いま考えていること 302(2008年02月)
――そこのけそこのけお馬が通る――

千葉県野島崎沖のイージス艦「あたご」による漁船沈没事故は本当に痛ましいことです。最近の防衛省防衛次官の汚職事件や今回の事件を見ますと 昔のことが思い出され心配です。防衛問題は聖域視される傾向が次第に出てきていると感じます。昭和20年の敗戦まで軍事は完全に聖域で異論を唱えようものなら 天皇の大権を傷つける非国民ということで問答無用、「そこのけそこのけお馬が通る」という態度がまかり通っていました。今回の事件は、海事法を無視した「あたご」の挙動が引き起こしたものであり、乗組員の頭の中に国の防衛という神聖な活動をしている「あたご」なのだから、その進路を妨げるものはともかく自発的に待避して進路を開けるのが当然だという考えはなかったのでしょうか?もしそういう考えが知らず知らずの内に蔓延していると言うのならそれは無法者の論理だと言うことです。かっての日本軍の論理です。この事件は厳密に検証され法によって裁かれなければなりません。

沖縄で起こった米国軍人の無法行為にともなって海兵隊の無法ぶりが問題になっているのですが、海兵隊の無法ぶりも同じ思考の産物だと思っています。国を守るという崇高さを振りかざして国民を虫けら同然に抹殺する行為は今の内に厳しくとがめ、軍の横暴をチエックしておかないとやがては敗戦前の日本軍同様の無法ぶりを許すことになるのではないでしょうか?

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grenz

いま考えていること 303(2008年03月)
――成人年齢――

2008年3月3日の毎日新聞によると世論調査結果では成人年齢を18歳に引き下げることに反対の回答が60%であると報じました。反対理由は「精神的に未熟」「飲酒・喫煙が認められる」「消費契約ができるようになる」などだそうです。一方賛成理由には「若い人に自覚を促し、責任を持たせることができる」「十分に責任をとれる年齢」「18歳成人が、欧米各国の主流」があげられています。
私は賛成なのです。その理由は上の賛成意見と同じだからと言うこともありますが、もう一つ先般の「日本国憲法の改正手続きに関する法律」では第三条(投票権)で「日本国民で年齢満十八年以上の者は、国民投票の投票権を有する」と規定したことも考慮されなければなりません。もっとも附則第三条で成年年齢を定める民法の規定に検討を加える必要が指摘されていますから、今回の民法での成年年齢の検討が必要になったのでしょうが、本文では十八歳以上の国民に憲法改正の投票資格を与えると言うことになっているのです。この「日本国憲法の改正手続きに関する法律」はいろいろ問題をはらんでいる法律ですから、必ずしもこの法律に引きずられて成年年齢を十八歳にしなければならない訳ではありませんが、民法との間で矛盾を生じ、「精神的に未熟」な人に憲法改正という重要な問題の選択権を与えているのです。「日本国憲法の改正手続きに関する法律」でなぜ18歳にしたのか改めて問い直す必要があります。もしそこに政治的な何らかの思惑が絡んでいるのではないかという疑いさえ出かねません。民法を改めるか、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」を再議してこの矛盾を解消する必要があると思うのです。

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grenz

いま考えていること 304(2008年03月)
――参議院の復活――

参議院無用論が一時期話題に上ったものですが、今日の参議院は政府提案の日本銀行総裁候補者承認を否決しました。これを参議院と衆議院の捩れ現象の結果と見て、政治の障害になっていると見る人もいるでしょうが、私はいま考えていること298(2007年12月)にも書いたようにむしろこれまで形骸化していた参議院存在意義が息を吹き返したと思っています。衆参両院で与党が多数を占めていますと結果的には両院とも与党案が簡単に通っていたのですが、この捩れ現象で衆参両院のそれぞれの多数が食い違ってきますと簡単には政府案は通らなくなったのです。今回の日銀総裁後任問題では19日までに後任が決まらないと世界的に日本への信頼を失わせて大変なことになると、政府は云うのですがやり方が無謀強引すぎます。これまでですとこの強引さが何の抵抗も受けることなく形式的な審議と採決でまかり通っていたのですから、今回のようにねじれの結果否決されるのは政府の暴走に歯止めを掛ける意味でむしろ参議院の有意義の復活と思っています。だいたい議会に候補を諮る時期が遅すぎますし、民主党がかねがね反対しているような人を臆面もなく候補として推すことに無理があります。否決は十分予想されることでした。

現在日本の基準金利はきわめて低く、世界各国に投機資金の提供に寄与してきた反面、国民の預金金利は犠牲にしてきました。この犠牲の上に 銀行復活は進みました。未だに金利は国際的に見ても異常に低く、日銀は景気コントロールの手段を失ったままです。いずれ金利の引き上げが現実化するでしょうがその際、困るのは膨大な国の国債の存在です。金利が上がるとそれ自体が大変なことですし、既発国債の価格の暴落を招きます。財務省の最もおそれる事態です。武藤氏が有能であっても今のこの時期に登場するべき人ではありません。財務省出身と日銀生え抜きの人との交互の総裁登場がこれまでの慣例のようですが、今のこのアブノーマルな時期むしろそのいずれでもないあるべき姿を公正に描ける人の登場を私は望みます。

道路予算にしても、連日新聞は道路特定予算の使い方の傍若無人さを暴いて見せてくれています。子供に聞いても「暫定」と言う言葉が何十年も意味を持つなどと云うことはおかしいと云うでしょう。暫定とは長くても数年が限度でしょう。特定財源という聖域を温存させながら新年度の予算関連法案を承認させようというのも強引な政治運営の一例でしょう。これも偽装の一例です。地方の財源を増やし、道路も含めて地方独自に計画の立案と実施を可能にすることこそ現代の方向でしょう。永田町の道路族の力を奪わなければなりません。現在の機構のままで道路建設を進めると結果として道路建設償却の費用が破滅的であることを指摘する人もいます。

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いま考えていること 305(2008年03月)
――決断のない首相――

とうとう総裁不在の日銀が生まれました。先稿にも書きましたように日銀総裁の満期は以前からわかっていたことです。しかも武藤候補が否決され、同じ結末が予想される田波候補を性懲りもなく候補として推してくるセンスはわたしには理解できません。首相に入れ知恵するスタッフがいるのでしょうが最終的には首相その人の責任です。日銀総裁不在の事態は民主党と言うよりは首相の招いた事態です。福田さんは民主党からの候補提案がないことを口にしますが、民主党の提案を促すというのは首相の無能力の証明にはなっても制度的にあってはならないことで首相として決断を以て候補者の推薦をするべきものです。

日ごと道路特定財源の隠れ財布的使われ方が明らかになって、ついに首相も道路特定財源の全額一般財源化も口にするに至りましたが、「年末の09年度税制改正で検討すれば」よいだろうという始末です。こちらも今すぐに一般財源化すると言うには時期が遅いとは思うのですが、このぎりぎりの時期まで何もしなかったのは内閣の責任です。公明党出身の冬芝氏に至っては“大臣”の称号が頭にあるのか全く省益の代弁者に堕しています。首相の発言は例によって責任の後回し、当面の逃げとしか思えません。決断の冴えは小泉さんの方が内容の善し悪しは別として窺えました。解散して総選挙をしたからといって民主党に政権が回るかどうかは疑わしいのですが、自民党も総選挙では公明党の力を借りても衆議院で2/3を占めることはおぼつかず、解散は怖いのでしょう。わたしも民主党を応援する気にはなれませんが、むしろ現在の国会衆参ねじれ現象歓迎の心境の中で、福田首相の存在にはいらいらする限りです。今回の道路問題の帰趨を決定するのは民意です。圧倒的多数を占める衆議院の審議においても自民党は参議院ではこの数の有利が通らないことを思って民意に添った提案・決議を得て行かなくてはならないところにこのねじれ現象の味があります。

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いま考えていること 306(2008年03月)
−−後期高齢者医療制度−−

来月から後期高齢者医療制度が始まります。わたしも79歳ですから対象者で、家内も70歳ですがアルツハイマー病で介護度5の状態ですから対象者に入れてもらいました。現在この制度の反対運動がなかなか盛んなようですが、その理由の一つに75歳以上だけを差別する医療だというのがあります。わたしは必ずしもそうは思っていないのです。何故かと言いますと人は必ず死ぬものであり、後期高齢者であるわたしはそのゴールに近づきつつあることは否定できないからです。若い人並みにいろいろ治療をしてもこのゴールは避けられないからです。死というものをどう考え、これにどう処するかは昔から宗教の最大の課題でもありました。後期高齢者にとって死を迎える心の準備の必要性は若い人や前期高齢者に比べて高くなってくるのは否定出来ないと思います。わたしの義兄弟など肝臓ガンで死ぬ前もう眼も開いたいたままで眼球が黄色くなっているのに病院はいろいろ医療を続け、いわゆるスパゲッティ症候群の有様でした。むしろかわいそうでした。現在尊厳死協会もあることを見ても果たして徹底的な生きることを目的とした医療を後期高齢者に続けることが人間の尊厳を保つことなのでしょうか。わたしには大きな疑問です。むしろ後期高齢者医療はもう少しはっきりと人は必ず死ぬことを前提とした哲学的転換が必要なのではないでしょうか。外国では後期高齢者だけを分離した保険制度はないとも言われますが、外国を簡単に引き合いにはできません。それは各国それぞれに違った条件を持っているからです。違った条件を十分考慮した上での議論でないと無意味です。これは医療問題だけに限りません。現在日本は恐ろしい財政赤字を持つ国だと言うだけでも大きい他国と異なる事情ですし、日本の少子高齢化の進度も他国に先んじています。

今度の改訂で注目されるのは新しい健康診査制度です。ここではメタボリックシンドロ−ム検診が導入され、その結果から企業や共済の健康保険組合の後期高齢者健保への拠出金がペナルティとして増額されるようですが、この増額はひとまず議論の外に置くとして、国がメタボ検診を義務化するなど大きなお世話だと思います。これにも膨大なお金や事務が伴うでしょうし、今の日本の財政状況の中でどうしてもやらなくてはならないことでしょうか。どうしてもやってほしいし将来の医療費増大の原因になるのは「喫煙」です。政府が禁煙を制度化することはまだ許せます。喫煙を始めてから20年くらいしますと急速に慢性閉塞性肺疾患(COPD)が増えることがわかっています。わたしの若いときに比べてタバコは入手しやすく、町中どこでも売っています。相対的にも値段も安いです。感覚的には20本入り800円くらいが妥当でしょう。値段を上げるだけでも禁煙者は増えます。禁煙を放置してメタボ検診というセンスが理解できません。

今回の改訂でジェネリック医薬品の積極的導入が計られるように聞いていますが、これは大きな前進だと思っています。

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いま考えていること 307(2008年04月;追記4月)
−−福田さんの程度−−

最近の福田首相の発言は失望を招くばかりです。先ず後期高齢者医療保険制度の不評にネーミングを「長寿医療保険制度」と言い換えようという提案です。これは日本伝統の言霊思想の流れには沿っているのですが、いくら名前を変えてもそれで実質が変わるということはありませんから何の役にも立たない提案です。年寄りを愚弄する案です。この制度によい点があるなら中身に即してそれを高齢者に説得するのが王道でしょう。

もう一つ福田さんの頭の程度に疑問を持つのは暫定税制の破綻によって、現実、石油の値段が下がり政府の税収に2兆何千億円の歳入欠損を生じる事態に陥って、「日本のガソリンに対する課税は世界的に見ても低い。また温暖化防止の会議を7月に控えてこれではガソリンをもっと使えと云わんばかりで議長国として困る。だから課税の復活をさせてくれ」という趣旨の発言が見られたことです。確かに日本のガソリンに対する課税は世界のレベルから見て高くないようです。しかし各国において徴税の仕組みは必ずしも一様ではないでしょう。日本のように特定財源という形で道路関係にしか使えなくしているのでしょうか? 問題の所在は単にガソリンが高いか安いかではなくて悪名高き「特定財源」という制度自体の問題なのに、これをすり替えてただ世界的に見て低い課税だとか、地球温暖化の問題に転嫁するとか、これでは国民を愚弄するものだとしか言い様がありません。ガソリンに対する税金が低いと云うのなら一般財政でガソリン税の引き上げ・新設をするべきでしょう。勿論国会を通さなければなりません。地球温暖化の問題に至っては自動車のガソリン税よりもまず「環境税」を先行すべきでしょう。福田さんのこのような論議はまさにピンぼけで焦点がずれており、福田さんの知能の程度を疑わせるものです。内閣を総辞職するなり衆議院の解散・総選挙に打って出て自分に対する信任の程度を計り国民の支持をバックにした政権を模索するべきです。

(2008年4月9日 追記)今日、久しぶりに党首討論が開かれました。福田さんの発言は恨み節に終始しました。小沢さんという人も好きではありませんが、本日の討論では小沢さんに分がありました。現在の政治構造についての認識という点でです。福田さんは参議院では民主党が権力を持っているというので権力の乱用だと云っていましたが、これまで衆参両院とも自民党が多数でどんなことでも自民党の主張がそのまま罷り通っていましたがあの状態こそ権力の横暴でなかったのでしょうか。繰り返し政策討議を呼びかける福田さんに予算立案の段階から政策討議をするべきだと小沢さんは応えていましたが、ごもっともです。捩れ国会のもとでは政府も民意のあるところを掴んで立案し衆参両院とも通るような案を考えねばなりません。これまでより民意に重きが置かれるという意味で、私はむしろ「捩れ」賛成の気持ちを持っているのです。

(2008年4月11日 追記)本日の日本経済新聞の記事を引用しますと

「自民党は11日午前の役員会で、道路特定財源見直しに関する政府・与党合意案を了承した。福田康夫首相が指示した2009年度から道路特定財源を全額一般財源化する方針を明記した一方、ガソリンにかかる暫定税率の維持や必要な道路整備の確保なども盛り込んだ。午後の政府・与党協議会で正式決定し、週明けにも民主党などと政策協議に入りたい意向だ。
 公明党も同日午後の常任役員会で了承する。その後、与党幹部と政府の関係閣僚が出席する政府・与党協議会を開いて正式決定する。
 合意案は(1)09年度からの道路特定財源の全額一般財源化(2)揮発油税などの暫定税率の維持(3)必要な道路整備の確保(4)暫定税率執行に伴う地方の減収分の手当て――など9項目。08年度歳入法案の早期成立も明記し、政府が提出した租税特別措置法改正案の修正には応じない方針も示す。」

ということです。

前述のように福田首相は言葉の魔術で事の真実をごまかす手法も使う人ですから、この「特定財源の一般財源化」にも同じような危惧を持たざるをえません。言葉だけは一般化ですが一般財源の中に聖域を設けて実質道路特定財源温存をねらっているのではないでしょうか。冬芝さんの閣僚懇での発言も加味されているというのですからますますその疑いを持たざるを得ません。これはやはり暫定税率を一度きっぱりと撤廃して税制全体の中でも登場するのが妥当な環境税や福祉制度と併せて、二酸化炭素排出に責任のある車所有に対して新しく納得のいく課税を一般財源の中で提示すべきものだと考えます。

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いま考えていること 308(2008年04月)
−−「あなたのお薬リスト」−−

昨夜から家内が咳をする時にはき出す痰に薄いチョコレート色のものが混じってくるので、出血かも知れないと思い、朝、診療所に往診を願いました。やはり出血でした。往診医によると胃あるいは食道のどこかに糜爛性のただれがあると思われるとのことで処方箋を作って頂きました。薬の名は「ランソラールカプセル30」でした。家内はカプセルを呑むことは出来ませんので、カプセルから中身だけ出して調剤してもらうことになりました。かかりつけの薬局で調剤してもらい、薬とともに「あなたのお薬リスト」を頂きました。問題はこの「お薬リスト」です。「効能効果」の欄に書いてあったのは“胃酸の分泌を抑える作用があります。”でした。

私はこのような文書をもらっても あまりにも簡単な記述しかありませんので、インターネットで医療用医薬品の添付文書情報を調べることにしています。ここで調べたランソラールカプセルの「効能又は効果」を見ますと“胃潰瘍,十二指腸潰瘍,吻合部潰瘍,逆流性食道炎,Zollinger-Ellison症候群”と書かれていました。お読みくださっているみなさまもおそらく“胃酸の分泌を抑える作用があります。”とは全く異なる印象を持たれたと思います。言い換えれば薬局でもらった文書「あなたのお薬リスト」は誤った情報を提供してくれていると思うのです。

みなさんも医師の処方箋で薬局で調剤してもらわれた時は、このように時に患者の不安を持たせないように故意に軽く思わせるような情報だけが付いて来かねませんから、勇気を出して真実を把握するために医療用医薬品の添付文書情報をご一覧されることを是非なさってください。

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grenz

いま考えていること 309(2008年04月)
−−橋下知事の投げかけたもの−−

自民・公明を与党としている橋下知事の1,100億円削減方針で、大阪府のプロジェクトチームが立案した「財政再建プログラム試案」は試案で各方面の反発も強いので、今後どのようになっていくのか分かりませんが、私は大きい意義を認めます。わたしはこれ迄から日本の農業を衰退させてしまったのは国の戦時中からの施策の延長として行われてきた農業補助金政策だと言ってきたのですが、他の職業に従事しながら片手間で年に二十日くらいの米作でも食えるようになっていた現実があります。この政策の長所として農家は戦前の貧困から脱することが出来たことは否定しません。しかし政府任せ自民党任せの心理から、自らの農業への改革情熱を失わせ、努力する気質を失わせたことが現在の日本農業の危機の土台になったと思うのです。若い後継者が乏しい現状を生み出したのはこの結果でしょう。

農業に限りません。工業でも国の補助金や税制面での優遇などがありますが、工業は深刻な外国との競争や従来見られなかった新しい技術の進展など自らの努力を払う対象に事欠きませんでしたから、現在もなお日本にはオンリーワン企業が沢山見られます。また地方行政に於いても地方の首長はせっせと中央官庁に脚を運んで、中央官庁の補助を懇願するのがあたかも名首長であるかのようで、中央政界とのパイプの太さで選挙を戦う風も見られました。この結果が補助金を当てにした地方での「箱もの」建設や地方での道路建設ではなかったでしょうか。そういう首長を当選させてきたのは勿論地方住民の意識の中に同じ発想があったからです。建設には地元土建業者の関与があり、またその落札を巡る汚職も絶えませんでした。現在、地方分権の道半ばだと思うのですが、正直完全に地方分権が行われると計画立案面でお手上げする程度の能力しか持たない首長も多いように思われます。すべて中央政府の意向に添って行政を進めてきたからです。これも中央の補助金による飴と鞭の支配があったからで農業と同じ地方衰退の原因になっています。

国も財政的に行き詰まり、かってのように財政面で地方を支配する訳にもいかなくなって、理念的には美しく地方分権を口にせざるを得なくなっているのですが、相も変わらず国の特権支配、族議員支配を聖域として残す最後の砦が道路特定財源ではないでしょうか。これらの従来の政策を支持してきた私たち自身も現在、理念革命を迫られているのではないでしょうか。私たち自身の苦痛も後期高齢者医療制度に例を見られるように増していくことは避けられない情勢ですが、これは悲観すべき面だけではないように思うのです。橋下知事の姿勢には補助金政策を前提とせずに自分で道を開くことを迫る革新性があり、この思想が若い人にこのあたりで政府や地方財政だけに頼らない自力で考え新しいものを生み出す努力の大切さ、それこそ生きていくための基本姿勢だと言うことを改めて考えさせる機会になれば今までの依存体質から脱却する絶好の機会だと思うのです。だいたい学力にしても親は子供を塾へ行かせることに苦労し、新しい学習器具導入による学習効果を期待しますが、わたしの経験ではまさに「学問に王道なし」で、一人一人適した学習法は違っていて自分のコツコツした、時には頭をぶつけて涙も流す努力の積み重ねで見つけ、作る以外に身に付いた学力は得られないのです。体育面でも一郎や秀樹は一朝にして生まれるものではないのです。体力にしても自分の脚での歩行を中心にしないと、近いところでも自動車で行くような生活からは生まれないのです。私の若い時と違って相対的にタバコも安価で簡単に手にはいりますから、このごろは女性も含めて喫煙者がふえています。喫煙は老後に慢性閉塞性肺疾患(COPD)を誘発することは分かっているのですから喫煙は自分で敢えて寿命を縮めているのです。すべて責任を他に転嫁したくなる気持ちは分かりますが、脚下照顧、先ず自分自身を見直し自分の努力をベースにしましょう。今こそ全面的に思考の転換を図る機会に直面しているのです。

思考の転換期を迎えているのは日本だけではありません。広く世界の政策も今転換の時期を迎えている気がしてなりません。サブプライムローン地獄の克服には米政府の公的資金の投入しかないとの声も日本のバブル崩壊の時になぞらえて聞かれるのですが、現状米政府にはその気配はありません。この地獄解決の過程で、公的な援助に頼ったこれまでの日本の路線と、銀行をはじめ民間の努力を主体とするアメリカの路線に民主主義の違いを観察することが出来るのかも知れません。少なくとも先進国はこれまでのようなスピードで経済成長を進めるアメリカ依存の路線からの転換を革命的に迫られているようです。

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いま考えていること 310(2008年04月;5月)
−−Jパワー株買い増し中止勧告−−

「政府は十六日、Jパワー株買い増し計画を申請していた英投資ファンドのザ・チルドレンズ・インベストメント・ファンド(TCI)に対し、買い増しを中止するよう外為法に基づき初めて勧告した。政府はJパワーが保有する基幹的送電線網や青森県で建設予定の原子力発電所計画に支障が出ることを懸念。電力の安定供給に影響しかねないと判断した。」これは日経産業新聞の記事ですが、国家の立場から規制したというのです。法律の上からはこの処置は合法的なものですから問題はないのですが、日本も外資の導入を叫び、また日本の株価の面からも外人の投資が左右するようになった現在、果たしてこの方法以外に打つ手はなかったのでしょうか?この会社は電源開発促進法により、1952年9月16日に国の特殊会社として設立されたのですが、1997年に特殊法人合理化の中で民営化が閣議決定され、2003年に電源開発促進法が廃止され、2004年10月6日に東京証券取引所の第1部に上場、それまでの電力会社および政府出資の民営化ファンドの保有株式の全てを売却したという経緯があります。

わたしは経済について全くの素人ですから、的はずれのことをいうことになるのかも知れませんが、今回の政府の措置は素直にうなずけないのです。

それは2004年に上場した時、外資が入ってくるのは当然予想されたはずですし、一般の株式と同じ規制の下でのみ、市場で勝負していく前提を持っていたと思うからです。いったん上場したら政治的な法的規制でなく一般的な経済ルール下で勝負するのが当然ではないだろうかと思うのです。これではまるで開国を恐れて攘夷に踏み込んだとしか思えないのです。今回の政府のような防御対策を実質的に政府の身代わり的な機関あるいは会社によって、経済的に打てなかったのでしょうか。たとえばJパワーが増資してその株式を当該機関あるいは会社がそれに応じて投資し、TCIの保有株式のウエイトを引き下げるというようなことは不可能なのでしょうか。

わたしのいいたいのは政治的な圧力で外資を締めだしたのは納得しかねるということです。いったん経済ルールに載せたらあくまで経済ルールのもとで方策を進めるべきではないかということです。伝家の宝刀はむやみに抜くと自らを痛めることになるでしょう。

(5月12日追記) 日経ビジネスオンラインによると東京都内での講演で欧州委員会のピーター・マンデルソン通商担当委員は「日本の対外直接投資は2006年に過去16年で最高の500億ドルに達し、日本は海外で直接投資の利益を享受している。反面、欧州は5億ドルしか日本へ投資していない。イギリスとオランダだけをとっても、日本から両国への投資1ドルに対して、欧州は3セント市価日本へ投資出来ていない」と述べています。

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いま考えていること 311(2008年04月;2008年9月追記)
−−地方財政の変換迫る−−

またまた素人の考えで的はずれかも知れませんが、後期高齢者医療の問題といい、どうもいま政治は特に財政問題を中心に大きい転換点を迎えていることを感じるのです。大阪府の橋下知事の出現でプロジェクトチームの提言が話題を呼んでいますが、地方も財政に新しい取り組みを始めざるを得ない従来にない法的な切迫感が求められている時期のようです。地方にとっては今までの隠れ財政の存在が「自治体財政健全化法」の施行で表面に露呈してきます。この施行を来年に控え、今年度の決算がベースになるので、今年度から具体的に財政の改善を迫られているのです。

「自治体財政健全化法」では、これまでと違い企業同様「連結」の思想が盛り込まれて、地方自治体の赤字部分をたとえば第三セクタ−部門に回して自治体「単独」では黒字にして決算する、という隠し決算の手法が採れなくなるところに大きな影響が生まれてきます。具体的には公営企業会計まで含めた「連結実質赤字比率」、公社・三セクまで含めた将来的税負担を示す「連結将来負担比率」という財政指標が、普通会計の「実質赤字比率」、債務残高の「実質公債費比率」に加えて設けられます。これら4指標の算定と開示が義務づけられ、指標の悪化度合いに応じて軽度なら「財政健全化計画」、重度なら「財政再生計画」を策定実施しなければならなくなります。朝日新聞社の試算では平成17年度「連結実質赤字比率」はあの夕張市で362.2%となり25%以上の自治体も15あります。

地方自治体も公営企業会計はもとより公社・三セクの健全化・抜本的見直しをせざるを得ず、住民も夕張市の轍を踏みたくなければ、これまでのように社会保障・医療関係にもただ支出の増額を要求するのが運動という時代は終わりつつあるように思うのです。

(2008年9月05日追記) 本日の毎日新聞朝刊に京都市が4日に発表した07年度決算の財政指標が出ていました。財政健全化法の適用は2008年土会計からなのですが、07年度についても試算することになっているからです。「連結実質赤字比率」の早期健全化基準は16.25%だそうですが、京都市の場合、試算では10.45%でしたから、合格点でした。一般会計の借金返済割合を示す「実質公債費比率」は12.9%(健全化基準は25%)でした。しかし公営企業収益に対する不良債務割合の指標「資金不足比率」の健全化基準は20%だそうですが、市バス事業63.1%、市営地下鉄事業128.8%で、国から改善計画の提出を求められるレベルです。

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いま考えていること 312(2008年05月;2008年8月追記)
−−かかりつけ医選定はちょっと待とう−−

厚生労働省のホームページで「高齢者担当医」のところを見てみると、「後期高齢者診療料600点/月」については、「患者の同意を得た場合に算定」「この診療料によらず、患者の病態ごとに出来高等での算定を選択することも可能」の文言が見られます。「後期高齢者医療」についてはわかりにくく、各地の医師会でも反対の運動が見られます。

わたしは患者の医療費節減が最大の眼目だと見ており、その柱の一つが「かかりつけ医」であり慢性の疾患に対し枠をはめるための「後期高齢者診療料600点/月」だとおもいます。この制度の実態はスタートしたばかりでつかみ切れませんので、当面 焦って「かかりつけ医」を決めることもあるまいと思います。医師も反対する人が多いのですから、みなさん、従来通りの受診形態を取ろうではありませんか。枠内診療を拒否して従来通りの出来高払いで行こうではありませんか。たとえこのために受診点数が600点を超えることがあっても。

わたしは考え方として保険料の年金からの天引きにはあまり抵抗はありません。なぜならこれ迄から年金はわたしの銀行口座に振り込まれこの口座から京都市の国保に毎月自動振り替えされていたからです。実質何も変わりません。年金からの天引きはけしからんと言う人ははじめから保険料支払いの意志がないと言うことなのでしょうか?天引き額のウエイトが大きすぎるというのは別の次元の問題で、国の負担なり現役世代の保険料負担を大きくして後期高齢者の保険料を引き下げる問題でしょう。

この問題に限らず、「後期高齢者医療保険」には問題点が多すぎます。東洋大学総長塩川正十郎・元財務相は4月17日の入学式で、「東大阪市内の自宅に『後期高齢者医療制度』の通知が役所から郵送されてきた。私は昭和21年の復員後から60余年、86歳の今日まで無我夢中で働き、懸命に人生を歩んできたつもりだ。しかし、その紙切れは私の人生を否定するものでしかなかった。世間や社会の「別枠」「邪魔者」になってしまったのか…。例えようのない寂しさ、悲しさに襲われた。新制度の対象とされた75歳以上の人々のだれもがそうであろう。先日も大阪から東京に向かう新幹線の中で見知らぬ高齢の男性から「わしらはもう死ねということですか」と涙目で訴えかけられた。私は「国が間違っとる」と返すのがやっとだった。福田康夫首相は「長寿社会の実現」を唱えてはいるが、いまの政治家や官僚は本当に庶民の生活の実態をみているのだろうか。後期高齢者医療制度は老人の医療負担を増やすだけでない。高齢の親を扶養するという伝統的な家族の絆(きずな)を壊すばかりか、夫婦の間にも水臭さを持ち込みかねない。昔の政治をすべて了とする気はないが、いまの政治は四角四面そのものだ。」 と語りました。今後の高齢者医療制度の確保には高齢者自身の負担も必要かとは思いますが、一度この制度は撤廃して、自民党の圧倒的議会優位の背景ではなく、この捩れ国会を前提にしてもっと理知的な制度設計を考え直さなくては国民の感情は収まらないのではないでしょうか。

(追記)介護保険料・後期高齢者医療保険料は条件付きですが年金から天引きされています。2008年10月からは65歳〜74歳の国民健康保険料も年金天引きとなります。さらに65歳以上の納税者は平成21年10月支給分からは個人住民税も天引きされます。2008年の地方税制改正によるものです。

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いま考えていること 313(2008年05月)
−−こどもの日−−

今日はこどもの日です。この日をただ子どもにサービスする日にしてほしくはないのです。もっと基本的な本質的な子どもの育て方を検討してほしいのです。わたしには3人の子どもがいますが、彼らが小さかったとき、どの幼稚園にいれるかという時、優先順位にしたのは「歩いて通園できる」ということでした。現在わたしは毎朝散歩をしますが、その途中に幼稚園があり、親御さんたちが小さい子どもを送り込んできます。その多くがマイカーに乗せて連れてくるか、自転車に取り付けた子ども座席に座らせて連れてきます。歩いてくる子は本当にいないと言ってもよいくらいです。これでは多くの子どもが大きくなっても外出には車に乗せてもらうあるいは自分で乗るのが習慣になってしまいます。交通事情が昔とはすっかり変わっていますから安全のために、歩かせない歩かせられない気持ちはよくわかります。しかし私たち人間は紛れもなく「動物」であり歩くことのできない動物には衰えが待っています。親もそのことには責任を感じなければなりません。

今朝は車も人も少なく、子どもの姿もほとんど見かけませんでした。帰りに通りがかった小学校でも人影まばらで運動場には大人の姿しか見られませんでした。せめて「こどもの日」には運動場を子どもあるいは親子に開放してかけっこをしたり、親子でキャッチボールをしたりとのびのびと遊ばせることはできないのでしょうか。君が代を歌うことよりも、全国統一学力試験を実施するよりももっと基本的に大事だと思うのですが、教育委員会にはそういう発想はないのでしょうか。こどもたちの頭の発達にも、人とのつきあい方でも遊びの間に学び身につけることは多いのです。ここは京都ですからこうなのでしょうか。田舎に行けばもっと昔のようにのびのび子どもたちは遊んでいるのでしょうか。それなら一安心です。

わたしは79歳ですが台風などよほどのことがなければ年中毎朝・毎夕散歩し、一日の歩行数は一万歩強になっています。これがわたしの現在の健康法の基本です。わたしの子どもの時は小学校でもたとえば後醍醐天皇に仕えた公卿千種忠顕が6月7日足利直義軍と戦って戦死した地に記念碑のある比叡山に登り、夜は山上でファイヤー。「太平記」の一節も聞き、三々五々肝試しに出かけた後、山中の日赤宿舎に泊まるという年中行事もありました。中学校では戦時のこととてよく軍事教練があり村田銃を担いで、軍歌を歌いながら嵐山までの行軍がしょっちゅうありました。ときには京都駅に夕方集合して背中には2kgの砂袋を背負って、奈良東大寺まで40キロの夜行軍という訓練もありました。その時には大変でしたが、その後教師になってからも教え子に助けられつつ、一年に3,4回は比良武奈が岳に坊村からいくつかの道を選びながら登ってきました。これらが現在の毎朝の散歩の土台になり、健康法の主要項目になっています。

畏友丸山君は彼の子どもが小さかったとき、自ら鶏を絞めて殺し、自ら料理して子どもさんと一緒に食べ、人間というのは自分でこういうことをしていなくてもどこかで他の生物の命を奪って食べていないと生きていけないのだと教えていました。こどもの日には子どもたちに人間も「動物」であることを教え、日常からせめてもっと歩く習慣を身につけさせたいものだと思うのです。そうしないと哀れなのは子どもたちで、文明化とともにひ弱になり、こどもたちを寿命や体力の衰えた将来に誘い込んでいる大人としての責任を、親の立場からも思い起こす「こどもの日」にしたいものです。

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