釋昇空法話集・第22話

日々是好日

よろこびのひぐらし

(2002年9月23日 永代経法話)
 ようこそ、お参りくださいました。たくさんのお参りを頂き、有り難うございます。暑い日が続きましたね。今年の夏は、例年に比べて平均気温が2度も高かったそうでして、特別に暑かったように思いますが、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われますように、ようやく過ごしやすくなってまいりました。

 人生は、よく、四季の移り変わりに譬えられることがございます。「人生の秋」というのは、「物思う秋」でもあり「実りの秋」でもあります。今日のこの爽やかな秋の一日に、皆さんとともに、ご先祖を思い、人生を思い、仏法の実りを味わえたらと願っております。思いつくままの、いささかまとまりのない話ですが、しばらくの間、お付き合いをお願いいたします。

 さて、本日は、ご案内申し上げておりますように、「日々是好日」(ひびこれこうじつ)という題で、お話申し上げます。「日々是好日」というのは、「毎日が素晴らしい日だ」という意味です。

 この「日々是好日」というのは、何となく気持ちのよい言葉ですので、あちこちで使われておりますけれど、元々は禅宗の公案を集めた『碧巌録』という書物に出てくる言葉です。そこに出てまいりますのは、おおよそ、こういう話です。

 雲門文偃(うんもんぶんえん)という和尚さんが、ある日、お弟子さんたちに、こうおっしゃった。「十五日以前のことは問わない。十五日以後について自分の心中のほどを言ってみよ」と。ところが、誰も答えられない。そこで、雲門和尚は、弟子に代わって、自ら、こう答えた。「日々是好日」(にちにち・これ・こうにち)と。

 禅宗では、「ひびこれこうじつ」ではなくて、「にちにち・これ・こうにち」と読むようですけれど、いささか堅苦しいものですから、ここでは普通に「ひびこれこうじつ」と読むことにいたします。この雲門和尚の言葉を手掛かりに、今日は、話を始めようと思います。

 先ほども申しましたように、「日々是好日」というのは、「毎日毎日が素晴らしい日だ」という意味です。なるほど、私たちは、何十年も生きているあいだには、「素晴らしい日」だと言える日を、何回かは経験するでしょうけれども、毎日が素晴らしい日、「日々是好日」ということになると、これはなかなか難しい。難しいと言うより、あり得ないことのようにも思えますね。

 誰でも知っていることですが、人生には、晴れの日ばかりがあるわけではない。曇りの日もあれば、雨の日もある。というよりも、むしろ、私たちの人生の空模様は、たいていは、ことさら嬉しくも悲しくもない、マンネリになった薄曇りです。その薄曇りの空に、時おり雲間から陽が射し込んで喜んだり、雨が降って悲しんだりというのが、私たちの人生ではないでしょうか。

 「若いときはよかった」と言いますけれど、若いときには若いときの苦労があるものです。また、しっかり働いて、年をとったら楽隠居と言っても、縁側に座って、猫の背中をなぜながら、お茶を啜っていたら、文句がないかと言えば、そうではないですね。

 まあ、それだからこそ、と申しますか、この「日々是好日」という言葉が、一種の憧れを持って語られるのだと思います。ですが、「日々是好日」というのは、決して、絵に描いた餅ではありません。そういう人生を、私たちは生きることができる。そのことを教えているのが、仏教なのです。

 仏の教えを学び、仏の教えに従って生きれば、「日々是好日」と言える日がやってくる。「毎日が素晴らしい」と言えたら、いいですね。それこそ、最高の人生でしょうね。しかし、そんな日は、何時になったらやってくるのでしょうか。雲門和尚は言っています。それは、「十五日以後のことだ」と。

 まさに禅問答ですが、これはこういうことでしょう。一生を一ヶ月にたとえれば、「十五日以後」は「日々是好日」だという。しかし、「十五日以後」になるためには、まずは、「十五日以前」を生きてこなければなりません。

 「十五日以前」とは何かと言えば、これは、暗闇の新月から始まって、明るい満月になるまでの間のことです。明るい満月になると言うのは、悟りを得るということです。つまりは、悟りを得ると、「日々是好日」と言えるようになる。仏教は、そこをめざしているのです。

 これは禅宗の話ですが、真宗でも同じです。ただ、私たち真宗門徒は「悟りを得る」とは言いません。「安心(あんじん)を得る」と言います。「あんじん」というのは「安らかな心」と書きますが、その「安心」を得た人生が「日々是好日」です。私たち真宗門徒の言葉では、「よろこびのひぐらし」と言います。

 どうやら、「何となく気持ちのよい言葉」どころか、おおごとになってまいりましたが、仏教の話は、だいたい、こういうところに落ち着くことになっております。

 たしかに、「悟りを得る」とか「安心を得る」とかいったことは、今の私たちから見れば、遠い彼方のことかもしれません。ですが、どちらを向いて歩いていくのか、知っていることは大切です。現に、私たちは、その「安心」への道を歩き始めているのですから。

 蓮如上人は、おっしゃっています。「ただ仏法は、聴聞にきわまることなり」と。「聴聞」というのは、仏法を聞くということ、「聞法」するということです。私たちは、今、聞法しています。つまりは、「安心」への道を歩き始めているのです。

 昔は、どこのお寺でも、月に何回もお説法がありましたから、聞法する機会が沢山ありました。「門徒物知らず」と言いますけれど、そういう時代の門徒さんは、よくよく仏教のことをご存じでした。それだけ足繁くお寺に通ったということですが、聞法の場は、お寺だけでなくて、家庭の中にもありました。お寺で聞いてきたお説法が、日常的に、家庭の中で話題になっていたのです。

 主人が、「今日のお説法は、わしは、こう頂いたのだが、お前は、どう頂いた」と言うと、奥さんは、「私は、こう頂きましたが、なるほどそうですか」などと話しているところに、知り合いがやってきて、「そうかそうか、私は、こう頂いたがな」と、仏法談義に加わるということもよくあった。そういう話を傍らで聞きながら、子どもたちは大きくなっていったのです。

 子どものころの原体験と申しますか、心の柔らかなうちに見聞きしたことには、一生を左右するほどの影響力があります。小さいころに、お祖父さんやお祖母さんに手を引かれて、お寺にお参りした。お説法の内容は分からなくとも、お説法に聞き入る人々の熱気に触れた。そういった経験があるというのは、幸せなことではないかと思いますね。

 昔は、そういうことが珍しいことではありませんでした。お寺にお説法を聞きに行く人も沢山おられました。しかしです、では、お説法を聞いたら分かるのか、と言えば、まず、分からないのですね。何回聞いても分からない。分かったと思ったときは、たいてい、分かっていないのです。

 お説法で説かれることは、たったひとつです。「弥陀の本願を信じて、念仏申さば仏になる」。これひとつです。もう少しくだいて申しますと、こうなります。「阿弥陀如来は、一切の衆生を救いたいと願われて、南無阿弥陀仏という名号を称える者を全て救うと、お誓いになったのですから、有り難く、お念仏を称えさせて頂きましょう」。真宗の教えは、これだけです。

 この教えを聞いて、「はい」と頷けたら話は終わりですが、なかなか、そうはいかないのですね。私たち、理屈っぽい現代人だけでなく、昔の人も、なかなか「はい」とは、頷けなかったのです。だからこそ、何度も何度も聞いたのです。聞いては考え、聞いては考えしたのです。

 他力浄土門の教え、お念仏の教えは、簡単だ、簡単だ、と申しますけれど、説かれていることは簡単なようでも、それを体得することは、決して、簡単ではないのです。実際、仏教が盛んだった昔でも、本当にお念仏の教えを体得した人は、国に一人、郡(こおり)に一人と言われたくらい、少なかったのです。

 そういう、お念仏の教えを体得した人、安心を得た人を、「妙好人」といいます。妙好人と呼ばれる人々は、大部分が、読み書きも満足にできない、いわゆる無学な人でしたが、信仰心の深さでは、飛び抜けたレベルにありました。しかし、そういった人でも、「安心」を得るまでには、並大抵のことではなかったのです。

 島根県に浅原才市という有名な妙好人がおられました。職業は船大工でしたが、晩年には下駄作りで生計を立てて、昭和7年に83歳で亡くなっています。この才市という人は、聞法を始めたのが二十歳頃で、「安心」を得たのが60歳頃といわれています。真剣に法を求め、聞法に励んだのは40歳を過ぎてからのことだったようですが、それにしても、「安心」を得るまでに、何十年もの歳月を要したわけです。

 また、山形県の弥左衛門という妙好人も、「安心」を得るまでに10年くらいかかったといわれています。この人は、生業は農業だったようですが、いつの頃からか、後生の問題(死の不安)に真剣に悩むようになり、仕事が手につかなくなった。

 聞法を重ね、いろいろ思案しても、どうしても不安が治まらないということで、京都の本山に上ったのですが、その回数が尋常ではない。山形の最上から、800キロも離れた京都の本願寺まで、3年間に8回も通ったのです。もちろん、歩いて、ですよ。

 こういう妙好人の話を聞きますと、法を求めるということには、時間とか距離といったものは、関係ないということですが、そこまで求めさせるものがあるということは、大変なことです。私たちに、それだけのものがあるかと言うと、はなはだ心許ない思いがいたします。

 真剣に求め続けるというのは、それだけの動機がないとできないことですね。「世間がままならない」といった漠然としたものではなくて、「我が身一つがままならない」という、切迫した動機がないと、真剣には聞けませんでしょう。

 たとえば、「社会から自殺者を減らすにはどうすればよいか」というような問題意識では、なかなか聞法には結びつきません。問題が自分の外にあるからです。そういった社会の事柄は、行政が考えればよいのです。そうではなくて、自分が自殺するかどうかという切迫したところからしか、真剣に聞こうという姿勢は生まれてこないのですね。

 後に妙好人と呼ばれるようになった人々には、「世間がままならない」といった漠然とした不満でなくて、「我が身一つがままならない」という切迫した不安があったのです。

 さきほどの弥左衛門さんは、後生のことが不安で不安で仕方がなかった。「後生」というのは、死ぬことそのことより、「命の先行き」のことです。命の先行きが不安であるあいだは、安心して生きられないのです。お念仏を称えても称えても、ちっとも救われた思いがしない。だからこそ、求め続けたのです。

 ところで、妙好人の伝記などを読みますと、そういった人々にも、やはり「信じられない」という思いがあったことが分かります。ですが、その「信じられない」という思いの向けられる先が、私たち現代人とは違ったのです。

 私たちの場合は、たいてい、「阿弥陀様って誰?」「お浄土って何処?」「お念仏って何?」というふうに、不信の矛先が、自分の外側に向けられます。ところが、妙好人の不信の矛先は、自分自身に向けられたのです。

 阿弥陀様は「一切の衆生を救う」とおっしゃってくださっているのだが、果たして、こんな自分が、その「一切衆生」の中に入るのだろうか。自分のような煩悩まみれの人間に、そんな資格があるのだろうか、と悩んだのです。

 まことに、これは、浄土の教えの核心に触れた悩みです。極端なことを言えば、阿弥陀様が誰であろうと、お浄土が何処にあろうと、お念仏が何であろうと、どうでもよいのです。「一切衆生を無条件で救う」というところにこそ、浄土の教えの核心があるのです。

 もしも条件があったなら、たとえば、学問ができないとダメだとか、お経が読めないとダメだとか、修行ができないとダメだとか、結婚していたらダメだとか、そういった条件があったら、必ず、その条件に漏れる人がでてきますね。

 ですから、どんな条件であれ、条件があったら、自分は、必ず、その条件に漏れるに違いないと、自らを見定めた人には、もう、この「一切衆生を無条件で救う」という阿弥陀仏にすがるしか、救われる道はなかったのです。

 ところが、お念仏を称えても称えても、一向に救われた思いがしない。もしかして、自分のようなものは、阿弥陀様のお慈悲から漏れ落ちているのではないだろうか。後に妙好人と呼ばれるようになった人々の切迫した不安というのは、そこにあったのです。

 私たちは、違いますね。私たちは、たいてい、ことさら「救われたい」とは思っていない。仏法の話を聞くのも、何か人生に役立つ事があるかも知れないという思いからでして、明日の職場朝礼で話すネタでも見つけたら、まあ、役に立ったということになる。

 私たち現代人は、自分の人生は、自分の頭で考えるもので、「救いを求める」などということは、自分の頭で考えられない者の言うことだと、どこかで思っている。如何ですか。しかし、私たちは、本当に、「自分」の頭で考えているのでしょうか。

 私たちは、自分の頭で考えて生きていると思っていますが、実際は、「世間の物差し」で物事を計り、「世間の役割」を演じているだけではないのでしょうか。私たちの頭の中には、「世間」がいて「自分」がいない。間違っていたら有り難いのですが、どうぞ皆さん、一度じっくり、お考えになってみてくださいね。

 さて、それはともかく、私たちの聞法の動機というのは、様々でしょうけれど、楽しくて仕方がないから、これはひとつお寺に行って、お説法でも聞いてこよう、というのは、まずありません。たいては、何か悩みや苦しみがあって、それを何とかしたいというところにあるものですね。

 たとえば、私たち社会生活をしているものが、日常的に思い煩うのは、たいてい、人間関係の問題です。家族のなかでも、親戚の間でも、職場でも、隣近所でも、この問題は、どこにでもありますね。

 そんな問題にぶつかったとき、私たちは、目が外を向いて付いているものですから、原因は相手にあると思いがちです。また、「関係」というのは、片方が変われば、変わるものですから、私たちは、相手を変えようとします。そして、相手が、自分の思い通りにならなくて苦しんでいるのです。違いますかね。

 ある人が、こういうことを言っています。「心の平和が欲しかったら、宇宙の総支配人の地位を捨てることです」と。他人を自分の思い通りにしようとすることは、やめようということです。一番自分の思い通りになるはずの自分自身のことさえ思い通りにはできないのですから、他人を変えることなどできないと思ったほうがよいのです。

 いかがですか、皆さん。自分は、自分の思い通りになりますかね。手を上げようと思っても、五十肩で痛いときには、手は上がらない。階段を登ろうとしても、膝が痛ければ、登ることができない。死にたくないと思っても、永遠に生きることはできない。それが、自分ではないでしょうかね。

 では、どうすればよいかと言うと、やはり、自分が変わるしかないのです。といっても、自分が変わるというのは、他人の思いに合わせるということではありません。そうではなくて、外を向いている目を、内に向けていくことです。目を内に向けて、自分の姿を見ることです。

 しかし、内を見ても、そこに光があるわけではありません。そこにあるのは、漆黒の暗闇です。仏法は、そんな心の暗闇を照らし出す光なのです。仏法は、答えを教えてくれるものではなくて、正しい問題の在処を教えてくれるものなのです。人は、目を内に向けることがありませんが、それは、ひょっとすると、あらゆる苦しみのもとが、そこに埋まっていることを知っているからかも知れませんね。

 さきほどの、才市さんや、弥左衛門さんも、お説法を聞いて、幸せになったのではないのです。お念仏を称えても称えても救われない自分の姿が見えてきて、だんだん不安になってきたのです。ですが、蔭が暗いということは、光が強いという証拠でもあるのです。この、救われない自分なのだという気づきが極まっていくところに、ついには、大きくはじけるときがくるのです。

 大阪の和泉に吉兵衛という妙好人がおられました。この人は、魚の行商人で、明治13年に78歳で亡くなっています。この吉兵衛さんは、若い頃に聞法して、「平生業成」(へいぜいごうじょう)という教えが、どうしても腑に落ちなかった。

 「平生業成」というのは、生きている間に、煩悩の身のままで、浄土への往生が定まるという意味です。もし、この教えが真実なら、きっと、煩悩の身のままで安らかに生きている人が居るに違いない。そういう人を、この目で確かめるまでは、安心して死ねない、死に切れないとまで思い定めて、遍歴の旅に出たのです。

 会う人ごとに、「あなたは安心して死ねるか」と尋ねたのですが、はかばかしい答えが返ってこない。そんなとき、ある人から、「お前の問いに答えてくださるのは、住吉にある西芳寺の元明様しかおられまい」と、教えられた。

 そこで吉兵衛さんは、その足で夜通し歩いて西芳寺にあがり、自分の悩み苦しむところを訴えて、「これが分からなんだら、私は死んでいけません」と述べのです。それを聞いて、元明師は、「死なれたらよいのかなあ」と独り言を言われた。そして、「『御領解文』どおりかえ」と問われたのです。

 『領解文』(りょうげもん)というのは、蓮如上人のお作で、紙一枚ほどの短い文章です。大谷派では『改悔文』(かいげもん)いいますが、そこには、「安心」を得るとはどういうことかが、簡潔に示されています。「『御領解文』どおりかえ」というのは、「蓮如様は、そうおっしゃっていたか」ということです。その言葉を聞いた瞬間、吉兵衛さんは、はっと気づいたのです。

 「死ねてもいい、死ねなくともいい」、それが「安心」の境地ではなかったのか。「安心して死にたい、死ねるような資格を得てから死のう」とするのは、自力ではないか。死ねないままに、死なない命を受けるのが、「他力安心」ではなかったのか。そう気づいた瞬間、吉兵衛さんは、「安心」を得たのです。

 目覚めは突然やってくるのです。吉兵衛さんだけではありません。昭和5年に89歳で亡くなった、鳥取県の妙好人、源左という人は、自分の担いでいた荷物を、牛の背中に移した瞬間に、安心を得たといわれています。禅宗の「悟り」も、真宗の「安心」も、同じですね。

 ですが、目覚めは突然やってくるにしても、それは、内に準備ができているからです。この、安心を得るにいたるまで、心の中で、一体どんなことが起こっていたのか。安心を得るまでのプロセスは、どうなっているのか。おそらく、皆さんにも、関心がおありでしょうから、安心の役には立ちませんけれど、ちょっとだけ理屈をお話しいたします。

 まず、「一切の衆生を救う」という弥陀の本願の、「一切衆生」は、絶対・平等な仏の智慧を表しています。この仏の智慧を、仏教の言葉では「無分別智」といいます。それに対して、人間の知恵は、「分別知」といいます。こちらは、物事を相対・差別して知る知恵です。

 もう少しくだいて申しますと、私たちは、物事を、良いとか悪いとか、役に立つとか立たないとか、そういったふうに相対化・差別化してとらえますね。これが、人間の「分別知」です。それに対して、物事を、そのあるがままの姿でとらえ、差別しないのが、仏の「無分別智」です。

 たとえばです。子供を、「良い子、悪い子、普通の子」に篩い分けるのは、人間の「分別知」です。ところが、仏にとっては、良い子も、悪い子も、普通の子も、みんな大切な「仏の子」なのです。この、分別しない仏の智慧が、「無分別智」です。

 「分別」「無分別」という言葉は、もともと仏教の言葉ですが、私たちも日常よく使います。ですが、その意味は正反対ですから、ちょっとわかりにくいと思いますので、ここでは仮に、人間の「分別知」を「人間の物差し」、仏の「無分別智」を「仏の物差し」と呼ぶことにいたします。「人間の物差し」には、相対・差別の目盛りが刻んでありますが、絶対・平等の「仏の物差し」には、目盛りがありません。

 さて、仏法を学ぶと言いますが、「学ぶ」というのは「まねる」ということです。ですが、仏の真似をして「仏の物差し」を使えるかといえば、まず、できないのです。たとえば、「良い子も、悪い子も、普通の子も、みんな大切な仏の子」と言っても、そんなことが言えるのは、自分に責任のない、他人の子供の場合だけです。

 仏を真似ようとすればするほど、そのことが、よく分かってきます。「仏の物差し」で計った後から後から、「人間の物差し」で計り直している自分に気づくのですね。

 たとえば、勉強だけが大切なわけではないと言いながら、受験を前に遊び回っている子供にイライラしている。職業に貴賎はないと言いながら、娘の付き合っているボーイフレンドの職業が気になる。人間は身なりではないと言いながら、人を服装で判断している。いかがですか。それが私たちではないでしょうか。

 仏を真似ようとして分かってくるのは、とうてい仏の真似などできないということです。私たちは、何としても、「人間の物差し」を捨てられないのです。「分別」を捨てられないのです。「欲も多く、怒り、腹立ち、ねたみ、そねみ」する思いは、一向に消えていかない。これは、仏をお手本にして、仏に近づこうとする私たち仏教徒にとっては、大変な問題です。

 「分別」というのは、さきほど申しましたように、物事を相対化・差別化してとらえることですが、その根本にあるのは、「自分と他人を」相対化し、「他の誰よりも我が身が可愛い」と差別化する心の働きです。つまりは、「煩悩」です。

 コーチの指導に応えられない選手が、罪悪感を抱くように、「分別」を離れられない、「煩悩」を捨てられない心には、深い罪悪感が生まれてくるのです。一途に法を求める人ほど、罪悪感も深くなっていく。そして、ついには、「罪悪深重(ざいあくじんじゅう)・煩悩熾盛(ぼんのうしじょう)の我が身」という、心の奥底の暗闇にまで到達してしまいます。

 私たちは、たとえ「罪悪深重・煩悩熾盛の我が身」などと言うことがあったとしても、たいていは、「あいつより上、こいつよりまし」という相対世界にとどまっていますが、そこまで到達した人には、もう「あいつより上、こいつよりまし」は、ないのです。

 「罪悪深重・煩悩熾盛の我が身」というのは、他人と比べてのことではないのです。ただただ、「我が身」です。相対的な「我が身」ではなく、絶対的な「我が身」です。そこまでに至ったとき、相対の世界から、絶対の世界へと、がらりと場面が変わるのです。「人間の物差し」の目盛りが消えて、「仏の物差し」と重なるのです。

 才市さんに、こんな話があります。お説法のとき、お坊さんが、聴聞の人たちに向かって、「この中で地獄行きの者がおるが、誰か」とおっしゃると、才市さんは、真っ先に手を上げた。次に、「では、極楽行きの者がいるが誰か」とおっしゃると、才市さんは、また、真っ先に手を上げたと言います。「本当の闇を知った者は、光を見る」という言葉がありますが、絶対に救われない者が、絶対に救われる者となるのです。

 また、ある妙好人に、「あなたの年はいくつか」と聞くと、「仏様と同い年だ」と答えた。「では、仏様の歳はおいくつじゃ」と重ねて聞くと、「私と同い年」と答えたといいます。冗談ではなく、大真面目な話です。仏と重なっているという思いが、こういう言葉になって出たのです。

 阿弥陀如来は、「一切衆生を救う」とおっしゃっている。つまりは、どんな資格もいらない、無条件で受け入れると、最初からおっしゃっているのです。ですが、私たちは、その無条件の願いを、無条件では受け入れられないのです。「はい」とは頷けないのです。

 なぜかと言えば、私たち人間は、相対・有限な存在だからです。それに対して、仏は、絶対・無限の存在なのです。「相対」の器に「絶対」は入れられません。「有限」な手のひらに「無限」は受け止められないのです。バケツのなかに、海の水を全部は入れられないようなものです。

 ですが、法を求め続けて、本当に「自分の姿」を知ったとき、「相対・有限な私」は、最初から、「絶対・無限の仏」に受け入れられていたことに気づくのです。バケツ一杯分の海水は、もともと、海のものだったのです。

 これが、安心を得るまでのプロセスです。理屈で言えば、簡単なことかもしれませんが、体得するとなると、話は別です。時には、何十年もかかるのです。

 こういう話を聞いたことがあります。江戸時代の真宗大谷派に、香樹院釈徳龍という有名なお坊さんがおられました。その香樹院が、江州の醒ヶ井で説法をされたとき、あるお婆さんに、こうおっしゃった。「婆、そのままのお助けじゃぞ」と。お婆さんは喜んで、「ありがとうございます。いよいよこのままのお助けでござりますか」と答えたところ、香樹院は、「そうではない。そのままのお助けじゃ。仰せを持ちかえるなよ」と、おさとしになったということです。

 「そのままのお助け」というのは、「阿弥陀如来は、煩悩具足の凡夫を、そのままの姿でお助けくださる」ということです。ところが、そのお婆さんは、この仏の言葉を、「このままのお助け」と、自分の手に持ち替えたのです。それは、仏と自分が分離したまま、自分で自分を肯定したということです。分別心を離れること、仏と重なるということは、決して容易なことではありませんね。

 さきほど、こういう理屈の話は、「安心の役には立たない」と申しましたが、その意味も、お分かり頂けましたでしょうか。それはですね、こういうふうに、「仏の智慧」「人間の知恵」などと、二つに分けて考えている、そのことが、まさに、人間の「分別知」なのです。信心は、そんな「分別」の途絶えたところから、始まるのです。

 さて、これが、私たち真宗門徒の、「十五日以前」の姿ですが、では、「安心」を得たあとの「十五日以後」は、どうでしょうか。いまだ地獄行きも極楽行きも定まらない「我が身」としては、甚だ不遜な話ですが、そこまで覗いてみないことには、今日のテーマが、「絵に描いた餅」どころか、「絵を描く前の画用紙」になってしまいますので、お許しいただいて、もう少し、お付き合いください。

 さて、さきにも申しましたように、人生には、晴れの日ばかりがあるわけではない。曇りの日もあれば、雨の日もあるのです。そして、晴れに喜び、雨に悲しみしているのが、私たちです。ですが、ひとたび「安心」を得た身となると、それまでの世界が、がらりと変わり、雨の日にも、風の日にも、その背後にある光を感じるようになるのです。

 「安心」を得て、振り返って見れば、悲しかったことも、苦しかったことも、山のようにあったけれど、思えば、そのどれ一つが欠けても、今の自分はなかった。あの、悲しかったことも、苦しかったことも、全てが、今の自分を準備し、育ててくれる「ご縁」だった。生かされて生きていたのに、気づかなかった。その感謝と懺悔の思いのなかで、常に自分を照らしてくださっていた「光」に気づくようになるのです。

 「私が嫌っていたそのものが、私のためであったとはおはずかしい、頭が上がらん。南無阿弥陀仏」。これは、蓮如上人の時代に、富山県の赤尾におられた道宗(どうしゅう)という妙好人の言葉です。

 ですが、「安心」を得たからといって、人生に、悲しいことや、苦しいことがなくなるわけではありません。大切な人に先立たれることもあれば、時代の波に翻弄されることもある。涙することもあり、腹の立つこともあるのです。

 「安心」を得た人にも、喜びや悲しみの感情はあるのです。そんな感情まで無くなったら、それはもう、人間とは言えません。ですが、そういった人の感情は、「幸せ」とか「不幸せ」とかいった、相対的・差別的な感情を超えてしまっているのです。

 さきほどの吉兵衛という妙好人に、こんな話があります。ある人が、「あなたのようになったら、もう腹を立てることがないでしょう」と言うと、「何を言うのだ、わしも凡夫だから腹を立てる、しかし、根を切ってあるので実がならんのだ」と答えたといいます。「分別」の根が切れているということです。喧嘩の相手も「仏の子」だということです。

 また、これは身近に聞いた、現代の妙好人の話です。あるお婆さんが、連れ合いと、息子と、孫を、立て続けに亡くされました。そのお通夜に行かれた、お手継ぎ寺のご住職からお聞きした話です。そのご住職は、お婆さんに、なんと声をかけたものかと、悩みながらお通夜に行かれた。

 すると、そのお婆さんは、涙をボロボロこぼしながら、にっこりと微笑んで、こう言われた。「ご院さま。阿弥陀様のお慈悲は、底無しでござんすの。亭主と息子を亡くしても、まだ分からんかと、孫までつこうて、教えてくださいましたぞ」と。

 「安心」を得ていない私たちにとっては、とても理解できない感情かもしれません。ですが、そこに何か、大きな光を、お感じになりませんでしょうか。

 人生には、どんなことでも起こりうるのです。思ってもみないようなことさえ起こってくるものです。ですが、たとえどんなことが起こってこようとも、それを全て、気づきの「ご縁」として受け止められるようになる。仏と同じように、あるがままを受け入れることができるようになる。それが、「安心」を得るということです。

 「あるがままを受け入れる」というのは、決して、消極的に「受け身」になって生きるということではありません。「どうにかなること」は、どうにかする。「どうにもならないこと」は、どうにもならないと見極めて、あるがままに受け入れる、ということです。

 アラブの格言に、こういう言葉があります。「神を信頼せよ。しかしまず、お前のラクダを木につなげ」と。神を信頼するといっても、自分にできることまで放っておくのは、横着なだけです。

 では、「どうにかなること」と、「どうにもならないこと」は、どうやって見極めるのかと言えば、その智慧を養うのが、聞法するということなのです。

 「安心」を得ると、雨の日にも、曇りの日にも、その背後にある光を感じるようになり、生かされて生きていることへの、感謝が生まれます。日々、感謝して生きられる。日々、有り難いと思って生きられる。これ以上の幸せはないと思うのですが、いかがでしょうか。そういう感謝の日々を送れること、それが、「日々是好日」ということなのです。

 私たちは、まだ「安心」を得ていないとしても、聞法することで、仏の心を知ることができます。仏は、物事を、あるがままに受け入れられない私たちを、既に、あるがままに受け入れておられるのです。そして、私たちが、そのことに気づくことを、仏は願っておられるのです。その「仏の願い」を聞くこと、それが、聞法なのです。

 ある人が、妙好人の源左さんに、「仏のことを聞いても、すぐ忘れてしまう」と言うと、「忘れるこそええ、あるから忘れるのだ」と答えたといいます。

 忘れても、忘れても、仏が忘れるわけではない。そのことを確かめたいと思われたら、お念仏を称えてみてください。南無阿弥陀仏という名号を称えることは、「仏の願い」そのものなのです。仏の願いが「私」の口から出るということは、仏は常に、「私」とともにあるということです。その、常に仏とともにある生活、それが、「よろこびのひぐらし」なのです。

 人生には、晴れの日ばかりがあるわけではありません。太陽は、常に、地上から水を集めて、次の雨を準備しているのです。ですが、人生の空が雲でおおわれたように思えたときにも、その雲の上には、いつも青空が広がって、太陽が輝いていることを思い出しください。そのことを思い出すだけでも、一息つけるかと思います。

 さて、そろそろ、店じまいににかかります。本日は、永代経法要でございますので、皆さんは、ご先祖をご縁として、お集まりになっているわけですが、ご縁を頂きますごとに、申し上げることですけれど、私たち門徒の法要は、ご先祖の「追善供養」や「冥福を祈る」ために、あるわけではございません。

 親鸞聖人も、『歎異抄』のなかで、「親鸞は父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候はず」と、おっしゃっておられます。

 世間ではよく、「ご先祖様を大切にしないと罰があたる」などと申しますけれども、子孫に罰をあてるご先祖など、おそらくないでしょうね。私たちも、いずれ「ご先祖様」と呼ばれる日がくるのです。そのときのこととして、想像なさってみてください。

 お浄土から眺めたとき、残してきた大切な子供や孫たちが、たとえお墓の掃除をしていなくとも、あるいはお仏壇に手を合わせていないということがあったとしても、「とんでもない奴らだ。これはひとつ、痛い目に遭わしてやらねばならない、罰をあててやらねばならない」などと、私たちは思うでしょうか。おそらく、そうではないでしょう。

 「お墓の掃除もしていないのだな。お仏壇に手を合わせることもできないのだな」と、寂しく悲しい思いはするかもしれませんが、それでも、「何とか幸せになってほしい」と、残してきた愛しい子供や孫たちの幸せを願うのが、私たちではないでしょうか。ご先祖様も、きっと、そう願っておられるに違いないのです。

 私たちは、ご先祖の冥福を祈り、ご先祖の幸せを願って、仏様に手を合わせているように思っておりますけれど、そうではないのです。ご先祖様・仏様の方こそ、私たちの幸せを願ってくださっているのです。

 私たちが手を合わせて合掌する姿は、何かを願う姿ではありません。そうではなくて、ご先祖様・仏様の願いを受け止める姿、それが「合掌」なのです。

 私たちは、常に願われているのです。忙しく慌ただしい生活の中で忘れがちなそのことを、改めて思い出す機会、それが私たちの「法要」なのです。

 ただ、ご先祖様・仏様が、私たちに願っておられる「幸せ」というのは、他人との競争のなかで、誰かの不幸と引き替えに得られる幸せのことではないのですね。

 ご先祖様・仏様の願いは、私たちが、心安らかに「よろこびのひぐらし」をすることです。常に、仏とともにある生活をすることです。

 その願いに応えようとすること、それが、「ご先祖を大切にする」「仏様を大切にする」ということなのです。…お分かり頂けましたでしょうか。

 では、今一度、皆さんとご一緒に合掌して、今日の話を終わりたいと思います。長い時間、お付き合い下さいまして、有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…。



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