いま考えていること 145(2003年08月)
――この国に生まれた喜び――

年に一度のNHK古典芸能鑑賞会を今夜は楽しむことができました。世の中はデフレや不景気で人々の気分や顔つきまでとげとげとしくなって大変ですが、この国にはそういうことには気を取られないで、自分の気に入った芸能にすべてを注ぎ込んでいる方がまだまだ大勢おられて、素晴らしい芸能の美しさと喜びをみんなに伝えていて下さることを知ることができるのは本当に嬉しいことです。これこそ文化というものでしょう。その芸能がまたいろんな意味で外国の古典音楽・芸能に、聊かもひけを取らないレベルのものであることは嬉しい限りです。聴き、観るだけで至福の思いが立ち込めてきます。アジアの端の日本では世界の優れたグルメが洋の東西を問わず濃縮され日本化もされて充ち満ちており、日常的に楽しめるのですが、同じように各地の芸能もこの国に辿り着いてそれ以上に拡散する場を見いだせないままに沈殿し洗練されて花と開いたのではないでしょうか。舞楽などにもシルクロードの芸能の精髄が感じられて、むしろ大陸的なおおらかな雰囲気が、空気が、今なお漂っているのですが、世界各地に発する芸能が日本というこの世界のある意味での端まで来て、それ以上に流れるところを見出されなくて沈殿し、発酵して独自のある種の完成を見たのかも知れません。ともかく今夜のNHK古典芸能鑑賞会は嬉しく見させて頂きました。この年になるとこういうものに出会えることが生きていることの喜びでもあります。 

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いま考えていること 146(2003年0*月)
――教育大学附属小学校――

今日は大阪教育大学付属池田小学校児童殺害事件の被告、宅間守被告に死刑の宣告があった日です。

私は昭和16年の京都府師範学校附属小学校の卒業生ですが、深く心に刻み込まれた思い出があります。現在の京都教育大学付属小学校が私の卒業した附属小学校の後身なのですが、現在の校舎は私が4年生の時に新築されたものです。入学したときは古い木造の校舎でしたが、老朽化したので建て直されたのです。その前後のことと思います。近くにあった市立第二室町小学校の外壁もかなり傷んでいたのですが、「ボロ学校、ボロ学校」と叫びながら、私たち付属の子供はこうもり傘の先でこの壁を突き刺し壊し歩いたものです。今思えば鼻持ちならない一種のエリート校意識のなせる技でした。この記憶が私の心の傷になっているものですから、子供たち3人を付属に入学させる気持ちはありませんでした。私自身、地域の小学校から離れた附属小学校に通うので地域の子供達とは交流がなく、孤立し、同じように附属に通う子供達とだけしか放課後帰ってからも付き合いがありませんでした。地域との交わりは老年になった今でも未だに希薄です。私の子供はみな地域の小学校に通わせ、「雑草のように逞しくなってくれ」と念じていたのです。今の付属の子供達はもはや変わっていて逞しいかも知れませんが、実際私の同窓生達を観ていますと例外はもちろんありますが、少し世間的にはひ弱い人が多いようにも感じます。大学教授にでもなるのならこのひ弱さもあまり障害にはならないかとは思いますが,普通の職業に就いて世間を渡っていくにはややひ弱な感じがします。何しろ6歳の子供のことですから、入学に附属を選んだのは親であり、私の親などは附属に子供を入れたことに世間に対するある種の満足感、優越感があったことは否定できません。この優越感が子供にも自ずから伝染し、その結果が「ボロ学校」と言いながら市立の小学校の塀を壊すような子供を産み出したのだと思います。

確かに.「附属」は師範学校や国の新しい教育の試みの実験・実習校として大きい意味を持っていたことは否定しません。私たちの時代には小学校から国民学校への変貌の時代で、一般の学校より一年ばかり早く国民学校化が計られ試験的に実施されましたし、その少し前には「綴方運動」が実践されていたように思います。この仕事に応えられるベテランの先生方が附属にはおられることも事実です。しかし何といっても教育の一番のキーは子供自身です。今回の大阪教育大学付属池田小学校事件も含めて附属に通う子供達というものに親の妙なエリート意識が背景になかったかどうかどうしても気になるところです。子供の大きな悲劇の背景に。

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いま考えていること 147(2003年09月)
――年金改革の方針――

来年度の年金制度見直し時期を控えて、新聞などでも年金制度の論議がよく見られるようになって来ました。私見を述べてみます。

現在のわたしの生活を見ても中心は年金収入です。わたしは1954年に私学共済制度が始まったときから加入している”第一期生”ですから、当時はまだ受給者はなく、年金掛け金は膨大な資金として蓄積されていきました。この年金積み立ての膨大な原資としての魅力から、多くの私大で当初私学共済に加盟することなく独立した年金計画と徴収が行われたものです。この試みはやがて各私大で運用の行き詰まりを迎え、なにがしかの基金を納付して私学共済に横滑り加入していきました。共済組合が競うように各地に立派な保養所・宿泊所を開設したのはこの資金運用目的からでした。その内に施設の利潤で皆さん方の年金はカバーするので安心ですという声も聞かれたのです。注目してほしいのはいまのように現役世代の納付金で退職者の年金という前提はなかったことです。いまはこの立派な施設が重荷になり二束三文で売り払われる例さえ見られるのですから、誠に今昔の感に堪えません。

かなりの年金をこうしていまわたしなどは受け取っているのですが、以上のような経緯からは当然のことだと思っています。問題はこれからの世代の年金です。事情はすっかり変わりました。ソ連邦の崩壊で資本主義諸国も最大の弱点であった社会保障で、ソ連にひけを取らないようにという様な考慮はもうしなくても良くなりました。我が日本では戦後蓄積してきた国家の冨はすっかり食いつぶしてもはや破産状態です。デフレのままでも仮にインフレに移っても膨大な低金利の国債を抱えていますから、事態の深刻さは深まるばかりです。ですから国家に税金を原資に年金を給付させることはもはや不可能です。消費税を財源にしても消費税増税を常に準備しなければなりません。坂口さんなどはいまのやり方を基本的に守る姿勢のようですが、それは無理でしょう。国民年金の掛け金を納めない人が増え、私的年金保険に加入している人の保険料控除を国民年金納付済を条件にしようとする動きもあるようですが、おそらく保険業界を代表する自民党族議員の反対で実現しないでしょうし、何とも手段が姑息に見えます。

21世紀日本の制度はすべて「少子高齢」を前提に置かなければならないことはいま考えていること 62(2001年01月)−21世紀を迎えて−これからの日本−−で指摘したことですが、率直に「これまでの国民年金制度はもはや少子化で維持できない」と宣言するのが先決だと思います。それではその代わりをどうするのか国民全体で考えましょう。住民基本コードも正式に発足しています。プライバシーが脅かされるなどといっていますが、インターネットの懸賞など大抵家族が何人かとか、既婚か未婚かとか凡そプライバシーに属する情報を提供して初めて応募できるのが普通です。それには喜んで情報提供する人も多いのです。膨大な資料・データを処理する手段をコンピューターによって獲得したいま、これを賢く活用しない手はありません。幽霊口座問題など金融機関で口座を開設するのに住民基本コード番号の提示を条件にすればよいのです。各人の口座はすべて住民基本コード番号で管理すればよいのです。納税も現在使っている納税者番号を住民基本コード番号に吸収してしまえばよいのです。きっと脱税者は減るでしょう。国に隠さなければ危険な個人情報は思想・信条・宗教等でしょう。健康情報は先刻医療保険を通じて国に告知しています。何でも住民基本コードは悪であるという考えは頂けないのです。国民年金についてもこの住民基本コード番号で各個人別の納付金総額を管理し、それに見合う給付を将来個別に支給すれば良いのです。納付最低額を決めてそれに上積みは自由にさせるのです。たくさん国民年金をほしい人はせっせと若いときから納付するでしょう。この提言はスエーデンの年金方式からヒントを得たものです。いまのように学生から老人まで貧富に拘わらず定額を納付させるのがそもそも間違いです。国に余裕ができてきたら税金でさらに補助して多くの年金給付をすれば信頼は増し、年金積み立てを納付する人は黙っていても増えます。破産した国から自分は納付もしないで恩恵を引き出すことは手品でなければできないことです。自民党総裁選を前に依然として赤字国債を出して、そのお金をばらまく思想の人が立候補していますが、あれが古い自民党の思想です。日本を破産に導きました。

(9月5日追記)今日発表された坂口厚生労働相の「有限均衡方式」は147兆円の年金積み立てを既に生まれている世代が年金受給を終えるまで約95年間食いつぶして支給して行くと言うのですが、それ以後は年金支給を廃止することを前提にする考えです。また一端この財産ともいうべき年金積み立てに手を着けるとおそらく、なし崩しに食いつぶす速度は速まり、目論見通りには維持できないでしょう。147兆円の資産の運営を真剣に検討実行しその果実をさらに未来のために資産に上積みする発想がなぜないのでしょうか。この様なことは家計の運営でも同じことです。財産があるからといって食いつぶす家は早晩家そのものがつぶれるのです。坂口さんの考えには年金制度を発展させる思想のかけらも見られません。もう少し年金制度を発展させ、納付金をみんなが明るい希望を持って喜んで納付する方策を出してほしいものです。わたしは坂口さんの退任を求めます。 

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いま考えていること 148(2003年09月)
――山本三三三さんのこと――

International Rubber Science Hall of Fame (国際的ゴム科学の栄誉殿堂)は、1958年にアクロン大学に設立されました。この殿堂に飾られているのはゴムのような性質を持つ材料についての理解を深めた研究者か発明家ですが、いずれもノーベル賞クラスの人達です。 日本人では東京都立大学の故山本三三三(やまもとみさぞう)(1928〜1974)教授だけで、1977年に選ばれておられます。雑誌レオロジー (Vol.6 No.43)にも「ワイセンベルグ効果について」という総説を田村幹雄,倉田道夫,小高忠男の諸氏と共に発表されていますが、聴くところではゴムはなぜ伸びたりちぢんだりするのかというもっともゴムの性質の基本を先生は研究・発表されたと聴いています。先生の研究は幅広く、日本物理学会50周年記念号(第51巻2号)(1996)にも相模中研の和田昭允氏が「生命の分子物理的背景−−近代的“生命論”の胎動−−」のなかで、物理学者には三つの態度があったと言うHans Frauenfelderの見解に照らし合わせて「物理から生物に転向することなく物理学教室に留まって物理学者として活発に仕事をしながら、物理学と生物学との間に橋を架ける努力をした」人々の一人として山本三三三の名前を挙げておられます。日外アシストの[WHO]は現在、約47万人が収録されており、毎年約2万人、約20万文献ずつ増えて行くデータベースなのですが、2003年9月現在この山本三三三先生のことは収録されていません(このことを日外アシストに連絡し、ぜひ入れてほしいと申し入れました。11月もう一度見てみましたら収録されていました。「昭和49年5月14日没(46歳 急性肺炎) 没地:日野市の石塚病院」とも書かれています。合掌)

三三三という珍しいお名前は先生が昭和三年三月三日にお生まれになったからだといいます。わたしが大学に通学していた頃はまだ唯一の交通機関は市電でした。家に近い停留所から毎朝乗るのですが、良く一緒になる方に子供の時にポリオでも患われたのかすこしからだが不自由で、絶えずといっても良いほど体を動かされる人が同じ停留所から電車に乗られるのでした。言葉を交わすのでもなく、ただこの体の動きから印象に残る人でした。

わたしは後年有機化学を専門分野としましたが、卒業研究は生物化学田中正三教授のところで稲熱病菌の代謝に及ぼす亜鉛イオンの影響を調べました。卒業後は膳所高校(当時の大津東高校)次いで同志社高校に勤務しましたので、菌の培養施設はなく、培養1サイクルが8日掛かるので高校勤務者には培養を伴う仕事は不可能でした。田中教授に相談しましたら、量子化学教室の山本常信教授に頼んであげるからその教室の員外研究員になってはとのお言葉でした。わたしの学生の時はまだ化学教室に量子化学教室はなく、量子化学の講義は物理教室から小林稔教授が出講されておられました。山本教授の着任は真新しいことでした。同志社高校には当時週1日の研究日があり、出校しなくても良く自由に研修できる日があったのです。員外研究員も1年間京大では簡単に許可してくれ、当時は費用は何も要らない制度でした。図書室や教室の器具などが自由に使えました。思えば貧しくても恵まれた時代でした。いまこうして書いていますと本当にわたしはいろんな方のご好意とご指導をフルに受けて今日まで生きてきたのだなとの感慨に浸されます。

そこでいま思えば図々しくも山本教授のお宅に伺い、入門をお願いしました。快くお認めいただけ、教室に伺いますとポーリング ウイルソンの「量子力学序論」を山本講師の指導の下で勉強するようにとのことでした。当時は原子軌道法が主流で、この本は名著の評判の高い本でした。山本講師の下に出向くと、驚いたことにあの停留所で顔を合わせていた体の不自由な学生の方でした。その時初めて三三三というお名前も知りました。話されることも時に聴き取りにくいのでしたが、量子力学の素人のわたしにも親切に熱心に指導して下さいました。量子力学序論には多くの演習問題が出ていて毎週この問題をいくらか解いて研究室に出かけていき、三三三さんのチェックを受けるのです。かなり大変でしたが、一年ですべての問題を終わりました。この研修のおかげでその後怒涛のように有機化学に入り込んできた量子力学の流れも何ら恐れることなく消化できました(この研修の自信から分子軌道法に従ったCoulson のVALENCEも学習できました)。ありがたいことです。三三三さんは東京のあの幽霊の画の収集で有名な谷中のお寺、全生庵の息子さんだとも仄聞しましたが、その関係からか当時は臨済宗大徳寺の黄梅院に下宿しておられました。私の家から大徳寺は近く、ときには黄梅院に押しかけたこともあります。勉強が済むと時にはレコードを聴かせて下さいました。シベリウスの交響曲2番も初めてそこで聴いた記憶があります。お寺のことですから古い和箪笥が三三三さんのお部屋にもあったのですが、その引き出しの中にびっしりとレコードが入っていました。体の不自由な方でしたが、暗いところは全くない方で、化学教室でも昼休みなどは率先して芝生に出られ、バドミントンをなさるのでした。

お世話になったにもかかわらず、その後員外研究員も辞め、いつとなく三三三さんとも疎遠になっていきましたが、結婚もされ、東京都立大学の助教授になられて京都を離れられたと聴いてから、病気でお亡くなりになったと人づてに聞いたのもそんなに時間のたたない時だったように思います。わたしより1歳の年上ですから、まだ生きておられても不思議でなく、さらに立派なお仕事を広い分野で積み上げられたことでしょう。お体は不自由でしたがすごい頭が回転しておられたのです。本当に惜しいことですが40台の若さで亡くなられても不滅の栄誉を世界のゴムの殿堂に輝かせておられます。先生は全生庵で眠っておられます。  

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いま考えていること 149(2003年09月)
――総裁選!勝負あった――

今朝の新聞一面は「野中氏引退表明」がトップ記事でしょう。昨夜の野中氏の会見をテレビで見てから、今度の自民党総裁選挙は「勝負あった」と思っています。最大派閥橋本派の藤井氏が勝つのなら野中氏は引退どころか大目付として郵政民営化を阻止し、派内の厚生族の意見を取り入れるよう影響を発揮するはずですから、藤井氏の敗退を見通しての引退としか言いようがありません。それよりもこれだけ小泉氏を敵視すること自体、既にこれまでの派閥単位の利権構造がかなりダメージを受けていることの表明だと思います。小泉さんの政策も靖国問題やイラク問題で完全には支持できないのですが、経済構造の転換の面や派閥構造や特殊法人も含めて自民党の利権構造へのメスという点ではかなり進んでいると思っています。国家社会主義の整理も進み、国民の間に政府依存の空気もかなり薄くなってきたのは成果です。気力のある会社は会計面の改革などで追いつめられたからでしょうが、社内の構造を改革し、政府に依存するのでなく世界を視野に入れた新しい路線を辿り始めています。株価の持ち直しもこれが日本経済の復活や米国経済の復活を意味するものではなく、薄氷を踏むようなものではありますが、一部の会社には株価が上昇しても当然な自己改革の裏打ちがあります。わたしは今後の内閣改造で竹中さんが残るかどうか注目していますが、平成の日本の苦難を乗り越えた功労者の一人に竹中平蔵の名前が残ると思っています。内閣改造後も残したい人です。

高村さんは頭も良く、全く支持できない人ではないのですが、やはり旧来の自民党路線の人であり、しかも党内基盤が薄い方です。勝利は考えられません。亀井さんの無い袖を振って10兆円の予算上積みしか考えられない古さは、小泉改革で痛手を負っている地方の党員でさえ将来のインフレ不安、増税不安を感じざるを得ない路線ですから、この方の勝利も考えられません。小泉さんに新味はありませんが、現在の改革路線を続けるといいます。すっと理解は得られないのは世の常ですが、かなり小泉改革の意味するものは国民の間にも浸透し理解されてきています。

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いま考えていること 150(2003年09月)
――小泉新内閣概想――

たった今新閣僚の発表があったばかりの段階で、頭を駆けめぐった感想を書き留めておこうと思います。「いま考えていること 149」に記した様な考えで改造を注視していましたから、竹中さんが両ポストに留任されたことは、小泉路線が基本でゆるんでいないものと見ます。まして石原さんが国土交通相に就任されたことは総論でなくて道路改革の各論を責任ある立場で自ら処理されなくてはならなくなったという点で、「石原さん!大変ですね。しかしこれをどう裁いて行かれるかであなたがさらに自民党らしからぬ成長をされるかどうかの正念場ですから頑張っておやりになりますように」と申したいところです。郵政改革の牙城総務省に麻生さんが入られたのも、小泉さんの改革へ広範な人々の結集を意図されていることの現れと受け取っています。財務相に谷垣さんを据えられたのも谷垣さんのオールラウンド能力を生かそうとされる好判断と思います。小泉さんには人を見る目があるなと思っています。女性閣僚を相当数任命されたのも時代に相応しいご決断です。

坂口さんについては「いま考えていること 147―年金改革の方針--」に書いた見方をしていますので「どうかこれから柔軟に考え直して下さい」と言いたい所です。積立金を食いつぶすのでなく、資金として運用してその果実を年金財政にプラスする発想と、国民年金掛け金を強制的に払わせる発想ではなく払えばそれに見合う有利な果実が享受できるような制度、たとえば平等な最低掛け金以上に払える様にし、払った金額に見合う年金を一人一人に個別に付加して支給するようにされてはと思うのです。払った方が結局得なのだと納得の上喜んで払う制度を考えてほしいと思うのです。

総合的には党役員の入れ替えも含めて、今回の改造はわたしの意に叶った改造です。

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