アルクメオーニス

[解説]
 この詩の中で語られる主たる出来事は、母親エリピューレーがアムピアラーオスを死の運命に引き渡した咎でアルクマイオーンが母親を殺すことと想像できよう。これは、最初のテーバイ遠征には自然な成り行きだが、アルクマイオーンが嚮導する2番目の遠征とは簡単には結びつかない[註]。それゆえ、この物語は、エピゴノイ伝説の発展の前に来るのかも知れない。

 悲劇作家たちに人気があり、彼らの扱い方が後の神話作家たちに影響を与えた結果、どれくらい叙事詩にさかのぼるのかを知ることは難しい。アルクマイオーンが自分の母親のエリニュスたちによって狂気に駆られるというモティーフが、例えば、オレステース物語の類推によって、悲劇作家たちによってまとめ上げられたのかも知れない。しかし、アルカディアやアイトーリアを通ってアイトーリアに至る彼の旅の伝承を彼らは案出しなかったであろう。テューデウスがアイトーリアから逃亡したという言及(fr. 4)は、アルクマイオーンがテューデウスの息子ディオメーデースを伴って いかにしてそこに行き、一族の敵たちを敗走させる手助けをしたかを、『アルクメオーニス』が告げていたのかも知れない[1]。彼が自分の母親を殺したとき、太陽の下に存在しなかった生きる場所を、アポッローンの神託に従って、見つけ出すことで、自分の血の穢れからいかにして放免を見出したかにも関連していたらしい。アケロオースの河口を塞ぐことで、新たにできた地に彼はそれを見出した[2]。西方の領域に対する詩人の関心は、断片5によって確かめられる。

[1] Ephorus FGrHist 70 F 123; Apokkodorus 1.8.6.
[2] Thucydides 2.102.5-6; Apollodorus 3.7.5; Pausanias 8.24.8.-9.

 作品が名のある作者に帰せられることはない。重要なことは、それがデルポイの神託に与えられ、アカルナニアに関係し、これはキュプセロスやピンダロスの時代にコリントスが植民した地域であり、ザグレウスへの言及(fr. 3、ほかにはアイスキュロスの作品中に初めて耳にされる)、これらは前6世紀ないし5世紀初めを指していることである。

[註] Gantz, Early Greek Myth, 525参照。




アルクメオーニス(=AlkmewnivV)

1 Schol. Eur. Andr. 687
 『アルクマイオーニス』を詩作した人も、ポーコスについて謂っている。

ここにおいて、彼を神にもたぐうテラモーンは、輪のごとき円盤で
頭を撃てり。ペーレウスはといえば、すばやく手を振り上げて、
造りよろしき青銅の戦斧で背の間中を攻撃せり。

ポーコス(ポーキス人たちの祖先)、テラモーン、ペーレウスはアイアコスの3人の息子。ポーコス殺害後、テラモーンはサラミスに、ペーレウスはテッサリアに行って住んだ。

2 Ath. 460b
 『アルクマイオーニス』を詩作した者も謂っている。

地に広く葉を敷きたる上に、
遺体らを寝かせ、それにふんだんの
食事と酒杯を供え、頭には冠を置きぬ。

3 Et. Gud. s.v. ZagreuvV
 大いに狩猟する者〔の意〕。例えば、

女主人ゲーと、あらゆる神々のうちまったく超越したザグレウス

『アルクマイオーニス』を書いた者が謂った。

Cf. =Eklogai; diafovrwn olnomavtwn, Anecd. Ox. ii 443.8.
ザグレウスの誤った語源説明。アイスキュロス(frs. 5, 228)の中では、彼は地下世界の神である。この詩行はおそらくパピルスに由来する。そこではアルクマイオーンは、父親アムピアラーオスを呼び出すために大地の力を勧請している。

4 Apollod. Bibl. 1.8.5
 さて、テューデウスは高貴な男となったが、人を殺したために追放された。〔殺された相手は〕ある人たちはオイネウスの兄弟アルカトオスと言い、『アルクマイオーニス』を書いた人は、オイネウスに対して策謀したメラースの子どもたち、すんわち、ペーネウス、エイリュアロス、ヒュペルラーオス、アンティオコス、エウメーデース、ステルノプス、クサンティッポス、ステネラーオスだと言う。

5 Strab. 10.2.9
 『アルクメオーニス』を書いた人は、ペーネロペーの父イカリオスも2人の息子、アリュゼウスとレウカディオスがいて、アカルナニアにおいて父親ともども権力者となったという。

アリュゼウスとレウカディオスは、アカルナニアの都市アリュゼアと、近傍の島レウカスとの神話的名祖。

6 Schol. Eur. Or. 995
 〔エウリピデスは〕仔羊にまつわる話のために、『アルクマイオーニス』を詩作した人に従っているように思われると、kuklogravfoVディオニュシオスも謂っている(15 F 7)。だがペレキュデース(fr. 133 Fowler)は、仔羊が紛れこまされたのは、ヘルメースの怒りのせいではなく、アルテミスの〔怒りの〕せいだと謂う。また、『アルクマイオーニス』を書いた人は、羊の群をアトレウスのところに連れて行った羊飼いをアンティオコスと呼んでいる。

黄金の仔羊がアトレウスの家畜の中に見つかった。彼はこれの力を根拠に王位就くことを主張した。兄弟のテュエステースは、彼の妻〔アーエロペー〕をたらしこんで、仔羊を手に入れたが、追放された。この話は、自分の夫に対するエリピューレーの致命的な裏切りに対応しているとして、『アルクメオーニス』の中で語られたのであろう。

7 Philod. De pietate B 6798 Obbink
 そしてクロノスの御代の生活は、最も幸福だったと、ヘーシオドスが書き、『アルクメオーニス』を詩作した人も、ソポクレースも云々(fr. 278 R.)。


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