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いま考えていること 62(2001年01月;2002年2月)
――21世紀を迎えて−これからの日本――

親父と同じだけ生きられたとしてももう残り少ない人生ですが、21世紀を迎えられたことはとても嬉しく思っています。これまでの経験、特に、戦前の軍需産業を軸とした日本経済の在り方が、革命的に占領軍の命令のもとで反論の余地もなくくつがえって社会制度も抜本的に変わり、その中で未曾有の困難を切り抜けながら作り上げてきた経済大国への歩みを振り返って一言、今世紀への基本設計を考えて見たいのです。

21世紀の日本は少子高齢化を動かせない条件として設計せざるを得ません。すでに生産年齢(15才〜64才)人口は減少に転じています。総人口も2007年をピークとして減少に転じると推定されています。2つの道が考えられます。幸い現在の貿易黒字と対外投資の黒字を見ても期待できますように、後戻りということがない技術の高度な発展にさらに努力するならばこれをベースにしてかなりの外国からの収入を期待できます。

しかし国民の数が減るということは、これまで通りのいわば右肩上がりの成長を意図しても、やはり成熟から衰退への変化を覚悟しなければならないということです。今まで通りの経済発展を前提として国民の数を確保しようとすれば、外国の人を国民として受け容れ、いわばアメリカのような多民族国家に変わることを是とする態度が要ります。自分の都合だけの一時的な労働者の受け入れでは高度な教育と技術を持った人材の協力は期待できないし、社会不安を増幅しかねません。平等な日本国民としての受け容れを許し、ペルーのフジモリさん(この方は農業大学の学長も勤められたインテリでもあります)のように将来はその人たちの中から大統領をも選出するくらいの気構えでなければなりません。「天皇を中心とした神の国」思想など成り立つ余地はありません。

もう一つの道は、終戦の時のように、根本的に頭を切り換えて国民の数の半減を前提にして新しい設計図を描くことです。経済は縮小を前提にしこれまでの対外蓄積をも基盤の一つとしてカウントし、取り崩しながら設計するのです。わたしの青年期は終戦後という特殊な事情はありましたが、鉄道運賃はただ同然で、国立大学なら学費も極めて安く、奨学金をもらい授業料の免除を受ければ、お金のない私でも大学へ行けたのです。おそらく今よりも経済的には楽でした。経済発展は必ずしも生活の向上を意味しないというのはこういう経験からいうのです。住宅問題でも国民の数が減ればおそらくもっと良い住居で住めると思います。土地の値段も下がっていくでしょう。最近小学校の1クラス定員を20名に減らしていくことが発表されています。これなど少子化のプラス面の走りになるでしょう。人口面からの国力の衰退をカバーするために教育の良質向上を図り、能力のある人にその能力を発揮させ,使える英語教育にも力を入れて国際的にも活躍する人材の育成に力を注ぎましょう。後進国なみの意識で、危機に追い込まれた日本人が高度の技術水準を確立するように励めば、国際的にも尊敬され、固有の高い文化も保持できて精神的にも豊かな生活が確保できるでしょう。I T 化という強力な手段も20世紀の末に持つことができています。人口面での衰退はかっての日本のような他国侵略の野望も持てなくするでしょうから近隣諸国の見る眼も変わってきます。おそらくアジアでは中国が巨大な発展を今世紀は実現するでしょうが、軍事力を始めとする国力で中国に対抗しようとするのは自らを危うくするもとです。軍事力がなく軍需産業を基盤としなくても科学技術や産業を発展させうることは敗戦後50年の経験が実証しています。発想をこれまでの経済発展を是とする思想から切り替えて、人口減少を大前提とした新しい設計に経済専門家も尽力して欲しいものです。

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いま考えていること 63(2001年01月)
――成人式――

NHKが成人式について意見募集していたので、応募しました。要旨つぎのようなものです。

成人式は私の記憶では元々昔の元服の儀式にヒントを得たものと理解しています。元服は男子だけで、頭に冠をいただくという意味のものでした。これはいずれは家督を継ぐあるいは一家を創設する人間としての認定でありました。成人式が戦後できてからも、憲法上は無くなった家族制度は一朝一夕では無くなるものではありませんから、昔の元服の意識が2,30年前までは若い人の間にも生き残っていました。戦後50年もはや完全に家族制度は崩壊し、インターネットで「成人式」を検索してもでてくるのは、貸衣装店と美容院、写真館です。若者にとってはこれからはおおっぴらに酒も呑める記念すべき日以外のものではありません。きらびやかな貸衣装を多くは親の負担で着飾れ、美しい自分を写真にとって記録しておく記念日なのです。ところが式を主催する側は、依然として上に書いたような元服式の発想を持っているから、その食い違いが次第にはっきりした形で顕在化してきたのです。こう考えると、もはやこれまでの形の”成人式”を挙行するのは無理があります。まして以前は無かった携帯電話も、若い人にとって放せないものになっています。今年のような混乱“成人式”にどのような意義がありましょう。ますますこの乖離は大きくなっていくに違いありません。

私は成人式は廃止するときが来たと思います。

新しい提案は、森首相流に老人介護をはじめ例えば公園の掃除でもよろしい当日社会奉仕を義務づけることです。多くはボイコットしておそらく参加者はいないでしょうが、参加した人にはその後でパーティを催して、挨拶やお説教抜きにご馳走とお酒を出して祝ってあげることです。(注:この提案が噴飯ものというのなら、なぜ小・中・高の学生諸君には奉仕活動を義務づけることを自民党は提案するのでしょう?)

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いま考えていること 64(2001年02月)
――外交機密費――

実は今のことは分からないから的はずれなことを書いているのかも知れません。

この話は今から40年ほど昔の話です。当時はまだ「あの人は“元子爵”だ、“元男爵”だ」という囁きが日本の社会に活きていました。その頃東大の優秀な学生が外務省に就職しようと志しても、あきらめていくということがありました。今よりももっともっと貧しく、給与も少なかった時代です。外務省に入って将来大使になれたとしても、時には華やかな社交の場にも出席せねばならないのですが、とても同伴の奥さんにイミテーションでない宝石を付けさせるような収入は外務省の給料からは得られず、旧良家のお嬢さんを娶ることが必要だったようです。こういう条件を満たせる男性は限られており、彼自身が旧華族でも無ければそういうお嬢さんとの結婚の見通しは着かなかったので、外務省就職をあきらめたのです。外務省だけではありません。日本を代表する商社でも当時の給料は一般よりも低かったのです。勤めている人の多くは資産を持ち、商社からの給与は小遣い程度にしか考えていなかったからです。中にはペーパー カンパニーを自分でも経営して、商社に納入される品物を形の上で通過させて、ちゃっかり利潤を稼いでいる例もありました。

このところ内閣機密費が大きい問題になり、大使館の機密費も「SF(スペッシャル ファンド)」として裏金化され、大使個人の経費として使われていると報じられています(毎日新聞夕刊2001年1月31日)。この問題も、あるいは40年ほど昔、さらには戦前からの伝統の名残のような気がしてなりません。河野外相のいう松尾室長個人の汚職事件では無いと思います。一度抜本的に外務省のシステムを見直さねばならない時期を迎えているのでしょう。

民主主義を基盤とする国だというのなら、ごく普通の優秀な学生が外務省に入り、外国ででも手腕を振るえるように、財産や閨閥から自由になれることが必要なのかも知れません。ある国ではストラディバリウスが優秀なヴァイオリニストに生存中貸与されるように、外務省でイミテーションでない宝石を保有し、外国在任中は貸与し、帰国すれば返還させるようなシステムもいるのかも知れません。

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いま考えていること 65(2001年02月)
――G7共同声明をどう受け止めるか――

イタリア・パレルモで開かれていたG7財務相・中央銀行総裁会議は今朝方終わりました。日本に対しては、デフレによる景気下ぶれの懸念が残っているとして金融緩和政策による潤沢な資金供給と不良債権の抜本処理・金融機関の体質強化など金融面での努力が求められたといいます。従来財政面での景気対策が求められてきたのとは路線の変更が見られます。

詳報がなく、簡単に結論をいうことは出来ませんが、いま考えることを記しておきます。現在、来年度予算の審議中で、KSD問題や森さんのゴルフ会員権問題なども置き去りにして予算通過が「錦の御旗」ですが、この予算はこれまで通りの経済回復への財政出動予算の性格です。今回のG7の結論はこれまでの財政出動が失敗したとのお墨付きの面を持ちますから、本来もう一度政府でも見直して審議にかけなければならないのではないでしょうか。今審議されている予算案では経済の立ち直りは失敗するでしょう。

デフレによる経済そのものの縮小とG7からいわれても、それ以上に国民の数の減少に伴う経済縮小は不可避ですし、必ずしも悲観的なことではありません。いま考えていること 62(2001年01月)−21世紀を迎えて−これからの日本−もご覧下さい。

G7で金融緩和政策をといわれても、現在すでに史上見られない公定歩合の低水準ですから、アメリカのような公定歩合の引き下げは出来ず、高々最近日銀が実施したような銀行への緊急融資を可能にする程度のことしか出来ないでしょう。銀行に不良資産の抜本処理をやる気は見られず、一番警戒しなければならないのは、「自分に都合の良いようにG7の結論をねじ曲げること」だと思います。一つだけ指摘しましょう。不良資産がデフレによって増大していくから、人為的にインフレ率の目標を定めて日銀にインフレ政策を執らせるようというのがそれです。デフレに向かっていること自体、長期に渡る預金者無視の低金利政策と陰でのインフレ指向の金融政策の結果、物価の低下が起こって実質上金利を高め補正しつつあるのだとも考えています。これまでの金融機関の動きを見ていると、「バブルは崩壊したが、そのうちまたインフレになって負債の重みが縮小し元に帰れる、それまでの辛抱だ」と考えているように見えます。建設・流通など産業界の「癌を抱えた」部門も同様です。

G7の結論を自分の都合の良いようにねじ曲げさせないで、まともな形で不良資産を精算させ、痛みと出血を伴っても思い切ったリストラ策を実行に移していかないと、出口は永久に閉ざされてしまうでしょう。政治の目的の重点をこのリストラに伴う“ひずみ”へのセイフティネットを用意することに転換させることです。そのための社会政策実施の為への一時的な赤字の増大は仕方がないでしょう。

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いま考えていること 66(2001年03月:4月)
――政治の現状――

誰が見ても森政権はどうしようもなく末期にきています。最大の原因は首相としてまったく失格の方が、最終的な決定権を行使しているところにあります。私たちの世代は昭和の半ばまでの恐ろしい経験を味わっていますから、決して政治は不要だとは思っていませんし、むしろ政権の大切さ、怖さを身にしみて体験しているので関心は高いのです。その能力や見通しの面で現内閣の閣僚すべてに失望しているのではありませんが、ことに財務大臣に高齢の宮澤さんを担ぎ出しているところに、自民党に人材が欠如していることの象徴的な現れを見ます。

野党に目を向けると最大野党の民主党も元の社民党や社会党の寄り集まりで、政策的にその方針がもう一つはっきりしませんし、その体質も信じられません。党首鳩山氏にも人間としての魅力、強力なリーダーシップは窺えません。自由党は基本的には自民党と連立していたことでも分かるように、その本質は自民党と共通するものがあり、さらに右寄りですし、小澤氏の性格は人望を持てる方とは思えません。共産党は財政面でも財界から独立し、政党助成も受けずにやっているのですから、立派なものですが、基本的に政策は社会主義的ですから、現状資本主義体制下での政策としては直ちに受け容れられないものがあります。問題点をはっきりさせる意味と平和と国民生活を守る視点には共感しますから、選挙で私は投票しますが、共産党に政権を持たせる気にはなれません。体質的に社会主義であった国々で、画一的な面や汚職を伴いがちな機構面での官僚制を感じるので、自由を最大に尊いものと考える私には共産党だけに政治を任せる気にはなれません。野党に信頼を託せないところに自民党を延命させているのかも知れません。野党がもっといつでも政権を担える姿勢と実力を持っておれば良いのですが、現状は批判勢力以上のものではありません。

このように考えてくると、現状私は残念ながらどこにも託せる勢力を見出せないのです。嗚呼。

追記:3月11日とうとう野垂れ死にという例を見ない終末を森さんは迎えることになりました。村長クラスの森さんでしたから、こういう最後も当然でしょう。いよいよ後をどうするかという段階です。先にも書いたように有効な解決の目途はないのですが、下馬評にも上っている小泉氏はあまりにもエクセントリックですし、野党も含めみなさん“人間が甘い”という点では合格の方は見いだせません。苦労人で実力でたたき上げてきた方という点だけから考えると、さしあたっては野中氏というところでしょうか。天皇制への回帰とそれを前提とした改憲論者石原慎太郎氏は、この点では推せない人ですが、データの豊富さと判断力の素晴らしさという点では余人の近寄れないものが見られます。ただ、もはや政党人ではありませんから今の制度では首相にはなれません。

再追記:4月12日森首相があまりにも無能だったので、国民の間にも自民党総裁選での後退に期待を持つ空気があります。しかし冷静に考えるとこれは幻想にすぎません。橋本、小泉、亀井、麻生の四氏が自民党総裁選に立候補しました。これを受けて今夜はNHKでも、ニュースステーションでも四氏の討論が聞かれました。明日は立会演説が聞かれます。今夜の話を聞いた率直な感想。橋本氏はかっての総理時代とやはり人柄は変わられてはいません。やはりボンボンで独りよがり。自分の意見を説教調で押しつける癖は変わっていません。その意見というのが妥協的で明確な哲学は窺えません。小泉氏は調子は良いが、緻密な分析とその上に立った緻密な立案能力がなく、亀井氏は旧態依然として旧雷の利権勢力の擁護と無意味な財政の投入しかできない経済政策で、頭を振るわせながら熱弁を展開しますが、この人には問題の根元をつかむ能力は見られず国の再生は任せられません。麻生氏は未知数の要素が大きいのですが、実務家らしい現実味があります。総じてこの程度の人々しか総裁=総理の候補が見られないのが自民党の現状であり、寂しいことです。少なくとも橋本・小泉・亀井の三氏では先も暗いことで、正に自民党政治の末路を感じさせました。

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