謡曲について 能のことも

日常生活で謡曲に接するのはテレビドラマの結婚式場面での「高砂やこの浦舟に」くらいな物です。

昔は今のカラオケのように庶民の生活にも入り込んでいました。金沢のように謡の盛んな土地では、木の手入れをする植木の職人さんの謡の声が、樹上から聞こえてきたといいます。ともかくはじめて聞くと何を言っているのかも分からず、ただ退屈そのものというのも分かります。それが自分で習っていると、いつの間にか耳が慣れてきます。それでも能楽堂に能を見に行くと多くの人たちが膝に謡の本を開いていて、観て楽しむべき能の舞台はそっちのけに、本に首っ丈という景色も見られます。謡の文脈には古典からの引用を互いに組み立てて、その間をカケコトバで繋いであることも多く、それが洒落た文の流れをつくっているのですが、内容を理解しようとするとまた苦労です。勉強が必要ですから、取っつきがよくないのはうなずけます。謡の本にははじめに能としての構成と言葉の解説が付いています。

しかし一度たとえば歌舞伎の「勧進帳」とそのベースになった能「安宅」を見比べると、どんなに能の構成は無駄のない簡潔で力強いものであるかが分かります。また、歌舞伎との大きな違いは女性を演ずるときに、歌舞伎は女形を使い、声も“女”になりますが、能では声は地声のままです。決して女の声にはなりません。衣装や面は女ものに変わりますが、声は変わりません。同じ人が前シテでは武将を演じ、後シテでは女性を演じることも希ではないのですが、演じる人の心がシチュエーションに応じて変化していくことだけを重んずるのです。ユネスコは2001年5月18日第一回「人類の口承および無形遺産の傑作の宣言」で19件の「傑作宣言」対象の一つとして「能楽」を採択しました。能楽は世界の無形文化財になったのです。

謡はこの能の吟唱、合唱、語りの部分だけですが、上手な人が演じますと、それだけ聞いても能で描かれる情景が彷彿としてきます。京都にはまだまだ謡をたしなむ人も多く、能の会よりも素謡会の入りが良いのも理解できます。素謡会の謡は時には演者固有の「色」もみられて、それが人気も呼ぶのです。馴染んできますと、たとえば謡曲「山姥」の根底にあるのは、自然の「精」とりわけ「雲」そのものだという気がしてきます。そう思って能を見ると、衣装なり、扇に、「雲」のデザインが見られて、満足したものです。

演劇のすべてがそうですが、謡や仕舞、能を演じる楽しみは自分以外のもの、つまり、主人公そのものに自分が変身できることです。カラオケを歌っている人もその時は演歌の主人公になったり、その演歌を歌っている歌手に変身して、楽しんでおられるのだと思いますが、全く同じ事です。古い決まった形式で演じられますが、内容をよく理解し、いろいろ工夫すれば自分の思いを込めた謡が謡えるのです。顰めっ面をして譜面(謡本)を追って上っ面だけ謡う人がいますが、もっとよく内容を理解して、気持ちを込めて楽しみながら謡うと、二百番以上もある謡曲にはそれぞれ異なった内容と思いが、何百年に及ぶ洗練を経て緻密に込められていますから、二百以上の変身が楽しめるわけです。日曜日のNHKのど自慢でも合格する人は、音程が正確で、内容を理解して個性的に歌っている人です。声の善し悪しではありませんね。

私はクラッシク音楽もよく聴きますが、謡曲とも意外に共通することがあるのです。あまり有名でないシューベルトの初期の交響曲でもカールベームとベルリンフィルにかかるとおもしろく聴かせてくれます。あういはまた、グレン・グールドやリヒテルがピアノを弾くと、あまり有名でない曲も新しい命を吹き込まれて、面白く聴けるようになります。、平凡な出来の謡曲でも、謡うものの取り組み方次第では結構面白く謡え、また、聴けるということです。これも楽しみ方の奥義かもしれません。
どうか出来るだけ能に接する機会を重ねてください。機会を重ねると次第に慣れ、能のユニークな、生き生きした、深い人間描写や自然描写を楽しめるようにきっとなります。手引き書を読むのはやめて、自分の目と心を信じましょう。オペラやバレエだって、見る回数を重ねないと楽しむところまでは行けないのですから。

1998年10月の京都「市民しんぶん」に片山家の片山清司さんへのインタビュー記事が出ていました。その中で『能を楽しむ方法を』との質問に答えて、次のような一節があります。

“能は曲目の意図するイメージとかストーリーから人物像とかドラマを浮かび上がらせます。ですから、お客様はまずその曲目に対する自分自身のイメージを持っていただいて、動く絵画を見るようにご覧になっていただきたい。それともう一つ観ていただきたいのは『気』です。舞台に立つ役者の気の流れ方、やんわりした感じだとか官能的でやるせない気持ちを表現しているところ、ありもしない匂いであるとか。そういう表現を生み出す『気』をお客様に感じてもらえたらと思います。”

と。

表情がおばあさまの井上八千代さんに似てこられたのに驚きました。

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能楽鑑賞の手引き 1−−翁・岩船を例に

“能にして能にあらず”といわれる翁は、不思議な能です。確かにここには他の能とは違った私たち日本人の遠い祖先が繁栄、特に農耕民族として作物の豊作を祈る気持ちが窺えます。この能は何かのはじめ、例えば新しい能楽堂が出来たときとか、年のはじめの例会とかに繁栄を祈り、祝福の気持ちで演じられます。この日の一番終わりの切り能は「岩船」で観世流では短い半能ですが、こちらのテーマは海です。海に囲まれたこの国の祖先達は大地と海の豊穣を心から祈って生活していたのでしょう。だからこそ翁と岩船はペアになっていると私は感じるのです。翁で始まり岩船で終わる一日は、能楽堂にすがすがしい日本の気分が流れ、見る人すべてがこの気分を胸に能楽堂を後にします。舞台の上で翁の面をつけるのもほかの能には見られないことですが、面がつけられることで一日の舞台がいつもと違う気分に染められます。それは神の降臨が実感されるからです。翁の面も特別で、目も瞳だけではなく全体がくりぬかれ、ことに下顎が切り離されていて紐で上顎と結びつけられています。このような面はほかに見られず、いわば自然の顔に近い古風な造りです。このシリーズもやはり「翁」から始めることにしましょう

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昔は裏日本が大陸への表玄関でした。文化もかなりのものがこのルートから伝えられたに違いありません。奈良のお水取りには今でも若狭の神宮寺の水が鵜の瀬を経て二月堂の閼伽井(若狭井)へ送られると信じて行事が行われていますが、見方によっては大陸文化の、若狭から政治・文化の中心奈良への移送を語っているのかも知れません。福井の小浜を訪ねると古い形式の能舞台が今も見られます。現在日本各地にある能舞台の羽目板にはどこでもご存じのように松の木が描いてあります。この松は神が降られる依代(よりしろ)でいわば松は神そのものの象徴であり、能が元来神への捧げものだったことを表しています。小浜の能舞台には羽目板がなくて神社の拝殿のように吹き抜けているものがあります。舞台正面にあたる吹き抜けの先には、野外に本当の松が一本植えられています。翁は降臨した神を演者が代行する結構な曲で、古い能の中でも異色な崇貴なものであったに違いありません。

この能で謡われる神歌といわれる曲は言葉の大部分は意味が分からず、古く川口慧海師はチベット語だと言ったそうです。言葉の内容が分からなければすべて理解できないとすれば、クラッシク音楽など誰にも理解できないことになります。言葉の分析も無意味とはいいませんが、音楽を受け取るように神歌も素直に聴いて、それが醸す雰囲気を味わえればそれでよいと私は思います。言葉が分からなくても鑑賞には何の妨げにもなりません。いやそれどころか、「神歌」に現れる不思議な言葉はむしろ古代の日本人の気持ちに共感する大事な素材だとさえ思えます。舞台に満ちる伸びやかな、めでたさの気分はぐんぐんと迫ってきます。恐らくこの能を見ないと正月が来た気持ちになれないと言うファンもいることでしょう。翁の舞の各節で踏まれる足拍子と、三番叟が黒色尉となって踏む足拍子は「天・地・人の拍子」といわれますが、天から降臨した翁の祝福を受けつつ、大地の豊穣を祈る人々の願いが地を踏む黒色尉に凝縮されているといった趣です。

翁の面をつける間に舞台では「千歳」の舞が演じられます。私はこの舞は鶴の舞で神の降臨に先立って、天からの先駆けの鶴が祝福の舞を舞っていると感じます。所作にも鶴を思わせるものがあります。千歳が舞い終わると翁の舞となり、神が人間と国土に贈る祝福としか思えません。元の座に帰った翁は面を外し、神の代理を終わったシテは千歳と共に舞台を去っていきます。今度は三番叟が登場し、ちがった雰囲気の「揉ノ段」を舞います。これも翁に先立つ千歳のように地の神の登場を先駆け、祝う役割と思えます。役目を果たした三番叟が今度は地の神を兼ねることになり、後見座で黒色尉の面をつけてふたたび舞台に立ちます。黒色は土の色の表現なのでしょう。鈴を振りながら「鈴ノ段」を舞いますが、大地に種を播くようなリアルな動作についで、大地を清める気迫が激しい鈴を振っての立ち回りに表現されます。こちらも舞台で面を外し、地の神は戻って行きます。役割を終えた三番叟は退場します。この能では異例なことに正装した小鼓三人が、息のあったかけ声と共に力強い鼓のリズムを演奏し、晴れやかな気分を造る上で大きい役割を果たしています。


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能楽鑑賞の手引き 2−−山姥を例に

始めて能を見ると、第一何を言っているのか耳が受け付けませんし、動きは鈍いし、退屈きわまりないものだと思います。しかしある人たちにとっては、食事がたとえ摂れなくても一日中能楽堂に席を取って眺めていたい演劇なのです。何がそんなに魅力なのでしょうか。この世の舞台でありながら、異次元の世界が目前にあること、その表現は簡潔で無駄が無く、単刀直入に事の核心を描写していること、また一口に能と言っても作者により、創られた時代により、素朴な古代の人々の心象風景から、現代にも十分通じる人の心のドラマなどと実に多彩なのも魅力です。
不思議なもので見る回数を重ねると耳が慣れるのか、次第に何を言っているのか耳も受け付けるようになります。しかし、能を見る前に一応のストーリーは読んで頭にいれておかないと、舞台の上で展開されていく芸の面白さを楽しむ余裕が出て来ないのです。私も能を見るときは、膝に謡い本を乗せ、進行に合わせてページを繰っては行きますが、耳から入ってきた言葉が分からなくて、気になり、鑑賞の妨げになるときにチラッと見るのです。能楽堂で自分の謡の稽古をされているのか、舞台はそっちのけで本ばかり眺めている人を見かけますが、能はやはり演劇ですから見るものです。見る回数を重ねてきますと、自分なりのイメージが出来てきます。ここには山姥を例にして私がどのように観ているのか書いてみます。もちろん勝手な主観的なものですが。

この曲は正体の分からぬ山姥(やまんば)を主役にしているところが、すでに興味深いのですが、使われる面もいろいろの表現のものがあって一様ではありません。また舞の表現の豊かさが、見るものを飽きさせません。劇としてのストーリーの面白さもあります。あらすじを書いてみましょう。

山姥の舞で名声を得た百万山姥(ひゃくまやまんば)という都の遊女が善光寺にお参りします。旅路の情景が美しく謡われ、旅行記を辿るように「有乳の山」、「玉江の橋」、「汐越」と近くの名所が出てきます。やがて越後越中の境界にある境川に着き、輿を下りて徒歩で「上げ路」の山に差し掛かりますと、急に日が暮れてきます。そこへ一人の女が現れ、宿をしようと申し出ます。女の庵に泊まりますと、女は山姥の歌を聴きたいから泊めたのだといいます。驚く旅人に、女はあなたは山姥クセ舞で有名になったのに、本当の山姥の事を考え、心に掛けたことがないだろう、その恨みを言いに来たのだと言うのです。遊女は恐れ直ぐにも歌おうとしますが、山姥は月の出るのを待てといい、その時には自分も舞うと言って消え失せます。
やがて月が出、松風の音が笛の代わりに流れ出すと、山姥は哲理を述べ、自然の巧みの見事さを讃歎しつつ姿を現し、遊女にも舞を勧めます。クリ、サシ、クセと山姥と地謡が謡い、山とは、海とは、谷とは、と自分の考えを述べ、自分の住む自然の情景を描写し、やがては山姥自身が舞い始めます。この自然そのものが色即是空と仏の教えを表現しているのだよ、自分は人の目には見えなくても人の重荷に肩を貸し、機織りを手助けして人間と深く関わっているのだよ、どうか都に帰ったらこのことを人々に話してくれと言うのです。いったんくつろいだ山姥はふたたび立って、別れの舞を披露し、山姥の本性の山巡りの有様を見せ、いずくともなく消えていきます。

『山姥』の詞章は美しくまた仏教的で、「前生の業を恨む霊鬼あり 前生の善を喜ぶ天人あり、煩悩あり菩提あり」と人生の苦も喜びも共に是認しているのです。さて、信州の槍ヶ岳や常念岳のようなガラガラの山ではなくて、京都市内から近い坊村から武奈ヶ岳への登山道はそんなに山深くないのですが、秋ともなれば紅葉が至るところに見られ、日によっては雲が谷間から湧き上がっていくのを目の前に見ることができるコースです。不思議なことにこの道を歩いていると私は謡曲『山姥』を想うのです。
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クセのところで山姥は自分を語って「しかれば人間にあらずとて、隔つる雲の身を変え。仮に自性を変化して。一念化生の鬼女となって。目前に来たれども」といい、最後のキリのところでも「妄執の雲の。塵積もって。山姥となれる」と謡います。『山姥』という能は、谷間から湧き起こり、消えていく変転極まりない「雲」に山姥の形を取らせた、正に自然そのものを擬人化したものだと思うのです。特殊演出である 「白頭」という小書がつきますと、シテは頭に白髪を付けます。普通よりも重い演出になり、キリでの表現が大きく、頭上に被った雲をデザインした厚板を「山姥となれる」の詩句とともにはねのけ「峯にかけり」と大きく跳び返りますが、「雲」の要素をより強く意識したものでしょう。『山姥』の面白さは、こういう仏教の奥義や自然観という深い内容のものを理屈っぽくなくドラマとして表現しているところにあります。

さて、テレビで花柳壽南海(トシナミ)さんの河東節による「山姥」を見ました。これは能の気持ちを伝えた佳いものでした。

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能楽鑑賞の手引き 3−−弱法師を例に

謡曲の詩句を見ますと、昔の物語や和歌の言葉をつぎはぎしたような表現も多く見られます。謡曲文学はただ、つぎはぎに過ぎないのではないかと言う人さえいるくらいです。しかし実際に謡って見ると巧みに掛かり言葉を利用しながら纏まった一つの心象風景を、謡う人、能を見る人の中に作り上げていってくれる不思議な魅力を否定できません。詩は論理の世界ではなくて飛躍があります。それでいて一つの世界や情景の中に人々を散文よりも直感的に導いていってくれるのを否定されないと思いますが、謡曲にもそういうフシが感じられます。中には難解な言葉がゴツゴツ連なって、頭がおかしくなるようなものもありますが、多くの人に親しまれているものは謡い込むほどに、つぎはぎに見える文章も巧みにつじつまが合っていて自然な流れを作り、寧ろ巧みなものとして受け取れるようになってきます。

謡曲のもう一つの面は仏教文学と言ってもよいようなものが多いことです。『翁』のように仏教とは縁遠い、古代の日本人の“天の神”についての考え方を反映したようなものもありますが、多くの曲の思想的バックボーンは仏教です。確かに仏教文学と言ってもよいくらいに仏教で用いられる言葉が使われています。
弱法師(よろぼし)のシテは青年と捉えられていますが、古くは妻を伴って舞台に登場した(注)といわれます。弱法師の主題は、継母の讒言で哀れにも家から出され盲目になった青年の心境と、最後の父による救いなのです。物語の展開に合わせて共感していけばそれでよいのですが、私は妻を伴う演出が採られていたことに少し引っかかり、これは単に青年の悲劇の描写ではないような気がするのです。

黒木勘蔵氏によれば、今昔物語に出ている話が、あるいは原典かともいわれます。今昔物語巻四の第四の話「拘拏羅(クナラ)太子眼を抉り法力によって眼を得る語」がそれです。

クナラ太子に恋慕した継母が拒絶に会い、その腹いせに夫である阿育王に讒言しますが、これを見抜いた王を酔わせて奸策を弄したので、太子はみずから栴茶羅(センダラ)に眼を刳り抜かせて盲目になります。太子は妻を伴って王宮を出、その助けで何事もなくさすらい続けます。後年再会した王は自分の誤りを悟り、羅漢に頼んで太子の眼をもとのように治してもらいます。

この原話が謡曲「弱法師」ではどのように展開するか謡本に沿って見て行きましょう。

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河内の国高安の里の左右衛門尉通俊(さえもんのじょうみちとし)は讒言を信じて我が子俊徳丸を追放しますが、その誤りに気付き、仏の赦しを乞うために四天王寺で施しを志します。一方俊徳丸は悲しみのあまり盲目となり、放浪乞食の旅を続けていますが、折しも四天王寺に立ち寄ります。人々は足弱くよろめき歩く俊徳丸を“弱法師”と名付けて、慰みものにするのですが、弱法師自身は梅の花の香りを楽しみ、遊び、舞い、謡うのです。クリ、サシ、クセでは四天王寺を建てられた聖徳太子の徳を讃え、仏が讃えられます。弱法師が自分の息子であることに気付いた通俊は、夜に入ってから家に連れて帰ろうと思い、当面我が子に日想観を勧めます。観無量壽経には極楽に到るための十六の方法が書かれていますが、その一番初めが日想観です。落日を見て西方極楽浄土を想うのです。弱法師は心の眼で極楽浄土を眺め、またこの付近の景色をまるで目が開いているかのように眺め、感じ、詠じます。このあたり詩句が美しく、謡うものも弱法師と同様に景色を眺め、楽しむ気持ちに導かれます。夜になって通俊は名乗りを上げ、高安の里に盲目の我が子を連れて帰ります。

父、通俊との議論では弱法師はなかなか理屈っぽいのですが、日想観後の弱法師は素直に心に見える難波の景色を楽しみ、今までの自分を恥ずかしく思うのです。

いささか思い過ごしかも知れませんが、妻子を連れて放浪する弱法師は、私たち自身の象徴的存在に思えるのです。仏に救われる自分というものに気付かぬままに、この人生をよろよろと彷徨い歩いているのは私たちすべての人間ではないでしょうか。一度極楽世界の仏の存在を感じるとき我々の目は開き、仏が最後には私たちを救ってくれる教えを、この曲は示唆しているのではないでしょうか。このような見方で考えると、この能の作者は、今昔物語とは次元の違った深い内容を宿したものに仕立て上げていると言えましょう。高安の里からの通俊は、私にはすべての人間に救済の手を差し伸べた阿弥陀仏とも思えるのです。

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能楽鑑賞の手引き 4−−道成寺を例に

歌舞伎には松羽目(まつはめ)ものといって、能から題材を取ったものもかなりあります。京鹿子娘道成寺は踊りの会でもよく演じられますが、元は能の道成寺から来ています。能舞台の上に取り付けられた滑車はこの道成寺で使われる巨大な重い作り物の鐘を吊り下げるためだけの仕掛けです。この道成寺ほど壮大な演出をしている能はなく、歌舞伎との境界に位置する華やかさがあります。私は『養老』の水波之伝(すいはのでん)で演じられる囃子の、西洋のパーカッションにも劣らない迫力を愛しますが、本当にたぎり落ちる瀧とほとばしる水の勢いを如実に感じさせてくれます。この道成寺でも前半に出てくるシテと小鼓との、正に真剣勝負といっても良い「乱拍子(らんびょうし)」は緊張に満ちています。現実の時間の流れとは異次元の“時”が静かに緊張の内に流れていきます。始めて観たときは退屈な感じさえして、不覚にも居眠りをしてしまったものです。眼を覚ますとまだ前と同じ乱拍子がピンと張りつめた空気を醸しながら続いていました。

この能にも仏教の僧が登場はしますが、一向に宗教的ではなく仏教文学と言った感じは皆無といっても良いでしょう。僧も単なるドラマの登場人物に過ぎません。この能は全くもう演劇以外の何ものでもありません、だからこそ華麗に歌舞伎に変身したのでしょう。しかし、この能の原典は仏教文学の宝庫“今昔物語”にあります。

それは巻十四の第三“紀伊国道成寺僧写法花救蛇語(きいのくにどうじょうじのそうほっけをうつしじゃをすくうはなし)”です。ここでは安珍、清姫の名は出てきませんが、後には二人の名で有名な物語となり、今も道成寺を訪ねると名調子で縁起を講釈して下さいます。

熊野詣での老若二人の僧がいます。ある夜一軒の家に泊めてもらいますが、その家の主人は若い未亡人です。美貌の若い僧に一目惚れした女主人は夜半僧の寝所に忍び込み、添い寝をして僧を驚かせます。僧は私は宿願があって熊野権現に参るところで精進潔斎中だと言うのですが、主人はなおも一晩中僧に寄り添い、誘惑を試みます。困った僧はそれでは帰り道にはあなたの言うとおりにしましょうと約束して熊野に出立します。女はいよいよ恋情を募らせて待つのですが、僧は女を恐れて他の路から帰途についてしまいます。このことを知った女は嘆き悲しんで寝屋に籠もり、やがて死んでしまいます。寝屋からは五尋(ひろ)ほどの大蛇が出て、僧のあとを疾風のように追いかけます。二人の僧は道成寺に助けを求めます。寺の僧は相談の末、若い僧を鐘の中に隠し、門を閉じるのですが、追ってきた大蛇は門を超え、鐘楼の扉をたたき壊して中に入り、鐘を巻き、尾で竜頭を叩き、両眼から血の涙を流し、顎を持ち上げ舌なめずりして愛恋を露わにして立ち去ります。鐘は大蛇の毒熱のため焼け、炎さえ盛んです。こうして若い僧は鐘の中で白骨と化すのです。後、この僧も大蛇となって、女大蛇の夫となりますが、道成寺の老僧の夢に現れ、成仏のための回向を乞うので、老僧は法華(法花)経の写経をしたところ大蛇夫婦は共に成仏し、天に昇ったと今昔物語には書かれています。

この話が能の道成寺ではどのように変身展開するか謡本に沿って見て行きましょう。

ワキの道成寺の僧が、ある理由のためこの寺には長い間撞き鐘がなかったが漸く復活したので今日は鐘供養をしたいと口上を述べ、能力(ノウリキ)に鐘を鐘楼に掛けさせ、女を一人たりとも境内に入れてはならないと命じます。シテの白拍子が登場し、道成寺で鐘供養があるとのことだから行くのだと言い、やがて寺に到着します。美しい白拍子の頼みに能力は立ち入ることを許してしまいます。白拍子は美しく乱拍子を舞い納め、隙を伺って“この鐘恨めしや”と鐘の竜頭に手を掛け、落ちてくる鐘に合わせて鐘の中に飛び込みます。これはなかなかタイミングの難しいものだといいます。ここで中入りとなり、シテは鐘の中で衣裳も面も変えて本来の蛇の姿に変身するのです。ワキの僧が現れ、なぜ女人禁制を言うのかと例の道成寺の縁起を話します。ここでは今昔物語とは違って女は真砂の荘司(ショウジ)の娘、熊野詣での僧は一人だけで山伏となっています。そのあと道成寺の僧(ワキ)は祈って女を執心から成仏させ、再び鐘を上げようと一心に祈り、鐘を引き上げますと中から蛇に帰った女が現れ、尚も鐘への執心を鐘に向かって示しますが、やがては日高川に跳び込んで行くのです。

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この能はこのように道成寺後日談の形を取っています。登場する白拍子はもとよりこの世のものでは無く、怪しい雰囲気ははじめから立ちこめています。この能は通俗的にはたいへんドラマ的で、美しくもあり、思い詰めた女の恋心が哀れにも思われ、日本舞踊の格好のテーマともなったのですが、能ではこの怪しさが、鐘を中心とした演出の工夫ともなり、恋を妨げた鐘への恨みと執心がテーマです。これが囃子方とのあいだに醸し出される張りつめた緊張感にもなって、他の演劇には見られない魅力を作り上げています。

しかし、始めてご覧になるとおそらくその運びののろさに退屈を感じられることでしょう。乱拍子が延々と続くのですが、これは道成寺の長い石段をのぼる歩みを象徴すると同時に、この能はあるいはゆっくりと流れていく“中世の時間”がテーマであり、その演劇化なのかも知れません。現在と違って過去には時間が、もっとゆったりと大河“日高川”のように、いろいろのドラマをその中に包みこみながら流れていたのでしょう。私たちはこの能の進行に自分の心を合わせることによって、今は日常もはや出会うことのできない“時”の本来の姿に浸れるのかも知れません。

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能楽鑑賞の手引き 5−−羽衣を例に

この項の挿し絵には1999年年頭小浜の吉田正喜さんから来た年賀状を使わせていただいています。吉田さんは私の謡と仕舞の先生である武田欣司先生の恩師ですが、また欣司先生のお弟子の一人でもあります。たくさんの能の絵を描いておられます。さすがにご自分も謡を嗜んでおられるだけに、絵にはそれぞれの能の心が生きています。

私たちの小学生の時には国語の教科書にこの羽衣の話は載せられていましたから、ストーリーはよく知っていました。この天人伝説は廣く世界に分布しているのだそうで、日本の昔話でも静岡だけではなく、例えば稲田浩二先生の“昔話の年輪80選(ちくまライブラリー32)(筑摩書房刊)”の中には島根県美保関に伝えられた天人女房の話やアイヌに伝わる天人女房の話が載せられています。しかし世界各地の天人伝説は天人が羽衣を奪われて、やむなく奪った男の妻になるという筋のものが多いのだそうです。沖縄の組踊りに“銘苅子(めかるしー)”がありますが、松に掛けた羽衣を奪われた天女は銘苅子の妻になり二人の子どもを儲けています。後に羽衣の隠し場所を子どもの歌う歌から知った天女は羽衣を得て天に帰ってしまうのですが。
しかしこの能では男女の婚姻というものは描かれず、天上界のものと人間界のものとの隔たりは保持されたまま美しい東遊びの舞を中心としたやりとりに終始し、「疑いのある人間と純粋で偽りのない天人の対比」がテーマです。後は静かに天衣無縫の舞の美しさを堪能すればよいのです。忘れがちな「純粋さ」を思い起こさせるところにこの能の魅力があるのです。この能は短い物で、謡としてはどちらかといえば初歩者向きの物ですが、天の心を「清浄」の二字で表現し、われわれ日本人がその天の心を敬愛する民族であるならば、これほど日本の心を映している演劇は無いでしょう。「高潔」と言い直すこともできるでしょうか。装束の淡麗さもあって、すがすがしさを見ていて感じるのです。知人で能を舞ってみようかという方にはぜひ“羽衣”をとお勧めするのですが、能を日本特有のものをアピールする演劇と位置づけるなら、これほど能らしい能はありますまい。

うららかな春の日、漁夫白龍(はくりょう)が仲間と一緒に釣りに出かけます。このはじめの文章からして、すでにのどかな春の気分が漂います。松に美しい衣が掛かっていて、並みのものとは思えないので白龍は持ち帰り家宝にしようとします。そこへ天人が現れて羽衣が無いと天に帰れないので返してくれと懇願するのですが、白龍が聞き入れてくれないので、天人はしおしおと打ち萎れてしまいます。その姿があまりにもいたわしく、白龍はここで天人の舞楽を見せてくれれば衣を返そうと申し出ます。喜んだ天人は月世界の舞を舞おう、そのためにもまず衣を返して下さいと言うのですが、白龍はこの衣を返したなら、舞わずに天に昇ってしまうだろうといいます。天人は「いや疑いは人間にあり。天に偽りなきものを」と応えます。わが身を恥じた白龍が衣を返しますと、天女は衣を著け舞を始めます。これが後世の東遊びの駿河舞の起源なのだそうです。舞の高ぶりの内にそのまま天女は空高く昇っていきます。

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さて、現在
Realplayer Basic(無料)をダウンロード後インストール(Netscapeなら\Netscape\Communicator\Program\Pluginsに)されますと、Realplayerが組み込まれます。右側の羽衣の絵をクリックして、暫く気長にお待ち下さい(Java起動に少し時間が要ります)“羽衣”と出ましたら、左端の三角形をクリックして下さい。能“羽衣”のキリの部分が演奏されます。音量調整はRealplayer画面上でできます。 もちろんRealplayer plusでも流れます。最新のRealplayerは音質が大変よくなりました。

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