釋昇空法話集・第50話

末法の世に

親鸞さまに遇う

(2011年11月13日 報恩講法話)
 本日は、ご多用のところを、ようこそお参りいただきました。ご苦労様でございます。だんだん寒くなってまいりまして、もう今年も残すところ一ヶ月半ほどになりました。何となく気ぜわしい思いがいたしますが、皆さんは、いかがでしょうか。

 今年は、宗祖・親鸞聖人の750回御遠忌の年です。私たちの宗派では、この御遠忌の基本理念として、「宗祖としての親鸞聖人に遇(あ)う」という言葉が掲げられています。

 この御遠忌を機会に、真宗門徒である私たち一人ひとりが、自分の生き方、生活のありさまを見つめ直し、改めて、宗祖の顕かになさった「お念仏の教え」を受け止めていこうということです。

 お念仏の教えは、「末世相応(まっせそうおう)の法」、つまり、末法(まっぽう)の世に相応しい教えだと言われていますが、私たち現代人には「末法」という言葉の意味も定かでなくなってきています。そこで、今回は、ことさら「末法の世に」という題で、私たちの信心を再確認してみたいと思います。

 前回の続きのような、いつもながらのまとまりのない話ですが、どうぞしばらくのあいだお付き合いくださいますよう、お願いいたします。

 さて、今年の春には、御遠忌を記念して、京都市美術館で「親鸞展」が開かれました。皆さんも、おいでになったかもしれませんが、普段はなかなか見られない貴重な品々が展示されておりましたね。

 親鸞聖人の御絵像や御木像もありました。お手もとにお配りいたしております資料に、そのなかからいくつかの写真を選んで載せております。お名前は知っているけれど、お顔は知らないという方もおられるでしょうから、まずは、ちょっとご覧ください。

 一番上の御絵像は、「鏡御影(かがみのごえい)」と呼ばれています。西本願寺藏の国宝です。聖人70歳頃のお姿を写したものですが、お顔の描写は、繊細でリアルですね。張りのある額、ややこけた頬、跳ね上がった眉、小さな眼。目元には、厳しいなかにも優しさが感じられますし、口元は、今にも話しかけてこられるような生き生きとした感じがします。

 身体のほうは、デッサンのようにラフに描かれていますが、がっちりしておられるように見えます。実際、栃木県の高田本寺に、遺品として伝わっている「笈(おい)」のサイズから見て、親鸞聖人は、六尺(約180センチ)を超える偉丈夫だったと考えら れております。

 まあ、それだけの、体格に恵まれた方であったからこそ、平均寿命は25歳程度と言われていた時代に、90歳という長寿を得られたのではないでしょうかね。90歳というのは、現在でも相当な高齢ですが、よほど、お身体のお丈夫な方だったのでしょうね。

 次に、中央の段の左側にあります御絵像は、「安城御影(あんじょうのごえい)」と呼ばれているもので、聖人83歳のお姿を写したものです。

 この「安城御影」には、ご存命中に描かれたオリジナルが1幅と、蓮如上人がお作らせになった模写が2幅あります。オリジナルと模写1幅は、西本願寺藏で、ともに国宝です。ここに載せています写真は、もう1幅の模写で、東本願寺藏、重要文化財です。

 お顔は、あまりはっきりしませんが、墨染(すみぞめ)の衣に、墨袈裟(すみげさ)を着け、薄茶色の帽子(もうす)を巻いておられます。首に巻いておられるマフラーのようなものが、帽子(もうす)です。そして、黒色の着物に、茜根裏(あかねうら)の下着が、襟元と裾にちらっと見えています。

 この御絵像で面白いのは、一緒に描かれている身の回りの品物です。紋縁(もんべり)の上畳(あげだたみ)の上に座具を敷いておられますが、これは狸の皮だそうです。前に置かれている鹿杖(かせづえ)は桑の木で、T字形の握りには猫の皮が巻かれていて、草履にも猫の皮が貼ってあります。桑の木で作った火桶(ひおけ)には、火が入っています。

 親鸞聖人は、この絵をご覧になって、非常に喜ばれたそうですから、これが、親鸞聖人が抱いておられたご自身のイメージだということになりますが、皆さんの抱いておられる親鸞聖人のイメージと比べて、どうでしょうかね。

 ちなみに、蓮如上人は、親鸞聖人の200回忌のおりに、この御絵像のオリジナルを、お飾りになりましたが、それを見て、一休さんが、こんな歌を詠まれました。

    末世相応のこころを
   襟巻(えりまき)の あたたかそうな 黒坊主
    こいつが法は 天下一なり

 なんとも乱暴な歌ですけれど、「末法の世に相応しいということでいえば、親鸞聖人の説かれた教えは天下一だ」と褒め称えた歌なのです。一休さんは、親鸞聖人を非常に尊敬なさっていて、この御絵像の模写を蓮如さんから譲り受け、終生大切になさったといいます。

 その「安城御影」の右横に載せております御絵像は、「熊皮御影(くまがわのみえい)」と呼ばれています。これは、「安城御影」を手本にして、14世紀の南北朝時代に描かれたものですが、こちらは、狸の皮ではなく、熊の皮に座っておられますので、「熊皮御影」と呼ばれているわけです。

 70歳頃の「鏡御影」と比べますと、お顔の表情にお年が感じられ、シワが増えて、すこしお痩せになったようにも見えます。

 そして、一番下に載せてあります「親鸞聖人座像」(高田派・専修寺藏)は、同じく14世紀の南北朝時代に、「安城御影」を手本にして造られたものです。聖人の風貌を生き生きと再現していて、現存する親鸞座像のうちで、最も古く、かつ優れたものと言われています。

 いかがですか。お名前だけでは遠い方も、こんなふうに、お顔やお姿をご覧になったら、より近しく感じられるのではないでしょうか。

 これは以前、聞いた話ですが、ある教導の方が、同朋会館で奉仕団の方々に、「親鸞聖人ってどんな方だと思いますか」という質問をなさったそうです。

 答えにくそうだったので、三択で手を挙げてもらった。「やさしい人」ですか、「厳しい人」ですか、「変な人」ですか、と。

 結果は、ほとんどの方が「優しい人」に手を挙げられ、「厳しい人」に手を挙げられたのは3割ほど、「変な人」に手を挙げられたのは一人だけだったそうです。

 いつもそばに寄り添ってくださり、ときに厳しく自分を問うてくださる方だけれど、ちょっぴり分からないところのある方。当たっているかもしれませんね。

 「宗祖」というと遠い人になってしまいますが、そうではなくて、親鸞さまは、「御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)」と、膝つき合わせて、同じ高さの目線で話しかけてくださる方だったと言われています。

 実際、親鸞さまは、生涯、法然上人をお師匠様と敬っておられた方ですから、「宗祖」なんて呼ばれているとお知りになったら、おそらく、怪訝(けげん)なお顔をなさるだろうと思いますね。

 親鸞さまは、奥さまの恵信尼の手紙によりますと、「後世(ごせ)のたすかる縁」を求めてご苦労なさった。「後世のたすかる縁」というのは、死後に輪廻の世界に生まれない教えのことです。親鸞さまは、法然上人のもとで、ついに、その「後世のたすかる縁」に出会われました。それが、「お念仏の教え」です。

 それまでに、親鸞さまは、9歳のときから20年間、比叡山で修行なさって、身に染みてお分かりになったことがあります。それは、「いづれの行もおよびがたき身」(自分は、どんな修行でも覚れない人間だ)ということです。

 修行をなさらなかったのではありませんよ。仏さまの教え(教)に従って、20年間、懸命に修行(行)なさったのですが、煩悩を断ち切るという、修行の結果(証)を得ることはできなかった、ということです。ここで、今日の話の題にある「末法」という言葉をご説明しておきますね。

 この世は「諸行無常(しょぎょうむじょう)」ですから、お釈迦様の教えといえども、いずれは衰えていくはず。ということで、仏教では、お釈迦様がおなくなりになってからのことを、三つの時期に分けて考えています。こちらの表をごらんください。

 お釈迦様がお亡くなりになった後、1000年間は、教えに従って修行すれば覚りが得られる。つまり、「教え(教)」と「修行する人(行)」と「修行の結果(証)」が、揃っている。これを「正法(しょうぼう)の時代」といいます。

 その後の1000年間は、教えに従って修行しても、覚りは得られない。「教え」と「修行する人」はあるけれども、「修行の結果」が得られない。これを「像法(ぞうぼう)の時代」といいます。「像」というのは「似ている」という意味です。「正法の時代」に似ているけれど、同じではない。それが「像法の時代」です。

 さらに、その後の一万年間は、教えは残っていても、修行も、覚りも、名ばかりのものになる。「教え」は残っていても、「修行をする人」もなければ、「修行の結果」もない。これを「末法(まっぽう)の時代」と言います。親鸞さまの時代は、すでに「末法の時代」だと考えられていました。

 ちなみに、今でも、時には、真剣に修行なさる方もおられて、以前、比叡山の千日回峰行を終えられた方に、テレビでインタビューしているのを見たことがあります。

 アナウンサーが、「いかがですか、千日回峰行を成し遂げられて、何がお分かりになりましたか、覚れましたか」と、尋ねたところ、その方は、こうお応えになっていました。「なんとしても覚れない、ということが分かりました」と。すごい人だなあ、と思いましたね。

 親鸞さまも、そうだったのではないでしょうかね。懸命に修行なさっても、覚ることはできなかった。ご自分の能力も含めて、「末法の世」というものを、強く意識されたと思いますね。そんなとき、法然さまの「お念仏の教え」に出遇われたのです。

 「お念仏の教え」というのは、ひとことで言えば、「弥陀(みだ)の本願(ほんがん)を信じ、念仏申さば、仏に成る」という教えです。

 もう少し分かりやすく申しますと、「南無阿弥陀仏というお念仏を称える者は、みんな仏の世界(お浄土)に生まれて、覚りを開くことができる」ということです。つまりは、「お念仏を称えたら救われる」という教えですね。

 お念仏を称えることは、誰にでもできます。難しい修行のできない人でも、お念仏を称えることならできます。ですから、「お念仏の教え」は、もともとは、修行も覚りも不可能になった「末法の世」に相応しい教えとして、世に受け入れられたのです。

 ところがです。今や、その「お念仏の教え」までもが、末法の闇に覆われかけているのです。今回お話したかったのは、このことなのです。

 ずっと気になっていることがありましてね。それは、門徒さんのあいだで、だんだんお念仏の声が聞こえなくなってきていることです。

 月参りに伺っても、そうですね。『正信偈』のお勤めは唱和なさる方でも、お念仏になると、はたと黙ってしまわれる。この寺だけでなくて、全国的にそういう傾向があるようでして、真宗王国と言われた北陸でも、年々、お念仏の声が小さくなってきています。

 そう思うのは私だけではないようで、高史明(コ・サミョン)さんの奥さんの岡百合子さんも、東本願寺のパンフレットに、こんなことを書いておられました。

 30年ほど前に、高史明さんが、福井別院の暁天講座でお話になったときには、話が終わったとたん、いっせいにお念仏が起こった。そのお念仏は、地の底から湧き上がり、本堂全体に広がった。体全体に広がり、心を揺さぶる響きだった。理屈ではなく、全く別のところから来た強い力だった。ところが、そののち、お寺でのお念仏は年々小さくなり、かつての全身をゆるがせた場は遠のいていった、と。(概略引用)

 今年の春、御本山での御遠忌法要にお参りさせて頂きましたが、昔の熱気はうかがえませんで、お念仏も寂しいものでした。たまたま、加賀と近江の教区の方々の参拝日でしたが、とりわけ真宗の盛んな、加賀や近江の方々にして、そうなのですから、他は推して知るべしです。

 御本山の法要で、忘れられないことがあります。今も御遠忌記念の両堂修復工事が行われておりますが、平成21年に、御影堂の修復が終わって、9月30日に、となりの阿弥陀堂に仮安置されていた親鸞聖人の御真影(木像)を御影堂に戻す「御真影還座式(ごしんねい・げんざしき)」が執り行われました。

 その儀式のあと、元大谷大学学長、廣瀬杲(ひろせ・たかし)先生の「浄土にて待つ」という記念法話がありました。驚いたのは、そのご法話のあとです。お話が終わったとたん、パチパチパチと大きな拍手が起こりましてね、お念仏を称える人は、ほとんどいなかった。愕然としましたね。ここまで来てしまったかと思いました。

 御本山(真宗本廟)ですよ。真宗教団の中心に位置する御本山で、真宗を代表するような方が、宗祖親鸞聖人のお話をなさったのですよ。集まっておられた方々も、おそらくご縁のある方々だろうと思いますけれど、拍手はないでしょう。

 私たちは、仏法を聞いたときには、その仏さまの教えを確かに受け取りましたと、両手を合わせて、お念仏を称えたものです。それを「受け念仏」と申します。いかなる場合にも、お念仏を称えるのが、門徒です。門徒の作法に、拍手はありません。

 先ほどの表を思い出してくださいね。「末法」とは、「教」はあっても、「行」も「証」もないことでしたね。「弥陀の本願を信じ、念仏申さば、仏に成る」という「お念仏の教え」で言えば、「念仏申すこと」が「行」です。

 私たち真宗門徒から、「お念仏申すこと」が、つまりは「行」が、消えていこうとしているのです。「行」が消えていけば、当然、「証」もなくなっていきます。実際、「証」は、なくなりはじめています。と言うのは、「お浄土」という言葉が、ほとんど聞かれなくなってきているからです。

 仏教の「証」は「仏に成ること」ですが、これは「お念仏の教え」で言えば、「仏の世界に帰っていく」「お浄土に帰っていく」ということですね。ですから、この「証」が少しでもあれば、人生の大事な場面で、「お浄土」という言葉が出てくるはずなのですが、今や、めったに出てこなくなりましたね。

 たとえば、お葬式です。お葬式の最後に、喪主の方がご挨拶なさいますね。そのご挨拶を聞いておりますと、「皆さんのご丁重なお見送りをいただいて、天国の父も、きっと喜んでいることと思います」とか、「私たちのことを、母もきっと草葉の陰で、見守ってくれていることと思います」とかおっしゃることが、ほとんどでして、「お浄土」という言葉は、まず出てきません。

 はたして、「天国」だとか「草葉の陰」だとかいった、私たち門徒にとって中身のない言葉で、亡き人のこころと、つながることができるものかどうかと思いますけれど、こんなこともありました。

 あるお寺のご住職のお葬式で、ご挨拶に立たれた檀家総代さんが、開口一番、こうおっしゃった。「ご院さんは、天国に行ってしまわれました」と。さすがに、このときは、式場が、一瞬、ざわめきましたけれどね。

 今や、「お念仏」を称える声も、「お浄土」という言葉も、ほとんど聞かれなくなりました。まさに、「世も末」です。こんな世界になってしまったのは、おそらく、私たち現代人が、科学を絶対視するようになって、死ねば終わりだと考えるようになってきたからだろうと思います。

 死ねば終わりだとなると、死のことなど、恐ろしくて考えられないし、考えてもしかたがないということになりますよね。かくして、人は、だんだん、自分の死から目を逸らせて生きるようになってしまったのです。それが、私たち現代人です。

 ですが、死ぬことを考えないようにして生きているというのは、いずれは死なねばならない人生を、ごまかしながら生きているということですよ。

 科学はいらないと言っているわけではありません。ですが、もっと科学技術が進んで、もっと物が豊かになれば、さらに幸せになれると思っているのなら、それは違います。

 もしも、科学技術が進歩するほど幸せになれるというのなら、お釈迦さまや、親鸞さまより、私たち現代人のほうが、うんと幸せだということになりますね。となると、お釈迦さまや親鸞さまから学ぶことは何も無いということになりませんか。皆さんは、どう思われますか。

 私たちは、「欲望」を「需要(ニーズ)」と読み替えて、「科学でできることは何でもする」という方向に進んできました。それで出来たのが、原発であり、臓器移植ですよ。

 そこに得られる喜びは、他の誰かの悲しみと引き替えにしたものです。光を集めて、闇を深くした。闇の底には、悲しみが満ちていますよ。

 ですが、「悲しみを経験しない人には、浄土の教えはわからない」(金子大栄)とも教えて頂いております。末法の世の悲しみを経験している私たちの前には、闇があるだけではなくて、お浄土への道が開かれているのです。今こそ、私たちは、「お念仏の教え」に耳を傾けるときではないでしょうか。

 いつもお話しすることですが、私たちは、目に見える世界では、一人一人がバラバラに生きているように見えても、目に見えない「いのち」の奥底では、みんなつながっていて、「ひとつ」です。

 私たちは、バラバラに生きているように見えても、本当は、みんな「ひとつのいのち」を生きているのです。その「ひとつのいのち」が「仏のいのち」です。あらゆる生き物には、みな、「仏のいのち」が宿っている。 「一切衆生(いっさいしゅじょう)、悉有仏性(しつうぶっしょう)」というのは、このことです。

 私たちが「浄土」と呼んでいるのも、この「仏のいのち」の世界のことです。私たちは、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。浄土は、私たちの「いのちの故郷」なのです。死ぬというのは、その「いのちの故郷」へ帰っていくことなのです。

 私たちは、みんな、「仏のいのち」を生きている「仏の子」なのです。みんな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰って行く、「いのちの仲間」なのですよ。これが、私たちの「いのちの真実」です。

 仏さまは、私たちが、この「いのちの真実」に気づくことを願って、「お念仏の道」を示してくださったのです。お念仏を称えることは、誰にでもできます。ですから、この「お念仏の道」は、誰にでも開かれている道なのです。

 どうぞ、皆さん、ご一緒に、お念仏を称えてまいりましょう。お念仏を称えるところには、親鸞さまも、お越しになる。親鸞さまの御遺言状には、こう記されています。

 「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人寄て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」(『御臨末書(ごりんまつのしょ)』)と。

 「あなたがお念仏を称えて喜んでいるときは、かならず私(親鸞)も、そばで一緒にお念仏を称えて喜んでいると思ってください」。そうおっしゃっているのです。

 また、御同行へのお手紙のなかで、こうもおっしゃっています。「浄土にて、かならずかならず、待ちまいらせさふらふべし」(浄土にて、かならずかならず、お待ち申し上げます)(『末燈鈔』)と。

 「浄土で、かならず、待っていますよ」。お念仏を称えているところに、親鸞さまが、お越しになるのは、きっと、この言葉を伝えてくださるためですよ。

 お念仏は、称えつつ聞くものです。聞いていると、聞こえてくる。お念仏となって出てくる息吹(いぶき)のなかに、お浄土からの呼び声が聞こえてくる。これは、理屈ではないのです。

 「お念仏」とは何か、「お浄土」とは何かなどということは、まずは、どうでもいいことです。「南無阿弥陀仏」と称えること。「お浄土」という言葉を聞くこと。それが大事です。この二つの言葉には、一切衆生を救う働きがあるのですよ。

 何度も申しますが、私たちは、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。浄土は、私たちの「いのちの故郷」なのです。死ぬというのは、その「いのちの故郷」へ帰っていくことなのです。

 聞法を重ね、お念仏を称える生活の中で、このことが本当に腹に落ちたら、この人生を生ききる力、死にきる力が湧いてくる。私たちは、死んでも終わらない。浄土に帰っていくのだ。このことを知っていることが大事なのですよ。生きていくうえでも、死んで行くうえでもね。

 以前、聞いた話です。ある方が子供さんを病気で亡くされた。亡くなるまえに、子供さんが、「おとうさん、わたし、死んだらどうなるの」と聞かれたそうです。その方は、応えに困って、「おじいちゃんと同じお墓に入るんだよ」と、おっしゃったそうです。

 悲しい話です。先立つ子供さんにとっても、あとに残される親御さんにとってもね。どうですか。皆さんなら、何とお応えになりますか。子供さんから、あるいはお孫さんから、「わたし、死んだらどうなるの」と聞かれて、応える言葉をお持ちでしょうか。大事なことですよ。

 「お浄土に帰るんだよ。お念仏をとなえようね。また会えるよ」。そんなふうに、応えることができたら、どうでしょう。いかがですか、「お浄土に帰る」という言葉は、先立つ人にも、あとに残される人にも、大きな力になると思われませんか。

 私たちが、お念仏を称え、「お浄土」という言葉を話すようになる。そのことが、私たち自身を救い、子供や孫をも救っていく。それが、「お念仏の教え」ですよ。

 今年の東北の震災でも、「天国」という言葉は、よく聞きますけれど、「お浄土」という言葉は、聞こえて来ませんね。真宗教団としては、義援金を送ることも大切なのでしょうけれど、亡くなった方々、残された方々を思うなら、「お浄土」という言葉が聞こえてこないことを、もっと心配するべきではないでしょうかね。

 現代は、科学万能ともいえる時代です。ですが、科学は、目に見える世界だけしか扱わない。目に見えない「いのち」のことは、科学の守備範囲ではないのです。ですからね、仏法に「いのちの真実」を聞くのに、科学に遠慮することはないのですよ。

 「死んだらどうなるの」と、お念仏を称えたら、「かならず、お浄土で待っているよ」と、親鸞さまが、応えてくださった。そのお言葉を支えに、この世の縁が尽きるまで、ご一緒にお念仏を称えながら生きていこうではありませんか。

 さて、本日お話いたしますことは、ここまでですが、最後に、詩をひとつ読ませて頂いて、終わることにいたします。米沢英雄先生の「その人」という詩です。

 この詩は、50年前の、宗祖親鸞聖人700回御遠忌のおりに書かれたものですが、2年前の「御真影還座式」でも朗読されました。お手もとのプリントにもございます。どうぞ、それをご覧になりながら、お聞きください。


その人  米沢英雄

その人がなくなってから 七百年にもなるという
だがその面影は昨日の様に鮮やかだ
その人の苦悩 その克服
又苦悩を克服し得た歓びは 短い言葉に結晶した
その言葉はその人よりももっと昔
悠久な時の中を生きつゞけて来たのだという

その人は演説しなかった
その人は怒号しなかった
その人は激昂しなかった
いつもしずかに自分自身に言いきかせていた

その人は大げさなジェスチュアをしなかった
人類のためにつかわされたとはいわなかった
人類の身代わりになるともいわなかった
自分一人の始末がつきかねると いつもひとり歎いていた

その人は子供を喜ばすプレゼントをもって来なかった
みんなに倖せを約束しなかった
只古臭い言葉に新しい命を裏打ちして 遺して行っただけだった
その人の悲しみを救うたものこそ
その人の遺して行った言葉こそ
人類のすべてがやがて仰がねばならぬものではなかったか

その人の生涯ははじめから不幸だった
幼くして両親に死別れ 唯一人の師と頼んだ人にも生別し
家をなしたのも束の間 一家は離散し 諸国を放浪し
この世の片隅に一人しずかに生きて
魚の餌食になりたいというて死んで行った

その人の小さな内省的な眼
あれが自己の中に巣喰うて遂に離れぬエゴイズムを
しばらくも見逃さず見つめつゞけた眼だ
之が生涯この人を泣かしめた 又その故に本願を仰がしめた

世間的には不幸な生涯ではあったが
その生涯の支えとなった本願と
本願の生きた証明者であるその師に
遇い得たことを最勝の歓びとして
やすらかに往生したという

その人の御名の語られるところ
そこには今もしずかな喜びがあふれ
涅槃に似た平安(やすらぎ)がある
その人はその後幾多の魂の中に転生した
之からもどれだけの魂に宿り その悩めるものを勇気づけ
真実の喜びを与えて行くことであろう
噫 あなたこそ無量寿であり無量光ではないか

あなたによって真実に眼を開かれた私は
本願の松明(たいまつ)をリレーする走者となって
命の限り走りつゞけて 自らを照らすと共に
次のジェネレーションに 確かに手渡さねばならぬと
今改めて思う

            (『同朋』1956年2月号)


 「あなたによって真実に眼を開かれた私は、本願の松明(たいまつ)をリレーする走者となって、命の限り走りつゞけて、自らを照らすと共に、次のジェネレーションに、確かに手渡さねばならぬと、今改めて思う」。これが、御遠忌のこころですね。

 では、本日は、これで終わらせて頂きます。まとまりのない話に、長い時間お付き合いくださいまして、有り難うございました。また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますように、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ.........



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