法名 還相院 釋了然
拝啓 文知(のりつぐ)様 文知さん。これでよかったんだよね。…これでよかったんだと、わかっているけれど、やっぱり、確かめてみたくなるんだよね。…早かったものね。 実はね、文知さん。誰にも言えなかったけれど、去年の春頃から、文知さんの逝く日が近づいてきたような気が、何となくしていたんだよ。それにね、文知さんと出会う前から、こういう日が来ることを知っていたような気もするんだ。文知さんが、最後の還相の光を放って浄土に帰るとき、その大いなる仕事に立ち会って、しっかり見届ける。そういう約束だったんだよね、きっと。 だからね、文知さん。「京都の病院に入院したいから運んでくれ」と連絡をもらったとき、僕はわかったんだと思う。約束のときが来たことを。文知さんは、前世からの約束の日が来たことを、伝えてくれたんだよね。約束どおり、僕を呼んでくれたんだよね。…嬉しかったよ、文知さん。文知さんの最後の仕事を手伝えることが。 文知さん。京都で病床に伏している文知さんの枕元で、こう言ったのを憶えているかな。「…文知さん。文知さんは、僕の兄貴だけれど、僕の弟でもあるんだよね。僕らは仲間だ。…だからね、文知さん。文知さんにとってベストの道を選ぶからね、心配しなくていいよ」と。…僕は、涙を見せたくなくて、顔を背けてしまったけれど、文知さんは知っていたんだと思う…。 でもね、よかったね、文知さん。シミズ病院の清水先生と出会えたことが。食養指導の曽我部先生と出会えたことが。小牧市民病院の小林先生と出会えたことが。福井日赤の徳力先生と出会えたことが。汐見医院の汐見先生と出会えたことが。訪問看護婦の森さんと出会えたことが。そして、何よりも、自宅で最後のときを過ごせたことが。 泰郎(ひろお)君が言っていたよ。「辛かったし、悲しかったけれど、嬉しかったし、楽しかった。お父さんの世話をしながら過ごせたことが。…お父さんはすごいよね。お父さんは最高だ」と。文(あや)ちゃんも同じことを言っていたよ。文知さんのお陰で、二人は成長したよ。メッセージは伝わったよ。すごいね、文知さん。 お義父さんやお義母さんも、すごかった。あなたの妹も、すごかったよ。たいした人たちだ。文知さんも、そう思っただろう。でもね、お義姉さんは、本当にすごかったよ。あんなに文知さんを愛していた人はなかったよ。本当に、すごかった。惚れたよ。…ゴメン、惚れたなんて言葉は場違いか。…本当にすごいと思ったという意味だからね。 文知さん。文知さんがね、3月3日に逝きそうになって戻ってきたとき、実はね、誰かを待っているんだと思ったんだよ。…実際、高校以来の親友を待っていたんだよね。…会えたよね。よかったね。たいしたもんだ。…本当は、もっと早く逝くこともできたのに、文知さんは、文知さんの選択をみんなが受け入れることができるまで待ってくれていたんだよね。…文知さんらしいよね。…そんな気遣いが。 …あるいは、人は言うかもしれないけれど。文知さんが住職として始めた仕事をやり遂げさせてやりたかったと。泰郎君が一人前になるまで見届けさせてやりたかったと。文ちゃんの花嫁姿を見せてやりたかったと。…でもね、文知さん。僕は知っている。人は幾つで逝っても、何もやりのこしたことは無いということを。 文知さん。ここから先のことを、みんなに残して逝くことが、文知さんの仕事だったんだよね。そうだろう。…お同行は、文知さんが始めた仕事を引き継いで、いずれ総墓も完成するだろうし、泰郎君は一人前になるだろうし、文ちゃんは素晴らしい花嫁衣装をまとうだろう。…その全てを、僕らが見届けていくからね。約束するよ。…お義姉さんのことも心配ないよ。僕らは、みんな仲間だからね。 …文知さん。僕らは、文知さんの最後の姿に触れて、何とも言えない神々しさを感じたよ。人生って何と神々しいものかと思ったよ。有り難うね。…何もかも、有り難うね。…でもね、文知さん。…僕ら凡夫の目には涙があふれるんだよね。…ゴメンね。…きっと、また会える。今は言葉にならないことも、そのときなら話せるよね。…南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。 平成12年3月10日 初七日の夜 昇 空
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