仏教夜話・18

仏弟子群像(5)

火の行者カッサパ3兄弟

 すこし話が前後しますが、釈尊は、バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(鹿野苑)で5人の苦行者を教化されたあと、ガヤー(ブッダガヤ)へ、ひとりで戻られます。なぜガヤーに戻られたのか事情はよく分かりませんが、そこで釈尊は神通力によって3500の奇跡を現し、火の行者であったカッサパ3兄弟を帰依させられたと伝わっています。

 ですが、以前にもお話しいたしましたように、釈尊は後年、弟子たちに神通力の使用を禁じておられます。その釈尊が、神通力を誇示して外道の行者を帰依させられたというのは、きわめて異例のことのようにも思えます。そこで今回は、この「ウルヴェーラの神変」と呼ばれている神通力伝説を、もうすこし私たちの理解できる領域にひきよせながら、カッサパ3兄弟の帰仏についてお話ししてみたいと思います。

 当時、ガヤーを流れるネーランジャラー河のほとりのウルヴェーラ村に、火を崇拝する3人の行者が住んでいて、呪力によって、民衆のあいだで非常に尊敬されていました。彼らは兄弟だったと言われています。長兄がウルヴェーラ・カッサパ、次兄がナディー・カッサパ、末弟がガヤー・カッサパといい、それぞれ500人、300人、200人の弟子を従えていました。

 伝説によると、釈尊はまずウルヴェーラ・カッサパをたずね、神聖な火を焚く聖火堂に泊めてほしいと頼まれます。するとカッサパは、聖火堂には神通力をもった恐ろしい竜王(ナーガ)がいますが、それでもよければどうぞ、と応えました。そこで釈尊はその聖火堂に泊まられたわけですが、その夜、釈尊と竜王は互いに神通力で火焔を放って戦い、そのため聖火堂はまるで火事で燃えているかのように見えたといいます。

 翌朝、行者たちが、「あの沙門は竜王に殺されたにちがいない」と話しながら聖火堂を遠巻きにして見ていると、釈尊は、神通力を失って疲れはてた竜王を托鉢の鉢に入れて聖火堂から姿を現し、カッサパに示して、こう言われました。「これが竜王です。私が神通力で退治しました」と。カッサパは釈尊の神通力に感心しましたが、高慢の思いが捨てられず、なかなか兜を脱ぎません。そこで釈尊は、次々に神変を示していかれます。それを見たウルヴェーラ・カッサパは、ついに高慢の鼻が折れ、500人の弟子たちとともに釈尊に帰依し、その兄の勧めで、2人の弟たちも、それぞれ300人、200人の弟子たちとともに釈尊に帰依したというのが、「ウルヴェーラの神変」のあらましです。

 「ナーガ」は中国では竜と訳されていますが、インドでは象やワニや蛇のことです。つまり、大型で長い生き物をナーガと呼んでいるわけです。象をナーガと呼ぶのはその長い鼻ゆえですが、蛇の場合、ナーガといえばたいていコブラのことです。それも特に、体長4〜5メートルにもなる世界最大の毒蛇、キングコブラのことを言います。

 おそらく、聖火堂に棲みついていたナーガは、巨大なキングコブラだったのでしょう。火焔を放っての戦いは後世の誇張だとしても、釈尊は、キングコブラの棲む聖火堂で一晩を過ごされ、何事もなく出てこられた。これはやはり常人にはとうてい不可能な、神変というべきものと思います。

 以前、こんな話を聞いたことがあります。日本にヨーガを伝えた中村天風が、インドの聖者カリアッパ師のもとで修行していたときのことです。森林でひとり瞑想する行者がいると聞いた天風は、自分もしてみたいとカリアッパ師に願い出たところ、絶対にダメだと言われました。森林で瞑想できるのは高い境地に到達した者だけであって、なまじの者が真似ると野獣や蛇の餌食になったり毒虫に害されたりするから危険だというのです。そのとき天風は、自分を悩ましている蚊がカリアッパ師を全く害していないことに気づいて、その言葉を信じたということです。

 後の仏教では、慈無量心を起こして慈心三昧にあれば、このようなことが可能だと言います。慈無量心というのは、あらゆる生き物への慈しみの心を言います。その心を常に持ち続け、全身が慈しみで満たされるようになった状態が、慈心三昧です。そうなると、動物や虫など全ての生き物から愛されるようになると言います。確かに、そういうこともあるかと思います。

 伝説では、釈尊はウルヴェーラでかずかずの奇跡を起こされたと言われておりますが、そんなことは必要なかったのではないかと思います。キングコブラの棲む聖火堂から何事もなく出てこられただけで、カッサパは釈尊が常人でないことに気づき、その話を聞いてみようという気になったはずです。それに、釈尊はウルヴェーラに3ヶ月も滞在されたというのです。そんなに長い間、次々に神変を披露しておられたとはとうてい思えません。

 おそらく釈尊は、懇切に教えを説かれ、カッサパの疑義に丁寧に応えていかれたに違いありません。頑迷な見解を解きほぐし、徐々に目覚めさせて感激へと導く。高齢の権力者にその価値観を捨てさせることがどれほど難しいかを思えば、この釈尊の感化力こそ、まさに神通力と言えるのではないかと思います。

 カッサパ3兄弟の信仰が、ヴェーダの火神アグニを祭るものだったのか、それとも古代イランから伝わった拝火教(ゾロアスター教)だったのかは定かでありませんが、彼らは当時の宗教界の重鎮だった人たちです。その彼らが1000人の弟子たちを連れて、無名ともいえる若い釈尊に帰依したのです。釈尊が彼らを従えて歩いているのを見ても、誰も信じられませんでした。それはまさに奇跡だったのです。

 ウルヴェーラ・カッサパ、ナディー・カッサパ、ガヤー・カッサパの3兄弟は、釈尊の上足の弟子となり、『大無量寿経』にも尊者優楼頻螺迦葉、尊者伽耶迦葉、尊者那提迦葉として名を連ねています。ですが、帰仏したとき既に高齢であったためか、わずかに『長老偈』に当時の回顧を詠った偈が残っているだけです。

 ちなみに、「釈尊は千二百五十人の比丘とともにおられた」という記述が仏典によく出てきますが、それはカッサパ3兄弟の弟子1000人と、サーリプッタとモッガッラーナが連れてきたサンジャヤの弟子250人を合わせた数だと言われています。最初期の仏教教団の中核を成していたのは、この1250人の弟子たちでした。著名な彼らがいっせいに釈尊に帰依したことがはずみとなって、教団は急速に拡大していくことになるのです。


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