仏教夜話・6

世も末か

「末法思想」について

 近ごろは、「世も末だ」などという古風な嘆きをもらす人も希になりましたが、もともとこの「世も末」という言葉は、仏教の「三時説」に立脚した「末法思想」から生まれたものです。「三時説」というのは、釈尊入滅後の仏教世界の在り方を、「正法時」「像法時」「末法時」という3つの時期に分けた予言的「歴史観」でして、仏教が中国に伝わってから生まれた考え方です。いささか煩瑣になりますが、まずは知識の整理から始めましょう。

 「正法時」とは、仏の教え(教)、その教えを実践する修行者(行)、修行の証果としての悟り(証)という3つが整っている時期のこと、「像法時」とは、仏の教えと修業者はあっても、悟りを得ることのできない時期のこと、「末法時」とは、仏の教えは残っていても、修行者も悟りを得ることも無くなってしまう時期のことを言います。そしてこの、「末法時」に入ると漸次仏教が衰微滅亡していくという考え方が、「末法思想」と呼ばれているものです。

 3つの時期の年数に関しましては種々に説が別れておりますが、一般には、「正法五百年、像法千年、末法一万年」、もしくは「正法千年、像法千年、末法一万年」という説が信じられておりました。また、「末法時」が終われば、最後に残った仏の教えも滅亡して「法滅」の時期になるという説もあります。

 中国仏教徒の伝承では、釈尊の入滅を周の穆(ボク)王の52年(西暦紀元前949年)としておりますが、この説にはさしたる根拠もないようでして、どうやら、南北朝末期から隋代ころの仏教と道教の争いのなかで、老子より仏陀の方が古いということを主張するために仏教側で捏造したもののようです。ですが、中国と日本では「三時説」の起点をこの年に置いております。

 「三時説」の御家元中国では「正法五百年、像法千年、末法一万年」の説により、北斉の文宣帝の天保3年(西暦552年)に末世に入ったと考えられました。しかし、この年こそ仏教が日本に初めて伝わったとされる年ですので、これではいささか都合が悪い。そこで我が国では「正法千年、像法千年、末法一万年」の説により、平安末期の永承七年(1052年)に末法の世に入ったと考えられました。

 この「末法思想」は、当時の仏教界の堕落や、貴族社会の凋落や、様々な社会不安とあいまって現実感をともなって受け止められるようになり、末法への自覚が深まっていきました。そしてそういう社会的・時代的背景のなかで、「末世時機相応の教え」(末法の世という時代と、その時代に生を受けた人間の性質に相応しい教え)として生まれたのが、法然や親鸞などの、いわゆる鎌倉新仏教だと言われております。

 「宗教思想」というものは、いわば真理の影のようなものでして、それを映しだす社会的状況と人間の意識によって様々な外観をとるものです。同じ人の影でも、平らな壁面に映った影と、でこぼこした岩盤に映った影とでは違って見えるようなものです。本来、仏教の核には無かったはずの「罪業深重の我が身」とか「救済」とかいった考え方がこの時代に生まれてくるのも、そういった受け皿側の状況を反映したものと思われます。

 とはいえ、「念仏の教え」そのものは、親鸞聖人が「正像末の三時を越えて、全ての人々に向けられた永遠不滅の道」(『教行信証』(化身土巻)趣意)とお示しになっておられるとおり、時代と世界を越えて普遍に妥当するものです。つまり、「念仏の教え」は「三時説」から生まれ、「三時説」を超越してしまったと言ってもよいかと思います。そういう意味では、「念仏の行者」にとって、現在が「末法時」かどうかは、もはや問題ではないのです。

 仏法そのものは、三時にわたって常に存在しています。というのも、仏法とは真理のことですから、決して無くなることのない性質のものです。「法滅」の世であっても、真理は無くなるのではなく、忘れ去られるにすぎません。ですから「三時思想」のキーは専ら修行者にあると言えます。「三時説」は、「目覚め(解脱)」への情熱が人心一般に衰亡していくことを警告しているのです。

 伝統的には、修行者とは、戒律を厳守して自力の行に励む人のことを言います。ですが、本来、釈尊はそんな厳格な戒律の形式などにはさほど関心を持っておられず、むしろ解脱への真摯な情熱の持続こそを問題になさっていたようです。「倦まず怠らず」という行者の心得でも、大切なのは「倦まず」というところです。これは、「念仏の行者」にとっても同じです。

 とはいえ、解脱への真摯な情熱には、前提として人生への大疑問ないし一大反省を要します。国民の8割が中流意識を持って現状を肯定している世界で、果たしてそれほどの大疑問や一大反省を胸中に育むことができるかどうか。「心の時代」などというジャーナリスティックな戯言とは無関係に、現在が「末法時」かどうかはこの一点にかかっているように思います。


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