釋昇空法話集・第31話

「その日」を超えて

人として生き、人として逝く

(2005年9月23日 永代経法話)
 本日は、ご多用のところを、ようこそお参りくださいました。

 今日は、お彼岸のお中日でございます。大地にはまだ夏の余熱が感じられるようですが、「暑さ寒さも彼岸まで」と申しますように、日差しもようやく和らいで、かなり過ごしやすくなってまいりました。こういう時候の良いときに、お墓参りやお寺参りをして、仏法へのご縁を深めようというのが、お彼岸でございますね。

 まあ、仏法へのご縁というのは、なにも時候の善し悪しとは関係ありませんけれど、夜中に、虫の声を聞いておりますと、なにか御催促を頂いているような気がしてまいりましてね、秋は、やはり、仏法へのご縁が深まる季節ではないかと思います。

 蝉の声が途絶えて、コオロギの声が聞こえるようになりましたが、今年の夏は、庭で蝉の抜け殻を集めましてね、数えてみましたら12個ありました。蝉の抜け殻を集めましたのは、お同行の方から教えて頂いた、「蝉油」という火傷の特効薬を作ってみようと思ったからですが、こんな小さな庭からも、いくつのも命が旅立っていくのですね。

 蝉は頭から脱皮して、抜け殻につかまりながら、成虫になっていきます。脱皮した蝉は、オブラートを丸めたような翔(はね)が、だんだん広がって、透き通った緑色になり、風に揺られながら、翔が乾くのを待って、飛び立っていきました。

 蝉は、地中で数年間過ごしてから、地上に出て成虫になります。そして、成虫になってからは、2〜3週間で死んでしまいます。そのため、私たちの見る蝉の姿は、「成虫というより死装束だ」と言った人がありますが、そうかもしれませんね。

 お釈迦様は、「この世は苦しみに満ちている」とおっしゃいましたが、いつもお話いたしますように、その苦しみの根底にあるのは「死」です。いつかは終わらねばならない人生を、私たちは生きているのです。

 死ぬために生まれてきたような蝉に重ねて思うと、心が重い。ですが、本当は、「死」があればこそ、人生は生きる価値があるのではないでしょうか。「死」があればこそ、「生」が輝くのではないでしょうかね。

 慌ただしく過ぎ去っていった夏のあとで、蝉の抜け殻を数えながら、そんなことを思っておりました。

 「物思う秋」になって感傷的になっているわけではありませんが、今回は、私たちの死と人生について考えながら、「『その日』を超えて」という題で、お話させて頂こうと思っております。

 例によって、思いつくままの、いささかまとまりのない話ですが、どうぞ、しばらくの間、お付き合いくださいますよう、お願いいたします。

 さて、今日は、秋の彼岸会とあわせて、永代経法要もお勤めいたしております。永代経法要といいますのは、亡くなられたお身内の方々を偲び、故人が結んでくださった仏法へのご縁を深めるために、年に一度、お勤めする法要です。

 おそらく、今日お参りになった、ほとんどの方が、ご自身にとって掛け替えのない、大切な方を亡くされた経験を、お持ちのことと思います。それは、つまり、お葬式をして、納骨をしたり、お墓を建てたりしたことが、おありになるということですが、そんなふうに、故人を埋葬し、葬礼するのは、人間だけなのです。

 もちろん、犬や猫や、他の動物たちが、家族や仲間の死と出会ったときに、何を思っているのか、私たちにはよく分からないのですが、野生動物の映画などを見ますと、死体となって動かなくなった仲間には、すぐに関心がなくなるようで、そのまま置き去りにしていきますね。

 人間以外の霊長類も、埋葬はしません。人間にいちばん近い霊長類はチンパンジーですが、チンパンジーも埋葬はしません。仲間の死体は、そのまま捨てていきます。つまり、人間以外の動物にとっては、死体はゴミも同然なのです。

 人類も、最初は、死体を埋葬することなく、ゴミのように捨てていたようですが、20世紀の中頃に、イラク北部のシャニダール洞窟で発掘されたネアンデルタール人の化石には、埋葬されていたと思われる形跡がありました。数万年前の化石ですが、遺体とともに、いろんな生活用品が整然と並べて埋められていて、花を添えた形跡まであったといいます。

 私たちは、このネアンデルタール人とは別系統の人類で、ホモサピエンスと呼ばれていますが、ホモサピエンスは、3万年くらい前に現れて、その最初から、埋葬の習慣を持っていたと考えられています。

 埋葬の習慣を持っているのは、人間だけです。人間と他の動物たちとの一番大きな違いは、言語や火の使用ではなくて、この、「遺体を埋葬する」という行為にある、と言う学者もいます。このことは、人間を人間たらしめているものは何かを考えるうえで、非常に大切な鍵ではないかと思います。

 さきほどお話いたしましたように、人間以外の動物は、仲間の死に出会っても、何が起こったのか分からないような素振りで、死体をゴミのように打ち捨てたまま、立ち去っていきます。ですが、人間は違いますね。

 私たち人類は、遠い遠い祖先の時代から、仲間が死んだとき、何が起こったのかを知っていた。仲間は、死の時を迎えたのであって、ゴミになったのではないことを知っていたのです。遺体は、ゴミではなくて、死んだ仲間なのです。ですから、他の動物に食われたりしないように、手厚く埋葬したのです。

 埋葬したのは遺体だけではありません。死者が生前に使っていた生活用品や、これから必要になるであろう品物も、一緒に埋葬したのです。それはです、とりもなおさず、「死んでも終わらない、死後の世界がある」と感じていたということですね。

 「埋葬という行為をするのは人間だけだ」と申しましたが、それは、言葉を換えて言えば、「いつかは死ぬ日がやってくる」ということを理解する能力と、「死を超えた世界」を感じる能力を持っているのは、人間だけだということです。

 つまりは、人間を人間たらしめているのは、「死は避けられない」ということと、「死んでも終わらない」ということを、ともに知っていることなのです。

 以前、こんな話を聞きました。アメリカ先住民のプエブロ族の人たちの話です。彼らは、よい死を迎えるということを人生の最終目標にしているといいます。そのために、お金も貯め、自分の死ぬ日が分かるような人間になろうと修行するのだそうです。

 自分の死ぬ日が前もって分かるようになると、その日を非常に大事にする。そして、その日が来ると、みんなを招待してもてなし、家族や仲間の微笑みに送られて、死んでいくといいます。「その日」が、人生最高の日になっているのです。

 彼らは、年とともに気高い顔になり、本当に人間の顔をして死んでいくといいます。プエブロ族の人々にとって、「その日」は、「無」になってしまう日ではないのです。そうではなくて、宇宙の偉大な生命「グレート・スピリット」とひとつになって、永遠に生き続けるようになる日なのです。

 アメリカ先住民の諺に、「今日は死ぬのにもってこいの日だ。私の人生のすべてがここにあるから」というのがあります。おそらく、彼らは、人生が与えてくれるすべてを味わい尽くしたときに、「その日」を悟ったのだと思います。

 「その日」が来ることを忘れず、人間として成長し続けて、人生が与えてくれるものに満足し、ついには、「その日」を超えて生きていく。まことに羨ましい生き方のように思いますが、皆さんは、どうお考えになりますでしょうか。

 「その日」が来ることを忘れず、「その日」を超えて生きていく。それが、他の動物とは違った、人間らしい生き方だとすれば、私たち現代人が、人生に、人間らしい満足を感じられない理由も、分かってくるような気がします。

 何年か前の統計ですが、NHKの世論調査によると、現代の日本で、死後の世界を信じている人は12%しかいないそうです。つまりは、100人いれば88人までが、死ねば終わりだと思っているということです。

 いつもお話いたしますことですが、死ねば終わりだと思っていると、恐ろしくて、死ぬことなど考えられません。ですから、私たちは、ことあるごとに、「死ぬことなど考えていないで、生きることが大切だ」と言うのです。

 たしかに、死ぬことより、生きることの方が大切です。ですが、はたして、私たちは、生きることを、それほど大切にしているのでしょうか。

 「明日もある」と思って、どこかうわのそらで生きているようなところはないでしょうか。あるいは、忙しさ、慌ただしさに流されているうちに、昨日と変わらない今日が、過ぎ去っていくだけ、ということはないのでしょうか。

 そうでなければ結構ですが、いちど、お考えになってみてくださいね。朝、目覚めたとき、「ああ、今日も生きている」と、生きていることに感動することが、ありますでしょうか。「いのち」が輝いているということが、ありますでしょうか。おそらく、ほとんどないのではないでしょうか。

 「生きている」ことに感動がない、「いのち」に輝きがない、というのは、私たちにとっては、たいてい、「生きている」のが「あたりまえ」になっているからです。「あたりまえ」のことは、なかなか大切には思えません。

 とするとです、「生きている」ことが本当に大切だと思えるのは、どんなときか。それはです、おそらく、「生きている」のが「あたりまえ」でなくなったとき、「限りある命」を強く意識したときでしょうね。

 もちろん、「限りある命」を強く意識したからといって、必ずしも「いのち」が輝くとは限りませんけれど、それでもきっと、それまでとは違った目で、人生を見るようになるはずです。

 先日、黒沢明監督の「生きる」という映画をビデオでみました。1952年(昭和27年)、黒沢監督が42歳のときの作品で、今から53年も前の映画ですが、有名な作品ですので、ご覧になったことがおありかもしれません。

 この映画を見ましてね、ここには、「限りある命」を強く意識したときに、私たち現代人の多くがたどるであろう心の軌跡が、ほとんど描き尽くされているように思いましたので、すこし長くなりますが、おおよそのあらすじをご紹介いたします。だいたい、こういう話です。

 ある市役所の市民課の課長が、胃ガンで、残された時間が半年か、せいぜい1年だと分かった。(この役を演じていたのは、あの名優、志村喬です。)目の前が真っ暗になった課長は、自分の人生を振り返って、30年間、市役所で忙しくハンコを押していただけで、実は何もしていなかった、生きていなかった自分に気づくのです。

 絶望のあまり自殺を考えましたが、それも果たせず、居酒屋で出会った小説家に連れられて、歓楽街にでかけます。パチンコ屋、飲み屋、ダンスホール、キャバレー、ストリップ劇場と、おそらくは生まれて初めて訪れる歓楽街を経巡って、残された人生を楽しもうとするのですが、どうしても満たされた思いがしなかった。

 そんなとき、オモチャ工場で働いている、元部下だった若い女性に出会います。そして、その生き生きとした若い女性に惹かれて、執着するようになるのですが、突き放されて、はたと気づくのです。生き生きとした魅力を感じるのは、その女性が、何かを一所懸命にしているからだと。

 自分にも、まだ出来ることがあると気づいた課長は、ある町内から陳情がきていた公園建設のことを思い出します。市役所に駆け戻った課長は、たなざらしになっていた公園建設の実現に、残された人生を懸け、無気力な役所内部の障害を次々に克服して、ついに、公園を完成させます。

 そして、あの有名なシーンです。冬の寒い夜に、完成した公園のブランコに座り、満ち足りた穏やかな表情で、ひとり、「いのち短し、恋せよ乙女……」と歌うシーンです。映画をご覧になっていない方も、そのシーンだけはご存じかもしれませんが、かくして、課長の人生は、自分の完成した公園のなかで、ブランコに揺られながら、幕を閉じます。

 映画をご覧になった方は、思い出されたかもしれません。また、ご覧になっていない方も、おおよそのあらすじはお分かり頂けたことと思います。

 この「生きる」という映画は、スピルバーグ監督がハリウッドでリメイクすることになっていると聞いています。それだけ多くの人々に共感される内容が、この映画にはあるというわけですが、皆さんは、どう思われましたでしょうか。

 インターネットで調べてみましたところ、この映画を見た、ほとんどの方が、「感動した」という感想を記しておられました。ですが、私は、主人公の気持ちは理解できましたが、正直なところ、この映画を見て感動する人が多いことに、戸惑いを感じました。

 たしかに、この映画は、優れた作品だと思います。ですが、そう思うのは、主人公に共感できるからではないのです。そうではなくて、この映画は、私たちに、改めて、人生を考えさせてくれるからです。

 死ぬことを忘れて生きている、死ねば終わりだと思って生きている。そういう生き方をしていると、「死」に直面したときに、はじめて、人生の大切さに気づき、「生」にしがみつくことになる。この映画は、そんな私たち現代人の生き方に、大きな疑問符を投げかけているように、私は思いました。

 「限りある命」を強く意識してからの主人公の生き方を、たとえて言えば、ちょっと乱暴な「たとえ」ですが、こういうことではないかと思います。

 平らな道をぼんやりと歩いていたら、突然、足下が崩れて、坂道を転がり始めた。目の前には、崖っぷちが見える。その先は、何も無い断崖絶壁です。どんどん近づいてくる崖っぷちを見つめていると、恐ろしくて仕方がないものですから、必死で坂道にしがみつこうとします。

 坂道にしがみついても、どんどん崖っぷちに近づいていくことに変わりありませんが、少なくとも、坂道にしがみついている間は、崖っぷちを見なくて済みます。主人公が、最後に何かをしようとしたのは、この、崖っぷちを見つめているのに耐えられなかったからのようにも思えますが、どうでしょう。

 映画の主人公には、まことに申し訳ないのですが、はたして、「生きる」というのは、こういうことを言うのでしょうか。さきほどお話しいたしましたプエブロ族の生き方と比べると、あまりにも悲しいように思うのですが、如何でしょうか。

 もしも、私たち現代人が、次から次へと、何かをしようとしているのも、無意識のうちに、崖っぷちのことを忘れるためだとしたら、「『その日』が来ることを忘れないで生きる」などと言われても、迷惑なだけかもしれません。

 ですが、「死」が人生のゴールである限り、「死」を無視して人生は考えられないはずです。人は、本来、「死」を思うときには「人生」を考え、「人生」を考えるときには「死」を思うものなのです。

 実際、さきほどの映画の主人公もプエブロ族の人々も、その点では、変わりはありません。プエブロ族の人々は、「その日」を目指して人生を考えていますし、映画の主人公は、「その日」を目の前にして人生を考えましたね。

 では、何処が違うのかというと、人生を見る視点の置き所が違うのです。人生に向かうスタンスが違うといいますか、立っている場所が違うのです。何でもそうですが、立っている場所が違うと、見え方も違います。それは、人生を考える場合でも同じです。

 では、何処に立てば、私たちの人生が、はっきりと見えるのか。人生の全体を見るには、何処に立てばよいのか。実は、これが、今回の話の核なのです。

 私たち現代人は、たいてい、さきほどの映画の主人公のように、「その日」が目前に迫ってきたときに、人生を真剣に考え始めます。そんなスタンスから何が見えるかというと、まずは、「その日」と自分のあいだにある、どうなるか分からない不確かで不安な人生です。「その日」といっても、何日の何時何分と、はっきり決まっているわけではありませんから、ますます不安になる。

 そこで、「その日」から目をそむけて、振り返って見る。すると、そこには、過ぎ去った人生が見えてきます。それは、いまさらどうすることもできない人生ですから、後悔することも多いかもしれません。ですが、過ぎ去った人生は、記憶に残っている限り、その全体の姿が見えますね。

 振り返って見れば、過ぎ去った人生の全体像が見える。これは、人生を見るスタンスを考えるうえで大切なことです。それはつまり、人生が終わったところから、振り返って見れば、人生の全体像が見えるということです。

 といっても、人生最後の日、「その日」から振り返って見たら、自分の人生の全体像が見えるかといえば、そうではありません。というのは、それが人生最後の日であっても、まだ「その日」は終わっていないからです。「人の一生は、棺桶の蓋を閉じるまで分からない」。昔の人は、うまいこと言ったものですね。

 では、どこから振り返って見れば、人生の全体像が見えるのかといえば、それはです、「その日」を超えた、向こう側からなのです。人生から離れた場所に立ったときに、はじめて、人生の全体像が見えるのです。

 ところが、「死ねば終わりだ」と思っている現代人にとっては、そんなところには立つ場所がありません。それで、困ったことになるのです。人生を全体として見ることができないと、今、自分がいる場所が分からないからです。

 自分のいる場所が分からないものですから、常に迷っている。そして、迷っていることにすら気づかないうちに、「その日」を迎えてしまうのです。「現代人は、いきなり死んでしまう」と言った人がいますが、たしかに、そんな気がします。

 それに比べて、さきほどお話しいたしましたプエブロ族の人々には、「その日」の向こう側に、立つ場所がありました。宇宙の偉大な生命「グレート・スピリット」の世界がありました。彼らは、そこから自分の人生を見て、迷うことなく、真っ直ぐに、「その日」に向かって進んでいくのです。

 彼らは、「いきなり死んでしまう」ことはありません。常に「死」を意識して、「生」を確かめながら生きているからです。いわば、彼らは、「ずっと死に続けている」のです。それこそ、日々、目覚めたときに、「今日も生きていること」に感動し、「いのち」の輝く生き方ではないかと思いますね。

 プエブロ族の人々だけでなく、私たち仏教徒にも、「その日」の向こう側に、立つ場所があります。「お浄土」です。「お浄土」に立って、「その日」に向かって進んでくる自分の姿を見る。それは、仏の目で自分を見るということでもあります。

 仏の目で見るといっても、それは、自分の運命が見えるということではありません。そうではなくて、自分が、どんな世界の何処にいるかが見えるということです。それが分かれば、自分の進んでいくべき道も見えてくるはずです。

 仏の目で見れば、私たちの生きている世界は、「諸行無常(しょぎょうむじょう)、諸法無我(しょほうむが)、一切皆苦(いっさいかいく)、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の世界です。

 この四つは、「四法印(しほういん)」といいまして、世界の真実の姿をあらわす四つの印(しるし)です。つまりは、この世界を旅するものにとっての、道標や一里塚のようなものです。

 仏の目から見れば、「四法印」が見え、「四法印」が見えれば、仏の目で見ているということです。ですから、仏の目で見れば、自分が世界のなかで立っている位置と、進むべき方向が見えてくるわけです。それは、こういうことです。

 「諸行無常」というのは、「この瞬間は、もう二度と帰ってこない」ということです。人生を旅にたとえていえば、「今歩いているところは、もう二度と歩くことはない」ということです。

 私たちの日常生活というものは、今日することの8割以上が、昨日したことと同じという、はなはだ単調なものですから、「この瞬間は、もう二度と帰ってこない」という感覚は、なかなか持てません。ですが、それでも、「この瞬間は、もう二度と帰ってこない」のです。

 少しお考えになってみてください。たとえば、夏になったら夏になったで、暑い暑いと愚痴を言い、冬になったら冬になったで、寒い寒いと愚痴を言っているのが、私たちです。愚痴とホコリはいくらでも出てきます。ですが、この夏が人生最後の夏だとしたら、どうでしょう。

 おそらく、夏の暑さを、全身で感じておきたいと思うのではないでしょうか。暑い夏の一瞬一瞬を、かけがえのない、いとおしいもののように思うのではないでしょうか。「この瞬間は、もう二度と帰ってこない」ということに気づくのは、そんなときです。

 私たち現代人は、常に走っています。速くこれを片づけて、次にかからねばならないと、追われるように走り続けて、立ち止まることがありません。ですが、本当は、いとおしくて時間を止めてしまいたくなるような、二度と帰ってこない一瞬一瞬を、生きているのです。そのことを教えているのが、この「諸行無常」です。

 さきほどご紹介いたしました「生きる」という映画に、こんな場面がありました。公園建設の実現に走り回っていた主人公が、ふと橋の上で夕焼けの空を見上げ、茫然として立ち止まるのです。

 「おお、美しい…。実に美しい…。わしは、夕焼けなんて、この30年間、すっかり…。いや、しかし、わしにはもう、そんな暇はない…」。そうつぶやいた主人公は、まるで見てはいけないものを見たかのように、夕焼けの空から顔をそむけて、小走りに立ち去っていきました。わずか30秒ほどの、短いけれど、忘れられないシーンでした。

 おそらく主人公は、私たち現代人と同じように、「立ち止まっている暇はない。何かを成し遂げることが生きるということだ」と思い込んでいたのです。ですが、あの時、もう少し立ち止まっていたら、もっと大切なことに気づけたかもしれません。それを思うと、残念な気もします。

 私たち現代人は、「何かうまいもはないか、何か面白いことはないか」と、刺激を求めて駆け足で渡り歩く「観光客」のような生き方をしています。ですが、それは人の生き方ではないように思います。むしろ、二度と訪れることのない風景のなかを、一歩一歩味わいながら踏みしめて歩く「旅人」のように生きること。それこそが、人の生き方ではないでしょうか。

 「観光客」ではなく「旅人」になる。そのとき、はじめて、人生には、あたりまえのことなど何も無かったことに、気づくのではないかと思います。

 また、「諸法無我」というのは、これは、いつもお話しいたしますように、「私たちの真実の姿は、『私』も『あなた』もない、大きな一つの命を生きている『いのちの仲間』だ」ということです。

 仏の目で見れば、私たちは「いのちの仲間」です。仲間は、殺し合わない。仲間は、奪い合わない。仲間は、欺き合わない。それが、仲間です。

 私たちが、同じ時代、同じ世界に生まれてきたのは、殺し合い、奪い合い、欺き合うためではなく、互いに助け合い、互いに学び合うためなのです。

 以前、こんな話を聞きました。1920年頃に、有名なドイツの心理学者カール・ユングが、アメリカに行ってプエブロ族の人々と出会ったときの話です。

 当時のヨーロッパ人たちは、アメリカ先住民は野蛮人だと思って馬鹿にしていた。ところがユングは、プエブロ族の長老に会って、その顔があまりに気高いのに感激して、こう言ったそうです。「こんな顔をした老人はヨーロッパにはいない。それにひきかえヨーロッパ人は、みんな猛禽類の顔をしている」と。

 文明人は、何か食えるものはないかと、いつもあたりを見渡しているワシかハゲタカのような顔をしているというわけですが、今や、グローバル化が進んで、世界中の人が猛禽類の顔になってしまいました。それは、つまり、獣(けだもの)の目で、世界を見るようになったということです。

 「自分、自分」と、大声で自己主張し、自分の利益を求めて躍起になっているのが現代人ですが、他人とは違う「自分」を主張すればするほど、自分と他人のあいだに溝ができていくものです。その結果、世界中で紛争が起こり、解決の糸口すらつかめない問題が山積するようになりました。

 おそらく、獣(けだもの)の目で世界を見ている限り、人の進むべき道はみつからないのでしょうね。獣の目で見れば、獣になっていく道が見え、仏の目で見れば、仏になっていく道が見えるのです。

 獣(けだもの)の目ではなく、仏の目で世界を見る。そうなったとき、私たちの前には、自ずと、人としての進むべき道が、開かれてくると思います。

 また、「一切皆苦」というのは、「この世のことは、思い通りにはならないものだ」ということです。

 私たちは、何でも自分の思い通りにしたくて、悩み、苦しみ、迷うわけですが、思い通りにならないことが普通なのです。ですから、もしも思い通りになることがあったら、喜べばいいし、思い通りにならなくとも、がっかりすることもないし、腹を立てることもないのです。

 いつもお話することですが、「私が必要とすることではなく、私に必要なことが起こってくる。私が必要とする物ではなく、私に必要な物が与えられる」のです。「私にとって無意味なことは何も起こらない」のです。それが、仏の目から見た真実です。

 ですから、仏の目で見ることができたら、何かが思い通りにならなかったときにも、「今の自分には、これが思い通りにならないことが必要だったのだ」と謙虚に受け止め、すぐにはどんな意味があるかは分からなくとも、「いつか分かるときがくるかもしれない」と、一区切り付けて、次の一歩が踏み出せるのではないかと思います。

 そして、「涅槃寂静」というのは、「仏の目から見ることが出来るようになれば、私たちは、安らかな心で生きていける」ということです。

 常に仏の目で見ることができるようになれば、それはもう、仏になったということですが、私たちは、なかなか、そうはいきません。ですが、私たちでも、何度も何度も仏の目に馴染んで、ことあるごとに仏の目を思い出せるようになることなら、できるのではないでしょうか。そうなるために、私たちに示されているのが、聞法とお念仏の生活です。

 私たちの心は、ことのほか硬いもので、一度や二度聞いたからといって、何かが変わるわけではありません。ですが、そんな私たちでも、何度も何度も聞いているうちに、聞く耳ができてきて、日々称えるお念仏が、雨だれが岩を穿つように、少しづつ、心のなかに仏の目を刻み込んでいくものです。

 聞法を重ね、日々お念仏を称える生活のなかで、ちょうど、牛が飲み込んだワラを何度も何度も噛み直して消化するように、何度も何度も仏の目に馴染んでいるうちに、自ずと、仏の目が身に付いてくる。そして、ことあるごとに、仏の目を思い出せるようになっていく。それが、聞法とお念仏の生活なのです。

 小さい頃のことですが、お仏壇に向かって、お念仏を称えておられるお年寄りのお顔を見ると、お仏壇の後の壁を突き抜けて、遠くを見るまなざしになっていることが、よくありました。その時は分かりませんでしたが、あのまなざしの先には、きっと、お浄土があったのだと思います。

 その頃は、何か悪さをするたびに、祖母から、「仏様が見てられるよ」と、よく言われました。皆さんも、言われたことが、おありかもしれませんね。小さい頃は、そう言われると、なんとなく仏様のバチがあたるようで、しょげたものですが、あの言葉の意味が分かったのは、ずっと後になってからでした。

 ここに「常照我」という扁額がかかっておりますが、この言葉は、「仏様は、常に、私を照らしてくださっている」という意味です。「仏様が見ておられる」というのは、このことだったのです。「仏様が見ておられるよ」というのは、「仏のまなざしを感じられるような人になれ」という、願いが込められた言葉だったのだと、今は、思っております。

 仏を見つめている人は、そのまま、仏に見つめられている人です。仏を見つめるまなざしは、仏の世界から、自分を見つめるまなざしです。永遠の世界から、今を追憶しているような、そんな遠いまなざしをしている人、そんな人になりたいと、私は思います。

 今は、遠いまなざしをしている人も、「仏様が見ておられるよ」と諭す人も、ほとんど見られなくなってしまいましたが、それでも、仏様は常に見ておられるのです。そのことに気づいたときにこそ、私たちは、仏のまなざしのなかで、人として生き、人として逝けるのだと思います。

 さて、如何でしょうか。私たちが本当に生きるためには、「その日」を超えたところに、立つ場所が必要だということが、何となくでも、お分かり頂けましたでしょうか。

 私たちは、聞法とお念仏の生活のなかで、その場所を確かなものにしていきます。それは、安らかに死ぬためではなくて、安らかに生きるためなのです。「その日」が来ることを忘れず、「その日」を超えて生きていくためなのです。

 「安らかに生きる」というのは、悲しみも苦しみもなく生きる、という意味ではありません。悲しみも苦しみもない人生というのは、考えられませんね。そうではなくて、「安らかに生きる」というのは、何があっても、自分の人生を受け容れて、歩み続けられるということです。

 たとえばです、皆さんに、小さなお子さんやお孫さんがおられるとしたら、毎日毎日、手が掛かって大変かもしれませんが、可愛いくて仕方がないに違いありませんね。ですが、そのキラキラと輝いている可愛い子供は、すぐに大きくなってしまいます。

 その子供と一緒にいる一瞬一瞬は、もう二度と帰ってこないのです。「諸行無常」なのです。そのことが思い出せたら、今が、どれほど大切なのか、身に染みて分かるのではないでしょうか。小さなお子さんやお孫さんがおられたら、今のうちに、しっかり抱いておかれた方がいいと思います。すぐに、抱かせてもらえなくなりますよ。

 そんな子供や孫がいたら、「何があっても、この子が一人前になるまで見届けたい」と思うのが、私たちです。ですが、その願いが叶うかどうかは、分かりませんね。

 昔、大徳寺の一休さんが、正月に、目出度い言葉を書いてくれと頼まれて、「親が死に、子が死に、孫が死ぬ」と書かれたそうです。逆にならずに、この順で死ねたら、これほど目出度いことはない。

 しかし、この世のことは、思い通りになるとは限りません。「一切皆苦」なのです。自分にとって、たった一つの願いでさえ、叶わないこともあるのです。子供や孫が、先に逝くこともあるのです。

 私たちにとって、子供や孫に先立たれるほど、悲しいことはないかもしれません。ですが、そこから、人生の大切さを改めて学ぶことができたら、涙は乾かなくとも、顔を上げることができるのではないでしょうか。そうなったら、きっと、先に逝った「いのちの仲間」も、喜んでくれるに違いないと思います。

 私たちの真実の姿は、「私」も「あなた」もない、大きなひとつの「いのち」を生きているのです。「諸法無我」なのです。私たちはみな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていく、「いのちの旅仲間」なのです。

 そのことが思い出せたら、また会える日に向かって、次の一歩を踏み出せるのではないでしょうか。

 何があっても、自分の人生を受け容れて、歩み続けられる。安らかに生きられる。そんな生き方は、「涅槃寂静」の世界から、仏の目で、自分を見られたときに、はじめて出来ることではないかと思います。

 私たちは、「その日」が来ることを知っているだけでは、人として生きられないのです。「その日」を超えた世界があってこそ、人として生きられるのです。私たちの「限りある命」は、「永遠の世界」とつながったときに、はじめて輝くのです。

 「その日」が来ることを忘れず、人間として成長し続けて、人生が与えてくれるものに満足し、ついには、「その日」を超えて生きていく。それこそが、人として生まれてきたものの生き方だと思います。

 お念仏を称えることは、人にだけできることです。どうぞ、皆さん、人として生まれ、仏法に出逢えた「ご縁」を大切にして、ご一緒に、お念仏を称えてまいりましょう。

 さて、本日は、これで終わらせて頂きます。まとまりのない話に、長い間お付き合いくださいまして、有り難うございました。また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますように、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…



次の法話へ


紫雲寺HPへ