いま考えていること 189(2004年10月)
――義務教育費補助金の返上――

◆三位一体の改革で、補助金の3兆円削減を迫られた知事たちは中学校教員の給料の補助返上を梃子として国からの財源移譲を提案しています。

◆先ずはじめに義務教育の「義務」の性格をはっきりさせておきましょう。国に子供を教育する義務があるというのではありません。憲法26条2項前段によりますと「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」とあります。また後段で、義務教育は無償とすると定められています。就学に必要な費用全般が無償かというとそうではなくて、無償の対象範囲は判例によると「授業料」であり、私立学校では学校教育法で授業料の徴収が認められています。つまり保護者には子供に教育を受けさせる義務があり、その義務を私学で果たそうとすれば授業料負担をしなければならないということで、必ずしも公立の学校に就学させることではありません。カリフォルニア州では日本のように役所から就学通知が来るのではなく、親の責任で公表されている学校情報を調べたり自分で学校を見学して選び、親の責任で学校に登録する必要があるということで、親の義務という点がはっきりしています。またアメリカ全土一律と言うことではなく、州によって法律・制度も独自だといいます。

◆日本のロダンと言われた朝倉文夫先生には、現在舞台芸術家として世界中で活躍されている朝倉摂さん、彫刻家として有名な響子さんというお二人のお嬢さんがおられます。
文夫先生は文部省の決めた画一教育を受けさせると才能を枯渇さえてしまうとのお考えで、お二人の教育は自ら雇われた家庭教師に委ねられ、学校には行かせられなかったのは有名な話しです。国家の度重なる就学勧告も聞かれずこういう形で親の義務を果たされ、お二人は共に豊かな個性を開花されました。基本的には義務教育はこういう形でも良いのだと思います。ただ経済的に一般の家庭ではこういう徹底した形は取れませんから、公教育あるいは私学教育に義務教育の具体化を肩代わりしてもらっているのだといえるでしょう。

◆現在の憲法にはその第26条に教育について書かれており、先に書いたような義務教育についての明文がありますが、旧帝国憲法には教育についての既定は見られません。では義務教育段階で教育しなければならないのは何でしょうか。旧憲法下、私の受けた教育の柱は「君たちは天皇陛下の赤子(セキシと読む)である」でした。天皇を父母にたとえ、君たちはその子供であると徹底して教え、正に国家の方針を叩き込むところに義務教育段階の最大の目的がおかれていました。現在の国歌・国旗をシンボルとする公教育にもその名残が漂っています。
新島襄のはじめた同志社にも、ちかじか小学校が設立され中学校と共に同志社の精神に則った教育が始まる予定です。新島は「(同志社の)目的とするところは独り普通の英学を教授するのみならず、その特性を涵養し、その品行を高尚ならしめ、その精神を正大ならしめんことを勉め、独り技芸才能ある人物を教育するに止まらず所謂良心を手腕に運用するの人物を出さん事を勉めたりき。而して斯くの如き教育は、決して一方に偏したる智育にて達し得可き者に非ず。唯だ上帝を信じ、真理を愛し、人情を敦くする基督教主義の道徳に存することを信じ、基督教主義を以て徳育の基本と為せり。」と述べていますが、新しく始まる小学校教育においてもこの精神が貫かれていくことでしょう。戦争中同志社の武道場に、初めはなかった神棚を祀ったことは今なお同志社の根幹に突きつけられた国家の強圧に屈した歴史としてその良心を苦しめるものなのです。

◆2004年5月25日づけの中教審初等中等教育分科会教育行財政部会・教育条件整備に関する作業部会の「義務教育費に係る経費負担の在り方について」(中間報告)の中に義務教育の意義として挙げられているのは(1)国家・社会の基礎となる国民教育としての意義(2)国民の教育を受ける権利の最小限の保障(ナショナルミニマム)としての意義の2項です。私はことに第1項は戦前の初等教育を思い起こさせるもので、中教審の人たちには戦前の亡霊が今なお復権を狙ってとりついているようにさえ思えるのです。憲法に書かれているように国が義務として教育を施すのではなく保護者(一般的には親)が子供に義務として教育しなければならないのですから、義務教育の目的は、人間として生きていく時基礎的に必要なものを身につけさせることで、その教育原理はユニバーサルなものでなければならないのではないでしょうか。子供は将来必ずしも日本国民で在り続けないかも知れませんが、終生人間として在り続けるのですから。
この点では現在批判の的になっている教育基本法は「(教育の目的)第1条 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。(教育の方針)第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。」としていてユニバーサルであり、新島襄が同志社の理念としたのも万人の上帝に起源するユニバーサルなものでありました。ヨーロッパにEUが現実のものとなる現代です。先ず必要なのはすべて人間は共通した人類観を共有することです。人間は平等に神の子であるというキリスト教の考え方が民主主義をはじめ近代思想というもののベースになっていることは否定できないでしょう。敗戦後辿ってきた現代日本のベースにもこの考え方があり、だからこそ人民こそが国家の主権者であるという認識があるのです。日本には未だに「君が代」の亡霊が生き続け、折に触れて復活の機を窺っているように思えます。最早世界を無視した忠君愛国の時代ではありませんから、教育はこの普遍的な原理に沿ったものでなければなりません。

◆現在「三位一体の改革」で全国知事会は中学校教員の給与補助金の返上・一般財源化を提起し森氏を初めとする自民党文教族・文部官僚の反対が巻き起こっていますが、この知事会の提起は単に公共事業では削減が難しいのでとか、文科省と総務省との主導権争奪戦というようなものではなさそうです。全国知事会の会長梶原拓氏の言い分(日経2004/09/11記事)を摘記してみます。
「文科省からカネが出る以上、今後も自治体教育に拘束を加えてくる可能性は残る。これが根本の問題だ。補助金そのものをなくしたい。」
「三兆円という規模に答えると言う側面はあるが、地方でできることは地方で、と言うのが基本。数合わせだとの批判はいかがなものか。以前から義務教育は地方分権の重大テーマ。」
「我々は一期、二期に分けて考えている。取り敢えず一期目は中学校。・・・中学校を先行させるのは、中学と高校は法律上は中等教育として一括されているから。先ず中学校でやり、反対論者が言う問題が本当に起こるのか、見てみたい。すべて杞憂だとは思うが」
「今は国家教育から自治体教育へ移行の時代だ。教育委員会は国家教育を地方まで貫徹するのに都合の良い制度で、廃止しても良いと思う」
「過去の経緯を見ると、1985年から教職員の旅費や教材費が、04年度からは退職手当などが一般財源化された。恩給や共済関係の国の負担率は二分の一から三分の一になったあと、一般財源化された。流れは一般財源化と補助率カットだ」
「そういう状況を考えると、財務省の予算査定権に委ねるより、個人住民税の税源移譲で自主財源を確保しておき、不足分は交付税措置で賄った方が安心だ。義務教育費が減ることはない。心配なら、一定基準を設けて財源保証すると法律で規定すればよい」
「岐阜県は東京モデルでなくて世界モデルの教育を目指す。英語教育では幼稚園に特別助成を行い、県立学校のパソコン普及では国の目標を4年前倒しで達成した。どこの県も税源移譲で、そういうことを自由にやりたがっている。最低水準は維持した上で、自治体は教育内容で競争すべきだ。どんどん進む地域も出れば、遅れる地域も出るだろうが、これは格差ではなく、競争原理で生まれる多様性だ。結果を判断するのは選挙民。これが市民政治だ。文部科学省の官僚が中心の義務教育を、市民の意見が反映される義務教育に移行させたい」

◆発足時の教育委員会制度では教育委員は公選制でえらばれ、正に親や地方の人々の意向を教育に反映させるために生まれたものでした。それが政治の反動化とともに国家の意向を徹底するための行政機関に転化して実質「教育方針徹底課」になっているのです。こういう意味で私は本来の意味での教育委員会制度の復活が望ましいと思っていますが、概して梶原知事のご意見に賛同します。義務教育が「保護者の義務」であり公教育はその代行者である認識に立ち返りたいものです。公教育に満足できない保護者は自分の信念に沿って、朝倉先生のように自分で教育の場を与えるか、主旨に賛同できる私立学校に入学させれば良いのです。この場合は授業料は自分で負担する覚悟が前提になります。学内上級校への進学特権など考えると、税金からの私学助成は基本的にはおかしいのです。

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いま考えていること 190(2004年10月)
――地震の予知――

今日もまた大きい余震が新潟を襲いました。地震予知連絡会などというものがありますが、余震の予知も含めて今回の惨事には全く無力でした。連絡会会長の発言も「自然は息をしているのでリズムがあり、激しく息をするときには激しい余震があり。次第に息も静まっていくので余震も静まる」という程度のことしか出てこないのです。これは自然の前に人間能力の無力の宣言であり、自然の摂理を自然なものとして受け入れようというだけのことです。実際人間の現在の能力はこの程度のものなのだと思います。会長の発言も誤っているとは思いません。私たちは科学を過信してはならないということです。

科学研究費をはじめ研究助成を受けようとすると、その研究が具体的にどのような効用を社会にもたらすかということを声高にアピールしないと今の世の中では駄目ですから、地震研究で研究助成を得ようとすると、研究者は本心、予知の不可能なことを十分知っていても、「この研究で地震の予知が可能だ」ということをアピールしようとする面があります。今回の地震も阪神大震災も凡そ地震の予知は現段階では不可能だということを立証したのです。

研究というものは必ず短距離的にプラスの効果をもたらすものでなく、100の内の1つが成功すれば「御の字」だと思わなくてはなりません。地震「予知」連絡と言う言葉が世間の人たちにとんでもない先見を与えているのかも知れません。私たちは科学の能力、科学というものの具体的な貢献を近視眼的に評価してはならないのです。一見「無駄な」科学への投資が長い目で見て人類社会に貢献するのだというおおらかな取り組みと評価がこの行き詰まるような世知辛い現状の中でこそ必要なのです。地震の地味な研究への投資は必要なのです。

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いま考えていること 191(2004年11月)
−−香田さんの事件に−−

今回の事件はイラクが決して安定した情勢にないことを教えてくれました。暫定イラク政府の治安能力の程度も分かるというものです。日本政府は自衛隊の派遣は人道と復興支援のためだということを「錦の御旗」にしていますが、香田さんの首がアメリカ国旗に包まれていたことはイラクの武装勢力の中には、日本はアメリカと一体あるいはアメリカの一部だというくらいの意識があることも示しています。昨日のサンデープロジェクトでも香田さんの事件が取り上げられていましたが、議論の中で給水施設等は最早イラクの人々でも操作できる段階だから、自衛隊のイラク撤退も考えてよいのでないかという提案に対し、驚いたのは自民党の平沢勝榮氏が「自衛隊の輸送機だけは残して」という主旨の発言があったことです。正に「衣の下の鎧」が出てきたと言うべきで、自衛隊機派遣がどうして人道支援なのでしょう、アメリカ軍の輸送支援ではありませんか。今朝の新聞には「イラクの人々のために自衛隊による人道復興支援を行い、断固たる姿勢でテロとの戦いを継続する」との首相声明も見られますが、靖国神社問題といい、この声明といい、小泉さんの頭の固さが窺われます。自衛隊撤退期限の12月14日の更新も、この論理で行くとスッと行われそうですが、これでは何故当初駐留期限を設けたのか全く無意味になります。明日の大統領選を控えて、小泉さんの振る舞いにも結果を日和見している風が窺われますが、ブッシュ再選となれば、ためらうことなく追随をつづけるでしょう。もっとも10月30日発行のJapan Mail Media に掲載された第169回『from 911/USAレポート』(冷泉彰彦)によるとむしろケリー有利が窺われるのですが。

香田証生さんについては、残念ながらイラクの情勢分析の甘さ、自分の行動に対する甘さを思わざるを得ません。極言すれば『身から出た錆び』なのでしょう。合掌。先日のアメリカの遺体発見に見られた政府の混乱とアメリカの情報の杜撰さにはあきれさせられます。日本は完全にアメリカに舐められています。香田さんの遺体の搬送も米軍に依頼していて、早急な搬送はできないようですが、自衛隊の輸送機が何故使えないのでしょうか?輸送機は米軍の輸送のためにしか使えないのでしょうか?理解できないことがボロボロ出てきます。

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いま考えていること 192(2004年11月)
――米大統領選終わる――

2004年11月4日4時過ぎに目覚めてラジオのスイッチを入れると、ケリー氏がブッシュ氏に敗北の電話を送り、大統領選はブッシュの勝利となったと話していました。昨日の報道ではオハイオが決まらず「暫定票」の確認に相当な日数が必要とのことでしたので驚きました。

これまでもこの「いま考えていること」欄で何回かワシントンポスト−ABCの世論調査結果を紹介してきましたが、そこでもアメリカの人たちは本質的に保守的で、自国中心の考えも強く、僅差ではありますが、ブッシュ優勢を示していると書いてきました。ケリーはカソリック信者ですが、「リベラル過ぎる」という世論調査結果も見られました。妊娠中絶や同性婚の問題でもケリーはこれを認める姿勢(ケリーも同性婚には反対でしたが、ブッシュ提案のこれを憲法に明記することには反対でした)でしたから、カソリック神父までケリーへの聖体拝受拒否、ブッシュ支持を説教しているとのテレビ報道も見られました。ブッシュ陣営は宗教の上からもこういう点を利用して広範なアメリカ国民の結集に成功したものと思われます。

わたしはブッシュの落選を願ってはいましたが、ケリーに期待を抱いていたのでもないのです。イラク戦争開始時の国際法を無視した行動から始まって、今日に至るまでのイラク情勢、また、イスラエルへの異常な肩入れは世界に難問を突きつけているのですが、解決策の提示もなかったケリーが大統領になったからといってどうなるものでもないからです。アメリカ対世界の問題へのこれまでのブッシュ政権の態度は、やはりアメリカの50%を越える多くの人たちの世論をバックにしたものであることを選挙結果は明らかにしました。残念ながら世界に対する誤ったアメリカの姿勢は、今日のアメリカ全体がその責任を負わなければならない性質のものでしょう。世界の悲劇はまだまだ続き、イラク問題をはじめ深刻な問題をブッシュ大統領にも問い続け、彼もその解決に苦渋する日々が続きます。ベトナムの時に見られたようなアメリカの戦略の抜本的な見直し、あるいは貿易収支を中心とするアメリカ経済の深刻な行き詰まりに直面しないと終わらないのではないでしょうか。ブッシュの哲学は変わるとは思えませんから、アメリカ国内の今回選挙で見られた分裂はとても修復されるとは考えられません。理念ではなく現実が突きつけてくる課題にアメリカがどう答えていくかが鍵だと思います。何しろテロはその根源にある社会的問題、政治的問題を解決しない限り、なくならないのです。ブッシュのテロ撲滅の声、軍事力への信仰が誤りであることにアメリカの人たち自身が気付く日が来ない限り、現在の混乱はなくならないのです。

わが国経済界の本日の発言や株価の動きを見ていますと、ブッシュ再選歓迎の空気が強いのですが、安心ばかりというわけにはいかないのです。私たち日本国民も小泉さんが今まで通り無批判にブッシュ大統領との蜜月をつづけることを許していると、戦争への協力の危険を避けることはできません。世界からの孤立を深め、気がついたらブッシュ−小泉−ブレア−による世界秩序の誤った認識と破壊に手を貸していたことにならないように、政治を見つめ、声を上げつづけなければなりません。

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いま考えていること 193(2004年11月)
――災害と住宅再建――

昨日からNHKは『新潟地震1ヶ月』の24時間キャンペーンを展開しました。神戸の震災でも問題になったことですが、個人の住宅再建と公的補助が大きい問題になっていることが分かりました。国としては私有財産への国からの補助はできないというのが原則であるというので、再建は個人の問題とされています。住宅は不動産として売買の対象でもあり、公費で補助できないのは分かります。しかし、個人の能力で再建するにはあまりにも大きすぎる負担を背負わなければならない事業であり、高齢者にとっても一般の人にとっても不可能な場合が多いことも肯けます。今まで住み慣れた土地に再び住みたいという気持ちは当然のことであり、生活の基盤を失うことにもなりかねませんから、多くの人たちの気持ちを聞いていますとこの住宅再建に問題は集約されるようです。

キャンペーンの途中から4チャンネル「本池上署」にテレビのチャンネルを換えましたので、番組の持つ理想主義的な面に影響されたのかも知れませんが、わたしの提案の素案は次の通りです。

おそらく住宅再建を願われる人は土地は持っておられると思うので、必要なのは建物の費用だけだと思うのです。だとすれば全国いずれの土地であってもそんなに建築費に差があるとは思えませんから、国の方で1平方メートル当たり例えば30万円という基準建築費を設定することはそんなに難しいことではないでしょう。これを基準としてそれ以上の建築費を掛けることも個人の自由として、基準の範囲であまり制約は設けないで補助金は出します。いずれの場合も補助金で建てた住宅は当面国のものとし、貸与する形を取り、30年にわたって返済金を課し、返済が終わるとともに完全に個人の資産にすることを許します。この間処分は勿論国の許可が必要ですし、増改築費用はすべて個人の負担とします。イラクへの人道支援ができるくらいなら先ず国内の人道支援を大幅にするべきだと思います。この方策ですと個人の資産への公費による補助という非難は無くなるものと思います。個人も自分の住みたい土地に自分の望む規模の住宅を再建できるのですから満足すると思うのです。わたしも無条件に個人の資産として売買も可能な住宅へ補助金を出すことは誤りだと思っていますが、現状の撤去費用としてだけ、たかだか300万ほどを支給するのでは再建の役に立ちませんし、年収800万円以下というような制限も実情にあわないと思います。わたしの提案する方式では年収制限は考えていません。自分の力で再建される方はそれでよいのですが、国からの補助を望まれる方は当面、住宅の所有権を国に渡してはどうかというのがこの提案の根幹です。

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いま考えていること 194(2004年11月)
――原点への回帰――

ドル安についてブッシュ大統領は「アメリカは依然として強いドルを希求している」と発言していますが、何しろ経済や自然現象はどんなに希求し、お祈りしてもそうなるのはそれだけの原因があるのですから、その原因を変更しないとどうにもなりません。ドルについては米国経済とイラクに対するブッシュの政策に根源があり、気候については地球温暖化も大きい要素です。少々為替介入しても効果は持続せず、ドル安円高はまだまだ進行するでしょう。わが国株価の動きはブッシュの口先介入など信じてはいないと言うところです。

石油は投機筋の動きのせいだとは言え、下がりそうもなく、10月中旬には1バレル54ドルも記録したので、ガソリンも値上がりし、今冬の灯油の値段もかなり上がることを覚悟しなければならなくなってきました。この面では円高はむしろ好都合です。株式市場はドル安の進行を見ていますから先行きも低調で、急速な市場の回復は望めません。バブル期の記憶のように株価の上昇によるゲインは期待できません。株式についても投機ではなく原点に戻って、堅実に社会貢献する会社の地道な業績の伸びから得られる配当の伸びを期待して投資する時代に入っているような気がします。

私の散歩道などたかだか歩数にして5000歩くらいなものですが、この1ヶ月の間にスーパーマーケット1店が閉店し、街角のテナントビルのたこ焼き屋、同じビルのお寿司屋も店を終い、スノウボード店2軒、西洋雑貨屋さんも閉店しました。たまたまのことかも知れませんが、重なっての閉店でやはり景気の悪さを身にしみて感じます。以前は景気が悪くなると財政の出動が常でしたが、その結果が経常収支の膨大な赤字として残り、実質、日本人の貯蓄も使い果たされて、最早小泉内閣ならずとも予算の垂れ流しはできなくなりましたから、政府支出の削減という極めて常識的な対応をとらざるを得ないのが現状です。未だに介護保険給付の充実を求める時に、政府からの補助を増額せよという意見も聞こえるのですが、最早政府の財政投入を求めても不可能だろうと思います。
介護保険も5年を経て、これまでの実態を分析して永続的に介護を保証できるように給付も見直さざるを得ないでしょう。本当にどうしても介護の手を差し伸べなければならない対象は何か搾らざるを得ないでしょう。そうでないと介護保険料は天井知らずに増額されて制度は崩壊します。自分の力の範囲で対処できるものは自分の力で対処し、その限界を超えるものに保険給付を要請するのが常識というものです。

2004年10月14日ダイエイは遂に産業再生機構の手に委ねられることになりました。過去2度に亘り銀行に借金棒引きをしてもらったのに一向に再生の気配が見えず、さらに銀行に援助を求めても銀行のダメージばかりが大きくなって、ついには銀行まで倒産というのでは金融不安を増す結果になったでしょう。やはり借りたお金は返済するという原則が保留され、ダイエイが大きいというだけで周囲への影響を恐れて抜本的対策を遅らせてきたこれまでの道筋に終止符が打たれたのは当然のことだと思います。原点に戻ってシビアに不良貸付に取り組むのがより大きい危機を招かないためにも必要なことで、ダイエイの処理でやっと原点に立ち返れたと思っています。

政治には金がかかるからと政党助成金制度が始まり、これで企業・団体献金は抑制されるのかと期待したのですが、一向に改まらず最近も歯科医師連盟からの橋本派への1億円献金も隠匿されて、特定議員への迂回献金の手段となっているというのですから、きっぱり政党助成なんて止めるべきでしょう。共産党は新聞発行を基幹として自らの力で政党活動の資金を豊富に稼ぎ出しているのです。これは原点に立った政党活動というべきでしょう。うさんくさい政党への企業献金など完全に止めるのなら税金からの政党助成も意味がありますが、現状では「盗人に追い銭」というところです。

10月15日、水俣病関西訴訟の最高裁判決があり、国と県の対策の不備をみとめました。延々22年の被害者の心労を思うと今さらながら政治的解決の恐ろしさを思います。当時水俣病認定を正直にすると、チッソの災害補償が巨額に登るというので国も認定を絞り込み,県もチッソの操業を容易にするためにチッソ排水の管理を見送ったのです。この問題も原点に立ち返って考えると、現実を無視して政治的判断で決着をすると、多くの悲劇を生み出し、その真の解決には無駄な歳月を使わなければならないということを示しています。

毎日新聞の記事を援用すると「政府は(10月)16日、在日米軍の再編協議で米側が提案している米陸軍第一軍団司令部(ワシントン)のキャンプ座間(神奈川県)への移転を受け入れる方向で本格的な検討に入った。」「キャンプ座間の周辺自治体は第一軍団司令部の受け入れに『基地の強化恒久化につながる』と反発している。しかし移転の対象が戦闘部隊ではなく司令部要員約800名にとどまることから、政府は『米兵による犯罪多発などの悪影響はない』などと説明して理解を得たい考えだ。」といいます。この問題も慎重を要する問題で原点から考えなくてはなりません。ここに書かれているのは軍事面、治安面だけであり、政府の視点も意識的にか同様の見解を示しています。大使館の設置とは異なり、米陸軍第一軍団司令部がわが国におかれるということは、積極的にわが国が米国の軍事世界戦略に組み込まれることを政治的にも承認することを意味し、対アジア・対中東への米国戦略にわが国が一体であることの宣言でもあります。単に軍事面だけでなく、わが国が自主独立の主権国であることの放棄ともいえます。いったんこのような構造を認めてしまいますと、この構造から日本独自の判断で脱却することは不可能となり、敗戦によって占領下にあった時代へ逆戻りへの入り口になるでしょう。あの占領は少なくとも形式的には連合国の占領でしたが、今度は米国単独の占領で、正にこの国は「アメリカ合衆国日本州」であることを内外に宣言するものです。

(12月5日追記)本日自民党の武部勤幹事長と公明党の冬柴鉄三幹事長は、イラクで活動する自衛隊が駐留しているサマワを訪問するため出発しました。12月14日自衛隊のイラク駐留期限が来るのを控え、政府は1年間の駐留延長を無条件に考えているのですが、国民に対するジェスチャーも含め現地が安全であることをアピールするための茶番劇に打って出たのです。イラク駐留問題もサマワが安全でであるからということで、国民の納得を得ようとしているのですが、問題の原点を考えると。サマワが安全であることは一つの条件に過ぎないのに、これが主たる問題であるように問題をすり替えているのです。イラク派兵はアメリカのブッシュ政権の政策への追随であり、何とか理由を付けてアメリカに協力することに目的があることを見失うと問題の本質を見誤ります。人道支援という衣の陰で航空自衛隊のクエートからバクダッドへの軍需輸送が進められているのを忘れてはなりません。

いくつかの例を眺めてきましたが、事柄を原点から見直すと対応はどうあるべきか、自ずと明らかになるように思われます。

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