ようこその、お参りでございます。なかなか、コロナの勢いが収まりませんので、お出かけにくかったことと思いますが、ようこそお参りくださいました。 換気のために、あちこち窓を開けたり、マスクをしたりして、なかなか、例年のようにはまいりませんけれど、どうぞ、しばらくのあいだ、よろしくお願いいたします。 本日は、ご案内のように、「本願(ほんがん)…いのちの願いを聞く」という題で、お話いたします。 「本願」という言葉は、ご存じでしょうか。「本願」というのは、「一切衆生を幸せにしたい」という、仏様(アミダ如来)の願いのことです。私たちは、仏様に、幸せを願われている。その仏様の願い、「本願」の教えを伝えてきたのが、本願寺です。 本願寺は、ご存じですよね。真宗本廟といいますが、お参りになったこと、おありですか。京都市内にありますので、コロナの外出制限も問題ありません。それに、正面の御影堂は、世界最大の木造建築ですが、観光寺院ではありませんから、拝観無料です。お金が無くとも大丈夫。ぜひ、どうぞ。 ちょっと、本願寺の話をいたしましょうか。大きな御堂で、御影堂の畳数は927枚もあるそうです。境内地も広いですし、空も大きく広がっていますから、お参りすると、なんとも爽やかな気持ちになります。しかし、お参りするたびに、思うんですが、紫雲寺は小さな寺でよかった。あんなに大きなお寺だと、お掃除が大変ですよ。 まあ、それはともかく、本願寺は、江戸時代に4回も火事で全焼しているんですが、そのたびに10年くらいで再建されています。 4回目は、幕末の元治(げんじ)元年(1864年)、会津と長州の「禁門の変」(蛤御門の変)で焼けました。このときは、明治維新のドタバタで、少々時間がかかりまして、再建されたのは明治28年(1895年)です。 建築資材は、ほとんど全国の門徒さん方が寄付なさった。全国から、ケヤキの大木が切り出されて、京都に運び込まれました。北陸の材木なんかは、船で、日本海から下関を回って、瀬戸内海。そして神戸・大阪から鉄道や船で運び込まれました。そのときの材木置き場が、むかし丸物百貨店のあったところです。そのあと、近鉄百貨店になって、今は、ヨドバシカメラになってますね。 集められた木材は、現代の建築用クレーンでも持ち上がらないという、巨大なものでして、麻のロープくらいでは、とても持ち上がらない。そこで、全国の門徒のご婦人方が、髪の毛を拠出なさって、それで何本も太いロープを作って、何とか引き上げた。 そのロープは、「毛綱」(けづな)といいまして、今も、少しですが、御影堂と阿弥陀堂のあいだの廊下に、展示されています。髪の毛は、「女のいのち」といわれた時代ですよ。まさに「いのちがけ」ですよ。すごいですね。 このあいだ、お参り先のお婆さんから聞いたことですが、そのお婆さんは、子供のころ、親戚のお爺さんから、本山再建のとき、山からケヤキの大木を切り出して、本山に運んだことがある、という話を聞いたそうです。そんなに昔のことではないのですね。 四度の火事にこりて、琵琶湖から直接水を引いて、防火用水としました。「本願寺水道」といいますが、今は、老朽化が進んで、使われておりませんがね。 再建当時の本山の写真を見ますと、御影堂から縁側、境内の御白州まで、人があふれて一杯なんです。 それが、今はどうかといえば、人影もまばらで、ガラーンとしています。お寺の建物を「伽藍(がらん)」と言いますが、シャレにもなりません。 わずかのあいだに、大きく変わってしまいました。私たちは、何か大事なものをなくそうとしているのです。おそらくは、「私の願い」ばかりが大事になって、「仏の願い」を受け止める力をなくそうとしているのですよ。 ですが、「私の願い」は、自分の都合。「仏の願い」(本願)は、いのちの願いです。「仏の願い」に、いのちの真実を聞いて、人として生きる道を知る。そのためにこそ、お寺もあるんです。「仏の願い」に、耳を傾けていきましょう。 さて、私たちの頂いている、浄土真宗というのは、一言でいえば、「本願を信じ、念仏を申さば、仏に成る」(『歎異抄』12条)という教えです。「本願」というのは、「仏の願い」です。 「仏の願い」は、「一切衆生に呼びかけて、わが名を称えるものを、もらさず、浄土に生まれさせよう」ということです。その御本願を信じて、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、お念仏を称えれば、仏に成る。「仏に成る」というのは、「いのちの真実に目覚める」ということです。 では、なぜ、私たちは、本願を信じるとか、念仏を申すとか、仏に成るとかいうようなことをしなければならないのか、ということになりますが、それは、私たちが人として生きようとすれば、おのずとそこに至り着くからなのです。聞法とお念仏の生活のなかで、おのずと解ってくると思います。 浄土真宗は、在家の生活者のための教えです。在家の生活者というのは、家族があり、仕事を持って、生活している人たち。私たちのことですね。浄土真宗は、私たちが、生活のなかで、「いのちの真実」に目覚める教えなんです。 私たちの生活には、いろんな問題が起こってきます。思わぬ病気になった、仕事ができない、お金がない、借金が返せない、家族とうまくいかない、同僚とうまくいかない、会社が倒産した、仕事がなくなった、と、次から次へと問題が起こってきます。コロナなんかが流行すると、なおさらです。 どんなに健康であっても、豊かであっても、自分の思い通りに都合良く、一生を送れる人というのは、滅多にないもので、いろんな問題が起こってくるものです。ですが、そういった生活上の様々な問題をどう解決するかというのは、仏法でないのです。 世の中には、「医者に見放された病気でも、うちの教団に来れば治りますよ」とか。「一生懸命に働いているのに生活が楽にならないというのは、何かが祟っているからですよ、お祓いをしてあげましょう」とかね。 そういった、私たちの「願い」を叶えてあげようという宗教的な団体が、沢山あります。新興宗教は、ほとんど、そうですし、神社も、そうですね。「無病息災、商売繁盛、家内安全」。初詣なんかの、お願い事の、全国トップスリーは、これだそうです。 ですが、仏法は、そういうことを問題にしているのではないのです。以前、お釈迦様の「四門出遊」のお話をしましたので、憶えておられるかと思いますが、仏法は、老・病・死の不安から人々を救う教えなんです。 私たちは、いつまでも生きているつもりで、今日も元気に働いておりますけれど、本当は、いつ死ぬか分からないものなのです。それを思えば、何のために生きているのか分からなくなる。そこに、生きていることそのものへの不安がある。その不安を除き、「いのちの真実」へと導くのが、仏法なんです。 ですが、その「いのちの真実」というのは、仏の目にしか見えていない、色も形もないものです。それを、どう伝えたものかと、仏様は、いろいろ思案なさったすえ、「名は体を表す」ということで、「アミダ」という名前に託そうということになった(のでしょうね)。それで、仏様は、「わが名を称えよ」とおっしゃった。 「アミダ」というのは、インドの言葉ですから、私たちには、ピンと来ないのですが、インドの人なら、「アミダ」と聞いて、ハッと気づいた人もあったと思います。 「アミダ」というのは、「量れない」(無量、無限、永遠)という意味です。ですから、「いのちの真実」は「アミダ」(無量)だと聞くと、インドの人には、ジワッと気付いてくることがある。「私たちは、有量だ」と。「有量」というのは、「量れる」(有限)という意味です。 「いのちの真実」は「アミダ」(無量、無限、永遠)。私たちは「有量」(有限)。この二つの関係を図にすると、こうです。ホワイトボードが「無量」だとして、この丸が「有量」の「私」です。 「有限な私」「永遠のいのち」。この図をご覧になって、何か、お気づきになりませんか。……「私」は「アミダ」の中にいる。「アミダ」に支えられ、「アミダ」に包まれている。そして、有限な「私」は、いずれ「アミダ」に帰って往く。……これが、私たちの「いのちの真実」なんですね。 藤原正遠先生に、この気付きを詠った詩(うた)があります。こんな詩です。「あや雲の ながるる如く わがいのち 永遠(とわ)のいのちの 中をながるる」(藤原正遠)。 この「いのちの真実」を、もうすこし分かりやすい「たとえ」にしたのが、いつも見て頂く、海に浮かぶ島の絵です。私たちは、この海に浮かぶ島のように、目に見える世界では、私とあなたは別の人間だけれども、目に見えない「いのち」の奥底では、みんなつながっていて「ひとつ」なんです。 私もあなたも、みんな、「ひとつ」のいのち(無量寿)から生まれて、また、その同じ「ひとつ」のいのちに帰って往くのです。ですから、私たち(一切衆生)は、みんな、「いのちの仲間」「仏の子」なんです。 その気付きを、さきほどの、藤原正遠先生も、こんな詩に詠んでおられます。「無量寿の いのち一つと 知らされて 今はやすけし われも宇宙も」(藤原正遠)。 「アミダ」というのは、「いのちの真実」の名告(なの)りです。私たちの称える「ナムアミダブツ」(念仏)は、その仏様の名告り(「いのちの真実」の教え)を確かに受け取ったという、感謝を込めたお返事です。 これは、宮城しずか先生のご本で読んだ話ですが、ある末期ガンの患者さんが、「患者は、どんなに末期癌であっても、キャッチボールをしてもらえたら生きていけます」とおっしゃったそうです。 この「キャッチボール」というのは、マリ投げのことではありません。そうではなくて、「いのちの仲間」を感じさせる、言葉のやりとりのことです。ちょっと長いのですが、読んでみます。 「『ああ苦しい』と私たちが思わずもらす、その『ああ苦しい』というボールを投げたら、まずそのボールをきちっと受け止めてほしい。そして今度は『どこが苦しいのか』と、またボールを投げ返してほしい。そうすると、『どこそこがこうなんだ』と、こっちがまたボールを投げ返す。 そういうボールの投げ合いを続けていく中で、自分はこの人に受け入れられている、この人から見放されていない、包み込まれているという思いを持つことができる。そのことが生きていく勇気になる。 お医者さんたちは、私たちを励ますつもりでも、『ああ苦しい』といったときに、『心配せんでもいい』とか、『そのくらいは我慢せよ』といわれる。そうすると、せっかく投げたボールを途中ではたきおとされたような寂しさを感じる。だから、まずボールを受け止めてほしい」と。 本当ですね。みんな「いのちの仲間」なのに、「私は、私」、「あなたは、あなた」と、切られてしまうと、寂しいし、悲しいです。 これも聞いた話ですが、いじめを受けて苦しんでいた小学生が、思い余って、担任の先生に相談したら、先生は、「そうか、がんばれよ」と言ったそうです。その子は、「もう、大人が信じられなくなった」と言っています。 他にもね、登校拒否の女の子に、親御さんが、折あるごとに、「学校くらい出ていないと、将来どうするんだ」と責めたそうです。それで、親御さんのことが信頼できなくなったといいます。卒業証書は、幸福保証書ではないのにね。将来のことでなくて、今の、私の思いを受け止めてほしい、ということなんです。 で、あたたかい詩を、ひとつ。俵万智さんの詩です。 「『寒いね』と話かければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」 (俵万智) 私は、この詩を読んで、『大無量寿経』に出てくる、「和顔愛語(わげん・あいご)」という言葉の意味が、分かった気がしました。人は、言葉に傷つき、言葉に救われる。言葉は大事ですね。 ちなみに、ヘレン・ケラーという方をご存じでしょう。ヘレンは、小さいときに、病気で、視覚と聴覚を失って、言葉というものを知らずに育ちましたが、家庭教師のサリバン先生に、「ウォーター(水)」という言葉を習って、魂が解き放たれた。ヘレンは、後年、「私の祖国は世界です」と言ったそうです。「ウォーター!」というたった一つの言葉が、大きな世界への入口でした。 お念仏も、そうですよ。「ナムアミダブツ」という、たった一つの言葉が、大きな世界、アミダ如来の世界(いのちの真実)への入口なんです。 さて、次は、私たちの煩悩の話です。 現代のような科学万能の社会では、目に見える世界が全てだと考えられています。目に見える世界が全てだと、この水面から下の「いのちの真実」に背を向けることになります。 そうなると、「私は、私」「あなたは、あなた」というように、了簡が狭くなって、こころが濁ります。「他の誰よりも我が身がかわいい」というこころが働いて、なんでもかんでも、損だ得だ、上だ下だ、善だ悪だ、という比較中毒の世界になってしまう。今が、そうなんですがね。 その「こころが濁る」ということですが、こんな言葉がありました。作者不明の言葉遊びですが、ちょっと面白いのでご紹介いたします。
口が濁ると愚痴(ぐち)となり まんざら、ただの言葉遊びでもなさそうですが。いかがですか。 以前、「エコも濁ればエゴとなる」というのもご紹介しましたが、こっちも冗談ではありません。たとえば、環境保護のために、温暖化ガスの排出規制が考えられましたが、同時に CO2 排出量取引も行われています。こんなのは、お金でつじつまあわせをしているだけのようにも思えるのですが、どうでしょう。 また、こころの了簡が狭くなると、「仲間」の範囲を小さく絞ってしまいます。ほとんどの問題の原因は、ここにあります。 たとえば、「一切衆生」でなくて、大事なのは、日本人だけとか、同じ県の出身者だけとか、同じ学校の卒業生だけとか、同じクラブの人だけとか、阪神のファンだけとか、親戚だけとか、家族だけとか言って、「仲間」の範囲を狭くしていることはありませんか。 「仲間」の範囲を狭くすればするほど、仲間以外の人が増えてきます。これは困ったことでしょう。最後には、「私」だけが残って、孤独地獄になってしまいますよ。 ピンホールカメラは、ご存じですか。針穴を通して、写真を撮ると、被写体と、印画紙上の像が、上下逆さまになります。煩悩の「狭い料簡」というのも、このピンホールと似ているような気がします。 煩悩のピンホールレンズ(狭い料簡)を通すと、「いのちの真実」(本願)が裏返るみたいです。 たとえば、みんなの幸せを願った「共産主義」が、独裁政治になる。みんな「いのちの仲間」というのが、ゲルマン人だけというピンホールを通ると、ホロコーストになる。一切衆生への願いが、人間だけのヒューマニズムになる。宗教すらも、ピンホールを通すと、欲望の道具となる。 あたりまえのことですが、「いのちの真実」に背を向けていると、「いのちの真実」には、出遇えないということですね。ですが、そんな人の背中にも、「いのちの真実」の光(無量光)は届いているのだと思います。こんな話があるんです。 古代ギリシャに、ディオゲネスという哲学者がいましてね、無一物で、大きな甕(かめ)に住んでいたそうです。その話を聞いて、ある時、アレキサンダー大王が、どんな奴かと、見に来たんです。それで、少し話をしてみると、なかなかの人物だと分かった。 そこで、「何か望みがあったらかなえてやろう」と言ったら、ディオゲネスは、「そうですか、では陽の光をさえぎらないで頂きたい」と応えた。 おそらく、アレキサンダー大王は、苦笑いして帰って行ったことと思いますが、後に、彼は、こう言ったそうです。「私がアレキサンダーでなければ、ディオゲネスになりたい」と。 いい話でしょう。アレキサンダーは、大王と乞食という上下の関係で、ディオゲネスと接していたのです。ところが、ディオゲネスのこころには、上も下もなくて、いのちのあるがままに輝いていた。それで、アレキサンダーには、何か感じるものがあったのです。 アレキサンダーが、大王として、「これでいいんだ」という、おごりだけの人だったら、ディオゲネスへの対応もちがったでしょうね。 おそらく、アレキサンダーは、大王としての自分に、なにか満たされない悲しみのようなものを抱いていたのでしょう。世界征服をめざした、アレキサンダーの背中にも、「いのちの真実」の光は届いていたのだと思います。 では、もう少しで、終わりますね。 「本願」というのは、仏様の願いのことです。仏様は、私たちの「人生の不安」がなくなることを願っておられるのです。ところが、私たちは、「生活の不満」がなくなることを願っている。それで、なかなか、仏の願いが聞こえてこないのでしょうね。 ですが、この世は、もともと、思い通りにはならないところなんです。たとえば、コロナが流行れば、あの人に会いたい、この人に会いたいと思っても、会えないでしょう。なかには、家族の死に目に会えなかった人もあるのです。 そんな、思い通りにならない世の中を、心安らかに生きる道。それが、お念仏の道なんです。お念仏(ナムアミダブツ)を称えれば、「アミダ」(永遠のいのち)に浮かんでいる「限りある私」が思い出されるでしょう。 思い通りにならないことは、一杯あるけれど、私たちは、常に、仏(アミダ仏)の手の平の上にいる。「ままならぬ ままならぬまま み手の中」(「百八法句」より)なのです。 私たちは、みんな、仏の手の平の上にいる「いのちの仲間」「仏の子」なんです。そのことを忘れるから、了簡が狭くなる。「自分の都合」しか見えない視野狭窄に陥るのです。 もとより、「一切衆生」という途方もない大きなスケールは、仏様だけのものですから、私たちは、いつのまにか、ちっぽけな自分の思いにとらわれてしまうのです。 ですが、そんな私たちだからこそ、常に「いのちの真実」に帰ること、煩悩の「私」を野放しにするのではなく、本願に帰ることが大事なんです。 たいした問題もなく「生活」しているあいだは、なかなか気づけませんけれど、年を取ってきたり、病気になったりすると、だんだんね。「これでよかったんだろうか」「これでいいんだろうか」と、不安になってくるんですよ。 それはね、私たちが「人間」だからです。犬やネコは、そんなことは考えません。ところが、人間はね、最後には、人として生きていることの意味を問う。そのように出来ているんですよ。 そのとき、はじめて、「それでいいのか」と問いかけて下さっている仏様の願いと、私の願いが重なるのです。仏の願いというのは、私の本当の願いだったと気付くのです。 さきほどの、キャッチボールの話のように、私たちは、最後には、「いのちの真実」に支えられ、生かされていることに気付くのです。みんな、仏様のいのちを生きている「いのちの仲間」だった、と。 本願は、アミダ仏の願い。アミダ仏は、私が、本当は、どういう「いのち」を生きているのか、私の本当の願いは何かということに、気付くことを願っておられるのです。そのために、「アミダ」と名告ってくださった。 以前、飯山等先生のコラムで、こんな話を読みました。ある女性の話なんですが、その方のお母さんは、認知症が進んで、身体が衰弱し、娘のことも、自分自身のことも、分からなくなった。娘さんは、そんなお母さんの介護の日々に、疲れと絶望しか感じられなくなった。 もう人間でなくなってしまったとしか思えない母親と向き合う毎日に耐えきれなくなった娘さんは、ある夜、自分と母親の手に多量の睡眠薬を乗せて、「お母さん、一緒に死のう」と言いました。 そのときです。もはや、〈人である母〉は死んだと思っていた、その母が、「仏さんからいただいたいのち、もったいないことしたらあかん」と言ったのです。娘さんは、衝撃に打たれました。 お母さんは、程なく亡くなったのですが、娘さんは、思いました。「もし母のように、自分自身のことさえ忘れ去ってしまったとき、自分には、どんな言葉が、どんな思いが残っているのか。…私には、何も無い」と。 そのお母さんの一言に導かれて、聞法の日々が始まった、ということです。 いかがですか。「仏さんからいただいたいのち、もったいないことしたらあかん」。これこそ、「ナムアミダブツ」に込められた「仏の願い」だとは、思われませんか。 どうぞ、皆さん、ご一緒に、お念仏を称えてまいりましょう。それこそが、人と生まれた「私」の、本当の願いに生きていく道なんですよ。 では、本日は、これで終わらせて頂きます。次回は、11月14日の報恩講です。50日ほど先ですが、どうぞまた、ご都合よろしければ、お参りください。本日は、ありがとうございました。ナマンダブ、ナマンダブ、……
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