トローイア環

 テーバイ戦争とトロイア戦争とは、神話時代における2つの大きな軍事的事業であった。これらの戦争は、ヘーシオドス(『仕事と日々』161-165)によれば、半神と呼ばれる英雄たちの種族に終焉をもたらした。『イリアース』の詩人は、もっと初期の戦争についても知っており、幾つかの箇所でそれに言及している。

 事実、伝説は2つの別個のテーバイ戦争について語っている。七将による失敗したテーバイ攻めと、その息子たち、いわゆるエピゴノイによる成功したテーバイ攻めである。前者は、オイディプースの息子たちの間の喧嘩から起こったものであるが、これはもっと有名な、もっと深い伝承に根ざしていた。これは『テーバーイス』の主題であった。2番目の、『エピゴノイ』の主題は、後の考案で、最初の戦争の青ざめた反映であった。幾つかの細部は明らかに前者を手本にしていた。『ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ』の中に報告されていることを信じることができるなら、これらの叙事詩のそれぞれは、長さにして7000行、『イーリアス』のおよそ半分以下である。

 他に2つの関連する主題がある。『オイディポデイア』は6600行あったと言われ、オイディプースの話を述べていた。『アルクメーニオス』は、長さは不明で、アムピアラオスの子アルクマオーンについて語っている。アルクマオーンは(オレステースと同じく)母親殺しで有名になった。これを彼がおかしたのは、第1のテーバイ戦争に彼女が果たした役割のせいである。

 これらの内容についてわれわれが知っていることから判断するに、テーバイ環の詩群は、『イーリアス』や『オデュッセイア』とは異なった精神を呼吸している。家族内の争い、殺人、復讐心に燃える追放、残忍非情な女たちや戦士たちを強調することで、彼らはゲルマンのサガの世界の一介の研究者以上に気づかせてくれる。




オイディポデイア

[解説]
 Borgia銘板はこの詩をキナイトーンに帰する。内容についてわれわれが知っていることは2つにすぎない。スフィンクスは貪り喰らう怪物として表されており、摂政クレオーンの息子さえ犠牲になったことと、オイディプースの息子たち、ポリュニケースとエテオクレースは、(悲劇作家たちがいうのとは違い)母親との近親相姦的結合の産物ではなく、エウリュガネアひとりとの最初の結婚から生まれたとすることである。われわれは、彼の母親が詩の中で何と呼ばれたのか、この物語の最初の言及(Od. 11.271)のようにエピカステーなのか、悲劇の中にあるようにイオカステーなのか、あるいはまた何か他なのかさえ知らない。




オイディポデイア(Oijdipovdeia)

TESTIMONIUM

IG 14.1292 ii 11=Tabula Iliaca K (Borgiae) p.61 Sadurska
 ラケダイモーン人キナイトーンによって、6600行の叙事詩に詩作されたと言われている『オイディポデイア』は省いて、われわれは『テーバーイス』を前提としよう[


断片集

1 Paus. 9.5.10-11
 彼女〔イオカステー〕と彼〔オイディプース〕から子どもたちは生まれなかったとわたしは思う。証人としてホメーロスを用いよう。彼は『オデュッセイア』(11.271-274)の中に詩作している。

われはまた、オイディプースの母、美しきエピカステーを見たり
胸に少しも覚らぬばかりに、自分の息子と結婚する
という大それたことをしでかし、息子の方も父を殺して
〔母と〕結婚した、しかしたちまち、神々が人間どもに知れわたらせた。

だからして、たちまち知れわたらせたとどうして詩作することがあったろう、かりにもし、エピカステーとオイディプースとの間に4人の子どもたちが生まれたとしたならば。彼ら〔4人の子ども〕はヒュペルパースの娘エウリュガネイアから生まれたのである。『オイディポデイア』と〔世人が〕名づけている叙事詩を書いた人も明らかにしている。

Cf. Pherec. fr. 95 Fowler; Apollod. Bibl. 3.5.8; schol. Eur. Phoen. 13, 1760.

2* Asclepiades FGrHist 12 F 7a

sphinx.jpg
地上に2足と4足のものあり、声は1つ、
また3足のものもあれど、姿のみを変える。地を
這い、空に、海に動くかぎりは。
されど、最も数多くの足に支えられて歩むとき、
その時こそかのものの肢の力は最も弱し。

Ath. 456b; Anth. Pal. 14.64; Argum. Aesch. Sept., Soph. O.T., Eur. Phoen.; schol. Eur. Phoe. 50; schol. et Tzetz. in Lyc. 7.
 さまざまに引用されているスフィンクスの謎の六脚律の出典は、トラギロスのアスクレーピアデース(前4世紀後期)に行き着く。彼がこれを『オイディポデイア』から採る好機がある。この謎の答えは、「ひと」である。「ひと」は四つん這いで這うことからはじまり、最後は三番目の足つまり杖を使うことで終わる。

3 Schol. Eur. Phoen. 1760
 〔スフィンクスは〕小さいものらも大きいものらも掠ってむさぼり食った。その中にクレオーンの子ハイモーンも含まれていた……『オイディポデイア』を書いた人たちは、スフィンクスについてこう謂っている。しかし、他の人たちのうち、最も美しく且つ最も慕わしいひと、申し分のないクレオーンの愛しい子、神々しいハイモーンもいた。

Cf. Apollod. Bibl. 3.5.8.
 ソポクレースはハイモーンをアンティゴネーの婚約者に仕立てあげた。


forward.GIFテーバーイス