釋昇空法話集・第65話

阿弥陀の三字

念仏にはげまされ

(2016年11月13日 報恩講法話)
 お忙しいところ、ようこそのお参りでございます。秋も深まってまいりまして、寒くなりましたね。風邪がはやっているようですから、どうぞ、お気を付けください。

 本日は、「報恩講」でございます。報恩講というのは、ご承知のように、御開山、親鸞聖人の祥月命日の法要です。

 御開山聖人のご遺徳を讃え、ご恩に感謝する法要でして、私たち真宗門徒にとりましては、一年のうちで最も大切な仏事です。

 伝統的には、門徒さんは、まず、それぞれにご自宅のお内仏で、報恩講をお勤めになったものです。それから、みんなが集まって、お手次のお寺で、総仕上げのようにして勤まったのが、お寺での報恩講でした。

 どのお家でも、お内仏報恩講が勤まったというのは、それだけ、お念仏の教えが生活のなかにしみこんでいたということですが、今は、どうでしょうかね。

 「実践するつもりなら、学ぶことは、わずかでよい」と言った人がありますが、真宗は、つまるところ、「ただ念仏する」という教えです。大事なのは、「南無阿弥陀仏」、これひとつです。

 で、今回も、その「お念仏一つなのだ」ということを、親鸞聖人のご命日にご縁を頂きまして、ご案内のように「阿弥陀(アミダ)の三字」という題で、お話させて頂こうと思います。

 思いつくままの、いささかまとまりのない話ですが、どうぞ、しばらくのあいだ、お付き合い下さいますよう、お願いいたします。

 さて、報恩講は、特別の法要です。お内陣のお荘厳も、永代経や彼岸会のときとは違いますでしょう。お分かりになりますか。まずは、親鸞聖人のご一生を描いた「御絵伝」(ごえでん)が掛かっていることです。

 皆さんから向かって右側に掛かっているのが、その「御絵伝」です。本来は、向かって左側に四幅一組で掛けるものですが、この寺は小さくて場所がないものですから、右側に二幅一組でお掛けしております。

 で、左側には、「聖徳太子」と「七高僧」(しちこうそう)の御絵像です。日本の仏教は、聖徳太子に始まります。それで、「聖徳太子」の御絵像。

 そして、お念仏の教え・お浄土の教えが、インドのお釈迦樣から、中国を経て、親鸞聖人に伝わるまでのあいだに、七人の高僧方がおられた。それが「七高僧」です。

 お手もとの資料に、「七高僧」の御絵像の写真をのせております。一番上の右から左へ、龍樹(りゅうじゅ)菩薩と、天親(てんじん)菩薩。天親菩薩は、世親(せしん)菩薩ともいいます。このお二方はインドの高僧方です。

 中段のお三方は、中国の高僧方で、曇鸞(どんらん)大師、道綽(どうしゃく)禅師、善導(ぜんどう)大師です。

 そして、一番下の左から右へ、日本の高僧方、源信(げんしん)和尚と、円光(えんこう)大師です。円光大師というのは、法然上人(法然房源空上人)のことです。

 みずからお念仏の教えに生き、お念仏の教えを、伝えてくださった尊い方々として、この七人の高僧方を、親鸞聖人が、お選びになったのです。

 お内陣の中央には、阿弥陀仏の木像。その右側には、親鸞聖人の御絵像。左側には、蓮如上人の御絵像。

 このように、私たちに、お念仏の教えを伝えてくださった方々のお姿を荘厳して、親鸞聖人がその方々を讃歎なさった『正信偈』を、ねんごろにお勤めする。それが、私たち真宗門徒の報恩講です。

 「お念仏の教え」は、インドから中国へ、そして日本へと、およそ二千年の時の中を伝わってきたわけです。その間に、「これこそ私のために説かれた教えだ」と深く頷かれた多くの高僧方によって、「浄土の教え」の味わいが、深められてきました。

 それは、「浄土の教え」の芯を削り出すようにして、「お念仏ひとつ」に絞り込まれてきた歴史です。

 仏法で救われるといっても、救われるための条件があれば、必ず、その条件に漏れる人がでてきます。だからこそ、誰にでもできる、「お念仏ひとつ」という教えが大事なのですよ。

 「お念仏の教え」というのは、ひとことで言えば、「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」と称えなさいという教えです。

 「ナム」というのは、「拝む」という意味です。なかなか下がらない頭を「下げよ」ということです。そして、「アミダ」というのは、仏様のお名前です。

 親鸞聖人は、「アミダの三字には一切の善のもと(全ての功徳)が納められている」(「阿弥陀の三字に一切善根をおさめたまえるゆえに」『尊号真像銘文』)とおっしゃっています。今回の話の題は、このお言葉から頂きました。

 「アミダ」というのは、「無量」という意味です。「帰命無量寿如来」の「無量」です。「無量」というのは、「はかることができない」という意味です。

 「名は体を表す」と言いますが、この「無量」(はかることができない)というのが、阿弥陀〔アミダ)というお名前の仏様が、私たちに伝えようとしてくださっている「いのちの真実」です。

 「はかることができない」ということは、比べることができないということです。「いのち」は、比べることができないもの。つまりは、あらゆる「いのち」は、平等だということです。

 「ナムアミダブツ」というのは、そんな仏様の悟りの世界と、私たちの迷いの世界を、つないでくれる言葉です。

 いつもお話するように、目に見える世界では、「私」と「あなた」は別の人間ですが、目に見えない「いのち」の奥底では、みんな、つながっていて「ひとつ」なのです。

 海の表面に波が立っている情景を想像なさってみてください。ひとつの波が「私」で、もうひとつの波が「あなた」だとすれば、波の形は違っても、どちらも同じ海の水ですね。あらゆる「いのち」は平等だというのは、そういうことなのです。

 私たちは、大きなひとつの「いのち」を生きているのです。私たちが「仏様」と呼んでいるのは、この大きな「いのち」のことなのです。

 私たちはみんな、目に見えない「いのち」の奥底で、仏の「いのち」に支えられているのです。これが、「いのちの真実」の姿です。

 この「いのちの真実」を知らず、「仏の世界」に背を向けて生きているところに、さまざまな悩みや苦しみが生まれてくるのです。

 目に見える世界だけで生きていると、「私」と「あなた」は別の人間です。となると、おのずと、「比べる」というこころが働き、「上だ」とか「下だ」とかいうことになっていきますね。

 実際、財産でも、収入でも、学歴でも、沢山ある人は上、少ない人は下というぐあいに、何でも、二つに分けて比べて、こっちが上だとか下だとかいっているのが、私たちの生活ではありませんか。

 知能指数、偏差値、点数、営業成績、年齢、何でも量で比べますでしょう。刑務所でも、量刑の多い人が上だと聞きますけれど、こんなふうに何でも量ではかって差別する世界を、仏教では「有量(うりょう)」といいます。

 「有量」の世界は、比べる世界です。そんな「有量」の世界にとらわれていると、哀しいことに絶えず他と比較して、不平不満を持ちながら生きていくということになります。皆さんは、いかがですか。

 藤原正遠先生は、それを「比較病」とおっしゃいましたが、そういう「有量」の生き方しか知らない私たちを、「無量」という「いのちの真実」へと誘うのが、「南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)」というお念仏なのです。

 「南無阿弥陀仏」は、「いのちの真実」へと帰る道です。「いのちの真実」とは、私たちは、自分の力で生きているのではなくて、生かされて生きているということです。

 この間の永代経にもお話いたしましたが、仏法が伝えようとしているのは、ただひとつ。この「いのちの奥底で、私を生かし支えてくれている働き」に気づくことなのです。

 仏というのも、浄土というのも、この「いのちの奥底で自分を支えてくれている働き」のことです。私たちは、いのちの奥底で、仏に支えられている。私たちはみな、浄土から生まれてきて、またその浄土へと帰って行く。このことを伝えてくださっているのが、浄土の教えです。

 その仏の名前が、「阿弥陀(アミダ)」です。阿弥陀というのは、「無量寿」と訳されておりますように、「永遠のいのち」のことです。有限な「私」は、「永遠のいのち」のひとつの現れなのです。

 そのことへの気づきを促しているのが、「南無阿弥陀仏」という名号なのです。「南無・阿弥陀仏なんだよ、南無・阿弥陀仏。阿弥陀仏に南無しなさい」と、呼びかけてくださっている。それが、「南無阿弥陀仏」なのです。

 「南無阿弥陀仏」と呼びかけられて、「南無阿弥陀仏」と応えられたら、それ以上のことは何もありません。それが仏法の全てです。

 「私は、生きている」。ですが、「私が、生きている」のではない。「私は、生かされて、生きている」のです。

 この、「私を生かし支えてくれている働き」に目覚めたとき、「回心」(えしん)を得た、「信心」を得たといいます。この「私を生かし支えてくれている働き」こそ、仏様なのです。信心を得るとは、仏に遇うことを言うのです。

 いわば、私たちは、仏の手のひらの上で、仏の「いのち」を生きているのです。仏の手のひらの上で「生かされて生きている」と分かったら、本当に、楽になりますよ。

 そのとき、清沢満之先生は、「天命に安んじて、人事を尽くす」とおっしゃいました。安心して、力一杯生きられるということですね。また、安田理深先生は、「どうすることもできないことは、どうする必要もないこと」おっしゃいました。これも、同じことでしょう。

 仏の手のひらの上で「生かされて生きている」と分かったら、何も思い悩むことはない。極楽って、このことではないですかね。

    生きるものは生かしめ給う
    死ぬるものは死なしめ給う
    われに手のなし
    南無阿弥陀仏

             (藤原正遠『大悲の中にー念仏のうたー』)

 これは、藤原正遠先生の歌です。生きるものなら生かしてくださるし、死ぬものなら死なしてくださる。自分にできることは何もない。いのちのことは、いのちにおまかせです。このことに本当に目覚めたら、この世は浄土ですよ。

 思いますにね、「南無阿弥陀仏」の聞こえるところが、お浄土なのではないでしょうかね。お念仏を称えながら、娑婆にあるまま、お浄土に暮らす。それが念仏者ではないでしょうかね。

 妙好人・浅原才市さんの詩にも、こんなのがあります。

    才市や 何処におる
    浄土貰うて 娑婆におる
    これがよろこび なむあみだぶつ

 で、私たちの生活のなかに、お念仏は聞こえているかと言えば、どうですかね。お念仏は、「ナムアミダブツ」と称えるだけです。いつでも、どこでも、だれでも、できることですが、どこへお参りに伺いましても、あんまりお念仏は聞こえて来ませんね。

 まあ、分からないでもありませんがね。仏教というのは、この「有量」の世界で、四苦八苦している人を、救おうとする教えです。ですから、救いを求めていない人の口からは、お念仏は出てこないのでしょうね。でも、それは違うのですよ。

 科学技術が進歩したおかげで、生活は豊かになりましたし、長生きできるようになりました。いかがですか、皆さんは。豊かになることと、長生きすること以外に、何か望むことはありますか。

 科学技術はどんどん進歩して、もっと豊かになり、もっと長生きできるようになると、私たちは思っている。それで、私たちの「生きたい、生き延びたい」という「サバイバル・モード」のこころは、ひとまず安心してしまって、「有量」の海で、溺れていることに気づかなくなっているのです。

 果てしない「有量」の海では、いくら泳いでも、たどりつける岸辺は無いのですよ。太平洋の真ん中で泳いでいるのは、溺れているのと同じでしょう。人生が、自分の努力や才覚で、何とかなっているあいだは、なかなか気づけないのですけれどね。

 先日、テレビで、料理研究家の枝元なほみさんがね、こんなことをおっしゃっていました。「このごろの人は、ものすごく、頭で食べているのでないでしょうか。高いとか、安いとか、有名な店だとか、そうでないとか、名だたる料理人だとか、そうでないとかね」と。

 「考えるものでなくて、感じるものだ」ということですが、それに続けて、こんなことをおっしゃった。「このあいだ、あるところで、お料理を食べて、ものすごくおいしかったもので、『おいしい!』といったのです。

 そうしたら、カウンターのなかの大将が、『そう、お腹がすいていたんだね。もうちょっと、そのあたりを走ってきたら、もっと美味しいかもね』と言った。それが、あれこれ蘊蓄を語るのでなくて、ほんとうに自然で、感じがよかった」ということでした。なかなかいい話です。

 「考える」というのは、「有量」のモノサシを使うことです。ところが、「いま、ここに」ある現実は、「感じる」ものなのです。「お腹がすいていたから、美味しい」。頭ばっかり使っている現代人は、そういう自然な感覚が鈍くなっているのではないかと思いますね。

 生きているものにとって、一番自然な感覚というのは、死ぬことへの恐れではないかと思いますが、死ぬことを思えば、いのちの平等にも思い至るのではないでしょうかね。

 念仏詩人の木村無相さんに、こんな詩があります。「なつかしき」という詩です。

     なつかしき

        みな死ぬる
        人とおもえば
        なつかしき
                (木村無相『念仏詩抄』)

 他者への共感というのは、感じることであって、考えることではありません。「平等」をめざすのではなくて、「平等」であることに気づくことが大事です。

 今の人は、「死ぬことなんか考えない、生きることだけを考える」と、よくいいますけれど、それは、まさに「考えている」のでして、生きている現実を感じているわけではないのですね。

 生と死は、一枚の紙の裏表です。生を感じるときには、死をも感じるものです。おそらく今の人も、そのことを、こころのどこかでは知っているものですから、「生きることだけを考えよう」とするのではないでしょうかね。

 このあいだ、これもテレビで見たことですが、パキスタンからの若い旅行者が、公園で催されている地域のお祭りで、嬉々として、カメラのシャッターを押していました。

 「何に関心があるのですか」と聞くと、その青年は、こう応えた。「パキスタンでは、たいてい60歳までに死んでしまいます。こんなに年寄りが集まっているのを見るのは初めてで、興奮しています」と。

 私たちは、それほど長生きするようになったのです。ですが、本当は、明日も生きているという保証はないのですね。確かなのは、「いま、ここに、生きている」ということだけなのですよ。

 親鸞聖人は、9歳で得度なさったとき、「今日は、もう遅いから、得度式は、明日にしよう」という言葉を聞いて、こういう歌を詠まれたそうです。

     明日ありと 思う心の徒桜(あだざくら)
     夜半に嵐の 吹かぬものかは

 また、鎌倉時代の禅僧、蛍山禅師は、こうおっしゃった。「落ちやすきは 命葉なり。たとえ百年の歳を保つとも、わずか三万日に過ぎざるなり」と。

 明日もある、明後日もあると思っていると、こんなはずではなかったということになりますよ。人生は、有限な、束の間のものだという感覚が大事です。

 七高僧の一人、善導大師の『往生礼讃(おうじょうらいさん)』という書物に、「人間そうそうとして衆務を営む」という言葉で始まる「日没無常偈」という詩があります。

 「あくせくと日常の生活に追われて、人生に限りあることを忘れていてはいけない。元気なあいだに、聞法に励んで、仏の永遠のいのちを求めなさい」と、おおよそ、そういう意味の詩です。

 かつて、福井の岳父は、この詩を自ら書いて軸物にしたものを、私にくれました。「人生は短いぞ。聞法に励めよ」という、私への励ましだったと思いまして、今も座敷の床の間に掛けております。

 人生は短かい。明日のいのちも分からない。この意識が、人を、永遠なるものに向かわせるのですよ。

 自分は、限りある命を生きている「ちっぽけ」なものなのだと気づいて、初めて、永遠のいのち、大きな「いのち」の働きへの気づきが生まれてきます。

 大きな「いのち」の前に立って、ちっぽけな吾が身の分を知ると、敬虔な思いに満たされて、おのずと頭が下がる。それが、「南無」する、「拝む」ということです。

 今の人は、目に見える世界が全てで、何でも科学で解決できると思っていますから、なかなか、敬虔な思いというのは、生まれてきませんね。

 たとえば、昨年の皆既月食でも、ほとんどの人は、テレビで見ただけでしょう。夜空を見上げた人も、ほとんどは、地球の陰が月を覆っていくという、科学の目で見ていたのではないでしょうかね。

 昔は、月を拝んだものですよ。こんな詩があります。明治・大正期の詩人、山村暮鳥の「ある時」という詩です。

   ある時

    ああ もったいなし
    もったいなし
    この手は
    どちらにあはせたものか
    今 日がはいる
    うしろには月がでている

                  (山村暮鳥)

 それで思い出しましたが、以前、あるお婆さんから、こんな話を聞きました。その方が、婦人会の行事で、東京の方へ旅行をなさった。そのときのことですが、途中、新幹線の窓から、珍しいことに富士山がくっきり見えた。それで、思わず手を合わせて拝んだら、お仲間の方から、「あんた、ぼけたんか!?」と言われたそうです。さびしい時代ですね。

 また、この間、インターネット・ニュースをみておりましたら、ある学者がね、「資源枯渇と環境悪化を考えたら、今後200年以内に、他の惑星への移住を始めないと、人類に未来はない」と言っているのですよ。何とも、あきれた話ですが、こんなふうに、地球を食いつぶして、使い捨てにするというような、思い上がった心には、敬虔な思いは宿りませんね。

 物が豊かに成ると、ますます比べるようになって、「有量」の闇が深くなる。薬師寺の高田好胤管長は、かつて、「物で栄えて、心で滅ぶ」とおっしゃいましたが、まさに現代が、そうですね。ですが、そういう時代だからこそ、末世相応の教え、「お念仏の教え」が大切なのではないですかね。

 「お念仏の教え」は、お念仏ひとつで、だれもが平等に救われるという教えです。善人だとか、悪人だとか、豊かだとか、貧しいとか、社会の役に立つとか、立たないとか、そういったことは一切関係ないのです。

 法然上人は、「疑いながらでも、念仏すれば往生する」(『徒然草』第39段)とおっしゃったそうですが、お念仏は、信じるとか信じないとかいうことより、まず称えることです。

 「往生する」というのは、浄土へのサバイバルではありません。そうではなくて、お念仏を称えれば、「仏の世界につながる」という意味なのです。

 お念仏は、ただ称えるだけですが、自分の努力や才覚で何とかなっているあいだは、なかなか、お念仏は称えられません。

 ですが、その自分が何ともならなくなったとき、いのちの奥底に押さえ込んでいたフタがはずれて、こみ上げてくるように、お念仏が出てきてくださる。「仏の世界につながる」というのは、このときです。

     いずれにも
     ゆくべき道の
     絶えたれば
     口割り給う
     南無阿弥陀仏

            (藤原正遠『大悲の中にー念仏のうたー』)

 これは藤原正遠先生の歌です。

 その藤原正遠先生の想い出を記した本で、こんな話を読んだことがあります。藤原正遠先生は、お生まれは福岡の武士の家系だったそうです。そのご実家のお父さんが、もう長いことはないということで、先生はかけつけられた。

 お父さんは、か細くなった手で布団の衿をつかんで、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、お念仏申しておられたそうです。

 それでね、「お父さん、武士はお念仏申すものではない、あれは弱虫のするものだとおっしゃったじゃありませんか」と言ったら、お父さんは、「わしも弱虫になってのう」とおっしゃったそうです。

 「お念仏なんか称えるものかと思っていても、お念仏の方から出てきてくださる。念仏して弥陀に助けられるのではないのだ、念仏に出ていただいて、出ていただいたことが、即、助けなんだ」と、正遠先生は、そのときのことを思い出されて、涙にむせばれた、ということです。

 私たちはみんな、いのちの奥底で仏のいのちに支えられて、生かされて生きているのです。「私は、生きている」。ですが、「私が、生きている」のではない。「私は、生かされて、生きている」のです。

 みんな、いのちの奥底に、お念仏を頂いて生まれてきているのです。口を押さえて、出てこないようにしていたのは、「自分」なのです。

 「いのちのことは、いのちにおまかせ」と、「南無阿弥陀仏」が出て下さったとき、仏の世界とつながったのです。お念仏が出て下さることが、「救い」なのです。

 もう少しだけ、続けますね。仏様の「阿弥陀(アミダ)」というお名前は、「無量光」とも訳されます。「光」というのは、仏の智慧のことです。親鸞聖人のご和讃に、こう詠まれています。

     智慧の光明はかりなし
     有量の諸相ことごとく
     光暁かむらぬものはなし
     真実明に帰命せよ

 「有量」の闇に迷っているものも、みな、仏の限りない光の中にいるのだよ。「無量」の世界からの仏の呼びかけに耳を傾けて、「南無阿弥陀仏」を称えなさい。そういう意味でしょうね。

 お念仏は、ただ称えるだけです。お念仏を称えても、何か問題が解決するわけではありません。お念仏は、凡夫の願いをかなえるものではなくて、「称えなさい」とおっしゃる仏様の願いに、つまりは、私たちの「いのち」の願いに、応えるものです。

 お念仏は、普段から称えていないと、初めから自然に出て来るというものではありません。聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、お念仏が身についてくると、「有量」の闇の中で迷っているときに、ふと、お念仏が出てくださるようになります。

 「ありがたや 愚痴より先の お念仏」。これは、北条紘文師の句です。「あいつが悪い、こいつのせいだ」と「有量」の愚痴が言葉となって出るよりさきに、お念仏が出てくださった。「有量」の闇の中で迷っている私に、仏様の方から、「無量」の光を届けてくださった。ありがたいことです。これが、「救い」です。

 暁烏敏先生のお弟子の、林暁宇さんが、「〈念ずれば花開く〉という言葉があるが、〈念ぜられて花開く〉だと、自分は思う」とおっしゃっていました。

 私も、そう思います。私は、大きな「いのち」に、生かされて生きているのです。私が、念仏にはげむのではなく、私は、念仏にはげまされて、また一歩、お浄土への旅を続けます。

 さて、もう、終わりますね。ただいま、門前の掲示板に、「ともしびの 用意かしこく 秋の暮れ」という、池山栄吉先生の言葉を掲げておりますが、お読みになりましたでしょうか。私たちは、すでに、人生の「秋の暮れ」におりますが、「ともしび」のご用意は、お済みですか。

 「娑婆のこっちゃ どうなるいね お念仏申さんかいね」。亀山純円師の言葉です。元気をもらう言葉です。「有量」の闇が深くて、胸ふたぐときは、この言葉を思います。どうぞ、皆さんも、胸ふたぐときには、この言葉を思い出して頂いて、お念仏を称えて頂ければ、と思います。

 では、本日は、ここまでにさせて頂きます。まとまりのない話に、長い間お付き合いくださいまして、有り難うございました。また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますよう、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…



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