仏教夜話・20

仏弟子群像(7)

釈尊の実子ラーフラ(下)

 ラーフラが出家したのは9歳のときだったと言われています。そのラーフラの歳から計算すると、それは釈尊成道後3年目のことになります。このあたりの年時に関しては定かではありませんが、釈尊が悟りを開かれた後、初めて故郷のカピラヴァストゥに帰られたときのことだと言われています。

 伝説によると、カピラヴァストゥの人々の態度は冷たく、釈尊の一行は軽蔑の目をもって迎えられました。「預言者郷里に容れられず」という言葉もありますが、洟垂れ小僧のころから知っているゴータマが、家族を泣かせて出家したあげく、仏陀になったと言っても、にわかには受け入れ難いということがあったのかもしれません。あるいはまた、シャカ族の人々は「出家修行者などコジキの仲間だ」くらいに考えていたのかもしれません。

 それはともかく、釈尊が弟子たちをともなってカピラヴァストゥに帰ってこられたときのことです。このとき、釈尊がなさったことで私たちの理解を超えることが二つあります。ひとつは、結婚式を終えたばかりの異母弟ナンダを強引に出家させられたこと、もうひとつは、幼い実子ラーフラを出家させられたことです。つまり、出家の意志のない二人を強引に出家させられ、実家の後継ぎを根絶やしになさったのですから、昨今のオウム真理教などよりいっそう過激な振る舞いとも思えます。異母弟ナンダのことはひとまずおくとして、ラーフラの出家の経緯は、こんなふうに伝わっています。

 カピラヴァストゥを行乞される釈尊の姿を見たヤソーダラー妃は、ラーフラに告げて言います。「あの方が、あなたのお父様です。あなたは家督を継ぐ者として当然受け取るべき財産を、お父様からもらっていらっしゃい」と。ところがラーフラは、父親である釈尊と対面すると、言い知れない安らぎを感じて側を離れ難くなり、釈尊が城外のニグローダ林に帰られるときに一緒に付いていってしまいます。

 財産を求め続けるラーフラに、釈尊は思案のすえ、精神的な財を相続させようとなさいます。そこで、その場でラーフラを出家させ、サーリプッタ(舎利弗)にその指導をゆだねてしまわれました。それを聞いたスッドーダナ王(浄飯王)は非常に苦しみ、今後は両親の許しのない子を出家させないでほしいと教団に伝え、釈尊はその願いを聞き届けられました。未成年者の出家に両親の許可がいるようになったのは、そのときからです。

 何とも不思議なことですが、スッドーダナ王が、跡継ぎのラーフラやナンダを教団から取り戻そうとした形跡は全くありません。これは別の話ですが、殺人鬼のアングリマーラが出家したときも、追っ手の役人たちは諦めて引き返していきます。出家した者のことは死んだものとして諦める。世俗社会と出家者たちの間には、何かそういった、現代の私たちには理解できないような確固とした線引きがあったようです。

 さて、出家したラーフラには、大変な苦労が待ちかまえていました。ラーフラは、釈尊の実子であったうえに、最高位の仏弟子であるサーリプッタから直接指導を受けるという、いわば特別待遇に浴していたからです。遠慮の裏返しや、妬みから、ラーフラには何かと風当たりが強かったことは、想像に難くありません。釈尊の実子であることを鼻にかけているとか、横着だとか、嘘つきだとか、師匠のサーリプッタを軽んじているとか、そういった告げ口が釈尊の耳にも届いてきました。そのために釈尊は心配され、何度かラーフラを呼んで教戒されております。

 ラーフラは、いわゆる複雑な家庭環境で育ちましたから、幼い頃から、人の心の動きに敏感で、精神年齢も高かったのでしょう。そんなラーフラは、他の仏弟子たちに非難の隙を与えないように、細心の注意を払って暮らすようになっていきます。後年、ラーフラは「密行第一」(戒律で定められたことを誰よりも厳密に守って実践する人)と呼ばれて、仏陀の十大弟子の一人に数えられるようになりますが、おそらくはそれも、教団内の状況が、ラーフラに戒律の墨守を強いた結果ではなかったでしょうか。

 ラーフラは釈尊の実子でしたが、仏典にはラーフラについてあまり多くは語られておりません。おそらくラーフラは、特に目立った活動もせず、ひたすら大人しく真面目に修行を続けた人だったのでしょう。かくしてラーフラは、釈尊の実子だったゆえに被った重圧に耐え、ついに聖者の域に達します。そのときラーフラは、間違いなく父親の遺産を受け継いだのです。

 ちなみに、経典を読んでいていつも不思議に思うのですが、経典中にシャカ族なりシャカ族出身者なりが手放しで褒められている文章は一カ所も見あたりません。釈尊の死後に経典を編纂したマハーカッサパ(バラモン出身の仏弟子)には、よほどシャカ族に含むところがあったのか、シャカ族がからんでくる箇所には、必ずと言ってよいほど何か非難がましいことが書かれているのです。

 たとえば、ある経典ではストレートにこう書かれています。「シャカ族生まれの人々は粗暴である。…粗野である。…軽はずみである。…狂暴である。隷属している者でありながら、バラモンたちを崇めず、重んぜず、敬わず、供養せず、尊ばない」と。シャカ族の人々は生来高慢、不遜、傲慢だと、経典のあちこちに書かれています。また、「シャカ族は、犬や野牛のように、自分の妹たちと夫婦になったものの子孫だ」という罵りの言葉も出てまいります。

 また、シャカ族出身の仏弟子に対しても、何かと難癖をつけねば収まらないようなところが見られます。アヌルッダは釈尊の説法中に居眠りをして叱られたとか、釈尊の従弟であり侍者だったアーナンダは修行を怠って釈尊在世中には悟れなかったとか、釈尊の義弟デーバダッタは釈尊の殺害を企て教団を分裂させた極悪人だとかいったことです。そういう傾向は、釈尊の実子ラーフラに対しても認められます。それは、さきほどお話しいたしましたとおりです。

 仏教の開祖である釈尊の出身種族が、仏弟子たちから軽んぜられている。これはいかにも不思議なことと言わねばなりません。そこで、話の途中ではありますが、次回は、シャカ族とは一体どういう種族だったのかということを、お話ししてみたいと思います。


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