釋昇空法話集・第84話

自然の浄土

われら浄土の旅仲間

(2025年3月20日 彼岸会法話)

 まずは、「三帰依文(さんきえもん)」をご一緒に唱和いたしましょう。

 あらためまして、こんにちは。ようこそのお参りでございます。日差しも、明るく暖かくなってきまして、今年も春を迎えることができました。ありがたいことです。

 昨年は、積年の体調不良が極まって、10月31日に緊急入院いたしましたので、年末の報恩講には、ご一緒に聞法させていただくご縁を頂くことができませんでした。肺に水が溜まって呼吸ができなくなりましてね。御同行の皆様にも、たいへんご心配をおかけいたしました。

 それで、今回は、まずはそのあたりのご報告からさせていただいてから、病床で思ったことや、気づかせてもらったことなどへと話を続けたいと思っております。話の題は、「自然(じねん)の浄土」といたしました。

 これは、親鸞聖人の『浄土和讃』に出てくる言葉ですが、私は、善導大師の『法事讃』にある、「仏に従いて 逍遥(しょうよう)して 自然(じねん)に帰す 自然はすなわちこれ 弥陀の国なり」(訳:阿弥陀様と一緒に、そぞろ歩きしながら、自然(じねん)に帰る。自然というのは、阿弥陀仏の国、浄土のことです)という言葉を思いながら、お話ししております。

 例の如く、思いつくままの、いささかまとまりのない話ですが、どうぞ、しばらくの間、お付き合い下さい。

 さて、緊急入院した病院は、近くの鞍馬口病院なんですが、入院直後のことは、意識をなくしていたようで、ほとんど記憶にありません。

 あとで聞いたことですが、鞍馬口病院で、あらゆる手を尽くしても、はかばかしい効果がなくて、炎症が治らず、意識が戻ってこない。原因も病名も分からないなか、担当の先生は、残された時間と競争するように、治療の道を探してくださった。

 先生は、入院初日に、「崖っぷちの状態です」、二日目には、「非常にきびしい状態です」、三日目には、「会わせたい人がおられたら今のうちに呼んでください」とおっしゃったそうです。

 意識が戻ったのは、その三日目の夜でした。気づいたら、多数の点滴や、計器、呼吸器につながれ、親戚や、兄弟、友人たちに囲まれておりました。最初は、「ああ、お見舞いに来てくれたんだ」と思いましたが、その人たちは、お見舞いではなくて、お別れに来てくれていたのです。

 とかくするうちに、病名の見当がついてきまして、どうやら、ANCA 関連血管炎(顕微鏡的多発血管炎 MPA)という指定難病の自己免疫疾患らしいということになり、専門医のおられる府立病院へ転院。

 お陰さまで、危ういところで一命を取り留め、少しづつ快方に向かうようになりまして、師走の19日に退院の許可をいただき、新年を自坊で迎えることができました。

 かくして、今年の春は、特別な春となりました。「元日や 今日のいのちに 遇う不思議」という、念仏詩人・木村無相さんの、この句が身に染みる、喜寿の春でした。

 退院してからですが、お見舞いに来てくださった方々から、いろいろお尋ねをいただきました。例えば、「臨死体験はしましたか」とかね。死と直面した坊さんの経験を聞いてみたいと思ってくださったのでしょうが、いわゆる「臨死体験」はしませんでしたね。

 ただ、意識をなくしている間に、非常にリアルな夢を三つ見ました。夜中に、自分の死ぬのを待っているという夢でした。

 一つ目は、夕闇の中を、海岸沿いの道を車で走って、どこかのお寺に寄ってから、小さなホテルの薄暗い部屋の中で、ひとりベッドに腰掛けて、自分が死ぬのを待っているという夢です。

 二つ目は、森の中の体育館のような大きな葬儀場でお葬式を済ませたのですが、まだ死んでいなかったので、密かに隣接する火葬場の待合室のような場所に連れていかれて、「12時45分まで待って死ななかったら、どうするか考えましょう」と言われて、自分が死ぬのを待っているという夢。

 三つ目は、どこか小高い丘の上から、街の夜景を見ながら、死ぬのを待っているという夢です。丘の上に建っている小さな祠(ほこら)の前に、折り畳み椅子がいくつも並んでいて、新聞記者のような人達と一緒に私も座って、街の夜景を見おろしている。

 灯火(あかり)の少ない眠っているような街の夜景を見おろしながら、私たちはそこで何をしているのか、だんだん気になってきまして、隣に座っている人に聞いてみたんです。そうしたらね、その人は、「あなたが死んだら、街の明かりが知らせてくれるんです。私たちはそれを待っているんです」と言うのです。

 三つとも、夜の空気に含まれる湿気や温もりまで感じられるような、非常にリアルな夢でした。後日思ったことですが、あるいは、あの夢は、「危ないところだったけれど、今回は死なないよ」という、体からのメッセージだったのかもしれません。

 「死ぬのは怖くなかったですか」という、お尋ねもありました。そうですね、入院した初日に、意識が混濁し、声が出なくなってきたときに、メモ用紙に、「南無阿弥陀仏、倶会一処(くえいっしょ)」と書いて、家内に渡したことを憶えています。「倶会一処」というのは、「またお浄土で会おうな」という意味ですから、その時には、死を予感していたのだと思います。

 そのメモを見て、家内は愕然としたそうですが、私には、死への恐れというような思いはありませんでしたね。まあ、それは、死ぬのが怖くなかった、というより、息ができなくて、苦しくて、死ぬことを考えるほどの余力が無かったということだったのかも知れませんがね。

 実際、入院していた50日の間、30日ほどは酸素吸入器につながれていました。酸素を強制的に送り込んでも、肺が弱っていて、ほとんど受け付けないのです。苦しくて仕方がないのに、自分にできることは何もなくて、血中酸素濃度計の数字と、時計を見つめながら、ただただ時の過ぎて行くのを待っているだけでした。

 ですが、不思議なほど、不安はなく、心は安らかでした。今は、それも、「いのちのことは、いのちにおまかせ」という、他力の教えにご縁をいただいたお陰だと思っています。

 清沢満之先生は、「天命に安んじて、人事を尽くす」とおっしゃいました。「いのちのことは、いのちにおまかせ」で、「人事を尽くす」ことも、病院に、全ておまかせした私には、自分を守る必要がなくなっていた。だから、死を予感しても不安を感じなかったのではないかと思います。

 不安よりも、むしろ自分が、いかに多くの人々に支えられているかということに、改めて気づき、感動していました。お世話になっていた担当の先生、医療スタッフの方々、気遣ってくれる家族、兄弟、親戚、友人、有縁の人々、そして、どこかで繋がっているに違いない無縁の人々にです。

 車椅子で窓際まで行けるようになったとき、景色がいつもより明るく見えて、ぶっきらぼうだった世界が、微笑んでくれたように感じました。「みんな、いのちの仲間だよ」と言うように。

 東井義雄先生の、「支えられてわたしが」という詩を思いました。何度もご紹介いたしましたので、憶えておられるかも知れませんが、こういう詩です。

   ざしきに上がればざしきが
   ろうかに出ればろうかが
   便所に行けば便所のゆかが
   どこへ行ってもどこへ行っても
   わたしを支えてくれているものがある

   そればかりではない
   妻も子供も孫も
   有縁無縁の人々も
   生きとし生けるもののいのたちも
   石も土も空気も
   わたしを支えておってくださる

   ああそればかりじゃない
   忘れづめのわたしを支えづめに
   久遠の願いがわたしを
   支えていてくださる

 「独り生まれて、独り死んでいくのだ」と思っていたけれど、そうではなかった。あらゆるものに、あらゆるいのちに、支えられて、わたしは生きているのだ。ああ、それだけではない。聞いても聞いても忘れてしまうわたしを支えて、気づけよ、気づけよと、どこまでも願いつづけてくださっている、ありがたい「いのち」だった、と。

 私たちは、独り生まれ、独り死んでいくのではないのです。「お経様に、独生、独死、独去、独来と、書いてある」とおっしゃる方もありますけれど、それは違うと思いますね。

 お経様(『仏説無量寿経』巻下、聖典 pp.59f.)には、その言葉の直前に、「人、世間愛欲の中に在りては」と書かれているのです。(原文:人在世間、愛欲之中、独生、独死、独去、独来)「世間愛欲の中に在りては」というのは、「私」と「あなた」は別の人間だという「娑婆世間」のなかにあっては、という意味でしょう。

 「『私』と『あなた』は別の人間だ、目に見える世界が全てだ」と考えていると、人は、孤独です。「独生、独死、独去、独来」です。ですが、本当は、そうではないのです。私たちは、無数の生き物や品物に支えられて生きている、仏の「いのち」に支えられて生きている、「いのちの仲間」なのですよ。

 私は、生きている。ですが、それは、私が生きている、ということではなくて、私は、大きないのちに支えられ、生かされて、生きているのです。

 「めざめて生きよ いのちの願いに めざめつづけて生きよ それこそが 人間に生をたまわったと云うことの意味なのだ」。これは、酒井正和師の言葉です。

 こういう、先達の残してくださった言葉を、福井の岳父(ちち)は、「念仏の一里塚」と言っておりました。浄土への旅の一里塚です。私たちの人生は、その一里塚をたどりながら、「いのちの故郷」(自然の浄土)に帰っていく旅です。

 私たち門徒は、互いに、御同朋(おんどうぼう)、御同行(おんどうぎょう)と呼び合っていますが、それは、私たちはみんな、「いのちの仲間」なのだ、「いのちの故郷」(自然の浄土)に帰っていく旅の仲間なのだという気づきから生まれた言葉です。

 何であれ、仲間がいるというのは、心強く、嬉しいことですが、『雑阿含経』に、仏道成就には、善き友を持ち、善き仲間とともにあることが不可欠だと説かれています。それは、こういう話です。

 ある時、釈尊に、弟子のアーナンダ(阿難)が尋ねました。「善き友を持てば、仏道を半ば成就したことになると思いますが、いかがでしょうか?」と。すると釈尊は、こうお答えになりました。「それは違う。善き友を持つことは、仏道の半ばではなく、仏道のすべてなのだよ」と。

 アーナンダが意外な面持ちでいると、釈尊は、さらに説明して、こうおっしゃった。「善き友を持ち、善き仲間とともにあれば、互いに、仏道を成就する助けになり、励みになる。また、この私を善き友とすることで、老いや病から自由になり、死の不安をなくすことができる。わかるだろう」と。

 この、老いや病いや、死の不安から解放される道を説いているのが仏法です。ですが、仏法を聞いて、この道を歩もうとしても、一人では、なかなか続けられないのですね。道に迷っていても気づけないし、手応えがなければ気弱になり、結局、挫折してしまうということになりがちです。

 ですから、その道を見出された先達である、お釈迦様に導かれ、同じ道を歩もうとする者たちが支え合うという、そういう善き友の中に身を置くことが、仏道を成就するために欠かせないということなのです。

 蓮如上人は、「本尊は掛け破れ、聖教(しょうぎょう)はよみやぶれ」、「能く能く談合(だんごう)すべし」(『蓮如上人御一代記聞書』)とおっしゃったそうです。

 「本尊」というのは、南無阿弥陀仏という名号のことです。これは「真実に目覚めて生きよ」という仏様からの呼びかけの言葉です。そして、その呼びかけを聞きながら人生を歩んでいった先達の言葉を記した書物が「聖教」です。

 ですから、「本尊は掛け破れ、聖教(しょうぎょう)はよみやぶれ」というのは、「常に仏様の呼びかけに耳を傾け、先達の言葉に親しみなさい」ということでしょう。

 また、「談合(だんごう)する」というのは、話し合うことを言います。「能く能く談合(だんごう)すべし」というのは、聞法しても、誰もが自分に都合のよいようにしか聞けないから、「仏法を聞いて思ったことを、仲間の人たちと、よくよく話し合いなさい」というお諭しです。これも、お釈迦様のお言葉と同じことを、おっしゃっているのだと思いますね。

 蓮如上人は、「ただ、仏法は聴聞にきわまることなり」(『真宗聖典』p.889) とおっしゃっています。「仏法は、聞くことに尽きる」ということですが、聞いたことを話し合う仲間がいるというのは、ありがたいことですよ。

 同じ話を聞いても、人によって聞こえ方が違いますから、聞く耳が増えると、自分には聞こえていなかったことにも気づけますのでね。

 しかし、「仏法は、聞くことに尽きる」としても、問題は、その聞き方ではないでしょうかね。

 仏教では、「聞・思・修」の「三慧(さんね)」といいまして、教えを、よく聞くこと(聞)、よく考えること(思)、よく実践すること、この三つから生まれる智慧によって、悟りにいたると、言われています。

 ですが、聞いたり考えたりすることは、頭に偏りがちです。聞こえるまで聞くといっても、頭で聞いていたのでは、情報の上書きをしているだけの洗脳ではないでしょうか。

 「聴聞を続けてゆけば、みほとけに遇えると思うことは、妄念」。これは、藤原正遠師の言葉ですが、そのあたりのことをおっしゃっているのではないでしょうかね。

 よく言われることですが、「仏法を学ぶ」ということと、「仏法に学ぶ」ということは、違うのです。「仏法を学ぶ」というのは、仏法の知識を得ることでして、おおむね頭の守備範囲です。一方、「仏法に学ぶ」というのは、仏法に照らして、自分を学ぶということです。

 ここに「常照我(じょうしょうが)」という扁額があがっています。「仏は常に私を照らしてくださっている」という意味です。私たちは、仏法を聞いて、仏の光に照らし出されて、はじめて、自分の姿が見えるんです。

 とはいえ、自分が見えても、煩悩が無くなるわけではありませんね。仏の光に照らされて、見えたのは、煩悩まみれの自分なんです。ですがね、そんな煩悩まみれの自分が見えたとき、私たちは、まさに仏の光のなかにいるんですよ。

 「見る」というのは「エゴ」の目のこと。「見える」というのは、仏の光に照らされて「見える」ということ。つまりは、「自分が見える」というのは、仏の光のなかにいるということです。思いますにね、この「自分が見える」ということが、仏法の全てではないでしょうか。

 自分を見せてくださるのは、仏様の働き、「お念仏」の働きです。どんなに仏法を聞いたとしても、お念仏が出てこなければ、ただの知識です。仏法は、頭で聞くのではなく、「お念仏」を身体で聞く。身に染みるまで聞くことが大事です。

 「お念仏の教え」で、一番大事なことは、言うまでもありませんが、「お念仏」です。皆さんは、お念仏を称えておられますか。

 「お念仏を称えましょう」と言うと、「そんな呪文みたいなものを、称えないといけませんか」とおっしゃる方もおられます。聞いてはいても、聞こえていないのでしょうね。

 「仏法は聞いているが もう一つ 本気になれぬ人間に 如来の眼が そそがれている」。これは、酒井正知師の言葉です。

 私たちは、自分で自分を見ることができません。そんな私の姿を、上から俯瞰して見つめているのが、「仏の眼」です。「お念仏の教え」を頂くというのは、この「仏の目」を頂くことなのです。

 いつもお話することですが、「仏法」というのは、「目覚めた人(仏)の目に映った、世界のあるがままの姿(いのちの真実)」のことです。

 私たちの頂いている「お念仏の教え」では、「南無阿弥陀仏」という名号に、その「いのちの真実」が込められています。

 親鸞聖人が、晩年のお手紙で、「みだ仏は、自然(じねん)のようを、しらせんりょうなり」(訳:阿弥陀(アミダ)という名号(なのり)は、世界のあるがままの有り様を知らせる手段であります)(『末燈鈔』真宗聖典 p.602)とおっしゃっているのは、このことです。

 「アミダ」というのは、インドの言葉で、無量寿(永遠のいのち)、無量光(はてしない光)という意味です。これが、「世界のあるがままの有り様〈いのちの真実相〉」なのです。

 仏の目から見れば、私たちはみんな、「永遠のいのち」(無量寿)そのものであって、「永遠のいのち」の「ひとつのあらわれ」なのです。

 ですが、まだ目覚めていない私たちには、まだそれが見えていませんから、それぞれの「有限な身体」に執着して、「限りあるいのち」であると思い込んで、不安と孤独に苛(さいな)まれて生きているのです。

 そんな私たちに、「いのちの真実」を伝えることで、老いと死の不安から救おうとしているのが、仏教です。

 そして、仏の目にしか見えていない「いのちの真実」を、私の耳に説き続けてくださっているのが、「ナムアミダブツ」です。

 「み仏をよぶ わがこえは み仏の われをよびます み声なりけり」。これは、甲斐和理子先生の言葉です。

 自分の称えるお念仏に、み仏の、「目覚め続けよ、仏の視点に戻れ、いのちの真実に帰れ」という呼びかけを聞いていく。それが、「ナムアミダブツ」です。

 「お念仏の教え」にご縁をいただいても、人生に問題がなくなるわけではありません。人生には、いろんなことが起こってきますし、思いもしなかったことが降りかかってくることもありますね。

 ですが、嬉しいことも、悲しいことも、人生に起こってくる全てのことを、引き受けて、「ナムアミダブツ」の上に、受け止めていく。常に、「仏の視点」に戻り、「いのちの真実」への頷きを深めながら、心安らかに「自然の浄土」へと帰っていく。それが、「お念仏の道」を歩むということだと、頂いております。

 お念仏の先達の残してくださった「一里塚」(言葉)が、「自然の浄土」への道標(みちしるべ)です。

 「ご縁 ご縁 みなご縁 こまったことも みなご縁 ナムアミダブツに 遇うご縁…」(木村無相)

 「気がつけば ひとりごとのように 念仏を申しおり かすかに明かりが さしてくる」(榎本栄一)

 「念仏の道は、如来の開かせたまえる、人間の道である」(池山栄吉)。

 念仏の道は、浄土へと続く「一本道」です。浄土は、私たちの「いのちの故郷(ふるさと)」です。

 「人と生まれし悲しみを知るものは、人と生まれし喜びを知る」(金子大榮)。

 「生まれてきてよかった」と本当に思えるのは、その「ひとすじの道」に出会ったときではないでしょうかね。

 ちなみに、今年いただいた年賀状に、高木春山の椿の絵に、「咲いたら花だった 吹いたら風だった 合掌」と添書きされたものがありました。なんだか嬉しくなりましてね、心の中でそっと、「気づいたら 人だった 南無阿弥陀仏」と書き加えて、机の上に飾っています。

 皆さん、お念仏を称えていらっしゃいますか。お念仏は大事ですよ。

 さて、もう少しで、やめますね。

 人は、一人一人、みんな違います。私とあなたを比べるだけでも、違うところだらけです。ですがね、ひとつだけ、同じところがあるのです。「いずれは死ぬ」というところです。

 「みな死ぬる 人とおもえば なつかしき」(木村無相)

 「確かに死ぬる 人間なれど よくみておれば みな仏の手掌(てのひら)で 暮らしている」(榎本栄一)

 私たちは、みんな、「いのちの仲間」です。「われら浄土の旅仲間」です。そのことに気づいたら、浄土への旅は、もう道なかばです。いや、お釈迦さまなら、「それが、浄土の旅の全てだ」とおっしゃるかもしれませんが…。

 「もう少し つよい風がふいたら この自分の灯火(ともしび)が 消えるのを いまふと知り」(小さな蝋燭)。これも、念仏詩人・榎本栄一さんの詩です。

 このたびのことで旅の終わりが遠からぬことを改めて気づかせていただきました。

 それでね、いのちのことはいのちにおまかせですが、道草や寄り道ばかりの、この旅、今少し故郷に向けて歩みを進めたいと思いまして、四月から毎月一回、いのちの仲間の集う「気楽な仏法談話会」を始めることにいたしました。

 以前、「大人のための日曜学校」を一年間させていただいたことがありますが、今回の集(つどい)は、勉強会ではなくて、念仏の道を歩む旅仲間であることを喜べる会でありたいと願っております。

 ご一緒に、お茶でも飲みながら、仏法談義のひとときをもちましょう。開催日など、決まりましたら、改めてご案内いたします。関心をお持ちいただけるようなら、どうぞ、ご参加ください。こころより歓迎いたします。

 榎本栄一さんに、こんな詩があります。「いつからともなく むずかしい経論(おしえ)は遠くなり 歩々 なむあみだぶつ」。まことに、故郷への旅は、「歩々、なむあみだぶつ」です。

 では、本日は、ここまでといたします。まとまりのない話に、お付き合いくださいまして、ありがとうございました。

 次回は、9月23日の永代経法要です。半年ほど先ですが、どうぞまたお参りください。本日は、ようこそお参りくださいました。ありがとうございました。ナマンダブ、ナマンダブ、ナマンダブ……。



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