それも、常に自分の利益の方が大きくなるよう腐心している。 ところが、「一緒に食べた方が、おいしいから」という思いは、そうではない。たとえそれが、世界で最後のケーキだとしても、お兄ちゃんは、やっぱり「一緒に食べた方が、おいしいから」と言うのでしょうね。誰もが、そう思えたら、世界は変わると思うのですね。 親御さんは、障害をもっている子供の方が不憫だという、娑婆の分別でお兄ちゃんに接した。それに対して、お兄ちゃんは、「弟の喜びは自分の喜び、自分一人の喜びはない」と、浄土の光で答えたのです。親御さんは、その浄土の光に気づかれたのです。 誰もが気づけることではないですね。私たちだったら、どうでしょうね。「変なこと言う子やな、弟が帰ってこんうちに、はよ食べてしまい」なんて、言うのかもしれませんね。 手を合わせる生活のなかで、少しづつ浄土の光への感受性が高まってくるのですね。そして、どこにでも、浄土への入り口が開けて、光が射してくるようになってくるのです。その光に気づくことを、ご縁と言うのです。ご縁を頂いたとき、思わず知らず、手が合わさる。 手が合わさったとき、心が開く。心が開くと、そこに、「命の真実」が流れ込んでくるのです。日々の生活のなかで「命の真実」に触れること、それが、如来の働きに触れるということです。一切れのパンにも感謝できること、それがすなわち、救われるということなのです。感謝の姿が、そのまま、救われている姿です。合掌している姿が、救われている姿なのです。 「聖と俗のはざま」にかかった架け橋に感謝して、日々、手を合わせて暮らすことができる。それが、私たち仏教徒の生き方なのです。手を合わせる日暮らしのなかで、自然に、心が変わっていく。変えるのではなくて、変わるのです。そして、心が変われば、世界も変わっていくと思うのです。 報恩講は親鸞聖人への感謝の法要ですが、その親鸞聖人こそ、心から感謝なさった方ですね。別の言葉で申しますと、「お念仏の教え、浄土の教え」に実際に救われた方なのですね。親鸞聖人は、法然上人の教えをお聞きになって救われた。そして、そのご自身の救われた感動を、感謝の詩に残されました。それが、『正像末和讃』にある「恩徳讃」という詩です。 「恩徳讃」というのは、先ほどのお勤めの最後に出てきた和讃ですね。お手許の「報恩講勤行集」では、76ページに出ております。「如来大悲の恩徳は、身を粉にしても報ずべし、師主知識の恩徳も、骨をくだきても謝すべし」というものです。これは、親鸞聖人が、ご自身の救われた感動を、身体一杯の感謝として詩になさったものなのですね。 そういうことをご存じない方もおられるようで、妙なことを時々聞きますのですね。まあ、これは仏教徒さんではございませんが、「ご院さん、身を粉にしても報ずべしとか、骨をくだきても謝すべしなんて、仏教って、えらい残酷な教えですな」と、おっしゃった方がおられますのですね。 そこで、こうお応えしましたのですね。「あなたは、お孫さんがおられますね。世間では、孫は、眼に中に入れても痛くないほど可愛いと言いますが、そんなもんでしょうか」と。すると、「そのとおりだ」とのこと。「では、あなたは、お孫さんを、眼の中に入れたことがありますか」と尋ねると、「そんなことは、するはずもない、だいたい、孫が眼の中に入るか、それくらい可愛いという譬えだ」との返事でした。 「身を粉にしても報ずべし」とか、「骨をくだきても謝すべし」というのも、それと同じなのですね。別に、親鸞聖人が身を粉になさったとか、骨をくだかれたというわけではないのです。それほどの感動に震えたという譬えです。救われたことへの感謝と感動を、身体一杯に表された詩なのです。私たちも、そんな感動に震えたいと思うのですが、いかがでしょうか。 私たちも、そんな感動に震えたい。「浄土の教え」に救われて、聖人と同じ感動の詩が歌いたい、感謝の詩が歌いたい、声高らかに「恩徳讃」を歌いたい。いかがですか、そう思われませんでしょうか。それこそが、私たちの報恩講でございますね。 えー、まあ、尻切れトンボな話でございますけれど、本日は、ここまでにさせて頂きたいと思います。いささかまとまりのない話に、長い間おつきあい下さいまして、有り難うございました。次回は、春のお彼岸でございます。またご一緒に聞法させて頂けますよう、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ。
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