いま考えていること 1(1998年1月)
―― おもしろい時代がきた――

次男が立ち寄りました。「これからおもしろい時代がくるね」というと、怪訝な顔をしていますので、少し私の考えを伝えました。一言でいうと、戦後50年経って、やっと戦時から引きずってきた制度がどうにもならなくなって自己崩壊を始めたと思っています。日本の社会のいたるところに今なおみられる親分子分的村(ムラ)社会は影を薄めていくだろうと思います。郵便局の民営が議論されていますが、これだって、戦時中、国の津々浦々の庶民からも軍事費を調達する機関であった役割が、戦後、財政投融資の原資調達に化粧直しをしたのでした。この役割が有害な影響を持ち始めた現在、根本改革が必要で、今回の改革程度の手術では遠からず、農協と共に第二の崩壊が訪れると思っています。
もう一つ画期的なことは、経済の動きが地球規模になってきて、もはや一国の政府ではコントロールできなくなっていることです。日本も例外ではありえません。経済の動きは、私の専門である自然科学の分野も同様ですが、そのもの自体の運動法則に則って、動くのです。人間にできることは、その法則を読みとって、理解できる形に整理し、分析し、それからどういう手を打てばよいかを編み出すことだけです。政治も全く例外ではありません。法則を読み違え,旧来の理念で固まった頭で作戦を立てますと、作戦は狂ってしまいますから、対策は失敗します。見る目を白紙に戻して、正しく現状を反映させるようにしなければなりません。
「わかりやすくいうとこれからは、プロ野球の選手のような覚悟のいる時代や」と次男に話しました。それは、ユニークな能力を持つて仕事をするものが尊重され、高い給料にありつけ、仕事ができなくなれば相手にされなくなる時代ということです。産業政策と社会政策を区別して考えねばなりません。産業政策の上では容赦なく、絶えずリストラが行われ、一人一人のユニークな個性が尊重される時代に入るでしょう。自分をリストラしていく努力を怠れば、容赦なくはじき飛ばされて行くでしょう。それではあんまりだといっても、産業は世界的規模で競争しなければならないのですから、国内だけあるいは自分の会社、社会にだけ通じる生ぬるい産業政策を採るわけには行きません。失業問題を始めとする社会の歪みは、社会政策の問題として基本的には別途に処理しなければならない問題です。春闘に際し日経連が雇用の安定を唱えているのは、賃金を抑えるための手段です。日経連がリストラと人員整理をいわないのは不正直というべきでしょう。おかしいのです。これからは、できる人もできない人も同じで、年さえ重ねたら高くなる年功序列型給与体系も崩壊して行くでしょう。厳しい、しかし、やりがいと張り合いのある時代が来るでしょう。

この前も書きましたが、新生党というのはいったい何だったのでしょうね。古い新生党の本当の姿がはっきりしたと言う意味では分裂もよかったのかも知れません。自民党だって本質的には戦前からのイデオロギーを持った古い体質で、新生党以上に分裂しても不思議ではありません。もはやリストラのいる段階に来ていると思います。今年はいろいろの離合集散がみられるでしょう。社会の変化を、ひとつひとつの党がどのように反映していくか、そして、公金や政党助成金を巡ってどのように動いていくか、興味津々というところです。面白い時代です。

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grenz

いま考えていること 2(1998年2月)
―― 三蔵法師――

古い知り合いのH氏は長崎の方で、クリスチャンです。現在は中国ハルビンで日本語教師をされています。春節休みで一時帰国されました。

お便りを紹介しましょう。

今回は日本へ帰国の途中、古都西安や孔子ゆかりの地曲阜などを廻ってきました。感銘を受けることが大へん多かったのですが、西安で印象深かったのは有名な「大雁塔」のある慈恩寺へ行った時のことです。「大雁塔」はあの「西遊記」で有名な三蔵法師がインドから持ち帰った、経典の版木を収めるために造られた唐の時代の塔です。そこで一幅の絵を見ました。「玄奘三蔵経典を持ち帰るの図」です。
彼は26歳の時にインドへ渡り、そこに17年間滞在して仏教を学び、西暦646年に多くの経典を携えて唐の都長安に戻っています。26歳から17年間といえば43歳の働き盛りです。画かれている三蔵法師は私がアニメで見ていた姿とは全く異なって、ひげは伸び、鋭いまなざしで前方を睨むように見据えながら険しい山道を一歩一歩踏みしめて歩いていました。彼の背には頭上まで経典が積まれています。もちろん孫悟空も猪八戒もいません。「このようにして仏教はインドから中国へ、そして朝鮮半島から日本へ伝えられたのだ」とその絵を前にして非常な感銘を受けました。

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grenz

いま考えていること 3(1998年3月:10月)
―― インフレは死んだ――

R.ブートル著 高橋乗宣監訳の「デフレの恐怖」を読みました。この本の原題は「インフレーションの死」ですから、恐怖というような感じではないのです。むしろ今まで常識化してきた右上がりの神話からの脱却が必要な、転換期に来たことを告げているのです。この事態の招来は直接にはバブルの崩壊がきっかけになりました。公定歩合が0.5%に張り付かざるを得ないことが象徴的です。以前は株価が下がると公定歩合の引き下げを異口同音に唱えた新聞各紙ももはやゼロにとも言えず従来型の対策の終焉を示しています。円の為替レートが円安にぶれ、インフレ圧があるにも関わらず、物価は下がり、来年度のベースアップは最低レベルです。著者は「最も重要なのは、予算と計画は将来のインフレ率に対応している必要がある」と企業経営について述べていますが、これは政策担当者にも個人にも当てはまりそうです。政策当局が「インフレの死」を認めようとせず、なお従来のインフレ型の成長を希求しているために大きな現実とのギャップを生じ、危機と恐怖を過渡的には大きくしているといいたいようです。

ことは政策担当者だけではありません。従来型の成長経済しか知らない、わたしたち金利の低さをこぼす人間にも、たとえ高金利でも、インフレがそれ以上に進行して行くならむしろ実質的には生活の低下を受けていたのだということに気付き、早く頭を切り換えましょうと言っているのです。[1998年10月追加:最近、株も投資信託もずいぶん下がって、円建てで見ると資産が急激に恐ろしく目減りしました。私のようなものでも総資産の約15%は減ってしまいました。しかし、手持ち資産の額面が全く変わらず一定を保っていても、ロシアのようなあるいは敗戦直後の我が国も経験したような、とてつもないインフレに見舞われると、持っていたお金の購買力はほぼゼロになってしまうのです。15%の騒ぎではないのです。] この本でも年金生活者にとっては、インフレの進行とともに、ほぼ定額の年金の実質価値は下がって、被害は低金利よりも大きいと語っています。金利も、インフレのない時代では低く(高くても2―4%程度)推移しますが、インフレの死を信じない人々はインフレの復活を先行き期待するところから、実体に則さない高金利での借り入れをしてしまって大きな被害を被ることになると警告しています。國の財政も既に高金利の借り入れをしてしまっていますから、インフレなき時代を迎えて破滅的です。

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grenz

いま考えていること 4(1998年5月)
―― 遺伝子を呼び覚ませ――

筑波大学の村上和雄先生が書かれた「生命の暗号」(サンマーク出版(1997))を読み終えました。この本でもっとも印象的なのは、一つの生命体のすべての細胞核の中にある遺伝子は、どの部位にあろうと全部同じであること、それにも関わらず、各細胞はそれぞれ違った役割をするのですから、これは同じ遺伝子でも部位ごとに異なった形に活性化されている(ON)からだというのです。クローン羊は乳腺部位にあった細胞の遺伝子が分裂によって増殖し、この増殖した細胞は乳腺だけでなく、身体をつくっている各部位の細胞の役割に応じた活性化(ON)をうけて一匹の完全なドウーリーちゃんになったのです。すべての細胞の遺伝子は同じですが、どのようにONさせるかで様々な役割を分担する遺伝子として活性化されるのです。遺伝子は私たちが生きている間、休むことなく私たちの活動をすべてコントロールしています。一人の人間の髪の毛が心労で一夜のうちに白髪になるのも、今までOFFであった白髪化の遺伝子がONされたか、逆に黒髪を維持するためにONされていた遺伝子がOFFされたからなのです。簡単なしかし重要な例があげられています。
30年ほど前にパリのパスツール研究所でF.ジャコブ、J.L.モノー(1910-76;65年ノーベル医学・生理学賞)がつぎのようなことを発見しました。大腸菌は普通ブドウ糖を食べて生きています。たまに乳糖を一緒に与えても乳糖を食べません。ところがブドウ糖をやめて乳糖だけを与えると、しばらくは食べるのをやめていましたが、間もなく乳糖を食べ出して増殖していきました。問題は乳糖を消化する能力は元々なかったが緊急事態で獲得したのか、それとも元々あった能力が、緊急事態でONされたのかです。結論はそれまで隠れていた能力がONされたのだったのです。
遺伝子はDNAという二重ラセンの構造を持つ分子ですが、そこにはすべての遺伝情報が書き込まれています。そこからメッセンジャRNA(リボ核酸)が必要な情報だけを転写して作られ、これを元に必要なタンパク質やホルモン、酵素もつくられます。大腸菌がブドウ糖を食べているときは、遺伝子の一部分である調節遺伝子を転写したメッセンジャーRNAが、特殊な抑制因子タンパク質(リプレッサー)をつくり、このリプレッサーが遺伝子の一部でもある乳糖分解酵素遺伝子の先頭にあるオペレーターといわれる部分にくっついて、そこから先の乳糖分解酵素遺伝子を読めないようにしてしまっています(OFF)。大分、話が難しくなりましたが、もう少しです。ところが、乳糖をどうしても食べなければならなくなると、乳糖がリプレッサーに結合して、このリプレッサーを不活化し、そこから先の乳糖分解酵素遺伝子が読めるようになるのです。これで乳糖分解酵素遺伝子がONされたのです。
どうすれば眠っている遺伝子がONされるのか? 一つは環境の変化から来る強烈な刺激、例えば海外に留学したり、放浪したりして、受ける刺激、自分の惨めさの認識とそれから逃れようとする強烈なアクション、”もがき”があります。あるいは”身銭を切って”自分自身を真剣の場に追い込み、しかも、ギブ アンド ギブに徹することもあげられています。安易さの中にノウノウと暮らし、最近の官僚のようにテイク アンド テイクをしているようでは遺伝子のONはできないのです。昔から言われている「若いときの苦労は買ってでもせよ」という言葉も、若く心も体も柔軟な内に身銭を切ってでも遺伝子のONを計れということでしょう。正しい”ことわざ”だと思います。また、先の白髪化の例が示すように、複雑な精神活動をしている我々人間にあっては、精神活動も遺伝子のON,OFFに関係していると、村上先生は推察されています。大部分はOFF状態になっている私たちの遺伝子を、よい方向にONさせるには感動することだとも先生は言っておられます。

私たちは親から受けた遺伝の枠中にいます。受けた遺伝子のもっている情報以上のことは何もできません。それだけでは宿命論に陥ります。しかし、自分のもっている遺伝子の膨大な情報の内ほんの一部しかONになっておらず、環境の変化や心の持ち方で、多種多様に遺伝子のON,OFFが出来るということは、宿命論と訣別して、想像もできない明るい可能性を与えてくれます。

     この本には、このほかにも示唆に富む話がたくさん書かれています。お勧めします。

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grenz

いま考えていること 5(1998年5月)
―― 核実験・非難する前に――

今夜のテレビはパキスタンの核実験について非難の声を上げています。しかし、どうも問題をインドとパキスタンとの対立の枠内に、矮小化しようとしているようです。日本は経済援助の縮減を梃子として、核実験をやめるように迫りました。しかし、これはアメリカの核による脅迫をサポートするもので、もはやこのやり方は破産しつつあることを示しています。アメリカの持つ核は正しくて、他の国が持つのはけしからんというのでは, どうにもなりません。私も核実験に反対であることはいうまでもないのですが、全面的に、既に核を持っている国にも、猶予なく核の廃絶を迫るのでなく、アメリカの核の傘の中で平和を維持し、アメリカの軍事政策に協力する日本には、インドやパキスタンを非難する資格はないのではないでしょうか。21世紀を目前にして、世界は大きく変わりつつあります。アメリカの自分一人、世界の憲兵を自認する思い上がった考えは、既にイラク問題でも証明されたように、通じなくなっているのです。ヨーロッパが統合を控えて、赤字削減に成功しているのに、大赤字を抱えて会社なら更正法適用になりかねない日本が、アメリカに歩調を合わせて、経済援助で脅しを掛けるのも漫画的で、これまた思い上がりに他なりません。国民の善意の核実験反対の機運を巧みに利用しながら、相変わらずアメリカによる核をバックとした他国への脅しには、非難どころかいち早く支持を表明する政府の態度は、アメリカの「露払い」として、世界から孤立して、笑いものになることにもなりかねません。

(注)7月8日イギリスは潜水艦発射弾道ミサイル用核弾頭を200個以下にすると発表。

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いま考えていること 6(1998年6月)
―― アメリカの光と影に――

アメリカは好況が続いているといいますが、ワシントンポスト6月7日号によると、繁栄する経済の中で破産が進んでいます。法人の破産はほぼ横這いですが、個人破産が急増しています。1996年から1997年にかけて20パーセント増加して、135万人、実に70所帯につき一軒の割に上り、ことに経済ブームの最先端を行くメリーランド、ノースバージニア州では58所帯について1軒の割合になっています。米国議会でも法律の改正が問題になっています。

皮肉にも好況が人々の購買意欲をそそり、簡単に生活困窮者でもクレジットカードが持て、またガソリンスタンドやスーパーででも支払いに利用できるので、収入から見て支払いができない債務を抱え込むことになっていくのです。月収1800ドルの内、400ドルをクレジット会社に差し押さえられているという例も出ています。まして、病気や離婚のような予期しないことが起こったり、学費の支払いや子どもの養育に追われて、クレジットを利用することによって、急速にクレジット破産に追い込まれていくのです。

私もかなり月々クレジットカードで買い物をしていますが、たしかに簡単に気を許してデパートででも買い物をしています。月々のクレジットでの買い物は、コンピューターに記録して管理していますから、いくらツケができているかはしっかり把握はしています。しかし、この記事を見て、他山の石として気持ちを引き締めようと思っています。

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grenz

いま考えていること 7(1998年6月:1999年12月;2001年2月;2003年11月;2004年8月;2010年5月)
―― 男性と女性――

購読紙の1998年6月22日”オピニオン ワイド”のテーマは「日独の社会保障」でした。論説委員と日独二人の教授のディスカッションで, なかなか興味のある内容でした。日本でも導入が予定されている介護保険についてマイデル教授によれば「要介護者の50―60%が施設介護を選ぶと予想されていたが、実際は20%程度になった。在宅介護では現物給付よりも現金給付を選んだ人が圧倒的に多いが、現金給付の方が安くすむ。このため保険財政は80億―90億マルク黒字になっている。」「日本の女性団体の人から、「現金給付は、女性を家庭での介護にしばり付ける結果になり、支持できない」との意見をきいたことがある。私の見解は違う。ドイツでも在宅介護の9割は女性が担っている。無償であった家族による介護を現金給付の対象にしたのは、それが重要な「仕事」であると認めたからにほかならない。家族介護に従事している人は年金加入者とみなされ、労災保険も適用されれば保険で有給休暇も取れる。改善効果は大きい」とのことです。

         戦前日本では、女性には選挙権も与えられていませんでした。あらゆる局面で女性は男性に従属するのが当然とされていました。戦後、現在の憲法のもとで、”男女同権”は一世を風靡するスローガンとなりました。これはやっと日本も近代化されたことでもあります。男も女も同じ人間ではないかという考えが根底にあり、差別のある社会では、先ず同等であることを主張する必要があります。こういう考えも、アトミズムというのだということを社会科学の人から聞いたことがあります。
自然科学や哲学で、古代インド、ギリシャ以来原子論は長い歴史を持っています。いろいろ世の中には物質があるが、すべての物質は同質の原子でできているというのが、古代の原子論(atomism)で、たかだか原子の形のちがいを認めたくらいでした。その後、架空の原子でなく、水素こそ共通した原子の実体だとされた時代もありました。いづれにせよ多様な物質があるけれども、その本質は共通した同質の原子なのだという考えです。この同質性・共通性の側面が”男女同権”の考えにあるから、この考えがアトミズムといわれるのでしょう。
教科書には原子論はドルトンが唱えたと書いてあります。みなさんがお習いになった先生がたも恐らく強調されなかったと思いますが、ドルトンの考えが古代原子論と違う大事な点は、それぞれの元素ごとに違った原子を考えた点にあります。たとえば酸素の原子と水素の原子は違うのだと云ったことです。酸素の原子が上等で水素は下等だなどと云うことはありません。男女が一様だという面と同時に、哺乳動物である人間の、男女には、本質的なちがいがあります。動物の母親は子供が独立するまで正に母性愛で接し、指導します。この頃も人間の女性には母性愛など存在しない、それは社会がイメージした架空のものだという論調も眼にしますが、私はそうとは思いません。男女は身体的な構造のちがいだけでなく、たとえば職場に保育所をつくるという時、男性は先ず計画を点検し、設置が可能か経営にも見通しがあるかなどと考えて、結局手を着けないというようなことがありますが、女性は保育所が必要だとなると、何はともあれ先ず作ってしまいます。それから経営のことを考える、というような例に象徴される考え方・行動様式のちがいを感じられたことはありませんか。これはそれぞれの特性を示しているのです。もう一つ例を挙げましょう。語学ことに会話はどちらかというと女性の方が達者なようです。わたしはこれも女性の特徴である行動性によると思っています。初歩の段階で男性はまず頭で話す内容の吟味をしてしまって、スラッと会話しません。女性は行動性に富んでいて初歩の段階から失敗を恐れず、どんどん話すという行動に出ます。これこそ会話上達の秘訣だからです。現在も板前さんはまず男性ですが、家庭の味はおふくろの味に勝るものはありません。40年前女子大学に転じて実験を担当したとき、すぐに、一般に実験器具の扱いが男子学生ほどデリケートでないことに気付きました。板前さんの料理に必要な、デリカシーの面で女性は欠けているのではないでしょうか。永年女子大学で多くの女性と一緒に仕事をしてきた私には、男女の思考にはかなり本質的な違いがあるので、本来互いに相容れない面があると思っています。これが家庭内暴力(DV:domesticviolence)の根底的原因かも知れません。若いときにはセックスも夫婦のこういう衝突の緩和の一助にもなっているのでしょうが、最近の熟年離婚はこういう歯止めがなくなって、相容れない面が露わになるからかも知れません。この相克を克服するには、男女互いに相手を尊敬し、ベターハーフの気持ちでそれぞれの足らないところを自覚し、カバーし合う姿勢をとることです。社会生活の上で男女の差別をなくし、どちらが上でどちらが下というような認識を本当に越えたとき、原子論が近代原子論に入ったように、男女論も相違をはっきり認識した"近代"に入るのではないでしょうか。まだまだ古代アトミズムをよりどころに、男女差別をなくする運動をしなければならないところに、我が国の未熟さを感じます。在宅介護への現金給付の問題もここにひっかっかているように思います。
動物の生態などをテレビで見ていると、将来社会への男女共同参画が進んでいっても、女性の本質的なものは母性愛だという想いが私にはますます強くなって来ています。自分の子どもに対して現れるだけでなく、他の人ことに男性と共に仕事をしていくときも、ごく自然に発揮できる特性であり、社会全体を包容する温かさを醸し出せる根元的なものです。たとえて言えば「北風と太陽」の太陽の愛です。岩崎宏美さんの歌う「聖母たちのララバイ」の心境です。女性の皆さんにもどうか自覚され、誇りにされていただきたい特性です。ちなみに動物の母親が自分の子どもを殺すことは見られないといいます。社会面を見ていると動物以下の存在への人間の退化が嘆かれます。

何か深刻な問題を抱えたとき、その問題の掘り下げや受取は女性の場合男性よりも薄っぺらで緻密さ深刻さに欠けるように思います。それが女性の本質から来る強さでもあり、深刻な身体的問題を招くような事態にまで行かない原因でもあるように思います。女性は肉体的には本質的に男性よりも遙かに剛健なのですが、その一因はここにあるように思います。恵まれた性です。

(2004年8月追記)森永卓郎氏は“女性のほうが客観的に見ている。男性は「ウチの会社」というけれど、女性は「アノ会社」といいますからね。それは女性のほうが家庭や趣味など会社より以外の世界を持っているからだと思います。”といっておられますが、これと同じようなことをオリンピック女子バレーの監督柳本晶一氏からも聞きました。「バレーの講評中に女子選手は気を逸らして例えばカーテンの揺れのことなどを気にしている。真剣さが足りないと思ったことも、かってはあったが、今は女性というのは同時にいくつかのことをやれるのだと思うようになってきた。」と云われています。男性と女性の違いについて、さらにメールで練習のことを連絡する時監督は男性ですから、“事務的に時間や場所など必要なことだけしか連絡しないが、女性の場合は送ってきたメールにいわゆる「顔文字」などが書かれている。ここにも男性と女性の違いを感じる”とも話しておられます。私も長年女子大に勤めてきたのですが、学生や女性教員のものの考え方や対処の仕方で、ある種のとまどうような違いを感じていたものです。結論的には理解できない不思議な違いと思っていましたが、柳本監督は明快にこの違いを理解され、受け入れて指導されていますから、オリンピックでの女子バレーの活躍を期待できるのではないでしょうか。

(2010年5月追記) ニューヨーク在住の肥和野 佳子(ひわの よしこ)さんの『NEW YORK, 喧噪と静寂』第20回 (不定期連載)     「現代女性のトレンド〜「男のように考え、男のように振舞う」はもう古い 〜」(JMM [Japan Mail Media] No.584 Extra-Edition3所載)から一部引用させて頂きます。

 今、米国をあらわすもっとも象徴的な女性は、なんといってもミシェル・オバマだ
と思う。米国のウィキペディアによると、彼女はシカゴのサウスサイド地区の経済的
に豊かではない家庭で育ち、難しい入学試験に合格した学業成績優秀者が集まるシカ
ゴのトップ校の公立高校に入学。その後、東部の名門プリンストン大学に進み198
5年卒業。そしてハーバード大学ロースクールを1988年卒業。弁護士としてシカ
ゴのローファーム勤務時代にバラック・オバマと知り合い1992年結婚。1993
年以降は非営利団体での仕事に従事し、2006年の確定申告によると、ミシェル・
オバマの勤労所得は$273,618、バラック・オバマの米国上院議員としての勤労所得は
$157,082。

 ヒラリー・クリントンに決して劣らない経歴や潜在力を持っていると思うが、ヒラ
リーとは違って、政治の表舞台には決して立とうとはしない。キャリアウーマンであ
りながらも、女性として自然に生きている感じがする。仕事上のキャリアを積もうと
思えばやれるけど、今は家庭を大事にしたい、自分の選択でやらないというライフス
タイル。それがなんだかかっこいい。それも、またやりたくなったらいつでもやれる
というバックグラウンドや自信があってのこと。

 たしかに女性が一時家庭に入っても、また第一線に戻れる社会が米国にはある。女
性差別が少なくなり、一昔前のように、いばらの道をしゃかりきになって「男みたい
に」働く必要もない。ミシェル・オバマはそんな豊かになった女性の時代の象徴的存
在で、米国女性のロール・モデルの一つになっていると思う。「ナチュラル・フェミ
ニズム」とでも言おうか、いまのところそういう言葉は社会で使われているわけでは
ないが、いまどきのフェミニズムの風を感じる。

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grenz

いま考えていること 8(1998年7月;1999年9月)
―― 琵琶湖の危機――

水道水の泡立ちについて私が質問したところ京都市から返事が来ました。今日(7月8日)それについて次の返事を送っておきました。どうかご覧下さい。何かご意見がございましたら、ぜひお聞かせ下さい。私の見解にも誤りがあるかも知れません。

京都市総合企画局市長公室広報課 御中

   本日飲料水についての返事をいただきました。丁寧に返事をいただきありがとうございます。私は、家内の栄養剤調合のため、毎食事時に水道水150mlをメジャーカップにくみ取り使用します。その際、泡だった水が、雨のよく降ったあとなどでは、サッと消えていくのですが、暫く晴天が続いて琵琶湖の水も少し減ったようなときには、なかなか泡が消えないのです。今日などはまずまずというところです。水質基準の1/10以下ということで、一安心ですが、日照りが続くと心配です。

   また琵琶湖周辺の開発が進み、それに伴う下水処理の進度がバランスしているのか否か、またごく微量で、環境ホルモンとして女性ホルモン作用を持つとされるノニルフェノールも、ある種の陰イオン活性剤のノニルフェノールエーテルの加水分解産物ですから(化学の教科書ではエステルと違ってエーテルは加水分解されにくいということになってはいるのですが、自然界はまだまだ既知の化学を越えた反応を起こしかねない――たとえば、微生物の関与のもとで加水分解が促進されないか(これなど学位論文のテーマにもなりうる課題かも知れません)――と考える (1999年9月24日の厚生省の第8回「内分泌攪乱化学物質の健康影響に関する検討会」での報告によると、サケなど魚介類39検体中17検体から10〜723ppbのノニルフェノールが検出され、厚生省医薬品食品衛生研究所は『魚介類で検出率、濃度とも高い。原因は、魚が水中から取り込んで体内に蓄積したことなどが推定される』といっている)ので、単に洗剤で水が汚染されているという以上に、恐ろしいホルモン作用の点でも心配しています。琵琶湖の水が汚染されて結果として、京都の男性の生殖作用の低下が起こったということにでもなりはしないかということです。私は老人ですから無縁なのですが。

   参考までに申しますと、脂肪族化合物が芳香族に変化することも、普通の化学の教科書では極めて起こりにくい反応ということになっているのですが、ダイオキシンは、化学構造を考えれば、明らかに塩化ビニール、塩化ビニリデンが焼却炉の中で環化反応をしていわば芳香族化していることが推定できます。塩化ビニール、塩化ビニリデンの製造と使用を止めれば急速にダイオキシンの発生は防げますし、塩化ビニール、塩化ビニリデンの分別収集を実施して、この収集物の焼却条件は厳格な最適条件に設定して焼却を行えば防げるでしょう。

   大阪の摂南大学の宮田教授でしたかが、琵琶湖の湖底の江戸時代の層からもダイオキシンが検出されたと最近も学会で報告されたようですが、(もしこれが江戸時代にもダイオキシンが発生していたといわれるのなら)そんなことはあり得ないのです。宮田教授は江戸時代に具体的にどのような有機塩素化合物がこの関西に存在していたかを先ず述べるべきで、私はそのような有機化合物が日本に相当量存在していたとは考えられないのです。昔は各家で竈で薪を燃やして生活していたので、各家から相当な煙が排出されていたはずですが、木材の燃焼でダイオキシン禍は起こっていないと思われます。琵琶湖底の江戸時代層からのダイオキシンの検出は、湖底が静かに眠っているのでなく、拡散や拡拌が思いの外に起こっていて、その層にまでダイオキシンが入り込んで汚染が進んでいると見るべきで、ここにも自然界のすごさを見ることができます。ダイオキシンが水に溶けないから安全と、能勢町でいわれましたが、これも教科書的知識に囚われているのです。ダイオキシンは分子レベルでは水の分子の間に潜り込み、水層にも拡散すると見るべきで、我々の琵琶湖は容易ならざる事態に進みつつあると警戒するべきでしょう。ホルモンは微量で効くという教科書の記述は本当だからです。早々

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いま考えていること 9(1998年7月;2000年4月)
―― これでよいのか?医療と薬――

平成9年7月11日の時点で、我が国の医療用医薬品の総数は12,354品目(うち、内服薬7,000)ということです。木村繁著”医者からもらった薬がわかる本”所載分でも約9.500銘柄(うち、内服薬6,800銘柄)です。アメリカの お医者さんが処方の参考にするPhysicians Desk Reference(PDR)所載の薬剤は約4,000銘柄です。素人目には日本ではアメリカに比べて、使われている薬剤の種類は明らかに多いのです。

パーキンソン病患者の立ちくらみに使われているドプスを考えてみますと、この薬の構造はレボドパが体内で変化したものに相当します。私が思うのに、この米・英・独でも承認されているレボドパ分子は、吸収された後、体内で相当量はドプスに変化するのではないでしょうか。細胞膜への透過の問題については私には全くわかりませんが、共に同じように透過するとすれば、ドプスは即効性があるのかもわかりません。しかし、必ずしも必要な代替できない薬ではないのかもしれません。ドプスは米・英・独三国では承認されていません。光学異性体の分離という操作がからんでいるので、レボドパに比べるとおそらく薬価はかなり高いと想像します。こういうことが日本の医療費が高いこととも関連しているのかも知れません。アバン、ホパテなど(痴呆症の薬として1兆円近い使用が行われましたが、最近無効であることがわかり、いづれも承認を取り消されました)の例があるので、厚生省サイドの薬の承認について信頼できません。日本人は外国では使われていない優秀な薬を服用することができて幸せだとは一概には言えないような気がします。むしろ、大して必要もない高価な薬を飲まされているのかも知れません。

その反面PDRには出ているのに日本ではまだ使われていない薬があります。家内の罹っているアルツハイマー病の薬(単に脳代謝賦活剤というのでなくて)にその例を見ることができます。1993年にCognex(Tacrine)(Parke-Davisより発売)が承認されています。さらに1996年11月にAricept(donepezil)(エイザイ、Pfizer両社より発売)が承認されています。Ariceptは初期から中期に見られる症状の緩和に有効とされ、アメリカでは使用されています。

92年4月以来いわゆる「医薬品流通改革」によって医師側の薬価差益は次第に消失してきているようです。一面、製薬会社の側は銘柄を少し変えてまるで新しいタバコを売り出すように、国際的な目、科学の目から見ると益々効果の怪しい新薬を高価で売り出して儲けています。医師にもっとも大切なのは的確な診断能力や執刀能力ですが、さらに正しい薬に対する、せめて国際的に使われていないような薬についてだけでも、勉強を深め、効かない薬を使用しないようにしてほしいものです。薬価差益は次第に影を薄めると思うので、医療費体系の中に、医師としての専門能力評価を正しく位置づけるように、正面から堂々と主張してほしいものです。



私が上の記事を記してから約二年が経ちました。今朝、毎日新聞を見ていましたら“日本では2400種類処方しますが。必須薬は312種。WHOリスト翻訳”という記事が目に入りました。

「医薬ビジネスセンター」の浜六郎代表らによるWHOのエッセンシャルドラッグリストの第11版の翻訳で、「世界のエッセンシャルドラッグ」として三省堂から出版されました(A5版p.268. \1,800)。浜代表によると、“日本で97年度に100億円以上売り上げた医療用医薬品102品目のうち、エッセンシャルドラッグは38品目にとどまる。日本では薬価の高い新薬を使う傾向が強いが、低薬価の薬の方が多いエッセンシャルドラッグを使うことで、医療費抑制も期待できる。(中略)日本でしか有効とされていない薬も少なくない中、患者さんがリストにある薬の処方を求めるようになれば、日本の医療の質を向上させることにも役立つ”とも書かれています。同感です。(2000.4.15)。 

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いま考えていること 10(1998年8月;1999年4月;2000年2月;2000年7月;2001年5月増補)
―― ホームページを作ろう――

生きているということは、自己表現をすることでもあります。 歌手が歌い、小説家が作品を世に問い、私の家内が短歌作りに熱中していたのも、すべて自己表現で自分の“生”を一歩一歩確かめていたのです。仕事一途に生きてきた老人の多くはリタイヤーと共にこの自己表現の機会を失って、途方に暮れるのです。私がホームページを発表してから、まもなく一年になろうとしていますが、ホームページに何くれとなく書き付けるのも、老人にとっては簡便な自己表現の方法として嬉しいものです。しかし、ホームページが自己満足の手段であっては誰も読んでは下さいません。

書物の形ですと改定は次の出版の時を待たなければなりませんが、インターネットホームページですと、刻々改定ができます。私は今ホームページという手段でこれまでになかった出版形式が可能になったと思っています。そうしてその可能性を追求しています。従来の出版物と同様に索引を付けることにも成功しました。また注や参考資料をリンクという手段で即座に参照できるばかりか、リンク先にも独自の機能を即時に発揮させることができます。コーヒーの購入先をリンク指示できるだけでなく、そこから直ちに注文するという機能を使えます。こういう特徴も心に留めて作りたいものです。さらに一つ、それは音楽や声を組み入れてクリックしてもらうだけで、この音声を読者に聞いてもらえることです。これは普通の本では不可能なことです。
ホームページを作るためのソフトもいろいろ市販されているようですが、私のホームページは普通に使われている“秀丸エディター”を使っています。HTML文法に従って作りますが、難しいものではありません。私の考えでは市販のソフトを使うと、レディメードの制約された形式のものしかできないと思っています。自分独自の個性的なものを作ろうとすると、やはりHTML文法を勉強して、それを基礎に、自分でその応用を試みるべきだと思います。基礎こそ発展の母です。私はホームページ作成に当たっていろいろのホームページを見て、どのタイプが自分の好みに合うかをまず考えました。何を隠しましょう!私のホームページのお手本は、フレームのなかった頃の朝日新聞ホームページなのです。フレームを使わない方が画面を広く使えるからです。このホームページを出して置いてネットスケープですと「表示」−−>「ページのソース」とクリックするとお目当てホームページのHTML表示を見ることができます。こうして朝日新聞ホームページのソースを取り出し、こういうようにhtml文章で書くとインターネットではこういうように出てくるのだなと納得し、解析しながら自然にHTML文法も勉強したのです。何かHTML文法書(ホームページ辞典などと書いてあるかも知れません)を2,3冊座右に備えれば十分です。

表現手段としてはこの文法の制約を受け、書き上げたものは必ずしも読み心地のよいものではありません。読んで下さる方のことを考えて、読む立場で工夫し作るのが親切というものでしょう。

HTMLで書いた文章は、インターネット上で表示しますと、文字間隔が詰まったり、配置が変わってしまって、思っているとおりになりません。その点では<pre></pre>をうまく使うとHTML原稿が書きやすくなります。

これまでこの部分のように文章に行間がなく読みにくいと思っていましたが、少し行間を採るように改めました。
行間の設定にはいくつかの方法がありますが、私には

             <p style="line-height: (文字間隔);">
の使用が便利でした。 このホームページでは(文字間隔)=1.3にしています。詳しくは「検索」で「ホームページの行間」を検索して下さい。

  
ところどころに行間を空けることも読みやすくします。<p>を最後に置くと1行空けることができます。また、行頭も一般にはいちばん端からスタートしますが、節を変えたときなど行頭を少し引っ込めるのも見た目に読みやすくしてくれます。<table width="60" align="left"><tr><td></td></tr></table>を入れますと引っ込みます。60という数字を変えると行頭のスペースを変動させることもできます。

文字・バックの色や図柄も好きなように設定できますが、読む人の目にやさしく、読みやすいように、また、立ち上げてからできるだけ時間を掛けないで画面に現れるようにしたいものです。そうしませんと、せっかちな読者は待ちきれないで切ってしまうでしょう。いろいろと凝ったホームページも作れますが、自分だけの満足にならないように気を付けます。私は単純なものをお勧めします。そうすれば立ち上がりも早いし、改定も容易にできます。私は毎日のように小さい改訂をしています。少し頑張って、デジタルカメラで撮った画像を張り付けたり、Goldwaveで音のファイルを作成してRealAudioを使ってホームページで鳴らすことも変化をもたらしてくれます。私の第二のホームページ三高私説はその一例です。

しかし、何といっても一番大事なことは、読者に何を伝えるのか自分の語りたいその内容です。まず何を書くかしっかり計画を立てることに始まります。本を書く場合も”項立て”つまり”順序立てた項目の設定”ができれば、半ば本はできたようなものですが、それと同じことです。英語の会話と同じでI am Yamada.だけではあとが続きません。山田氏がどういうことを考え、何を相手に伝えようとしているのかその内容が大切なのです。一度見て下さった方がもう一度見て下さるための工夫も必要です。そういう意味で発展、改定の余地を、最初からあらかじめ設定しておくことも大事です。

最後にもうひとつ、内容を追加していく時に未完成で、まだ載せられないという段階があります。別の場所(エディタ)で作って完成したら切り取ってホームページの適当な場所に張り付けるという手もありますが、私はホームページそのものの上で <!-- と --> の間に書いています。この前後の記号を置いているうちは間の文章は見るときに現れません。完成したらこれらの記号を外すのです。

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