ようこそのお参りでございます。暖かくなりまして、今日はお彼岸のお中日です。 3月も、あと10日ほどで終わります。月日の経つのは速いもので、1月、2月も、あっというまに過ぎ去ってしまいましたが、今年は初めて、西本願寺の通夜布教にお詣りさせて頂きました。 西本願寺では、例年、1月9日から16日までの七夜に渡って、報恩講が勤まりますが、その報恩講の最後の夜には、宵の口の7時頃から明くる朝の6時頃まで、夜を徹して、聞法会が催されます。それが通夜布教です。 西本願寺の北側にある聞法会館の1階と3階に、何千人もの御参詣を得て、13人の布教師の方々が、次から次へと御法話をなさいました。坊守と一緒に、始めてお詣りさせて頂きましたが、一番感動しましたのは、その場に、お念仏の声が満ちていたことです。 大広間からロビーにまであふれた沢山の参詣者が、老いも若きも、ナンマンダブ、ナンマンダブと、お念仏を称えておられましてね、久しぶりに、信心の火が熾火のように燃えている姿を見せて頂いた夜でした。まことに、ありがたい経験をさせて頂きました。 親鸞聖人の教えは、「ただ念仏」という教えです。お念仏は、浄土への道。「此岸」から「彼岸」に渡る一本道です。 念仏詩人の木村無相さんに、「一本道」という詩があります。こんな詩です。 一本道
やっと出ました
西の空 彼岸の中日には、太陽が真西に沈みます。それで、この日には、「彼岸」(西方極楽浄土、あの世)と「此岸」(この世)が一番通じやすくなると考えられました。 この彼岸中日が、まこと、そういう日であることを願って、本日は、「彼岸への道」という題で、お話させて頂こうと思います。どうぞ、しばらくの間、お付き合いください。 さて、振り返ってみますと、若いころは、生きているのが不安でした。生きているということは、かならず死なねばならないということですからね。 「食べられないと死ぬ」ということも不安でしたが、「食べていても死ぬんだ」と思うと、いっそう怖くなって、何のために生きているのだろうと、悩みました。思えば、その不安こそが、聞法へのお催促だったのですがね…。 皆さんは、いかがですか。生きていることに不安を感じてはおられませんでしょうか。今、どんなに幸せな生活を送っておられても、いずれは終わる日が来るのです。そのことをお考えになったことは、おありでしょうか。 死ぬときがきたら、いやでも死ぬんだから、そんなことは考えても仕方がない。死ぬことなんか考えずに、一所懸命に生きることだけを考えている。あるいは、それが、私たちかもしれませんね。 ですが、生と死は、一枚の紙の裏表なのです。死ぬことなんか考えない、考えないと、裏をどんどん削っていけば、人生そのものがペラペラになる。そんなことにすら気づかなくなっているのが、現代社会に生きる私たちではないでしょうか。 私たちは、「自分」を頼りにして生きていますでしょう。私たちの人生の目的は、幸せになること。幸せになるには、自分が努力するしかない、自分が頑張らないとだめだと思っていますでしょう。いかがですか。 いつもお話することですが、私たちには、「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころの働きがあります。「煩悩」ですね。言葉を換えて言えば、「煩悩」というのは、「特別な自分を護ろう」とするこころの働きなのです。 自分を護ろうとして、健康が大事、お金が大切、生き甲斐も必要と、頑張るのですが、健康だったら安心か、お金があったら安心か、と言いますと、そうではないですね。 どんなに恵まれた暮らしをしている人でも、こころのどこかに、落ち着かない思いがある。不安の影がある。たとえ、気づいていなくとも、私たちの本当の願いは、健康でも、お金でもなくて、この不安が無くなることなのですよ。 私たちは、不安なのです。どんなに懸命に頑張っても、結局、「煩悩」は、「特別な自分」を護りきることはできないのです。いずれは、かならず、死ぬからです。 お釈迦さまは、あるとき、そのことに気づかれたのです。そのことに気づくと、王宮での何不自由ない生活も、ことごとく色を失い、燃え上がる不安の炎に焼かれて、居ても立ってもおれなくなった。かくして、不安の炎の消える道を求めて、出家なさったのです。 言い伝えによりますと、お釈迦さまは、王舎城の近くにある苦行林で、6年間修行なさったところ、身心ともに衰えるばかりで、これではだめだと、苦行をお捨てになった。 川で身体を洗って対岸に渡られたお釈迦さまは、村娘から乳粥(ちちがゆ)の供養を受けて、身心ともに蘇り、大木の根もとに座って、心を静められたところ、お悟りが開けた、ということです。 苦行というのは、「自力」の修行ですから、苦行を捨てたということは、自力を捨てたということです。自力で握りしめている手を開いたら、その手のひらに差し込んで来る光があったのです。 お釈迦さまは、お悟りを開かれて、「仏陀(ブッダ)」と呼ばれるようになりました。「ブッダ」というのは、インドの言葉で、「目覚めた人」という意味です。目覚めたら何が見えたのかといえば、「あるがままの世界」(真如)が見えたのです。 そのお悟りの境地を、「涅槃(ねはん)」といいます。「涅槃」というのは、インドの言葉で「ニルヴァーナ」といいますが、これは、「炎が消えて無くなった状態」を表す言葉です。 つまり、「あるがままの世界」に目覚めたら、「不安の炎」が消えて無くなり、こころが完全に安らかになったのです。 「あるがままの世界」に目覚めたら、護らねばならない「特別な自分」というものはなかったのです。(お釈迦さまのおっしゃっている「無我」というのは、このことです。) それで、煩悩が必要でなくなった。輪廻から自分を護る必要もなくなり、輪廻の不安も無くなった。「不安の炎」が消えて無くなり、こころに完全な安らぎが訪れたのです。 「あるがままの世界」が見えるのは、それを照らし出す「光」があるからです。その「光」を、「智慧」といいます。 悟りの世界「彼岸」は、一切の不安の無い「安楽国」です。その「安楽国」を、親鸞聖人は、「無量光明土」(『名号徳』)とおっしゃっています。限りない光明の世界、阿弥陀仏の浄土です。 「その限りない光明の世界、阿弥陀仏の浄土をめざして生きよ」と説いているのが、「浄土の教え」「お念仏の教え」です。浄土の教えは、お釈迦さまのお悟りの真実を伝えようとした教えなのです。 仏法は、あなたも私も、誰もが避けられない「人間であるがゆえの苦しみ」(人間苦)から、解放される道を説く教えなのです。となると、生きている不安に気づいたら、仏法を聞かずにおれませんでしょう。いかがですか。 「死ぬからこそ、本当に生きる道を問う」。金子大榮先生の言葉です。私たちは、「死ぬからこそ」というところに、ぶつかりませんとね、なかなか、「本当に生きる道を問う」というところに開けてこないのですね。 実際、死にたい人は、いないでしょう。みんな、生きたいのです。ですが、いのちには限りがある。そのことを思うと、不安で仕方がない。そんな私たちに、仏教は、「不安の無い世界に向かって生きよ、浄土に向かって生きよ」と教えてくれているのです。 さて、「浄土への道」は、此岸から彼岸への道です。たとえば、図を描いてみますと、ここに河がある。こちらの岸が「此岸」で、向こうの岸が「彼岸」です。 「此岸」というのは、私たちの世界(娑婆)です。そして、「彼岸」というのは、仏様の世界(浄土・安楽国・光明土)です。 この「此岸」から「彼岸」へ渡れというのが、仏教なのですが、彼岸へは、「自力」では渡れないのです。さきほどお話しましたように、お釈迦さまでも、「自力」(苦行)では渡れなかったのです。 法然上人も、親鸞聖人も、自力では彼岸に渡れないと気づいておられました。誰であっても、「自力」では彼岸に渡れないのです。 「自力」というのは、自分の利益のためにする努力のことです。つまりは、自力というのは、煩悩の力です。もっと豊かになりたい。もっと立派になりたい。そういうようなことは、自力でやるしかない。 かつて、ある大臣が、国会で、「他力本願の国防ではダメだ」と言って、えらく問題になったことがありました。真宗教団の方でも、結構問題にしたそうですが、あれはあれで、正しい考え方です。国防というような、自国の利益のために何かしようと思えば、「自力」しかありません。 しかし、世界中が、その自力で頑張ってきた結果、今、どうなっていますか。地球温暖化だ、ミサイルだ、テロだ、貿易摩擦だ、格差拡大だと、不安でいっぱいではないですか。そんな不安を生み出す「自力」(煩悩)で、安らかな「彼岸」(煩悩の無い世界)に渡れるはずがありません。 お釈迦さまも、「自分の不安」が無くなることをめざして、自力の苦行をなさっていたあいだは、「彼岸」に渡れなかったのです。どんなに努力しても、苦行をしても、自分の力(自力)では、彼岸に渡れないのです。 では、どうすればよいのかといえば、向こうの岸から、こちらの岸に向かって、開かれている道があるのです。それが他力の道です。阿弥陀仏の本願力の道、「南無阿弥陀仏」の道です。本当に、そういう道がある。たくさんの人々が渡っていった、その道を説いているのが、「お念仏の教え」です。 私たちが気づいていなくても、「彼岸」(浄土)から「此岸」に向かって、働きかけている力がある。煩悩の暗闇に迷っている私たちを、光の世界へと導こうとする力があるのです。それが阿弥陀仏の力、「本願力」(他力)です。 木から落ちるリンゴを見て、ニュートンは「引力」に気づいたそうですが、その「引力」は、木から落ちたリンゴにだけ働いていた訳ではありませんね。木に残っているリンゴにも、同じように、「引力」は働いている。「本願力」というのも、それと同じではないでしょうか。 私たちが気づいていなくとも、引力が働いているように、「本願力」は働いている。私たちが、死ぬことへの不安を感じているのも、本願力の働きかけではないですか。「そっち(此岸)ではない、こっち(彼岸)だよ」と、本願力が働きかけているのですよ。 ところが、私たち現代人は、「彼岸」という宗教的な世界に背を向けて生きておりますから、本願力の声は聞こえてこない。 それでね、健康が大事、生き甲斐が大切、となるのです。健康で、生き甲斐があるあいだは、死ぬことから目を逸らせておれるでしょう。 特に、現代のような、物があふれ、刺激に満ちた社会では、目を逸らせておくものに事欠きませんね。 ですが、死ぬというのは、人生最大の現実です。この現実から目を逸らせて生きているのは、現実逃避ではないでしょうか。 いくら健康食品を食べ、ジムやカルチャーセンターに通い、ボランティアに励んでも、こころの奥底から、死ぬことへの不安は無くなりませんよ。 本当は、その「不安」こそ、顔を向けている方向が違うという、本願力の呼びかけですよ。いつもお話しすることですが、ホワイトボードに背を向けて立っている人が、ホワイトボードから一番遠くにいる人なのです。 「大悲を受け入れる心がなければ、その人に、浄土は開けてこない」。梯實圓(かけはし・じつえん)先生の言葉です。「大悲」とは阿弥陀仏の大慈悲心のこと、「本願力」のことです。 「本願力」というのは、浄土からの呼び声です。「南無阿弥陀仏だよ」という呼び声です。お仏壇のなかに「南無阿弥陀仏」という名号が掛かっていますでしょう。お浄土からの呼び声(本願力)は、そこまで届いているのです。 私たちは、その呼び声に、「はい南無阿弥陀仏ですね」と応えればいいだけです。それが、私たちの称えるお念仏です。 私たちは、浄土に向かって生きる。浄土はどっちにあるのか。西の方か。そうではありません。浄土に向かうというのは、お念仏を申すということです。 南無阿弥陀仏というのは、阿弥陀仏に南無するということ。阿弥陀仏に手を合わせるということです。ですからね、どっちを向いていようとも、南無阿弥陀仏と称えるとき、私たちは、浄土に向いているのです。 「浄土への道」は、「ただ、お念仏」です。その「ただ、お念仏」に生きられた、池山栄吉先生は、口癖のように、こうおっしゃっていたそうです。 「ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。これだけだよ、これだけだよ。これだけしかないのだよ。これだけでいいんだよ」と。 ちなみに、池山栄吉先生は、明治6年ころのお生まれだったと思いますが、42歳のとき『歎異抄』に出遇われ、「これが他力の心境だな」と深く頷かれて、「ただ、お念仏」一筋に歩まれた方です。 池山先生は、戦前の一時期、大谷大学でドイツ語の先生をなさっておられましたが、ほぼ同じ頃、フランス語の先生として大谷大学に奉職なさった方がありました。池山先生より、ずっとお若かったのですが、後に大谷専修学院長になられた、信國淳(のぶくに・あつし)先生です。 信國先生は、念仏一途の池山先生に、心の底から感動なさって、初めて参加を許された、池山先生主催の同心の会から家に帰るなり、奥様に、こうおっしゃったそうです。
「ボクは決心した。ボクはお浄土へ往くのだ。お浄土がどこにあって、どんなところかは知らないが、現に「お浄土」という言葉があり、お浄土を目指して生きることを喜んでいる人たちがいるのだ。 かくして、ご夫婦での聞法の生活が始まったということです。感動的な話でしょう。「君はどうする?」 「本願力」という引力の在ることは、お念仏を喜び、お念仏に生きた人々の歴史が、証明しています。「浄土への道」、「お念仏の道」は、確かに、在る。私たちに、そこを歩めと、開かれている道です。 もう少し、お話を続けます。 仏教は、「此岸」から「彼岸」に渡る道を説く教えです。それで、「浄土への道」と言って、お話してまいりましたが、「渡る」とか「歩く」というのは、「たとえ」でしてね、どこかへ行くというわけではありません。 実際、私たち真宗門徒には、聞法を重ね、お念仏を称える生活しかないのです。聞法を重ね、お念仏を称える生活の中で、おのずと「智慧」が深まっていく。智慧というのは、よく分からない言葉ですが、ものごとを見せる「光」のことだと思ってください。 暗闇のなかで何かを見ようとすると、ライターの火より、懐中電灯の光の方が、よく見えるでしょう。ですが、太陽が昇ると、懐中電灯の光では、気づけなかったことまで、分かるでしょう。智慧が深まるというのは、そういうことです。 なによりも、聞法することが大切です。お念仏の教えを聞く。お念仏の教えに生き、お念仏の教えを喜んだ人々の話を聞く。そして、聞いたことを、自分自身にひきあてて、よく考える。そうしたら、おのずと、お念仏は、口から出てきますよ。 お念仏は、ただ称えるだけ。その味わいは、称えていないと、分からないものなのですよ。たとえばですね、散歩は健康にいいという話も、聞いただけなら、本当のことは分からないでしょう。 聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、本願力という引力への感受性が養われてくる。そして、縁あれば、ふと気づかせてもらうときがくるでしょう。「私は、仏に支えられて、生かされて生きている」ということにです。 いわば、私たちは、仏の手のひらの上で、仏の「いのち」を生きているのです。仏の手のひらの上で「生かされて生きている」と分かったら、生きるも死ぬも、おまかせです。 そのとき、清沢満之先生は、「天命に安んじて、人事を尽くす」とおっしゃいました。安心して、力一杯生きられるということですね。 また、安田理深先生は、「どうすることもできないことは、どうする必要もないこと」おっしゃいました。これも、同じことでしょう。
「生きるものは生かしめ給う 死ぬるものは死なしめ給う これは、藤原正遠先生の詩です。生きるものなら生かしてくださるし、死ぬものなら死なしてくださる。自分にできることは何もない。いのちのことは、いのちにおまかせです。 聞法とお念仏の生活のなかで、「死ぬことへの不安」が解消されたとき、「安心(あんじん)」を得たと言います。信仰の生活というのは、この「安心」を得て、心安らかに生きることを言うのです。 気楽に生きるということではありません。そうではなくて、たとえ、寝返りひとつままならず、排便さえも家族や他人に頼るしかないようになっても、その状況を我が身にきちんと受けとめていくことができる。それが信仰の生活ではないかと思います。 35歳で結核で亡くなった明治の歌人、正岡子規が、亡くなる二日前まで書き続けた『病床六尺』という随筆集に、こんな話がでてきます。 子規は、亡くなる3ヶ月ほど前のこと、一通の手紙を受け取りました。おおよそ、次のような内容の手紙です。
「『病床六尺』を読んで、自分も病身であることから、思うことがあって、お伝えします。あなたのような苦しみの中にいる場合は、 この手紙の主は、清沢満之ではないかと言われております。子規は、この年(明治35年)に、結核で亡くなっています。35歳でした。清沢は、翌年(明治36年)に、同じく結核で亡くなっています。40歳でした。 清沢は、浄土真宗の偉大な改革者でした。晩年の9年間ほど、結核に苦しみ、同じく数年間、結核に苦しんでいた子規に、助言したのでしょう。 いのちのことは、いのちにおまかせするしかない。まかせるというのは、平然と悟ったようなこころになることではなく、苦しいときには苦しいと言い、泣き叫べばよい。そして、死ぬ時は死ぬだけだ。これが、いのちの自然にまかせるということなのですね。 それは突き放したような絶望の言葉ではなくて、人間死んでも大丈夫だという、生きるも死ぬも、仏まかせで不安がないという「いのちの真実」を語ろうとしたものでしょう。宗教嫌いの子規も、この清沢の手紙には感動し、喜んだといいます。 死ぬ時には死ぬだけ。ある妙好人の話を思い出しました。ある人が、死の床にある妙好人に、「死ぬときにはどうしたらよかろうか」と聞いてきた。すると、その妙好人は、「死んだらええだけだ」と応えたといいます。 「力の及ばざるところは、如来の領分なり」。これも清沢満之先生の言葉です。死ぬことだけでないのです。何ごとでも、自分ができるのは、ここまでとなったら、後は如来におまかせ、なのです。 「死にたくない」と思っても、大丈夫ですよ。死にたくないままに、仏に生かされて生きているのが、私たちなのです。「死にたくない」ところから先が、「如来の領分」ですよ。 もう少しで、終わります。 「お念仏」の教えで、一番難しいのは「他力」です。 『歎異抄』の序文にも、「幸いに有縁の知識によらずは、いかでか易行の一門に入ることを得んや」(意訳:他力の世界を知っている人に出遇わないと、お念仏の教えは分からない)とあるくらいです。 「他力によって救われる」と言いますが、「他力によって」というのは、「他力を用いて」という意味ではありません。「他力」というのは、阿弥陀仏の力、「本眼力」のことです。私たちが「他力」を使えるわけではありません。 「他力、他力と、思うていたが、思うこころが、みな自力」(森ひな)とおっしゃった方がありました。そうなのですね。私たちには「自力」しかないのです。 如来に「まかせる」というのも、そうですよ。この「まかせる」ということも、自力ですることではないのです。 私たちが「まかせる」というときは、自分にとって都合の善い結果を期待しているでしょう。如来に「まかせる」というのは、そうではないのです。結果そのものを「まかせる」。それが、如来に「まかせる」ということなのです。そこがまた、難しいところです。 「まかせる」というのは、阿弥陀仏に向かって、こころを開くことです。こころを開いて、浄土(無量光明土)に向かって生きる。浄土はどっち。南無阿弥陀仏と称えるとき、私たちは、浄土の方に向いているのですね。 「他力の教えは、握って、開いて、向こうから」と言われているように、気づきは、向こうから、やってくる。そして、私は、「他力」の働く場になる。それが、「他力によって救われる」ということです。 お念仏は、手段ではありません。苦しまないためのお念仏ではなく、苦しいままのお念仏です。藤原正遠先生の歌を二首。
「いずれにも 行くべき道の 絶えたれば 口割り給う 南無阿弥陀仏」。 「お念仏」一筋に生きられた、池山栄吉先生は、こう、おっしゃいました。「念仏の道は、如来の開かせたまえる、人間の道である」と。 「生・老・病・死」に苦しむのは、人間だけです。その、人間にだけある苦しみ(人間苦)を超えて行く道が、念仏の道なのです。 ですから、お念仏の教えは、私たちにとって、人生の「必修科目」なのです。その他の、誰と結婚するとか、何の仕事に就くとかいったことは、みんな「選択科目」です。 「選択科目」は人それぞれですが、お念仏の教えは、人生という学舎(まなびや)の「必修科目」なのです。 死を前にしては間に合わないかもしれません。余裕があると思っている今のうちに、人生の「必修科目」を学んでまいりましょう。きっと、人生の味わいが違ってきますよ。 仏法が難しいという人は、お念仏を称えないからですよ。死ぬのが不安な人も、「ただ、念仏」です。ご一緒に、お念仏を申してまいりましょう。 では、本日は、この辺で終わることにいたします。 最後にちょっとご案内ですが、この紫雲寺では、昨年の4月から、ほぼひと月に一回、「歎異抄に聞く」という会を開くようになりました。 『歎異抄』というのは、親鸞聖人の「真の信心」を伝えるために、直弟子の唯円という方が書かれた本です。そこには、親鸞聖人ご自身が、「此岸」から「彼岸」への道、「浄土への道」を歩みつつ語られた、そのご信心の真実が記録されております。 毎回、十人前後の方々とご一緒に、少しずつ読んでおりますが、最初に、必ずみんなで音読しております。『歎異抄』は実に名文でして、その言葉には、こころに響くリズムがあります。音読して、聞いていると、自然に染みこんでくるものがあるように思います。 次の会は、4月27日に開きます。みなさんも、どうぞ、お気軽に、ご参加ください。お待ちいたしておりおます。 では、次回は、秋の永代経法要でございます。半年先でございますが、また、ご一緒に聞法させ頂く、ご縁がありますよう、願っております。本日は、有り難うございました。ナムアミダブツ、ナムアミダブツ……
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