こんにちは。ようこそのお参りでございます。台風が過ぎて、急に秋が深まった感がいたしますが、皆様には、お変わりなくお過ごしでしょうか。 実は、私は、しばらく体調が悪くて寝たり起きたりの生活をしておりました。突然、手足がパンパンに浮腫(むく)んで痛みましてね。お参りに伺えなくなって、ご迷惑をおかけしたり、ご心配をいただいたりしておりましたのですが、おかげさまで、少しづつ、良くなってきております。 ただ、思いのほか回復に時間がかかっているものですから、お世話になっている先生に、そう申しましたらね、「それでいいのです。少しづつ、少しづつ、良くなる。それが、年寄りの病気の治り方です」とおっしゃいました。 私は、その言葉を聞いて、ハッとしましてね。そう、「年寄り」なんですね、私。「古来希なり」(古希)という年齢を超えても、さほど「年寄りだ」とは思っていなかった。そんな脳天気な私に、先生は、「あなたは年寄りなんですよ」と、お諭しくださった。そのお言葉に、ほのかな温(ぬく)もりを感じて、ありがたかったです。 私は、人生の峠を越えて、山を下っている。そのことは十分に承知しておりましたが、病気になって気づかせていただいたことは、自分で思っていた以上に、麓(ふもと)近くまで下りて来ているということです。 陸上競技でいえば、最終コーナーを曲がって、直線コースに入っている。そんなことを思っているうちに、いささか精神の緊張感を取り戻しましてね。寝たり起きたりの日暮らしのなかで、チラチラと気になっていたテーマのことを思い出しました。 その、気になっていたテーマというのが、本日、ご案内いたしております「信心」です。思いつくままの、いささかまとまりのない話ですが、どうぞ、しばらくの間、お付き合いください。 さて、その「信心」ですがね。「信心」というのは、「阿弥陀仏の本願を深く信じて疑わない心」をいいます。「信心」を「安心(あんじん)」ともいいます。「信心を得る」と、生きること死ぬことに、不安がなくなるからです。 「信心を得る」ということを、かつては、「ご信心をいただく」といいましたが、これが浄土真宗の教えの核なのです。 「ご信心をいただいたか」。せっかく浄土真宗の教えに出遇いながら、ご信心をいただけないようでは、この世に生まれてきた甲斐がない。「ご信心をいただいたか、ご信心をいただいたか」。門徒さんが集まると、話は、このことばかりでした。かなり昔のことですがね。 今や「信心」という言葉は、なんとも人気が無いようでして、門徒さんの間でも、ほとんど聞こえてきませんね。聞こえてくるのは、「墓じまい」や「仏壇じまい」の話ばかりです。 さきほども申しましたように、「信心を得る」ということが、浄土真宗の教えの核です。その浄土真宗から信心をはずしたら、アンコの入っていないアンパンみたいなもので、いくら聞いても、ほんとうの味わいがいただけない。それでは、あまりにも、もったいないと思うのです。 「信心」というのは、「本願を信じること」ですから、まずは、その「本願」の話からいたします。『大無量寿経』というお経に、「本願」の「いわれ」が記されています。よくよくご存知かもしれませんが、それは、おおよそ、こんな話です。 「昔々、法蔵菩薩という修行者が、自分の力では決して迷いの世界から出ることができない衆生を憐んで、どうすれば救うことができるかと、五劫(こう)という永い間、お考えになった末、四十八の願いをたてられました。 その後、永遠とも言えるほど永い間、修行なさった末、今から十劫の昔に、全ての願いを成就されて、仏に成られ、名号となって、現に十方の衆生を救っておられます」と。 ちなみに、この「四十八願」を苗字として名乗っておられる方々が、栃木県を中心に200人近くおられるそうです。「しじゅうはちがん」ではなくて、「よいなら」と読むそうですが、浄土の教えが、関東の地に、古くから根付いていたという、ひとつの証(あかし)です。 で、その四十八の願は、全て、衆生を迷いの世界から救いたいという願いから立てられたものですが、そのなかでいちばん大事なのは、「第十八願」です。第十八願には、「念仏を称える衆生を、全て浄土へ往生させて、さとりを獲させよう」と誓われています。 仏教の目的は、お釈迦様と同じ「さとり」を獲ることですから、この第十八願のことを、いちばん大事な願として、王本願ともいいます。単に「弥陀の本願」といえば、この第十八願のことをいいます。 法蔵菩薩は、全ての誓願を成就され、さとりを開いて、阿弥陀という名の仏に成られたのです。ですから、阿弥陀仏の本願を信じ、「念仏を称える者は、全て浄土へ往生して、さとりを獲ることができる」のです。 ここで、「はい」と深く頷いて、念仏を称える身となったなら、何も問題はないのですが、なかなか、そうはいかないのですね。皆さん、これまで聞法してこられて、いかがですか。 私は、長い間、信じられなくて難儀しましたが、実際、「ご本願を聞かせていただいて、信心を得る」ということは、それほど簡単なことではないですね。そのことは、親鸞聖人も、よくよくご存知でした。 『正信偈』にも、こう詠われています。「弥陀仏の本願念仏は、邪見驕慢(じゃけん・きょうまん)の悪衆生、信楽受持(しんぎょう・じゅじ)すること甚だもって難し。難の中の難、これに過ぎたるはなし」(『聖典』p.205)と。 (訳: 阿弥陀如来の本願他力の念仏は、〈邪見驕慢の悪衆生〉にとっては、深く信じて受け取ることが、非常に難しいことなのです。これ以上難しいことはないほど難しいことなのです。) 「邪見(じゃけん)」というのは、「仏法に背く誤った考え」のことです。簡単に言えば、「私が、私が」という「自己中心的な考え」のことです。自己中心的な思いを握りしめている者には、阿弥陀仏の本願を深く信じて受け取ることが、非常に難しいということです。 実は、かつての私が、そうでした。法蔵菩薩の物語を初めて読みましたときに、私は、「こんな神話のような物語を、どうしたら信じられるのか」と、唖然としたのですが、それは、その物語には、どう考えても、「私」が信じられるだけの根拠が無い、と思ったからです。 「私」が信じられるか、「私」が理解できるか。そんな「自己中心的」な、上から目線でいると、「私」を超えるスケールのものまで、上から目線で判断しようとしてしまいます。それが、次の「驕慢(きょうまん)」です。 「驕慢(きょうまん)」というのは、高上がりしてしまって、謙虚なこころや、敬虔(けいけん)なこころが無いことです。 謙虚なこころとか、敬虔なこころというものは、とくに、大自然のなかで、 自分とは桁違いに大きなスケールのものに触れることで、養われる感性のように思いますね。 都会に暮らしていると、そういう体験をすることが、なかなかありませんが、私は、30数年前に、長野県の山中で、忘れがたい体験をしたことがあります。 そのときのことを、「夜空に想う」という題で、『菩提樹』に書いたことがあります。若い頃の文章で、少々躊躇(たあめら)いましたが、この機会に、それを、ちょっと、読ませていただこうと思います。
七夕の笹飾りにどんな願い事を書いたのか憶えていない。もう何十年も前のことである。日が暮れると、東の空には、南北に流れる天の川をはさんで織姫と彦星が輝いていた。もっとも、7月のかかりはまだ梅雨の名残で星の見えない夜が多く、七夕を旧暦でむかえる通人もいた。 旧暦なら今年は8月9日が七夕。宵になれば、東の空高くに織姫と彦星が見え、西の山の端には上弦の月がかかっているはずだ。だが、そこにはもう天の川はない。都会では天の川まで暗渠になってしまい、そこに川が流れていることさえ知る人がなくなっていく。 10年ほど前の夏、長野の山中で夜を過ごしたことがある。空には無数の星がまたたき、天の川が静かに横たわっていた。空の一角に目を向けると、それを待っていたように、閃光を発して星がひとつ流れた。夜空に荘厳な緊張が広がり、神々しい感動が背筋を駆け昇った。永遠にも等しい一瞬だった。燃え尽きることで永遠をかいま見せてくれた星に、瞳が潤んだ。その気づきを確かめるように、満天の星がじっと私を見つめていた。 ルンビニーでゴータマを産んだマーヤーも、熱にうかされた目で、おそらくは張られた天幕の隙間から、夜空を見上げて泣いたことだろう。尽きていく命に永遠をかいま見て、その目には涙があふれたことだろう。また、菩提樹下の瞑想から出て大地にひとりで立ったとき、ゴータマの目も潤んでいたに違いない。永遠とひとつになった感動で満たされ、その目には涙が光っていたに違いない。そして、満天の星が、その涙を目撃したに違いない。 宇宙は意味に満ちている。だが、人は年々その意味から隔てられていく。文明の老廃物が夜空を覆い、天の川は埋め立てられ、星は塗りつぶされていく。人はもう、夜空を見上げようともしない。そこにはもう、無意味な暗闇しか残っていないからだ。 変わったのは夜空ばかりではない。蛙の鳴き声も、蝉の声も聞こえず、草いきれにむせぶことも、小川に足をつけることもなくなった。だが、決して、宇宙が意味をなくしたわけではない。意味は気づきを待っている。宇宙は、文明の殻を破って生まれてくる永遠への気づきを待っているのだ。 空を見上げる眼差しには、永遠への気づきが宿っているように思える。空を流れる雲に陶然と心を遊ばせた日々の記憶が、静かに問いかけてくる。このまえ空を見上げたのは、いつだったかと。
そうではないのですね。科学というのは、人間の知性の物差しが届く範囲だけが対象になっている「有限の世界」です。ところが、仏法(浄土真宗の教え)は、宇宙全体をも包み込むような「無限の世界」のことを説いているのです。 ひとことで言えば、「スケール(物差し)」が違うのです。有限な物差しで、無限な世界を測ることはできません。仏法で説かれている世界は、私たちがいくら考えても分からない世界なのです。 法蔵菩薩が五劫のあいだ思惟なさったという話からして、そうです。 「劫」というのは、永遠にも近い長い時間のことでして、たとえばなしでしか示されておりません。そのひとつは、「磐石劫(ばんじゃくこう)」というたとえです。それによると、縦横高さが1由旬(約8km)の大岩に、天女が百年に一度舞い降りて来て、羽衣で一度だけ撫でるとして、その大岩が擦り切れて無くなっても、まだ一劫には足りない、といいます。 「じゅげむ」という落語にでてくる「五劫の擦り切れ」というのは、法蔵菩薩の五劫思惟を、この「磐石劫」のたとえで言ったものです。 で、私たちの宇宙が始まってから、だいたい138億年ほどたっている、と言われていますが、その間に、天女は1億3800万回、舞い降りて来たことになります。おそらく、それだけの回数、羽衣で撫でたとしても、大岩はほとんど減っていないでしょうね。 つまりです、この宇宙の中ではとても収まりきらないような、「劫」という時間を単位として語られている「本願のいわれ」の物語は、宇宙を覆い尽くすスケールの事柄を語ろうとしているということです。それはもう、「私」が信じるとか、信じないとかいうレベルの事柄ではないのです。 そのことに気づいたら、信じられるとか、信じられないとか 、いうことは、「私」の問題ではないのです。「私」は、「名号を称えよ」というお言葉を、そのまま受け取る、というところからスタートすればいいのですよ。 「ご信心をいただく」といいますけれど、「他力の信心」というのは、決して、棚からぼた餅ではなくて、聞法を重ね、お念仏を称える生活のなかで、獲得していくことなのですよ。 私たちが阿弥陀様からいただいたのは、「名号」なのです。私たちが信心を獲得する鍵は、その、「南無阿弥陀仏」という名号に込められているのです。 親鸞聖人が、『末燈鈔(まっとうしょう)』のなかで、「みだ仏は、自然(じねん)のようをしらせんりょうなり」(『聖典』p.602)とおっしゃっているのは、そのことでしょう。 (訳: 阿弥陀(アミダ)という名号(なのり)は、世界のあるがままの有り様〈いのちの真実〉を知らせる手段であります。) 「アミダ」というのは、インドの言葉で、無量寿(永遠のいのち)、無量光(はてしない光)という意味です。 世界のあるがままの有り様は、「永遠のいのち」であって、「はてしない光」の中にある。「アミダ」という名号は、私たちに、そのことを伝えようとしているのです。 私たちは、みんな、「永遠のいのち」そのものであって、「永遠のいのち」の「ひとつのあらわれ」なのです。ですが、それぞれの「有限な身体」に執着し、「限りあるいのち」であると思い込んで、不安と孤独に苛まれて生きている。 「人の目の中ではなく、如来の目の中で生きる」という法語がありますが、不安と孤独に苛まれているのは、人の目の中で生きているからです。自分のことを、世間の目で見て、ピンポンとか、ブーとか、採点してるでしょう。 「反省する」といっても、それは、仏の光に背を向けて、自分の心の暗がりを見つめているだけです。反省すればするほど、心は暗くなる。 そんな、「いのちの真実」に背を向けて生きている私たちに、「いのちの真実に帰って来い」と呼びかけてくださっているのが、名号なのです。 「いのちの真実」というのは、仏の目にしか見えていない、色も形もないものです。阿弥陀如来は、その、仏の目にしか見えていない「いのちの真実」を、名号となって、私の耳に、説き続けてくださっているのです。 ナムアミダブツ、ナムアミダブツ、ナムアミダブツ。「これが真実だよ。迷うなよ、気づけよ、目を覚ませよ、帰って来いよ」と、私の称えるお念仏となって、導き続けてくださっているのです。 この、名号に込められた「いのちの真実」に深く頷いて、「私にはまだ見えていないことだけど、これこそ〈いのちの真実〉なのだ」と、ナムアミダブツの導くままに、生きて行き、帰って往こうと、こころが決まったとき、「信心を獲得」した言うのです。 そのときから、お念仏とともにある信心の生活が始まります。そのときから、少しづつ、人生の味わいが変わってくる。少しづつ、「いのちの真実」への気づきが深まっていき、不安や孤独の思いが薄れてくる。 私たちは、みんな、「いのちの仲間」「仏の子」なんですよ。本当に両手が合わさったら、その「あるがまま」の世界が開かれてきます。 念仏詩人の榎本栄一さんに、その「あるがまま」という詩があります。こういう詩です。 あるがまま
ぐるりのひとやものを
みなしずかにひかり (榎本栄一『念仏のうた 常照我』) お念仏とともにある信心の道(念仏者の道)は、浄土への一本道です。浄土は、お念仏申すところに開かれてくる世界です。その世界へと解放されていくことを「往生」というのです。 念仏詩人・浅田正作さんの詩に、こんなのがあります。「目的地」という詩です。 目的地
春も去り 秋も去り
仏法者 もうされ候う
この足腰で (浅田正作、念仏詩集『続・骨道を行く』) 三段に分かれていますが、最初の段は、人生の春秋を乗り越えて、迷いのない一本道に出た、ということでしょう。 二段目に、「仏法者 もうされ候う」とありますが、これは『蓮如上人御一代記聞書』(63) にある言葉です。原文は、こうです。 「一 仏法者(ぶっぽうしゃ)、もうされ候う。『わかきとき、仏法はたしなめ』と、候う。『としよれば、行歩(ぎょうぶ)もかなわず、ねむたくもあるなり。ただ、わかきとき、たしなめ』と、候う」(真宗聖典 p.867) (訳: 仏法の先達が、こうおっしゃています。「仏法は、若い時に、しっかり聞いておきなさい。年を取ったら、足も弱って、なかなか法座にも行けなくなるし、お説法を聞いていても眠くなってしまうものです。だから、若い時に、しっかり聞いておきなさい」と。) 「たしなむ」というのは、「しっかり身につくように心がける」という意味です。この、先達のお愉(さとし)に、ご自分の聞法の人生を重ねて、三段目に続きます。 「もう、若い時のように、聞法に励むことはできなくなったが、まあ、もう道は定まっているんだ。急がずあせらず聞法していくだけだよ。何処でこの世のご縁が尽きたとしても、そこが我らの目的地、お浄土だから」と。 「倒れたところが目的地」。これ、大事な言葉ですよ。この世でいのちが尽きたら、その瞬間に、お浄土(阿弥陀如来の世界)に生まれさせていただいて、仏に成らせていただく。この「お浄土」という帰っていく世界を、生きていく拠り処としていくのが、お念仏の道なんです。 お念仏の道は、お浄土への一本道ですから、迷うことはありません。ですが、決して、平坦な道ではありません。ときには、涙も枯れるほど悲しいことも、息もできないほど苦しいことも、あるんです。 ですが、どんなことがあろうとも、私は、「仏のひかり」の中で「仏のいのち」を生きているのです。尊い「いのち」ではないですか。 「仏のいのち」を生きている人生に、成功も失敗もありません。大事なことは、授かった「仏のいのち」を、生き切ることなんです。 そのことを詠んだ、木村無相さんの詩があります。「にょらいの生」という詩です。最後に、この詩を読ませていただきます。 にょらいの生
生きるんだよ
ひとりじゃないんだよ (木村無相『念仏詩抄』) これで終わろうと思いますが、もう、ひとことだけ。 「実践するつもりなら、学ぶことはわずかでよい」。こういう言葉があります。誰の言葉か知りませんが、これは本当です。 教えを聞いても一言も覚えられなかった周利槃特(しゅりはんどく)は、ひたすら掃除をすることで、悟りを開いたのです。 「多くを学ぶことは、英知を養わない」(ヘラクレイトス)とも言われます。 お浄土への道を歩むつもりなら、まずは、お念仏を称えることです。浄土は、お念仏申すところに開かれてくる世界です。 お念仏とともにある生活の中で、人生の味わいが変わってきますよ。これも本当です。どうぞ、ご一緒に、お念仏を称えて、お浄土への道を歩んでまいりましょう。 では、本日は、ここまでといたします。長い間、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。 次回は、報恩講ですが、これまで11月の第二日曜日にお勤めしておりましたが、本年から、12月の第二日曜日に変更いたしました。今年は、12月11日です。 紫雲寺では、年3回の定例法要をお勤めしております。できれば、それ以外にも、聞法の会を考えたいと思っております。毎回ご案内をさしあげますので、どうぞまた、お参りください。 ありがとうございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ……。
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