いま考えていること 220(2005年10月)
――小泉さんの靖国参拝――

今回の参拝には小泉さんなりの配慮が見られます。背広姿で拝殿に進み、普通の人並みにお賽銭をポケットから取り出して、賽銭箱に投ずるという風に。この間の大阪高裁の判決も影響したのかも知れません。総理大臣であろうと一人の人間として自分の信ずる所に従って参拝することは信教の自由の点からも認めるべきではないだろうか、ふとその様な気持ちにもなるのです。しかし中国や韓国の人たちが問題にしているのは信教の自由の問題ではないのです。歴史認識の問題と具体的な行為にどう反映されているかが問題とされているのです。今回の選挙で頭のよい作戦に勝利した小泉さんですが、靖国問題の本質のとらえ方には聡明さは見られません。他国からとやかく言われる問題ではありません式の発言も参拝後の氏の談話にはありましたが、このような論点では他国の人たちが靖国問題を契機として、外交上の問題や経済問題で報復に出てきても、それはその人たちの心情からの態度なのですから、同様に「他国である日本」がとやかく言える問題ではなくなってしまうのです。

小泉さんがいくら個人としての行動であると弁解しても、小泉氏は中国や韓国の人から見れば現代日本の具体的な象徴であり、彼の行動は日本そのものと写らざるを得ないのです。今後の日本の在り方にも関係してきますので、決して個人の自由という立場では了解してもらえないでしょう。政府は小泉さんの本当の気持ち−−平和であることを希求し、確認し、過去の不幸な最後を迎えた兵士たちに哀悼の気持ちを捧げるのだ−−と説明することで理解してもらえると言っていますが、とてもそのような観点ですむ問題ではないのです。現代日本の具体的な象徴である「小泉」と歴史認識の象徴である「靖国」との関係としてとらえなければならないと思います。他国の人にとっては過去についての歴史認識の試金石と考えられているので、それは今後の国と国との交際の基本に横たわっている最重要な基本問題なのです。

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いま考えていること  221(2005年10月)
――冷泉さんのレポートを読んで――

作家の村上龍さんはJMM(Japan Mail Media)というメールマガジンを発行されていていろいろな記事を送って下さいますが、その221号(2005.10.22発行)には冷泉彰彦氏の「空白と停滞の時代」が見られます。このレポートを読んで、近頃のアメリカの空気には注目しなければならない、変化が起こってきていることを感じます。冷泉さんは現在米国で暮らしておられる作家で、ラトガース大学講師でもあります。現地からの報告ですから日本にいる私たちのアメリカの現状についての想像よりは真実に迫るものが感じられます。このレポートはまず「この秋のアメリカ社会には、重苦しい停滞感が漂っています」という言葉で始まります。イラクの情勢、サダム・フセインの裁判もその過程でイラン・イラク戦争当時のフセインへの肩入れが明らかになる可能性を持ち、“ブッシュが「憲法制定は前進だ」と言っても誰も共感しない、といって反対派にイラク再建の妙案があるわけでもない”。イラクでもアフガンでも社会は安定せず、またアメリカ軍の駐留は人びとの支持がないことにアメリカ人も気付きつつあり、かといって、そのことに背を向けている、そういう雰囲気が報道全体にあるようです。ハリケーンの来襲による被害にも「イラクの学校や病院を再建するカネがあるのならニューオーリンズにそのカネを回してほしい」と言う声も聴かれるようです。といっても“アメリカが始めた戦争で破壊された病院や学校を再建するのを放置せよとする主張では全国や世界の共感は得られない”のです。経済でもここ数年見られた不動産バブルも頭打ちの感覚が出てきているようですし、石油の高騰が米国経済を振り回しているようです。9〜10月の「デトロイト」の売り上げは大きく落ち込み、日本のハイブリッドカーが売り上げを伸ばしているといいます。この一連の停滞感の根源として冷泉さんは“政治権力の空白ということに尽きる”といい、2008年のポスト・ブッシュの顔が見えず、ブッシュは「コントロール不能な現実」の前に立ちつくしていると見ています。

振り返って我が日本でもポスト・小泉の顔が見えず、日銀の低金利政策も終幕に入ってきている今日、国債金利の上昇、既発国債価格の低下も目前に迫り、また政府財政の破産に近い状況から、企業の再生同様政府の財政規模を縮小せざるを得ない現在、小さい政府の名の下に進みつつある社会保障その他の切り下げ、増税、など大変革が始まっています。「小さい政府」というと理念の上で「大きい政府」との選択があるように聞こえますが、私は現状財政的な破産状況から「小さく」せざるを得ない状況に追い込まれていると思っています。どのような政治を展開させるか、その取捨は状況によって客観的に支配されているとは思いますが、企業減税だけそのままというのもおかしいことで、我々自身の深刻な問題でもあります。

(11月7日 追記)続いて223号で冷泉さんは「先の見えない季節」を寄稿しておられます。この中には注目に値する示唆に出会います。摘記しておきます。

「景気ということでは、長い間低金利を背景に「右肩上がり」の続いていた住宅販売も、ここへきて「今度こそ」天井というムードが漂ってきました。」

「そんな政局の中、ブッシュ大統領の支持率は下がり続けています。10月中旬の世論調査では、40%の大台を割るという数字が世界を驚かせましたが、11月に入っても低迷が続き、2日から3日にかけて行われた世論調査でも35%(CBS),37%(AP),39%(ワシントンポスト)という状態です。これは危機的な数字に他なりません。

どうやらイラク撤兵は不可避の情勢です。それがブッシュ主導の「成果を伴った勝利のストーリー」になるのか、民主党などによる「開戦の口実すら崩れる中での敗北のストーリー」になるのかは五分五分といったところでしょう。そして、どちらに転ぶかはCIA工作員身分漏洩に関する「ワシントンでの裁判」の動向と、イラクの戦闘における「米兵の死者数」で決まるという実に奇怪な状況となりました。

「どうやら、ブッシュは本気で「中道」にシフトして残りの人気を全うしようという戦略のようです。

等々。

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いま考えていること 222(2005年10月)
――いくつかの持株について――

この1ヶ月ばかり日経平均(¥13574.30 ->¥13227.74->¥13420.54 ->¥13199.95)のみならずアメリカの株価も低迷を続けています。3年もすればこれから書くことは後悔にほぞをかむようなことになっているかも知れませんが、現在の思惑の記録として留めておこうと思います。私もいくつかの株式を保有しています。その詳細については貯蓄に記していますが、ここにはいくつかの株式について現在こう考えて投資しているのだという記録を留めます。この記録には株主の立場である以上希望的観測が入っているのですが、何年か後であのときはこう考えていたのだなと反省する資料として書いておきます、悪しからず。

私は“新しい原理を基本に生産を立ち上げると、予想もしなかった新領域が展開する”と思っているのです。初めは苦しく多額の新規投資を必要としても古い原理に囚われていては新しい成果は生まれないと思っています。この立場で考えると嘗ての「住友特殊金属」現在の「NEOMAX]にはNEOMAXという強力な永久磁石が生まれていました。1株580円で買った株式も現在3000円を超えています。これはNEOMAXの比類のない強力な磁石としての性能がベースになっていました。このところ日本製のハイブリッドカーが燃費性の良さでアメリカ、ヨーロッパでも高い評価を得ていますが、ハイブリッドカーでの発電には強力な永久磁石が必要であり、NEOMAXが欠かせません。
このような新しい性格が見られるものはクラレのエバール(エチレン・ビニールアルコール共重合体)、最近発表された無機ELがあります。液晶パネルのバックライト部分を一体化製造するクラレはバックライト部分に、この無機ELを使おうとしているのでしょうが、一般的な照明方式としても注目されます。クラレはまた現在問題になっているアスベストに代わるものとして伝統あるビニロン供給の高い能力を持っていますし、その他ジェネスタなど特殊なものを生産しています。またソニーは松下電器とともに現在次世代DVD規格をめぐって東芝陣営の推すHD−DVDを相手に、ブルーレイディスク(BR)をぶつけていますが、現行のDVD規格との互換性を持たないのが欠点といわれます。しかし、波長の短い青紫色レーザーを用いていることに新しい事柄の未知の発展を期待できると思っています。性能の優秀性からいずれは業界のスタンダードになると思っています。このような新規な着想は見られませんが、神戸製鋼は140万kw(美浜原子力発電所の3基の原発合計で166.6万kwです)発電もして関西電力に販売しており、経営の大きなサポートとなっています。本業面でも鉄・アルミ・チタン分野で特殊な合金を作る世界的にも高度な能力を持っています。神戸製鋼も時には額面価格50円を切ったことがありましたが、現在は320円程度には上昇しています。ソニーはBRAVIAブランドのテレビを出しましたが、小売り価格は会社の思惑を大幅に下回っていると報ぜられています。しかしそれでも会社としての販売価格は確保できていると読んでいます。三洋化成は潤滑剤の添加剤で有名ですが、吸水性ポリマー領域で日本のみならずアジアの各国で人口の高齢化を迎える段階になって欠かせない必需品を供給することとなると思っています。中国で最近生産が本格化しましたが、需要に追いつけない現状です。またホギメディカルからは格段の発表はありませんが、じわじわとした株価の上昇は次第にコンピューターに依存した手術器具のセット販売化(「オペラマスター」)が公知され、支持を増やしているものと私は読んでいるのです。三洋電機はいずれ元の会長井植敏氏の影響が大きくなるものと考えて、期待しています。他にまだ見通しの立っていないものもありますが、今のところこのようなことを考えています。

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いま考えていること 223(2005年10月)
――歩くということ――

人間は動物であって、植物ではないことをまず頭に置きましょう。私は朝夕決まった道を散歩して合計一日11,000歩を平均して歩いています。決まった時間に歩いているのですから一般論というわけではありませんが、決まって散歩しておられて行き会う人は一人くらいで、他に通勤のためでしょうか、私の近所のO氏にはほぼ毎日行き会います。先日もタクシーに乗ったとき、運転士さんに「この頃はすこしは車は減りましたか」と尋ねましたが、「いやまだ増えているように思います」とのことでした。「お休みには歩かれますか」と聞いた返事は「そんなに歩かないですね。せいぜい一日に2000歩くらいですわ」ということでした。近頃よく話題に上るメタボリックシンドロームについて今日の“スタジオパーク”のニュース解説で話されていましたが、この兆候の改善には@体重を一割減らすA毎日8000歩は歩くことが挙げられていました。10月23日は中越地震の1年になりましたが、当時避難して車の中で過ごし、歩かなかった人にはエコノミック症候群が見られ、急に血栓が心臓や脳の血管に詰まって亡くなる方がいまもあるというニュースも見ました。

歩くということは単に脚の筋肉を鍛える意味だけでなく、メタボリック症候群やエコノミック症候群を防ぐ意味でも重要なのです。間もなく団地族の皆さんの定年高齢化の時期を迎えます。私の中学時代などは戦争中でしたから、夜行行軍と称して京都駅に集まって夜を徹して奈良まで40kmを歩き通すというようなことまで学校行事にはありました。しかも確か2kgの砂袋を背中に背負ったと記憶します。何十年か前にアメリカに留学した友人から、アメリカの人たちがゴルフに精を出す理由の一つは日常車を使っていて歩行が不足がちなので、それをカバーする意味もあるのだと聞いたことがあります。私は自分が車を持たないので、歩け歩けと言うのかも知れませんが、年を取って足腰が弱ると、最悪の場合トイレに行くのも困難になります。車を愛用しておられる人たちも、若い時から自分の老年に備えてせいぜい歩く習慣をつけたいものです。

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いま考えていること 224(2005年10月)
――教育の在り方――

私のホームページのあちこちに教育に触れて書いていますが、今夜の「関西もっといい旅」で三高同窓会紅もゆる百年記念大会の朝「紅もゆる歌碑苑」での集いの有様が放映されるというのが刺激となって,私たちの受けた教育を貫いていたものについて書きたくなりました。京大化学教室に進みましたから有機化学や無機化学の講義を受講しましたが、細かい事項例えばアルコールはどんな性質を持つかというような類の講義はなく、高等学校でいろいろ学んでいて当然身につけているからその様なことを講ずるのは不要と先生は考えておられると思われました。では何を1年にわたって話されたのかというと、有機化学の野津龍三郎教授は自分がドイツ留学中どのように高分子という概念に到達したかのお話でしたし、無機化学の佐々木申二教授は大部のシジウイックの本の初めの20頁くらいだけ講義されてこの本をどのように読めばよいのかを、掲載されている参考文献やご自分の興味を持っておられた錬金術などにも触れながら1年間にわたって講じられたのでした。勿論高校で習っていなかった生物化学などは担当の田中正三教授によって丁寧にその内容が語られましたが。課せられた有機や無機の実験もテーマが与えられると、自分で関連する文献調査から始めて実験方法を各自組み上げ実施するというの内容でしたから大学教育に貫かれていたものは、将来自分の領域を持ったときにどのような姿勢であるべきかの見本を示されていたように思います。

では高等学校で学んだことを振り返ると、英語を始めその他の外国語を基礎から学びはしましたが、有機化学などは細かい内容など話された記憶はほとんどありません。ドイツ語で書かれた原書を先生が邦訳されてプリントにされ毎時間配布されて、その個々の項目について「ここは大事です」「ここはそう大事ではありません」と指摘されたのが印象に残っています。そのことを頭に置きながら勉強するのは生徒自身に委ねられていたのです。分析の実験も英文のテキストプリントを自分で読みながら自分で進めていくのです。

現在は生徒も親も学校で先生が何もかもカリキュラムに沿って、「隅から隅までずいっと教えてくれるもの」と思っていて、それができない先生は駄目な先生と烙印を押してしまうことがありがちです。私達の受けてきた教育はあくまで勉強するのは学生・生徒自身であり、教育はそういう姿勢を取るように仕向けるだけというのが基本だったように思われます。自分で勉強する時どのような態度が必要かの暗示であったと、極端かも知れませんが、私には思えるのです。自学自習こそ学習の基本であることを忘れてはなりません。知識を与えられるのが教育を受けることではないのです。 教育は与えられて身に付くものではないのです。問題処理の能力を獲得することこそ教育を受けることの成果です。私達の中学時代は戦争中で、英語は敵性語として冷視されていました。勤労動員などで中学校も後半授業らしい授業は受けられませんでした。戦後私達は英語を自分で再履修したのです。現在は平和で本も在り余るほど出版され入手も容易です。インターネットの内容にも大学程度のものがあります。理科系の学習は実験を伴いますので自宅で独学は無理ですが、文科系のものでしたら努力次第で独学で内容をマスターできるのではないでしょうか。

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