ようこそのお参りでございます。ようやく秋の気配が漂うようになってまいりました。「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年の夏も異常に暑かったものですから、そろそろ夏の疲れが出てくるころかもしれませんね。どうぞ、お気を付けください。 さて、本日は、永代経法要です。亡き人を偲び、亡き人をご縁として、聞法のひとときを持たせて頂く。それが、私たちの永代経法要です。 今、門前の掲示板に、「死者は沈黙す、されど、死は雄弁なり」という言葉を掲げております。ご覧になりましたでしょうか。 おそらく、皆さんも、かけがえのない人を亡くされたことがおありでしょう。そのとき、皆さんは、様々なことを、思い悩み、考えられたのではないでしょうか。限りある人生のことを、死のことを。そして、死んだら、どうなるのだろう、と。 私たちは、たいてい、人生のことは考えずに、生活のことばかり考えている。死ぬことは考えずに、生きることばかり考えている。そうして、そんな生き方を、「これでいいのだ」と思っている。 亡き人は、何も語りませんが、かけがえのない人の死は、そんな私たちに、「それでいいのか」と問いかけているのです。 皆さんは、今日、そんな、亡き人の声なき声に導かれて、仏様の前にお参りになった。そんなふうに受け止めて頂ければ、尊いことでございます。 「亡き人を案ずる私が、亡き人から案ぜられている」という法語がありますが、お墓にお参りすると、「私」を案ずる亡き人の声が聞こえます。お墓に刻まれているでしょう。「南無阿弥陀仏」(お念仏を称えるんだよ)、「倶会一処」(また、お浄土で会おうな)と。 そこで今回は、亡き人々とも、また会える日を思い、「倶会一処(くえいっしょ)」という題で、お話させて頂こうと思います。おなじみの話ではありますが、どうぞ、しばらくのあいだ、お付き合いください。 さて、今日はお彼岸のお中日ですから、お墓参りを済ませて来られた方も、おられるかと思いますが、聞くところによると、親のお墓に手を合わせながら、「私は無宗教です」とおっしゃる方もおられるのだそうですね。 まあ、国の判断では、戦没者慰霊祭であれ、お盆の行事であれ、地鎮祭であれ、みんな宗教行事ではなくて、習俗・習慣なのだそうですから、その伝で言えば、親のお墓に手を合わせても、無宗教だと言えるのかもしれません。 ですがね、「自分には宗教なんか関係ない」と思っていても、生まれ育った日本文化の中には、宗教的なものが一杯あるのです。それこそ、習慣や、しきたりや、伝統として。そのために、私たちは、かえって宗教に対して鈍感になり、仏教が分かりにくくなっているのでしょうね。 たとえば、日本古来の神道では、亡き人の霊魂(たましい)を「神」として祀りましたが、死者の魂(神)には、荒々しい面(荒魂:あらみたま)と、優しい面(和魂:にぎみたま)がある。荒魂(あらみたま)は、疫病などで人に害をなす「祟り神」、和魂(にぎみたま)は、豊かな実りをもたらす幸いの神です。 そこで、人々は、神(死者の魂)に、供物を捧げてまつり、荒魂(あらみたま)を慰め鎮め、和魂(にぎみたま)からの豊かな実りを願ったのです。慰霊祭や収穫祭は、こういう日本古来の宗教的伝統です。 また、中国からの影響もあります。中国では、古来、人には二つの「たましい」があると考えられていました。「魂(こん)」と「魄(はく)」です。 人が死ぬと、魂(こん)は陽の気となって天に還り,魄(はく)は陰の気となって地に還る。その天に還った魂(こん)を表すのが「位牌」、地に還った魄(はく)を表すのが「遺骨」です。 現代の日本でも大切にされている、「慰霊」や「鎮魂」の行事や、位牌や遺骨にこだわる思いは、本来、仏教のものではなくて、この古来の日本と中国の精神文化から生まれたものなのです。 お葬式の「弔辞」や「弔電」でよく聞く、「どうぞ、安らかにお眠り下さい」とか、「ご冥福をお祈りいたします」とかいうような言葉も、慰霊の言葉です。 そういった古来の宗教的伝統の上に、私たちは仏法を受け入れたのです。「安らかに成仏してください」というような言葉は、そこから生まれた日本独特のものだと思いますね。 仏教は、もともとインドから伝わって来た教えですが、私たちは、インドの仏教をそのまま受け入れたわけではありません。私たち日本人は、仏教発祥の地インドの輪廻転生の思想を、ほとんど受け入れませんでした。 インドでは、輪廻転生が信じられています。人は亡くなると、どこかに生まれ変わっているはずですから、遺骸にこだわることはありません。遺骸は、いわば抜け殻ですから、聖なる河(ガンジス)に流してしまいます。そんなインドに、お墓はありません。 いかがですか。私たちは、家族の遺骸を、抜け殻として、川に流すことができますでしょうか。もちろん、そんなことは犯罪ですからできないということもあるのですが、たとえ、法的に許されたとしても、心情として、できないのではないでしょうかね。 親鸞聖人は、「自分が死んだら、遺骸は、鴨川に流して、魚のエサにしてくれ」と、遺言されたそうですが、その遺言は守られませんでした。ご家族やお弟子方の心情として、そんなことは、とてもできなかったのでしょう。 聖人の御遺骸は、東山の鳥辺野(とりべの)で荼毘に付されて、のちに廟堂が建てられ、そのお骨が納められました。それが、本願寺の始まりです。 このあいだ、その親鸞聖人のお骨が納まっている大谷祖廟に、お墓参りに行ってきました。お彼岸ですので、結構、お参りの方がおられました。沢山のお墓を見ていて思いましたが、私たちの仏教は、インドの輪廻転生思想ではなくて、亡き人への思いをご縁に、伝えられてきたのですね。 仏教はインドのお釈迦様に始まりますが、初期の経典によると、お釈迦様は、「六道輪廻からの解脱を求めて出家なさった」とは書かれていません。お釈迦様の、出家の動機と、その教えの核心は、老・病・死という「人生の苦しみ」からの解放でした。仏教は、もともと六道輪廻の教えと抱き合わせになっているのではないのです。 ただ、インドの人々は、「生・老・病・死」の苦しみが繰り返される人生を、「六道を輪廻転生する」というイメージで捉えていましたから、そんなインドの人々にとっては、お釈迦様の教えは、六道輪廻から解放される教えだったということなのです。 私たちには、もともと「六道輪廻」の思想はありませんでした。私たちは、「亡き人の冥福を祈り、亡き人からの恩恵に感謝を捧げる」という精神文化の上に、「人生の苦しみ」から解放される教え、仏教を受け入れました。そこに大きく開いた日本仏教の華が、私たちの頂いている「浄土真宗」の教えなのです。 では、インドの輪廻転生思想を受け入れなかった私たちは、仏教から、何を学んだのかといいますと、それは、「煩悩(ぼんのう)」と「仏性(ぶっしょう)」だったと思います。 簡単に言えば、「煩悩」というのは「凡夫(私)のこころ)」、「仏性」というのは「仏(阿弥陀如来)のこころ」のことです。 「煩悩」というのは、いつも申しますように、「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころの働きのことです。ですが、どんなに大切な自分でも、「老・病・死」からは守りきれない。その特別な自分を守りきれないところに、私たちの苦しみがある。 私たちは、仏教を学ぶまで、このことを知りませんでした。病気になれば、なにかの祟りではないか。なにか困ったことが起これば、誰かが呪っているのではないかと、苦しみの原因は、みんな自分の外にあると、思っていたのです。 そうではないのだ、という仏教の教えは、人生の味わいを大きく変えるものなのですが、私たちは、生きることや、生活のことばかり考えていて、死ぬことや、人生のことは、なかなか真剣に思うことがありません。 遠藤周作さんの『深い河』という本に、こんなことが書かれています。ガンで妻を亡くした、磯部という初老の男の人のことです。「一人ぼっちになった今、磯部は生活と人生が根本的に違うことがやっとわかってきた」と。 死を考えずに、繰り返される日々が、生活。生きることしか考えていないと、日々繰り返される生活しかありません。死とともに生きていると、二度と歩かない道を歩いていることに気付く。それが人生でしょう。私たちは、かけがえのない人を亡くすほどの悲しい経験をしないと、生活と人生の違いにすら気づけないのですね。 いつでしたか、東日本大震災の、まだ発見されない犠牲者の慰霊のために、何人ものお坊さんたちが、海に向かって読経なさったと聞きました。犠牲者の家族の方々は、それで大いに慰められたといいます。 亡き人の霊魂〔魂)を慰めるといいますが、その亡き人の霊魂は、どこにあるのでしょうか。それは、亡き人を思う、残された人のこころにあるのではないでしょうかね。その読経で、慰められたのは、亡き人を思う、残された人のこころです。 お坊さんがたの読経で、残された人のこころにとどいたのは、亡き人の、声なき声ですよ。私たちは、亡き人の幸せを願って手を合わせているように思っておりますけれど、本当は、私たちの方が、亡き人に幸せを願われている。そのことに気付くことが大事です。人生は、そこがスタートラインです。 亡き人々は、無になってしまったわけではありません。みんな「お浄土」に帰られた。人は、この世の縁が尽きると、みんな「いのちの故郷」、お浄土に帰って往くのです。 親鸞聖人の87歳のときのお手紙に、こう書かれています。「(亡くなった方々は)きっと間違いなく先に浄土でお待ちになっていることでしょう。みな必ず浄土に往生させていただくのです」。また、「(私が)先立って往生しても、あなたを浄土でお待ちしております」(『後消息拾遺』2通目、部分訳)と。 浄土真宗の教えでは、理屈ではなくて、「いのち」への感性が問われているのですが、生きているあいだの生活だけが全てで、「これでいいのだ」と思っている現代人には、とても受け止められない教えかもしれません。 ひとことで言えば、浄土の教えというのは、「誰もが、お念仏の道で浄土へ帰って往く、いのちの故郷へと帰っていく」という教えなのですが、かつて、金子大榮先生は、こうおっしゃいました。「悲しみを経験しない人には、浄土の教えはわからない」と。 皆さんも、いろいろ悲しい経験をしてこられたと思いますが、一番悲しかったことは、何でしょうか。お連れ合いだとか、子供さんだとか、かけがえのない大切な人を亡くしたことではないでしょうか。そういう経験のない人には、分からないことがあるのです。 自分のことなら、「人間、死んだらゴミになるのだ」などと、強がりを言っていることもできるでしょうが、「人間一般」のことではなくて、最愛の人のことなら、どうでしょう。 こんな話を聞いたことがあります。有名な湯川秀樹先生のお弟子さんにあたる方のことです。この方が、かつて、思春期の娘さんを亡くされた。当時は理学部の助手だったので、科学的には死んだら終わり、死んだらゴミになるだけだと内心では思っていたそうです。 ところが、死の床にある娘さんが、弱々しい声で、尋ねられたのだそうです。「お父さん、私、死んだらどうなるの」と。そのときには、死んだら終わりだとか、ゴミになるなんてことは、とても言えなかった。それで、思わず、「いいところに行くよ。お父さんもすぐに行くから待っていてね」とおっしゃったそうです。 そのことが後から気になって仕方がなくて、浄土真宗の本を読んで勉強されたそうです。それで何か頷けることが、おありだったのでしょうね。今は、「私たちには、お浄土があって、よかった」とおっしゃっているそうです。 大切な人を亡くすと、いつまでも生きているかのごとき幻想の上に築かれている日常的な価値観が揺らぐでしょう。それこそ、仏法に耳を傾けるご縁です。そんなとき、理屈のタガがはずれて、初めて聞こえてくることがあるのですね。 「人と生まれし哀しみを知るものは、人と生まれし喜びを知る」。これも金子大榮先生の言葉ですが、お釈迦様が「人生は苦だ」とおっしゃった、そのことに本当に思い当たった人には、その苦しみを乗り越えていく道へのご縁が開かれてくる。それが、お念仏の道、浄土への道なのです。 「死ぬからこそ、本当に生きる道を問う」。これも金子大榮先生の言葉です。「死ぬからこそ」というところに、ぶつかりませんとね。なかなか、「本当に生きる道を問う」というところに開けてこないのですね。 実際、死にたい人は、いないでしょう。みんな、生きたいのです。ですが、いのちには限りがある。そのことを思うと、不安で仕方がない。そんな私たちに、仏教は、「不安の無い世界に向かって生きよ、浄土に向かって生きよ」と教えてくれているのです。 大事な教えでしょう。いかがですか、みなさん。 ところがです、現代社会では、その、大事なことが、だんだん伝わりにくくなりました。「亡き人への思いをご縁に、仏法を聞く」ということが、だんだん難しくなってきた。「死」にまつわる情況が変わってきたのです。 まずは、核家族化が進んだということがありますね。いわゆる核家族家庭には、たいてい「お仏壇」がありません。家の中に、手を合わせる場所が無いのですから、大事な教えも、伝わってはいないでしょう。 誰かが亡くなって、お仏壇をお迎えになっても、仏法を聞くという習慣がないと、お仏壇は、そのうち、閉じたままになり、亡き人の思い出を閉じ込めておく箱となってしまいます。 亡き人を送る「葬儀」も、変わりましたね。かつては、お葬式は、たいてい自宅でなさったのですが、今や、ほぼ100パーセント、葬儀会館でなさいます。マンションでは、葬儀が出来ないということもありますが、自宅で亡くなる人が少なくなったということも影響しているのでしょうね。 戦後まもなくの頃は、ほぼ八割の人が自宅でなくなりましたが、今や、自宅で亡くなる人は二割、病院で亡くなる人が八割となりました。核家族化が進んで、自宅に、看病する人手がないということもあるでしょうね。 晩年を老人施設で過ごし、病院で亡くなった人を、会館で葬儀する。多くの人は、こういう流れで家族を送るようになりました。死に逝く人と、ともに過ごすことが、ほとんど無くなり、人の「死に目に会う」ということもありません。それで、「死」の実感が、非常に薄くなってしまいました。 終末医療に携わっておられる、徳永進先生は、こんなことをおっしゃっています。「死に目に会うって、ほんと難しい。……でも、最後の最後の呼吸をもし見ることができたなら、心を通わせる人たちは大切な何かが腑に落ちるのを体験します。またすぐに忘れてしまうのですが、『明日はわが身』と自ずと気付きます」(『終末医療の現場から』)と。 また、今のような高齢化社会では、亡くなるころには、社会とのつながりも薄くなっていますので、見送る人も少なくなってしまいます。そのせいもあってか、今や、お葬式の半分以上が「家族葬」、残りの半分ほどが「直葬(ちょくそう)」だそうです。 核家族化が進み、平均寿命が延びたことで、だんだん家族の関係が希薄になりましてね、施設に暮らしていた親が亡くなっても、専門の業者に任せて、直葬、送骨、散骨するという人もいるそうです。まさに、人は死んだらゴミになる時代ではないですか。 「生きている人間の寿命が長くなるにつれて、死者の寿命は短くなる」(釈徹宗)と、おっしゃった方がおられますが、時代は、まさに、そういう流れです。 ある研究所の調査によりますと、団塊の世代では、53%の人が、「自分の葬儀は直葬でいい」と思っておられるそうですから、こんな時代の流れをもろに受けて、いちばん戸惑っているのは、この「団塊の世代」の人たちではないでしょうか。 人生は、誕生日から命日までの、登って下る山登りなのですが、「もっと豊かになれば、もっと幸せになれる」と、もっともっとと煽り立てられて、右肩上がりに生きることしか知らない人たちには、人生の着地点が見えませんからね。 団塊の世代だけでは、ありませんけどね。このあいだ、と言っても、2ヶ月ほど前のことだったかもしれませんが、たまたまテレビを見ておりましたら、マツコ・デラックスというタレントさんが出ていましてね。で、そのマツコさんに、若い女性が質問しているのですよ。 「私は、有名になって、お金持ちになることが、幸せだと思っています。マツコさんは、すでに、地位も、名声も、お金も、全部手に入れられたと思うのですが、マツコさんは、幸せですか」と。 この通りの言葉だったかどうか、はっきりしませんが、だいたい、こういう意味の、おたずねでした。 するとね、マツコさんは、かなりためらうように、こうお応えになった。「まあ、幸せだと言うしかないでしょうね」と。 幸せかと言われたら、幸せだと言うしかないけれど、これが自分の望んでいた幸せなのだろうか、これでいいのだろうか、という「ためらい」が感じられる口ぶりでした。あれは、おそらく、マツコさんの本心なのでしょうね。 思いますにね、マツコさんだけでなくて、戦後の経済優先の時代を、仏法にご縁がなくて育った人たちは、みんな同じような「ためらい」を、こころに抱いておられるのではないでしょうかね。 貴島信行(きしま・のぶゆき)先生の、こんな詩があります。
「次は終点です。お忘れ物がないように、ご注意ください」 いかがですか。「終点」はご存じですか。「忘れ物」はありませんか。 念仏詩人の榎本栄一さんに、こんな詩があります。 くだり坂には また くだり坂の 風光がある 人生のくだり坂で、風光を味わえるのも、行き着く先に不安が無いからですよ。そんな不安のない終点に、ご縁があることを願って、もう少しだけ、お話いたします。 さて、さきほど、私たちが仏教から学んだことは、「煩悩」と「仏性」だった、と申しましたね。「煩悩」とは「私(凡夫)のこころ」、「仏性」とは「仏(阿弥陀如来)のこころ」のことです。 「煩悩」というのは、「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころの働きのことです。ですが、どんなに大切な自分でも、「老・病・死」からは守りきれない。その特別な自分を守りきれないところに、私たちの苦しみがあるのですね。 この「特別な自分」を守ろうとする思いは、死ぬまで無くなりません。ですが、「特別な自分」というのは、それは、「私のこころ」が握りしめている「思い」に過ぎないのです。 「思いに過ぎない」などと言っても、おそらく納得できないでしょうけれど、この握りしめている手が、縁あって、少しだけ「ほどけ」かかることがあるのです。 その「凡夫のこころ」の手が「ほどけ」たとき、私たちは、一瞬、そこに「仏(ほとけ)のこころ」を感じるのです。たとえば、こんなふうに。 「大いなる ものにいだかれ あることを けさふく風の すずしさに知る」。これは、禅宗の山田無文老師の歌です。 「人は仏心の中に生まれ、仏心の中に生き、仏心の中に息をひきとる」。これは朝比奈宗源老師が、常に、おっしゃっていた言葉です。 「私のこころ」は、「仏のこころ」に包まれている。つまりは、私たちの人生のできごとは、みんな、仏の手のひらの上での出来事なのだということです。仏教が伝えようとしているのは、このことなのです。 私たちは、まだ、そのことに気付いていないのですが、「気付き」というのは、手に入れるものではなくて、ふと、気付かせてもらうものなのです。仏様の方を向いて歩いていたら、気付きはむこうからやってくる。 そこで、浄土の教えでは、阿弥陀仏の世界「浄土」に向かって歩めと、教えてくださっているのです。 浄土は、見知らぬ場所ではなくて、どこか懐かしい場所です。「いのち」の記憶にある場所だからでしょうか。私たちは、いのちの記憶によって、浄土を求め、いのちの故郷へ帰っていくのです。 念仏詩人・榎本栄一さんに、「サケかえる」という詩があります。こんな詩です。 サケかえる
うまれた川の 私たちは、浄土に向かって生きる。浄土はどっちにあるのか。西の方か。そうではありません。浄土に向かうというのは、お念仏を申すということです。 ナム・アミダブツというのは、阿弥陀仏に南無(ナム)するということ。阿弥陀仏に向かって手を合わせる、頭を下げるということです。ですから、どっちを向いていようとも、ナムアミダブツと、お念仏を称えるとき、私たちは、阿弥陀仏の世界、浄土に顔を向けているのです。 「私」は、浄土に向かって、生きて行き、死んで逝き、帰って往く。ナムアミダブツは、「私」の歩む方向を、つねに示してくださる「羅針盤」です。そんな、人生の指針、ナムアミダブツを称えられることが、「私」の幸せです。 念仏詩人・木村無相さんに、「み名いただきつ」という詩があります。こんな詩です。 み名いただきつ
大いなる では、今日は、このあたりで終わりましょうか。 さきほどの徳永先生によると、欧米での「最後の言葉」は、「ありがとう」「許してください」「赦します」「愛してます」「さようなら」というのが多いのだそうです。それを聞いて、思ったのですが、私たちなら、きっと、「さようなら」より、「また会おうな」(倶会一処)と言うでしょうね。 死後のことはいいのです。大事なのは、私にとって、帰って往く世界があるということなのです。それは、理屈ではなくて、いのちへの感性なのです。 どうぞ、皆さん、ご一緒に、聞法し、お念仏を称えてまいりましょう。仏法は、人生の上に受け止め、生活へと開いていくことが大事です。 さて、次回は、11月10日の「報恩講」でございますが、そのおりには、前住の7回忌と前々坊守の33回忌も、あわせて勤めさせて頂こうと思っております。どうぞ、また、お参りください。 本日は、ながい時間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ…
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