釋昇空法話集・第21話

あなたを生きる

いのちの奥義

(2002年3月21日 彼岸会法話)
 ようこそお参りくださいました。本日は、春の彼岸会でございます。この三月で、私が、この紫雲寺の住職を継承いたしましてから、まる9年が経ちました。速いものですね。

 その9年の間に、皆様の前で、お話しさせて頂く機会を何度も頂戴いたしました。そしてまた、『菩提樹』や、インターネットのホームページや、「法話の録音テープ」を通じて、多くの方々にご縁を頂きました。有り難いことと存じております。

 近年は、そういうご縁によりまして、時々、講演のお招きを頂くことがございます。先日も、このあいだの土曜日のことですが、国立小倉病院、付属看護助産学校、助産婦科の、閉科式典にお招きを頂きまして、お話しをさせて頂きました。

 学校の指導主事の先生から、ご依頼がありましたときに、「私は坊さんですから、坊さんの話しかできませんよ」と申しましたら、「それで結構」ということでして、伺ったようなわけですが、ひとつだけご注文を頂きましてね。

 「この学校は、全国で三番目に古い、27年間も続いた助産婦さんの学校で、卒業生は、みんな非常に母校への思い入れが強い。卒業後も何かあるごとに学校にきて、悩み事の相談などをしておりましたし、この学校は私たちの心の故郷のようなものです。そんな学校がなくなるということは、私たちにとって非常に悲しくて辛いことなのです。ですから、何とか、悲しみを越えて、希望につながるような、明るい話をしてほしい」というご注文でした。

 正直言って、困りましてね。法話の注文生産というのは、したことがなかった。ですが、講演の前日に、学校にご挨拶に伺いまして、指導主事の先生のお気持ちがよく分かりましたね。

 助産婦科の建物というのは、それほど大きなものではありませんでしたが、何となく雰囲気がよろしい。そして、その前の庭が、毎年の卒業生が記念に植えた木々で、静かで穏やかな林になっている。手入れが行き届いていて、四季折々の花が咲く。みんな、学生さんや、卒業生の方々が、忙しい業務の間をぬって、世話をしてこられたのだそうです。患者さんの散歩道にもなっている。なるほど、ここは特別な学校だと思いましたね。

 何かが始まれば、必ず、終わる時が来るわけですが、終わる時には、始まる時にはない、特別な重さがあるように思います。それは、人生を考えさせるという重さです。そういう意味でも、学校が幕を閉じるという、記念すべき大切な式典にお招き頂きましたことは、非常に光栄なことでございました。

 今回は、そういうところで、こんな話をさせて頂いたという、ご報告のような話を、皆さんにお聞き頂こうと思っております。本日は、ご案内申し上げておりますように、「あなたを生きる」という題で、お話しさせていただきます。母校をなくされた看護婦さんたちに宛ててお話ししたものでございますが、皆さんが、ご自分の人生をお考えになるうえで、何かご参考になればと願っております。


… 本文省略 …


 「釋昇空法話集・坊外編」に全文掲載いたしておりますので、関心をお持ちくださる方は、以下をクリックなさって、そちらをお読みください。

釋昇空法話集【坊外編】・第6話「あなたを生きる」


 私たちの家庭には、たいてい三つの箱がある。冷蔵庫とテレビと仏壇です。「何か美味いものはないか、何か面白いことはないか」と、冷蔵庫とテレビの間をウロウロするばかりで、仏壇に向かうこともない。つまりは「本当の自分」と向き合うこともないうちに、人生が終わって「四つ目の箱」に入るようでは、まことに勿体ない。

 今回、看護婦さんたちにお話しいたしましたのも、つまりは、そういう話でございます。どうぞ、皆さん、「本当の自分」と向き合う、「聖なる場所」と「聖なる時間」を、「お仏壇」と「お念仏」を、大切になさって頂きますように。合掌



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