これまで4回にわたって覚王山日泰寺に奉安された仏舎利(真骨)についてお話ししてまいりましたが、実はわが国には「仏舎利」と呼ばれているものが他にも多数あります。崇峻天皇元年(588年)3月に百済王が仏舎利を献じて以来、鑑真が仏舎利3000粒、空海が80粒、円行が3000余粒を中国から将来し、源実朝も宗から仏牙舎利(仏歯)を迎えるなど、多数の舎利が伝来しているからです。 現在、こういった献上・将来の「仏舎利」を奉祀している社寺は全国に200ヵ所ほどあります。京都市内だけでも、本隆寺塔頭玉峰院、相国寺(以上、上京区)、化野念仏寺、妙心寺塔頭金牛院、宝幢禅寺鹿王院、五台山清涼寺、愛宕寺(以上、右京区)、泉涌寺、智積院、清水寺(以上、東山区)、東寺(南区)の11ヵ寺に「仏舎利」が奉安されています。 では、どうして覚王山日泰寺の仏舎利だけをことさらに取り上げてきたのかと申しますと、それは、わが国に奉安されているものでは、この日泰寺の仏舎利だけが折り紙付きの本物(真骨)だからです。かつて東京帝国大学の長井真琴博士などが調査された結果、他の「仏舎利」は全て偽物、つまり人骨ではないと判明しています。室生寺の籾塔のように仏舎利に見立てた籾を奉安しているところもありますが、その他では、たいてい瑪瑙や石英の粒が「仏舎利」として伝わっているのです。 「聖遺物」とされているもののなかでも特に興味深いのは、神奈川県の「よみうりランド聖地公園」にある「釈迦如来殿」に奉安されている「釈尊の聖髪」です。この「聖髪」は、昭和39年9月にパキスタン(現、バングラデシュ)政府から、故正力松太郎読売新聞社社主に寄贈されたものです。外国では、ビルマ(現、ミャンマー)のラングーンにあるシエダゴン・パゴダに釈尊の聖髪8本が、また、同じくスーレー・パゴダにはセイロン(現、スリランカ)からもたらされた聖髪が祀られていますが、わが国で「聖髪」を奉祀しているのは恐らくこの「よみうりランド聖地公園」だけでしょう。 なぜこれが興味深いのかと申しますと、野暮なことを言うようですが、釈尊は荼毘に付されたのですから、頭髪など残っているわけがないからです。それにです。少なくとも悟りを開かれた後の釈尊は、終生頭を剃っておられたはずなのです。頭を丸めた姿の仏像というのは見たことがありませんが、釈尊が頭を剃っておられたということはまず間違いありません。仏教文献の最古層に属する『スッタニパータ』という経典に、そのことに関する記述が3ヵ所出てきます。 まずは、舎衛城のバーラドバージャというバラモンが、釈尊に「はげ坊主」と呼び掛けています。また、スンダリカ・バーラドバージャというバラモンは、釈尊を見て、「この方は頭を剃っておられる、この方は剃髪者である」と言っています。それに、このスンダリカの質問に応えて、釈尊自ら、「わたしは重衣を着け、家なく、髭髪を剃り、こころを安らかならしめて、この世で人々に汚されることなく、歩んでいる」と言っておられるのです。(中村元訳『ブッダのことば』,岩波文庫より)。つまり、釈尊には後に残るような「髭」も「髪」もなかったということになるのです。 とはいえ、仏髪や仏爪については、釈尊の生存中に塔を建てて奉安したものだという説もありますし、また、人骨ならぬ石英の舎利でも、白色のものを骨舎利、赤色のものを肉舎利、黒色のものを髪舎利などと呼び分ける向きもあるようですから、そういう意味では、無碍に「聖髪」を否定しないほうがよいのかもしれません。 日本のことではありませんが、聖遺物に関してはもうひとつ奇妙な話があります。スリランカのダラダー・マーリガーヴァ寺院(仏歯寺)は仏陀釈尊の犬歯を奉祀していることで世界的に有名です。この仏歯はかつて王位継承のしるしとして王宮内に奉祀されていたのですが、16世紀に異教徒を排斥するポルトガル人がこれを強奪して焼き、粉々にして海に捨てたために、大問題になりました。セイロン側は金で1億ドルというとてつもない代償金を要求しましたが、ポルトガル側はこれを拒否。ところがです。その後まもなく、セイロン側は、焼かれたのは実は偽物で、本物はちゃんと保管してあると言いだし、現われたのが現在の仏歯です。これも、いささか釈然としない話ではあります。 名古屋の愛知学院大学におられる森祖道教授は、昭和40年代の初めにセイロンに留学しておられたとき、たまたまこの仏歯寺の御開帳と巡り合わせて、「仏陀の犬歯」なるものをご覧になったそうです。以前そのときのお話をうかがったのですが、「それは人間の歯とはとても思えない代物で、言ってみれば、ピューマの牙のようなものだった」ということでした。長さが5センチもあるそうですから、確かに人間の歯ではないのでしょう。…もっとも、他人の崇拝する信仰の対象について、傍からとやかく言うのは余計なことかもしれませんが。
紫雲寺HPへ |