釋昇空法話集・第83話

本願に帰す

他力の働く場となる

(2023年12月10日 報恩講法話)

 御讃題

    本願力にあひぬれば
    むなしくすぐるひとぞなき
    功徳の宝海(ほうかい)みちみちて
    煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし (『高僧和讃』天親讃)


 あらためまして、こんにちは。ようこその、お参りでございます。寒くなりましたね。今年もあとわずかとなりましたが、お変わりはありませんか。

 まず、最初に、お詫び申し上げます。今年は、春に、「宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年慶讃(きょうさん)法要」が勤まりましたので、その「慶讃法要によせて」という題で、お話しさせて頂くとご案内いたしておりましたが、話の内容から、「本願に帰す」という題に改めさせて頂きました。

 久しぶりに、御讃題をあげました。これは。『高僧和讃』(天親讃)にあるものです。おおよその意味は、こうです。

 「阿弥陀様の本願の働きを信ずる身となれば、むなしくこの世を過ごすことはありません。それは阿弥陀様の功徳がその人に海のように満ち溢れるようになるからです。濁った水のような煩悩も、その阿弥陀様の救いの妨げになることはありません」。

 「阿弥陀様の本願」というのは、「念仏を称えるものを、かならず救う(浄土に迎え入れる)」という誓いのことです。

 いつもながらの、いささかまとまりのない話ですが、どうぞしばらくの間、お付き合いください。

 さて、まずは、親鸞聖人が「本願」の教えに出遇われるまでのお話からはじめようと思います。

 親鸞聖人は、ご自分のことをほとんど書き残しておられませんので、よくわからなかったのですが、大正10年に西本願寺の宝物庫で、奥様の恵信尼さまのお手紙がみつかりまして、そこから、親鸞様は、「比叡山では堂僧をつとめておられた」ということがわかりました。

 最近の研究によりますと、この「堂僧」という身分は、比叡山の全ての「学生(がくしょう)」(すぐれた学者)のなかから選ばれた、14人の選抜メンバーのことだということが分かったそうです。親鸞様は、その「堂僧」に選ばれるだけの地位と器量を持っておられたということですね。

 堂僧は、声明(しょうみょう)の専門家でした。声明というのは、お経やお念仏を、歌を歌うように、節をつけて、お勤めすることです。堂僧は、いわば、仏教の声楽家ですね。

 大原に、魚山流の天台声明を伝える、勝林院というお寺があります。真宗の声明も、この大原の天台声明の流れをくんでいると言われています。

 親鸞様も、きっと、いいお声だったのでしょうね。親鸞聖人の肖像画に、「安城の御影」というのがありますが、そこに描かれている親鸞様は、口をとがらせておられますので、「うそぶきの御影」とも呼ばれております。あるいは、声明を口ずさんでおられるお姿かもしれません。

 また、当時、堂僧が、日々の勤めとして行っていたのは、日没のころに、阿弥陀経を読誦し、阿弥陀仏の御名を称えて、浄土往生を願い求めるという行法だったそうです。

 つまり、親鸞様は、比叡山での修行時代から、すでに、弥陀の浄土往生を願って、学び、実践しておられたということです。ですが、いくら学んでも、修行しても、浄土往生の確信が得られなかった。

 比叡山で20年間ご修行なさって、身に染みてお分かりになったのは、「いづれの行もおよびがたき身」(自分は、どんな修行でも覚れない人間だ)ということでした。

 で、29歳のとき、山を降り、「後世の助かることを祈って」、 六角堂に百日間、参籠なさったところ、95日目に、聖徳太子の夢のお告げを得られた。そこで、夜が開けると、すぐに、「後世の助かるような縁にあいたいものだ」と、法然聖人のもとを訪ね、また、百日の間、教えを聞きに通われました。

 「後世のたすかる縁」というのは、死後に輪廻の世界に生まれない教えのことです。夢のお告げを得られて、すぐに法然聖人のもとに行かれたのは、法然聖人が「後世のたすかる教え」を説いておられるという評判を聞いておられたからでしょう。

 恵信尼様のお手紙によると、法然聖人は、「後世の救いについては、善人にも悪人にも、同じように、迷いの世界を離れることのできる道(生死出ずべき道)を、ただ一筋に仰せになっていました。そのお言葉を承って、親鸞様のこころは決まった」。「たとえ地獄に落ちるようなことになっても、この人に付いていこう」と。

 法然聖人は、誰に対しても、「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」(ひたすら念仏を称えて、阿弥陀様にお助けいただきなさい)、この末法の世に、私たちが救われる道は、そこにしかない」と、お説きになったのです。

 「後世の助かる道」を求めておられた、親鸞様のお心は、法然上人と出遭うことで、はっきり決まった。「雑行を棄てて本願に帰す」(自力の修行はみんな棄てて、阿弥陀様の本願他力のお働きにおまかせする)と。

 本日の話の題は、このお言葉から頂いたものです。「愚禿釈の鸞、建仁辛の酉(かのとのとり)の暦(1201年、29歳)、雑行を棄てて本願に帰す」。『教行信証』の後序に記されているお言葉ですが、求めていた道、確かな人生の道が見つかった、という圧倒的な喜びが伝わってくる、感動的なお言葉です。この本願と出遇う喜びを伝えてくださっているのが、浄土真宗です。

 仏教は本来、「私たちは苦しみの世界で迷っている」ということを前提にした教えです。実際、法然聖人や親鸞聖人の時代は、内乱や、疫病、火事、地震、台風、旱魃といった天災が次々に起こって、常に死が身近にありました。『方丈記』には、飢饉や疫病で何万人も亡くなって、鴨川が死骸で埋まったと書かれています。

 鎌倉時代には、わずか150年ほどの間に、50回もの元号改元がありましたが、そのうち30回が、飢饉などの災難によるものです。まさにこの世は苦しみの世界です。

   また、人殺しを生業(なりわい)とする武士たちは、地獄に堕ちることを恐れて、「お念仏ひとつで救われる」という、法然聖人の教えに救いを求めました。法然聖人のお弟子にも、有名な熊谷直実など多くの武士がいましたし、親鸞聖人の関東のお弟子も、ほとんど武士でした。

 そんな、苦しみに満ちた世界で、救いを求める人々にとって、「お念仏ひとつで、必ず救う」という阿弥陀様の本願他力の教えほど、ありがたいものはなかったでしょう。人は理屈で救われるわけではないのですね。

 それに比べて、現代では、物は豊かにあるし、生活は快適で便利だし、娯楽もいっぱいある。健康で、お金さえあれば、たいていのことは何とかなる。外出するときに、忘れずもっていくのは、財布と携帯ではないですか。

 そのうえ、戦後、目に見えるものが全てというような教育を受けてきたので、「生まれてきたのは偶然で、死ねば終わりだ」としか思えない。

 それで、自分の生活は、自分の努力と器量によって支えるしかないと思い込んでしまって、誰もが自己中心的な生き方をするようになったわけですが、「自分が、自分が」と競争に明け暮れたところで、「死ねば終わり」の人生を思うと、何のために生きているのかと、不安でしかたがない。

 かくして、「自分の人生は何だったのか」、「死んだらどうなるのか」と、心乱れたまま、絶望の暗闇のなかに飲み込まれていくことになる。いかがですかね。

 仏教では、そういう生き方を、「迷っている」というのです。そして、迷いのままに一生を終える人を、「むなしくすぐるひと」といいます。

 親鸞聖人の時代と違って、現代は、「後世の救い」「生死出ずべき道」といったことは、人生の課題になりにくい時代ですが、本当は、いつの時代でも、人生の根底にある不安や苦しみは、同じなんですね。

 いつの時代でも、人はみな、死ぬことの不安から解放されて、心安らかに生きたいのです。私は、本願の教えは、そういう私たちの願いを、充分に受け止めてくださるものと思っていますが、本願と出遇うことは、私自身の課題でもあります。で、その本願の話に続けます。

 さて、「他力本願」というと、世間では、「他人の力を当てにすること」のように誤解されることが多いものですから、私は、「本願他力」と言うことにしておりますが、本来は、どちらも同じことで、「阿弥陀仏の本願のお働き」のことを言います。

 その「本願他力のお働き」が込められた「念仏」を、ただ称えるだけで、浄土に往生させて頂くことができる。それが、私たちの頂いている「お念仏の教え」です。

 ですが、私自身、戦後生まれの現代人でして、「お念仏を称えるだけで救われる」ということが、どうしても納得できませんでした。

 それで、いろいろ調べて、様々な理屈を考えました。そういう理屈に関心がある方は、過去の法話をご覧いただくとして、私は、もう理屈をこねるのは、やめました。

 やってきたことが無意味だったとは思いませんけれど、分かった様な気になるばかりで、なんだか「むなしい」のです。御讃題にあげた『御和讃』に、「本願力にあひぬれば、むなしくすぐるひとぞなき」とありますが、そうなんでしょうね。

 もともと、「阿弥陀(アミダ)」というのは「無量(量れない)」という意味なのです。その「量れない」阿弥陀仏のおこころを、ああだこうだと「はかって」きたのです。量り得ないもの(無量)を、自分の物差し(有量)で量ろうとすること。それを、自力の「はからい」というのですが、そんなことをいくら知っていても、本願力には遇えません。

 『歎異鈔』(10条)に、「念仏には無義をもつて義とす。不可称不可説不可思議のゆゑにと仰せ候ひき」 (本願他力の念仏においては、自力のはからいがまじらないことが根本の教えです。私たちには、褒め称えることも、説明することも、考えることも不可能な事柄だからですと、法然聖人はおっしゃいました)とあります。何度も読んだ文章ですが、何を読んでいたのかと思います。

 自力の「はからい」を棄てられるまでが、なかなか大変です。棄てようとするのも、はからいですから。

   「他力 他力と 思うていたが 思うこころが みな自力」 (森ひな)

 法然聖人と、親鸞聖人の、肖像画を見比べてみますと、法然聖人は、ゆったりとした穏やかなお顔で、お念仏のお弟子たちを慈しんでおらっれるような、優しい眼差しをなさっています。

 『徒然草』によると、「眠たくてしかたがないのなら、目が覚めてから、念仏すればよい」というようなことをおっしゃったそうです。

 たいそう鷹揚な方だったようですが、ご自身は、一日に6万遍から7万遍も、お念仏を称えられたといいますから、結構、剛気な方でもあったのでしょうね。

 一方、親鸞聖人はというと、厳しいお顔で、鋭い眼差しをなさっています。『正像末和讃』の「悪性さらにやめがたし  こころは蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり  修善も雑毒なるゆゑに  虚仮の行とぞなづけたる」というお言葉や、『歎異抄』などを見ますと、はなはだ内省的な方だったようで、この鋭い眼差しは、ご自身の心の方に向けられていたようです。

 法然聖人は、「お念仏を称えたら浄土に行くことになっているんだよ」と、にこやかに頷かれるようなお方。親鸞聖人は、ご自分の資格に不安を抱きつつ、「こんな自分だからこそ、お浄土に行けるんだ」と、二、三度、控えめに頷かれるようなお方、ではなかったかと想像します。

 お二人と比べるような不遜なことは考えもしませんが、私はどうかと言えば、自分の頷きの、あまりの軽さに、ため息が出るというところでしょうか。

 私は、直接、どなたかに師事したことはありませんが、多くの先達のお言葉に、感動し、導かれてまいりました。ふらふらしながらも、お念仏の道を歩んでこれたのは、「いのちの深み」に触れた人たちの、浄土への道しるべのような言葉に出遇えたお陰だと思います。

 最近は、とくに、金子大榮先生のお言葉や、藤原正遠師の詩歌、念仏詩人・榎本栄一さんの晩年の詩などに惹かれます。

 その藤原正遠先生には、「空念仏」という言葉で始まる、こんな歌があります。

    空(から)念仏
    まことによろし
    いつの日か
    空(から)は棄(す)たれて
    まことは残る
             (藤原正遠『大悲のなかに 念仏のうた』)

 空念仏でも、称え称えしているうちに、いつの日か、「こんなことして何になるんだ」という「分別心」が壊れ落ちていって、いのちの奥底にある「まことのこころ」(無分別智)が働き出てくださる。それが、口割り給う「ナムアミダブツ」です。

 「空念仏から始めたらいいんだよ」という、おおらかなところが、いいですね。同じ様な言葉を、もうひとつ。

    わかっても わからんでも 念仏申しなさい
    そして 念仏から 育てられなさい

 これは、信国淳先生のお言葉です。「わかっても わからんでも」です。お念仏を申すことが、大事です。お念仏には、「阿弥陀仏の本願他力のお働き」が込められていますからね。

 寺川俊昭先生は、「念仏の身とならないと、本願がわかるはずがない」と、おっしゃいました。…… 今、先生が、私のほうを、チラッとご覧になったような気がしましたが…。

 さて、もう少しだけお話しして、終わります。

 「御讃題」に、「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき 功徳の宝海(ほうかい)みちみちて 煩悩の濁水(じょくしい)へだてなし」とありましたね。この『和讃』の説明をして、今日のまとめといたします。

 「本願力にあひぬれば」というのは、「阿弥陀様の本願の働きを信ずる身となれば」という意味です。阿弥陀様は、「お念仏をとなえるものを、必ず救う(苦しみにない世界、浄土に迎え入れる)」と、お誓いになりました。

     大悲を受け入れる 心がなければ
     その人には浄土は 開けてこない  (梯實圓)

 阿弥陀様(無量寿如来:永遠のいのち)を信じるということは、「おまかせする」ということです。「まかせる(憑せる)」というのは、人生の全てをまかせるということ。生きることも、死ぬことも、全て、いのちにおまかせする。

 それは、別の言い方をすると、「はからいを離れる」ということです。何が起こっても、起こらなくても、仏様のお働きとして、良し悪し、善悪、損得などの、自分の物差しで「量らない」ということです。

     生きるものは 生かしめ給う
     死ぬるものは 死なしめ給う
     われに手のなし
     南無阿弥陀仏       (藤原正遠)

 「仏様のお働き」のままに生きて、「仏様のおはたらき」のままに死ぬ。ということは、自分(我)を守る必要がなくなる、ということです。

 信心を得ると、不安がなくなる(安心)。信心(しんじん)を得るとは、安心(あんじん)を得るということです。不安がなくなると、人生の味わいが変わり、おのずと生活が定まります。(人生、どう生きれば良いかという問題がなくなります。)

気づいていませんが、私たちは、自分を守ることに、膨大なエネルギーを使っています。阿弥陀様のお働きに「まかせて」、不安がなくなると、楽になるし、エネルギーに余力が生まれて、明るく、元気になります。

 ちなみに、病弱だった念仏者・赤禰貞子(あかね・さだこ)さんは、とっても明るい人だった、と、林暁宇さんが、おっしゃっていました。

      身が弱い故に
      心が弱い故に
      強く生きられる
      身も心も
      あてにせずに    (赤禰貞子)

 阿弥陀様に、「おまかせ」した人生は、阿弥陀様に、生かされて生きている人生です。真宗門徒が、よく、「学ばせてもらう」とか「寝させてもらう」とか、「〜させてもらう」という言葉を使っていたのは、そのためです。

      生かされて 生きてきた
      生かされて 生きている
      生かされて 生きてゆこうと
      手を合わす 南無阿弥陀仏    (中川静村)

 生かされて生きている人生は、阿弥陀様が主人だから、何が起こってきても受け止められるのです。これは、「救い」ですよね。

      生かさるる いのち尊し けさの春   (中村久子)

      どういう境遇に おかれても
      生きぬく力 それが信心    (米沢英雄)

      念仏もうすところに
      立ち上がっていく力が
      あたえられる     (西本宗助)

 「念仏」というのは「本願力」のことです。念仏は、浄土往生のためというより、今を生きるためにあるのです。

 本願を受け入れた人は、浄土にむかって生きる人となる。目的地と、生きる方向ができるから、「むなしくすぐるひと」ではないのです。

      長い年月かけて 何になったか
      爺(じじ)になった 婆(ばば)になった
      というだけか
      いいえ
      念仏申す身に
      させて頂きました    (東井義雄)

 念仏もうす身に育てた力は、本願力です。

 仏の願いは「仏ごころ」です。阿弥陀様の本願他力を信じる身となった人は、他力の働く場となる。「仏ごころ」の働く場となる。それが、私たちの生き方を決めていきます。

 いかがですか。今日の話がお分かりになりましたでしょうか。最後に、酒井正知師の言葉を、ひとつ。

      めざめて生きよ いのちの願いに めざめつづけて生きよ
      それこそが 人間に生をたまわったと云うことの意味なのだ

 さて、それでは、本日は、ここまでにいたします。まとまりのない話に、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 また、ご一緒に聞法させて頂くご縁がありますよう、念じております。有り難うございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ……



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