無名詩人の叙事詩

[解説]
 「ナウパクトスの叙事詩」(Naupaktia、ないし、Naupakutika)は、通常はその題名のみで引用されるか、あるいは、「『ナウパクティカ』の作者」という慣用句で引用されたにもかかわらず、まったくの作者不明というわけではないのは、パウサニアスが、ラムプサコス人カローン(前400頃の作家)はこれをカルキノスという名のナウパクトス人に帰する一方、たいていの人はこれをミレトス人の作としている、とわれわれに告げるとおりである。彼のいわんとすることは、題名はナウパクトスの出来事への何か特別な集中によっては説明されないということである。ということは、この題名は、ナウパクトスの領域に流布していた詩、あるいは、そこに起源すると信じられた詩を意味するだろうということである。[註]

[註]きわめて明瞭な並行が、『キュプリア』の題名である。おそらく『ポーカイアース』も『イーリアス』も『小イーリアス』も。

 パウサニアスは、これを「女たちについて」であると記述している。これが示唆しているのは、構成は、ヘーシオドス作とされる『エーホイアイア』と同じく、その出発点をさまざまな女主人公に有する系譜の連続をともなうということである。しかし、少なくとも、英雄的な典型のひとつの充分な叙述、つまり、アルゴー号の乗組員たちを内容とする。断片の半分以上は、ロードスのアポッローニオスに寄せた古註に由来し、これは、アポッロニオスの叙述の詳細と古詩のそれと対照をなしている。このことは、ナウパクトスの詩人の関心が北西にあることの徴で、その〔北西は〕ペリアースの死後(fr. 9)、イアーソーンがコルキュラの統治者として現れる。これは疑いもなく、エーペイロスの人物メルメロスがイアーソーンと提携した時代の、コルキュラ人たちの伝承であった。

 『ポローニス』は、アルゴス神話における最初の人間であるポローネウスとその子孫の話である。アルゴスに焦点があることは断片4に明らかであるが、他の断片においては、プリュギアのクーレーテースやイーデーのダクテュロイたち(2-3)についての断片のように、まったく明らかでない。この詩がイーオーのエジプトへの旅や、彼女を先祖とするエジプトの家族が結局はアルゴスに帰るのかどうかは明らかではない。先の話は他の無名詩人の詩『ダナイス』あるいは『ダナイデス』に関係づけられる。ここでは、英雄的な(単一の挿話)詩よりもむしろ系譜学的な詩に分類されるのは、神話の本質からして、ダナオスの娘たちによる自分たちの花婿であるアイギュプトスの息子たちの殺害と、助かったひとりリュンケウスから世襲される王統とに不可避的に導くからである。この詩の、6500詩行と報告されているこの詩の注目すべき長さもまた、広い視野を示唆している。『ポローニス』のように、それはクーレーテースについて(断片3)、また、神々に関する神話(断片2)について、話をする機会を見つけるのだが、ダナオスの娘たちの武勇談との関連性は曖昧である。

 この段落に述べられたことは、『ミニュアース』の諸断片についても当てはまる。ミニュアース人たちはオルコメノスの伝説上の住民で、この詩は、おそらく、ボイオーティアのその部分を覆う系譜学から始まるのであろう。ミニュアース人たち自体[註]の、あるいは、彼らの名祖であるミニュアースに関する特別な神話はない[註]。しかしながら、断片は、もっぱら、テーセウスとペイリトオスとの冥界下りと、そこで彼らが出会い、罰を受けている姿を観察したさまざまな人々の説明から成っている。これがミニュアース人の事件とどう関連するのかは、まったく曖昧である。

[註]アルゴナウテースたちがミニュアース人であったというのは、二次的発展である。

 『ミニュアース』がテーセウスとペイリトオスとの冥界下りについての詩と同じだということはありそうなことである。パウサニアス(9.31.5)は、詩の一覧の中でこれに触れ、ある人たちは(彼の見解では間違って)ヘーシオドスの作としているという。もしもこれらが2つの異なった詩だったとしたら、その場合は、ここで『ミニュアース』の断片7とされたパピルス断片は、そのいずれかである[註]。しかし、『ミニュアース』は、流布という現実的な証拠のある詩として、もっと強力な主張を有する。そして断片7.1-2においてメレアグロスが自分自身の死について言っていることは、断片5での報告と正確に対応するのである。

[註]Hesiod fr. 280 Merkelbach-Westもそうである。




ナウパクティア(Naupavktia)

TESTIMONIUM

Paus. 10.38.11
 ヘッラス人たちによって『ナウパクティア』と名付けられた叙事詩は、多くの人たちはこれをミレートス人の作に帰する。が、ピュテースの子カローン(FGrHist 262 F 4)は、これはナウパクトス人カルキノスが詩作したものだと謂う。われわれもラムプサコス人のこの判断に従う。というのも、女たちをめぐってミレートス人によって詩作された叙事詩に、自分たちの『ナウパクティア』という名を付けることにどんな道理があろうか?


断片集

1 Schol. (T) Il. 15.366c
 詩人〔ホメーロス〕と同様、ヘッラニコス(fr. 121 Fowler)も、エリオーペーはアイアースの母親だと謂う。しかしペレキュデースは第5巻(fr. 24 F)の中で、ムナセアースは第8巻(FGrHist iii. 153 fr. 19)の中で、〔アイアースの母親だったのは〕アルキマケーだと〔いう〕。他方『ナウパクトスの女たち』の詩作者は、彼女は二重の名前だと謂う。

そして彼女はその後、きわめて若かったので、完美な乙女を生んだ
これを、母方の祖母はエリオーペーと名づけだが、
父とアドメートスは、アルキマケーと呼んだ。

2 Herodian. p. mon. levx. 15 (ii. 922. 1 Lentz)
 rJhvn……合成語にして『ナウパクティカ』を作詩した人〔の作品〕にpoluvrrhn

しかし彼は、行く手もはるかな海の彼方に、
館を建てた。羊に富み、家畜に富む男が。

3 Schol. Ap. Rhod. 2.299, "keuqmw:na KrhvthV"〔クレータの隠れ家〕
 『ナウパクティカ』を詩作した人と、ペレキュデースは第6巻(fr. 29 Fowler)の中で謂う、彼女ら〔ハルピュイアたち〕はクレータの洞穴(アルギヌース[註]の丘の麓にある)の中に逃げたと。

[註]不詳。ハルピュイアたちはボレアースに追われた。偽ヘーシオドス断片150-156と比較せよ。

4 Schol. Ap. Rhod. 3.515-21
 アポッローニオスが謂うには、これら牛は軛につなぐために選抜されたと、だが『ナウパクティカ』を作詩した人は、彼によって数えあげられた最も善勇の者〔英雄〕たちのすべてであると。

5 Schol. Ap. Rhod. 3.523-524
 『ナウパクティカ』の中では、イドモーンが立ち上がり、イアーソーンに、その仕事を引き受けるよう指示する[註]。

[註]断片4から、その仕事とは、アイエーテースの火を吐く牛を軛につなぐことである。

6 Schol. Ap. Rhod. 4.66a, 86 (cf. 3.240)
 『ナウパクティカ』を詩作した人によれば、自分の選択意思でメーデイアは出奔したのではない。アルゴナウテースたちは謀によって食事に招かれ、彼らの破滅の瞬間が差し迫ったとき、アイエーテースに妻エウリュリュテーとの媾合の衝動が起こり、イドモーンがアルゴナウテースたちに脱走するよう忠告したので、メーデイアもいっしょに出帆したのである。

(86) 『ナウパクティカ』を詩作した人が謂うには、アプロディーテーによってアイエーテースは眠りこけたのだという……アルゴナウテースたちが彼のところで食事をし、眠りにつきかかったのは、彼が船に火を放つことをたくらんでいたからである。

まさにそのとき、尊いアプロディーテーはアイエーテースに渇望をうえつけた。
奥方エウリュリュテーと愛の交わりをしたいとの渇望を。
彼女の心にある関心事は、懸賞もったイアーソーンが、
組み打ち戦う仲間たちともども家郷へ無事帰ること。

 イドモーンは何が起こったかを悟り、謂う。

7

「急ぎ広間を逃れよ。黒き夜を通り抜けて」。

他方、メーデイアは、足音を耳にすると、起き上がり、いっしょに出発した。

8 Schol. Ap. Rhod. 4.87
 アポッローニオスは、メーデイアはアイエーテースの館から逃げた後、イアーソーンに羊の毛房を約束したと詩作した。これに対し『ナウパクティカ』を書いた人は、彼女は逃げる際に羊の毛房をいっしょに持ち出したのであって、それは彼〔アイエーテース〕の館にあったのだと。

9 Paus. 2.3.9
 ヘッラス人たちたちの間には、『ナウパクティア』と名付けられる叙事詩があるが、その中では、イアーソーンは、ペリアースの死後、イオールコスからコルキュラへ移住したという。そして上の子メルメロスは、対岸の本土で狩りをしている際に牝ライオンに斃されたという。しかしペレースに触れたところはまったくない。[註]

[註]メルメロスの息子のエーペイロス人は、『オデュッセイア』1.259に言及されている。この人物は、もともとは地方の武勇談の独立した人物であったろうが、イアーソーンがコルキュラ伝承に取りこまれるとき、彼の息子にされたのであろう。

10 Philod. De pietate B 6736 Obbink
 アスクレーピオスをばゼウスは雷で撃ったと、『ナウパクティアカ』を著した人と、テレステースが『アスクレーピオス』(PMG 807)の中で、抒情詩人キネーシアスが〔いっている〕。というのは、ヒッポリュトスをばアルテミスの懇願で生き返らせたからである云々。[註]

Cf. ibid. B 4912; Apollod. Bibl. 3.10.3 (interp.).
[註]アスクレーピオスの運命の受難については、他の詩人は他の理由を与えている。Compare "Hesiod," fr. 51; Stesichorus, PMG 194; Panyassi, fr. 5; Pherecydes, fr. 35 Fowler; Pindar, Pyth. 3.54-58; Orph. fr. 40.

11 Paus. 4.2.1,
 see Cinaethon fr. 5.




ポローニス(ForwnivV)

1 Clem. Strom. 1.102.6
 というのは、アクゥシラーオス(fr. 23a Fowler)は言う、最初に生まれた人間はポローネウスであると。ここから、『ポローニス』の詩作者も、彼であると謂ったのだ。

死すべき人間どもの父親は〔彼であると〕

2 Schol. Ap. Rhod. 1.1126-1131b, "イーデーのダクテュロイ"
 『ポローニス』を著した人が次のように書いている。

          そこにはイーデーの魔法使いたち、
つまり、プリュギア人たちが山の住み家に住んでいる。
山の城市アドレーステイアの熟練の召し使いたち。
すなわち、ケルミス、偉大なダムナメネウス、力あるアクモーン、
これらは初めて工夫にとめるヘーパイストスの術知によって、
山峡にかぐろき鉄を発見し、
火にかけて、みごとな仕事を示した。

3 Strab. 10.3.19
 『ポローニス』を書いた人は言う、クーレースたちとは、笛吹きであり、プリュギア人たちのことであると。

4 Clem. Strm. 1.164.1
 とにかく、神像の状態が精査される前に、往古の人たちは柱を立てて、これを神の像として崇拝するのが常だった。とにかく、『ポローニス』を詩作した人が〔次のように〕書いている。

カッリオペー、すなわち、オリュムポスの女王、アルゴスに坐すヘーラーの
鍵の御司、彼女が花環と房飾りで
初めて女主人の長い柱のまわりを飾れり。[註]

[註]カッリトエーあるいはカッリテュエッサは、イーオーと同一で、アルゴスのヘーラーの最初の女祭司であった。

5 Et. Gen./Magn. s.v. ejriouvnioV〔大したお助け神〕
 ヘルメースの添え名。……強意の接頭辞ejriと、o[nhsiV〔利益〕とからの〔合成語〕……というのも、『ポローニス』を書いた人も謂っているから。

そこで父は彼にヘルメース・エリウゥニオスと名付けたり。
神々をも死すべき者らをも、あらゆる浄福な者らを
盗みの技と知恵工夫にとむ利得で抜きん出ていたからである。

6 P. Oxy. 2260 i 3〔2世紀AD〕
 『ポローニス』を詩作した人も、その中で謂う。

               戦いを呼び起こす
長剣帯びた乙女[註]でさえ、集まった者ら〔?〕を救うに足らず。

[註]アテーナーのこと。


forward.GIF出典不明断片集