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注 アルツハイマー病を疑う10の症状


	1.日常生活を混乱させるほど記憶力が変わる
 	2.計画を立てたり問題を解決する能力が衰える
	3.家庭、会社、レジャーなどで馴れたことが最後まで出来にくくなる
	4.時間や場所について混乱する
	5.視覚的、空間的な関係の理解が難しくなる
	6.話したり書いたりする言葉の問題が生じる
	7.物の置き場所を間違えたり、来た順路を思い出せない
	8.判断力が低下したり判断が難しくなる
	9.仕事や社会活動から引きこもる
	10.気分や人柄が変わる
該当する項目が複数あれば、早期に受診することを勧めています。
 

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注 美輪明宏さんの目に映る日本

<特集ワイド>10歳で被爆 美輪明宏さんの目に映る日本

2009年8月7日(金)18:00 毎日JP 話題

 ◇原爆は愚かさの結果/政権交代は新しい息吹 10歳のときに長崎で被爆した美輪明宏さん。軍国主義が支配したころの日本は「愚かで野蛮だった」と振り返った。 しかし選挙を前にしたいま、「新しい息吹を感じる。政権交代もその流れ。古い汚いものは自滅していく」と力を込める。 【國枝すみれ】  美輪さんの家は長崎市南部の本(もと)石灰(しっくい)町(まち)にあった。原爆が投下された9日、縁側の机で 宿題の絵を描いていた。「絵の出来を見ようと椅子から立ちあがり後ろに下がったとき、マグネシウム1000万個を たいたような光に包まれた。あれっ、と思った瞬間、大音響、地響き。瓦が落ち、窓ガラスが飛び散った」  お手伝いさんと兄で、隣の船大工町にある防空壕(ごう)を目指した。家の外は地獄絵図だった。髪がずるりと抜けた 人、服なのか皮膚なのか判別がつかないほど焼けただれた人。死んだ子供をおぶったり抱いたまま逃げる女たち、 中腰のまま、坂の途中でぼーっと焼ける町を見ている下宿屋のお姉さん。リヤカーの上には枕が一つ。理性的な行動をして いる人は誰もいなかった。  金融会社を経営していた父は爆心地に近い浦上に集金に行く予定をサボって釣りに行ったため、助かった。実母は美輪 さんが2歳のときに病死、継母もすでに病死していた。山を越え、弟たちが疎開していた田手原村(たでわらむら)に 逃げた一家は、玉音放送を聞き、すぐに長崎に戻った。  昔カフェだった自宅の玄関にはショーウインドーが突き出ていた。ガラスは吹っ飛び、板とゴザをひくとちょうど縁側の ようになった。畳が懐かしいのか、溶岩が流れたような顔の人が「休ませてください」「水をください」と寄ってくる。 焼けただれた唇が合わず、茶わんから飲むことができない人には、土瓶で口に水を注いであげた。  「怖いというより気の毒でした。いまでも思い出します。いい年した大人が10歳の私を拝むんですよ、こうやって……」。 美輪さんが胸の前で手を合わせた。「ずいぶん多くの人に末期の水を飲ませました」。そんな状態が終戦後も2カ月近く 続いた。  美輪さんは浦上天主堂の近くにあった母方の祖母の家に向かったが、がれきの山があるだけだった。後に原爆で伯母が亡 くなったと知る。  「とにかく臭い。死体のような塊がいたる所に転がっている。親子の遺体は必ず子供がおなかの下に。抱きかかえるように 覆いかぶさって、自分は焼け焦げても子供は助けたいと思ったのでしょう」  既に恐怖感を超えていた。「もうおしまいだ。日本は二度と立ち直れない。この国はなくなるんだ」。そんな気持ちだけだった。    ■  県庁近くの小さな病院の前を通ると、髪の毛が抜け落ち、体中にやけどを負った人たちが炎天下に列を作っていた。 病院は半分壊れ、薬も包帯もない。治してもらえる可能性は万に一つもないのに座り込んでいる。夏だから傷口にウジがわく。 いくら取ってもぞろぞろと出てくる。  「あの光景を米軍に見せてやりたい」  原爆を開発した科学者、投下にゴーサインを出した政治家、死の商人たちは許せない。名前を挙げた科学者の一人は、 物理学者エドワード・テラー(03年没)。核兵器開発のマンハッタン計画に参加し、一部の科学者が反核に転じた後も 水爆開発の中心となった人物だ。「ビキニ環礁で水爆実験を成功させた後の記者会見で、放射能の後遺症は絶対にありません、 と笑ったやつ」  美輪さんも放射能の後遺症に苦しんだ。16歳で東京に出てきてから悪性貧血になり、髪が「だー」と抜けた。  「死んでたまるか、と思ってました。怖いなんて言っている暇はなかった」  上京後まもなく実家が破産。東京も長崎と同じだった。食物も家も仕事もなかった。銀座6丁目のキャバレーが3人の ボーイを募集し、美輪さんも赴くと応募者が新橋まで列を作っていた。  今秋、美輪さんは恒例の音楽会<愛>のプログラムに、原爆孤児を思って作った「ふるさとの空の下で」を入れた。 「やわになった日本人に活を入れるためです。不況というけれど、戦争中や終戦直後に比べれば極楽です」    ■  取材中、美輪さんは繰り返した。「私の原爆体験より、いかに一般の日本人が知力に欠けた生活を強いられたか、をお書きなさい」  米軍は武器も弾も食料もふんだんにあるのに、日本は竹やり。米軍の上陸に備えて、なぎなたの先生は女の子たちに「金玉の握り つぶし方」を教えていた。  「日本は石油も鉄もニッケルもない。もともと戦争できない国なのに、根性、根性、根性――。根性なんて何の役にも 立ちません。軍部は知力がなく、非科学的。日本人は野蛮人だった。その愚かさの結果が原爆ですよ」  原爆が落ちた日、美輪さんの家の屋根瓦が落ちたのは「天井板をはずせ」という町内会の通達に従ったからだ。 「スパイが隠れているかもしれない、不発弾がひっかかるかもしれないからって。そんなことを真剣に言っていたんですね 、当時の日本人は」  大声で話すと(米軍の)飛行機に盗聴される、と怒られた。歌や踊り、音楽、映画、芝居は「奢侈(しゃし)に流れる」 と禁止され、美しいものは軟弱という理由で排除された。着物は紺のもんぺ色、国防色のカーキ色、どぶネズミ色しか 許されず、美しい色を着ていたら警察にひっぱられた。インテリは国賊。大学を出た人が徴兵されると、上官に殴られた。  無能な上層部が国を運営して国民が疲弊した知力なき時代。美輪さんは戦後64年たっても憲法9条を変えようとする 勢力にその名残をみる。「そんな時代の残滓(ざんし)である自民党が壊滅状態になるということは日本が進化している 証しの一つだと思う」。美輪さん、すっきり言い切った。政治評論家だってここまで言わない。  世界はだんだんと良くなっている、と美輪さん。20世紀ほど王制や独裁政権が崩壊して民主化が進んだ時代はない。 21世紀にはヘッジファンドに代表される詐欺的資本主義のメッキもはがれた。  「日本でもホリエモンはついえた。亀田兄弟のように行儀作法を知らず見識もない人たちはボロボロになった」  日本アニメや日本料理が世界を席巻し、環境に優しいエコカーが人気だ。  「新しい息吹を感じる。政権交代もその流れ。古い汚いもの、余計なものは自滅していくんです。闇成り金のいいかげん な時代は終わりなの。これからはまともな人が評価を受ける。そんな黎明(れいめい)期です」 ………………………………………………………………………………………………………  ■人物略歴  ◇みわ・あきひろ  歌手・俳優。1935年長崎市生まれ。国立音大付属高校中退。17歳でデビュー。「メケメケ」「ヨイトマケの唄」 が大ヒット。「亡霊達の行進」「悪魔」などの反戦歌も作っている。主演舞台は「黒蜥蜴」「双頭の鷲」「椿姫」など。 音楽会<愛>は、ル テアトル銀座で9月11日から10月4日まで。 ……………………

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注 主婦と投資の経験−−プレジデント2009年5.4号から

“貯蓄から投資へ”のスローガンが掛け声倒れに終わった今、3人の主婦投資家に語っていただく機会を得た。投資を始めたきっかけは様々だが、おのおのがFX(外国為替証拠金取引)や投資信託で大きな傷を負っている面々だ。
かろうじて余裕資金の消滅で済んだ方がいる一方で、窮乏生活を強いられている方もいるなど一様ではないが、グローバル経済急転落のあおりをまともに受けた彼女たちに「敗戦の弁」をきいた。

主婦(仮名)大黒美千代●46歳。首都圏の高級住宅地に居を構え、夫(48歳)の経営するIT企業の役員に名を連ねる。FX投資で2500万円が消えた。株投資で稼いだエルメスのバーキンを3つ保有。
――FXを始めたきっかけは?
大黒 円・ドルの取引から始めて、変動幅の大きい円・ポンドに切り替えました。為替取引は10年くらい前から。友人の紹介で、「小遣いを稼げたらいいかな」と思って始めました。本格的にのめり込みだしたのは3年前。仕事や株で貯めた100万円が原資でした。

――株もやっておられたんですね。
大黒 バブル期にやってましたが、今は凍結状態(苦笑)。自営なので、仕事の合間でも手軽にできるし、FXのほうが安全だと思って小遣い稼ぎに始めました。
中西 私は投資信託が主。共働きの夫がネットでアドバイザーを見つけてきて、2005年、年率10%を目安に2000万円から始めました。
高橋 まだ結婚前でしたが、夫の勤務先でやっている人が多くて、「何でやらないんだ」「簡単だぞ」といわれて、07年の2月から夫が300万円、私が貯金700万円のうち500万円を元手に始めました。受付のオペレーターだったから、ネットは使い放題。帰宅後もずっとパソコン。中毒みたいなものですね。
主婦(仮名)高橋百合●35歳。昨年末に派遣先を解雇され、同棲中だった会社員の夫(38歳)と入籍。夫の年収800万円は漸減中で、「4000万円で購入したマンションのローンが厳しい」。
大黒 私は自宅のパソコン。あまりマメじゃないので、「レートがこのへんまできたら無条件で売る、買う」という基準をつくった。ポンドが動くのって夕方なんです。早出のヨーロッパ勢(の機関投資家など)が出てきて相場が動くから。
高橋 円とオーストラリアドル(との売買)で始めたんですが、動きが少ない。主人の周囲の人が(動きの激しい)ポンド、ポンドといってたので、すぐに円・ポンドにいっちゃいました。
――どれくらい儲かったんですか?
大黒 最初は1日5000円とか1万円程度でしたが、のめり込みだしてからはちょくちょく見るようになって、一番儲かったのは去年の4月18日。1日で70万円儲けました。
――イギリスの中央銀行の金融機関支援策が出て、ポンドが急上昇したときですね。

主婦(仮名)中西まゆみ●37歳、都内在住。外資系金融機関を退職。退職金をつぎ込んだ投資信託が半減したが、すでに億単位の資産を蓄積し、金融機関勤務の夫(39歳)も引退が視野に。子供なし。
高橋 すごーい! 私は最高で月100万円くらいです。ただ、画面の上だけの話で、儲かった分も換金せずにどんどん賭けていったので。でも、調子のいいときは朝起きれば上がってるし。
大黒 やってて一番面白かったのは、市場が総崩れする直前の昨年9月頃でした。スワップポイント(2つの通貨の金利差でつく儲け分)だけでも月に10万円くらいついてました。生活費とは別に、それだけのお金があったら嬉しいじゃないですか。毎日、パソコンの画面を見るのが楽しい。
中西 夜中につい、パソコンやケータイを開けて「うふっ」と笑って、また寝るとか(一同爆笑)。
高橋 みんな、やること同じですね。
大黒 あるとき、300万円入れた元手が400万円に増えた。嬉しくって、100万円の(エルメスの)ケリーバッグ買っちゃいましたもん。
一同 おー(感嘆の声)。
高橋 一昨年の7月には、250万円ずつ2つに分けていた元手の一方が850万円まで増えてました。夫の300万円も500万円に増えたから、お盆に2人でセブ島に行ったんですけど……。
――サブプライムが本格化した頃?
高橋 そう。時期が悪くって、1日中現地のネットカフェにこもってました。夜は夜でケータイをずっと使い通し。全然楽しめなくて。旅費の40万〜50万円はカード払いだから、結局は私の生活費をそのまま使ったことに。帰国したら、パケット代も2万円超えてました。それ以降は損ばっかり。3日で250万円がなくなったこともありました。お金を次々に追加しても焼け石に水。どんどんロスカット(損切り)され、9月や10月には私も夫もちょっとおかしくなってた。
中西 (絶句)……貯金は今、どれくらいあるんですか?
高橋 今ですか?(苦笑)年末に結婚したときはゼロ。FXをやる前の私の700万円と夫の300万円が消滅。でも、カネの切れ目が縁の切れ目にならず、かえってしがらみがなくなったことで結婚に踏み切れた感じ。ただ、運用の履歴書はもう見たくない。奥にしまい込んである。

大黒 ほんと、ポンドがここまで下がるとは、私も考えが甘かった。
中西 どれくらい消えたんですか?
大黒 トータルで……2500万円。
一同 えーっ!?
大黒 元本割れはかろうじて免れましたけどね。特に去年の10月7日は、一晩で600万円が消えたんです。前日急落したポンドに、また上がると思って買いを入れたんです。何となく嫌な予感がしたんですが、朝、起きたら画面がゼロになってた。もう、頭の中が真っ白ですよ。主人には内緒の分だったので……。
高橋 なんか男っぽくてカッコいい。

――アメリカで金融安定化法が成立したときですね。欧州に金融危機が飛び火し、円以外の主要通貨が叩き売られた。
中西 私は目標額1億円まで増やしたら、年利4〜5%の金利生活に入る計画で、東欧やインド関連の(年利)20%くらいのにバンバン突っ込んだんです。そのうち双方の実家に「やらない?」と声をかけました。主人の実家は2000万円を市場並みの金利のタイプに、主人の弟は1000万円を外貨建ての元本保証型に、ウチの実家も円建ての元本保証型で年利3%、毎年60万円小遣いが出るタイプに2000万円入れました。
――じゃ、親族を巻き込んで……。
中西 はい。去年の2月か3月からおかしくなりだして。運用成績は毎月10日にウェブ上で見られるんですが、ウチも双方の実家も2000万円が半減。義弟は数百万円の大損。今は、塩漬けしたまま見て見ぬフリしてます。
大黒 ケリーバッグを2000万円超で買った計算になった(苦笑)。今、手元にある800万円は、保険からの貸し付けと友人からの借金です。いつ何が起こるかわからない。正直、毎日が不安ですよ。今も勝負はしてますが、一度に1万円程度。そりゃビビりますよお。
高橋 大きく使ったのはセブ島旅行と、夫が10万円の腕時計を買ったくらい。月20万円のマンションのローンが残って、生活もままならない。ブランド物のバッグを質屋に出し、信用できる人から50万円ほど借りて生活しています。毎日をふりかけご飯でしのいで、ドッグフードも安いのに替えた昨年末、今度は私が派遣切りにあったんですよ。
一同 ……。
高橋 主人は負けず嫌いで、私に隠れてケータイで3万円、5万円でまだやってた。パソコンで見ればすぐバレるのに、男って可愛いというか。「解約するからね!」ってケンカしました。もう一度やれといわれてもイヤ。恐怖ですよ。
――貴重な体験談、有り難うございました。