ようこそのお参りでございます。秋も深まりまして、だんだん寒くなってまいりましたが、お変わりありませんでしょうか。 本日は、ご案内のように、「自覚の道 … 念仏者の生き方」という題でお話いたします。 すでにご承知かと思いますが、来たる2023年には、「宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年」の慶讃法要が勤まります。その慶讃法要のテーマとして、こういう言葉が掲げられております。 「南無阿弥陀仏 人と生まれたことの意味をたずねていこう」 この言葉は、お念仏の教えにご縁を頂いた、私たちへの呼びかけです。今回は、この呼びかけをご縁に、改めて、お念仏の教えを頂いた私たちの生き方を、たずねていこうと思います。 さて、今回の慶讃法要のテーマですが、いかがですか。「人と生まれたことの意味」。「人生の意味」です。「何のために生まれてきたのか」。「どう生きればよいのか」。皆さんも、お考えになったことが、おありではないでしょうか。 こういう問いを持つのは、人間だけです。犬や猫は、「何のために生まれてきたのか」「どう生きればよいのか」なんて考えませんよ。 私たちは、一生の間に、「人生の意味」を問うことが何度もあります。何度も同じ問いが浮かんでくるということは、私たち人間の、心の底にずっとある問いだということでしょう。それは、おそらく、私の問いというより、「いのち」からの問いかけなんですよ。 人生のスタート地点に立って、子どもも、ふと考えるのです。 かなり前のことですが、TBSラジオで「全国こども電話相談室」という番組がありました。いろんな質問が全国の子供たちからよせられて、それに回答者の先生方が答えるという番組でした。 子どもたちの質問には、人生の意味を問うものがいくつもありました。例えば、「人間はなんのために生まれてきたのですか?」。これは小学校6年生の女の子からの質問です。もうひとつ、「人間の幸せって、なんですか?」。これは小学校3年生の男の子の質問です。 そんな問いに対して、大人の代表者たちは、「人生の意味をどう考えるかは人それぞれだけれど、ともかく、生きがいと目標を持って、頑張りなさい」と回答なさっている。皆さんは、どう思われますか。 回答者の方々は、真摯に応えておられるのですが、大事なことが計算に入っていない。たしかに、生きがいや目標は「人それぞれ」なんでしょうが、私たちには、「人それぞれ」ではないことがある。それは、「どっちを向いて走っても、死の崖っぷちに向かって走っていることに変わりはない」ということです。 どんな目標や生きがいを持って生きていても、人はみんな死ぬ。「人それぞれ」ではなく、「人はみんな(例外なく)」なんです。 「人と生まれたことの意味」というのは、「人それぞれ」というところからではなくて、「人はみんな(例外なく)」というところから考えるものではないでしょうか。 さきほどの番組でも、ある子どもから、こういう質問が出されたそうです。「どうせ死ぬのに、どうして生きているの?」と。そのときの回答者は、永六輔さんでしたが、永さんは、その質問に絶句して、答えられなかった。 それで、後に、永さんは、『大往生』という本で、この子の質問に答えようとなさっています。そこには、「死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す」 とあり、「これは僕の生き方講座です」と書かれています。 「死への確かなまなざしが、生の尊さを照らし出す」。死を見つめるところから、生は輝いてくる。やっぱり、こういう視点に立たないと、この子の質問に答えられないと思いますね。 それは、私たち現代人が無くしている視点です。私たちは、生まれてから死ぬまでという「わくぐみ」のなかでしか、人生を考えられなくなっている。生きているあいだだけが「人生」だと思っているのです。 そんな私たちは、閉ざされた「わくぐみ」のなかで、ただ、生まれ落ちた社会の価値観を頼りに、生きがいを求め、心の満足を求めて生きているだけです。 「何のために生きているの?」。「幸せになるため…」。「幸せって何?」。「健康、お金、生きがい」。「もっと豊かになれば、もっと幸せになれる…」。「もっと、もっと、もっと…」。 「物がいっぱい ありながら なにか不安で もの足りない もの足りない なぜ?」。これは〈相田みつを〉さんの詩です。 健康で、お金があって、生きがいを持っていても、それでも、何かが足りないような不安が残る。なぜ? それはね、「いのち」からの問いかけに応えられていないからだと思います。 私たちは、本当は、迷っているのです。「迷う」というのは、右か左かに迷うということではなくて、どっちを向いて生きているのかも知らずに、確かなところに立っているつもりになっていることです。 「老いが、病が、死が、私の生を問いかけている」。これは、二階堂行邦師の言葉です。老・病・死が「生」を問う。死を前にして、「これでよかったのか?」と人生を問う。この問いには、「死への確かなまなざし」が育っていないと、応えられません。 私たちは、死を思うと不安になる。それで、死から眼をそむけて生きているのですが、私たちも、この視点に立たないと、生の輝きに気づけません。 そこで、「南無阿弥陀仏」なんです。そういう視点は、仏法から学ぶものなのです。それで、「仏法に問うていこう、南無阿弥陀仏に問うていこう」と、慶讃法要のテーマは呼びかけているのです。 さて、「盥(たらい)から 盥へうつる ちんぷんかん」という句があります。江戸時代の俳人・小林一茶の辞世の句といわれているものでして、「生まれたときの産湯(うぶゆ)から、死んだときの湯灌(ゆかん)までの人生、わけがわからん」という意味です。 一茶は、篤信の真宗門徒でしたから、これは一茶の句ではないという説もあるのですが、この娑婆世界、迷いの世界のありさまを詠んだ句としては、秀逸だと思いますね。 生まれてきたのは偶然で、死ねば終わりだというのなら、もともと、そんな人生には、意味などありません。そんな世界で人生の意味を考えても、わけがわからん。せいぜい、「人それぞれ」となるだけです。 そんな閉ざされた「わくぐみ」のなかで、私たちは、ただ、生まれ落ちた社会の価値観を頼りに、生きがいを求め、心の満足を求めて生きているだけではないですか。 そこにいろんな問題が起こってきて、人生を考え、不安になるのが、私たちなのですが、その閉ざされた「わくぐみ」のために、「死ねば終わり」としか思えないのです。 生まれてきたのは偶然で、死ねば終わりだ。そんな人生は、孤独ですよね。『無量寿経』にも、「人、世間愛欲の中にありては、独り生じ、独り死し、独り去り、独り来たる」(人在世間、愛欲之中、独生、独死、独去、独来、『無量寿経』下巻、『真宗聖典』pp.59f)とあります。 この苦しみや悩みに満ちた孤独な世界を、「娑婆」といいます。生まれてから死ぬまでという閉ざされた「わくぐみ」のなかに生まれてくる世界、それが「娑婆」です。私たちのいう「目に見える世界」のことですね。 ところが、仏の目から見れば、「私のいのち」「あなたのいのち」というような、個別のいのちはないのです。そうではなくて、「私」も「あなた」も、鳥も犬も猫も、一切の衆生は、「無量寿(永遠のいのち、阿弥陀如来)」の「ひとつの現れ」なんです。 たとえて言えば、「無量寿」は海。一切衆生は、その海から立ち上がっている「波」のようなものです。どんな波も、海の水なのです。 ちなみに、「衆生」というのは、インドの言葉では「サットバ(sattva)」といいます。「生きているもの。存在するもの」という意味です。ですから、「衆生」には、生き物だけでなく、「山も川も草も木も」含まれている。つまりは、「一切衆生」というのは、宇宙の全てのことです。 この「無量寿(永遠のいのち)」の世界が、「浄土」です。「浄土」は、なにも比べなくてよい世界、比べるということがない世界です。如来の光のなかで、柳は緑、花は紅。優劣も美醜もなく、それぞれがあるがままにある。 私たちは、「人それぞれ」と言いながら、人と比べ、競わずにはおれません。人は、比べるから不幸になる。本来の「いのち」に優劣はありません。私たちは、本来、みんな平等で、いのちの仲間、仏の子なんです。 私たちはみな、阿弥陀仏の世界、浄土から生まれてきて、また、その浄土へと帰っていくのです。浄土は、私たちみんなの「いのちの故郷」です。そして、私たちは、今も、その阿弥陀に支えられ、阿弥陀の命を生きている。 「浄土」は、「私」と「あなた」が分かれる以前の世界です。そこは、「あなた」の悲しみは「私」の悲しみ、「あなた」の喜びは「私」の喜び、という共感の世界です。 盤珪禅師をご存知でしょうか。庶民に「不生の禅」という教えを説かれた、江戸時代の高名な禅僧ですが、以前、どこでだか忘れましたが、こんな話を読みました。 盤珪禅師が、ある宿に泊まられたとき、宿の主人(あるじ)は、禅師のために、あんまさんを呼んだ。仕事を終えて帰るあんまさんに、主人は、「どうだった」と尋ねた。そうしたら、あんまさんは、こう応えたそうです。「あの方は、人の悲しみを悲しみ、人の喜びを喜ぶ体をなさっておられました」と。 二人ともすごい人たちですね。これが、阿弥陀のいのちを生きているということなんでしょうね。浄土の教えは、そんな、「いのち」の本当の、本来の、真実のあり方を教えているのですよ。 『浄土和讃』に、「十方微塵世界の、念仏の衆生をみそなはし、摂取してすてざれば、阿弥陀となづけたてまつる」(数限りない全ての世界の、念仏するものをご覧になって、摂め取って決してお捨にならないので、阿弥陀と申し上げるのです)(真宗聖典 p.486) とあります。 その「摂取」という言葉の左訓に、「セフ(摂) ハモノノニ(逃)グルヲオ(追)ワエトルナリ … シュ(取)ハムカ(迎)エトル」(逃げるものは追いかけてでもつかまえ、来るものは迎えに出て受け入れる)とあります。みんな必ず救うということです。「南無阿弥陀仏」は、一切衆生のもれなく平等に救われる姿です。 阿弥陀の大きないのちは、広大な海にたとえられ、弥陀の本願海と呼ばれています。以前、俵万智さんの、「今日までに 私がついた 嘘なんて どうでもいいよと いうような海」という詩を読んだとき、この本願海を思いました。 私の人生も、振り返ると、あれもこれも後悔ばかりです。不義理なことも、世間知らずでお恥ずかしいこともありました。私には、どうでもいいとは思えないことばかりなんですが、広大な弥陀の本願海を思うと、その大きないのちが、「そんなこと、どうでもいいよ」と言ってくれているような気がするのです。 私は、阿弥陀の手のひらのうえで、「生かされて、生きている」。目に見えない世界に、こうして抱かれているイメージは、生きていくうえでも、この世の縁が尽きていくときにも、大きな力になると思いますね。 ですが、今お話ししているようなことは、知識として持っているだけでは、人生を支える力にはなりませんね。 伊藤元先生のご本でしたか、こういうことが書かれていました。仏法を聞いて、分からん、分からんとしきりに言っていたら、先輩から、「仏法を聞いてもわからないという人は、聞いていないのだ」と言われたそうです。仏法を聞いて分からんということは、聞いていない。わかろうとしているだけだ。自分の理解という枠に入れようとしているだけのことだ、と。 また、これは、確か、延塚知道先生の講義録でしたか、高史明(コ・サ・ミョン)さんの話です。高史明さんは、一人息子さんが自殺なさったことがご縁で、仏法に深く聞いて行かれるようになった方です。その高さんが、あるところでお話をなさったときに、あとで質問があった。 「私は、聞いても聞いても分からないんですが、子供を失くすような悲しいことでもないと、分からないのでしょうか」と。そうしたら、高さんは、こうお答えになったそうです。「子供を失くしても、分からんでしょう。仏法に出遇わんとね」と。 聞いても分からないというのは、仏法に出遇っていないということなんでしょうね。「出遇う」というのは、教えを聞いて、「これは、自分のことだ」と、仏法に言い当てられてられた自分に出遇うことなんです。 「浄土の教え」は、「罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫が、そのまま、お念仏ひとつで、救われる教えなんだ」と聞くと、「そのままとは、ありがたい」と、気まま、我がまま、悪いことも仕放題の人もでてくる。そうではないのですが、「罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫」というのは、「私のことだ」と聞こえた人にしか、この教えの真実は分からない。 親鸞聖人も、この点を心配なさって、お同行へのお手紙で、なんども戒めておられます。「薬あればとて毒をこのむべからず」(『歎異抄』第十三条、『真宗聖典』p.634)と。 私たちは、「煩悩まみれの罪深い人間だ」と言われても、自分のことだとは思わないでしょう。いかがですか。本当は、私たちは、自分の都合しか考えていない。そう言い切ると、身も蓋もないかもしれませんがね。 たとえば、秋には、よく、台風がやってきますでしょう。テレビの台風情報を見ていて、これは危ないかもしれないと思っていると、中国の方へ抜けた。「ああ、よかった」なんて思いませんか。そんな私たちなんだと、仏様は教えてくださっているのです。ね、罪深いでしょう。 「罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫」というのは、「私のことだ」と聞こえた人は、煩悩の身であることが、悲しくて、恥ずかしくて、煩悩を厭(いと)うようになる。そうなると、だんだん、貪りのこころ(貪愛)も、怒りのこころ(瞋恚)も、治まっていくのです。 貪りのこころが治まっていくと、「小欲知足(しょうよくちそく)」となり、怒りのこころが治まっていくと「和顔愛語(わげんあいご)」となる。念仏者は、おのずと、欲が少なく、満ち足りて、顔がやわらかく、言葉がやさしくなっていく。仏法に言い当てられると、人は、おのずと変わってくるのですね。 「自分というものに、光をあてて、お知らせいただく、そのほかに、宗教というものが、あろうか」。これは、念仏者・浅田正作さんの言葉です。 さて、もう少しだけお話して、終わりますね。 『浄土和讃』に、「念仏、成仏、これ真宗」(『真宗聖典』p.485)とあります。「念仏」申して「成仏」へと至る。これが真の仏教、「真宗」だという意味です。 「ナム・アミダブツ」という「念仏」は、「阿弥陀仏」に礼拝する、阿弥陀仏の世界(浄土)に顔を向けるという意味です。念仏申すとき、顔は、おのずと、浄土の方に向けられている。念仏は、浄土を指し示す羅針盤です。 蓮如上人が大切になさった『安心決定抄』という書物には、「もとの阿弥陀のいのちに帰せよ」とあります。親鸞聖人は、「法性(ほっしょう)のみやこ(浄土)にかえる」(『唯信抄文意』、『真宗聖典』p.549)とおっしゃっています。 「阿弥陀のいのち」というのも、「法性のみやこ」というのも、浄土のことです。つまり、浄土は、私たちの、帰っていく場所だということです。 人生は、浄土から生まれて、また、その浄土へと帰っていく「旅」なんです。浄土は帰っていく場所、「いのちの故郷」です。旅に出ても、帰っていく場所があると、安心ですね。 念仏詩人の榎本栄一さんに、その人生の旅を詠んだ、こんな詩があります。「私はどこからきて どこへ 仏さまのふところから この忍土へ しばらく修行をして また仏さまのふところへ もう私というこころはなくなり」。 念仏は、浄土を指し示す羅針盤。念仏は、私たちの、生きて往く方向、死んで逝く方向、帰って行く方向を指し示しているのです。 お念仏が聞かれなくなったのは、現代人は、閉じた「わくぐみ」のなかで、生きることだけ考えているからでしょう。私たち真宗門徒は、「死ぬからこそ、本当に生きる道を問う」(金子大榮)のです。 かつて、真宗門徒は、「人は死ぬのではない、(お浄土に)参らせてもらうのだ」と言いました。「死んだら終わり」という人生と、「参らせてもらう」という方向性を持った歩みの人生があるのですね。 私たちは、旅の途中の「今」も、無量寿に支えられて、無量寿の命を生きているのです。仏のいのちに、「生かされて生きている」のです。 「罪悪深重・煩悩熾盛の凡夫」とは、「この自分のことだ」と本当に気づいたら、 煩悩で真っ黒になった「私」が、煩悩の無い真っ白な仏の手のひらの上にいることにも気づくでしょう。 「私」は仏の手のひらにいる。そのことに気づいたら、何が起こっても、阿弥陀様のお働きと頷いて、自分の思い通りにならないこと(老病死等)も、受け止めていけるのではないでしょうかね。そんな力をもらうことが、救いではないかと思います。 数年前のことですが、本願寺派の宗学の頂点におられた、梯實圓(かけはし・じつえん)先生がお亡くなりになりました。 その半月ほど前のこと、誤嚥性肺炎で高熱が出て、寒さに震えておられたとき、奥様が、ガタガタ震えるその手をギュッと握って、「お父ちゃん、うれしいね。もうすぐ親鸞聖人に会えるね」とおっしゃると、震えがピタッととまって、本当に穏やかな顔になられたそうです。 のちに奥様は、その時のことを思い起こして、「お父ちゃんが一番心配していたのは私のこと。その私が、しっかりと見送る姿勢を見せたので、お父ちゃんはきっと安心したんだと思う」とおっしゃったそうです。 後先(あとさき)はわかりませんが、最後の病床で、奥様が、「57年ありがとう。楽しかったね」と呼びかけられると、一言、「今も」とお返事なさったそうです。 感動して、涙がこぼれました。「今」を喜び、帰っていく世界に不安のないまなざし。そんな「いのちへの確かなまなざし」を、教えていただきました。 今、「人と生まれたことの意味」を問われたら、それは、「人と生まれたことの意味」は、 「お念仏とともにある日日(にちにち)の味わいにある」と、私は、答えると思います。 では、このあたりで、終わりましょうかね。 今日は報恩講ですが、「講」というのは、仲間の集まりのことです。お釈迦様は、「善き友を持つことが、悟りへの道の全てだ」(雑阿含経)とおっしゃいました。聞法の仲間、「法友」を持てたら有難いと思います。 昔は、お寺で聞法する機会が結構ありましたが、今は、年に数回です。お茶を飲みながらでも、お酒を飲みながらでも、仏法の話ができる場所になれたらと願っております。 この寺は、お金はなくとも、暇はある。どうぞお気楽に、お運びください。ご一緒に、お茶でも飲みましょう。お待ちいたしております。 最後に一句。「美しや 障子の穴の 天の川」。小林一茶の臨終の句です。阿弥陀如来に抱かれて、浄土に帰る人の姿でしょうか。 では、本日は、これで終わらせて頂きます。次回は、来年の春の彼岸会です。4ヶ月ほどさきですが、また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますよう、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ……
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