古代ギリシアの詩
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カッリマコス作品集
エピグラム詩
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I. (A. P. vii 89, Diog. Laert. i. 79 f.)
〔ピッタコスに寄せる(墓碑にあらず)〕
アルタネウス人のある客人が、ピッタコスにこう尋ねた、
ミュティレーネー人ヒュッラスの子ピッタコスに。
「老師よ、結婚の申し込みが2つわたしにあります。ひとりの
嫁女は、富も生まれもわたし並み。
もうひとりのほうは、ずば抜けております。どちらがよいか。さあ、わたしに
忠告をください、どちらを婚礼の祝い歌へと導けばよいかを」
と云った。すると彼〔ピッタコス〕は、老人の武器である杖を上げて、
「あちらをみよ、あの子たちがおまえにすっかり教えてくれよう」。
たしかに、ぶち独楽に鞭をあてて速く廻していた、
子どもたちが、広い三叉路で。
「あの子たちの」と〔ピッタコスが〕謂う、「跡につづけ」。そこで男は近づいて
立った。すると子どもたちは言っていた、「おまえに似合った走路を走れ」。
これを聞いた客人は、大家をつかむことはやめにした、
子どもたちのお告げを理解して。
されば、あの者が身分の低い花嫁を家に迎え入れたごとく、
そのようにおまえも行って、おまえに似合った走路を走れ。
II. (A. P. vii. 80, Diog. laert. ix. 17.)
〔ハリカルナッソスのヘーラクレイトスに寄せる、エレゲイア詩〕
ひとあって告げてくれた、ヘーラクレイトスよ、君の運命の終わりを、ぼくを涙に
くれさせた、ぼくは思い起こした、二人して幾たび
談論のうちに陽を沈ませたことか。しかるに君はいずこ、
ハリカルナッソスの客友よ、四たびの昔に灰となった。
されど君の「夜啼鶯たち」は生きてある、万物の
掠奪者アイデースも、これに手をつけることはない。
III. (A. P. vii. 320.)〔そこではヘゲシッポスに帰せられているが、Plut. Ant. 70は、最後の連句をto; periferovmenon Kallimavceionとして引用している。〕
〔ティモーンに〕
[墓のまわりいたるところに鋭い茨と
杭。近づこうとすれば、足に怪我をしよう]。
われ人間嫌いのティモーン、この中に住めり。されど通り過ぎよ、
さんざんに悪態をつくにしても、ただ通り過ぎよ。
IV. (A. P. vii. 318.)
〔ティモーンに〕
「ご機嫌よう」と云うな、悪しき心め、ただ通り過ぎよ。
おまえが笑わないことが、わしにとってはご機嫌と同じ。
V. (A. P. vii. 317.)
〔同じティモーンに〕
甲「ティモーンよ(君以上の適任はいないから)、君にとって闇と光と、どちらが敵か?」。
乙「闇だ。ハデースには、おぬしらの大多数〔=死者〕がいるんだから」。
VI. (Athen. vii. 318〔b, c〕.)
いにしえよりゼビュリオンに神鎮まりますアプロディテ様、私は
貝でございます。ああ、キュプリス棟、私をセレネ様への
初穂としてお供えになりましたね。ですが私めはナウティロス、
風が吹けば帆を張って、いずこへなりと海を渡ります。
もし四海波穏やかならば、わが名に恥じず、
櫂をさばく手も素早く、イウリスの岸にたどり着き、
アプロディテ・アルシノエ様、あなた様の
こよなきお慰み物となりましょう。
ですが(私は事切れておりましょうゆえ)もはや
あなた様のお館に、昔のように、翡翠の卵など産みますまい。
クレイニアスの娘にお恵みを。正しきをなす道を心得、
アイオリス人のスミュルナの国より参った者でございますゆえ。
〔柳沼重剛訳〕
VII. (Strabo xiv. 638, Sext. Emp. Adv. math. p. 609, schol. Dion. Thrac. p. 163 (except the last four words).)
わたしはサモス人の労作、〔サモス人=クレオピュロスは〕かつて家に
神的な歌い手〔ホメーロス〕を
迎え入れた。わたしはエウリュトスと、金髪のイオレイアが
どれほどの受難に遭ったかを謳った。しかしそれは
ホメーロスの書き物と呼ばれている。
クレオピュロスにとっては、親愛のゼウスよ、これは大いなる名誉。
VIII. (A. P. ix. 67.では無名となっているが、プラヌゥデスはカッリマコスに帰する)
継母の墓標、小さき石に、少年は花を冠していた、
生が変われば、性格も変わると思って。
しかし、墓にもたれた時、墓標が落ちて、子どもを殺した。
継子たちよ、継母は墓さえ避けよ。
IX. (A. P. ix. 565.)
テアイテートスは清浄な道を進んだ。だが
その道は、バッコスよ、御身のキヅタに導くことなく、
伝令使たちが他の詩人の名を呼ばわるにしても、それは少しの間のこと、
ヘッラスはかの人の知恵を永遠に呼ばわらん。
X. (A. P. ix 566.)
小さなものだ、ディオニュソスよ、成功した詩人の美しい
詩句は。しかるに彼はたいてい「われ勝利せり」と謂う、
そこでおまえが彼の右腕として呼吸することなく、「いかなる幸運があったのか」
と告げる者があれば、彼は謂う、「仕事はひどいものだった」と。
この詩句は、義しからざることを企んだ者のもの。
わたしには、おお、主よ、綴りの短さがありますよう。
XI. (A. P. vii. 451.)
ここにディコーンの子アカントス人サオーン 聖なる眠りを
眠る。善き人たちは死ぬものだと言うなかれ。
XII. (A. P. vii. 520.)
アイデースの館にティマルコスを、魂について何事かを、あるいはまた
いかにあるべきかを訊ねるために、探すなら、
プトレマイス部族、父パウサニアスの子を
探すべし。ただし、彼は敬虔なる者たちの館に探すべし。
XIII. (A. P. vii. 447.)
客人は短かった。詩行も長くは言わぬものを、
「テーリス、アリスタイオスの子、クレース人」〔という〕は、われにとって長し。
XIV. (A. P. vii. 521.)
おまえがキュジコスに行けば、ちょっとした面倒がおころう、ヒッパコスと
ディデュメーを見つけるという。この一族は紛れなきものだからだ。
されば彼らに苦い言葉を告げることになろう、とにかく言うことだろう
こう 彼らの子クリティアスをわたしがここにつかまえている、と。
XV. (A. P. vii. 524.)
甲「おまえの下にカリダスが憩うているというのはほんとうか?」。乙「もしもあの
キュレーネー人アリムマスの子のことを言っているなら、わが下に」。
甲「おお、カリダスよ、あの世はどうだ?」。丙「真っ暗だ」甲「回生というのはどうだ?」。
丙「嘘っぱちだ」。甲「それじゃ、プルートンというのは?」。丙「おはなしだ」。甲「われわれはなくなるんだ」。
丙「これが君たちに言うぼくの真実の話だ。もしも甘い話を
お望みなら、冥府じゃ大きな牛がたったペッラ貨の値だ」。
XVI. (A. P. vii. 519.)
誰か明日のダイモーンをよく知る者があろうか? 御身も
カルミスよ、昨日われわれの眼の中にありしに
次の日、嘆きながら埋葬する。これ以上に
つらきことを、父ディオポーンは知らず。
XVII. (A. P. vii. 522.)
「ティモノエーよ」。あなたは誰? ダイモーンにかけて、あなたを見知らず、 父ティモテオスの名が
墓標になく、メーテュムナがあなたの都市でないとするなら。もしそうなら、
あなたの男やもめエウリュメネースの悲しみは大きいとわたしは認める。
XVIII. (A. P. vii. 459.)
話に富めるクレーティス、美しい冗談の精通者を、
サモスの娘たちはしばしば求めた、
最も快い助手、絶え間ないおしゃべりを。しかし彼女はここに、
あらゆる女たちの務めである眠りを眠る。
XIX. (A. P. vii. 271.)
速い船がなければよかったのに。そうすればわれわれは
ディオクレイデースの子ソーポリスを嘆くとはなかったろう。
今、彼は屍となってどこか潮のなかを漂っている、彼なくして
彼の名前と空墓のそばをわれら通りすぎる。
XX. (A. P. vii. 272.)
ナクソス人リュコスが死んだは陸上にあらずして、海なり。
船と魂と、もろともに滅びるを彼は見たり。
商人としてアイギナから航海している時に。そして彼は湿った海の中の
屍。わたしは塚として、ただその名を保ちつつ、
この全き真なることばを布令よう、「海と交わることを
避けよ、船乗りよ、山羊座が沈む時には」と。
XXI. ( (A. P. vii. 453.)
父ピリッポス、12歳の子を葬りぬ、
ここに、数多の希望であったニコテレースを。
XXII. (A. P. vii. 517.)
明け方に、われらメラニッポスを葬ったるに、陽の
入りには、処女パシロ−、命を絶ちぬ
おのが手で。弟を火の中に安置しながら、
生きてゆくに堪えずして。だが父アリスティッポスの館は
二重の禍に遭いぬ、キュレーネー全市は打ち沈んだ
子宝に恵まれながら先立たれた家を目にして。
XXIII. (A. P. vii. 525.)
誰であれ、わが墓標のそばに歩を進める者は、われがキュレーネー人
カッリマコスの子と裔であると知れ。
汝は両者を知るであろう。ひとりはかつて祖国の軍を
指揮し、ひとりは、邪視を凌駕した歌をうたった。
義憤の基ならず。なぜなら、ムーサたちが子どもらを曲がらぬ眼で見るかぎり、
友として白髪になるまで見捨てることはないのだから。
XXIV. (A. P. vii. 518.)
クレータ人、山羊の牧人、アスタキデースを、ニュムペーが掠った、
山から。今やアスタキデースは聖なる者。
もはやディクテーの樫の樹の下でも歌わず、ダプニスをも歌わず、
われら牧人は、アスタキデースをいつも歌おう。
XXV. (A. P. vii. 471 ; Sext. Emp. Adv. math. p. 690 ; schol. Dion. Thrac. p. 160)
「太陽よ、さらば」と言い捨てて、アムブラキア人クレオムブロトスは
高き市壁より冥府にみまかった。
死ぬほど悪しきことを目にしたわけではなく、ただプラトーンの
魂についての書ひとつを読んだばかりに。
XXVI. (A. P. ix. 336.)
われは半神、アムピポリス人エーエティオーンの戸口の像
小さき玄関口に小さく立つ、
とぐろを巻いた蛇と剣のみを持って。勇者エペイオスに
激怒して、われまで徒で建てたのだ。
XXVII. (A. P. v. 6.)
カッリグノートスはイオーニスに誓った、けっしておまえを
しのぐような男友だちも女友だちももつことはない、と。
彼は誓った。しかし、世に言われていることは真実だ、恋の最中にある
誓いが、不死なる〔神々〕の耳に入ることはないというのは。
現に今彼は男の火〔少年愛〕に熱せられている。みすぼらしい
女など、メガラの故事にあるとおり、話にもならなければ数にも入らない。
XXVIII. (A. P. vii. 460.)
われ、小さき持ち物からわずかの生を得たり、何ら恐るべきことも
行わず、何人かに不義をすることもなく。親愛なる大地よ、
われミキュロス、何かよこしまなることをたたえなば、汝わが光となる
なかれ、われを保持する他のダイモーンたちも。
XXIX. (A. P. ix. 507. Arati Vit. iii. (West. p. 54)).
〔アラトスの『パエノメナ』に寄せる〕
主題と方法はヘーシオドスのもの。究極の歌い手
ではなく、このソロイ人は、最高の蜂蜜色の詩句を
模倣したのではないかとわたしはあやしむ。ご機嫌よう、微妙な
詩句たちよ、アレートスの張りつめた不眠よ。
XXX. (A. P. xii. 43.)
わたしは紋切り型の詩が大嫌い、多衆を
あちこち引きずりまわす手管も好きじゃない、
恋する者がうろつきまわるのも、泉から
飲むのも憎む。あらゆる俗なるものが嫌いだ。
リュサニアスよ、あなたこそは、そうよ、美しい、美しい だけどエーコーが
それをはっきり云う前に、ひとは謂う「彼はひとのもの」。
XXXI. (A. P. xii. 51.)
〔酒酌み少年に〕
〔酒を〕注げ、もう一度言え、「ディオクレースのために!」。アケローオスさえ
その聖なる柄杓に気づかぬ。
この少年は美しいぞ、アケローオスよ、すこぶる美しい、もしも誰か
否認する者あらば 美の何たるかを知るはわれのみでありますよう。
XXXII. (A. P. xii. 71.)
テッサリア人クレオニコス、かわいそうなやつ、かわいそうなやつ、鋭い太陽にかけて、
わしはおまえをまったく知らなんだ。あわれなやつ、おまえはどこにいるのか?
もはやおまえの骨と髪の毛ばかり。もしやおまえに、
わしのと同じダイモーンがとりつき、ひどい神々の定めに遭遇したのか。
わしは知っている。エウクシテオスがおまえまで掠った、おまえもまた
美しいやつのもとに行き、おお、惨めなやつ、両の眼で見つめたのだ。
XXXIII. (A. P. xii. 102.)
狩人エピキュデースよ、山々のなかであらゆるウサギを
追いかけ、あらゆるシカの足跡を
さがしまわる、雨雪に見舞われようとも。しかしひとがこう云っても、
「見ろ、ここに獣が撃たれている」、取らないだろう。
わたしの恋もそのようなもの。逃げれば追いかけることを
知っているが、真ん中に横たわるものは、見過ごすのだ。
XXXIV. (A. P. xii. 148.)
わたしは知っている、わたしの手は富が空っぽ、だけど、メニッポスよ、
カリスたちにかけて言ってくれるな、わたしの夢はわたしのもの、と。
この苦いことばを聞くと、わたしはいつも悲しくなる。
そうだ、友よ、君からもらったものの中で、これが最もいとわしいことだ。
XXXV. (A. P. vi. 347)
アルテミスさま、ここにこの神像をピレーラティスが御身に奉ります。
どうぞお受け取りください、女神さま、そしてこの者をお護りください。
XXXVI. (A. P. vi. 351.)
甲「御身に、おお、師子を絞め殺した殿、猪を屠った殿よ、山毛欅の枝であるわたしを
奉納しました」。乙「何者がか?」。甲「アルキノスです」。乙「いずこの者か?」。甲「クレータ人です」。
乙「受けよう」。
XXXVII. (A. P. vii. 415.)
汝が歩を運ぶは、バットスの子〔カッリマコス〕が墓。歌の心得あり、
また、酒を飲みつつ笑うべき時をも心得たるひとの。
XXXVIII. (A. P. xiii. 7.)
〔滑稽な四歩格詩〕
リュクトスの子メノイタスは、
こう言い添えながらこの弓具を
奉納した。「ここに、御身に捧げる、
角弓と矢筒を
サラピス神よ。ヘスペリス人たちは
矢は持たぬが」。
XXXIX. (A. P. xiii. 24.)
〔四歩詩格、11音節の詩句が続く〕
この贈り物はアプロディーテーに
さすらいの女シモンが捧げました。
おのが肖像と、乳房に口づけした
帯、そして松明、
あわれな女が携えていたテュルソス杖そのものを。
XL. (A. P. xiii. 25.)
ピュライエー〔テルモピュライ〕のデーメーテールに
ペラスゴイ出身のアクリシオスが女神にこの
神殿を建て、このお供えを、
地下世界の娘にも
ナウクラテス人ティモデーモスが
獲得物の十分の一税として捧げました。そのように祈っていましたから。
XLI. (A. P. vii. 728.)
わたしはかつてデーメーテールの、そしてまたカベイロスたちの女神官でございました、
おお、あなた、その後にはまたディンデュメーネー注33)の
歳老いて、今は塵芥、[エレウトーの陣痛のおりには]
数多くの若い女たちの前衛でありましたが。
わたしには男の子二人が生まれました。そしてわたしは瞑目しました、充分に歳老いて
その子たちの腕のなかで。お行きなさい、ご機嫌よう。
XLII. (A. P. xii. 73.)
わたしの魂の半分はまだ息をしておりますが、半分は存じません
エロース様が掠ったものやら、アイデース様が掠ったものやら、ただただ消えただけ。
もしや、子どもたちのひとりのもとに行ったのでしょうか。実際わたしは禁止したものです
何度も「若者たちよ、逃亡を受け容れてはなりません」と。
誰かいっしょに彼を捜してください。あそこで、あの石打にあたいする者、
恋の病に罹った者は、わたしはわかるのです、きっとうろついていると。
XLIII. (A. P. xii. 118 ; Cramer, Anec. Par. iv. 384.)
もしも故意に、アルキノスよ、わたしが飲み浮かれてきたのなら、一万回でも非難するがいい、
だが心ならずもやって来たのなら、軽率さを追い払え。
生の酒とエロースがわたしを強制したのだ、そのうちのひとつは
引きずり、ひとつは軽率さを追い払うことを拒んで。
そしてやって来たけど、自分が誰かとか、誰の子かとか、叫ばなかった、ただ接吻した、
脇柱に。それが間違いなら、わたしは間違いをおかしたのだ。
XLIV. (A. P. xii. 134.)
客友が傷を負ったとは気づかれなかった。いかに痛ましい
吐息を胸からついたかことか(君は知っているかい?)、
三杯目を飲んだ時に、薔薇は葉をおののかせ、
男の花冠からことごとく地に落ちた。
彼はあまりにひどく焦がれた。ダイモーンたちにかけて、理由なくして
想像するのではない、盗人の足跡をわたしは盗人として学んだのだ。
XLV. (A. P. xii. 139.)
パーンにかけて、何か隠れたものがある、この灰の下に、
ディオニューソスにかけて、ある火がある。
わたしは自信がない。わたしを抱擁するな。しばしば知らぬ間に、
静かな河は壁をむしばむものだ。
今もわたしは恐れるのだ、メネクセノスよ、わたしに忍び寄って
このぬすっと犬めが恋の中に投げこむのではないかと。
XLVI. (A. P. xii. 149.)
「捕まるだろう、回避せよ、メネクラテースよ」とわたしは云った、パネーモス月の
二十日に、そしてローイオス月の、いつだっけ? 十日に
牛は唯々諾々と鋤に就いた。しめしめ、わがヘルメースよ、
しめしめ、二十日の間をわしらは咎めぬ。
XLVII. (A. P. xii. 150.)
ポリュパモス〔ポリュペーモス〕は、恋する者にとって。何と善き呪文を
発明したことか。大地にかけて、キュクロープスは無学ではなかった。
ムーサたちはエロースをしずめるのだ、ピリッポスよ。
じっさい、その知恵は、万人の万能薬である。
これは、思うに、飢えだけでもよこしまなものに対しては
善い点を持っている。少年愛という病気を根絶するのだ。
汝、容赦ないエロースに対しては、われらに二つの良薬があるのだ。
「すなわち、少年よ、翼は切り取られた、
おまえなんかかけらほども怖くない。両方の呪文が、
難しい傷に対して家にあるのだから」。
XLVIII. (A. P. vi. 301.)
塩倉をエウデーモスは、このおかげで質素な塩をなめつつ
借金の大きな嵐をまぬがれたので、
サモトラケーの神々に捧げた。こう言いながら、これを、祈願どおり、
おお、民よ、塩から助かったゆえ、ここに捧げる、と。
XLIX. (A. P. vi. 310.)
ミッコスの子シーモス、われを供えてもの学びのよさを願えり
ムーサたちに。女神たちは、グラウコス同様に授けた、
わずかな供え物の代わりに大きな贈り物を。
そしてわたし、ディオニューソスの悲劇の仮面は、
サモスのディオニューソスの2倍の大口を開いてぶらさがって、
子どもたちのいうことに耳を傾けている。彼らは言う
「この髪は神聖です」。わたしの夢はわたしのもの。
L. (A. P. vi. 311.)
客人よ、言ってくれ、われはアゴラナクスの勝利のあかし
あのロドス人の、まこと喜劇の証人として奉納されたるもの、と。
われパムピロン、エロースにさいなまれたひとつの顔ではなく、半分は、焼いた
干し無花果とイシスの燭台に似た顔の。
LI. (A. P. vii. 458.)
プリュギア女のアイスクレー、善き乳母を、ありとある宝で、
ミッコスは生前も老後の面倒をみ、
亡くなると、後人に見られるよう像を奉納し、
この老女は乳房に対する感謝を受けとった。
LII. (A. P. v. 145.)
カリスたちは4人。というのは、くだんの3人にもうひとり
あらたに加わるからだ、香気にぬれ、
さいわいなる、万人の中で輝かしいベレニカが、
彼女なくしてカリスたちもカリスたちならず。
LIII. (A. P. xii. 230.)
黒を美とみるテオクリトスを、もしも彼がわたしを嫌うなら、
4倍憎んでください、でも愛してくれるなら、愛してやってください。
しかり、髪うるわしいガニュメーデースにかけて、天にましますゼウスよ、
あなたもかつて恋をなさった注41) もはやこれ以上は言いますまい。
LIV. (A. P. vi. 146.)
もう一度、エイレーテュイアよ、リュカイニスが呼んだら、来ておくれ、
助産の女神として、こういうふうに陣痛の安産のために。
今はこれを、女神さま、女の子のために。男の子にためには、
後ほど、馥郁たる神殿は何か他のものを得るでしょう。
LV. (A. P. vi. 147.)
アスクレーピオスよ、負債の支払いを受けたと知ること。
妻デーモディケーのためにアケソーンが願って負うた負債を。
もしやおまえが忘れて、もう一度支払いを求めても、
この証文が証人を引き受けると謂う。
LVI. (A. P. vi. 148.)
カノープスの神に、クリティアスの妻カッリスティオン、
ゆたかに二十の芯もつ燭台である我を捧げたり
娘アペッリスのことを祈って。我が焔を
見つめつつ、おまえは謂うだろう、「ヘスペロス、どうして亡くなったの?」。
LVII. (A. P. vi. 149.)
われを建てた(とはいえわたしは知らないのだが)エウアイネトスが
謂う、おのが勝利の御礼にわたし、すなわち、
青銅の雄鶏をテュンダリダイに奉納した、と。
われは、ピロクセニデースの子パイドロスの子を信ず。
LVIII. (A. P. vi. 150.)
イーナキス=イーシスの館に建つは、タレースの娘
アイスキュリス〔の像〕。母エイレーネーの約束により。
LIX. (A. P. vii. 277.)
おまえは誰か、おお、異国の水死者よ。レオンティコスがここなる
海辺で汝の屍体をみつけ、この墓に埋めた、
死の定めもつおのが生に涙しながら。というのは、彼自身も、
平穏ならず、カモメに等しく海を渡るゆえ。
LX. (A. P. xi. 362.)
しあわせなのは、古のオレステースが発狂したのは、ほかの理由であって、
レウカレタスの狂気に狂ったのではなく、友を吟味する
ポーキス人〔ピュラデース〕に対する試みのせいでもなかったこと。かりに行為ひとつでも教えていたら、
そうすることで、たちまち友を失っていたことだろう滅ぼしたことであろう。
わたしもそういうわけでもはや数多くのピュラデースたちを持たない。
LXI. (A. P. vii. 523.)
何びとであれ、エリスのキモーンの墓標に通りがかった者は、
ヒッピアスの子を通り過ぎると知れ。
LXII. (A. P. vii. 725.)
甲:アイノス人メネクラテースよ、君もまたここに長くはとどまれないのだから
〔いってくれ〕。何が君を、最も気高き客友よ、亡き者にしたのか?
ケンタウロスにもふりかかったことか?。乙:わしに訪れたは定めの眠りとはいえ、
責めを負うは、情けない酒。
LXIII. (A. P. vi. 121 ; vv. 1-2 Suidas s. v. KunqiavdeV.〔アリストパネス『雲』596〕)
キュントスのものどもよ、元気を出せ、クレースの弓エケムマは
オルテュギアにましますアルテミスのもとに納められたのだから、
この弓で彼〔?〕はおまえたちの大いなる山を無人とした。だが今は、終わった、
山羊たちよ、女神が休戦を約したゆえに。
LXIV. (A. P. v. 23.)
このように眠るがいい、コーノーピオンよ、わたしを
この冷たい扉のそばで眠らせているように。
このように眠るがいい、このうえなくひどい女よ、愛する者を
眠らせているように。夢の中でさえおまえが憐れみに行き合うことはない。
隣人たちは気の毒がってくれるのに。おまえときたら夢にも。いつか灰色の
髪が、これらすべてのことをおまえに思い出させるだろうよ。
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