仏教夜話・31

仏弟子群像(17)

アーナンダ(下)

 さて、今回で、アーナンダの話は終わります。

 釈尊は、アーナンダに遺言を二つ託されました。まずは、釈尊が重篤な病のなかで小康を得られたときのことです。「アーナンダよ、私が亡き後においても、自らを(此岸から彼岸に渉るための)中州とし、自らを拠り所として、他人を拠り所としてはならない。また、(普遍的な真理である)法を(此岸から彼岸に渉るための)中州とし、法を拠り所として、他のものを拠り所としてはならない」と。この遺教は「自帰依、法帰依」の教えと呼ばれています。

 もうひとつは、まさに釈尊入滅のときの遺教です。最後の別れを嘆き悲しむアーナンダたちに、釈尊は、こうおっしゃいます。「アーナンダよ、あるいは、あなたがたのなかには、こう思うものがあるかもしれない。『師の言葉は終わった。もはや、もはやわれらに師はない』と。だが、アーナンダよ、それは間違っている。私の説いた法と律とが、私の亡き後の、あなたがたの師である」と。そして、こう言葉を続けられます。「比丘たちよ、全ての現象は衰滅無常のものである。放逸(きまま)にならず精進(はげみ)なさい」と。これが釈尊最後の言葉でした。

 釈尊が80歳で入滅なさったとき、常随の待者として、その御最後を看取ったアーナンダは60歳くらいだったと考えられています。その後、アーナンダは非常に長生きし(一説には120歳まで生きたと言われています)、生涯、休むことなく教えを説き続けたと言われています。いささか妙な言い方かもしれませんが、アーナンダは、人間という仲間を愛した人でした。

 釈尊在世のあるとき、アーナンダは、釈尊に、こうたずねたことがあります。「大徳よ、よくよく考えてみますと、私どもが善き友をもち、善き仲間のなかにあるということは、すでにこの聖なる道のなかばを成就したに等しいと思われますが、このことは如何でしょうか」と。それに対して、釈尊は、こうお答えになります。「アーナンダよ、それは違う。そんなふうに考えてはならない。アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間のなかにあるということは、この聖なる道の全てである。そのように考えねばならない」と。

 釈尊は、さらに言葉を続けられます。「アーナンダよ、それは、このことを考えても解るではないか。みんなは、私を善き友とすることによって、老いねばならぬ身でありながら、老いより自由になることができるではないか。病まねばならぬ身でありながら、病に勝つことができるではないか。あるいはまた、死なねばならぬ身でありながら、死の怖れから免れることができるではないか。アーナンダよ、このことを考えてみても、善き友をもち、善き仲間のなかにあるということが、この聖なる道の全てであるという意味が解るではないか」と。

 アーナンダも、また、「善き友」でした。釈尊は、教えを聞こうと諸国から訪れる多くの人々を、分け隔てなく迎え入れられました。その師にならってアーナンダも、説法を求める人があれば、何処へでも出かけていきました。穏和で優しいアーナンダの法座には、常に多くの人々が集まりましたが、そのため、世俗の人々とかかわりすぎるといって非難する人もありました。

 『相応部』という経典に、こんな話がでてきます。「あるとき、アーナンダ尊者がコーサラ国のある林の荒れ地にとどまっていた。そのときアーナンダは、あまりにも在家の人々のことにかかわりすぎて、忙しく暮らしていた。そこで、その荒れ地に住みついている神が、アーナンダを憐れんで、彼のためを思い、そっと警告しようと近づいた。そして、こう呼びかけた。『樹木の根本の茂みのなかに進み入って、心のうちに安らぎを落ち着けて、瞑想せよ。ゴータマ(アーナンダ)よ。怠ることなかれ。がやがやおしゃべりすることが、そなたに何の用があろうか』と。そこでアーナンダは、その神に警告されて、はっと気がついた」と。

 アーナンダの日常は、それほど世俗との交わりに多忙だったようですが、そのアーナンダの世俗性こそが、後の仏教教団の発展に寄与したのだと考える学者もいます。おそらくアーナンダは、経典に伝承されているようないささか頼りない人物とは違い、世俗に流されたり、情に溺れたりして、ストレスを溜め込むような人ではなかったのでしょう。そうでなければ、120歳という高齢まで生きられたということはありえないように思うのです。

 釈尊入滅後20年ほどして、教団の後継者を任じていたマハーカッサパが亡くなると、おそらく、釈尊に親しく教えを受けた大弟子は、アーナンダ一人になったのでしょう。教団の最長老となったアーナンダは、年ごとに厭離の思いを深めていったようです。『長老偈』に、アーナンダのこんな詩があります。

 「友が世を去り、師も逝去されてしまった者にとっては、[もはや]〈身体に関して心がけること〉ほどの[良き]友は存在しない。むかしの人々は、すでに去り、新しい人々は、わたしとなじまない。今日、わたしは、ただ独り思いに耽る。雨のために巣ごもりする鳥のように」(中村元訳)と。

 伝説によれば、自らの死期を悟ったアーナンダは、ガンジス川の中州に渉り、火光三昧に入って焼身自殺を遂げたといいます。それは、ガンジス川南岸のマガダ国の人々と、北岸のヴェーサーリーのリッチャヴィ族とが、アーナンダの遺骨をめぐって争わないように、両国の境の中州で焼身し、遺骨を二つに分け与えるためだったのです。

 アーナンダは、師を亡くしたあと、仲間の長老たちにも次々に先立たれていきました。仏道の友との交わりを喜んだアーナンダにとっては、あるいは、いささか寂しい晩年だったのかもしれません。

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 さて、今回で、「仏弟子群像」の連載を一時休止することにいたします。次回からしばらくのあいだ、「おたずねに応えて」という題で、紫雲寺のホームページにお寄せ頂きました「お便り」と、それに対する「お返事」を連載いたします。これでインターネットを御利用でない方々にもお楽しみ頂けるかと存じます。どうぞ皆様も、ご意見・ご感想など、お聞かせください。合掌


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