ようこそお参りくださいました。ご苦労さまでございます。このところ、急に寒くなりましたね。まあ、暑いとか、寒いとか言っておれるのも、生きておればこそですがね。生きておればこそ、こういう聞法のご縁にも会えるわけでして、有り難いことと思っております。 で、本日は「報恩講」でございます。この「報恩講」というのは、ご承知のように、浄土真宗をお開きになった宗祖・親鸞聖人の祥月命日のお勤めでして、私たち真宗門徒にとりましては、一年のうちで最も大切な法要です。 「宗祖」というと遠い人になってしまいますが、そうではなくて、親鸞さまは、「御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)」と、膝つき合わせて、同じ高さの目線で話しかけてくださる方だったと言われております。 同朋・同行というのは、仲間・友達という意味です。それに「御(おん)」という字が付いているのですから、「お仲間・お友達」ですよ。親鸞さまに、「お仲間」と呼ばれますのも、何だか勿体ない思いがいたしますけれど、そんなふうに呼びかけてくださることで、「みんないのちの仲間なんだよ、仏の子なんだよ」と教えてくださっているのでしょうね。 歳のせいでしょうかね、このところとみに、「いのちの仲間」といいますか、「人生の旅仲間」といいますか、そういう人々とのご縁を身に染みて有り難く感じるようになりましてね。「御同朋(おんどうぼう)・御同行(おんどうぎょう)」の「御(おん)」の字の味わいが、少し分かってきたような気もいたしております。 そういうこともありまして、今回は、その「御同朋・御同行」という言葉を表題にいたしまして、「私たちはみんな、いのちの仲間なんだ」という話をさせて頂こうと思います。これまでにも何度もお聞き頂いたような話ですが、どうぞ、しばらくのあいだ、お付き合いください。 さて、『歎異抄』に、「親鸞は弟子一人ももたず候ふ」(第3章)という有名な言葉がありますが、親鸞さまは、ご自分を慕って集まって来る人々を、「御同朋、御同行」と呼んで大切になさいまして、ご自分の弟子だとはおっしゃいませんでした。 そのこころはと言うと、「自分もあなた方も、みんなお釈迦様の弟子なのだ」とお考えになっていたからです。 親鸞さまは、「釋親鸞」と名乗っておられました。私たちの法名にも、「釋」という字が付いていますね。たとえば、私の法名は「釋昇空」ですが、この「釋」という字は、お釈迦様の弟子だという意味です。 親鸞さまも、私たちも、みんな同じ、お釈迦様の弟子です。同じ仏道を歩む仲間です。つまりは、そういう仏道の仲間を「同朋、同行」というのですが、親鸞さまは、それに「御(おん)」という言葉を添えて「御同朋、御同行」と敬われました。 実際、親鸞さまが、そういった御同行に宛てて書かれたお手紙が43通残っておりますが、その全てが、「謹んで何々申し上げます」とか、「どうぞ何々なさってください」というように、敬語で書かれています。 丁寧な言葉を使われたのは、親鸞さまが、謙虚な方だったからということもあるでしょうけれど、それだけでなくて、「御同朋、御同行」という言葉の「同(おなじ)」というところを大切になさったからではないかと思いますね。 「同じ」というのは、ものごとを「ひとつ」に結び付ける言葉です。それは、人と人とを結び付け、和合していく動きを与える言葉です。「あなた」も「私」も同じという方向ですね。この、「あなた」も「私」も同じというところが大事です。みんな同じというところがあればこそ、全ての人が、等しく救われていく道があるのです。 ちなみに、「同じ」という言葉の反対は「違う」ですが、「違う」というのは、ものごとを分け隔てる言葉です。たとえば、私たちは、煩悩のせいで、他の人とは違った「特別な自分」という思いが強い。それで、「あなた」と「私」の違う点にばかり目が行きますけれど、違う点を数えれば数えるほど、お互いに遠い人になっていきますね。 そっちではないのです。私たちにとって大切なのは、私たちの「違う」ところではなくて、「同じ」ところです。 こういうことを申しますと、あるいはご無礼かもしれませんが、親鸞さまをあまり高いところへ持ち上げますと、私たちと「違う」人になってしまいます。もしも、親鸞さまが、私たちとは「違う」人なら、その教えで私たちが救われるということはないでしょう。 ですが、そうではないのですね。「あなた」も「私」も同じなのです。人はみんな「同じ」なのですよ。どうぞ、ご一緒に、同じ仏道を歩んでいきましょう。それが、親鸞さまのおっしゃっている、「御同朋、御同行」のこころです。 実際、私たちは、みんな「同じ」です。何が同じかと申しますと、まずは、「いま生きている」ということと、「いずれは死ぬ」ということです。いつもお話することですが、この世で100パーセント確実と言えるものは、この二つしかありません。 どうなるか分からない不確かな人生の旅路で、固いところはここしかない。この二つに、両足をのせてしっかり立ったときに、確かな世界が見えてくるのですが、私たちは、なかなか、そこに立てないのですね。 もちろん、「いずれは死ぬ」ということぐらい、誰でも知っています。頭ではね。ですが、それは、今日ではない、明日ではない、今週ではない、来週ではない、と思っている。つまりは、さしあたって、自分には関係ないと思っている。違いますかね。 「今生きている」ということも、そうですね。以前ある会合で、「生きることと死ぬことでは、どちらが大切ですか」とお尋ねしましたら、皆さん、「生きることだ」とおっしゃった。 「それでは、今朝目覚めたときに、ああ、今日も生きている、有り難いなと思われた方はおられますか」とお尋ねすると、一人もなかった。 おそらく、私たちは、たいてい、そうなのでしょうけれど、それは何故かと言えば、生きていることが「あたりまえ」になっているからです。誰でも、「あたりまえ」のことには、感謝できませんよね。 いかがですか、皆さん。私たちは、家に帰れば、夫がいるのがあたりまえ、妻がいるのがあたりまえ、子どもがいるのがあたりまえだと思っていませんでしょうか。本当は、この世に「あたりまえ」のことなんか、ひとつもないのですけれどね。 そのことに気づけるのは、いつでしょうか。大事な人を亡くしたときでしょうか、それとも、自分自身が、この世を去るときでしょうか。 「無くしたものの大きさは、与えられていたものの大きさ」という言葉がありますが、本当に、そうですね。「いま生きている」ことへの感謝の気持ちというのは、与えられているものの大きさに、それを無くす前に、気づけたときに生まれるものだと思いますけれど、これが、なかなか難しいのですね。 私たちは、常に、いま持っているものではなくて、まだ持っていないものに、関心がありますのでね。たとえば、新型のスマートフォンが欲しいとか、もっと大きな家が欲しいとか、もっと上の役職に就きたいとか、もっと人に褒められたいとかね。与えられているものの大きさに気づけないのは、そのせいですよ。 こういう「あれも欲しい、これも欲しい、もっと欲しい」という貪りのこころを、「煩悩」というのですね。煩悩というのは、「他の誰よりも我が身が可愛いという心の働き」のことです。自分の都合を最優先にする利己心のこと、エゴのことです。 この煩悩があるために、私たちは、この「特別な自分」が大事で仕方がない。それで、私たちは、この自分が無くなってしまうということ、「いずれは死ぬ」ということなど、絶対考えたくないのです。 つまりは、「いま生きている」、「いずれは死ぬ」という、この二つの上に、私たちが、両足でしっかり立てないのは、私たちに「煩悩」があるからなのです。煩悩があるために、私たちは、自分の足元を見ることができないのですよ。 「煩悩」は、誰の心にもあります。この点でもまた、私たちは「同じ」です。ですが、煩悩というのは、「あたな」と「私」を分け隔てするこころの働きですから、煩悩があるということが、私たちのこころを、ひとつにするわけではありません。 まあ、共通の利益で、結びつくということはあっても、それは一時のことです。状況が変わったら、昨日の友は、今日の敵。そういう関係は、本当の友とは言えませんよね。 そうではなくてね、私たちを、ひとつに結び付けるのは、煩悩そのものではなくて、煩悩の身を厭い、悲しむという思いです。「厭う」というのは「ああ、嫌だ、嫌だ」という思いのことです。 自分の都合ばかりを考え、自分の損得ばかりを考えている。そんな自分の姿が、本当に見えたら、「ああ、嫌だ、嫌だ」と思うのではないでしょうかね。ですが、どれほど「嫌だ、嫌だ」と思っても、私たちは、「我が身が可愛い」という思いから逃れられない。思えば、悲しいことです。ですが、この「悲しみ」こそが、人と人とをつなぐものではないでしょうかね。 昔、読んだ本に、こんなことが書かれていました。戦争中、学生寮の食堂で、仲間と車座に座って、粗末な夕食を食べているときのこと。食卓の中央に、タクワンを盛った皿がひとつ置かれていた。みんなが箸を伸ばして食べているうちに、最後の一切れになった。そのとき自分は、何とか体裁わるくなく、その一切れを食べる方法はないかと、真剣に考えた、と。 笑い話といえば、そうかもしれませんが、私は、これを読んだとき、恥ずかしくて涙が出ました。私自身が指差されているようで、とても他人事とは思えませんでした。それで、この話を憶えているのですけれどね。いざとなれば、どんなに浅ましいことでもしてしまう。人というのは悲しいものです。 石川啄木に、こんな歌があります。
人という これは、煩悩から逃れられない悲しみを歌ったものではないでしょうか。仏法へのご縁というのは、こういう悲しみを知るところから、開かれてくるのではないでしょうかね。 「悲しみを経験しない人には、浄土の教えはわからない」。これは、金子大栄先生の言葉です。悲しみや苦しみに満ちた人生を支えてくれる教え、それが浄土の教えです。 念仏詩人の木村無相さんに、こんな詩があります。「法蔵さま」という詩です。
涙には その法蔵菩薩の誓願の物語として、「いのちの真実」が説かれているのが、浄土の教えです。 仏教では、「一切衆生、悉有仏性」(『涅槃経)と説かれています。全ての生き物に、仏性があるということです。仏性というのは、「仏のいのち」のことです。私たちはみんな、「仏のいのち」を生きているのです。 私たちが「浄土」と呼んでいるのも、この「仏のいのち」の世界のことです。私たちはみんな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。浄土は、私たちの「いのちの故郷」なのです。死ぬというのは、その「いのちの故郷」へ帰っていくことなのです。 私たちはみんな、「仏のいのち」を生きている「仏の子」です。みんな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰って行く「いのちの仲間」です。これが、私たちの「いのちの真実」です。 仏さまは、私たちが、苦しいにつけ悲しいにつけ、この「いのちの真実」を思い出すことを願って、「お念仏の道」を示してくださったのです。 お念仏というのは、「南無阿弥陀仏」と称えることですね。この「南無阿弥陀仏」と書いた掛け軸をご覧になったことがおありかと思いますが、あの掛け軸に書かれている「南無阿弥陀仏」は、「南無阿弥陀仏と称えなさい」という意味なんです。 「南無阿弥陀仏」というのは、「阿弥陀仏に南無します」、つまり「阿弥陀仏に帰依します」という意味ですけれど、その言葉が目の前に掛けられているということ。そのことの意味が、大事です。 子供の躾と同じというとご無礼かもしれませんが、食卓で、幼い子供の前で、「いただきます」と言ってみせるのは、「いただきます」と言いなさいという意味ですよね。それと同じですよ。「南無阿弥陀仏」と書いてあるのは、「南無阿弥陀仏」と言いなさい、「阿弥陀仏に帰依します」と言いなさい、と仏さまが勧めてくださっているのです。 そのわけは、人生を旅にたとえると、分かりやすいかと思います。人生は、浄土からやってきて、また、その浄土へと帰っていく旅です。旅には、難儀なことや、思い通りにならないことが、いろいろ起こりますね。心の休まる場所もないとか、食べるものもないとか、そういうことも、旅にはあるのですよね。 そういうとき、悲しいにつけ、苦しいにつけ、あるいは、腹が立って仕方がないというときもです、「南無阿弥陀仏」と称えることで、今は旅をしているのだと思い出せたら、あれもこれも、旅の難儀として、堪えられるのではないでしょうか。 また、苦しくて、もう歩けないというときでも、「南無阿弥陀仏」と称えることで、故郷の浄土を思い、今も浄土とともにあることを思えたら、立ち上がって、次の一歩が踏み出せるのではないでしょうかね。 「南無阿弥陀仏」という、お念仏は、旅の人生を支えてくれる「杖」です。実際、腹が立ったとき、悲しいとき、黙ってこらえているのは、苦しいですよ。ひとこと「南無阿弥陀仏」と称えられたら、ほんの少しでも、楽になります。 お念仏は、ただ称えるだけです。お念仏を称えても、何か問題が解決するわけではありません。お念仏は、凡夫の願いをかなえるものではなくて、「称えなさい」とおっしゃる仏さまの願いに、つまりは、私たちの「いのち」の願いに、応えるものです。 かつて、金子大栄先生のお母さんが、病床から、先生に、「お念仏を称えても、一向に救われた思いがしないのですが、どうしたものでしょう」と、手紙を書かれました。先生は、すぐに返事を書かれました。「お念仏を称えられることが、救いです」と。 また、『歎異抄』に生きられた、歌人の吉野秀雄さんに、こんな歌があります。
称名に 吉野さんのご長男は、恋愛問題に悩んだすえ、発狂なさった。これは、その頃に書かれた詩です。 もうひとつ、こういう歌もあります。
おのずから これはね、吉野さんが、奥さんを亡くされたときの詩なんですよ。 こころが壊れそうなとき、ふと、お念仏が出てくださる。説明できませんが、よく分かります。お念仏は、この世の旅路の支えです。お念仏とともにあることが、生活の感覚となっていくのです。それが、有り難い。それが、念仏に生きるということですよ。 腹が立つというのも、悲しいというのも、よくよく考えてみれば、自分にとって不都合なことが起こったからでして、それもこれも、我が身大事な煩悩から逃れられない凡夫だからです。浄土の教え、お念仏の教えというのは、そういう、煩悩から逃れられない凡夫のための教えなのです。 そんな私たちにとって、一番不都合なことはといえば、「死ぬ」ということでしょう。みんな死にたくなんかないのですよ。『歎異抄』を読むと、親鸞さまも、「はやく浄土に往生したいとは思わない」とおっしゃっています。 「はやく往生したい」なんて言っているのは、当分死にそうもない元気な人だけですよ。お参りに行くたびに、「ご院さん、はよお迎えがきてほしいと願うております」とおっしゃる方がおられます。90歳に手が届こうかというおばあさんですけれど、お嫁さんより元気です。 まあ、それはともかく、「浄土の教え」は、そういう、死にたくないという人のために、「いのちの真実」を説く教えなのです。私たちはみんな、「仏のいのち」を生きている「仏の子」です。みんな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰って行く「いのちの仲間」です。これが、私たちの「いのちの真実」です。 「死ぬ」というのは、この目に見える身体のことです。私たちを生きている「仏のいのち」は、死ぬわけではありません。この世の縁が尽きれば、「仏のいのち」は、仏の世界へ帰っていく。浄土へと帰っていく。「仏のいのち」は、生まれることも死ぬこともないのです。「いのちというのは、そうなっているものなのだ」。それが、親鸞さまがおっしゃった「自然法爾」ということの意味ですよ。 お念仏を称え、聞法を重ねる生活のなかで、その「いのちの真実」への気づきを深めていくのが、浄土の教えを頂いた、私たちの生き方なのです。 世間には、「そういう浄土の教えは、本来のお釈迦様の仏教と違う」とおっしゃる方もありますけれど、それはどうでしょうかね。 仏教は、お釈迦様が、菩提樹の下で「お覚り」を開かれたところから始まる、と言われますが、その「お覚り」への道はどこから始まったかと言えば、老・病・死に代表される人生の苦しみを解決したいと願われて、出家なさったところからですね。 では、その、老・病・死に代表される人生の苦しみを解決したいという願いは、どうして生まれたのかと言えば、それが、つまりは、私たちの「いのちの本来の願い」だからではないでしょうか。 私たちが、老・病・死に代表される人生の苦しみから解き放たれることを、「いのち」は願っている。とすると、その「いのちの本来の願い」というのは、私たち門徒が、「本願」と呼んでいるのと、同じものではないのでしょうかね。 かくして、お釈迦様は、「本願」に促されて出家なさり、6年間の修行のすえ、ついにたどりつかれたのは、我執を離れた「無我」の境地でした。 この、我執を離れた「無我」の境地というのも、私たちの言う、「生かされて生きている」という気づきの境地と同じものではないのでしょうかね。「生かされて生きているというのは、「私が生きている」という我執をはなれた「無我」の境地だと思うのですが、いかがでしょうか。 若いころの写真と、現在の写真を並べて、これは別人だと言っているようなところはないのでしょうかね。まあ、それでも「浄土の教え」は仏教と違うということでしたら、それはそれで仕方がありませんね。仏教であろうとなかろうと、「浄土の教え」が、私の人生の支えであることに、変わりはありません。 では、そろそろ、まとめていかねばなりませんね。 浄土の教えというのは、一言で言えば、「いのちの平等」を説く教えです。「一切衆生、悉有仏性」なのです。あらゆる生き物には、仏性がある。私たちには、煩悩があるだけでなく、仏性もあるのです。この点でも、私たちは「同じ」です。 仏性というのは、「仏のいのち」のことです。私たちはみんな、「仏のいのち」を生きている「いのちの仲間」です。私たちは、「特別な自分」という思いに苦しんでいるのですが、「いのち」は、本質的に「平等」なのです。私たちは、いのちの深いところでは、みんな同じなのですよ。 親鸞さまは、「非僧非俗」という生き方をなさいましたが、それは、この「いのちの平等」を、生活の姿として表されたものではないかと思います。 「非僧非俗」は、「半僧半俗」ではありません。「半僧半俗」というのは、僧侶でもあり俗人でもあるということですが、「非僧非俗」は、僧侶でも俗人でもないということですね。 本来、僧侶の世界(出世間)は、俗人の世界(俗世間)とは違うということになっておりますけれど、現実はそうではないのですね。 俗人の世界は、豊かだとか貧しいとか、賢いとか愚かだとか、偉いとか卑しいとか、そういった優劣の序列をつける「世俗の価値観」に覆われていますが、実は、僧侶の世界も、そうなのです。 僧侶の世界も、易しい教えより難しい教えのほうが上だとか、位が高いとか低いとか、お寺の伽藍が大きいとか小さいとか、そういった優劣の序列に満ちています。そんな「序列」がある世界は、「不平等」な世界です。 「いのちの真実」には、例外も序列もありません。「浄土の教え」は、誰もが救われていく教えです。「浄土」は、誰もが帰っていく「いのちの故郷」です。そういう「いのちの真実」、「いのちの平等」を生きる姿が、「非僧非俗」だったのではないかと思いますね。 親鸞さまが、理想となさったのは、何か特別な生き方ではなくて、お念仏を大切にしながらも、何者でもない、ただの人として生きる生き方です。 親鸞さまは、亡くなる前に、「私が死んだら、遺骸は賀茂川に流して、魚の餌にしてくれ」と、遺言されましたが、その御遺言も、思えば、「特別なことはしてくれるな」という意味ではなかったかと思いますね。 当時は、火葬されたのは、特別高貴な人の場合だけでして、庶民の死骸は、洛外の野や川に捨てられました。嵯峨の化野(あだしの)、東山の鳥辺野(とりべの)、洛北の蓮台野(れんだいの)、洛東を流れる賀茂川などが、そうういう死骸の捨て場所でした。飢饉のおりには、鴨川が死体で埋まったこともあったそうです。 親鸞さまがお亡くなりになったときにも、何も特別なことは起こりませんでした。偉い人が亡くなるときには、紫の雲がたなびくとか、妙なる香りがただようとか、明るい光が差してくるといった奇瑞が起こるといいますが、そういうことが何も起こらなかった。 臨終を看取った娘の覚信尼には、そのことに、いささか納得できない思いがあったようで、越後におられた母親の恵信尼さまに手紙で問われた。「はたして御父上・親鸞さまは、浄土に往生できたのでしょうか」と。 その疑問に、恵信尼さまは、こうお応えになっています。「ご臨終のご様子がどうであれ、親鸞さまは、間違いなく浄土に往生なさいました。親鸞さまには申し上げておりませんが、私はかつて、法然さまが勢至菩薩、親鸞さまが観音菩薩であられるという夢を見たことがあります。何も心配することはありません」と。 親鸞さまは、かつて六角堂で受けた夢のお告げから、妻の恵信尼さまを、観音様の化身だと思っておられましたが、恵信尼さまも、夫の親鸞さまを、観音様の化身だと思っておられたのですね。 私たちはみんな「仏のいのち」を生きているのです。みんなが、そのことに気づいて、親鸞さまと恵信尼さまのように、互いに、拝み合えるといいですね。人のなかに、仏さまが見える。私たちの理想ではないかと思います。 では、このあたりで、店じまいにかかります。 念仏詩人の榎本栄一さんの詩に、「かすかな余韻」というのがあります。こういう詩です。
あの人も逝き 今年は、2月に、伯父が亡くなり、6月に、前住職が亡くなくなりました。また、10月には、福井の義兄の13回忌と、岳父の7回忌が勤まりました。それやこれやで、いろいろ思うことのある一年でございました。 京都のこの寺でも、お世話頂いた総代さんや世話方さんの写真が、少しずつ増えてきましたし、福井の郷里の寺でも、この間の法事のときに気づきましたが、馴染みのあるお顔が減ってきて、その子供さん方がお参りになっている。 子供さんと言っても、結構なお歳の方ばかりですが、過ぎ去った月日を思い、ご縁を頂いた御同行の方々のことを思いましてね。念仏詩人の木村無相さんの、こんな詩を思い出しました。
みな死ぬる
一期一会の つくづく、出会いのご縁の不思議を思いましてね。ねえ、皆さん、毎日、新たに100人の人と知り合うとして、日本中の人と知り合うのに、どのくらい時間がかかると思われますか。……3500年以上かかるのですよ。まあ、お暇なおりにでも、計算なさってみてください。 同じ時代、同じ世界に生まれてきても、一生の間に出会える人はわずかなのです。そんななかで、私たちは、出会った。それも、ただ出会っただけでなくて、共に聞法し、共にお念仏を称える「お仲間」として出会ったのです。これは、よほどのご縁です。まさに、「御同朋、御同行」ですよ。 私たちはみんな、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていく、「いのちの仲間」です。浄土は、私たちみんなの「いのちの故郷」なのです。 故郷を遠く離れていても、故郷の話ができる場所があり、故郷の話が出来る仲間がいる。有り難いことではないですか。どうぞ、このご縁を大切になさって頂いて、ご一緒に、お念仏を称えながら、生きていきましょう。 では、本日は、これで終わらせて頂きます。まとまりのない話に、長い時間お付き合いくださいまして、有り難うございました。また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますように、願っております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ.........
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