仏教夜話・17

仏弟子群像(4)

舎利弗と目蓮(下)

 前回お話しいたしましたサーリプッタ(舎利弗)が仏弟子中「智恵第一」と称されたのに対し、その親友のモッガッラーナ(目蓮)は「神通第一」と称されました。神通とは、瞑想(定)の力によって獲得発現される種々の超能力のことです。

 仏教では、「六神通」といって、次の6種の超能力を数えます。(1)神足通:欲する所に自由に出現できる能力。(2)天眼通:自他の未来の在り方を予知する能力。(3)天耳通:普通の人の聞こえない音を聞く能力。(4)他心通:他人の心を知る能力。(5)宿命通:自他の過去世の在り方を知る能力。(6)漏尽通:煩悩を取り去り、世界と人生の真理を悟る能力。

 このうち、(1)から(5)までは外道の仙人や諸天鬼神でも獲得できるものですが、(6)の漏尽通は仏教の聖者だけが獲得できる能力だと言われています。漏尽通というのは、つまり悟りの智慧のことです。ですから、仏教教団で「神通第一」といえば当然、智慧にも秀でているということですが、モッガッラーナは、サーリプッタとはかなり気質が異なっていました。

 ある伝説によれば、モッガッラーナは仏に帰依して7日目に、またサーリプッタは15日目に悟りの境地に到達したと言われていますが、サーリプッタは何事でも労せずして達する天才肌の人であったのに対し、モッガッラーナは労して達する努力型の人でした。また、サーリプッタは釈尊から手放しで賞賛されるほど生まれ付いての宗教者でしたが、モッガッラーナはいくぶん娑婆気を残した、どちらかといえば熱い人だったようで、釈尊からこんな教戒を受けています。

 「モッガッラーナよ、床に寝て安眠を貪ることを願うてはならない。財利を貪り、名誉を求めてはならない。これらはみな世俗のことである。世俗の事に思いを注げば、いたずらに心を労するのみにて、禅定にあることができない。……村に入って行乞をする場合にも、利を厭い、供養を厭え。とはいえ、いたずらに高大な心を持って村に入ってはならない。人もし敬わざれば、種々の煩悩が起こるであろう。また、法を説くに当たっては、いたずらに荒々しく説いて、獅子の吼えるようであってはならない。法を説くには、力を捨て、力を滅し、力を破らねばならない」と。

 サーリプッタとモッガッラーナは初期仏教教団を支える2本の柱でしたが、サーリプッタが明晰な頭脳と智恵で教団に求心力を与えたのに対し、モッガッラーナは、そんなサーリプッタを補佐し、神通力で外敵を排除して教団を守護するという、やや実力行使型の役割を果たしていたようです。

 たとえば、こんな話が伝わっています。コーサラ国の瑠璃王(ヴィドゥーダバ)がシャカ族への遺恨をはらすために釈尊の故郷カピラ城を攻めようとしたときのことです。モッガッラーナは、「神通力でコーサラ王の大軍を撃退し、世界の外に投げ捨てさせてください」と申し出ますが、釈尊は許されません。そこで、今度は、「カピラ城を空中に置くか、鉄のカゴで覆って護らせてください」と申し出ますが、釈尊はこれも許されず、こうおっしゃいました。「モッガッラーナよ、シャカ族が攻められるのは自らの造った業の報いである。汝は、宿縁を世界の外に投げ捨てることができるか、宿縁を空中に停めたり鉄カゴで覆ったりできるか。空を地となし、地を空となすとも、宿業の繋ぐところは、力及ばず」と。これを聞いてモッガッラーナは業報の止みがたきを思い、はやる勇気を抑えたといいます。

 また、こんな話も伝わっています。ある時、釈尊の説法を聞こうと多数の比丘が集まっていましたが、いつまで待っても釈尊は黙して一言もお話しになりません。夜もどんどん更けていき、気遣った侍者のアーナンダが釈尊に説法をお願いすると、釈尊は、「このなかに不浄の比丘がいる。ここでは法を説くことができない」とおっしゃった。そこでモッガッラーナは瞑想に入り、他心智によって比丘たちの心を見て、ついに二人の不浄の比丘を見つけます。その前に立ち、「お前たち、すみやかに去れ」と命じましたが、二人は黙然としている。そこでモッガッラーナは二人を門外につまみ出し、「愚か者、遠くへ行け、ここにおってはならん」と叱ったというのです。仏弟子としては、いささか乱暴な話ではあります。

 このようにモッガッラーナは豪壮の気を持った行動の人でしたが、そのために恨みをかうことも多かったようです。伝説によると、モッガッラーナはラージャガハ(王舎城)内を行乞中に、仏教教団の隆盛を妬む裸形外道(ジャイナ教徒)の雇った盗賊に襲われ、撲殺されたと言われています。親友のサーリプッタは、その何週間か前に、生まれ故郷のナーラカ村に帰って亡くなっていました。二人が相前後して亡くなったのは、釈尊入滅の数年前のことでした。

 サーリプッタとモッガッラーナが入滅した後、釈尊は二人を讃えるとともに、「両人の死によって教団の失ったものは甚だ大きい。だが無常の法は如何ともし難いものだ。この理を忘れず善く心を調えよ」と、嘆き悲しむ侍者アーナンダを教化されたといいます。サーリプッタは透徹した智恵の人、モッガッラーナは熱き行動家でした。この二人を孔門の十哲にたとえれば、あるいは顔淵と子路にあたるのかもしれません。

 ところで、モッガッラーナは神通第一と称えられていましたが、釈尊は仏弟子たちに公衆の面前で見せ物のように神通力を使うことを一切禁じておられました。仏教は「智恵」の教えであって、凡夫の好奇の目をひきエゴの拡大を促す教えではないのです。釈尊は、神通力を使わず、ただ真理の教えを説き続けるだけでした。そのため、神通力を示さない釈尊に飽きたらず、教団を去る者もいました。

 ところがです。その釈尊ご自身も、ごく初期には、神通力によって異教徒を教化なさったことがあります。イシパタナ・ミガダーヤで例の5人の苦行者を教化されて程なく、ガヤーで火の行者カッサパ三兄弟を改宗帰依させられたときのことです。次回は、そのお話しをさせていただこうと思います。


次の話へ


紫雲寺HPへ