ようこそのお参りでございます。寒くなってまいりましたね。秋の深まりを感じます。お陰さまで、今年も報恩講を迎えることができました。ありがたいことでございます。 私事でございますが、先日、家内の里の福井のお寺でも報恩講が勤まりました。そのおりに、岳父と義兄の年忌法要が勤まりまして、私もその法事にあわせて頂きました。 みんな年を取りましてね。改めて、限りある人生のことを思い、「お念仏が出てくださる、生涯聞法だね」と、一筋に仏道を歩み続けた岳父を思いましてね。 それで、今回は、親鸞聖人の御跡を慕って岳父の歩んだ仏道を思い、「往生極楽のみち」という題で、お話しようと思いました。 『歎異抄』(第2章)に、「ひとへに往生極楽のみちをとひきかんがためなり」という、親鸞聖人のお言葉がありまして、本日の話の題は、このお言葉から頂きました。 さて、お釈迦樣は、「人生は苦だ」とおっしゃいました。ここが仏道のスタートラインです。苦を感じなかったら、道を求めたりしませんでしょう。 いつも申しますように、仏教では、人生の背骨とも言える「生・老・病・死」を「四苦」と言います。「苦」というのは、思い通りにはならないという意味です。 生まれたいと思った覚えもないのに、生まれてきた。年を取りたいと思っていなくても、年を取る。病気になりたいと思っていないのに、病気になる。そして、死にたいと思っていなくても、死ぬんです。 こういった、生まれてきた境遇や、年老いていくこと、病気になること、死んで逝くことに、不満や不安を抱き、悩み苦しむのは、人間だけです。他の生き物、犬やネコにはない苦しみです。私たちには、人間であるがゆえの苦しみ、「人間苦」があるのです。 ですが、今の人は、どうでしょうね。なかなか仏道のスタートラインに立てないのではないですか。美味しい物も、楽しいことも、沢山ありますし、お金があればなんでも手に入るような時代ですからね、なかなか「人生は苦だ」とは思えないでしょう。 私たちは、「もっと豊かになれば、もっと幸せになれる」と、お金や地位を求め、健康が大事、生き甲斐が大切、仕事だ、趣味だ、ボランティアだと、忙しく暮らしています。 そんな私たちは、自分ではほとんど気づいていませんけれどね、いろんなことをすることで、「人間苦」を覆い隠し、「人間苦」に背を向けて暮らしているのではないでしょうかね。ですが、それで「人間苦」が無くなるわけではありませんね。 どんなに豊かになっても、どんなに科学が進んでも、どんなに健康で、どんなに生き甲斐があっても、「人間苦」は無くならない。いずれは、年老いて、病気になり、死ぬのです。 いずれは剥き出しの「人間苦」に直面しなければならない。私たちは、こころのどこかで、そのことを知っているのでしょう。それで、何もしないでいると、何となく不安で落ち着かない、何か満ち足りない思いがするのではないでしょうか。 何かができるあいだ、何かすることがあるあいだは、気が紛れて、まだいいのです。年を取って、できること少なくなり、することがなくなってくると、こんなはずではなかったということになってくる。こんな歌を聞いたことがあります。
子育ての 終わりし吾(われ)に 何のこる 「何のこる」。そこに残ったもの、それこそが、紛れもない、剥き出しの人生でしょう。 「人生はいつ始まるのか」と問われて、こう応えた人がいます。「人生が本当に始まるのは、子供が巣立っていき、飼っていた犬が死んだとき」と。楽しみも慰めも無くなったとき、いよいよ人生が問題になってくるということでしょうね。 「よかったのは若いあいだだけ、年取ったらつまらんもんです」なんて、おっしゃってないで、「いよいよ人生が始まったか」と、お考えになったらどうでしょう。そこが、仏道のスタートラインですよ。 「人と生まれし悲しみを知るものは、人と生まれし喜びを知る」。これは、仏道を歩まれた先達、金子大榮先生のお言葉です。 「人と生まれし悲しみを知るもの」のために説かれた教えが、仏教です。 お経様に書かれています。「一切衆生を救うという仏様がおられる。その仏の名前を阿弥陀(あみだ)といい、その仏の世界を極楽浄土(ごくらく・じょうど)という。極楽浄土に向かって生きよ」と。 仏教は、私たちの人生に、人間として生きていく方向性を与える教えです。そのお示しのままに、話を進めることにいたします。 「極楽浄土」というのは、阿弥陀という仏様の世界です。つまりは「お覚り」の世界、「一如(いちにょ)」の世界です。「一如」の「一」は絶対ということ、「如」は平等ということです。 そこには、いかなる苦しみも無いから「極楽」と言い、穢れた煩悩が無いから「浄土」と言うのです。 「往生極楽のみち」は、「極楽浄土」への道です。たとえば、このマルが極楽浄土だとしますと、この仏の世界へと続いている道、これが「往生極楽のみち」ですね。 「往生」というのは「往(い)って生まれる」という意味ですが、『歎異抄』(第16章)には、「日ごろのこころにては往生かなうべからず」(訳:日ごろのこころでは、極楽には往けませんよ)と示されています。 実は、ここが、「極楽浄土への道」で一番の難所なのです。それで、少し詳しくお話しいたします。 私たちの「日ごろのこころ」というのは、どういうこころか。いかがですか。あんまり意識しておられないかもしれませんが、それはね、「なんでも、自分の力を信じて、努力するしかない」というこころのことです。 確かに、なんでも努力が必要でしょう。たとえば、上の学校をめざして勉強するのにも、努力が必要ですし、お金でも、地位でも、手に入れようと思ったら、努力が必要でしょう。健康を維持するのにも、努力が必要ですよね。 目標が大きいほど、必要な努力も大きい。エベレストに登ろうなんて、尋常でない目標を持ったら、人並みでない努力が必要です。 そんなふうに、「何であれ目標に到達するには、自分の力を信じて努力するしかない」というのが、私たちの考え方の基本になっていますでしょう。これが、私たちの日常的な考え方、「日ごろのこころ」です。 そんな私たちですからね、仏の国(境地)をめざして歩むという場合でも、やっぱり「自分の力を信じて努力するしかない」ということになる。実際、仏道修行というのは、仏の境地(お覚り)をめざして懸命に努力することでした。 この、自分の力で修行して「お覚り」を得ようとすることを、「自力」といいます。ところが、「日ごろのこころ」、「自力」では、お覚りは得られない。そのことに、自力の限りを尽くして気づかれたのが、法然上人と親鸞聖人です。 親鸞聖人は、9歳から29歳までの20年間、比叡山で、自力の修行をなさいました。親鸞様は、その20年間のことについては何も残しておられませんけれど、奥様の恵信尼(えしんに)様のお手紙によると、親鸞様は、西塔にある常行三昧堂(常行堂)の堂僧として修行なさっていたようです。 常行三昧堂には、中央に本尊の阿弥陀如来像が安置されていましてね、その周りを、お念仏を唱え、阿弥陀如来のお姿を思いながら、不眠不休で、90日間歩き続ける。それが、常行三昧といわれる修行だと聞いています。 20年間、その行をなさっていたということではなくて、いろんな修行をなさり、教典の勉強をなさったのだろうと思いますが、懸命に努力なさっても、どうしても「お覚り」は得られなかった。 かくして、親鸞様は、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」(『歎異抄』第2章)と、ご自身を見極められたのです。 「努力しても覚れない」。「自力では覚れない」。そのことに、親鸞聖人より前に気づいた方がおられました。法然上人です。 法然上人は、親鸞聖人より、40歳年上でした。法然上人は、12歳から43歳までの31年間、比叡山で懸命に修行なさいましたが、「お覚り」は得られなかった。 そこで、伝統的な自力修行以外の道はないものかと、一切経を何度も読み返すうちに、ついに、「阿弥陀仏の本願(ほんがん)の力によって、お念仏ひとつで往生できる」という教えに出遇われたのです。 この阿弥陀仏の本願のはたらきを、「他力」といいます。「自力」で覚りを得ることのできない私たちは、阿弥陀仏の本願の力、「他力」によって救われるしかない。 親鸞聖人は、29歳のとき、この法然上人のもとで、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(『歎異抄』第2章)(訳:一心に念仏を申して、阿弥陀にたすけてもらいなさい)という教えに出遇われて、人生の方向が決まったのです。 そのときの回心(えしん)の体験を、のちに、「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」(『教行信証』後序)と、記しておられます。 「建仁辛の酉(けんにん・かのとのとり)の暦」、建仁元年(1201年)、聖人29歳の時、「雑行(ぞうぎょう)を棄(す)てて本願に帰す」。自力の修行を棄てて、本願の教えに帰しました、と。 ちなみに、「帰る」と「還る」では、同じく「かえる」と読みますが、意味合いが違います。「還る」は、行く先からかえること。行って、かえること。それに対して、「帰る」の方は、もと出た所にかえること。来て、かえる。今出先にいて、本来の場所にかえることです。 ですから、「本願に帰す」という言葉には、本願他力に背を向けて、遠く自力に迷い出ていたという気持ちが込められているのかもしれません。「自力」の道から、本来の「他力」の道へと、こころをひるがえした。それが「回心」ですね。 実際、「自力」では覚れないのですよ。 いつもお話いたしますように、私たちが悩み苦しむ原因は、私たちのこころのなかに「煩悩」があるからです。「煩悩」というのは、「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころの働きのことでしたね。 そういう、「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころは、「自分」と「他人」を区別し、差別するところから起こってきます。 「私」と「あなた」は違うんだ、となると、おのずと「あなたより私の方が大切」ということになりますでしょう。その自分中心的な思いが、「煩悩」なのです。 「自分」という思いには、すでに「煩悩」がくっついている。というより、「他人」とは違う「自分」という意識(自我意識)と「煩悩」は同じものなのです。 「煩悩に、目鼻付けたが、我が姿」。これは妙好人・浅原才一さんの言葉ですが、このことを言っているのですね。 「私」イコール「煩悩」なのですから、そんな「私」の努力で、つまりは「自力」で、「煩悩」を無くすことはできません。右手で右手はたたけないようなものです。「自力」では覚れないというのは、そういうことなのです。 寒い冬に、雪の中で滝に打たれているとか、何年も、比叡山にこもって回峰行をしているような、とうてい私にはできないような行をしている人を見ると、すごいなあ、偉いなあ、と思うのですがね。それで、煩悩が無くなったとか、仏に成った、という話は聞きませんね。いかがですか。 「自力」でだめなら、「他力」でなら「煩悩」は無くなるのか、といえば、そうではないのです。「煩悩」は死ぬまで無くなりませんね。それなら、阿弥陀仏の本願の力、「他力」によって救われるとは、どういうことなのか。 実は、私自身、若いころ、このところで悩みましてね。仏教というのは、修行によって「煩悩」を無くして、仏に成る教えだと、思っておりましたのでね。それで、いろいろ迷い歩いたあげくに、結局は、どうしたところで、右手で右手はたたけないというところに行き着いたわけです。煩悩を無くすことはできないのです。このことに本当に頷けるまでが、大仕事ですね。 以前にもお話したかもしれませんが、本山の奉仕団の座談会で、あるお婆さんが、「ながいあいだ、仏法を聞かせて頂いたおかげで、腹が立たんようになりました」とおっしゃった。 そうしたら、教導の先生が、「うそつけ」と一言おっしゃった。その言葉を聞いた途端、お婆さんは、青筋立てて怒り出した、ということです。 おそらく、このお婆さんは、仏法を聞いていたら、煩悩がだんだん無くなって、腹も立たない、立派な人間になる、と思っておられたのでしょうね。 そうではないのですよ。煩悩は、死ぬまで無くならないのです。「私」イコール「煩悩」なのですからね。 これも聞いた話ですが、曽我量深先生の、難しいお説教を、30年間、聞き続けてきたというお婆さんがおられたので、「30年間、聞法されて、何が分かりましたか」とたずねたところ、そのお婆さんは、「腹は立つもんや、と分かりました」とお応えになったそうです。 いくら聞法しても、「煩悩」は無くならないのです。「私」イコール「煩悩」だからです。そうではなくて、この、「私」イコール「煩悩」ということに気づかせてもらうのが、聞法の功徳であり、「他力」の働きなのです。 どうですか、私たちは、「煩悩」という言葉は知っていても、たいていは、それが自分の苦しみの原因だとは思っていませんね。たとえば、何かに腹が立ったとき、「あ、煩悩が動いた」とは思いませんでしょう。 そんな私たちは、阿弥陀仏の智慧の光に照らされて、はじめて、煩悩具足の自分の姿に気づかせてもらうことができるのです。聞法が大事です。聞法するというのは、阿弥陀仏の智慧の光の中に身をおくことです。 いつもの「たとえ」で言えば、煩悩まみれで真っ黒けの自分が、この黒マルだとしますと、煩悩で真っ黒けのこの世界のなかでは、見えません。ですが、白い紙の上に置くと、見えるようになる。この白い紙が、阿弥陀仏の智慧の光の世界です。 黒いマルが見えるときには、同時に、白い紙も見える。自分が見えるということと、仏が見えるということは、別のことではないのです。そのとき、「私」は、煩悩具足の身のままで、仏の手のひらの上にいることに気づくのです。 「往生極楽のみち」とは、煩悩の無くなる道ではなくて、自分の煩悩に気づかせてもらう道なのです。そして、煩悩の身のままで、阿弥陀(永遠のいのち)に支えられて、極楽浄土に帰って往く道なのです。 ところで、私たち真宗門徒は、親鸞聖人の御跡を慕って、「往生極楽のみち」という仏道を歩ませて頂いておりますが、「仏道」というのは「道」なのですね。 「道」のことを、「往還」(おうかん)とも言いますが、昔はこれを「往還」(おうげん)と言いました。「往」(おう)とは、往(ゆ)くこと。「還」(げん)とは、還(かえ)ることです。つまりは、往き還りするところが、道なのですね。 仏道は、仏の世界へと続いている道です。ちょっと難しい言葉を申しますが、その道を、仏の世界に向かって往く姿、つまりは、私たちが救われていく姿を、「往相」(おうそう)といいます。また、その仏の世界から、有縁の人を救いに還ってくる姿を、「還相」(げんそう)といいます。 この往相と還相は、ともに阿弥陀如来の本願他力のお働きによって、セットで私たちに与えられている、と親鸞聖人は説いておられます。「正像末和讃」(第51首)に、こう詠われています。
南無阿弥陀仏の回向(えこう)の この和讃は、おおよそ、こういう意味です。「これひとつで極楽浄土に迎え入れると、南無阿弥陀仏という名号を回向してくださった、その有り難いおこころの広さは、とうてい考えることもできないほどであり、その浄土に迎えてくださる『往相』の利益には、有縁の人々を救いに還る『還相』も入っているのです」と。 往相と還相は、セットになっている。往く人ばかりで、還ってくる人のない道は、道ではないでしょう。自分が救われて往くだけでなく、有縁の人々を救いに還って来て、はじめて「仏道」といえる。 「極楽というのは、よほどよいところにちがいない。還ってくるひとがいないくらいだから」なんておっしゃる方がありますが、それは、おそらく、違うと思いますね。往相の道を歩んでいないと、還相の人には遇えないのです。最後にそのことを、お話しいたします。 私事を繰り返しますが、最初にお話いたしましたように、先日、福井の家内の里で、岳父と義兄の年忌法要も勤まりました。義兄の17回忌、岳父の13回忌の法要でした。過ぎ去った年月に、思い深いものがありますけれど、今でも、ときどき夢に見ましてね。 このあいだ、お彼岸の頃に見た夢ですが、岳父と家内と私が、車で、大雪の中を走っている。だんだん暗くなってくるのですが、雪で、どうしても峠が越えられない。そこで眼がさめたのですが、義兄の看病に、大雪の中を、家内と何度も京都から通ったことがありまして、ああ、あのときの夢かと思いました。 結局、その峠は、越えられませんでしたが、そのときに、岳父の詠んだ歌が31首残っております。その中から、お手元の資料に、3首だけ、挙げておきました。
果てしなき 迷いの中の身をしれと わが子となりて 如来往きたまう 二首目の「無明(むみょう)」というのは「煩悩」のこと、三首目の「のりつぐ」というのは義兄の名前です。 「我が子と思って、気づきませんでしたが、私の迷いの目を覚ましてくださる還相の仏様でしたか」と、岳父は、若くして47歳で亡くなった息子を伏し拝んで、その息子に、「還相院」という院号を贈りました。 岳父は、いちずに仏道を歩み続けた人でした。それで、仏の国から還ってきた人、還相の仏に、出遇えたのです。 往相と還相はセットです。人が、浄土に帰って往く姿こそ「還相」なのです。その意味に気づかせてもらえるのも、阿弥陀仏の智慧の光のなかにおればこそです。 人生をたたきつぶしてしまうような理不尽な出来事すらも、人生を支える力にかえてしまう。それが信仰の力ではないですかね。 その岳父は、亡くなる少し前に、「自分の院号は、法爾院(ほうにいん)としてほしい」と、私に言い残していきました。 「法爾」とは、「あるがまま」という意味です。「これでいいのだ」と、平坦ではなかった人生を全肯定した言葉だったと思います。 念仏詩人・榎本栄一さんの詩に、こんなのがあります。「シャバの開眼」という詩です。
私を彼土(かのど)へはこぶ車は、 苦しいことにも悲しいことにも、できることなら、遇いたくはない。ですが、一生のあいだには、自分の力では何ともならない、悲しいことや苦しいことに出遇っていくものですね。 そんな、人間に生まれてきたばかりに味わわなければならない悲しみや苦しみが、「迷妄ふかい私」の眼をひらいてくれて、「ようこそ人間に生まれることができました」という喜びに変わっていく。それこそが、「往生極楽のみち」を歩む者にとっての、現世利益だと思いますね。 さて、もう少しだけお話して、終わることにいたします。 科学の時代に生きる私たちは、「往生極楽」というような言葉を聞くと、自動的にこころのフタが閉じてしまうかもしれませんが、「極楽」というのは、人間であるがゆえの苦しみのない世界を表す言葉です。 親鸞聖人は、「極楽」という言葉は、ほとんどお使いにならず、「浄土」とおっしゃいました。「極楽」と聞くと、楽しいことがいっぱいの楽園のように考える人がいたからでしょうね。 「往生極楽」というのは、「苦しい世界はいやだから、楽しい世界にいこう」という意味ではありません。そういうことは、煩悩の思うことで、仏教とは関係ありません。 そうではなくて、先ほどの金子先生のお言葉にあったように、人に生まれた悲しみが、悲しみのままに、人に生まれた喜びに、転じていく道、それが、「往生極楽のみち」なのです。 仏教は、生活の問題を解決する教えではありませんが、人生の方向が定まると、生活も定まってきます。「人生って、こんなもんだ」ではなくて、「これが人生なんだ」と、人生の本当の味わいを知る道、それが「往生極楽のみち」です。 「往生極楽のみち」を歩むには、どうすればよいのか。親鸞聖人は、「他力を憑(たの)む」(『教行信鉦』行巻)とおっしゃいました。「憑む」というのは、「もたれかかる、まかせる」という意味です。 「他力に憑む」のではなくて、「他力を憑む」です。自分が何かをするのではなくて、ただこころを開いて、他力の働く場になるということでしょうね。 昔の門徒さんは、「握って、開いて、向こうから」と、おっしゃっいました。「往生極楽のみち」は、聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、向こうから開かれてくる道なのです。 最後に、榎本栄一さんの詩を、もうひとつ。「念仏のりやく」という詩です。
念仏をもうせば 自分の煩悩が見えはじめたら、そこが「往生極楽のみち」のうえです。 「生涯聞法」、「南無阿弥陀仏」です。それしかありません。どうぞ、ご一緒に、「往生極楽のみち」を歩ませて頂きましょう。 では、本日は、ここまでにさせて頂きます。長い間お付き合いくださいまして、有り難うございました。また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますよう、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ
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