今回と次回は、釈尊の実子ラーフラ(ラゴラ)についてお話しいたします。ラーフラの生涯には、興味深い点が多々ありますが、今回はまず、その誕生と名前にまつわる伝説を中心にお話ししたいと思います。 初期の仏伝によると、ゴータマ(後の釈尊)は16歳のときに結婚したと言われております。後の伝説では、ゴータマの妃は同じシャカ族のコーリカ城主スッパブッダの娘ヤソーダラーということになっておりますが、彼女は「ラーフラの母」と呼ばれていることが多く、実際には出身も名前も確かなことは分かっておりません。 現代のインドでも、個人名はできるだけ直接呼ぶのを避ける習慣がありまして、子供の名前を介して「だれそれの父」とか「だれそれの母」という呼び方がよく用いられています。おそらく、ゴータマの妃は、特に目立ったところのない典型的なインド女性だったために、個人名が伝わらなかったのではないかと思います。 ラーフラは、ゴータマが29歳のときに生まれました。その誕生の場面を仏典では次のように伝えています。「そのとき、『(ゴータマの妃が)男子を出産された』と聞いたスッドーダナ大王は、『息子(ゴータマ)にわしの喜びを伝えよ』と使いをやった。すると、ゴータマはその知らせを聞いて、『ラーフラが生まれた。束縛が生じた』と言った。帰ってきた使いの者に、王は『わしの息子はなんと言ったか』とたずね、その言葉を聞くと、『これからのちは、わしの孫をラーフラ王子という名にしよう』と言った」と。 このときゴータマがつぶやいた「ラーフラ」という言葉は、伝統的には「束縛、覆障、障碍、繋縛、捕捉者」を意味すると解されています。つまり、「ゴータマが、生まれた子供をラーフラと呼んだのは、その子が自分の出家の障碍となるもの、自分を家庭に束縛するものになると感じたからだ」というのが、伝統的な解釈です。 こんな解釈が生まれたのは、「ラーフラ」という言葉が、後世の仏教徒に「ラーフ」という悪魔を連想させたからだと言われています。「ラーフ」というのは、古代インドの神話で、太陽を飲み込んで日食を起こし、月を飲み込んで月食を起こすと考えられていた悪魔(アスラ)の名前です。 ですが、この解釈は明らかに不自然です。というのは、ゴータマの言葉を伝え聞いた父王スッドーダナが、ラーフラという命名を喜んでいるからです。インドでは古来、新生児の名前は祖父がつけることになっていますが、初孫の誕生を喜び、後嗣ぎができたことを喜んでいるスッドーダナ王が、いくら息子の言葉を尊重していたとしても、孫に「悪魔」などという名前をつけるはずがありません。 洋の東西を問わず、またいつの時代でも、個人の名としては、神聖な言葉や、麗しい言葉が用いられるものです。たとえばインドなら、ソームナート(月の神)、チャンドラ(月)、ジャワーハルラール(赤い宝石)、スマン(花)、シャーンティ(平和)といった名前などがよく用いられています。子供に「悪魔君」などという名前をつけて面白がっているのは、よほどの変わり者だけでして、一国の王のすることとはとても思えません。 おそらくは、仏典が編集された時代には、すでに「ラーフラ」という言葉の意味が分からなくなっていたのではないかと思います。当時すでに意味不明になっていた「ラーフラ」という言葉を、「ラーフ」(悪魔)からの連想によって「束縛、障碍」などと解釈したのは後世のこじつけに違いありません。悟りへの道を妨げるものはみな悪魔だというのは、教条主義的発想と言うべきものです。 「ラーフラ」には、何かもっとお目出たい意味があったはずなのです。もちろん、今となっては本当のことが分かるわけではありませんが、どうせなら、こんな考え方はいかがでしょうか。 インドの古い文献に、シャカ族はアーリア人種ではなく、キラータ(山の民)だと書かれているといいます。キラータというのは、ヒマラヤ東部からアッサム、雲南にかけての山岳地帯に住むモンゴロイド(蒙古系人種)のことです。インドに稲作を伝えたのは、このキラータでした。釈尊の頃のインドでは、麦や粟や稗が主食でして、米はまだ珍しかったはずですが、シャカ族だけは、ちゃんと米を食べていたのです。ですから、どうもシャカ族がキラータだったという説には信憑性があるように思えるのです。 このシャカ族のトーテムはナーガ(竜)でした。ナーガというのは一般にニシキヘビやキングコブラやワニのように胴体の長い生き物のことを言いますが、シャカ族のトーテムだったナーガ(竜)は、クンビーラ(金比羅)というワニの一種(ガビアル)だったと言います。 ところで、古代インドの占星術にもナーガ(竜)が出てまいります。そして、そのナーガの頭を「ラーフ」、尻尾を「ケートゥ」と呼んでいるのです。釈尊より古い時代の文献『リグ・ヴェーダ』によると、日食と月食を引き起こすのは悪魔アスラだと言われていますが、それが「ラーフ」だとは言われていません。また、同じく『アタルヴァ・ヴェーダ』には「ラーフ」と「ケートゥ」という言葉が出てまいりますが、それと日食や月食との関係については触れられてはいないのです。 そこで想像するのですが、本来「ラーフ」というのは、悪魔(アスラ)のことなどではなく、「ナーガの頭」のことであって、「ラーフラ」というのは「ナーガの頭になる者」という意味ではなかったのでしょうか。もしそうなら、ラーフラの誕生伝説はもっと分かりやすい話になってまいります。 インドでは古来、家の後嗣ぎがないと出家はできません。出家を願っていたゴータマは、子供が産まれるのを待っていた。そこへ男子出産のニュースがもたらされ、ゴータマは「ラーフラ(シャカ族のトーテムであるナーガの頭になる者、シャカ族の指導者となる者)が生まれた」と叫び、父王スッドーダナも、その「ラーフラ」という言葉の意味を理解したからこそ、その命名を喜んで受け入れた。そして、後嗣ぎとなる男子の出産を確認したゴータマは、後顧の憂いなく、喜び勇んで出家した。これなら分かるのですが、いかがでしょうか。 では、また次回に、ラーフラの出家と、その後の生活についてお話しいたします。
紫雲寺HPへ |