Ullmanの“Youth”


Youth is not a time of life,
it is a state of mind.
It is not a matter of rosy cheeks, red lips and supple knees,
it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions,
it is the freshness of the deep springs of ilfe.



青春とは人生のある時期のことではなく、
心の状態をいうのだ。
頬がバラ色をしているとか、唇が赤いとか、
膝がしなやかだとかいうようなことではなく
高邁な意志を持っているか
想像力はすぐれ、物事に激しく感動するかが問題だ
生命の深い泉が新鮮かだ。


Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetite,
for adventure over the love of ease.
This often exists in man of sixty more than a boy of twenty.
Nobody grows old merely by a number of years . We grow old by deserting our ideals.。



青春とは気分の上で勇気が欲望に根ざす
臆病さに勝り
安易さに慣れ親しむよりも冒険を好むことだ。
この点では六十歳の人の方が二十歳の
少年よりもしばしば優れている。
誰もただ年を取っているというだけで老いはしない。
自分の理想を捨てるときに初めて老いる。


Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles soul.
Worry ,fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.



歳月は皮膚の皺を増すが、
物事に感動しなくなると魂が皺む。
心労、恐怖、自己不信、
こういうものが
人の心を撓わさせてしまい、
精神を塵芥に戻してしまう。


Whether sixty or sixteen, there is in every being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living. In the center of your heart and my heart there is wireless station, so long as it receives message of beauty, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.



年は六十であろうと、十六であろうと、
すべての人間の心には、
不思議なものへのあこがれ
子供のような次に起こることへの
限りのない好奇心
人生を競技のように楽しむ心が潜んでいる。
あなたの心、私の心の真ん中には無線局がある。
それが美、希望、快活さ、勇気、力を、
人からの、造物主からの
メッセージとして感じ
受け取れる内は青年だ。


When the aerials are down, and your spirit is covered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.



このアンテナが失われ
あなたの心の髄が
雪にもたとえられる皮肉や
氷にもたとえられる厭世観で
閉ざされるようになったとき、
たとえ年齢は二十歳でも
あなたは年老いたのである。
しかし、あなたの心のアンテナが
高々と楽観論という電波を捕らえ続けるなら八十歳であっても
青年のままで死ねる望みが湧いてくる。

上の訳は私の試訳ですが、2006年2月広島の湯淺良之助氏からこの原詩についてのメールを頂きました。氏は作山宗久氏の訳文の改訳も示されていましたので、それも紹介しておきます。

        青  春                      Samuel Ulmann  作                     作 山 宗 久 訳                     湯 淺 良之助 改訳  青春とは人生のある期間をいうのではなく、  心の持ち方をいうのだ。  バラ色の頬、紅(くれない)の唇、しなやかな肢体のことではなく、  たくましい意志、豊かな想像力、燃えるような情熱をいう。  青春とは人生の深い泉の清新さをいうのだ。  青春とは怯懦(きょうだ)を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。  ときには、二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。  年を重ねただけで人は老いない。  理想を失うときはじめて人は老いる。  歳月は皮膚に皺を増すが、情熱を失えば精神はしぼむ。  苦悩・恐怖・失望により気力は衰え、生気ある精神は、芥(あくた)になる。  六十歳であろうと十六歳であろうと、人の胸には、   驚異に惹かれる心、子供のようなあくなき探求心、   人生への興味の歓喜がある。  君にも吾にも、心の中枢には、無線の通信局があるのだ。  人から神から、美・希望・喜悦・勇気・パワーの  霊感を受ける限り君は若い。  アンテナが低く垂れ、精神が皮肉の雪におおわれ、厭世の氷に閉ざされるとき、  二十歳であろうと人は老いる。  アンテナを高く張り、希望の電波をとらえる限り、  人は百歳であろうと、最後まで青春を謳歌して、生を全うすることが出来るのだ。

 原詩でeightyとなっているのを敢えて百歳と意訳したと述べておられる。

 また新井満『青春 Youth とは』(講談社 (2005)) で、タイタニック号の事件が起こったのはウルマン72歳の誕生日の翌日で、Youthはその後78歳の時に書かれているから「ウルマンは“無線基地”に“勇気と希望”を託そうとしたのではなかったか。死と紙一重のような状況で、最後まであきらめず死にものぐるいで“いのちのメッセージを発信しつづけた“アンテナ”に、青春を託そうとしたのではなかったか」との新井氏の推定に賛同され「wireless station」「aerials」という2語が非常に重要な意味を持つ事に注目されている。  私も訳に当たってこの語は重要だと思って訳した。

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