[解説]
幾人かの作者が、「ホメーロス」から、われわれに知られている詩編には現れない詩行ないし詩句を引用している。このことは、幾つかの場合に、思い違いをとおして、真正なホメーロスの詩行の混同とか改悪、あるいは歪曲に帰着することになったに違いない。そういう説明を付けることのできない残余のうち、一部はたぶん叙事詩の環の詩編に由来したのであろう。これらが、とくに5世紀、十把一絡げにホメーロスに帰される傾向があったのをわれわれは知っている。ここに収めた詩編の一つないしそれ以上に、時々、似たような文脈を推測できる。
他の叙事詩片は、帰属無しのまま引用されている。ここで編者は、それらがヘレニズム期よりも古いと主張するのか、むしろ新しいと主張するのか、決定を試みざるを得ない。前ヘレニズム期の作者たちによって、あるいは、おそらく引用しているホメーロスの注釈家たちによって引用された、初期の詩だと彼らが思っているものにわたしは自分を限定した。
パピルスには多数の六脚律の断片がある。それらは新しい構成であるというはっきりした徴を示さず、理屈では、古拙期の叙事詩かもしれないものである。しかし、初期の叙事詩は後世に現れるというlimited currencyの見地から、、見込みは高くないし、それらの素材は一般的に疑わしい。それらを目下の巻に収めることに利点はほとんどないであろう。
1 Amphora picta, Mus. Brit. E 270 (Kretschmer, Die griech. Vaseninschriften 90)〔5世紀初期〕
ho:dev pot= Tuvrinqi〔かつてティーリュンスでそうだったとしても……〕[註]
[註]陶器は吟唱詩人が演示しているところを示し、その口から以上の言葉が出ている。
2 Simonides PMG 564
〔メレアグロスは〕槍によって
並みいる若者らを打ち負かす。葡萄もたわわのイオールコスより、
逆巻く水のアナウロス河を越えて飛びし槍によって。
ホメーロスとステーシコロス、人々をかくぞ歌いける。〔Ath. 172e(柳沼重剛訳)〕[註]
[註]「ホメーロス」は、ここでは、イオールコスでのペリアースのための葬送球技の説明の作者として引かれている。
3 Hippocr. De articulis 8
なぜなら、ホメーロスは次のことを美しく知悉していたからである。つまり、あらゆる家畜のうちウシたちは〔冬の終わりの〕この季節にいちばん苦しむからである……というのは、他の家畜たちは牧草が短くても食べられるのに、牛は牧草の丈が長くならないうちはほとんど食べられないからである。……そこでホメーロスは次のような叙事詩を作詩したのである。
ねじれた角の牛どもに歓迎される春がやって来たときのように、[註]
これは、ウシたちには丈の高い牧草がいちばん喜ばれるように見えるからである。
Cf. eund. Vectiarius 5.
[註]おそらく、『ノストイ』におけるアガメムノーンあるいはメネラーオスの帰郷の説明から。この叙事詩句は、『オデュッセイア』4.535と11.411でのウシの比喩の出典でもあったろう。
4 Arist. Eth. Nic. 1116b26
すなわち、激情(qumovV)は危険に対してまっしぐらに突進するものである。それゆえ、ホメーロスも「力をその激情のうちに投げこんだ」(cf. Il. 11.11, 14.151. 16.529)とか「憤激(mevnoV)と激情をかき立てた」(cf. Il. 15.594)とか「激しい熱い呼気が鼻孔に立ちのぼった」(cf. Od. 24.318 sq.)とか
血が煮えたぎった。[註]
[註]引用された成句はどれも『イーリアス』ないし『オデュッセイア』の中に正確には現れないが、最初の3つはおそらく、ホメーロスの表現の曲解、ないし、異本合成された記憶であろう。
5 Arist. Pol. 1338a22
何故なら彼らはそれ〔音楽〕を自由人にふさわしい高尚な楽しみと考え、それらのうちのひとつに数えているからである。それゆえホメーロスも次のような詩を作った。
しかしただ彼のみ華やかな饗宴に呼び得る。(山本光雄訳。Newmanの読みを採る。)
6 Schol. (T) Il. 24.420b
死んだ者らの傷を閉じることは不可能と、アリストテレース(fr. 167)が謂うには、ホメーロスが〔次のように〕述べていると。
血にまみれた傷口が縁をめぐって閉じた。
この半行は、〔ホメーロスには〕現れない。
7 Clearchus fr. 90 W. (-o[clon); Philod. De pietate A 1679 Obbink (-skedavseiV); Diog. Laert. 2.117
わたしから人だかりを追い払ってくれませんか、数々の難儀に遭われたご老体よ。[註]
[註]出典はさまざまな機知や哲学者(カルモス、ソークラテース、ビオーン)を報告し、それぞれの目的に応じてこの詩句を用いている。推測では、『キュプリア』の中でメネラーオスがネストールに向かって、ヘレネーを失ったことに取り乱して、彼に相談に行ったときに言ったものであろう。See Dirk Obbink, Philodemus On Piety, Part I (Oxford, 1996), 544-548.
8 Plut. Thes. 32.6
さらにヘーレアース(FGrHist 486 F 2)[註]は、ハリュコスはテーセウス当人によってアピドナイで殺されたと記録しており、その証拠として、ハリュコスについて叙事詩を持ち出す。
かつて広き野のアピドナイに
戦ったのを、テーセウスは髪うるわしきヘレネーのために殺した。
[註]4世紀のメガラ人の歴史家。ハリュコスはメガラ地方の英雄。
9 Chrysippus, SVF ii. 251.28
というのは、思量的部分がここ〔魂のまわりに〕あるということは、〔詩人=ホメーロスが〕次の詩句を通して明言している。
そこで胸の中に、理性とすぐれた創意工夫は他のものを〔受け入れた〕。
10 Id. ii.253.20
力強きゼウスの神助を得た悟りが胸の内に燃えあがった。
11 Strab 1.2.4
いやそれどころか、詩人〔ホメーロス〕はこれらをことごとくオデュッセウスに結びづけて、……というのは、この〔詩人〕が見た彼〔オデュッセウス〕は、「数多の国人の町々を訪ね、その気質も識り分け」(Od. 1.3)、そしてまた、終始「城を攻め落とす者(ptolivporqoV)」と言われ、イーリオンを攻略したおりも、
企みと作り事、抜け目なき術知によって
と〔いわれた者であった〕。
Cf. euns. 13.1.41; Polyaen. 1 prooem. 8; Stob. 4.13.48.
12 "Ammonius" in Il. 21.195 (P. Oxy. 221 ix 1; v.93 Erbse)
ありとある海の流れ出づる銀の渦巻くアケローオスの波の中にわたしは〔彼を?〕安置した
13 Ps.-Plut. De Homero 2.20
さらにまた彼〔の作品〕においては隠喩が多彩で、あるものは有情から有情への〔隠喩〕である。例えば、
次いで、蒼黒き舳先の船の馭者が発声せり。
船乗りの代わりである。
Cf. Anon. De tropis, iii.228.24 Spengel.
14 Ps.-Plut. De Homero 2.55
また逆に、受動態の代わりの能動態。
dwrhvsw trivpoda crusouvaton〔黄金の取っ手のついた鼎をわたしは贈り物としよう〕
〔dwrhvswは〕dwrhvsomaiの代わりである。
15 Ammon. in Porph. Isag., CAG iv(3).9
あの人たちは、いかなる術知であれこれに参与する人を知者と名づけた……詩人〔ホメーロス〕も
知恵ある大工が組み立てたとき
Cf. Clem. Strom.. 1.25.1 "$HomhroV de; kai; tevktona sofo;n kalei:."〔ホメーロスは大工をも知者と呼ぶ〕
木馬のことか?
16 Ath. 137e
ソローンは、プリュタネイオンで食事を供される者たちには、大麦パンを供すべし、祝祭の日には、小麦パンを添えるべし、と命じているが、これはホメーロスを模しているのだ。というのも、あの人は最も善勇の人〔英雄〕たちをアガメムノーンのところに集めて、
大麦パンも出された
と謂っているからだ。
17 Schol. (T) Il. 9.668b
〔アキッレウスが〕アウリスに新兵募集するときスキュロス島を攻略したのは、そこに、ペーレウスの支配に背いたドロピス人たちがいたからである。
ドロピス人たちのスキュロスへと航行せり。
ネオプトレモスをもうけたのもその時である。[註]
[註]この古註釈家の物語は、『キュプリア』や『小イーリアス』と一致しない。しかし詩句断片は、それらの叙事詩のひとつに由来しているのであろう。
18 Schol. Lyc. 86, "grunovn"〔燃え木を〕
丸太〔の意〕。ホメーロス。
丸太が燃えあがり、大きな炎が上がった。
19 Suda θ 448
qwu&ssonteV。咆えつつ。ホメーロス。
唸り声をあげて咆えつつ