いま考えていること 1(1998年1月)
―― おもしろい時代がきた――
次男が立ち寄りました。「これからおもしろい時代がくるね」というと、怪訝な顔をしていますので、少し私の考えを伝えました。一言でいうと、戦後50年経って、やっと戦時から引きずってきた制度がどうにもならなくなって自己崩壊を始めたと思っています。日本の社会のいたるところに今なおみられる親分子分的村(ムラ)社会は影を薄めていくだろうと思います。郵便局の民営が議論されていますが、これだって、戦時中、国の津々浦々の庶民からも軍事費を調達する機関であった役割が、戦後、財政投融資の原資調達に化粧直しをしたのでした。この役割が有害な影響を持ち始めた現在、根本改革が必要で、今回の改革程度の手術では遠からず、農協と共に第二の崩壊が訪れると思っています。
もう一つ画期的なことは、経済の動きが地球規模になってきて、もはや一国の政府ではコントロールできなくなっていることです。日本も例外ではありえません。経済の動きは、私の専門である自然科学の分野も同様ですが、そのもの自体の運動法則に則って、動くのです。人間にできることは、その法則を読みとって、理解できる形に整理し、分析し、それからどういう手を打てばよいかを編み出すことだけです。政治も全く例外ではありません。法則を読み違え,旧来の理念で固まった頭で作戦を立てますと、作戦は狂ってしまいますから、対策は失敗します。見る目を白紙に戻して、正しく現状を反映させるようにしなければなりません。
「わかりやすくいうとこれからは、プロ野球の選手のような覚悟のいる時代や」と次男に話しました。それは、ユニークな能力を持つて仕事をするものが尊重され、高い給料にありつけ、仕事ができなくなれば相手にされなくなる時代ということです。産業政策と社会政策を区別して考えねばなりません。産業政策の上では容赦なく、絶えずリストラが行われ、一人一人のユニークな個性が尊重される時代に入るでしょう。自分をリストラしていく努力を怠れば、容赦なくはじき飛ばされて行くでしょう。それではあんまりだといっても、産業は世界的規模で競争しなければならないのですから、国内だけあるいは自分の会社、社会にだけ通じる生ぬるい産業政策を採るわけには行きません。失業問題を始めとする社会の歪みは、社会政策の問題として基本的には別途に処理しなければならない問題です。春闘に際し日経連が雇用の安定を唱えているのは、賃金を抑えるための手段です。日経連がリストラと人員整理をいわないのは不正直というべきでしょう。おかしいのです。これからは、できる人もできない人も同じで、年さえ重ねたら高くなる年功序列型給与体系も崩壊して行くでしょう。厳しい、しかし、やりがいと張り合いのある時代が来るでしょう。
この前も書きましたが、新生党というのはいったい何だったのでしょうね。古い新生党の本当の姿がはっきりしたと言う意味では分裂もよかったのかも知れません。自民党だって本質的には戦前からのイデオロギーを持った古い体質で、新生党以上に分裂しても不思議ではありません。もはやリストラのいる段階に来ていると思います。今年はいろいろの離合集散がみられるでしょう。社会の変化を、ひとつひとつの党がどのように反映していくか、そして、公金や政党助成金を巡ってどのように動いていくか、興味津々というところです。面白い時代です。
いま考えていること 2(1998年2月)
―― 三蔵法師――
古い知り合いのH氏は長崎の方で、クリスチャンです。現在は中国ハルビンで日本語教師をされています。春節休みで一時帰国されました。
お便りを紹介しましょう。
今回は日本へ帰国の途中、古都西安や孔子ゆかりの地曲阜などを廻ってきました。感銘を受けることが大へん多かったのですが、西安で印象深かったのは有名な「大雁塔」のある慈恩寺へ行った時のことです。「大雁塔」はあの「西遊記」で有名な三蔵法師がインドから持ち帰った、経典の版木を収めるために造られた唐の時代の塔です。そこで一幅の絵を見ました。「玄奘三蔵経典を持ち帰るの図」です。
彼は26歳の時にインドへ渡り、そこに17年間滞在して仏教を学び、西暦646年に多くの経典を携えて唐の都長安に戻っています。26歳から17年間といえば43歳の働き盛りです。画かれている三蔵法師は私がアニメで見ていた姿とは全く異なって、ひげは伸び、鋭いまなざしで前方を睨むように見据えながら険しい山道を一歩一歩踏みしめて歩いていました。彼の背には頭上まで経典が積まれています。もちろん孫悟空も猪八戒もいません。「このようにして仏教はインドから中国へ、そして朝鮮半島から日本へ伝えられたのだ」とその絵を前にして非常な感銘を受けました。
いま考えていること 3(1998年3月:10月)
―― インフレは死んだ――
R.ブートル著 高橋乗宣監訳の「デフレの恐怖」を読みました。この本の原題は「インフレーションの死」ですから、恐怖というような感じではないのです。むしろ今まで常識化してきた右上がりの神話からの脱却が必要な、転換期に来たことを告げているのです。この事態の招来は直接にはバブルの崩壊がきっかけになりました。公定歩合が0.5%に張り付かざるを得ないことが象徴的です。以前は株価が下がると公定歩合の引き下げを異口同音に唱えた新聞各紙ももはやゼロにとも言えず従来型の対策の終焉を示しています。円の為替レートが円安にぶれ、インフレ圧があるにも関わらず、物価は下がり、来年度のベースアップは最低レベルです。著者は「最も重要なのは、予算と計画は将来のインフレ率に対応している必要がある」と企業経営について述べていますが、これは政策担当者にも個人にも当てはまりそうです。政策当局が「インフレの死」を認めようとせず、なお従来のインフレ型の成長を希求しているために大きな現実とのギャップを生じ、危機と恐怖を過渡的には大きくしているといいたいようです。
ことは政策担当者だけではありません。従来型の成長経済しか知らない、わたしたち金利の低さをこぼす人間にも、たとえ高金利でも、インフレがそれ以上に進行して行くならむしろ実質的には生活の低下を受けていたのだということに気付き、早く頭を切り換えましょうと言っているのです。[1998年10月追加:最近、株も投資信託もずいぶん下がって、円建てで見ると資産が急激に恐ろしく目減りしました。私のようなものでも総資産の約15%は減ってしまいました。しかし、手持ち資産の額面が全く変わらず一定を保っていても、ロシアのようなあるいは敗戦直後の我が国も経験したような、とてつもないインフレに見舞われると、持っていたお金の購買力はほぼゼロになってしまうのです。15%の騒ぎではないのです。] この本でも年金生活者にとっては、インフレの進行とともに、ほぼ定額の年金の実質価値は下がって、被害は低金利よりも大きいと語っています。金利も、インフレのない時代では低く(高くても2―4%程度)推移しますが、インフレの死を信じない人々はインフレの復活を先行き期待するところから、実体に則さない高金利での借り入れをしてしまって大きな被害を被ることになると警告しています。國の財政も既に高金利の借り入れをしてしまっていますから、インフレなき時代を迎えて破滅的です。
いま考えていること 4(1998年5月)
―― 遺伝子を呼び覚ませ――
筑波大学の村上和雄先生が書かれた「生命の暗号」(サンマーク出版(1997))を読み終えました。この本でもっとも印象的なのは、一つの生命体のすべての細胞核の中にある遺伝子は、どの部位にあろうと全部同じであること、それにも関わらず、各細胞はそれぞれ違った役割をするのですから、これは同じ遺伝子でも部位ごとに異なった形に活性化されている(ON)からだというのです。クローン羊は乳腺部位にあった細胞の遺伝子が分裂によって増殖し、この増殖した細胞は乳腺だけでなく、身体をつくっている各部位の細胞の役割に応じた活性化(ON)をうけて一匹の完全なドウーリーちゃんになったのです。すべての細胞の遺伝子は同じですが、どのようにONさせるかで様々な役割を分担する遺伝子として活性化されるのです。遺伝子は私たちが生きている間、休むことなく私たちの活動をすべてコントロールしています。一人の人間の髪の毛が心労で一夜のうちに白髪になるのも、今までOFFであった白髪化の遺伝子がONされたか、逆に黒髪を維持するためにONされていた遺伝子がOFFされたからなのです。簡単なしかし重要な例があげられています。
30年ほど前にパリのパスツール研究所でF.ジャコブ、J.L.モノー(1910-76;65年ノーベル医学・生理学賞)がつぎのようなことを発見しました。大腸菌は普通ブドウ糖を食べて生きています。たまに乳糖を一緒に与えても乳糖を食べません。ところがブドウ糖をやめて乳糖だけを与えると、しばらくは食べるのをやめていましたが、間もなく乳糖を食べ出して増殖していきました。問題は乳糖を消化する能力は元々なかったが緊急事態で獲得したのか、それとも元々あった能力が、緊急事態でONされたのかです。結論はそれまで隠れていた能力がONされたのだったのです。
遺伝子はDNAという二重ラセンの構造を持つ分子ですが、そこにはすべての遺伝情報が書き込まれています。そこからメッセンジャRNA(リボ核酸)が必要な情報だけを転写して作られ、これを元に必要なタンパク質やホルモン、酵素もつくられます。大腸菌がブドウ糖を食べているときは、遺伝子の一部分である調節遺伝子を転写したメッセンジャーRNAが、特殊な抑制因子タンパク質(リプレッサー)をつくり、このリプレッサーが遺伝子の一部でもある乳糖分解酵素遺伝子の先頭にあるオペレーターといわれる部分にくっついて、そこから先の乳糖分解酵素遺伝子を読めないようにしてしまっています(OFF)。大分、話が難しくなりましたが、もう少しです。ところが、乳糖をどうしても食べなければならなくなると、乳糖がリプレッサーに結合して、このリプレッサーを不活化し、そこから先の乳糖分解酵素遺伝子が読めるようになるのです。これで乳糖分解酵素遺伝子がONされたのです。
どうすれば眠っている遺伝子がONされるのか? 一つは環境の変化から来る強烈な刺激、例えば海外に留学したり、放浪したりして、受ける刺激、自分の惨めさの認識とそれから逃れようとする強烈なアクション、”もがき”があります。あるいは”身銭を切って”自分自身を真剣の場に追い込み、しかも、ギブ アンド ギブに徹することもあげられています。安易さの中にノウノウと暮らし、最近の官僚のようにテイク アンド テイクをしているようでは遺伝子のONはできないのです。昔から言われている「若いときの苦労は買ってでもせよ」という言葉も、若く心も体も柔軟な内に身銭を切ってでも遺伝子のONを計れということでしょう。正しい”ことわざ”だと思います。また、先の白髪化の例が示すように、複雑な精神活動をしている我々人間にあっては、精神活動も遺伝子のON,OFFに関係していると、村上先生は推察されています。大部分はOFF状態になっている私たちの遺伝子を、よい方向にONさせるには感動することだとも先生は言っておられます。
私たちは親から受けた遺伝の枠中にいます。受けた遺伝子のもっている情報以上のことは何もできません。それだけでは宿命論に陥ります。しかし、自分のもっている遺伝子の膨大な情報の内ほんの一部しかONになっておらず、環境の変化や心の持ち方で、多種多様に遺伝子のON,OFFが出来るということは、宿命論と訣別して、想像もできない明るい可能性を与えてくれます。
この本には、このほかにも示唆に富む話がたくさん書かれています。お勧めします。
いま考えていること 5(1998年5月)
―― 核実験・非難する前に――
今夜のテレビはパキスタンの核実験について非難の声を上げています。しかし、どうも問題をインドとパキスタンとの対立の枠内に、矮小化しようとしているようです。日本は経済援助の縮減を梃子として、核実験をやめるように迫りました。しかし、これはアメリカの核による脅迫をサポートするもので、もはやこのやり方は破産しつつあることを示しています。アメリカの持つ核は正しくて、他の国が持つのはけしからんというのでは, どうにもなりません。私も核実験に反対であることはいうまでもないのですが、全面的に、既に核を持っている国にも、猶予なく核の廃絶を迫るのでなく、アメリカの核の傘の中で平和を維持し、アメリカの軍事政策に協力する日本には、インドやパキスタンを非難する資格はないのではないでしょうか。21世紀を目前にして、世界は大きく変わりつつあります。アメリカの自分一人、世界の憲兵を自認する思い上がった考えは、既にイラク問題でも証明されたように、通じなくなっているのです。ヨーロッパが統合を控えて、赤字削減に成功しているのに、大赤字を抱えて会社なら更正法適用になりかねない日本が、アメリカに歩調を合わせて、経済援助で脅しを掛けるのも漫画的で、これまた思い上がりに他なりません。国民の善意の核実験反対の機運を巧みに利用しながら、相変わらずアメリカによる核をバックとした他国への脅しには、非難どころかいち早く支持を表明する政府の態度は、アメリカの「露払い」として、世界から孤立して、笑いものになることにもなりかねません。
(注)7月8日イギリスは潜水艦発射弾道ミサイル用核弾頭を200個以下にすると発表。
いま考えていること 6(1998年6月)
―― アメリカの光と影に――
アメリカは好況が続いているといいますが、ワシントンポスト6月7日号によると、繁栄する経済の中で破産が進んでいます。法人の破産はほぼ横這いですが、個人破産が急増しています。1996年から1997年にかけて20パーセント増加して、135万人、実に70所帯につき一軒の割に上り、ことに経済ブームの最先端を行くメリーランド、ノースバージニア州では58所帯について1軒の割合になっています。米国議会でも法律の改正が問題になっています。
皮肉にも好況が人々の購買意欲をそそり、簡単に生活困窮者でもクレジットカードが持て、またガソリンスタンドやスーパーででも支払いに利用できるので、収入から見て支払いができない債務を抱え込むことになっていくのです。月収1800ドルの内、400ドルをクレジット会社に差し押さえられているという例も出ています。まして、病気や離婚のような予期しないことが起こったり、学費の支払いや子どもの養育に追われて、クレジットを利用することによって、急速にクレジット破産に追い込まれていくのです。
私もかなり月々クレジットカードで買い物をしていますが、たしかに簡単に気を許してデパートででも買い物をしています。月々のクレジットでの買い物は、コンピューターに記録して管理していますから、いくらツケができているかはしっかり把握はしています。しかし、この記事を見て、他山の石として気持ちを引き締めようと思っています。
いま考えていること 7(1998年6月:1999年12月;2001年2月;2003年11月;2004年8月;2010年5月)
―― 男性と女性――
購読紙の1998年6月22日”オピニオン ワイド”のテーマは「日独の社会保障」でした。論説委員と日独二人の教授のディスカッションで, なかなか興味のある内容でした。日本でも導入が予定されている介護保険についてマイデル教授によれば「要介護者の50―60%が施設介護を選ぶと予想されていたが、実際は20%程度になった。在宅介護では現物給付よりも現金給付を選んだ人が圧倒的に多いが、現金給付の方が安くすむ。このため保険財政は80億―90億マルク黒字になっている。」「日本の女性団体の人から、「現金給付は、女性を家庭での介護にしばり付ける結果になり、支持できない」との意見をきいたことがある。私の見解は違う。ドイツでも在宅介護の9割は女性が担っている。無償であった家族による介護を現金給付の対象にしたのは、それが重要な「仕事」であると認めたからにほかならない。家族介護に従事している人は年金加入者とみなされ、労災保険も適用されれば保険で有給休暇も取れる。改善効果は大きい」とのことです。
戦前日本では、女性には選挙権も与えられていませんでした。あらゆる局面で女性は男性に従属するのが当然とされていました。戦後、現在の憲法のもとで、”男女同権”は一世を風靡するスローガンとなりました。これはやっと日本も近代化されたことでもあります。男も女も同じ人間ではないかという考えが根底にあり、差別のある社会では、先ず同等であることを主張する必要があります。こういう考えも、アトミズムというのだということを社会科学の人から聞いたことがあります。
自然科学や哲学で、古代インド、ギリシャ以来原子論は長い歴史を持っています。いろいろ世の中には物質があるが、すべての物質は同質の原子でできているというのが、古代の原子論(atomism)で、たかだか原子の形のちがいを認めたくらいでした。その後、架空の原子でなく、水素こそ共通した原子の実体だとされた時代もありました。いづれにせよ多様な物質があるけれども、その本質は共通した同質の原子なのだという考えです。この同質性・共通性の側面が”男女同権”の考えにあるから、この考えがアトミズムといわれるのでしょう。
教科書には原子論はドルトンが唱えたと書いてあります。みなさんがお習いになった先生がたも恐らく強調されなかったと思いますが、ドルトンの考えが古代原子論と違う大事な点は、それぞれの元素ごとに違った原子を考えた点にあります。たとえば酸素の原子と水素の原子は違うのだと云ったことです。酸素の原子が上等で水素は下等だなどと云うことはありません。男女が一様だという面と同時に、哺乳動物である人間の、男女には、本質的なちがいがあります。動物の母親は子供が独立するまで正に母性愛で接し、指導します。この頃も人間の女性には母性愛など存在しない、それは社会がイメージした架空のものだという論調も眼にしますが、私はそうとは思いません。男女は身体的な構造のちがいだけでなく、たとえば職場に保育所をつくるという時、男性は先ず計画を点検し、設置が可能か経営にも見通しがあるかなどと考えて、結局手を着けないというようなことがありますが、女性は保育所が必要だとなると、何はともあれ先ず作ってしまいます。それから経営のことを考える、というような例に象徴される考え方・行動様式のちがいを感じられたことはありませんか。これはそれぞれの特性を示しているのです。もう一つ例を挙げましょう。語学ことに会話はどちらかというと女性の方が達者なようです。わたしはこれも女性の特徴である行動性によると思っています。初歩の段階で男性はまず頭で話す内容の吟味をしてしまって、スラッと会話しません。女性は行動性に富んでいて初歩の段階から失敗を恐れず、どんどん話すという行動に出ます。これこそ会話上達の秘訣だからです。現在も板前さんはまず男性ですが、家庭の味はおふくろの味に勝るものはありません。40年前女子大学に転じて実験を担当したとき、すぐに、一般に実験器具の扱いが男子学生ほどデリケートでないことに気付きました。板前さんの料理に必要な、デリカシーの面で女性は欠けているのではないでしょうか。永年女子大学で多くの女性と一緒に仕事をしてきた私には、男女の思考にはかなり本質的な違いがあるので、本来互いに相容れない面があると思っています。これが家庭内暴力(DV:domesticviolence)の根底的原因かも知れません。若いときにはセックスも夫婦のこういう衝突の緩和の一助にもなっているのでしょうが、最近の熟年離婚はこういう歯止めがなくなって、相容れない面が露わになるからかも知れません。この相克を克服するには、男女互いに相手を尊敬し、ベターハーフの気持ちでそれぞれの足らないところを自覚し、カバーし合う姿勢をとることです。社会生活の上で男女の差別をなくし、どちらが上でどちらが下というような認識を本当に越えたとき、原子論が近代原子論に入ったように、男女論も相違をはっきり認識した"近代"に入るのではないでしょうか。まだまだ古代アトミズムをよりどころに、男女差別をなくする運動をしなければならないところに、我が国の未熟さを感じます。在宅介護への現金給付の問題もここにひっかっかているように思います。
動物の生態などをテレビで見ていると、将来社会への男女共同参画が進んでいっても、女性の本質的なものは母性愛だという想いが私にはますます強くなって来ています。自分の子どもに対して現れるだけでなく、他の人ことに男性と共に仕事をしていくときも、ごく自然に発揮できる特性であり、社会全体を包容する温かさを醸し出せる根元的なものです。たとえて言えば「北風と太陽」の太陽の愛です。岩崎宏美さんの歌う「聖母たちのララバイ」の心境です。女性の皆さんにもどうか自覚され、誇りにされていただきたい特性です。ちなみに動物の母親が自分の子どもを殺すことは見られないといいます。社会面を見ていると動物以下の存在への人間の退化が嘆かれます。
何か深刻な問題を抱えたとき、その問題の掘り下げや受取は女性の場合男性よりも薄っぺらで緻密さ深刻さに欠けるように思います。それが女性の本質から来る強さでもあり、深刻な身体的問題を招くような事態にまで行かない原因でもあるように思います。女性は肉体的には本質的に男性よりも遙かに剛健なのですが、その一因はここにあるように思います。恵まれた性です。
(2004年8月追記)森永卓郎氏は“女性のほうが客観的に見ている。男性は「ウチの会社」というけれど、女性は「アノ会社」といいますからね。それは女性のほうが家庭や趣味など会社より以外の世界を持っているからだと思います。”といっておられますが、これと同じようなことをオリンピック女子バレーの監督柳本晶一氏からも聞きました。「バレーの講評中に女子選手は気を逸らして例えばカーテンの揺れのことなどを気にしている。真剣さが足りないと思ったことも、かってはあったが、今は女性というのは同時にいくつかのことをやれるのだと思うようになってきた。」と云われています。男性と女性の違いについて、さらにメールで練習のことを連絡する時監督は男性ですから、“事務的に時間や場所など必要なことだけしか連絡しないが、女性の場合は送ってきたメールにいわゆる「顔文字」などが書かれている。ここにも男性と女性の違いを感じる”とも話しておられます。私も長年女子大に勤めてきたのですが、学生や女性教員のものの考え方や対処の仕方で、ある種のとまどうような違いを感じていたものです。結論的には理解できない不思議な違いと思っていましたが、柳本監督は明快にこの違いを理解され、受け入れて指導されていますから、オリンピックでの女子バレーの活躍を期待できるのではないでしょうか。
(2010年5月追記)
ニューヨーク在住の肥和野 佳子(ひわの よしこ)さんの『NEW YORK, 喧噪と静寂』第20回 (不定期連載)
「現代女性のトレンド〜「男のように考え、男のように振舞う」はもう古い
〜」(JMM [Japan Mail Media] No.584 Extra-Edition3所載)から一部引用させて頂きます。
今、米国をあらわすもっとも象徴的な女性は、なんといってもミシェル・オバマだ
と思う。米国のウィキペディアによると、彼女はシカゴのサウスサイド地区の経済的
に豊かではない家庭で育ち、難しい入学試験に合格した学業成績優秀者が集まるシカ
ゴのトップ校の公立高校に入学。その後、東部の名門プリンストン大学に進み198
5年卒業。そしてハーバード大学ロースクールを1988年卒業。弁護士としてシカ
ゴのローファーム勤務時代にバラック・オバマと知り合い1992年結婚。1993
年以降は非営利団体での仕事に従事し、2006年の確定申告によると、ミシェル・
オバマの勤労所得は$273,618、バラック・オバマの米国上院議員としての勤労所得は
$157,082。
ヒラリー・クリントンに決して劣らない経歴や潜在力を持っていると思うが、ヒラ
リーとは違って、政治の表舞台には決して立とうとはしない。キャリアウーマンであ
りながらも、女性として自然に生きている感じがする。仕事上のキャリアを積もうと
思えばやれるけど、今は家庭を大事にしたい、自分の選択でやらないというライフス
タイル。それがなんだかかっこいい。それも、またやりたくなったらいつでもやれる
というバックグラウンドや自信があってのこと。
たしかに女性が一時家庭に入っても、また第一線に戻れる社会が米国にはある。女
性差別が少なくなり、一昔前のように、いばらの道をしゃかりきになって「男みたい
に」働く必要もない。ミシェル・オバマはそんな豊かになった女性の時代の象徴的存
在で、米国女性のロール・モデルの一つになっていると思う。「ナチュラル・フェミ
ニズム」とでも言おうか、いまのところそういう言葉は社会で使われているわけでは
ないが、いまどきのフェミニズムの風を感じる。 |
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